最終更新日 2025-08-13

稲妻型蒔絵鞍

真田信之所用と伝わる「六連銭銀紋稲妻型蒔絵鞍」は、黒漆に金色の稲妻と銀の六連銭を配した豪華な馬具。戦国の武威と泰平の治世を象徴し、信之の生涯と時代の変革を物語る。
稲妻型蒔絵鞍

報告書:『六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍』の総合的考察 ― 戦国の残光と泰平の礎

序論:一基の鞍が語るもの ― 武威、治世、そして美

一基の鞍がある。それは単なる馬具ではない。戦国という激動の時代を駆け抜け、泰平の世の礎を築いた一人の武将の生涯、時代の美意識、そして当代随一の工芸技術が凝縮された、稀有な歴史的・美術的史料である。本報告書は、松代藩初代藩主・真田信之(1566-1658)が所用したと伝わる「六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍」について、その物理的構造から意匠に込められた象徴性、所有者の人物像、そして製作された時代の文化的背景に至るまで、多角的かつ徹底的な分析を行うことを目的とする。

この鞍は、長野市松代町に位置する真田宝物館に、その来歴を証明する箱とともに大切に保管されている 1 。黒漆の深淵な闇に、金色の稲妻が閃光のように走り、その上に真田家の家紋たる六連銭が銀の静謐な輝きを放つ。その意匠は、一見して豪華絢爛でありながら、戦国の荒々しい記憶を留める「武」の象徴性と、泰平の世を治めた大名としての「文」の権威を見事に融合させている。

本報告書では、まずこの鞍そのものを解剖し、その構造、材質、意匠、そして用いられた蒔絵技法を詳細に分析する。次に、所有者である真田信之の生涯、特に関ヶ原の戦いにおける苦渋の決断から松代藩の基礎を築き上げるまでの道のりを追い、この鞍が彼の人生においてどのような意味を持っていたのかを考察する。さらに、この鞍が製作された安土桃山時代から江戸時代初期という、日本美術史における一大転換期に焦点を当て、その豪壮な美意識と秩序への志向が、この一基の鞍にどのように反映されているかを探る。最後に、現代における文化財としての価値と、その保存・継承の意義について論じる。

この「稲妻型蒔絵鞍」を解読する旅は、単一の工芸品を鑑賞するに留まらない。それは、戦国の残光が消えゆき、新たな時代の曙光が差し込む歴史の転換点を生きた一人の智将の息遣いを感じ、日本という国が経験した巨大な社会変革の様相を、美というレンズを通して理解する試みなのである。

第一章:至宝の解剖 ― 「六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍」の物理的・美術的分析

「六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍」を理解するための第一歩は、その物質的・美術的特性を客観的かつ精密に分析することにある。本章では、その来歴から構造、意匠、そして最高水準の蒔絵技術に至るまで、この鞍を構成する諸要素を分解し、その本質に迫る。

1-1. 来歴と所蔵 ― 真田家伝来の証

本鞍は、長野県長野市松代町に位置する真田宝物館が所蔵する、真田家伝来の至宝の一つである 1 。真田宝物館は、旧松代藩主であった真田家から寄贈された武具、調度品、古文書など約5万点に及ぶ膨大な資料を収蔵・公開しており、本鞍はその中でも中核をなす存在と言える 4

その来歴が揺るぎないものであることを証明するのが、鞍と共に伝わる木箱の存在である。この箱の蓋裏には、「信之公 御召料御鞍」という墨書がはっきりと残されている 2 。これは、本鞍が松代藩初代藩主である真田信之(後の信幸)の御物であったことを示す、決定的な一次史料である。「御召料」という言葉は、単に所有していたという事実以上の意味を持つ。これは、藩主が公式の場や儀礼において、自身の権威と威儀を人々に示すために用いた、極めて格の高い個人装備であったことを示唆している。つまり、この鞍は信之のパブリックなペルソナを体現する、重要な政治的・社会的ツールであったのだ。

1-2. 構造と素材 ― 戦場(いくさば)の記憶を留めるかたち

残念ながら、本鞍の正確な寸法や、鞍の骨格をなす木地(くらぼね)の材質に関する公式な分析データは、現在のところ公開されていない 1 。しかし、同時代に製作された他の著名な蒔絵鞍との比較分析を通じて、その構造や材質を高い確度で推定することは可能である。

特に比較対象として重要なのが、東京国立博物館が所蔵する重要文化財「芦穂蒔絵鞍鐙」(伝豊臣秀吉所用、16世紀) 6 や、神戸市立博物館所蔵の「蒔絵桜花南蛮人文鞍」(16-17世紀初頭) 8 などである。これらの鞍に共通する特徴は、戦国時代から桃山時代にかけての様式を色濃く反映している点にある。この時代の鞍は、合戦における実用性を最優先に考えられており、乗り手の体を深く、かつ安定して支えるために、鞍の前後の反り(前輪・後輪)が大きく、各部材が分厚く幅広に作られているのが特徴である 9 。本鞍もまた、その堅牢な姿から、こうした「軍陣鞍(ぐんじんぐら)」、あるいは儀礼用としての装飾性を加味した「大和鞍(やまとぐら)」の形式に分類されると考えられる 10

材質については、鞍の木地には堅く、粘りがあり、加工しやすい桜材や欅材、あるいは沢栗などが一般的に用いられた 8 。本鞍の木地も、これらの高級材が使用されている可能性が高い。そして、その木地の上に麻布を漆で何層にも貼り固める「布着せ(ぬのきせ)」という技法で下地を形成し、その上に漆を塗り重ねることで、極めて堅牢かつ美しい塗面が生み出されていると推測される。この構造は、戦国の記憶を色濃く留める、実用性を兼ね備えた豪華な鞍であったことを物語っている。

1-3. 意匠の構成 ― 稲妻と六連銭の対話

本鞍の美術的価値を決定づけているのは、その大胆かつ計算され尽くした意匠である。全体は、深みのある黒漆を基調とし、その全面に幾何学的な稲妻文様を金で敷き詰め、さらにその上に真田家の定紋である六連銭を銀で配するという、重層的な構成を持つ。

主文様である「稲妻型」は、ジグザグ状の線が連続するパターンであり、鞍全体に視覚的な緊張感とダイナミックな律動感を与えている。これは単なる装飾文様ではなく、後述するように、武威、豊穣、そして魔除けといった多層的な意味が込められた、本鞍の主題をなす重要なモチーフである 11

この力強い金色の地紋に対し、副文様として配されたのが、真田家のアイデンティティを示す「六連銭」である。ここで特筆すべきは、その表現に金ではなく銀が用いられている点である。この選択は、極めて巧みなデザイン上の計算に基づいている。もし六連銭も金で描かれていたならば、金色の地紋の中に埋没し、その存在感は著しく減じられたであろう。しかし、あえて対照的な銀を用いることで、六連銭は稲妻の閃光の中から鮮やかに浮かび上がり、見る者に対して所有者の家名を明確に主張する効果を生んでいる。さらに、金が持つ豪奢で支配的な印象に対し、銀は冷静で純粋、そして沈着な印象を与える。この金と銀の対比は、徳川の治世という新たな時代の秩序(金)の中で、自らのアイデンティティ(銀)を失わず、確固たる地位を築いた真田信之自身の政治的立場と精神性を、見事に視覚化したものと解釈することができる。

1-4. 蒔絵技法の探求 ― 「絹織物」のような輝きの秘密

本鞍を鑑賞した者がしばしば口にする「絹織物の地模様のよう」という感想は、単なる主観的な印象ではない。それは、この鞍の蒔絵が、単調な平面ではなく、極めて緻密で複雑な光学的効果を持つ高度な技術の結晶であることを的確に捉えた、重要な指摘である。この独特の質感の秘密は、複数の蒔絵技法と、他分野の美術様式からの影響を組み合わせた、複合的なアプローチにあると考えられる。

この「織物のような」質感から導き出される一つの仮説は、陶磁器の装飾様式である「金襴手(きんらんで)」の意匠思想が、漆芸に応用されたのではないかというものである 13 。金襴手とは、色絵を施した陶磁器の上にさらに金彩で文様を描き加える豪華な様式で、その名が示す通り、金糸をふんだんに織り込んだ高級織物「金襴」を彷彿とさせることから名付けられた 13 。本鞍の稲妻文様が全面を覆う地紋は、まさにこの金襴織物のような、高密度で華麗、かつ複雑な光の反射を生む効果を狙ったものと推察される。

この金襴手的な効果を生み出すために、具体的には以下のような蒔絵技法が複合的に用いられた可能性が高い。

まず、稲妻文様の基本的な描線は、漆で文様を描き、それが乾かないうちに金粉を蒔きつけて定着させる「平蒔絵(ひらまきえ)」が用いられていると考えられる 16 。これは蒔絵の最も基本的な技法の一つだが、これほど高密度で正確な幾何学文様を描くには、極めて高度な熟練を要する。

次に、織物のような深みと複雑な輝きを生み出すために、文様の一部に「絵梨子地(えなしじ)」という技法が併用されている可能性がある 17 。これは、平目粉(ひらめふん)と呼ばれる薄い金銀の小片を蒔き、その上から透明な漆をかけて研ぎ出すことで、果物の梨の皮のようなざらついた質感と、内部から光が湧き出るような深い輝きを生み出す「梨子地」の技法を、文様部分に応用したものである。平蒔絵の滑らかな輝きと、絵梨子地の深みのある輝きが組み合わさることで、光の角度によって表情を変える、まさに絹織物のような視覚効果が生まれる。

さらに、文様の繊細さを高めるために、金箔を膠(にかわ)と混ぜて作る極めて微細な金粉「消粉(けしふん)」を用いた「消粉蒔絵(けしふんまきえ)」が部分的に使われていることも考えられる 19 。消粉は、粒子が細かいために落ち着いたマットな輝きとなり、平蒔絵の光沢との対比によって、デザインにさらなる奥行きを与えることができる。

以上の分析から、この鞍の蒔絵は、単一の技法によるものではなく、平蒔絵を基軸としながら、絵梨子地や消粉蒔絵といった複数の技法を巧みに組み合わせ、さらに金襴手という異分野の意匠思想を取り入れた、桃山時代から江戸時代初期にかけての漆工技術の粋を集めた傑作であると結論付けられる。それは、ただ豪華なだけでなく、知的に計算され尽くした、極めて高度な工芸品なのである。

第二章:持ち主の肖像 ― 真田信之、激動の時代を生き抜いた智将

この豪壮かつ精緻な鞍の価値を深く理解するためには、その所有者である真田信之という人物の生涯と、彼が生きた時代の文脈を避けて通ることはできない。この鞍は、信之の人生における重要な局面、彼の政治的立場、そして彼の精神性を映し出す鏡のような存在である。

2-1. 関ヶ原の選択 ― 一族存続の礎

真田信之の生涯を決定づけたのは、天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)における、彼の苦渋に満ちた選択であった。父・昌幸と弟・信繁(幸村)が、豊臣恩顧の武将として西軍に与することを決めたのに対し、信之は徳川家康率いる東軍に加わった。これは、一族を二つに分けて、どちらが勝利しても真田の血脈が存続するようにという、父・昌幸の深謀遠慮に基づく戦略であったとも言われる。

結果として東軍が勝利し、信之は戦功を認められた。彼はその立場を利用し、徳川四天王の一人である本多忠勝の娘であった正室・小松姫(大蓮院)と共に、敗軍の将となった父と弟の助命を家康に必死に嘆願した。その結果、昌幸と信繁は死罪を免れ、紀州九度山への配流という処分に留まった。この信之の決断と奔走がなければ、真田家は歴史の舞台から完全に姿を消していた可能性が高い。この鞍が放つ輝きは、まさにこの一族存続という最大の功績に対する、栄光の証と見ることができる。

しかし、信之は単に徳川家に盲従したわけではなかった。彼が、徳川幕府にとっては不都合な証拠となりうる、西軍の首魁・石田三成から送られた書状などを、密かに木箱に収めて保管し続けたという逸話は、彼の人物像の複雑さを物語っている 20 。これは、表向きは徳川への忠誠を尽くしながらも、常に冷静に時勢を見極め、万が一の事態に備える深謀遠慮を忘れない、したたかな戦略家としての側面を示している。この鞍の豪華さは、徳川体制下での成功を象徴すると同時に、その内側には、こうした一筋縄ではいかない武将の矜持が秘められていたのかもしれない。

2-2. 松代藩初代藩主としての治世

関ヶ原の戦い後、信之は父の旧領であった上田を安堵され、上田藩主となった。そして1622年(元和8年)、幕府の命により信濃国松代へ十万石で加増移封され、ここに松代藩が成立した 21 。彼は、この新たな土地で藩政の基礎を固め、以後250年にわたる真田氏による統治の礎を築いた。

信之の特筆すべき点の一つは、その驚異的な長寿である。彼は1658年(万治元年)に93歳(数え年)でこの世を去るまで、藩主として、あるいは後見役として藩政に関わり続けた 22 。戦国の気風がまだ色濃く残る江戸時代初期の不安定な時期において、彼の長い治世は松代藩に安定と繁栄をもたらした。本鞍は、その長い治世の中でも、特に藩の基盤を固めていた初期から中期にかけて、初代藩主としての彼の権威を内外に示すための象徴的な品であったと考えられる。

また、信之の時代は、武断政治から文治政治へと移行する過渡期でもあった。松代藩では、三代藩主・幸道の時代になると、狩野派の絵師などを公式に召し抱えるようになり、文化的な活動が活発化する 23 。信之の時代は、その文化的な土壌を育む準備期間であったと言える。本鞍のような最高級の美術工芸品を所有し、公式の場で使用することは、信之が単なる武辺者ではなく、文化の庇護者としての資質をも備えた大名であることを示す、重要な意味を持っていたのである。

2-3. 下賜品としての可能性 ― 徳川家との関係性

この鞍の製作経緯については、信之自身がその財力をもって注文したという可能性もさることながら、もう一つの有力な仮説が存在する。それは、この鞍が主君である徳川家康、あるいは二代将軍・秀忠からの「下賜品」であったという可能性である。

この仮説を裏付ける理由はいくつかある。第一に、当時の武家社会における贈答文化の重要性である。将軍家から大名へ品物を下賜することは、単なる贈り物ではなく、主従関係を確認し、家臣の忠誠心を確保するための極めて重要な政治的行為であった 24 。衣服や刀剣、茶道具などと並び、鞍のような馬具もまた、栄誉ある下賜品として用いられた記録が残っている 26

第二に、徳川幕府における信之の特殊な立場である。信之は外様大名でありながら、その出自(父・昌幸は家康を苦しめた宿敵)と、弟・信繁(大坂の陣で徳川を追い詰めた)の存在により、幕府にとっては常に警戒と監視の対象であった。同時に、真田一族の武勇と影響力を徳川体制の内に留めておくための、極めて重要な存在でもあった。このような複雑な立場にある信之に対し、その忠誠を確固たるものにし、その功績に報いるために、当代随一の職人に作らせた壮麗な鞍を贈ることは、幕府の統治戦略として非常に理に適っている。

この鞍に真田家の家紋である六連銭が入れられていることは、下賜品説を否定するものではない。下賜された品に、後から所有者を示すために家紋を追刻することは一般的であった。あるいは、贈る側が敬意の証として、あらかじめ相手の家紋を入れて製作させることもあった。いずれにせよ、この鞍が将軍家からの下賜品であったとすれば、その価値は単なる美術品としての価値を超え、江戸時代初期の徳川家と真田家の間の、緊張感をはらんだ複雑な政治的関係性を物語る、第一級の歴史的物証となるのである。

第三章:時代の美意識 ― 桃山文化の残光と江戸の曙

「稲妻型蒔絵鞍」は、真田信之という一個人の所有物であると同時に、それが製作された時代の精神と美意識を色濃く反映した「時代の作品」でもある。本章では、この鞍が生まれた安土桃山時代から江戸時代初期にかけての文化的背景を分析し、日本美術史の流れの中で本品がどのような位置を占めるのかを明らかにする。

3-1. 桃山美術の潮流 ― 豪壮と斬新

安土桃山時代(16世紀後半~17世紀初頭)は、織田信長、豊臣秀吉といった天下人が登場し、長く続いた戦乱の世に終止符が打たれようとしていた時代である。この時代、下剋上によって権力の座にのし上がった武将たちは、自らの力と富を誇示するかのように、豪壮華麗で、斬新、かつスケールの大きな芸術を好んだ 9 。城郭建築や障壁画、そして工芸品に至るまで、金や原色を多用した、見る者を圧倒するようなダイナミックな表現が主流となった。

この時代の漆工芸を代表するのが、豊臣秀吉とその正室・北政所(ねね)ゆかりの品々に施された「高台寺蒔絵」である 16 。高台寺蒔絵は、黒漆の地に、秋草などのモチーフを金銀の平蒔絵で絵画的に、かつ自由闊達に描くことを特徴とする 16 。そのデザインは、非対称で動きがあり、生命感にあふれている。

これに対し、真田信之の「稲妻型蒔絵鞍」は、同じく金をふんだんに用いた豪華な作風でありながら、そのデザイン思想において高台寺蒔絵とは一線を画している。高台寺蒔絵が自然のモチーフを絵画的に表現するのに対し、本鞍の主題は幾何学的な「稲妻型」の連続文様である。そこには、桃山的な自由闊達さよりも、より構築的で、秩序化されたデザインへの志向が見て取れる。

この違いは、時代の変化を象徴している。本鞍は、桃山文化の豪壮絢爛たる気風(金の使用、大胆な意匠)を色濃く受け継ぎながらも、徳川幕府による新たな秩序が確立されていく江戸時代へと向かう中で現れる、より様式化され、統制の取れた美意識への移行を示す、まさに過渡期の様式を体現した作例として位置づけることができる。それは、混沌とした戦国の世から、秩序ある泰平の世へと移り変わる時代の空気を、見事に造形化したものと言えよう。

3-2. 「稲妻」文様の象徴性 ― 武と豊穣のシンボル

本鞍の意匠の核をなす「稲妻」文様は、単なる自然現象の描写や装飾に留まるものではない。特に武具に用いられる場合、それは多層的かつ重層的な象徴性を帯びる、極めて意味深いモチーフであった。

第一に、稲妻は「武威」と「神性」の象徴であった。雷鳴は古来「神鳴り」と呼ばれ、天なる神の意志の顕現、あるいは神の力そのものと考えられてきた 12 。武将が稲妻の文様をその身にまとうことは、神々の加護を得て、超自然的な力を行使することへの願いが込められていた。また、日本刀の焼刃の中に現れる働きの一つに「稲妻」と呼ばれるものがある。これは、刃文の中に現れる、きらりと光る線状の模様であり、鋭い切れ味と刀身の健全さを示す景色として珍重された 11 。すなわち、稲妻文様は、武具の所有者が持つべき武勇と力を象徴する、最もふさわしい意匠の一つだったのである。

第二に、稲妻は「豊穣」の象徴でもあった。稲が実る旧暦の8月頃は、雷が頻繁に発生する季節である。このことから、雷光が稲を実らせる(=稲を孕ませる)と考えられ、雷は「稲の夫(つま)」、転じて「稲妻(いなづま)」と呼ばれるようになったという説がある 12 。したがって、稲妻は五穀豊穣をもたらす吉兆の印とされた。これは、戦場での武功のみならず、領地を治め、民の安寧と繁栄を保障する責任を負う藩主としての信之の立場に、まさしく合致するシンボルである。

第三に、稲妻(雷文)は「魔除け」の呪符としての意味も持っていた。古代中国の青銅器に見られる雷文のように、連続する幾何学文様は、邪悪なものが侵入するのを防ぐ力があると信じられていた 12

このように、「稲妻」という一つのモチーフは、信之にとって、戦国武将としての過去(武威)、松代藩主としての現在(豊穣)、そして一族の未来への願い(神の加護と魔除け)という、彼の人生のあらゆる側面を包括する、極めて象徴的な意味を持っていた。これほど彼の生涯を凝縮して表現するのにふさわしい文様は、他になかったであろう。

3-3. 鞍の社会的機能の変容 ― 実用から儀礼へ

本鞍が製作された桃山時代から江戸時代初期は、鞍という馬具そのものの社会的機能が大きく変容した時期でもあった。

戦国時代における鞍は、言うまでもなく、まず第一に戦場で馬を自在に操り、乗り手の身を守るための実用的な「武具」であった 9 。その構造は堅牢さを最優先され、装飾は二の次であったか、あるいは武威を誇示するための質実剛健なものが好まれた。

しかし、徳川幕府による天下統一が成り、大規模な合戦が終息した江戸時代に入ると、世は泰平の時代を迎える。これに伴い、鞍の役割も大きく変化した。戦場での実用性よりも、大名行列や公式な儀礼の場において、所有者の家格や身分、そして権威を視覚的に示すための「儀仗品」「装飾品」としての性格が、急速に強まっていったのである 34 。蒔絵や螺鈿といった高度な漆工技術が惜しみなく投入され、鞍は動く芸術品としての側面を強めていく 10

この文脈において、「稲妻型蒔絵鞍」は極めて象徴的な位置を占める。その構造は、前述の通り、戦場での使用を想定した堅牢な「軍陣鞍」の系譜を引いている 10 。しかし、その表面には、実用性を超えた、当代最高水準の蒔絵装飾が施されている。この「実用の器」と「儀礼の象徴」という二つの性格の同居は、まさに戦国武将としての過去と、泰平の世を治める江戸時代の大名としての未来、その両方の役割を一身に担った真田信之自身の姿を、見事に投影している。この鞍は、日本の社会が「武」の時代から「文」の時代へと大きく舵を切った、その歴史的な転換点に立つ記念碑的な工芸品なのである。

第四章:文化財としての現在 ― 保存と継承

約四百年の時を経て、真田信之の手を離れた「稲妻型蒔絵鞍」は、現代において歴史的・美術的価値を持つ「文化財」として新たな生命を生きている。本章では、この鞍が今日どのように保存・活用され、その価値が未来へ向けてどのように継承されようとしているのかについて論じる。

4-1. 真田宝物館における役割

本鞍は、真田宝物館が所蔵する膨大なコレクションの中でも、特に初代藩主・真田信之という人物そのものを象徴する、中核的な収蔵品として極めて重要な位置を占めている 1 。その存在は、松代藩の原点を物語る上で不可欠である。

宝物館では、文化財の劣化を防ぎつつ多くの人々に鑑賞の機会を提供するため、定期的に展示替えが行われており、本鞍も特別展などで公開されてきた 36 。特に、2022年(令和4年)には、信之の松代入府から400年という節目を記念した特別展「真田信之 十万石の礎を築いた男」が開催されるなど 21 、近年、信之の再評価の機運が高まる中で、彼を象徴する本鞍の重要性はますます増している。これらの展示は、学芸員による日々の研究成果に裏打ちされており、本鞍もまた、降幡浩樹氏や米澤愛氏といった専門家による研究の対象となっている 37

さらに特筆すべきは、真田家の歴史と文化の継承に、現代の当主が深く関わっている点である。現在、慶應義塾大学理工学部教授を務める真田家14代当主・眞田幸俊氏が、真田宝物館の名誉館長に就任している 22 。これは、信之が命を懸けて守り抜いた真田家の血脈が、四百年の時を超えて、自らの祖先の遺産を研究・保存し、社会に伝えていくという形で結実していることを示している。この鞍の保存と活用は、まさに信之が目指した一族の永続という大事業の、現代における一つの到達点なのである。

4-2. 保存と修復の課題

本鞍のような漆工芸品は、その華麗な美しさとは裏腹に、極めて脆弱な性質を持つ。漆や蒔絵に用いられる金粉、そして木地といった有機物は、光(特に紫外線)、湿度、温度の急激な変化によって、褪色、剥離、亀裂、歪みといった深刻な損傷を受けやすい。この貴重な文化財を良好な状態で未来へ継承するためには、美術館・博物館における厳密な温湿度管理や照度管理といった、科学的知見に基づいた保存環境の維持が不可欠である。

万が一、損傷が進行した場合、その修復には極めて高度な専門技術と倫理観が要求される。蒔絵鞍の修復事例を見ると、その工程は、まず各部材を慎重に解体することから始まる 42 。次に、表面の汚れを丁寧に除去するクリーニング、緩んだ木地構造の安定化、浮き上がった塗膜を再接着する剥離止め、そして欠損した部分を漆や他の材料で補填する作業へと続く 42

こうした修復作業は、単に元の姿に戻すことだけが目的ではない。修復の過程で、普段は見ることのできない内部構造や、製作時に用いられた当初の技法、あるいは過去に行われた修理の痕跡などが明らかになることがある 43 。それは、その文化財が経てきた歴史を解明し、新たな学術的知見を生み出す貴重な機会ともなる。本鞍も、将来的に大規模な修復が必要となった際には、同様の科学的調査と修復作業を経ることで、その製作技術に関するさらなる詳細が解明される可能性を秘めている。

4-3. 文化財としての価値評価

「稲妻型蒔絵鞍」の価値は、どのように評価されるべきだろうか。美術品オークションの市場では、時折、江戸時代の蒔絵鞍が取引されることがある 44 。しかし、本鞍のように、来歴が明確で、日本史上の重要人物と直接結びつき、かつ他に類例を見ない優れた意匠を持つ文化財の価値は、単純な金銭的価格、すなわち市場取引価格では到底測ることができない。

文化財の価値評価は、複数の要素からなる総合的な判断によって行われる 46 。本鞍の場合、その価値は以下の要素によって構成されている。

  1. 歴史的価値 : 松代藩初代藩主・真田信之という、戦国から江戸初期にかけての重要人物が実際に所用したという、揺るぎない来歴を持つこと。
  2. 美術史的価値 : 桃山時代の豪壮な美意識が、江戸時代の秩序ある様式へと移行する過渡期の様相を体現した、他に類例の少ない優れたデザインを持つこと。
  3. 技術史的価値 : 平蒔絵、絵梨子地、消粉蒔絵などを組み合わせた、当時の最高水準の漆工技術が用いられていること。
  4. 物証としての価値 : 真田家の存続と松代藩の成立という、日本史上の重要な出来事を物語る、第一級の物証であること。

これらの価値は、金銭に換算できるものではなく、国民的、さらには人類的な共有財産としての価値である。この鞍を守り、研究し、次世代に伝えていくことは、単に一つの美しい品を保存する以上の、我々の歴史と文化の豊かさを未来へと繋いでいく重要な営為なのである。

結論:武から文へ ― 稲妻型蒔絵鞍が象徴する真田信之の道

「六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍」は、その静かな佇まいの中に、一人の武将の生涯と一つの時代の巨大な変革を、雄弁に物語る。本報告書で展開してきた多角的な分析を通じて、この鞍が単なる豪華な馬具ではなく、重層的な意味を内包した歴史的モニュメントであることが明らかになった。

この鞍の堅牢な「軍陣鞍」としてのフォルムは、信之が戦国の世に生まれ、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた生粋の武将であったことの記憶を刻んでいる。一方で、その表面を覆う豪華絢爛な蒔絵は、彼が泰平の世を治める十万石の大名として君臨した、揺るぎない権威の象徴である。そして、その意匠の核心をなす「稲妻」と「六連銭」の文様には、武人としての力強さ(武威)と、領民の繁栄を願う為政者としての祈り(豊穣)、そして一族の永続を願う当主としての切なる思いが、分かちがたく織り込まれている。

結論として、この一基の鞍は、戦乱の世を「武」と知略で生き抜き、新たな時代を優れた治世者としての「文」の力で切り拓いた、真田信之という人物の生涯そのものを象徴する、比類なき工芸品であると言える。それは、個人のドラマを超えて、桃山時代の豪壮闊達な美意識が、徳川の世の秩序ある様式へと移行していく、日本文化史の大きなうねりを捉えた貴重な証言者でもある。

したがって、この鞍を深く解読することは、真田信之という一人の非凡な人間のドラマと、日本史が経験した最もダイナミックな時代の一つを、同時に理解することに他ならない。この「稲妻型蒔絵鞍」は、これからも真田宝物館の中核として、訪れる人々に戦国の残光と泰平の礎を、静かに、しかし力強く語り継いでいくであろう。

補遺:主要蒔絵鞍一覧表

本報告書で論じた「六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍」の美術史上の位置づけをより明確にするため、同時代およびそれに続く時代の主要な蒔絵鞍を比較対照できる形で以下にまとめる。この一覧は、各作品の意匠、技法、所有者の違いを浮き彫りにし、本鞍が持つ独自性と時代性を客観的に理解するための一助となる。

名称

所用者(伝)

時代

主な特徴

所蔵

典拠

六連銭銀紋 稲妻型蒔絵鞍

真田信之

桃山~江戸初期

稲妻型地紋、六連銭銀紋、金襴手様式を彷彿とさせる緻密な平蒔絵

真田宝物館

1

芦穂蒔絵鞍鐙

豊臣秀吉

桃山時代 (16世紀)

金高蒔絵、金貝、銀鋲による大胆な芦穂文様。絵画的で豪壮。

東京国立博物館

6

蒔絵桜花南蛮人文鞍

別所長治

桃山~江戸初期 (16-17世紀)

南蛮人・桜花文様。異国趣味を取り入れた意匠。天文七年の銘あり。

神戸市立博物館

8

蒔絵亀図鞍・鐙

前田綱紀

江戸時代 (17世紀)

清水九兵衛作と伝わる。黒漆地に蓑亀を金の高蒔絵で描く吉祥文様。

石川県立美術館

47

波涛蒔絵鞍

蜂須賀家

江戸時代 (18世紀)

飯塚桃葉による蒔絵。阿波鳴門の渦潮を立体的かつ写実的に表現。

個人蔵(徳島県指定文化財)

26

蕪平文鞍

不明

室町時代 (16世紀)

厚い金銅板を切り抜いた蕪と雪輪文様。平文(ひょうもん)技法。

東京国立博物館

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引用文献

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  29. 蒔絵の魅力、製法・種類・歴史など漆器の彩りを探る - 日本工芸堂 https://japanesecrafts.com/blogs/news/lacquermakie
  30. 蒔絵の魅力に迫る!種類・素材・技法を徹底解説します|愛知名古屋の骨董品買取は永寿堂へ https://www.eijyudou.com/news/p9716/
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