加藤清正
~朝鮮で虎を槍で仕留める豪勇~
加藤清正の「朝鮮虎退治」伝説を、秀吉の欲望、アムールトラの生態、講談の物語、そして史実の検証から深層分析。英雄譚の形成過程を解き明かす。
加藤清正「朝鮮虎退治」の逸話:史実と伝説の深層分析
序章:英雄伝説の幕開け
戦国時代から安土桃山時代にかけて、数多の武将がその武勇を天下に轟かせたが、加藤清正ほど後世にわたり民衆から親しまれ、その勇猛さを象徴する逸話と共に語り継がれた人物は稀である。賤ヶ岳の七本槍としての功名、築城の名手としての才覚、そして豊臣家への揺るぎない忠義。彼の人物像を形成する要素は多岐にわたるが、その中でも特に「猛将・清正」のイメージを決定づけたのが、朝鮮出兵の折に虎を仕留めたという豪勇譚である 1 。
講談や芝居の舞台では、片鎌槍を片手に巨大な虎と一対一で対峙する清正の姿が繰り返し描かれ、その勇姿は数多くの浮世絵師によって活写された 3 。この「虎退治」の物語は、単なる武勇伝を超え、異国の地で未知の脅威に屈しない日本の武士の魂を象徴する英雄譚として、江戸時代を通じて庶民の心に深く刻み込まれていった。
しかし、この広く知られた逸話は、どこまでが史実で、どこからが後世の創作なのであろうか。本報告書は、この加藤清正の「虎退治」という一点に焦点を絞り、その物語の構造を時系列に沿って臨場感豊かに再構築すると同時に、現存する史料や物的証拠、そして文化的背景を基に徹底的な検証を行うものである。伝説のベールを一枚ずつ剥がし、その下に隠された史実の核に迫ることで、この英雄譚が如何にして生まれ、なぜ清正がその主役として選ばれたのかという、歴史と物語の交差点に存在する根源的な問いに答えることを目的とする。
第一部:伝説の舞台 ― なぜ虎は狩られたのか
加藤清正の虎退治という逸話は、彼の個人的な武勇の発露としてのみ語られがちであるが、その背景には当時の日本の最高権力者の欲望と、朝鮮半島という特異な自然環境が深く関わっていた。この物語を正しく理解するためには、まず「なぜ虎を狩る必要があったのか」という根本的な動機を解明しなければならない。
第一章:太閤の渇望と「虎狩り」の流行
この逸話の舞台は、文禄元年(1592年)に始まった豊臣秀吉による朝鮮出兵、すなわち文禄・慶長の役である 6 。天下統一を成し遂げた秀吉であったが、晩年は自身の老いと健康に強い関心を寄せていた。特に、高齢で授かった嫡子・秀頼の将来を案じ、自らの長寿を強く望んでいたとされる。その秀吉が強壮の秘薬として渇望したのが、虎の肉や骨、内臓であった 3 。
秀吉は朝鮮に在陣する諸大名に対し、虎を狩り、その肉を塩漬けにして献上するよう命じた 10 。この命令は絶対であり、主君の歓心を得る絶好の機会でもあった。結果として、朝鮮の戦場では敵との戦闘と並行して、大規模な「虎狩り」が一種の流行と化した。加藤清正はもちろんのこと、黒田長政、島津義弘、鍋島直茂といった名だたる武将たちが、競って虎を狩り、その戦果を秀吉のもとへ送ったのである 1 。その献上量は凄まじく、ついには秀吉から「しばらく虎は不要である」というお触れが出されるほどであったという逸話も残っている 10 。
このように、清正の虎退治は、そもそもが秀吉の個人的な欲望に端を発した、いわば「業務」としての一面を持っていた。それは単独の武勇伝ではなく、当時の豊臣政権下における武将たちの忠誠競争という、極めて政治的な文脈の中に位置づけられるべき行為だったのである。
第二章:朝鮮の山の主、アムールトラ
当時の武将たちが対峙した虎は、ただの猛獣ではなかった。朝鮮半島に生息していたのは、現存するトラの亜種の中でも最大級の体躯を誇るアムールトラ(和名:チョウセントラ、シベリアトラ)である 14 。成長したオスは体重が300kgを超え、全長は3mにも達することがあった 15 。その巨体と力は、まさに山の主と呼ぶにふさわしいものであった。
アムールトラは広大な森林地帯を縄張りとし、主に夜間に単独で狩りを行う 17 。イノシシやシカを主食とするが、獲物が少なくなると人里近くに現れ、家畜や人間を襲うことも珍しくなかった。19世紀末に朝鮮を旅したイザベラ・バードは、その紀行文の中で「半年は虎が朝鮮人を狩り、後の半年は朝鮮人が虎を狩る」と記しており、虎が人々の生活にとって身近でありながら、いかに恐ろしい存在であったかを物語っている 19 。
日本には野生の虎が生息しないため、この巨大な猛獣との遭遇は、日本の武士たちにとってまさに未知との戦いであった 8 。戦場で幾多の死線を越えてきた彼らにとっても、人間とは比較にならない膂力と俊敏性を持つアムールトラは、全く質の異なる脅威として映ったであろう。しかし同時に、この恐るべき獣を打ち倒すことは、自らの武勇を証明するまたとない機会でもあった。虎狩りは、秀吉への忠誠を示す行為であると同時に、異国の地で己の力を試す究極の挑戦でもあったのだ。
第二部:逸話の時系列再構築 ― 講談世界の情景
講談や軍記物語によって語り継がれてきた加藤清正の虎退治は、単なる狩猟の記録ではない。そこには、聴衆の心を掴むための起承転結、登場人物の感情の機微、そして手に汗握るクライマックスが巧みに織り込まれている。ここでは、複数の伝承を統合し、利用者様の要望である「リアルタイムな会話」や「時系列」が追体験できるよう、物語として再構築を試みる。
第一章:凶兆 ― 陣営を襲う影
文禄元年(1592年)から翌年にかけて、加藤清正率いる二番隊は朝鮮半島北部、咸鏡道(ハムギョンド)方面へと破竹の進撃を続けていた 7 。ある夜、山麓に野営した清正の陣営を、突如として不気味な静寂が支配した。獣の気配に怯えた軍馬が激しく嘶き、陣中はにわかに騒がしくなる。
翌朝、見回りの兵士が発見したのは、地面に点々と残る血痕と、見たこともない巨大な獣の足跡であった。そして、陣中で最も屈強とされた軍馬の一頭が、骨の一片も残さず姿を消していたのである 22 。兵士たちの間に動揺が走る。「山の神の仕業か」「いや、噂に聞く朝鮮の大虎に相違ない」。目に見えぬ敵の出現は、歴戦の兵たちの心に重くのしかかった。
第二章:悲劇 ― 小姓・上月左膳の死
最初の事件から数日が過ぎた夜、再びその影は陣営に忍び寄った。今度の犠牲者は、清正が特に目をかけていた小姓、上月左膳(こうづきさぜん)であった 5 。夜更けに持ち場を見回っていた左膳の短い悲鳴を聞きつけ、近習たちが松明を手に駆けつけたが、時すでに遅かった。闇の中に一瞬見えたのは、左膳の体を巨大な顎に咥え、悠然と去っていく虎の姿であった。
「左膳が、虎に…!」
報告を受けた清正は、しばし言葉を失った。やがてその表情は、深い悲しみから凄まじい怒りへと変わる。
「我が目の黒いうちに、我が子飼いの者を獣に喰わせるとは…!この清正の武名も地に落ちたわ!断じて許さぬ!」
陣営全体を震わせるほどの怒声であった。一人の忠実な家臣の死は、清正の心に復讐の炎を燃え上がらせたのである。
第三章:雪辱の誓い ― 清正の咆哮
夜が明けるや否や、清正はただちに全軍に号令を下した。
「皆の者、よく聞け!これより虎狩りを行う!これは亡き左膳への弔い合戦であり、我が加藤家の、いや、日本の武門の恥を雪ぐ戦である!」
そのただならぬ気迫に、居並ぶ家臣たちは息を呑んだ。一人の宿将が進み出て、諫言する。
「殿、あまりに危険にございます。手練れの鉄砲衆数百名に命じ、山をくまなく狩らせては如何に」
しかし、清正はその言葉を鋭く遮った。
「ならぬ!この虎、この清正が自らの手で仕留めるに非ずんば、左膳も浮かばれまい。それに、家臣を獣から守れぬ大将が、どうしてお主たちの命を預かれようか。異論は許さん!」 7
清正の決意は鋼のように固かった。数千の兵が山を幾重にも取り囲み、鐘や太鼓を打ち鳴らして虎を追い立てる、壮大な山狩りの幕が切って落とされた 5 。
第四章:決戦 ― 槍か、鉄砲か
追い立てられた虎は、やがて深く繁った萱原から、怒り狂ってその巨大な姿を現した。伝承によれば、その大きさは七尺(約2.1メートル)余り。爛々と輝く双眸は、憎悪の炎を宿して清正を睨みつけていた 5 。
清正は近くの大きな岩の上に登り、虎と対峙する。ここから先のクライマックスは、後世の物語の中で、彼の武器と行動によって大きく二つの流れに分岐する。一つは講談などで好まれる「槍」による一騎打ち、もう一つは『絵本太閤記』などに記された、より現実的な「鉄砲」による狙撃である。
段階 |
講談・伝説における描写(槍) |
軍記物・史実寄りの描写(鉄砲) |
対峙 |
家臣たちが「危のうございます!」と叫ぶ中、清正は愛用の十文字槍(片鎌槍)を手に、虎の前に立ちはだかる 6 。 |
清正は岩の上で自ら火縄銃を構え、冷静に虎を狙う 5 。 |
家臣の行動 |
鉄砲隊が虎を狙撃しようとするが、清正は「手出しは無用!」と一喝し、自らの一対一の勝負にこだわった 7 。 |
近習たちが一斉射撃を試みるが、清正は「待て、撃つな」と制止する。小姓の仇を自らの手で討つという意志は共通している 5 。 |
虎の攻撃 |
虎が猛然と飛びかかってくる。その凄まじい勢いに、大地が揺れるかのようであった。 |
虎は十四、五間(約25~27メートル)から三十間(約54メートル)の距離で清正を睨み、隙を窺う。やがて口を開け、突進してくる 5 。 |
決着 |
清正は虎の攻撃を紙一重でかわし、渾身の力で槍を虎の喉元に突き刺した。虎は槍に噛みつき、片方の鎌を折り取ったが、深々と突き刺さった刃が絶命させた 7 。 |
清正は虎が飛びかかってくる瞬間まで引きつけ、その開いた口(喉)を狙って正確に一発を発射。弾丸は急所を貫き、巨体は地に倒れた 5 。 |
事後 |
仕留めた虎の肉は塩漬けにされ、秀吉のもとへ送られた 10 。 |
致命傷を負った虎がなおも暴れようとするのを、槍でとどめを刺した可能性も指摘されている 5 。 |
いずれの伝承においても、清正は家臣の助けを借りず、自らの手で仇を討ち、武門の面目を保った。仕留められた虎の肉は、本来の目的通り塩漬けにされ、主君・秀吉のもとへと献上されたのである。
第三部:伝説の解体 ― 史実の検証とその源流
第二部で再構築したドラマチックな物語は、英雄譚として非常に魅力的である。しかし、歴史を探求する上では、その物語を構成する要素の一つ一つを史実の光に当て、その信憑性を検証する作業が不可欠となる。この逸話は、史実の断片を核としながらも、後世の人々の願望や想像力によって大きく肉付けされていった可能性が高い。
第一章:「虎狩り」の真実 ― 記録が語ること
まず、加藤清正が朝鮮で虎を狩ったという行為自体は、単なる伝説ではなく、歴史的事実であった可能性が極めて高い。その根拠となるのが、近年発見された一次史料と、現存する物的証拠である。
京都文化博物館が所蔵する古文書の中に、清正が懇意にしていた商人(大名貸しを行うほどの豪商であった)に宛てた手紙が発見された。慶長の役以降、17世紀前半のものと推定されるこの手紙には、清正が「虎の皮1枚」を贈り物として送る旨が明確に記されている 9 。これは、彼が虎狩りを行い、その獲物を戦利品として扱っていたことを示す直接的な証拠と言える。
さらに、徳川美術館には、清正が朝鮮で捕獲したものと伝わる虎の頭蓋骨が二頭分、現存している 14 。これらは加藤家の子孫を経て、明治時代以降に別々のルートから尾張徳川家にもたらされたものであり、逸話の信憑性を物理的に補強する貴重な遺物である。これらの史料と遺物は、清正の虎狩りが全くの創作ではなく、確固たる「史実の核」を持っていたことを示唆している。
第二章:もう一人の「虎退治」 ― 黒田長政の武功
一方で、今日知られる清正の虎退治の物語の多くが、実は同時代に朝鮮へ出兵していた別の武将、黒田長政とその家臣団の武功に由来する、あるいはそれらが混同・脚色されたものであるという説が有力視されている 1 。
黒田長政自身も、虎狩りにおいて優れた武勇伝を残している。彼の逸話は、家臣たちが虎の威圧感に慌てる中、長政は少しも動じず、鉄砲を構えたまま虎を至近距離まで引きつけ、一発で眉間を撃ち抜いて仕留めた、というものである 20 。この冷静沈着な狙撃手としての姿は、清正の逸話における「鉄砲」バージョンの描写と驚くほど酷似している。
さらに注目すべきは、長政の家臣たちの活躍である。剣の達人であった菅正利は刀で虎を斬り伏せ、猛将として知られた林直利は槍で虎を突き殺したと記録されている。この林直利の槍は、その武功を称えられ、長政から「虎衝(とらつき)」の名を与えられたという 20 。つまり、黒田家臣団は「鉄砲」「刀」「槍」という異なる武器を用いて、それぞれ虎退治を成功させていたのである。この事実は、加藤清正一人の物語の中に、複数の武器による多様な虎退治のエピソードが吸収・統合されていった可能性を強く示唆している。英雄譚が形成される過程で、様々な武将の功績が、最も象徴的な人物である清正の物語へと集約されていったのかもしれない。
第三章:武器のリアリティ ― 「片鎌槍」伝説と鉄砲
逸話を象徴する武器、特に「槍」にまつわる伝説も、検証が必要である。講談などで語られるのは、清正が愛用の十文字槍で虎と戦った際、虎が槍に噛みつき、片方の鎌を食いちぎってしまったため、それ以降「片鎌槍」と呼ばれるようになった、というものである 26 。
しかし、東京国立博物館に現存する清正所用と伝わる片鎌槍を専門家が鑑定した結果、この槍は虎によって破損したのではなく、当初から意図的に片鎌の形状で製作されたものと結論づけられている 26 。この「虎に折られた」という逸話は、槍の特異な形状に由来を求め、物語をより劇的に演出するために後世に付加された創作である可能性が極めて高い。
武器としての現実性を考えても、アムールトラのような巨大で俊敏な猛獣に対し、槍一本で立ち向かうのは無謀に近い行為である。もちろん、不可能ではないが、極めて高いリスクを伴う。それに比べ、当時の火縄銃は連射こそできないものの、至近距離で放てば絶大な破壊力を持ち、急所を狙えば巨大な獣をも一撃で倒すことが可能であった 5 。組織的な狩猟においては、鉄砲隊による遠距離からの射撃が最も安全かつ効果的な手段であったことは想像に難くない。この点からも、『絵本太閤記』などで描かれた「鉄砲による虎退治」の方が、より史実の状況に近いものであったと推測される。
第四章:架空の小姓 ― 上月左膳は実在したか
物語の emotional core、すなわち清正の怒りと復讐の動機付けとなるのが、虎の犠牲となった小姓「上月左膳」の存在である。しかし、この悲劇の人物は、史実の中にその名を追うことが非常に困難である。
「上月左膳」の名は、『絵本太閤記』をはじめとする江戸時代以降の軍記物語や講談に登場するものであり 5 、文禄・慶長の役当時の一次史料や、信頼性の高い加藤家の家臣団名簿などからは、その存在を確認することができない。もちろん、記録に残らなかった無名の家臣である可能性もゼロではないが、主君の行動に大きな影響を与えたほどの人物が全く記録されていないのは不自然である。
このことから、上月左膳は、物語を劇的に構成するための創作上の人物である可能性が極めて高いと考えられる。単なる「虎狩り」を、主君が家臣の仇を討つという「個人的な復讐譚」へと昇華させ、清正の情の厚さと勇猛さを同時に強調するために、この架空の小姓が生み出されたのではないだろうか。
第四部:英雄譚の定着 ― なぜ清正は「虎退治」の主役となったのか
史実を検証すると、虎狩りは清正一人の専売特許ではなく、黒田長政をはじめとする他の武将も同様の武功を挙げていたことがわかる。にもかかわらず、なぜ「虎退治」の逸話は加藤清正の代名詞として、これほどまでに広く、そして強く定着したのだろうか。その背景には、史実の有無以上に、江戸時代のメディアの力と、清正自身が持つ「物語の主人公」としての卓越した適性が複合的に作用していた。
第一章:『絵本太閤記』と講談の影響
江戸時代、泰平の世が続くと、庶民は戦国時代の英雄たちの物語に熱狂した。特に豊臣秀吉の一代記は絶大な人気を博し、それを基にした『絵本太閤記』などの読み物はベストセラーとなった 23 。この中で、秀吉子飼いの猛将として活躍する加藤清正は、福島正則と並ぶ人気キャラクターであった。
『絵本太閤記』の巻九には、「清正高麗大虎退治」として、彼の虎退治が具体的に描かれている 22 。興味深いことに、この原典に近い物語では、清正が用いた武器は明確に「鉄砲」と記されている。しかし、この物語が講談師たちの口を通して語り継がれ、あるいは芝居の演目として上演される過程で、より視覚的に派手で、一対一の武勇が際立つ「槍」による格闘へと脚色されていったと考えられる 5 。文字媒体から口承文芸や舞台芸術へとメディアが移り変わる中で、物語はより大衆受けする形へと進化していったのである。
第二章:浮世絵に描かれた勇姿
伝説の定着に決定的な役割を果たしたのが、浮世絵というビジュアルメディアであった。江戸時代後期になると、武者絵がブームとなり、加藤清正の虎退治は格好の題材として数多くの絵師によって描かれた。歌川国芳や歌川国綱、橋本周延といった当代きっての人気絵師たちが、槍を構えて猛虎と対峙する清正の姿を、躍動感あふれる構図で描き出したのである 3 。
これらの浮世絵は、物語の最もドラマチックな瞬間を切り取り、大衆の脳裏に「清正=槍で虎退治」という強烈なビジュアルイメージを焼き付けた。文字で読む以上に、一枚の絵が持つインパクトは絶大であった。なお、当時は徳川幕府による規制で豊臣家の人物を実名で描くことが憚られたため、清正が「佐藤正清(さとうまさきよ)」という当て字で呼ばれたり、近松門左衛門の人形浄瑠璃『国性爺合戦』の主人公「和藤内(わとうない)」の姿を借りて描かれたりすることもあったが、人々はそれが誰を指しているのかを暗黙のうちに理解していた 4 。
第三章:「虎之助」という名の引力
他の武将ではなく、なぜ清正が虎退治の主役に選ばれたのか。その最大の理由の一つが、彼の幼名にある。加藤清正の幼名は「虎之助(とらのすけ)」であった 6 。
この名前と「虎退治」という逸話の組み合わせは、物語としてこれ以上ないほどの親和性を持つ。「虎之助が、虎を退治する」。この運命的とも言える符合は、人々にとって非常に覚えやすく、魅力的に響いた 20 。黒田長政にどれほどの武功があろうとも、「虎之助」という名前が持つ物語的な引力には敵わなかった。清正は、生まれながらにしてこの英雄譚の主役となるべく運命づけられていたかのようである。史実がどうであれ、民衆の記憶の中では、虎を討つべきは「虎之助」をおいて他にないとされたのだ。
結論:史実の核と伝説の衣
加藤清正の「朝鮮虎退治」の逸話を徹底的に分析した結果、その物語が単純な史実の記録でも、完全な創作でもない、複雑な構造を持つことが明らかになった。
この逸話の根底には、加藤清正が豊臣秀吉の命令により、朝鮮半島で実際に虎狩りを行ったという「史実の核」が存在する。近年の一次史料の発見や、現存する虎の頭蓋骨は、その事実を強く裏付けている。
しかし、今日我々が知る「槍を片手に、亡き小姓の仇を討つ」というドラマチックな物語は、その史実の核の上に、幾重にも重ねられた「伝説の衣」である。その衣は、黒田長政をはじめとする他の武将たちの武功という糸で織られ、上月左膳という架空の人物や、片鎌槍の由来といった創作の装飾が施されている。そして、江戸時代の大衆文化という土壌で、『絵本太閤記』や講談、浮世絵といったメディアを通じて育まれ、完成された。
特に、武器がより現実的な「鉄砲」から、より勇壮な「槍」へと物語の中で変化していった過程は、単なる脚色以上の意味を持つ。それは、泰平の世に生きる人々が、戦国の英雄に対して、組織的な戦術よりも個人的な武勇を、近代的な兵器よりも原始的な力と技のぶつかり合いを求めた、時代の価値観の反映であったと言えよう。
最終的に、加藤清正の虎退治の逸話は、一人の武将の武勇を伝えるだけでなく、戦国の記憶が後世の人々の手によってどのように語り継がれ、取捨選択され、理想化されていったかを示す、極めて貴重な文化的遺産である。それは、歴史的事実と人々の願望が交錯して生まれる「物語」の力を、我々に雄弁に語りかけている。
引用文献
- 加藤清正は何をした人?「虎退治の豪傑は朝鮮出兵で勢い余って隣の国まで攻めた」ハナシ|どんな人?性格がわかるエピソードや逸話・詳しい年表 https://busho.fun/person/kiyomasa-kato
- 加藤清正 - BS-TBS THEナンバー2 ~歴史を動かした影の主役たち~ https://bs.tbs.co.jp/no2/43.html
- 加藤清正の伝説は二次創作!? 猛将のサラリーマン的素顔を3分で解説 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/177433/
- 【加藤清正虎退治の図】(目録) - ADEAC https://adeac.jp/oamishirasato-city/catalog/mp100230-200050
- 巷談異聞、虎退治、七本鎗、地震加藤等、その真相は http://myoujyou.image.coocan.jp/koudanM.html
- 虎退治の武将 加藤清正(1562~1611) 石の世界がグッと広がるオンラインショップ「いしぶみ」 https://www.ishicoro.net/hpgen/HPB/entries/347.html
- 彫物題材 - 加藤清正 虎退治 https://yagura.main.jp/jiguruma-library/horimono-daizai/h270519/index.html
- 正清公虎狩之図 - コラム/美博ノート-朝日マリオン・コム- https://www.asahi-mullion.com/column/article/bihakunote/4682
- 壬辰倭乱での加藤清正の朝鮮虎狩りの証拠が出た : 日本•国際 ... https://japan.hani.co.kr/arti/international/31528.html
- 加藤清正-歴史上の実力者/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/44329/
- エッセイ345:金キョンテ「朝鮮のトラ(虎)は誰が殺したのか」 - 関口グローバル研究会 [SGRA] https://www.aisf.or.jp/sgra/combination/sgra/2012/1990/
- 長寿には虎の脳みそが効く!?戦国武将・加藤清正らの朝鮮出兵で半島の虎が乱獲されたその理由 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/179872
- 長寿には虎の脳みそが効く!?戦国武将・加藤清正らの朝鮮出兵で半島の虎が乱獲されたその理由:2ページ目 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/179872/2
- 片鎌槍、虎頭蓋骨 リアルの加藤清正も虎と戦うマンガ並の武神だった! - 天下人の城 http://tokugawa-shiro.com/1662
- アムールトラの生態 - 国際環境NGO FoE Japan https://www.foejapan.org/siberia/amutora/behavior.html
- トラって何種類?日本で会える虎の特徴と見わけ方 https://zoozoodiary.com/facts/tiger-subspecies/
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- 加藤清正の虎退治は本当なの?実際の虎退治は嘘? - ほのぼの日本史 https://hono.jp/sengoku/katou/kiyomasa-tiger/
- 加藤清正 虎退治 - やぐらの彫物題材 https://yagura.main.jp/horimono-daizai/kato-kiyomasa-torataiji/index.html
- B6-06 清正虎退治 - 絵本太閤記と浮世絵 https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/2018taikouki/2019/06/06-06.html
- 加藤清正と大阪城の虎 – 熊本大学 武夫原会 https://www.web-dousoukai.com/bufugen/tiiki/kansai/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96/2022%E5%B9%B4/4768/
- 「虎の脳ミソ」は不老長寿の源?朝鮮出兵時に追加された豊臣秀吉の破天荒な命令とは? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/103140/
- 【歴史の話】豊田有恒の目を通して見る「加藤清正」 - note https://note.com/nmachida/n/ndacb609b98f4
- 歌川国芳 作 「和藤内群虎討取図」(武者絵)/ホームメイト - 刀剣ワールド/浮世絵 https://www.touken-world-ukiyoe.jp/mushae/art0002729/
- 加藤清正の名言・逸話22選 | 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/26
- 加藤清正だけじゃない!文禄・慶長の役で虎狩りを行った勇猛な戦国武将たち - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/137564
- 片鎌槍 - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/523895
- 加藤清正の虎退治の画が見たい。 - レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000240176&page=ref_view