斎藤道三
~油売りから美濃国主へ出世~
斎藤道三の「油売りから美濃国主へ」の伝説を、通説と最新研究から徹底検証。親子二代にわたる国盗りの真実と、逸話が生まれた背景を解き明かす。
斎藤道三「油売りから美濃国主へ」の逸話:その虚実と歴史的再構築
序章:『美濃の蝮』伝説の幕開け
戦国時代という激動の時代において、下剋上を成し遂げた人物は数多存在する。しかし、その中でも斎藤道三ほど劇的な立身出世物語と共に語られる武将は稀であろう。「一介の油売りから、知略と権謀術数の限りを尽くして一国一城の主へ」―この物語は、身分制度が流動化した戦国乱世を象徴する、最も鮮烈なイメージとして我々の記憶に刻まれている 1 。
この道三像の形成に決定的な影響を与えたのが、昭和の文豪・司馬遼太郎による歴史小説『国盗り物語』である。1963年から連載が開始され、1973年にはNHK大河ドラマとして映像化されたことで、「斎藤道三の一代記」としての国盗り物語は、国民的レベルで広く浸透するに至った 1 。油を売る傍らで天下を夢見、やがて主君を欺き、ついには美濃一国をその手中に収めるという、冷徹非情ながらも魅力的なアンチヒーローの姿は、多くの人々を惹きつけてやまない。
しかし、このあまりにも劇的な物語は、後世に形成された側面が極めて強く、近年の歴史研究によってその根幹が大きく見直されている 2 。本報告書では、まず通説として語り継がれる鮮やかな逸話を、利用者の要望に応え、あたかもその場にいるかのような臨場感をもって詳細に再現する。その上で、より信頼性の高い一次史料に基づき、この「一代記」がいかにして「親子二代にわたる壮大な事業」として再構築されるべきかを、徹底的に解明していく。虚実の皮膜に隠された、斎藤道三という人物の真の姿に迫ることが、本稿の目的である。
第一章:京の巷にて――油売りの独創的な商才
第一節:時代の背景――油と商人の地位
物語の舞台となる16世紀初頭の日本において、「油」は単なる生活必需品ではなかった。それは夜を照らす灯火の源であり、寺社の神事や儀式に不可欠な神聖な品物でもあった。この貴重な物資の流通を支配していたのが、「座」と呼ばれる同業者組合である。特に山城国(現在の京都府)大山崎の離宮八幡宮を本所とする「大山崎油座」は、全国の荏胡麻油の製造・販売に関する独占権を朝廷や幕府から認められ、絶大な権威を誇っていた 4 。
大山崎油座に所属する商人たちは「神人(じにん)」と呼ばれ、神に仕える者として特別な地位にあった。彼らは全国の関所を自由に通行できる特権を持ち、各地の情報を収集し、莫大な富を築き上げるネットワークを構築していた 5 。したがって、「油売り」という職業は、物語で描かれるような単なる低い身分の象徴ではない。むしろ、当時の社会構造において、富、情報、そして広域な移動の自由という、乱世を勝ち抜く上で極めて重要な要素を手に入れるための、戦略的な足がかりであった。後に美濃で頭角を現すことになる人物が、この油売りという職業からキャリアを始めたことは、彼の先見の明と情報感度の高さを物語っている。閉鎖的であった美濃国に対し、都との往来が容易な油商人の立場は、情報格差を利用して独占的な利益を上げる上で、この上なく有利な条件だったのである 7 。
第二節:パフォーマンスの再現――一文銭の妙技
このような時代背景の中、京の都、あるいは美濃の城下町の賑やかな市場に、一人の若者が現れる。名を松波庄五郎。後の斎藤道三その人であると、江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』などの軍記物は伝えている 8 。彼は油を売るにあたり、他の商人とは一線を画す、驚くべき手法で人々の注目を集めた。
人だかりができたその中心で、庄五郎は朗々と口上を述べる。その声は自信に満ち、道行く人々の足を止めさせた。
「これより油を注ぎまするが、手前は漏斗(ろうと)を用いませぬ。代わりに、ここな一文銭の、穴を通して注ぎまする。油が僅かでも穴のふちを濡らせば、手前の負け。お代は頂きませぬぞ。ささ、もそっと寄って、とくとご覧(ろう)じられませ!」 9
観衆は半信半疑ながらも、その大胆な宣言に引き込まれる。漏斗とは、液体を器に注ぐ際にこぼさないようにするための円錐形の道具である。それを使わずに、直径わずか数ミリ、四方にして約6mmほどの小さな穴しか空いていない一文銭を通して油を注ぐというのだ 9 。しかも、一滴でもこぼしたり、銭の縁を濡らしたりすれば代金は取らないという。
庄五郎は静かに油の入った桶から柄杓で油をすくい、客が差し出した徳利の上に置かれた一文銭めがけて、高く掲げる。観衆は固唾を飲んでその一挙手一投足を見守る。やがて、柄杓がゆっくりと傾けられ、琥珀色の油が一本の細い糸となって、陽光を反射しながら垂直に落ちていく。その油の糸は、寸分違わず一文銭の中央の穴を吸い込まれるように通り抜け、トクトクと音を立てて徳利の中を満たしていく。一滴たりとも銭の縁を濡らすことなく、すべての油が注がれた瞬間、どよめきと感嘆の声が市場に響き渡った 10 。
このパフォーマンスは、単なる大道芸ではなかった。物理の法則を巧みに利用したものであり、油は水よりも粘性が高く、高い位置から細く注げば真っ直ぐ落ちる性質を利用したものだった 12 。しかし、それをあたかも神業のように見せ、さらに「代金不要」というリスク保証を組み合わせることで、彼は自らの油に圧倒的な付加価値とブランドイメージを構築したのである。これは、現代のマーケティング戦略にも通じる、極めて高度な商才の発露であった 10 。この評判は瞬く間に広がり、「山崎屋庄五郎」の名は広く知られることとなった。
第二章:武士への転身――商才から武才へ
第一節:運命の出会い
一文銭の妙技で油売りとして大きな成功を収め、名声と富を築いた庄五郎。しかし、彼の野心は一介の商人として終わることを許さなかった。そんな彼の運命を大きく変える出会いが訪れる。
ある日、庄五郎がいつものように見事な手際で油を売っていると、その様子をじっと見つめる一人の武士がいた。彼は庄五郎のただならぬ才覚、人を惹きつけ、事を成し遂げる非凡な能力を見抜いていた。パフォーマンスが終わると、武士は庄五郎に静かに声をかけたという。
「見事な腕前だ。だが、その類稀なる集中力と才覚を、油を売るためだけ に使うのは惜しい。その力を武芸に注げば、きっと良い武士になれるものを」 2
この武士の一言は、庄五郎の心の奥底に眠っていた野心に火をつけた。商人として富を築くことの限界、そして武士として己の力で運命を切り拓くことへの憧れ。この言葉をきっかけに、彼は人生の大きな転換を決意する。
第二節:武士への道
庄五郎は、あれほど成功していた油商人の仕事をきっぱりと辞め、一念発起して武士の道を志した 2 。彼は油売りで得た財産を元手に、当時最新の武器であった鉄砲と、武士の基本的な武芸である槍術の修行に明け暮れた。商才を発揮した時と同じく、彼は武芸においても非凡な才能を見せ、瞬く間に達人の域に達したという 2 。
この逸話は、単に「ある日突然スカウトされた」という幸運の物語ではない。それは、戦国時代における新しい価値観の台頭を象徴している。すなわち、商才によって得られた「経済力」が、武士としての「軍事力」へと転換可能であり、両者が不可分であるという時代の真理である。庄五郎の「転身」は、経済的な成功者がその資本を投下して次の社会的ステージへとステップアップするという、極めて合理的なプロセスを、劇的な「出会い」という形で物語化したものと解釈できる。
やがて修行を終えた庄五郎は、美濃国守護・土岐氏の家臣の中でも有力な武将であった長井長弘に仕官を願い出る。その際、彼は自らの出自を偽り、京都の有名な寺社の後ろ盾があるかのように語って信用を得たとも言われている 12 。こうして彼は、念願であった武士としての第一歩を、美濃の地で踏み出したのである 1 。物語はここから、一人の商人が権謀術数を駆使して国を盗む、壮大な下剋上へと続いていく。
第三章:歴史の再検証――『六角承禎条書写』が覆す道三像
第一節:通説への挑戦
これまで語られてきた、松波庄五郎という一人の男が油売りから武士となり、やがて斎藤道三として美濃一国を手にするという劇的な物語。この通説の主な出典は、江戸時代中期以降に編纂された『美濃国諸旧記』などの軍記物である 8 。これらの書物は、美濃の歴史や斎藤氏に関する多くの逸話を我々に伝えてくれる貴重な文献である一方、編纂が道三の死から100年以上も後の時代であり、多くの脚色や伝承が含まれているため、一次史料としての信頼性には限界がある 14 。
しかし1960年代、歴史学界を揺るがす一つの史料が発見される。『岐阜県史』の編纂過程で、近江国(現在の滋賀県)の旧家から発見された古文書、それが『六角承禎条書写(ろっかくじょうていじょうしょ うつし)』であった 15 。この一枚の文書が、これまで不動のものとされてきた斎藤道三の人物像を、根底から覆すことになったのである。
第二節:『六角承禎条書写』の内容と意義
この文書は、永禄3年(1560年)、近江の戦国大名であった六角義賢(出家後は承禎)が、自身の嫡男・義治と、斎藤道三の息子である斎藤義龍の娘との縁談に強く反対するため、重臣たちに宛てて送った書状の写しである 15 。その中で六角承禎は、縁談に反対する理由として、斎藤家の出自そのものを問題視し、次のように記している。
斎藤義龍の父(すなわち斎藤道三)の、そのまた父である新左衛門尉(しんざえもんのじょう)は、もとは京都の妙覚寺の僧侶であった。それが還俗して西村と名乗り、美濃の長井氏に仕えて頭角を現した人物である― 9 。
この記述が持つ意味は計り知れない。それは、これまで斎藤道三一代の経歴とされてきた物語の前半部分、すなわち「京都の妙覚寺の僧侶であったが還俗し、油売りを経て美濃の武士・長井氏に仕えた」という逸話が、実は道三本人ではなく、彼の 父・長井新左衛門尉 のものであったことを示唆しているからだ 7 。
この史料の信頼性が極めて高い理由は、それが斎藤氏の内部や、彼を英雄視する後世の人間によって書かれたものではなく、政治的な対立関係にあった第三者によって、生々しい政治的意図(縁談の破棄)をもって書かれた同時代の内部文書であるという点にある。六角氏は、道三によって美濃を追われた旧守護・土岐頼芸を保護していた経緯があり、斎藤氏に対して好意的ではなかった 16 。承禎は、家臣たちに対して「あの斎藤家とは、そもそも素性の知れぬ成り上がり者の一族ではないか」と、その出自を貶めることで、縁談の不適切さを訴えようとしたのである。このような敵対的な立場からの証言は、自らを美化する必要がないため、客観的な事実を反映している可能性が格段に高い。
第三節:親子二代説の確立
『六角承禎条書写』の発見は、斎藤道三研究にパラダイムシフトをもたらした。この史料を基に、研究者たちは他の史料を再検討し、現在では「美濃の国盗り」は道三一代で成し遂げられたのではなく、父・長井新左衛門尉と、子・斎藤道三(本名:利政)の 親子二代 にわたる壮大な事業であったとする説が学界の主流となっている 3 。
これにより、我々が知る斎藤道三の物語は、二人の人物の生涯を一人に凝縮した、壮大な歴史的叙事詩であったという新たな姿を現す。父が築いた経済力と社会的地位という強固な「土台」の上で、息子がいかにして冷徹な権謀術数を駆使し、国盗りを完成させたのか。次章では、この「親子二代説」に基づき、油売りから美濃国主へと至る道のりを再構築していく。
第四章:再構築される「国盗り」の真实――父子のリレー
第一節:役割分担の明確化
親子二代説に基づけば、「油売りから美濃国主へ」という壮大な物語は、父と子の巧みな役割分担によって成し遂げられた事業として再構成される。父・長井新左衛門尉が「基盤構築期」を担い、子・斎藤道三(利政)が「権力奪取期」を担った。その具体的な役割分担を、従来の通説と比較することで、歴史の真実に迫ることができる。
表:斎藤氏による美濃国盗りの役割分担(通説と親子二代説の比較)
時期 |
主な出来事 |
実行者(通説) |
実行者(親子二代説) |
根拠史料・資料 |
1520年代頃 |
京都妙覚寺の僧侶から還俗し、油問屋の婿となり油売りとして商才を発揮 |
斎藤道三 |
父・長井新左衛門尉 (松波庄五郎) |
7 |
1520年代後半 |
美濃に入り、守護代家臣・長井長弘に仕官し、武士として頭角を現す |
斎藤道三 |
父・長井新左衛門尉 (西村勘九郎) |
7 |
1533年 |
父の死後、父の主君であった長井長弘を暗殺し、長井家の実権を掌握 |
斎藤道三 |
子・斎藤道三 (長井新九郎利政) |
19 |
1536年 |
美濃守護・土岐頼芸に与し、その兄・頼武を追放。守護代・斎藤氏の名跡を継ぐ |
斎藤道三 |
子・斎藤道三 (斎藤利政) |
19 |
1542年 |
主君であり恩人でもある土岐頼芸を美濃から追放し、事実上の国主となる |
斎藤道三 |
子・斎藤道三 (斎藤利政) |
1 |
この表が示すように、物語の前半を彩る「油売り」としてのサクセスストーリーは父の功績であり、後半の血塗られた権力闘争は子の所業であった。
第二節:父・新左衛門尉の時代――雌伏と基盤構築
父・長井新左衛門尉(松波庄五郎、西村勘九郎とも名乗る)は、まさに「国盗り」の礎を築いた人物であった 7 。彼は京都の妙覚寺で学んだ高い教養と人脈、そして還俗後に身を投じた油商人としての経済力と情報網を巧みに駆使した 7 。美濃に入ると、守護代・斎藤氏の重臣であった長井長弘に仕官し、その才覚を認められて出世の階段を駆け上がっていく 7 。彼の戦略は、武力による直接的な支配ではなく、文化的な素養や経済的な実利を提供することで、支配者層の懐に深く食い込んでいくという、極めて知的なものであった。彼は息子が飛躍するための盤石な地盤を、生涯をかけて用意したのである。
第三節:子・道三(利政)の時代――非情なる権力奪取
父・新左衛門尉が死去したとされる天文2年(1533年)頃、歴史の表舞台に躍り出たのが、息子である長井新九郎利政、後の斎藤道三である 19 。彼は父が築き上げた地位、財産、人脈を継承するや否や、その仮面を脱ぎ捨て、冷徹なマキャベリストとしての本性を現す。
父の死から間もなく、利政は父が生前仕えていた主君・長井長弘を暗殺するという凶行に及ぶ 19 。これにより主家であった長井氏の実権を掌握すると、次なる標的を美濃の最高権力者である守護・土岐氏に定めた。当時の美濃では、守護の座を巡って土岐頼武・頼芸兄弟が骨肉の争いを繰り広げていた。利政はこの内紛に巧みに介入し、弟の頼芸に与して兄の頼武を国外へ追放する 19 。
この功績により、頼芸から守護代であった斎藤氏の名跡を継ぐことを許され、「斎藤利政」と名乗る。彼は恩人である頼芸のもとで着実に実力を蓄え、美濃の実権を掌握していった。そして天文11年(1542年)、ついにその牙を剥く。自らを引き立ててくれた大恩人であるはずの主君・土岐頼芸を美濃から追放し、事実上の国主として君臨したのである 19 。父が蒔いた種を、息子が血で染め上げながら刈り取る。これこそが、親子二代説が明らかにした「国盗り」の真実の姿であった。
第五章:逸話が生まれた背景――時代の要請と『美濃の蝮』
第一節:なぜ物語は「一代」に集約されたのか
親子二代にわたる壮大な事業が、なぜ斎藤道三という一個人の「一代記」として語り継がれるようになったのか。その背景には、いくつかの複合的な要因が考えられる。
第一に、 物語としての魅力 である。一人の人間が社会の最底辺から自らの才覚のみで頂点に駆け上がるという物語は、二代にわたる地道な努力の物語よりも、遥かに劇的で人々の心を掴みやすい 1 。特に、下剋上が常であった戦国時代の気風は、こうした英雄譚が生まれる格好の土壌であった。
第二に、 江戸時代の価値観 の影響である。下剋上を成し遂げた道三が、最後は実子である義龍に討たれるという結末は、「因果応報」という仏教的道徳観が重んじられた江戸時代において、極めて教訓的な物語として受け入れられやすかった 1 。主君を裏切った者は、子に裏切られるという分かりやすい筋書きは、物語として脚色され、広く流布する一因となった。
第三に、 織田信長の権威 である。道三の娘・帰蝶(濃姫)を正室に迎えた織田信長は、舅である道三を高く評価していたとされる。特に有名な「正徳寺の会見」において、信長の非凡さを見抜いた道三が「我が子たちは、あのうつけ(信長)の門前に馬を繋ぐことになるだろう」と語ったという逸話は、『信長公記』にも記されており、道三個人の先見性を際立たせている 22 。天下人となった信長が認めた人物として、道三の存在がより大きく、象徴的に語られるようになった可能性は高い。一方で、後に美濃を征服した織田家が、その侵攻を正当化するために、道三を極悪非道な簒奪者として意図的に描き、そのイメージを流布させた可能性も指摘されている 1 。
第二節:「美濃の蝮」像の形成
斎藤道三の代名詞ともいえる「美濃の蝮(まむし)」という異名。その狡猾で執念深い毒蛇のイメージは、彼の人物像と分かちがたく結びついている 23 。しかし、驚くべきことに、この有名な異名は同時代の史料には一切見られない。研究によれば、道三を「蝮」と呼んだのは、昭和の作家・坂口安吾が1953年に発表した小説『信長』が最初である可能性が極めて高いとされている 1 。
つまり、我々が抱く道三の「蝮」という強烈なイメージ自体が、近代の創作によって決定づけられたものである可能性が高いのである。彼の行った主君殺しや国盗りといった非情な行動は史実であるが 19 、それを象徴する呼称は、遥か後世に与えられたものだった。これは、歴史上の人物像が、史実だけでなく、後世の物語や創作によっていかに大きく形成されていくかを示す、興味深い事例と言えるだろう。
結論:虚実の皮膜に存在する英雄像
本報告書で徹底的に調査した結果、斎藤道三にまつわる「油売りから美濃国主へ」という有名な逸話は、その多くの部分が史実とは異なる様相を呈していることが明らかとなった。特に、物語の前半を彩る「油売り」としての成功譚は、近年の研究で発見された信頼性の高い史料『六角承禎条書写』により、道三本人ではなく、その父・長井新左衛門尉の経歴であった可能性が極めて高い。美濃の国盗りは、道三一代によるものではなく、父が築いた盤石な基盤を、子が非情なまでの権謀術数で完成させた、親子二代にわたる壮大な事業だったのである。
しかし、この逸話が史実ではないからといって、その価値が失われるわけではない。物語の中で描かれる「無名の存在から、卓越した才覚と野心で成り上がる」という精神性は、まさしく息子・斎藤道三(利政)の生き様そのものと完全に一致する。彼は父の遺産を継承した後、主家を乗っ取り、恩人を追放するという冷徹な手段で、美濃を手中に収めた。その行動原理は、まさしく逸話が象徴する下剋上の精神そのものである。
最終的に、この「油売り」の逸話は、史実そのものではなく、父子の二代にわたる壮大な事業と、それを完遂した息子の強烈な個性が、後世の人々の記憶の中で融合し、斎藤道三という一人の傑出した人物像へと結晶化した**「歴史が生んだ物語」**であると結論付けられる。そこには、文字通りの事実を超えて、人物の本質というもう一つの真実が宿っている。斎藤道三の物語は、歴史がいかにして語り継がれ、一人の人間が伝説となっていくかの過程を、我々に雄弁に示してくれる稀有な事例なのである。
引用文献
- ごめん、斎藤道三 そんなに悪者じゃなかったみたい - withnews(ウィズニュース) https://withnews.jp/article/f014062100gqq000000000000000w0080701qq000010028a
- 斎藤道三の歴史 - 戦国武将一覧/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/7564/
- 斎藤道三は油売りにあらず!?実は親子二代で成し遂げられた「国盗り」の真実【前編】 - Japaaan https://mag.japaaan.com/archives/192013
- 油座 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E5%BA%A7
- 油屋歴史8 - 東京油問屋市場 https://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish08.html
- @油商のルーツを訪ねる @ - 東京油問屋市場 https://www.abura.gr.jp/history/history_all.pdf
- 斎藤道三の国盗り伝説、じつは違う? 親子二代説を徹底解説【4/20 ... https://note.com/nandemozatsugaku/n/n1c6524356112
- 松波庄五郎 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B3%A2%E5%BA%84%E4%BA%94%E9%83%8E
- 斎藤道三は二人いた!親子で成した新説「国盗り物語」 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/75390/
- オイルのこばなし4コマ・斎藤道三と油/乙幡啓子 | オリーブノート公式 - カラダに美味しい https://olivenote.jp/7604/
- 「美濃のマムシ」と恐れられた下剋上の体現者・斎藤道三とはいかなる人物だったのか⁉ - 歴史人 https://www.rekishijin.com/28260
- 下剋上の代表・斎藤道三から学ぶ、成功とリスク回避の方法とは? https://www.hc-bm.com/%E4%B8%8B%E5%89%8B%E4%B8%8A%E3%81%AE%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%83%BB%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%81%93%E4%B8%89%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%81%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF/
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- 根強い「斎藤道三の子・義龍は実子ではなかった説」は本当か?息子を無能呼ばわり、正体不明な側室の存在も…渡邊大門が関係性を整理 - 婦人公論 https://fujinkoron.jp/articles/-/12872?page=2
- 斎藤道三 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%81%93%E4%B8%89
- 斎藤道三の国盗りは父子2代(六角承禎書状) - 佐々木哲学校 https://satetsu.seesaa.net/article/200605article_6.html
- 父を討ち、信長の前に立ちはだかった!マムシの子・斎藤義龍の数奇な生涯に迫る https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/80404/
- 親子2代で成り上がった斎藤道三 - 日本実業出版社 https://www.njg.co.jp/column/column-32109/
- 斎藤道三の国盗り伝説、じつは違う? 親子二代説を徹底解説【4/20は長良川の戦いの日】後編 https://note.com/nandemozatsugaku/n/n9fd46a9fbae1
- 「麒麟がくる」の"美濃の蝮"斎藤道三はなぜ、油売りから国主になれたのか 損保会社社長も驚く大胆規制緩和 - プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/33558?page=1
- 斎藤道三(さいとう どうさん) 拙者の履歴書 Vol.22〜下剋上の蝮、美濃を制す - note https://note.com/digitaljokers/n/nb083ea2d9096
- 報道記事から見る岐阜の偉人たち - 斎藤道三 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/4bf9513b02fe7ea81d05268f8db847e5.pdf
- 美濃のマムシと呼ばれた男、斎藤道三。恐るべき下剋上の真実とは ... https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/76374/