最終更新日 2025-08-06

赤松満祐

赤松満祐は室町時代の守護大名。将軍足利義教の専制政治に追い詰められ、嘉吉の変で義教を暗殺。この事件は将軍権威を失墜させ、応仁の乱へと繋がる転換点となった。
赤松満祐

将軍を弑逆せし男 ― 赤松満祐の生涯と嘉吉の乱の深層

序論:一人の守護大名と室町中期の動乱

本報告書の目的と視座

本報告書は、室町時代後期の武将、赤松満祐(あかまつ みつすけ)の生涯を、単なる「将軍殺しの逆臣」という一面的な評価から解き放ち、室町幕府の権力構造の歪みと、変容する武家社会の矛盾を体現した人物として再検討することを目的とする 1 。彼の行動原理を「恐怖」と「惣領としての矜持」の相克として多角的に分析し、その悲劇的な生涯に迫る。

嘉吉の乱の歴史的意義

満祐が引き起こした嘉吉の乱は、将軍権威の決定的失墜を招き、有力守護大名が幕政を主導する時代を到来させた 4 。本報告書では、この事件を、下剋上時代の到来を告げる号砲であり、応仁の乱へと繋がる細川・山名両氏の対立構造を決定づけた画期として明確に位置づける 7


表1:赤松満祐と嘉吉の乱関連年表

年代(西暦)

赤松満祐と赤松氏の動向

幕府・社会の動向

1373/1381年

赤松満祐、誕生 1

1391年

父・義則、明徳の乱で功を挙げ、美作守護職を得る 11

足利義満、山名氏を討伐。

1411-1413年

満祐、侍所頭人(所司)に就任 1

4代将軍足利義持の治世。

1427年

父・義則死去。満祐、家督を継ぐも、将軍義持により播磨を没収されかける(赤松満祐下国事件) 1

1428年

足利義持死去。

1429年

播磨で「正長の土一揆」に呼応した国一揆が発生。満祐はこれを鎮圧 1

足利義宣(後の義教)、籤引きにより6代将軍に就任 14

1440年

弟・義雅の所領が将軍義教により没収される 1

義教、有力守護の一色義貫・土岐持頼を誅殺 16

1441年6月24日

嘉吉の変 :満祐、自邸にて将軍足利義教を殺害 1

結城合戦が終結。

1441年8月

嘉吉の徳政一揆(土一揆)が畿内で発生 18

1441年9月10日

嘉吉の乱 :幕府討伐軍に攻められ、城山城にて自害 1

1441年9月以降

旧赤松領(播磨・備前・美作)が山名氏らに分配される 20

1444年

従兄弟の赤松満政が旧領回復を目指し挙兵するも、山名氏に敗れ自害 20

1457年

長禄の変 :赤松氏遺臣が後南朝から神璽を奪還 6

1458年

功により、満祐の又甥・赤松政則による赤松氏再興が認められる 6


表2:嘉吉の乱 主要人物関係図

分類

主要人物

関係性

赤松氏(惣領家)

赤松満祐

本報告書の中心人物。播磨・備前・美作守護。

赤松教康

満祐の嫡男。義教殺害の実行役の一人。

赤松義雅

満祐の弟。幕府方に降伏。

赤松則繁

満祐の弟。義教殺害の実行役の一人。

赤松氏(庶流・幕府方)

赤松満政

満祐の従兄弟。乱後、幕府方として一時的に播磨の一部を領有。

赤松貞村

満祐の遠縁。将軍義教に寵愛される。

室町幕府

足利義教

6代将軍。「万人恐怖」の政治を行う。満祐に殺害される。

細川持之

管領。赤松氏とは伝統的に協調関係にあったが、乱後の対応は複雑。

山名持豊(宗全)

有力守護。赤松氏とは宿敵関係。満祐討伐の主力となる。

一色義貫・土岐持頼

有力守護。義教に誅殺され、他の守護大名に恐怖を与える。


第一部 権力の礎 ― 赤松一族の栄光

第一章 円心から義則へ ― 三カ国太守の成立

赤松氏の出自と勃興

赤松氏は、その系図において村上源氏の流れを汲むと称する、播磨国(現在の兵庫県南西部)を発祥とする武家である 12 。この高貴な出自は、武家の権威付けとしてしばしば行われた系譜の潤色である可能性も指摘されるが、一族が村上源氏を自認していたことは確かである 12

この一族が歴史の表舞台に躍り出るのは、鎌倉時代末期に現れた傑物、赤松円心(則村)の代である。円心は後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して挙兵し、足利尊氏と共に六波羅探題を攻略、建武の新政樹立に大きく貢献した 12 。その後、尊氏が後醍醐天皇と対立すると、円心は一貫して尊氏を支持。西進する新田義貞の大軍を播磨の白旗城に釘付けにし、九州から再起した尊氏が湊川の戦いで勝利する上で決定的な役割を果たした 23 。この功績により、円心は念願であった播磨守護職を授けられ、赤松家発展の礎を築いたのである 12

則祐・義則による権勢拡大

円心の死後、家督を継いだ三男の則祐(そくゆう)は、幼い足利義満(後の3代将軍)を播磨で保護するなど、不安定な初期室町幕府を支えた 12 。則祐の子、義則の時代に赤松氏は全盛期を迎える。

義則は、父祖の武功を背景としつつも、安定した領国経営を展開した 27 。1391年の明徳の乱では、幕府方として山名氏と戦い、その功績によって新たに美作国(岡山県東北部)の守護職を獲得。これにより、従来の播磨・備前(岡山県南東部)と合わせて三カ国の守護大名となった 11 。彼は各地に守護代所を設置し、国衙領を実質的に支配下に収めるなど、守護大名として極めて整備された領国支配体制を確立した 10

義則の成功を支えたもう一つの要因は、将軍足利義満との良好な関係であった。義満と義則は同年の生まれであり、義満が幼少期に戦乱を避けて播磨に滞在した縁から、二人は幼馴染であった可能性が指摘されている 27 。この個人的な繋がりが、幕府内における赤松氏の地位を安定させる上で、極めて有利に働いたことは想像に難くない。

赤松氏の権力基盤は、円心以来の播磨における在地武士との強固な結びつきという「在地的側面」と、義則が築いたような幕府中央との巧みな「中央的側面」の二本の柱によって支えられていた。この両者の均衡が保たれている限り、赤松氏の権勢は安泰であった。しかし、この均衡は、中央との関係が悪化すれば容易に揺らぐという脆弱性を内包していた。義則の治世は、この二元性を巧みに操った成功例であり、その子・満祐の時代は、その破綻がもたらした悲劇であったと言える。

第二章 惣領家の試練 ― 満祐の家督相続と将軍義持との対立

満祐の登場と初期の経歴

赤松満祐は、惣領家の嫡男として生まれ、元服に際して3代将軍足利義満から「満」の字を賜った 1 。父・義則の代理として早くから幕政に参加し、4代将軍足利義持の時代には侍所頭人(さむらいどころとうにん、軍事・警察権を司る機関の長官)を務めるなど、次期家督として順調な経歴を歩んでいた 1

1427年の「赤松満祐下国事件」

応永34年(1427年)、父・義則が死去すると、満祐の家督相続に際して重大な事件が発生する。当時の前将軍(大御所)であった足利義持が、満祐の所領のうち本国である播磨国を没収し、自らが寵愛する側近で満祐の又従兄弟にあたる赤松持貞に与えようと画策したのである 1

これに対し、満祐は断固たる態度で抵抗した。京の自邸を焼き払い、領国の播磨へ下向して一族郎党を招集し、合戦の準備を始めたのである 1 。激怒した義持は満祐追討令を発したが、討伐を命じられた一色義貫をはじめとする他の有力守護大名たちは出兵を拒んだ 1 。これは、将軍による守護家の家督相続への介入に対し、諸大名が共通の危機感を抱いていたことを示している。最終的に、持貞が義持の側室との密通を理由に失脚・自害に追い込まれ、満祐は諸大名の取りなしもあって赦免された 1

この事件は単なる家督争いではなかった。それは、守護大名の本国を直接没収することで将軍権力の強化・中央集権化を図ろうとする将軍サイドと、一族の権威と在地の武士層を背景にこれを阻止しようとする守護権力との、最初の本格的な衝突であった。満祐がこの時、「抵抗によって将軍の意向を覆す」という成功体験を得たことは、後の義教との対立における彼の強硬な姿勢に繋がった可能性が高い。これは、嘉吉の乱に至る重要な伏線であった。

また、この時点で既に、将軍の寵愛を背景に成り上がろうとする庶流家(持貞、そして後の貞村)と、それに反発する惣領家という対立の構図が明確に形成されていた点も、極めて重要である 10

第二部 暴君と宿老 ― 破局への道

第三章 「万人恐怖」の治世 ― 将軍足利義教の専制

「籤引き将軍」の誕生と権力基盤

満祐と対峙することになる6代将軍・足利義教は、異例の経歴を持つ人物であった。兄の5代将軍義量が早世し、父の義持も後継者を指名せぬまま死去したため、幕府宿老たちは石清水八幡宮での籤引きによって後継者を決定した 14 。天台座主という仏門の最高位にあった義円が還俗して将軍位に就いたのである 14 。この「籤引き将軍」という出自は、義教に強い劣等感を与え、父・義満のような強力な将軍専制政治を目指す動機になったと考えられている 14

恐怖政治の実態 ― 「万人恐怖」の具体例

義教の政治は、やがて「万人恐怖」と評されるほどの苛烈なものとなった 15

  • 有力守護大名への介入と粛清 : 義教は管領家の斯波氏、畠山氏をはじめ、山名氏、京極氏など有力守護家の家督相続に積極的に介入した 14 。特に永享12年(1440年)、大和国に出陣中であった一色義貫と土岐持頼を相次いで誅殺した事件は、他の守護大名たちに絶大な恐怖を植え付けた 14
  • 些細な理由による過酷な処罰 : 伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』や中山定親の『薩戒記』には、彼の常軌を逸した振る舞いが数多く記録されている。庭師が献上した梅の枝が折れたという理由で切腹を命じたり、些細なことで激怒し、公家、僧侶、女房、果ては庶民に至るまで容赦なく処罰した 14
  • 文化・宗教への弾圧 : 能の大成者である世阿弥を佐渡へ配流し、幕政を批判した日蓮宗の僧・日親を拷問にかけるなど、文化人や宗教者への弾圧も躊躇わなかった 35

近年の研究では、義教の政治は単なる暴政ではなく、「失墜した将軍権威を再確立し、幕府の中央集権化を図る」という明確な政治目的を持った合理的な行動であったと再評価する動きもある 14 。事実、永享の乱を鎮圧して鎌倉公方を滅ぼすなど、一定の成果を上げていた。しかし、その手法はあまりに急進的かつ苛烈であり、守護大名たちの恐怖と反発を招き、結果的に自らの暗殺という破局を迎えることになった。「目的は正しかったが、手段を誤った」悲劇の将軍とも言えるだろう。

第四章 深まる亀裂 ― 追い詰められる満祐

当初は良好だった関係

義教の治世当初、満祐は幕府の宿老として重んじられ、将軍の諮問に応じるなど、両者の関係は良好であった 1 。しかし、義教の専制政治が強まるにつれて、その関係は急速に悪化していく。

対立の顕在化

  • 弟・赤松義雅の所領没収 : 永享12年(1440年)、義教は満祐の弟・義雅の所領を一方的に没収し、その一部を寵臣の赤松貞村に与えた 1 。これは赤松惣領家の権威と財産に対する直接的な侵害であり、満祐にとって決定的な屈辱であった。
  • 赤松貞村の台頭 : 義教に寵愛された庶流の貞村の存在は、満祐にとって大きな脅威となった。かつての義持と持貞の関係が再現され、自らが家督を奪われるのではないかという噂が流れるに至り、満祐の不安は頂点に達した 10
  • 満祐自身の失脚 : 満祐は侍所頭人の職を罷免され、幕府に出仕しなくなり、政治的に完全に孤立した 1

義教による一色・土岐の粛清は、満祐に「次は自分の番だ」という現実的な恐怖を植え付けた 15 。同時に、かつて義持の意向を覆した自負と、三カ国を領する赤松惣領としての矜持が、彼に安易な服従や逃亡を許さなかった。「死への恐怖」と「屈辱への抵抗」という二つの感情が限界点で衝突した時、彼は「殺られる前に殺る」という破滅的な選択肢へと追い詰められていったのである。この心理的葛藤を丹念に追うことこそ、事件の核心を理解する鍵となる。

第三部 嘉吉の変 ― 前代未聞の将軍弑逆

第五章 血染めの祝宴 ― 将軍暗殺

引き金と計画

嘉吉元年(1441年)6月24日、満祐は関東の結城合戦の戦勝祝いを名目に、将軍足利義教を京の西洞院二条にあった自邸での祝宴に招いた 1 。直前に加賀守護の富樫教家が理不尽に更迭された事件が、満祐の決行を早めた可能性もある 1

宴席と暗殺の瞬間

当日の様子は、伏見宮貞成親王の『看聞日記』や万里小路時房の『建内記』といった一級史料に生々しく記録されている 46

宴席で猿楽の能が演じられている最中、突如として庭に馬が放たれ、屋敷の門が一斉に閉められる音が響いた。義教が「何事であるか」と問うと、傍らにいた公家の三条実雅が「雷鳴でありましょう」と答えたという有名な逸話が残る 14 。その直後、障子が開け放たれ、甲冑に身を固めた武者たちがなだれ込み、赤松家随一の武辺者とされた安積行秀(あずみ ゆきひで)が義教の首を刎ねた 1

文化史的文脈:能楽の因果

この日演じられていた能は、世阿弥作の『鵜羽(うのは)』であった 41 。世阿弥を冷遇して佐渡に流し、一方で役者の音阿弥を寵愛していた義教が 14 、その寵臣である音阿弥が舞う世阿弥の作品の鑑賞中に暗殺されたという事実は、単なる偶然では片付けられない。義教の文化政策における依怙贔屓が、その死の場面にまで影を落とした、歴史の皮肉を象徴する出来事であった。

第六章 混乱の都と播磨への道

幕府の機能不全

将軍弑逆という前代未聞の事態に、その場にいた守護大名たちは戦うことなく逃走した。主君に殉じて腹を切る者は一人もいなかった 46 。これは義教がいかに人望を失っていたか、そして幕府の権威がいかに低下していたかを如実に物語っている。

管領の細川持之は対応が遅れ、直ちに討伐軍を編成することができなかった。他の大名たちも門を固く閉ざし、事態を静観するばかりであった 6 。巷では、持之が満祐と内通しているという噂まで流れた 6

持之のこの行動は、単なる臆病さや混乱から来るものではなく、高度な政治的計算に基づいていたと分析できる。彼は、赤松氏の宿敵である山名持豊を討伐軍の主力に据えることで、両者を争わせて共倒れを狙った可能性がある。また、討伐の正当性を幕府ではなく朝廷の権威に求めるべく「治罰綸旨(じばつのりんじ)」の獲得に固執したのも 6 、戦後の主導権を握り、山名氏の功績を相対的に低下させるための巧妙な政治的駆け引きであったと考えられる。

満祐の播磨帰国

追討軍が差し向けられることもなく、満祐一行は京の屋敷を焼き払い、義教の首を携えて、堂々と領国の播磨へと帰還した 6

第七章 城山城の攻防 ― 赤松惣領家の最期

播磨での戦略と誤算

播磨に帰国した満祐は、足利尊氏の曾孫にあたる足利義尊(よしたか)を新将軍として擁立し、反幕府の旗印とした 29 。しかし、血筋の薄い義尊は諸大名の支持を得られず、大義名分として機能しなかった。

「義教を討てば、他の大名も同調するはずだ」という満祐の期待は、完全な見込み違いであった 1 。政治的に孤立した彼は、『赤松盛衰記』によれば、酒宴に明け暮れて有効な手を打てなかったとされ、この致命的な誤算による衝撃と当惑の状態にあったことが窺える 1

幕府軍の侵攻と国人たちの離反

やがて、山名持豊率いる主力軍が但馬口から、細川持常の軍が摂津口から播磨へ侵攻を開始した 6 。緒戦では満祐の嫡男・教康らが善戦したものの(人丸塚の戦い)、圧倒的な兵力差と、満祐を見限った播磨の国人(在地武士)たちの相次ぐ離反により、赤松軍は次第に追い詰められていった 6

城山城での最後の抵抗

満祐は防御に適さない居城の坂本城を捨て、より堅固な山城である城山城(きのやまじょう、現在の兵庫県たつの市)に立て籠もった 5 。しかし、弟の義雅が幕府軍に降伏するに及び、満祐は完全に孤立無援となった 6

嘉吉元年9月10日、幕府軍の総攻撃の中、満祐は嫡男・教康と弟・則繁らを城から脱出させた後、安積行秀の介錯によって自害。一族郎党69名も後を追った 1

教康らの末路

脱出した教康は伊勢の北畠氏を頼ったが裏切られ、自害に追い込まれた 45 。これにより、赤松氏の嫡流は一旦、完全に途絶えた。

第四部 遺されたもの ― 事件後の世界

第八章 権威の凋落 ― 幕府と守護大名の力学変化

将軍権威の失墜と幕府の弱体化

現職将軍が家臣に殺害されるという事件は、足利将軍の権威を地に堕とした 2 。義教の後を継いだ義勝、義政がいずれも幼少であったことも相まって、幕府の指導力は著しく低下した 6 。事件直後に発生した「嘉吉の徳政一揆」に対し、幕府が屈服して徳政令を発布したことは、その権威失墜を象徴する出来事であった 18

守護大名連合体制と下剋上の風潮

義教という独裁者を失った幕政は、有力守護大名による合議制で運営されるようになった 6 。嘉吉の乱は、身分が下の者が実力で上の者を打倒する「下剋上」の風潮を決定づけたと評価されている 1

山名氏の台頭と細川氏との対立

満祐討伐の最大の功労者である山名持豊は、恩賞として旧赤松領の播磨・備前・美作を与えられ、山名一族は9カ国を領有する一大勢力へと飛躍した 6 。これにより、管領家である細川氏との勢力均衡が崩れ、両家の対立が激化。これが約25年後の応仁の乱の直接的な原因となったのである 7

第九章 不死鳥の如く ― 赤松氏、復活への道

遺臣たちの苦闘

惣領家が滅亡した後も、満祐の従兄弟である満政や甥の則尚らが再興を目指して挙兵したが、いずれも山名氏によって鎮圧された 1

後南朝との関わりと「長禄の変」

嘉吉3年(1443年)の「禁闕の変」で、南朝(皇統を争ったもう一つの朝廷)の勢力によって三種の神器の一部が奪われる事件が発生した 60 。赤松氏の遺臣たちは、この神璽の奪還こそお家再興の絶好の機会と捉え、南朝勢力に潜入した 6

そして長禄元年(1457年)、彼らは南朝の皇子を殺害し、神璽の奪回に成功する(長禄の変) 6

赤松政則による再興

この功績により、幕府は満祐の又甥にあたる赤松政則の家督相続を認め、赤松氏は奇跡的な復活を遂げた 6 。政則は応仁の乱で東軍(細川方)に属して戦い、宿敵・山名氏から旧領の播磨・備前・美作を奪還し、完全な再興を成し遂げたのである 6

赤松氏の歴史は、他の守護大名家には見られない特異な軌跡を辿る。嘉吉の乱による完全な「死」と、長禄の変による劇的な「再生」。このダイナミズムは、室町時代後期の政治的流動性の高さと、武士の「家」の存続にかける執念の強さを象徴している。満祐の起こした反乱が自家を滅ぼしながら、その遺臣たちの執念が全く別の文脈(後南朝問題)を利用して家を再興させたという歴史の皮肉は、特筆に値する。

結論:赤松満祐の再評価

第十章 将軍殺しの実像 ― 人物・動機・歴史的評価

多面的な人物像

満祐は傲岸不遜で激しい気性の持ち主であったと評され 1 、東寺の松を強引に所望した逸話や、弟・則繁を庇い続けた逸話がそれを裏付ける 1 。一方で、義教の暴政下で「病的なほど怯えていた」とも言われ 44 、追い詰められた人物像も浮かび上がる。また、能楽を嗜むなど、単なる武辺者ではない文化的側面も持ち合わせていた 62

動機の再検討

彼の動機は、単なる「恐怖からの暴発」だけではなく、惣領家の「矜持」と、家の存続を第一とする武家の棟梁としての「使命感」が複雑に絡み合ったものであったと結論付けられる。

歴史的評価の変遷と現代的意義

江戸時代の儒教的価値観の下では「逆臣伝」として断罪されたが 1 、近代以降は下剋上時代の幕を開いた人物として評価されるようになった 1 。渡邊大門氏や故・高坂好氏といった現代の研究を踏まえれば、彼の行動は室町幕府の構造的矛盾の中で、必然的に破局へと向かわざるを得なかった悲劇的人物としての側面が強く浮かび上がる 3

総括:赤松満祐が日本史に刻んだもの

満祐の行動は、個人的な資質の問題というよりは、将軍専制を目指す中央権力と、自立性を強める守護権力との間の緊張関係が爆発した、時代の必然であった。意図せずして将軍権威の崩壊を招き、戦国の動乱への扉を開いてしまった満祐の生涯は、一人の人間の決断が歴史を大きく動かすダイナミズムと、その意図せざる結果がもたらす皮肉を、我々に教えてくれるのである。

引用文献

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