最終更新日 2025-08-16

白葡萄酒

戦国期、日本に白葡萄酒は存在せず。伝来は赤葡萄酒「珍陀酒」や酒精強化ワインが主。過酷な輸送と当時の認識が、白葡萄酒の流通を阻んだ。
白葡萄酒

戦国日本における「葡萄酒」の位相――「白葡萄酒」の存在をめぐる歴史的考察

序章:南蛮渡来の酒と「白葡萄酒」をめぐる問い

本報告書は、「日本の戦国時代」という特定の時空間において、「白葡萄酒」がいかなる存在であったかという問いを起点とする。その目的は、単に白葡萄酒の存在の有無を確認するに留まらず、当時の葡萄酒の伝来、受容、そして認識の全体像を、物質文化史、国際関係史、さらには観念史といった複数の視座から重層的に解明することにある。

16世紀中葉、ポルトガル船の来航は、日本の歴史における画期的な出来事であった 1 。この文化的邂逅は、鉄砲やキリスト教といった社会構造や精神世界を揺るがす要素のみならず 2 、カステラや金平糖といった食文化 4 、そして「葡萄酒」という未知の液体を日本にもたらした。これら南蛮渡来の品々は、当時の日本の権力者や知識人層に大きな衝撃を与え、その中で葡萄酒は特異な位置を占めることとなる。

本報告は、宣教師の記録や日本の公家・武家の日記といった文献史料の精査、城跡などから出土する考古学的遺物の分析、そして当時のポルトガルの生産状況や大航海時代の航海技術がもたらす物理的制約といった比較文化史的アプローチを組み合わせる。これにより、史料の沈黙の裏にある「白葡萄酒」の存在可能性を、あらゆる角度から徹底的に検証するものである。

第一部:史料に見る戦国時代の「葡萄酒」――「赤」き酒の衝撃

現存する文献史料を丹念に読み解くことで、戦国時代の日本人が遭遇した「葡萄酒」が、具体的にどのようなものであったかをまず明らかにする。史料が指し示すのは、圧倒的に「赤」い酒の存在であった。

第一章:「珍陀酒(ちんたしゅ)」の伝来と正体

1549年(天文18年)、イエズス会宣教師フランシスコ・デ・ザビエルが鹿児島に上陸した際、時の領主への献上品の中に葡萄酒が含まれていたことが、日本における葡萄酒の歴史の公式な幕開けとされる 1 。この時、葡萄酒を最初に受領した名のある日本人は、薩摩の島津貴久であったと記録されており 5 、これが日本の権力者と葡萄酒の最初の公式な接触点となった。

この未知の酒は、当時「珍陀酒(ちんたしゅ)」と呼ばれていた 6 。この特異な呼称の語源を分析することは、当時の日本人がこの液体をどう認識したかを解明する上で極めて重要である。通説では、ポルトガル語で赤ワインを意味する「ヴィーニョ・ティント(Vinho Tinto)」の「ティント」という音が日本語の聴覚において「ちんた」と捉えられ、そこに「珍しい陀(素晴らしい)酒」といった意味合いの漢字が当てられたものとされている 8 。この事実は、日本人が最初に認識し、名付け、そして概念を形成した葡萄酒が、紛れもなく「赤葡萄酒」であったことを強く示唆している。

この新しい概念は、その誕生の瞬間から「赤色」という属性と不可分に結びついていた。これは単に「最初に見たのが赤だった」という偶然の事実以上の意味を持つ。未知の事物に対する最初の有力な情報が、その後のカテゴリー全体の認識を規定するという現象が起きたと考えられる。その結果、もし仮に白葡萄酒が後から入ってきたとしても、それは「葡萄酒の亜種」や「色の違う珍陀酒」と認識されることはあっても、「白葡萄酒」という独立したカテゴリーとして確立するには至らなかった可能性が高い。史料に「白葡萄酒」の記録が見られないのは、物自体がなかった可能性に加え、「白葡萄酒」という概念そのものが当時の日本に存在しなかった可能性をも示唆しているのである。

なお、ザビエルの来日より遡ること半世紀以上前の1483年(文明15年)に、公家の日記である『後法興院記』の中に「チンタ」を飲んだとの記述が存在する 12 。これは南蛮貿易が本格化する以前、例えば琉球などを介した限定的な接触があった可能性を示唆する貴重な記録であるが、ここでも呼称は「チンタ」であり、やはり赤葡萄酒を指している。

第二章:権力者たちと葡萄酒

南蛮渡来の葡萄酒は、その希少性と異国情緒から、たちまち天下の動向を左右する権力者たちの関心の的となった。

新しいものを積極的に取り入れた織田信長は、宣教師ルイス・フロイスから献上された葡萄酒を特に気に入ったと伝えられている 14 。フロイスの記録によれば、信長はポルトガルから持ち込まれたガラスの杯で優雅にそれを飲んでいたという 15 。しかし、同時にフロイスは信長を「酒を飲まず、食を節する」人物と評しており、酒豪が多かった当時の武将の中では酒量が極めて少なかったことがわかる 15 。このことから、信長の葡萄酒への嗜好は、その味覚的快楽そのものよりも、南蛮からもたらされた最先端の文化を取り入れるというパフォーマンス、あるいはそれ自体が持つステータスシンボルとしての価値に向けられていた可能性が高い。

この時代の権力者にとって、葡萄酒の価値は液体としての味覚的側面よりも、むしろそれに付随する「情報」と「権威」にあった。一杯の葡萄酒は、ポルトガルとの交易ルートの確保、キリスト教世界の持つ未知の情報、そして鉄砲に代表される最新の軍事技術へのアクセスといった、目に見えない戦略的価値を象徴していた 2 。この文脈においては、ワインの色や繊細な風味の違いは二の次であり、それが「南蛮渡来の希少な酒」であるという事実こそが重要であった。このため、赤か白かといった細かな区別が、日本側の記録に残る動機に乏しかったと考えられる。

豊臣秀吉もまた、天正15年(1587年)に宣教師ガスパール・コエリョを博多湾に停泊中のポルトガル船に招いた際、「珍陀酒」でもてなされた記録が残っている 16 。これは、葡萄酒がキリスト教布教の道具であると同時に 3 、大名間の外交や饗応といった公式な儀礼の中に組み込まれ始めたことを示す重要な事例である。

徳川家康に至っては、その嗜好に関するより具体的な記録が存在する。家康は「甘口のワイン」を好み、慶長10年(1605年)にフィリピン総督へ送った書簡の中で、贈り物の中にあった葡萄酒を「受け取って大いに喜んだ」と記している 17 。さらに後年、スペイン国王大使セバスチャン・ビスカイノからは「ぶどう酒の樽が2つ。そのうちの1つはシェリー酒、もう1つは赤ぶどう酒だった」という、極めて詳細な献上品リストが残されている 18 。これは、単に「珍陀酒」という大枠の呼称ではなく、「ヘレス酒(シェリー酒)」という酒精強化ワインが、赤葡萄酒とは異なる種類のものとして明確に認識されていたことを示す重要な証拠である 14

第二部:「白葡萄酒」存在の蓋然性――生産、輸送、記録の三重の壁

視点を日本国内から世界へと広げ、当時の生産国の状況や技術的・物理的制約から、「白葡萄酒」が戦国時代の日本に到達し得たかを検証する。そこには、生産、輸送、そして記録という三重の高い壁が存在した。

第一章:生産地の状況――ポルトガルに白葡萄酒は存在したか

まず、供給元であるポルトガルに白葡萄酒が存在しなかった、という可能性を検証する。しかし、これは明確に否定される。16世紀のポルトガルでは、すでに多様な白葡萄品種が栽培されていた。今日でも知られるアルヴァリーニョ(Alvarinho)やロウレイロ(Loureiro)のほか、エンクルザード(Encruzado)、マリア・ゴメス(Maria Gomes)といった土着品種から、個性豊かな白葡萄酒が造られていたのである 21

特に、「緑のワイン」を意味するヴィーニョ・ヴェルデ(Vinho Verde)は、微発泡で高い酸味を持つフレッシュな白ワインであり、16世紀にはすでに北ヨーロッパへ輸出されていたという記録も存在する 24 。したがって、生産国ポルトガルには白葡萄酒が明確に存在し、国内で消費されるだけでなく、国際的な交易品ともなっていた。問題は、それが地球の反対側にある日本まで届いたかどうか、という点に集約される。

第二章:大航海時代の輸送というボトルネック

ポルトガルから日本への航路は、アフリカ大陸の喜望峰を回り、インド洋を横断し、赤道を二度通過するという、数ヶ月から時には一年以上にも及ぶ過酷な長旅であった 25 。当時の木造帆船の船倉は、温度管理など望むべくもなく、高温多湿の劣悪な環境であった。特に赤道付近を通過する際には、船倉の温度が摂氏50度から60度に達することもあったと推測される 26

このような環境下では、アルコール度数が比較的低い通常の醸造酒は、容易に酸化し、酢酸菌が繁殖して酢化してしまう 27 。特に白葡萄酒は、抗酸化作用を持つポリフェノール(タンニン)の含有量が赤葡萄酒に比べて少なく、化学的性質として酸化耐性が低い。このため、繊細な白葡萄酒が品質を保ったまま日本に到達する可能性は、当時の技術水準では極めて低かったと言わざるを得ない。

この長距離輸送における品質劣化という死活問題を克服するために生み出された技術革新が、「酒精強化」であった 27 。これは、ワインの発酵途中にブランデーのようなアルコール度数の高い蒸留酒を添加することで、酵母の働きを止め、微生物の繁殖を抑え、保存性を劇的に高める手法である。ポートワイン 29 、マデイラワイン、そして家康への献上品にも見られたシェリー酒 14 は、まさにこの大航海時代の長距離輸送という要請に応える形で発展したワインであった。

この事実は、文化交流が単なる意図や思想の伝達ではなく、それを支える「技術基盤」に強く規定されることを示している。日本人が何を飲み、何を知るかは、彼らの選択以前に、「赤道を越えて腐らずに届くもの」という物理的・技術的なフィルターによって厳しく制限されていたのである。白葡萄酒の不在は、文化的な選択の結果というよりは、技術的な障壁の結果であった可能性が極めて高い。

さらに、酒精強化ワインという「最適解」の存在自体が、他の選択肢、特に劣化のリスクが極めて高い非強化の白葡萄酒を、わざわざ貴重な積荷として日本まで運ぶ経済的・合理的動機を著しく低下させた。宣教師がミサで使う、あるいは大名への特別な献上品として運ぶ場合であっても、品質が保証された酒精強化ワイン(例えば甘口のシェリーなど)を選ぶ方がはるかに合理的であった。家康への献上品にシェリーが含まれていた記録は、この合理的な選択が実際に行われていたことを裏付けている。

第三章:史料の沈黙と考古学的遺物の限界

日本側の史料(日記、年代記)にも、ヨーロッパ側の史料(宣教師の報告書、書簡)にも、「白い葡萄酒」やそれに類する直接的な記述は、現在のところ一切見当たらない 5 。これは、「珍陀酒」や「ヘレス酒」といった具体的な名称が記録されているのとは極めて対照的である。

一方、考古学的調査では、大友宗麟の居城跡や長崎の出島など、南蛮貿易に関連する遺跡から、当時使用されたワインボトルやガラス製のグラス片が出土している 30 。これらは葡萄酒が確かに上流階級に流通していたことを示す動かぬ物証である。しかし、液体であるワインそのものは考古遺物として残存しないため、瓶の中から酒石酸などが検出されたとしても、その内容物が赤であったか白であったかを特定することは、現在の技術では極めて困難である 32

歴史学において「証拠の不在」を直ちに「不在の証明」と断定することは、慎重でなければならない。しかし、(1)当時の呼称が明確に「赤」を意味し、(2)非強化の白葡萄酒の長距離輸送が技術的に極めて困難であり、(3)具体的な記録が赤葡萄酒や酒精強化ワインに著しく偏っている、という三重の状況証拠を総合的に鑑みれば、「戦国時代の日本において、白葡萄酒は、仮に極めて稀な例外があったとしても、社会的に認識されるほどの量は流通しておらず、文化的に受容されるには至らなかった」と結論付けるのが、最も蓋然性の高い歴史的解釈となる。

第三部:戦国日本における「葡萄酒」の文化的受容――異質な液体の意味

最後に、この異質な液体が、当時の日本の文化の中でどのように位置づけられ、理解されようとしたのかを考察する。そこから見えてくるのは、葡萄酒が「分類」され理解される以前の、カテゴリーの外にある「異物」として受容されていた姿である。

第一章:贈答儀礼における戦略的価値

葡萄酒は、キリスト教のミサにおいて「キリストの血」の象徴とされる、極めて神聖な宗教的アイテムであった 3 。宣教師たちは、布教の許可を得るという戦略的目的のため、この神聖な飲み物を外交の切り札として権力者に献上した。

葡萄酒は単独で贈られたわけではない。金平糖、カステラ、有平糖といった南蛮菓子 4 や、ガラス製品、時計、地球儀といった当時の日本の技術水準をはるかに超える品々とともに、一つのパッケージとして献上された。これらの品々は、単なる物珍しさだけでなく、その背後にあるヨーロッパ世界の進んだ技術力や文化の高さを象徴するものであり、これを受け取る大名にとっては、自らの先進性と権威を内外に誇示するための道具となった。特に、当時極めて貴重であった砂糖をふんだんに使った甘い菓子や酒は、大いに喜ばれたと考えられる 4

第二章:当時の日本における認識と分類の試み

信長が葡萄酒を初めて口にした際、「血のようだ」と評したという逸話が残っている 25 。これは、その未知の赤い液体に対する、生々しい身体的反応を伝えている。日本古来の酒(基本的に無色透明な日本酒)とは全く異なる鮮烈な色彩と、複雑な酸味や渋みを持つ風味に対する、驚きとある種の畏怖の念が入り混じった感覚であったろう。この言葉は、味や香りの評価というよりも、分類不能な対象を前にした際の、最も直接的な比喩表現(メタファー)による理解の試みと解釈できる。

当時の日本には、自然界の産物を分類し、その性質や効能を理解するための「本草学(ほんぞうがく)」という伝統的な知識体系が存在した 35 。これは中国・明代の『本草綱目』に大きな影響を受けており、薬物をその効能によって上品・中品・下品に分ける「三品分類法」などを用いていた 37 。しかし、葡萄酒は、原料である葡萄は知られていても、その加工品である醸造酒としては全く未知の存在であった。日本の伝統的な酒造りとは根本的に異なるプロセスから生まれるこの液体は、本草学の既存のカテゴリー(例えば「穀部」の酒や「果部」の果実)に簡単には収まらなかった。

結果として、戦国時代の葡萄酒は、まだ「分類」され「理解」される以前の、カテゴリーの外にある「異物」として受容されていた。この段階では、それが赤であるか白であるかといった細分化された属性は、その根源的な異質性の前では意味をなさなかったと考えられる。体系的な研究対象となるのは、さらに時代が下り、蘭学が興隆する江戸時代中期以降を待たねばならなかった。

結論:戦国時代の「白葡萄酒」――幻の存在か、記録されなかった一杯か

本報告書は、戦国時代における「白葡萄酒」の存在について、文献史料、当時の技術的制約、そして文化的受容という三つの側面から徹底的な考察を行った。

その結果、第一に、当時の呼称「珍陀酒」の語源や、権力者への献上の記録は、日本に伝来した葡萄酒が主に「赤葡萄酒」および保存性の高い「酒精強化ワイン」であったことを強く示唆している。第二に、生産国ポルトガルでは白葡萄酒が造られていたものの、大航海時代の過酷な輸送環境と、酸化に極めて弱い白葡萄酒の化学的性質を考慮すると、その品質を保ったまま日本に到達した可能性は極めて低いと結論付けられる。第三に、当時の日本側には、葡萄酒を色で分類するという概念自体が未成熟であり、異質な「南蛮の酒」という大きな枠組みで認識されていた。史料に「白葡萄酒」の記録がないのは、物理的な不在に加え、この概念的な不在が大きく影響していると考えられる。

項目

赤葡萄酒(珍陀酒)

酒精強化ワイン(シェリー等)

非強化の白葡萄酒

呼称・記録

「珍陀酒」「チンタ」として多数の記録あり 6

「ヘレス酒」として具体的な記録あり 14

該当する呼称・記録は皆無

生産国での状況

16世紀ポルトガル・スペインで広く生産

16世紀ポルトガル・スペインで生産・輸出

16世紀ポルトガルで生産・輸出 21

日本への輸送耐性

中(白よりは高いが劣化リスクあり)

高(長期航海を前提に開発) 27

極めて低い(高温で容易に酸化・酢化) 25

権力者との関連記録

信長、秀吉、家康など多数の記録あり 15

家康への献上記録あり 18

確認できず

存在の蓋然性(総合評価)

確実

高い

極めて低い

以上の分析から、戦国時代の日本において「白葡萄酒」は、**社会的に流通し文化的に受容されたという意味では「存在しなかった」**と結論するのが最も妥当である。仮に、一個人が個人的な消費のために奇跡的に持ち込んだ一杯が存在したとしても、それは歴史の記録には残らない例外的な出来事であり、当時の日本社会に何ら影響を与えるものではなかったであろう。

日本で「白葡萄酒」という概念が明確に生まれ、国産の白葡萄酒が造られるようになるのは、本格的な醸造技術が導入され、殖産興業政策が推進された明治時代を待たねばならない 12 。戦国時代に刻まれた「赤」の記憶は、日本のワイン文化の原点であり、その対極にある「白」の不在の歴史を理解することは、現代に至る日本のワイン受容史をより深く知る上で不可欠な視点であると言える。

引用文献

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  5. 日本人で初めて「ワイン」を飲んだのは織田信長⁉ 愛される飲み物 ... https://www.rekishijin.com/31078
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  17. 2023年、ボジョレーヌーヴォーの解禁日は11月16日(木)。石田三成ら戦国武将はワインパーティを開催、豊臣秀吉や徳川家康もワインを楽しんでいた! | Moglab(食と農の楽しさを伝えるWEBマガジン) https://mog-lab.com/2023/11/post-286.html
  18. 日本最古のワインは福岡で作られた!?|再現ワイン『伽羅美酒』とは? https://www.ieyasu.blog/archives/7596
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