最終更新日 2025-09-28

高山城下町成立(1588)

豊臣秀吉の命を受けた金森長近は、飛騨を平定し高山城下町を建設。米に頼らぬ山林・鉱山資源を基盤とした経済を確立し、統治思想を反映した都市設計で高山を繁栄させた。
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日本の戦国時代における高山城下町の成立(1588年):その背景、過程、および歴史的意義に関する詳細報告

序論:飛騨国の新たな夜明け

天正16年(1588年)、飛騨国の中心、高山盆地に新たな城と城下町の建設が開始された。この事業を主導したのは、豊臣秀吉の命によりこの地を平定した新領主、金森長近であった 1 。この「高山城下町成立」という事象は、単なる一地方都市の誕生を意味するものではない。それは、中世以来数百年にわたり飛騨国を覆っていた旧来の支配構造が完全に刷新され、織田信長や豊臣秀吉といった天下人によって培われた近世的な国家経営思想が、この山国に移植される画期的な出来事であった。

本報告書は、「高山城下町成立」を1588年という静的な「点」として捉えるのではなく、それに至る飛騨国内の政治・軍事の力学、新領主・金森長近という人物の卓越した経営ビジョン、そして安土桃山時代という変革期の都市計画思想が交錯する、動的な「プロセス」として解明することを目的とする。その背景にある旧支配者の没落から、平定戦のリアルタイムな展開、そして新たな都市空間に刻まれた統治哲学までを多角的に分析し、高山城下町が持つ歴史的意義を深く掘り下げていく。

第一章:動乱の飛騨 ― 新時代への胎動

高山城下町が成立する以前、飛騨国は戦国時代の激しい動乱の渦中にあった。金森長近がこの地に入国する素地は、飛騨国内における権力闘争の帰結と、日本全体の統一事業という巨大な奔流との相互作用によって形成されたのである。

第一節:名門・姉小路氏の衰退と三木氏の台頭

飛騨国の伝統的な支配者として、姉小路氏の名を挙げることができる。彼らは藤原北家を祖とする公家であり、鎌倉時代から飛騨国に所領を持つ名門であった 2 。室町時代には飛騨国司として古川盆地を拠点に権威を誇ったが、15世紀初頭には古川・小島・向の三家に分裂し、その統治力には陰りが見え始めていた 3

この姉小路氏の権威の揺らぎに乗じて台頭したのが、国人領主の三木氏であった。もともと飛騨守護であった京極氏の被官として近江国から入国した三木氏は、益田郡を拠点として着実に勢力を伸張した 4 。三木自綱の祖父にあたる三木直頼の代には、姉小路三家が依然として存在していたにもかかわらず、自らを「国主」と称した梵鐘を寺社に寄進するなど、その野心と実力は飛騨国内で突出したものとなっていた 3

そして、三木良頼(自綱の父)の時代、ついに下剋上が完成する。良頼は姉小路家の内紛に乗じて古川家を乗っ取り、その名跡を継承することに成功した 4 。永禄元年(1558年)に良頼が飛騨守に叙任され、その子である自綱が姉小路頼綱として国司号を継承したことで、三木氏は名実ともに飛騨国の新たな支配者となったのである 4

第二節:天下布武の奔流と飛騨

飛騨国は、甲斐の武田氏、越後の上杉氏、そして尾張・美濃から勢力を拡大する織田氏という、当代屈指の三大勢力に囲まれた地政学的に極めて困難な位置にあった 3 。三木自綱(姉小路頼綱)は、これらの大勢力と巧みな外交交渉を重ねる一方で、国内では江馬氏を八日町の戦いで破るなど、飛騨一国の統一事業を着実に進めていた 2

しかし、天正10年(1582年)6月の本能寺の変で織田信長が横死すると、天下の情勢は一変する。信長の後継者を巡る争いの中で、三木自綱は、羽柴秀吉と敵対する織田家旧臣・佐々成政(越中)と連携する道を選択した 7 。これは、秀吉が推し進める天下統一事業に対し、公然と反旗を翻すことを意味する重大な政治的決断であった。

この一連の動きは、高山城下町の成立という未来から振り返ると、極めて重要な意味を持つ。金森長近という「外部の論理」によって飛騨の歴史が大きく転換されるが、その直接的な原因は、三木氏による飛騨国内の統一事業とその後の外交政策の失敗という「内部の論理」の破綻に他ならない。三木氏が飛騨をほぼ統一したからこそ、秀吉にとって「一国」として征伐の対象となり得たのであり、三木氏が佐々成政と手を結んだからこそ、その征伐が実行されたのである。つまり、三木氏の成功と失敗そのものが、皮肉にも金森長近による新時代への扉を開くことになったのであった。

第二章:天正十三年の激震 ― 飛騨平定戦のリアルタイム詳解

1585年(天正13年)、飛騨国の運命は、わずか数ヶ月のうちに劇的な変貌を遂げる。この章では、飛騨平定戦の経緯を時系列に沿って再構築し、当時のリアルタイムな状況を詳解する。


【表1】飛騨国支配を巡る主要年表(1582年~1588年)

年月

中央の出来事

飛騨・越中の出来事

主要人物

天正10年 (1582) 6月

本能寺の変、織田信長死去

-

織田信長、羽柴秀吉、三木自綱

天正12年 (1584)

小牧・長久手の戦い

佐々成政、厳冬の北アルプス越え(さらさら越え)

秀吉、徳川家康、佐々成政

天正13年 (1585) 8月

秀吉、越中へ出兵(富山の役)

金森長近、越中から飛騨へ侵攻開始

秀吉、佐々成政、金森長近、三木自綱

天正13年 (1585) 8月

佐々成政、秀吉に降伏

三木氏の諸城が落城、松倉城が降伏

佐々成政、三木自綱

天正14年 (1586) 8月

-

金森長近、飛騨一国を拝領し入府

金森長近

天正16年 (1588)

-

金森長近、高山城と城下町の建設に着手

金森長近


第一節:豊臣軍の進撃 ― 越中征伐の連動

天正13年(1585年)、羽柴秀吉は反抗を続ける佐々成政を討伐するため、10万ともいわれる大軍を率いて越中・富山城へと進軍を開始した(富山の役/越中征伐) 9 。この大規模な軍事行動の一環として、秀吉は配下の武将であり、当時越前大野城主であった金森長近に対し、佐々成政の同盟者である三木氏の討伐を命じた 8 。当時の文書には、佐々成政が「飛騨国取次」であったことが記されており、秀吉が三木氏を成政と一体の敵対勢力と見なしていたことは明らかである 11

この命令を受け、同年8月、長近は子の可重と共に軍を率い、秀吉本隊の越中侵攻と完全に連動する形で、越前から飛騨へと侵攻を開始した 5 。飛騨平定戦は、単独の地方紛争ではなく、秀吉の天下統一事業における「北陸方面作戦」という、より大きな戦略構想の一ピースとして遂行されたのである。

第二節:旧支配者の終焉

飛騨国内に侵攻した金森軍の進撃は迅速であった。向牧戸城や広瀬城といった三木方の諸城で激しい戦闘が繰り広げられたが、金森軍はこれらを次々と攻略していった 12 。三木氏配下の有力者たちは各所で討死、あるいは自害し、旧支配体制は急速に崩壊していった 5

金森軍は最終的に、三木氏の本拠地である松倉城を包囲した 5 。時を同じくして、同盟者である佐々成政が秀吉の圧倒的な軍事力の前に降伏したという報がもたらされ、三木方の戦意は完全に打ち砕かれた。当主・三木自綱は降伏を決断。一命は助けられ、京へ護送されて隠棲生活を送ることとなった 5 。しかし、家督を継いでいた子の秀綱らは自害し、飛騨国司・大名としての姉小路(三木)氏は、ここに事実上滅亡した 7

この一連の権力移行は、戦国時代に頻発した私的な領土の奪い合いとは本質的に異なる。これは、豊臣秀吉という天下人の公的な権威を背景とした「領国の再配分(仕置)」であった。長近は、秀吉の代理人として旧秩序を解体し、新たな秩序を構築する役割を担ったのである。この「公儀」としての性格が、後の高山城下町建設における彼の絶対的な権限の源泉となった。

第三章:新領主のグランドデザイン ― 高山選定の戦略的意図(1586年~1588年)

飛騨平定後、すぐさま高山城下町が誕生したわけではない。天正14年(1586年)の入府から同16年(1588年)の築城開始までには、約2年間の移行期間が存在する。この期間は、新領主・金森長近が飛騨国の実情を把握し、自らの統治ビジョンを具現化するための最適地を模索した、熟慮の時間であった。

第一節:統治者としての金森長近

金森長近という人物を理解することは、高山城下町の性格を理解する上で不可欠である。彼は単なる武勇に優れた武将ではなかった。

第一に、彼は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人に仕えた稀有な経歴を持つ、歴戦の将であった 13 。信長の下ではエリート親衛隊である「赤母衣衆」の一員を務め 12 、秀吉の下では軍事司令官としてだけでなく、側近である「御咄衆」としても仕え、中央政権の機微に深く通じていた 12 。この経験は、彼に広い視野と先進的な知見をもたらした。

第二に、彼は飛騨入国以前に、都市計画の実績を持つ先進的な行政官であった。信長から与えられた越前大野(現在の福井県大野市)において、亀山に城を築き、その麓に城下町を建設した経験を持っていた 16 。この越前大野での成功体験は、後の高山における壮大な都市計画の貴重な雛形となったことは想像に難くない 16

第三に、彼は信長や秀吉が実践した革新的な統治思想、特に商工業を重視し、城下町を領国経済の中心地として育成する思想を間近で学んでいた 14 。座を廃して自由な商業活動を促す楽市楽座 17 や、関所の撤廃がもたらす経済効果を、彼は深く理解していたはずである。

第二節:鍋山城から高山へ ― 首都選定のプロセス

天正14年(1586年)8月7日、長近は飛騨平定の功績により、秀吉から正式に飛騨一国三万八千石余を与えられ、国主として入府した 5 。当初、彼は三木氏の城の一つであった鍋山城を仮の居城とした 20

しかし、鍋山城は本格的な領国経営の拠点としては多くの問題を抱えていた。資料には「土地条件が整わず」 23 、「狭くて利便性に欠けた」 22 と簡潔に記されているが、これは単に物理的な面積の狭さを指すだけではない。越前大野で実現したような、城郭、広大な武家屋敷地、そして活気ある町人地が一体となった、近世的な城下町を展開するための地勢的・空間的制約があったことを示唆している。中世的な山城の構造では、長近が構想する経済主導の国家経営は実現不可能であった。

そこで長近は、新たな拠点として高山盆地の中央に位置する天神山に白羽の矢を立てた。この地には、古くは多賀氏や高山外記が築いたとされる天神山城の古城跡が存在した 21 。長近は、この古城を土台としながらも、それを全面的に改修し、全く新しい思想に基づいた城と城下町を建設するという壮大な決断を下す。

この「鍋山城から高山へ」の拠点移転は、単なる利便性の追求ではなく、長近の持つ統治ビジョンを実現するための必然的な戦略的決断であった。彼の頭の中にあったのは、信長・秀吉流の「経済を基盤とする国家経営」であり、その壮大な構想を実現するための器として、高山という広大なキャンバスが必要だったのである。この意味で、高山城下町の誕生は、安土桃山時代の精神が地方へ伝播していくダイナミズムの証左と言える。

第四章:1588年、高山城下町の誕生 ― 空間に刻まれた統治思想

天正16年(1588年)、金森長近はついに高山城と城下町の建設に着手した 1 。その都市計画は、単なる居住区の集合体ではなく、彼の統治哲学、すなわち権威の誇示、経済の掌握、そして防衛という国家経営の三大要素を、空間的に表現したものであった。


【表2】高山城下町の空間構成と設計思想

ゾーン

配置場所・主要地名

設計思想・役割

城郭

城山(天神山、標高686m)

領国支配の軍事・政治的中枢。領民に対する権威の象徴。

武家地

城の麓の高台(空町など)

支配者階級である武士の集住区。兵農分離の徹底。城の直接的な防衛。

町人地

武家地西側の低地(宮川右岸) 一番町、二番町、三番町(三町)

経済活動の中心地。商業・手工業の振興。富の源泉。商農分離の受け皿。

寺社地

城下町東側の山麓(東山寺院群)

宗教的・文化的権威の演出。有事における城下町の防衛線。人心の鎮護。


第一節:城郭と武家地の配置 ― 権威と防衛の空間

領国支配の拠点として城山に築かれた高山城は、山の地形を利用した平山城形式であった 14 。本丸からは高山盆地を一望でき、領国全体を監視する軍事拠点であると同時に、領民に支配者の権威を見せつける視覚的な象徴としての役割も担っていた。この城の完成には、慶長8年(1603年)まで16年もの歳月が費やされたと伝えられている 21

城の麓に広がる高台、特に「空町」と呼ばれるエリアは、家臣団が居住する武家屋敷地として計画的に整備された 21 。家臣団を城下に強制的に集住させることは、彼らを土地や農民から切り離し(兵農分離)、領主への奉仕に専念させるという、近世大名に共通する統治政策の現れであった 28

第二節:経済を担う町人地の設計 ― 富を生み出す空間

高山城下町の設計において最も注目すべきは、経済活動の拠点となる町人地の計画性である。武家地の一段低い西側の平地、宮川の右岸に、町人地が意図的に配置された 21 。城に近い方から一番町、二番町、三番町(後の一之町、二之町、三之町)と名付けられた南北の通りを基軸とし、それを東西の横丁が結ぶ「梯子状」の整然とした街区が形成された 23

この町人地には、長近の政策によって各地から商人や職人が集められ、飛騨国の商業や手工業の中心地として急速に発展した 1 。現在、「古い町並み」として知られる「さんまち通り」は、この時に形成された町人地の一部であり、軒を連ねる町家、出格子、用水路といった景観は、この時代の先進的な都市計画にその源流を持つ 23 。特筆すべきは、高山城下町の町人地の面積が、武家地の1.2倍と広く確保されていた点であり、これは長近がいかに商人の経済力を重視していたかを示す動かぬ証拠である 23

第三節:防衛と鎮護の寺社配置 ― 宗教と軍事の空間

城下町の東側、城と山地の間に連なる山麓には、京都の東山を模して多くの寺院が集められた(東山寺院群) 14 。これは、城下町に文化的な彩りと権威を与えるだけでなく、有事の際には城の東側を守る防衛拠点としての役割を期待された、極めて戦略的な配置であった 23

さらに長近は、この地方で大きな影響力を持っていた浄土真宗の拠点寺院である照蓮寺(現在の高山別院)を城と向かい合う位置に建立し、領民の人心の安定を図った 16 。これは、かつて一向一揆の強大な抵抗に苦しんだ師・織田信長の経験を学んだ、巧みな宗教政策であったと考えられる。

このように、高山城下町の空間設計は「身分制度の可視化」そのものであった。高低差を利用して支配者である武士を高台に、被支配者であり経済を担う町人を低地に配置することで、社会秩序を物理的な都市構造に写し取っている。都市のあらゆる要素が領主の統治目的に従属させられたこの計画都市は、戦国時代の軍事拠点から近世の政治経済都市へと移行する、城下町の完成形を示す先進的な事例であった。

第五章:富国への道筋 ― 高山を支える経済政策

1588年に始まった城下町という壮大な「器」の建設と並行し、金森長近はその器に富を満たすための具体的な経済政策を次々と実行した。彼の領国経営は、飛騨国の地理的特性を深く理解した上で、米に依存しない独自の経済モデルを構築しようとする、極めて先進的なものであった。

第一節:「山の恵み」の資本化 ― 米に依存しない国家経営

飛騨国は四方を山々に囲まれ、平地が少なく、米の生産量が乏しいという宿命的な弱点を抱えていた 34 。したがって、伝統的な石高(米の収穫高)を基準とした経済基盤では、国を豊かにすることは極めて困難であった。

長近はこの弱点を逆手に取り、飛騨が持つ最大の資源、すなわち豊かな山林資源(木材)と地下に眠る鉱物資源(金、銀)に注目した 16 。彼は茂住宗貞(金森宗貞)のような優れた鉱山技術者を登用し、茂住銀山などの開発を積極的に推進した 35 。これらの山林業と鉱業は金森氏に莫大な収入をもたらし、飛騨国の経済を根底から支えることになった 16

この経済政策の成功は、金森氏の軍事力にも如実に現れている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦の際、金森氏の公式な石高は3万8千石であったが、実際にはその倍近い6万石級の大名に匹敵する兵員を動員できたと伝えられている 16 。これは、豊かな山林と鉱山が生み出す実質的な経済力が、公式な石高をはるかに凌駕していたことを物語っている。長近が飛騨で実践したのは、近世日本における「非農本主義的」な地域経済モデルの先駆例であった。

第二節:人・モノ・情報の集積地へ

資源を開発するだけでは富は最大化されない。長近は、高山城下町をその資源を集積・加工・流通させるハブとして機能させるため、インフラ整備と産業振興にも力を注いだ。

彼は、高山を中心として美濃、越中、信濃といった隣国へと繋がる街道の整備を精力的に行った 14 。これにより、物流の動脈が確保され、高山は周辺地域から人や物資が集まる一大拠点となった。

城下町では定期市を開いて商業を活性化させると同時に 14 、「飛騨の匠」と称される優れた木工技術を持つ職人たちを保護・育成し、彼らの高度な技術を木材業や木工品の生産に活かした 14 。これが、今日の飛騨高山の世界的に有名な工芸文化の礎となったことは言うまでもない。

これらの商業・産業振興策は、長近が信長の下で学んだ統治術の応用であった。信長が岐阜城下を整備した際、旧都・清洲から町人を強制的に移住させ、職人町を形成し、楽市楽座によって経済を活性化させた政策 36 を、長近は飛騨という新たな地で忠実に、そして巧みに実践したのである。高山城下町の都市設計(ハードウェア)と、これらの経済政策(ソフトウェア)は不可分の一体をなし、相互に作用しながら飛騨の繁栄を築き上げていった。

結論:高山城下町成立の歴史的意義

天正16年(1588年)に始まった高山城下町の成立は、日本の歴史が中世から近世へと大きく舵を切る、まさにその転換点を象徴する事象である。それは、戦国時代の「力による支配」が、豊臣政権という中央集権体制の下で「制度と経済による支配」へと移行していく過程を、飛騨という一地方が凝縮して体現した出来事であった。

この歴史的事業の主役である金森長近は、単なる武将ではなく、信長・秀吉から学んだ先進的な思想を自らの領国で具現化する能力を持った、卓越した経営者であった。彼は、米の生産に乏しいという飛騨の弱点を、山林・鉱山資源という強みに転換する経済モデルを構想し、その構想を実現するための器として、高山という計画都市を創造した。彼が1588年に描いたグランドデザインは、その後の飛騨の政治、経済、文化の基盤を決定づけたのである。

高山城下町の成立は、戦国時代の終焉と、それに続く新たな時代の幕開けを告げるものであった。それは、豊臣政権による全国統一が、一地方の都市構造と経済システムをいかに劇的に変革したかを示す、具体的な証左に他ならない。そして、現代にまで受け継がれる高山の美しい町並みと豊かな文化は、400年以上前に一人の武将が抱いた、合理的で未来を見据えた都市計画のビジョンが、今なおその地に生き続けている証なのである。

引用文献

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  32. 上三之町(高山市三町伝統的建造物群保存地区) - ニッポン旅マガジン https://tabi-mag.jp/gi0180/
  33. 飛騨高山観光の一番人気!「古い町並み」の3つの見どころ - アソビュー! https://www.asoview.com/note/4738/
  34. 姉小路頼綱(あねこうじ よりつな) 拙者の履歴書 Vol.258~山国飛騨の風雲児 - note https://note.com/digitaljokers/n/nb709b3eb2255
  35. 金森宗貞邸跡[かなもりそうていていあと] - 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課) https://www.pref.gifu.lg.jp/page/7355.html
  36. 近代の道筋をつけた織豊政権 https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/11386/files/1884_6963_008_07.pdf
  37. 安土桃山時代と江戸町人文化についての考察 https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/10387/files/kdoc_k_00037_01.pdf