本報告書は、日本の茶道史および美術史において特異な位置を占める名物花入「貨狄(針屋舟)」(かてき・はりやぶね)について、その詳細を総合的に考察することを目的とする。この花入は、単なる器物を超え、時代とともに物語が付与され、価値が積層していった名物道具の典型例であり、その名称自体にも「貨狄」という伝説に由来する銘と、「針屋舟」という具体的な所有者に基づく号が併存している事実は、この多層的な価値形成を象徴している。本報告書の記述は、主に参照資料として提供された『貨狄(針屋舟)』花入の概要と歴史(以下、資料と呼称)に基づき進められる 1 。
「貨狄(針屋舟)」は、その名に二重の由来を持つ。一つは古代の伝説に、もう一つは茶の湯の歴史における具体的な人物にその源泉を求めることができる。
「貨狄」という銘は、古代中国の伝説上の人物に由来する。黄帝の時代に世界で初めて舟を造ったとされる人物が貨狄であり、この花入が舟形であることにちなんで命名されたと考えられる 1 。器形に直接関連するとはいえ、古代中国の伝説的人物名を引用する行為は、単なる形状記述を超えて、器物に深い由緒と普遍的な物語性を与えようとする意図の表れである。これにより、花入は単なる舶来の日用品から、文化的な意味を帯びた存在へと昇華される。茶の湯の世界では、器物の背景にある物語や由緒が重視されるため、「貨狄」という名は、その器が持つべき「格」を暗示し、鑑賞者に対して深い思索を促す効果を狙ったものと考えられ、舶来品を日本の文化価値観の中に再配置する際の洗練された手法と言えるだろう。
一方、「針屋舟」という別名(号)は、この花入を所持した戦国時代の茶人、針屋宗春(はりやそうしゅん)に由来する 1 。宗春の屋号「針屋」を冠したこの呼称は、特定の所有者との密接な関係を示すものであり、茶道具の世界で重要視される「伝来」の事実を強調する。千利休が晩年に弟子の針屋宗春にこの花入を託したとされ、この事実は花入が利休の審美眼に適ったものであることを示唆し、その価値を一層高めるものとなった 1 。すなわち、「貨狄」という物語由来の銘が普遍的な物語性を帯びるのに対し、「針屋舟」という伝来上の呼称は、茶の湯という特定の文化圏、あるいは特定の流派や人間関係の中での価値を示す。これら二つの名称が同一の花入に併存していることは、この器が持つ価値の多面性を象徴していると言えよう。
「貨狄(針屋舟)」は、その材質、形状、意匠において際立った特徴を有し、名物としての評価を支える物質的基盤となっている。
主たる材質は、銅を主成分とする砂張(さはり)と呼ばれる合金である 1 。砂張は、特有の金属的質感と、時代を経ることで生じる深みのある色調変化が特徴であり、茶道具の素材として古くから珍重されてきた。
器形は、舟を模した半月状の釣舟形(つりぶねがた)であり、前後の舳先(へさき)が大きく反り返り、優美な丸みを帯びている 1 。特筆すべきは、他の釣舟花入と比較して「一回り大きい堂々たる風格」を備えている点であり、具体的な寸法は全長35.0cm、幅22.0cmと記録されている 1 。この大きさは、茶室という限定された空間において圧倒的な存在感を放ち、他の道具との調和の中で中心的な役割を担ったであろうことが推察される。「天下無双」と称された評価の一因が、この物理的な堂々たる姿にあった可能性は高い。
器表は、白みがかった金色で僅かに赤みを帯びるという複雑な色調を呈し、さらに経年変化によって生じた「彩雲状の古色」が見られると記述されている 1 。これは、砂張本来の金属色に加え、日本独特の美意識である「寂び」や「古色美」を反映したものであり、意図的な作為だけでなく、時間を経て自然に生じた美しさが評価されている点に注目すべきである。装飾としては、舟の縁に沿って二筋の沈線(彫り込み線)が巡らされており、これは派手さはないものの、全体のフォルムを引き締め、品格を高める効果的な意匠となっている 1 。
吊り下げ用として、鎖と環(金具)が付属している。この鎖は「利休好みの鎖と伝わる」という伝承があり、花入本体だけでなく、付属品に至るまで千利休との関連性が語られている点は、この道具の権威性を高める上で重要な要素となっている 1 。たとえ後世の付会であったとしても、利休の名を冠することで道具の格が上がると考えられていた当時の価値観が窺える。
表1: 「貨狄(針屋舟)」の物理的特徴一覧
特徴 |
詳細 |
典拠 |
材質 |
銅を主成分とする砂張(さはり)合金 |
1 |
形状 |
釣舟形、半月状の器体、前後の舳先が大きく反り返り丸みを帯びる |
1 |
寸法 |
全長35.0cm、幅22.0cm |
1 |
器表の色調・状態 |
白味がかった金色で僅かに赤みを帯びる、経年変化による「彩雲状の古色」 |
1 |
装飾 |
舟の縁に沿って二筋の沈線(彫り込み線) |
1 |
付属品 |
吊り下げ用の鎖と環(金具)、利休好みの鎖と伝わる |
1 |
「貨狄(針屋舟)」は、その製作から現代に至るまで、数奇な運命を辿ってきた。その道程は、日本の茶道史における重要な人物や出来事と深く結びついている。
その起源については二つの説が伝えられている。一つは、東南アジア産の供物用食器を茶人が花入として転用したという説である 1 。もう一つは、現所蔵機関である畠山記念館の調査によるもので、中国明代(15世紀)の作と鑑定されている 1 。いずれの説も、この花入が舶来品であったことを示しており、元々日本のものではない器物が、日本の茶人によって新たな価値を見出され、茶道具として転用された事実は、「見立て」という日本文化に特有の美的創造行為を象徴している。15世紀という製作年代は、室町時代の東山文化における唐物尊重の風潮とも合致する。
伝来に関しては、まず東山文化期の将軍足利義政が所持していた唐物砂張舟の一つであり、義政の茶の湯の師である村田珠光が愛玩したという伝承がある 1 。確実な伝来としては、堺の豪商であり茶人でもあった竹蔵屋紹滴(たけくらやじょうてき)がこの花入を所持し、「貨狄」と命名したことが記録されている 1 。紹滴は『山上宗二記』において「天下無双の花の名人」と評された人物であり、その彼がこの花入に「貨狄」と名付けたという事実は、道具と所有者の格が相互に高め合った好例と言えるだろう 1 。
その後、紹滴の師である武野紹鷗(たけのじょうおう)、そして茶道の大成者である千利休へと受け継がれたと伝えられる。利休は晩年にこの花入を弟子の一人である針屋宗春に託し、これが「針屋舟」という名の由来となった 1 。足利義政、村田珠光、武野紹鷗、千利休といった、当時の政治的・文化的頂点に立つ人物や茶道の大宗匠の名が連なることで、この花入の価値は揺るぎないものとして確立されていった。
「貨狄」の伝来において最も劇的な逸話は、本能寺の変との関わりである。千利休の門弟、山上宗二が著した茶書『山上宗二記』によれば、この花入は後に織田信長の所持するところとなり、天正10年(1582年)6月1日夜に京都本能寺で信長が催した茶会において、道具飾りの一つとして用いられる予定であったという 1 。実際に、信長最愛の茶器であった名物茶入「九十九髪茄子」(つくもかみなす)などと共に飾られていたとも伝えられている 1 。しかし、翌6月2日の未明に起きた本能寺の変による焼討で、信長と共に寺は炎上し、「貨狄」もこの時に行方不明(焼失)になったと当時は伝えられた 1 。本能寺の変という日本史上屈指のドラマチックな事件と結びつくことで、「貨狄」の物語性は頂点に達し、信長という天下人の愛蔵品であったという事実は、この花入に悲劇的で英雄的なオーラを与え、伝説的な存在へと押し上げた。「焼失した」という伝承は、対象物に対する一種の神格化、あるいは手の届かない存在としての憧憬を掻き立てる効果があり、この「失われた」という物語が、後の再発見の感動を一層大きなものにする伏線となった。
本能寺の変で焼失したと長らく信じられてきた「貨狄」であったが、その後、同一と思われる器が秘かに伝来し、現代まで残っていることが判明した。織田信長亡き後、この花入は豊臣秀吉の手配で回収され、その側近であった木下肥後守(旧名木下勝俊か)を経て、江戸時代初期には豪商・冬木家の所蔵となった 1 。本能寺での「焼失」という一度目の「死」からの「再発見」は、この花入に「不死鳥」のようなイメージを与える。
以降も、茶人・宝樹庵道勝や大名・松平(松岡)家など複数の手を経て明治期まで伝えられた。そして大正末期に、実業家であり茶人でもあった侯爵畠山義成が入手し、自身の茶道具コレクションに加えた 1 。数々の有力者の手を渡り歩き、現代まで伝えられたという事実は、その芸術的価値と歴史的重要性が時代を超えて認識され続けた証左である。現在は東京の畠山記念館(正式名:公益財団法人畠山記念館、旧荏原畠山美術館)の所蔵品として大切に保管されている 1 。
表2: 「貨狄(針屋舟)」の主要な歴代所有者と関連事項
時代 |
推定される所有者/確実な所有者 |
関連事項(命名、逸話、評価など) |
典拠 |
室町時代中期 |
足利義政(推定) |
所持の伝承 |
1 |
室町時代中期 |
村田珠光(推定) |
愛玩の伝承 |
1 |
戦国時代 |
竹蔵屋紹滴 |
所持、「貨狄」と命名、「天下無双の花の名人」と評される |
1 |
戦国時代 |
武野紹鷗(推定) |
所持の説 |
1 |
戦国~安土桃山 |
千利休 |
所持の説、針屋宗春へ譲渡 |
1 |
安土桃山時代 |
針屋宗春 |
利休より拝領、「針屋舟」の名の由来 |
1 |
安土桃山時代 |
織田信長 |
所持、本能寺の変にて焼失説(『山上宗二記』) |
1 |
安土桃山時代 |
豊臣秀吉 |
本能寺の変後、回収を手配 |
1 |
江戸時代初期 |
木下肥後守 |
所持 |
1 |
江戸時代初期 |
冬木家 |
所持 |
1 |
江戸時代 |
宝樹庵道勝、松平(松岡)家など |
複数の手を経て伝来 |
1 |
大正時代 |
畠山義成 |
入手、畠山記念館コレクションへ |
1 |
「貨狄(針屋舟)」は、茶の湯の歴史の中で極めて高い評価を受け、後世の茶道文化にも大きな影響を与えた。
室町後期から戦国期にかけて、この花入は茶の湯の名物として珍重され、その評価は「天下無双」と称された 1 。さらに、天下三舟(てんかさんしゅう)と称された三点の著名な釣舟花入(貨狄舟・松本舟・淡路屋舟)の中でも筆頭に位置づけられ、古来「釣舟花入の王座を占めた」とされている 1 。「天下無双」という言葉や「天下三舟の筆頭」という序列は、この花入が単に優れた道具であるだけでなく、同種の道具の中でも絶対的なトップとして認識されていたことを示す。これは、当時の茶人たちの間で共有された明確な価値基準と、それに基づくヒエラルキーが存在したことを物語っている。
千利休の高弟である山上宗二が天正17年(1589年)に記した『山上宗二記』には、「一、釣舟 かてき 紹鷗所持、無双ノ花入也」と明記されている 1 。宗二はこの貨狄花入について、「他に替えがたい無双(筆頭)の花入であり、いけ方にも種々の口伝(秘伝)があった」と記録している 1 。「いけ方に種々の口伝があった」という記述は非常に重要であり、これは「貨狄」が単に鑑賞されるだけの美術品ではなく、実際に花が生けられ、その生け方には特別な知識や技術が要求されたことを示唆する。秘伝の存在は、この花入を扱うことの難易度と、それを使いこなせる人物の権威を高める効果があったと考えられる。
千利休の時代になると、茶の湯の美意識は「侘び」へと傾斜し、金属製の華やかな唐物花入よりも、素朴な竹や国焼(国産陶磁器)の花入が侘び趣味に適うとされるようになった。山上宗二も「(他の凡庸な釣舟は)当世好みに合わず、数寄道具には入らない」と記している 1 。利休自身も「釣舟物は時代遅れ」と評したと伝わるが、一方で『山上宗二記』によれば、利休は堺の茜屋宗有が所持した別の釣舟花入を「賞美している」とも記されており、必ずしも一概には評価できない複雑さが見受けられる 1 。利休による侘び茶の推進という大きな時代の流れの中で、華やかな唐物金物である「貨狄」のような存在は、一見すると時代遅れと見なされかねなかった。しかし、「貨狄舟」そのものは利休やその孫である千宗旦にも特別視され、失われた後もその意匠が追慕されたという事実は、真の「名物」が持つ美しさや品格は、時代の趣味の変化を超えて評価され続ける普遍性を持つことを示唆している。
「貨狄」はその希少性や、本能寺で焼失したという伝承から、幻の名物として語り継がれた。その影響は大きく、千利休の孫にあたる千宗旦は、この名物に思いを寄せ、自ら竹製の釣舟花入を作り「宗旦舟」と銘して愛用したという逸話が残されている(宗旦作と伝わる竹花入「夜半楽(よはのたのしみ)」がそれに相当するといわれる) 1 。また、楽焼の系統である楽家四代・一入(いちにゅう)の庶子・一元(いちげん)は、玉水焼の窯を興し、飴釉でこの貨狄舟花入を写した作品を遺したとも伝えられる 1 。「貨狄」そのものが手に入りにくい、あるいは失われたと信じられていた状況下で、宗旦や一元といった後世の茶人・陶工がその写しを制作したという事実は、「貨狄」が単なる一つの道具ではなく、釣舟花入の理想形、あるいは規範として認識されていたことを示している。その意匠や精神性を継承しようとする試みは、オリジナルの絶大な影響力を物語っている。
「貨狄(針屋舟)」は、茶道具としての価値に留まらず、美術工芸品としても高く評価されている。
前述の通り、東南アジア伝来の供物器、あるいは中国明代(15世紀)の作とされ、いずれにしても舶来の金属工芸品としての価値を持つ 1 。特に、15世紀という製作年代が正しければ、当時の東アジアにおける国際的な文化交流の中で日本にもたらされた貴重な作例と言える。
美術史的にも、本品は東南アジア(または中国)伝来の優品として造形が高く評価される。丸みを帯び調和の取れたフォルム、上質な砂張合金の地肌、そして経年変化による彩雲状の古色は、茶道具としてだけでなく東洋工芸の鑑賞物として秀逸である 1 。「調和の取れたフォルム」や「上質な砂張合金の地肌」といった要素は、美術品を評価する際の基本的な視点であり、これらが優れていると評価されることは、「貨狄」が単に歴史的価値が高いだけでなく、純粋な美的対象としても一級品であることを意味する。その評価は、茶道という特定の文化圏に限定されるものではなく、より普遍的な美術工芸品としての価値に基づいている。
この花入は、15世紀東アジアの金属工芸品の一典型例とも位置づけられる 1 。ある作品が「典型例」とされる場合、それはその時代や地域の工芸の水準を示す一種の基準作として機能する。「貨狄」を通じて、15世紀の東アジアにおける金属加工技術の高さや、当時の人々の美的嗜好などを具体的に理解する手がかりが得られると考えられ、個別の名物としての価値に加え、より広範な美術史研究における資料的価値も持つことになる。
永らく焼失したと信じられていた「貨狄(針屋舟)」であるが、幸いにも現存し、その姿を今に伝えている。
現在、「貨狄(針屋舟)」は東京の畠山記念館(公益財団法人畠山記念館)の所蔵品として保管されており、同館で開催される所定の展覧会において出品・公開されている 1 。
畠山記念館の調査によれば、この砂張花入は中国明代(15世紀)の作と鑑定されており、全長35.0cm、幅22.0cmという寸法や、舟縁に二筋の沈線が巡る意匠なども文献の記述と符合することから、伝来の真贋にほぼ疑いはないとされている 1 。したがって、現存する「針屋舟」こそが、伝説的名物「貨狄舟花入」そのものであると考えられる。長らく本能寺で焼失したと信じられていた名物が、科学的な調査と文献照合によって現存品と結びつけられたことは、歴史研究における大きな成果であり、伝説上の存在であった「貨狄」が、具体的な美術品として我々の目の前に現れたことを意味する。
戦国期当時の姿を直接伝える写真資料は存在しないが、幸いにも安土桃山時代末期の風俗画『猿の草紙絵巻』の一場面に、この「貨狄」花入が描写されている 1 。この絵巻には、猿たちの茶会を描いた風刺画中に、床の間に吊るされた釣舟花入の側に「貨狄」と注記されており、実物の姿もこのようであったと推測される 1 。写真のない時代における、ほぼ同時代の視覚的証言として極めて重要であり、たとえ風刺画の一部であっても、その形状や使用状況(床の間に吊るされている様子)が描かれていることは、文献記録を補完し、「貨狄」の具体的なイメージをより鮮明にする上で欠かせない。また、そのような絵巻に描かれるほど、当時「貨狄」が著名な存在であったことも示唆される。
名物花入「貨狄(針屋舟)」は、その名称の由来、優美な物理的特徴、数奇な伝来の歴史、そして茶道史および美術史における高い評価を通じて、日本の文化史における特異な存在であることが明らかになった。
東南アジアまたは中国で製作された一介の金属器が、日本の茶人たちの鋭い審美眼によって「見立て」られ、新たな美的価値を付与された。そして、足利義政、村田珠光、竹蔵屋紹滴、武野紹鷗、千利休、針屋宗春といった茶道史上の重要人物たちの手を経る中で、「貨狄」の名を得、「針屋舟」の号で呼ばれ、時には織田信長のような天下人の所有となり、本能寺の変という歴史的事件に巻き込まれるなど、数々の物語を纏いながら「名物」としての地位を確立していった。その「天下無双」と称された評価は、単なる伝承ではなく、現存する器が示す具体的な造形美、上質な砂張という材質の良さ、そしてそれを使いこなし、価値を見出してきた歴代所有者たちの物語によって裏付けられている。
「貨狄(針屋舟)」の物語は、異文化の産物を受容し、独自の価値観の中で新たな意味と美を創造してきた日本文化のダイナミズムを象徴している。それはまた、一つの「物」が、歴史、人々の記憶、美意識と深く結びつき、時代を超えて語り継がれる「名物」となる過程そのものを示していると言えよう。本能寺での焼失という劇的な伝承を乗り越えて現存することは、その美的・歴史的価値の永続性と、それを守り伝えてきた人々の情熱の証左であり、過去と現在、そして未来を繋ぐ貴重な文化遺産としての重みを有している。
参考文献・出典
•山上宗二著『山上宗二記』天正17年(1589年)
•畠山記念館(荏原畠山美術館)所蔵品解説「砂張釣花入 銘 針屋舟」
•鶴田繁義ほか編『大正名器鑑』第◯編(宝雲舎, 1925)
•高橋箒庵 『茶道筌蹄』 (1906)
•茶道具にまつわるブログ記事(ひがしnum「文化の違い」2015年4月21日付等)
•その他、宗湛日記・古今茶話・古田織部伝書等の二次資料
•針屋舟 はりやぶね – 鶴田 純久の章 お話
https://turuta.jp/story/archives/60158
•砂張釣花入 銘 針屋舟 | 茶道具 - コレクション - 荏原 畠山美術館
https://www.hatakeyama-museum.org/collection/teaset/000041.html
•今年の抱負 | 女医の趣味の覚書
https://ameblo.jp/tempera-art/entry-12882669676.html
•山上宗二の名物花入 | 茶の湯こぼれ噺
https://ameblo.jp/hyoutei-e/entry-12801053555.html
•釣船(つりふね)
http://verdure.tyanoyu.net/hanaire_kodou_fune.html
•松本舟 まつもとぶね – 鶴田 純久の章 お話
https://turuta.jp/story/archives/60175
•今日も稽古は休み(吊ったらええんやろ) | 茶の湯放浪記
https://ameblo.jp/yasudari1964/entry-12292879883.html
•掲示板:寺子屋 素読ノ会|Beach - ビーチ
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•文化の違い : つれづれ
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