最終更新日 2025-09-20

関所再編(1604)

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天下統一の総仕上げ:慶長九年「関所再編」の歴史的意義と実像

序章:1604年、秩序への転換点

慶長9年(1604年)、徳川幕府は武蔵国をはじめとする全国の要衝において、通行管理の再編と関銭運用の統一を断行した。この「関所再編」は、単なる交通制度の一改革ではない。それは、約150年にわたる戦乱の時代、すなわち「乱世」の論理を終焉させ、これから二百六十余年続く「治世」の論理を国家の隅々にまで浸透させるための、壮大なパラダイムシフトの狼煙であった。

この年、慶長9年は、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍に任官されて江戸に幕府を開いた翌年にあたる 1 。まさに、徳川による新たな天下の秩序を制度として具現化する、その設計図が引かれ始めた時期であった。

しかし、ここに一つの大きな問いが浮かび上がる。戦国の世を終わらせる過程で、織田信長や豊臣秀吉は、経済の活性化と物流の円滑化を目指して「関所撤廃」を強力に推し進めたはずであった 3 。彼らが切り拓いた自由な交通の流れは、天下統一事業の推進力の一つであった。にもかかわらず、なぜ徳川家康は、その流れに逆行するかのように、再び全国に関所を張り巡らせるという政策に踏み切ったのか。この一見矛盾した政策転換の背後には、戦国の記憶を色濃く残した家康ならではの、冷徹な国家統治思想が隠されていた。本報告書は、戦国時代という視座からこの慶長9年の「関所再編」を徹底的に解剖し、徳川幕藩体制の確立におけるその枢要な役割と歴史的意義を明らかにすることを目的とする。

第一部:再編前夜 ― 戦国乱世における関所の実態

第一章:乱立する「私的な関所」― 経済を蝕む装置

慶長9年の改革を理解するためには、まずその前史である戦国時代の関所の実態を把握せねばならない。戦国期の関所は、江戸時代のそれとは似て非なる存在であった。それは国家による統一的な管理下にある施設ではなく、各地に割拠する権力体が自らの財源確保のために設置した、無秩序な「私的料金所」の集合体であった。

室町幕府の権威が失墜し、統一権力が不在となった日本では、荘園領主たる公家や有力寺社、各地の守護大名や国人、さらには土豪に至るまで、ありとあらゆる勢力が自らの支配領域内の交通路に関所を乱立させた 5 。これらの関所の設置目的は極めて明快であり、そのほとんどが通行税、すなわち「関銭(せきせん)」の徴収であった 3 。牛馬や荷物に課される「駄の口」や、港で徴収される「津料」といった通行税は、各勢力の軍事費や運営費を賄うための重要な収入源となっていたのである 5

この関所の乱立は、当時の経済活動に深刻な影響を及ぼした。旅人や商人は、わずかな距離を進むごとに関銭を繰り返し徴収され、移動や物流のコストは異常なまでに高騰した 8 。人や物の往来は著しく阻害され、経済は停滞した。例えば、淀川河口から京都までの短い区間だけでも、かつては数百箇所もの関所が存在したと記録されており、これが戦国時代の京都の衰退を招いた一因とさえ言われている 5 。その過剰な収奪は民衆の強い反発を招き、関所はしばしば一揆の攻撃対象ともなった 3

戦国時代の関所は、単なる交通の障害ではなかった。それは、国家の主権が細分化され、インフラ管理という公的機能が完全に私物化されていた時代の政治構造そのものを映し出す鏡であった。権力の分散化が、物理的な障壁として国土に現出したのが関所の乱立であり、この「インフラの私物化」こそが、戦国の経済的混沌を増幅させる悪循環の根源の一つとなっていたのである。

第二章:統一への布石 ― 織田信長と豊臣秀吉の関所撤廃令

この経済を蝕む装置であった関所に対し、天下統一の過程で抜本的な改革を断行したのが織田信長であった。信長は、旧来の権威や慣習にとらわれない合理主義に基づき、革新的な経済政策を次々と打ち出した。その中核をなすのが「楽市・楽座」であり、それと不可分一体の政策として推進されたのが「関所撤廃」である 9

永禄10年(1567年)に美濃を平定した信長は、翌永禄11年(1568年)に足利義昭を奉じて上洛を果たすと、直ちに自らの領国である尾張・美濃において関所の撤廃を命じた 11 。この政策は、信長の支配領域が拡大するにつれて、近江、越前へと次々に適用範囲を広げていった 12

信長の関所撤廃には、複数の戦略的意図が込められていた。第一に、物流コストを劇的に引き下げることで、商人を自領に呼び込み、城下町を活性化させるという純粋な経済目的である 4 。第二に、軍隊の迅速な移動と兵站輸送を円滑にし、軍事行動の効率を高めるという軍事的合理性があった。そして第三に、関銭を重要な収入源としていた旧勢力、特に比叡山延暦寺や興福寺といった寺社勢力や、各地の土豪に経済的な打撃を与え、その力を削ぐという極めて政治的な目的があった 5

信長の政策は、単なる規制緩和ではなかった。それは、新しい経済秩序(自由市場)を創造するために、古い経済秩序(座や関所に依存する荘園的利権構造)を破壊する、「創造的破壊」であった。経済政策であると同時に、敵対勢力を弱体化させるための高度な政治・軍事戦略だったのである。

信長の事業を継承した豊臣秀吉もまた、この関所撤廃政策を踏襲し、全国的な規模で展開した 3 。これにより、日本における全国的な商品流通網は飛躍的に発展し、近世的な経済社会への扉が開かれた。信長と秀吉が推し進めた「自由な道」は、戦国の世を終わらせるための強力な武器であった。しかし、皮肉にも、彼らが築いたこの自由な物流ネットワークと経済の活性化は、次代の支配者である徳川家康にとっては、平和を「維持」するための新たな統制の対象となるのであった。

第二部:慶長九年の大改革 ― 徳川幕府による国家統制の確立

織田・豊臣政権下で進められた関所撤廃の流れは、徳川の治世に至り、大きな転換点を迎える。慶長9年(1604年)を境に、関所の目的と機能は根本的に変質した。その変化を明確にするため、まず戦国時代と江戸時代の関所を比較する。

表1:関所の機能比較(戦国時代 vs 江戸時代)

項目

戦国時代

江戸時代(慶長9年以降)

設置主体

大名、寺社、土豪など(多元的・私的)

江戸幕府(一元的・公的)

主要目的

関銭(通行税)の徴収(経済的)

治安維持、大名統制(軍事・警察的)

通行税

原則として徴収

原則として徴収しない

監視対象

全ての通行人・物資(徴税のため)

「入り鉄砲」と「出女」が最重要

法的根拠

各勢力の実力支配

幕府法(武家諸法度など)

この表が示す通り、関所は経済的収奪の装置から、政治的統制の装置へと生まれ変わった。この変革は、徳川幕府が描いた壮大な国家設計の一部として、計画的に実行されたのである。

第三章:江戸幕府のグランドデザイン

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利し、同8年(1603年)に征夷大将軍に就任した徳川家康は、もはや一過性の覇権ではない、恒久的な支配体制の構築に着手した 2 。その構想の中核にあったのは、江戸を日本の政治・経済の中心として絶対的な地位に据え、そこから全国を支配する中央集権的な国家改造計画であった。

この計画の物理的な基盤となったのが、全国の主要交通網の再整備、すなわち「五街道」の制定である 15 。幕府は、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道を基幹道路と定め、これを直轄管理下に置くことで、人・物・情報の流れを完全に掌握しようとした。

慶長9年(1604年)は、このグランドデザインが実行に移された記念すべき年であった。この年、江戸の日本橋が五街道の起点(元標)と定められ、全国の道のりはここからの距離で測られることになった 17 。同時に、二代将軍秀忠に対し、街道の道幅を拡張し、約4キロメートルごとに一里塚を築き、並木を植えるよう命が下された 17 。これは、物理的な交通インフラの整備が、次章で述べる関所再編という制度的整備と、分かちがたく連携して進められたことを示している。

第四章:「関所再編」のリアルタイム・クロニクル

街道インフラの規格化と並行し、慶長9年、徳川幕府は交通管理制度そのものに大鉈を振るった。幕府は全国の諸大名に対し、領内に独自に設置していた「私関」、すなわち戦国時代以来の関銭徴収を目的とする関所の撤廃を厳命した 15 。これは、信長・秀吉の政策を継承する形で、国内の自由な経済活動を妨げる旧来の関所を最終的に一掃する措置であった。

しかし、幕府の真意は、完全な交通の自由に回帰することではなかった。むしろその逆である。幕府は「破壊」と同時に「創造」を行った。すなわち、私関を撤廃させる一方で、幕府が戦略的に重要と認める全国の要衝に、全く新しい目的を持つ「公儀の関所」を設置、あるいは既存の施設を再編・強化したのである。

この新しい関所の目的は、関銭徴収という経済的機能ではなく、江戸の防衛と国内の治安維持、すなわち「軍事・警察的機能」へと完全に移行した 5 。通行税は原則として徴収されず、関所は純粋な検問施設としての役割を担うことになった 6

この時期に設置・再編された関所の具体的な例としては、東海道の根府川関所(慶長9年設置説)や中山道の福島関所(慶長7年または9年設置説)などが挙げられる 21 。また、家康が天正18年(1590年)に関東に入府して以降、甲州街道の小仏関所や中山道の碓氷関所など、江戸防衛のための関所はすでに設置され始めていた 15 。慶長9年の再編は、これらの既存の施設を幕府の統一的な制度下に正式に組み込み、その役割を再定義するものであった。

この一連の改革は、信長・秀吉の「経済のための自由な道」という思想を明確に否定し、「統治のための管理された道」という新たな思想を国家の基本方針として確立したことを意味する。慶長9年に行われた日本橋の基点化、一里塚の設置、そして関所再編は、それぞれが独立した政策ではなく、江戸を中心とする求心的な国家空間を創出し、幕府の権威を可視化するための、相互に連関した一つの巨大なシステムであった。物理的な道(街道)、距離の基準(一里塚)、そして流れの制御弁(関所)を同時に設計することで、徳川の支配は、戦国大名のような「点的支配」から、国土全体を覆う「面的支配」へと移行を遂げたのである。

第三部:新秩序の運用と影響 ― 江戸の関所システム

慶長9年の改革によって生み出された新しい関所システムは、その後二百数十年間にわたり、徳川の泰平を支える国家統治の根幹として機能し続けた。その運用は極めて緻密であり、江戸幕府の支配体制を象徴するものであった。

第五章:監視国家の要 ―「入り鉄砲に出女」

幕府が再編した関所の最大の目的は、江戸の軍事的防衛にあった。そのため、関所は江戸を中心として幾重にも防衛線を形成するように、全国の戦略的要衝に配置された 21 。その数は全国で53箇所に及び 17 、中でも特に重要視されたのが、東海道の箱根関所と新居(今切)関所、中山道の碓氷関所と木曽福島関所であり、これらは「四大関所」と称された 21

これらの関所における検問の基本方針は、「入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」という言葉に集約される 24

「入り鉄砲」とは、江戸に流入する鉄砲をはじめとする武器類を厳しく取り締まることを指す 26 。戦国の記憶が生々しい当時、諸大名が江戸に武器を密かに運び込み、謀反を起こすことを未然に防ぐことは、幕府にとって最重要課題であった 5 。特に東海道の新居関所は、この「入り鉄砲」の監視を厳格に行ったことで知られている 28

一方、「出女」とは、江戸から出ていく女性、特に武家の妻女の通行を厳しく監視することを意味する 26 。これは、幕府が大名統制の根幹として用いた人質政策と不可分に結びついていた。幕府は諸大名の正室と世継ぎを江戸に住まわせることを義務付け(後の参勤交代制度として制度化)、彼らを人質とすることで謀反を抑止した 27 。もし大名が国元で反乱を企てるならば、まず江戸にいる家族を脱出させようとするはずである。関所は、その脱出を水際で阻止するための物理的な防壁であった 31 。この「出女」の監視については、東海道の箱根関所が特に厳重であったと伝えられている 28 。また、この女性の移動制限には、子を産む女性が他領へ流出するのを防ぎ、藩の農業生産力と人口を維持するという経済的な側面も含まれていた 32

表2:江戸幕府の主要関所とその役割

関所名

所在地(街道)

主要監視任務

管轄(主に)

箱根関所

東海道

「出女」の重点監視

小田原藩

新居関所

東海道

「入り鉄砲」の重点監視

幕府直轄→吉田藩など

碓氷関所

中山道

江戸防衛の北関東の要

安中藩

福島関所

中山道

西国からの脅威への備え

尾張藩(山村氏)

小仏関所

甲州街道

甲州方面からの江戸防衛

幕府(八王子千人同心)

関所での検問は、「諸国御関所条目」などの規定に基づき、厳格に行われた。旅人は笠や頭巾を取って顔を見せ、乗り物に乗っている者は扉を開けて内部を検められた 34 。特に女性の検問は厳しく、手形と本人の人相を照合するだけでなく、男装を疑われる場合などには「改め女(あらためおんな)」や「人見女(ひとみおんな)」と呼ばれる女性の係員が、別室で髪を解かせ身体を調べることさえあった 24

この関所制度と、後に制度化される参勤交代は、相互に依存し合う表裏一体の統治機構であった。関所という物理的な監視網がなければ人質政策は機能せず、人質政策がなければ関所の存在意義の半分は失われたであろう。そして、「出女」に対する執拗なまでの監視は、近世国家が女性を「大名統制の道具」であり「人口再生産の資源」として捉えていたことを如実に物語っている。関所とは、徳川の家父長制的な国家権力が、個人の身体、とりわけ女性の身体にまで及んでいたことを示す、象徴的な場所だったのである。

第六章:通行の作法 ― 手形と身分制度

江戸時代の関所を通過するためには、原則として「往来手形(おうらいてがた)」または「関所手形」と呼ばれる通行許可証が必要であった。これは単なる許可証に留まらず、所持者の身元を証明する身分証明書の役割も果たした 35

手形の必要性や発行手続き、そして検問の厳しさは、通行する者の身分によって大きく異なっていた。この差異は、江戸時代の厳格な身分制度を色濃く反映している。

  • 女性: 原則として手形の携帯が義務付けられていた 24 。特に江戸から出る武家の女性、すなわち「出女」が持つ手形は、幕府の最高幹部である留守居役が発行する「御留守居証文」と呼ばれるもので、発行手続きは極めて厳格であった。手形には、旅の目的や行先に加え、髪型や顔、手足のほくろの位置といった身体的特徴までが詳細に記され、さながら現代の人相書のようであった 28
  • 男性: 一般の男性旅人は、必ずしも手形の携帯が義務付けられていたわけではなかった 32 。しかし、無手形の場合は不審者と見なされ、厳しく取り調べられる煩雑さを避けるため、ほとんどの者が何らかの手形を所持していた 37 。男性の手形は、自らが所属する村の名主や檀那寺の住職が発行するもので、女性に比べれば比較的容易に入手することができた 36
  • 武士: 身分によって扱いが異なり、高位の武士は手形が不要な場合もあった 17 。大名行列が関所を通過する際は、事前に幕府や関所への通達が行われているため、大名は駕籠の窓を開けて顔を見せるなどの簡略な手続きで通過することが認められていた 34

江戸時代中期以降、伊勢参りなどに代表される庶民の旅が盛んになると、関所は彼らの通行を管理する役割も担った 15 。伊勢神宮への参詣という宗教的な目的であれば、手形は比較的容易に発行されたと言われている 44 。当時の旅日記などからは、庶民が名主や寺社から発行された手形を大切に懐中に入れ、関所の役人に提示して通過していった具体的な様子が数多く記録されている 45

この手形制度は、幕府の統制が個々の村や寺院といった社会の末端組織にまで浸透していたことを示している。手形を発行する名主や住職は、自覚的か否かにかかわらず、幕府の巨大な統治システムの末端を担う存在であった。彼らが個人の移動を許可し、身元を保証することで、全国的な人の流れが幕府の管理下に置かれたのである。関所を通過するという一連の作法は、旅人にとって、自らが「公儀」の定めた秩序の中に生きていることを実感させる体験であった。関所は物理的な障壁であると同時に、人々の心の中に幕府の権威を刻み込むための、心理的な装置としても機能していたと言えよう。

第七章:幕府の関所と藩の「口留番所」

慶長9年の改革により、全国の交通網は幕府の公的な関所によって一元的に管理される体制が目指された。幕府は武家諸法度などを通じて、諸藩が大名家の都合で私的に関所を設置することを厳しく禁じた 6

しかし、現実には幕府の関所とは別に、各藩が独自に設けた検問施設が存在した。それが「口留番所(くちどめばんしょ)」である 48 。これは幕府の法制上の「関所」とは区別されるものであったが、実質的には藩レベルの関所として機能した 51

幕府の関所と藩の口留番所は、その設置場所と主たる機能において明確な差異が見られた。

  • 幕府の関所: 主に五街道などの基幹道路(動脈)に設置され、その目的は前述の通り、江戸の防衛、大名の監視、全国的な治安維持といった 政治的・軍事的機能 が中心であった 6
  • 藩の口留番所: 主に自藩と他領とを繋ぐ脇道や藩境(毛細血管)に設置された。その最大の目的は、米、大豆、木材、漆といった藩の重要な産物が領外へ無許可で流出するのを防ぎ、藩経済を保護するという 経済的機能 にあった 51 。また、領民の逃亡を監視したり、領内に出入りする商品に「口役銀」などの税を課したりすることもあった 17

この結果、江戸時代の日本の交通網は、幕府による幹線道路の政治的管理と、各藩による領地境界の経済的管理という、二重の管理体制下に置かれることになった。この構造は、江戸幕府の統治体制が、完全な中央集権ではなく、「幕府の政治的覇権」と「藩の経済的自立性」を両立させた「幕藩体制」と呼ばれる独特のハイブリッド体制であったことを象徴している。幕府は天下の安寧に関わる大動脈は掌握するが、各藩の家計(藩財政)に関わるローカルな経済活動には、一定の裁量を認めていたのである。

そして、この口留番所の存在は、各藩が依然として一つの独立した経済単位、すなわち「国」としての意識を保持していたことの証左でもある。自領の富が他領に流出するのを防ぐという発想は、まさに自国の経済的自立を目指した戦国大名の領国経営の論理そのものであった。慶長9年の改革は、戦国以来の私的な関所は一掃したが、藩経済を守るという思考様式までは完全に消し去ることはできず、それが口留番所という形で体制内に温存されることになったのである。

終章:関所再編が築いた二百六十年の泰平

慶長9年(1604年)の「関所再編」は、単なる交通政策の変更という次元を遥かに超え、徳川による新たな国家秩序の根幹をなす、極めて重要な制度設計であった。それは、織田・豊臣政権が推進した経済的自由主義を、政治的安定という絶対的な価値の下に意図的に抑制し、徹底した管理と監視に基づく新たな国家体制を構築するという、徳川の統治哲学の明確な表明であった。

この新たに関所システムは、人質政策を核とする参勤交代制度と緊密に連携することで、全国の諸大名の動向を効果的に統制し、大規模な内乱の発生を抑止する上で絶大な効果を発揮した。また、手形制度を通じて国民一人ひとりの移動を管理下に置き、幕府の権威を社会の末端にまで浸透させる役割を果たした。まさしく、関所は二百六十余年にわたる長期安定政権、すなわち「江戸の泰平」を物理的・心理的に支える礎の一つであったと言える。

戦国時代という視点からこの歴史的転換を振り返るとき、我々はその弁証法的な展開に気づかされる。かつては経済発展の最大の足枷であり、無秩序の象徴であった「関所」という装置が、徳川の手によって、今度は国家の安定を維持するための強力な「装置」として再生されたのである。乱世を終わらせるために必要であった「自由」は、一度達成された治世を維持するためには「管理」されなければならなかった。この逆説こそが、戦国時代の終焉と近世の幕開けを告げた、慶長9年「関所再編」の最も深い歴史的意義である。

引用文献

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  49. 川浦口留番所 - やまなし歴史の道 Yamanashi Historical road Tourism https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/spot/3-60.html
  50. 口留番所 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E7%95%99%E7%95%AA%E6%89%80
  51. 口留番所(くちどめばんしょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E7%95%99%E7%95%AA%E6%89%80-250699
  52. 物資の移出を監視することを任務としたが、幕藩体制の確立以降は特に後者の経済的機能に重点が移った。 口留番所では、通手形、切手、小札 https://simoyokote.sakura.ne.jp/syuurakuzu/siryou/kutidomebansyo.html
  53. 【口留番所の配置と役割】 - ADEAC https://adeac.jp/nagano-city/text-list/d100030/ht002680