最終更新日 2025-08-13

菊鍾馗陣羽織

前田利家が愛用した「刺繍菊鍾馗図陣羽織」は、背面に鍾馗、前面に菊を配し、武勇と高貴な身分を象徴。桃山文化の粋を集め、利家の多面的な精神性を映す。
菊鍾馗陣羽織

刺繍菊鍾馗図陣羽織 ― 前田利家と桃山文化の精華

序章:一領の陣羽織が語る、桃山という時代

一領の陣羽織がある。加賀百万石の礎を築いた戦国武将、前田利家が所用したと伝えられる「刺繍菊鍾馗図陣羽織」。それは単なる武将の遺愛品という言葉に収まらない、一つの時代そのものを内包した稀有な存在である。この陣羽織の糸の一本一本、意匠の一筆一筆には、安土桃山という、日本の歴史上、類を見ないほどの激動と創造の時代の政治、文化、信仰、そして技術の粋が凝縮されている。

本報告書は、この「刺繍菊鍾馗図陣羽織」を多角的な視点から徹底的に分析し、その歴史的・文化的な価値を解き明かすことを目的とする。前田利家という一人の武将の精神性と、彼が生きた時代のダイナミズムを解読する鍵として、この一領の陣羽織を読み解いていく。それは、戦国の荒波を乗りこなし、新たな時代を切り拓いた男の、声なき自己表明に耳を澄ます試みでもある。

第一章:刺繍菊鍾馗図陣羽織の概要と来歴

分析に先立ち、まずは対象物そのものを物理的、歴史的に正確に把握する必要がある。本章では、この陣羽織の基本的な情報、文化財としての位置づけ、そして数奇な伝来の軌跡を明らかにする。

1-1. 物理的特徴と様式の古格

この陣羽織は、淡い茶色の絹地を表地とし、その上に豪華な刺繍と金摺箔(きんすりはく)で意匠が施されている 1 。最大の特徴は、背面のほぼ全体を使い、魔除けの神である「鍾馗(しょうき)」が勇壮に刺繍されている点である。対して、前面には「菊」の文様が配されている 2

形態的には、袖の刳(く)りが小さく、丈が短い、ほぼ直線裁ちで作られている点が指摘されている [ユーザー提供情報]。これは陣羽織の様式としては古いもの(古様式)に分類される。安土桃山時代には、南蛮文化の影響を受けたより立体的で装飾的な裁断の陣羽織が流行したことを鑑みれば、この陣羽織が持つ質実な「古格」は、同時代の他の華美な作例とは一線を画す重要な特徴と言える。

1-2. 文化財としての現在地

その高い歴史的・美術的価値から、本陣羽織は昭和39年(1964年)1月28日付で国の重要文化財(工芸品の部)に指定されている 1 。現在は、加賀藩主前田家伝来の文化遺産を保存管理するために設立された公益財団法人前田育徳会が所蔵し、東京都目黒区駒場にある収蔵庫で厳重に保管されている 1

400年以上の時を経た染織品であるため、経年による劣化は避けられなかった。特に刺繍の針孔からの亀裂などが問題視され、文化庁、宮内庁、読売新聞社が連携する「紡ぐプロジェクト」の文化財修理助成事業の一環として、2019年度から2021年度にかけて大規模な修理が実施された 2 。この修理は京都国立博物館の文化財保存修理所で行われ、一度陣羽織を解体し、生地の裏側から薄い和紙と絹を当てて補強するという、オリジナルの風合いを最大限に尊重した高度な技術が用いられた 3 。この事実は、本陣羽織が現代においても日本の文化を代表する至宝として認識され、その価値を未来へ継承するための努力が惜しみなく注がれていることを示している。

1-3. 伝来の軌跡 ― 利家の手から寺院、そして再び前田家へ

江戸時代の加賀藩の記録である『加陽諸士言行筆記』によれば、この陣羽織は利家の死後、彼が深く帰依した京都の祈願寺、善長寺に寄進されたと記されている 1 。この善長寺は、臨済宗大徳寺の塔頭である興臨院(こうりんいん)と同一、もしくはその前身であったと考えられている。興臨院はもともと能登の守護大名であった畠山氏の菩提寺であったが、天正9年(1581年)に前田利家が本堂の屋根を修復して以降、前田家の菩提寺ともなった、利家にとって極めて縁の深い寺院である 7

その後、時代は下り、江戸中期の寛文年間(1661年~1673年)頃に、この陣羽織は寺から加賀前田家へと返納された 1 。一度は藩祖の手を離れ、菩提寺に納められた名品が、その歴史的価値を再認識され、再び本家に戻されたという事実は、江戸時代を通じて前田家がいかに藩祖・利家を敬神し、その遺品を大切に扱っていたかを物語るエピソードである。

本章の締めくくりとして、以上の基本情報を以下の表に集約する。

項目

内容

典拠

正式名称

刺繍菊鍾馗図陣羽織(ししゅうきくしょうきずじんばおり)

1

時代

安土桃山時代(16世紀)

1

伝・所有者

前田利家(まえだ としいえ)

1

伝・制作者

芳春院(ほうしゅんいん、利家正室・まつ)

1

伝・着用場面

末森城の合戦(すえもりのじん)

1

現・所蔵

公益財団法人前田育徳会(東京都目黒区)

1

文化財指定

重要文化財(工芸品)、1964年1月28日指定

1

素材・技法

淡茶色絹地、刺繍、金摺箔(きんすりはく)

1

意匠

前面:菊文様、背面:鍾馗図

2

様式

袖無に近く、直線裁ちを多用した古式の形態

ユーザー提供情報

来歴

利家着用→京都・善長寺(大徳寺興臨院)へ寄進→寛文年間に前田家へ返納

1

第二章:所有者、前田利家という武将

一領の陣羽織の真価を理解するためには、その所有者であった前田利家という人物の多面的な側面に光を当てる必要がある。彼は単なる勇猛な武将ではなく、激動の時代を生き抜くための知略と理知を兼ね備えた、稀有な統治者であった。

2-1. 「槍の又左」の武勇と「算盤」の理知

若き日の利家は、織田信長の親衛隊である赤母衣衆(あかほろしゅう)の一員として戦場を駆け、その卓越した槍術から「槍の又左」の異名で恐れられた 9 。その武勇は生涯衰えることなく、数々の戦で武功を挙げ、能登一国を領する大名へと駆け上がった。

しかし、彼の真骨頂は武勇のみにあるのではない。彼はまた、極めて優れた経営感覚と理知の持ち主でもあった。加賀藩の財政は利家自身が決済を行い、その際に愛用した算盤が家宝として伝えられているほどである 9 。若き日の浪人生活で金の重要性を痛感した彼は、武力のみでは家も国も守れないことを深く理解していた。この武と知、情と理の絶妙なバランス感覚こそが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人と巧みに渡り合い、加賀百万石の礎を築くことを可能にしたのである。彼の装束の選択にも、この多面的な人格が色濃く反映されていることは想像に難くない。

2-2. 末森城の合戦 ― 絶体絶命の戦いと伝説の誕生

この陣羽織が、利家の武人生涯の中でも特に劇的な一戦で着用されたという伝承は、その価値を一層高めている。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに連動して、越中の佐々成政が約15,000の大軍で利家の領する能登・末森城に侵攻した。城兵はわずか数百。利家自身も寡兵を率いて救援に向かったが、兵力差は絶望的であった。この「末森城の合戦」こそ、本陣羽織の伝説が生まれた舞台である 1

絶体絶命の窮地において、利家はこの陣羽織をまとい、背に魔除けの神・鍾馗を背負って戦ったと伝えられる。結果、利家は奇跡的な勝利を収め、その武名を天下に轟かせた。この極限状況下で神仏の加護にすがり、勝利を祈願するという行為は、当時の武将の切実な信仰心の発露として極めて自然であり、この伝承に強い説得力を与えている。

2-3. 豊臣政権下の実力者 ― 桐と菊の紋

利家は豊臣秀吉の最も信頼する重臣の一人として、徳川家康らと共に政権の中枢を担う「五大老」に任じられた 9 。この高い政治的地位は、彼が秀吉から下賜された紋章によっても象徴されている。利家は秀吉から、豊臣家のシンボルである「桐紋」と、皇室に由来する「菊紋」の使用を許されていたのである 10 。これは、彼が豊臣一門に準ずる、別格の待遇を受けていたことを示す動かぬ証拠である。

ここで重要なのは、利家自身の家紋、すなわち前田家の定紋が「加賀梅鉢」であるという事実である 13 。通常、武将が自らのアイデンティティを表明する装束には、自家の家紋を用いるのが常道である。しかし、この陣羽織の前面には、あえて下賜された「菊紋」が配されている。これは単なる装飾の選択ではない。高度に計算された政治的な意思表示と解釈すべきである。すなわち、利家はこの陣羽織をまとうことで、豊臣政権における自らの公式な地位と、主君秀吉への揺るぎない忠誠を公に表明したのである。それは、戦場における武勇(鍾馗)と並ぶ、彼のもう一つの力の源泉、すなわち「政治的地位」の誇示に他ならなかった。

第三章:意匠の解読 ― 菊と鍾馗に込められた祈り

この陣羽織の核心は、その特異な意匠の組み合わせにある。背面の「鍾馗」と前面の「菊」。この二つのシンボルは、それぞれが深い意味を持つだけでなく、その統合によって前田利家という人物の重層的な世界観を浮かび上がらせる。

3-1. 背面の守護神「鍾馗」― 魔除けと勝利への祈願

鍾馗は、中国・唐の時代に生まれた神である。病に伏した玄宗皇帝の夢の中に現れ、病魔の根源である小鬼を退治したという伝説から、疫病除け、魔除けの強力な守護神として信仰されるようになった 15 。この信仰は平安時代には日本に伝来し、特に武家社会で広く受け入れられた 15

戦国時代に入ると、鍾馗の信仰は新たな意味合いを帯びる。その恐ろしい形相による魔除けの効果に加え、その名が「勝機(しょうき)」に通じることから、戦の勝利を呼び込む武運の神としても崇められるようになったのである。徳川四天王の一人、本多忠勝が鍾馗を旗印に用いたことは有名であり、利家もまた、この勝利の神に自らの運命を託した武将の一人であった 15 。戦場で敵味方の視線が最も集中する背中に、この巨大な守護神を掲げることは、敵を心理的に威圧し、味方の士気を鼓舞すると同時に、神の力によって自らの身を災厄から守るという、多重的な効果を狙ったものであった。

3-2. 前面を飾る「菊」― 長寿と高貴なる身分

一方、陣羽織の前面を飾る菊の文様もまた、深い象徴性に満ちている。菊は、古代中国において、菊の花を浸した水を飲むと長寿を保てるという「菊水」の伝説から、不老長寿や延命長寿を象徴する吉祥文様として尊ばれてきた 18 。いつ命を落とすか分からない戦国の世を生きる武将にとって、武運が長く続くことへの願いは、不老長寿の祈りと分かちがたく結びついていた。

さらに重要なのは、菊紋が持つ社会的な意味である。菊は皇室の御紋として用いられる、日本において最も格の高い文様の一つである 18 。時の為政者、特に天皇は、その絶大な権威の象徴として、功績のあった臣下に菊紋や桐紋を下賜する慣習があった。豊臣秀吉もまた、後陽成天皇から菊紋と桐紋を下賜されることで、その支配の正統性を世に示そうとした 22 。そして、その秀吉が、最も信頼する重臣である利家に対して、自らが賜った菊紋の使用を許したのである 11 。したがって、利家が陣羽織に菊紋をまとうことは、単に長寿を願うだけでなく、天下人から認められた最高位の大名であるという自らの身分を、天下に示す行為でもあった。

3-3. 意匠の統合分析 ― 武将の祈りと大名の矜持が織りなす二面性

この陣羽織の意匠は、菊と鍾馗という二つのシンボルの単なる並置ではない。それは、前田利家という人物が持つ「武将」と「大名」という二つの顔、そして彼が生きる「戦場(いくさば)」と「政(まつりごと)」という二つの世界観を、一領の衣服の上で見事に統合した、極めて高度な自己表現の装置なのである。

背面に描かれた鍾馗は、個人の武勇、魔除け、そして勝利への切実な祈願という、戦場における「武」の側面を象徴している。これは外、すなわち敵に向けられた威嚇と守護の表明である。一方で、前面に配された菊は、主君から与えられた栄誉、不老長寿への願い、そして豊臣政権における自らの高い地位という「公」の側面を象徴している。これは内、すなわち味方や同僚の大名たちに向けた、自らのステータスの表明である。

この二つの意匠を、人体の背と表という対照的な位置に配することによって、利家は「私は戦場においては比類なき強さを誇る武人であるが、同時に、天下人から公に認められた由緒正しい大名でもある」という、二重のメッセージを雄弁に発信している。この陣羽織は、戦国乱世を生き抜き、新たな時代の支配階級へと上り詰めた一人の男の、複雑なアイデンティティそのものを可視化した、類稀なる作品と言えるだろう。

第四章:桃山文化の華 ― 陣羽織という自己表現

この特異な陣羽織が生まれた背景には、安土桃山時代という、日本の服飾史上でも特筆すべき、華やかで大胆な文化の潮流があった。ここでは、この陣羽織を桃山文化という大きな文脈の中に位置づける。

4-1. 戦場の晴れ着 ― 陣羽織の機能とモードの変遷

陣羽織は、元来、鎧の上から着用し、雨風や寒さから身を守るという実用的な目的を持っていた。しかし、戦乱が常態化し、武将が戦場で自己をアピールする必要性が高まるにつれて、その役割は大きく変化していく。次第に、武将の個性や権威、財力を誇示するための「表着(うわぎ)」、すなわち戦場のファッションアイテムとしての性格を強めていったのである 24

特に安土桃山時代には、甲冑の上からでも動きやすい袖なしの形態が主流となり、デザインは飛躍的に多様化した 25 。南蛮貿易によってもたらされた羅紗(らしゃ)やビロードといった豪華な輸入生地、鳥の羽毛を貼り付けたもの、異国の文様を取り入れたものなど、斬新な素材と意匠が競うように用いられた 25 。陣羽織は、武将にとって自らの美意識と存在感を示す最大のキャンバスとなったのである。

4-2. 「かぶき者」の美学と大胆な意匠

この時代の美意識を語る上で欠かせないのが、「かぶき者」の存在である。彼らは、旧来の秩序や常識にとらわれず、奇抜で派手な装いや振る舞いを好んだ 30 。その美学は服飾にも色濃く反映され、左右非対称のデザインや、生地が見えなくなるほどに大きく描かれた大胆な文様が流行した。

この風潮は、天下人たちも例外ではなかった。織田信長が用いたと伝わる、黒い鳥の羽で覆い尽くし、背に家紋の揚羽蝶を白く浮かび上がらせた「揚羽蝶紋黒鳥毛陣羽織」 25 。豊臣秀吉が所用した、背中に噴火する富士山を大胆に描いた「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」 33 や、ペルシャ絨毯を仕立て直した異国情緒あふれる「鳥獣文様陣羽織」 34 。これらは、当代随一の権力者たちが、いかに奇抜で豪華な陣羽織を競い合ったかを物語っている。利家の陣羽織が、背中全体を一つの画面として鍾馗を描くという大胆な構図を採用している点は、まさにこの時代の「かぶき」の精神を色濃く体現したものと言える。

4-3. 古格の様式に込めた意志

しかし、ここで改めて注目すべきは、利家の陣羽織が持つ様式の二面性である。意匠こそ時代の最先端をいく大胆なものでありながら、その仕立て自体は「袖のくりが小さく、丈が短い」という、どちらかといえば古風で質実剛健なスタイルを保持している。多くの武将が南蛮渡来の新しいカッティングや素材をこぞって取り入れる中で、なぜ利家はあえて古格の様式を選んだのか。

ここには、彼の洗練された自己演出の戦略が隠されていると考えられる。当時の流行であった南蛮風の派手な様式は、ともすれば「成り上がり者」の軽薄な趣味と見なされる危険性もはらんでいた。利家は、伝統的な武家の「型」に、最新最高の「装飾」を盛り込むという、一見矛盾した組み合わせを選択した。これにより、彼は「流行に安易に流されるだけの男ではない。自分は古き良き武士の伝統と気骨をわきまえた上で、新時代の覇者となったのだ」という、重層的なメッセージを発信したのではないか。それは、新時代の支配者としての革新性と、由緒ある武門としての矜持を両立させようとする、利家の高度なバランス感覚の表れであった。

第五章:制作技術の粋 ― 桃山時代の刺繍と摺箔

この陣羽織の圧倒的な存在感は、その意匠だけでなく、それを物理的に成立させている当代最高の染織技術によって支えられている。ここでは、その制作技術の精緻さに迫る。

5-1. 針仕事に込められた魂 ― 桃山刺繍の技法

背面の鍾馗図は、単なる平面的な描写ではない。その怒りの表情、風になびく衣の立体感、そして前面の菊の花びらの繊細な陰影は、高度な刺繍技術の賜物である。桃山時代の刺繍は、長い針足で文様を渡し縫いし、それを別の糸で留めていく「渡し繍」や、複数の色の糸を撚り合わせて複雑な色調を生み出す「杢糸(もくいと)」の使用など、多彩な技法が特徴である 35 。この陣羽織の鍾馗にも、こうした技法が駆使され、絵画的な表現が追求されていることは間違いない。近年の修復事業の際に行われた調査では、刺繍の裏側に芯として用いられた制作当時の紙が残存していることが確認されており 3 、これは当時の精緻な制作工程を解明する上で、極めて貴重な手がかりとなっている。

5-2. 輝きを写し取る「摺箔」の技

意匠に豪華な輝きを与えているのが、「摺箔(すりはく)」の技術である。これは、文様の形に彫った型紙を生地の上に置き、その上から米糊などの接着剤をヘラで塗り、糊が乾かぬうちに金箔や銀箔を貼り付けて文様を写し取る技法である 36 。刺繍と摺箔を併用する豪華な加飾は「縫箔(ぬいはく)」と呼ばれ、桃山時代から江戸初期にかけての豪華な小袖(いわゆる慶長小袖)を特徴づける、この時代を象徴する技術であった 36 。本陣羽織もまた、この最先端のラグジュアリーな技術を用いて制作された、一級の美術工芸品なのである。

5-3. 芳春院(まつ)制作の伝承 ― 武家の女性と祈り

この陣羽織には、その刺繍が利家の正室であった、おまつの方(後の芳春院)の手によるものという伝承が根強く残っている 1 。この伝承の歴史的な真偽を直接証明することは困難である。しかし、この伝承が存在すること自体が、この陣羽織に新たな意味の層を付け加えている。

もしこの伝承が事実、あるいは人々にそう信じられてきたとすれば、この陣羽織は単なる武具や権威の象徴ではなくなる。「妻が、戦場に赴く夫の武運長久と無事を祈り、一針一針に魂を込めて縫い上げた守り衣」という、極めて個人的で人間的な物語が付与されるからである。これは、利家とまつの夫婦仲が非常に良好であったことを伝える数々の逸話とも符合し、冷徹な政治と戦いの世界に生きた武将の、人間的な側面を温かく照らし出す。また、刺繍が当時の高位の武家の女性にとって必須の教養であったことを示唆すると同時に、彼女たちが夫や家の安寧のために果たした精神的な役割の大きさを物語る、貴重な伝承と言えるだろう。

結章:時代の証言者として未来へ

「刺繍菊鍾馗図陣羽織」は、前田利家という一人の武将の遺品という枠を遥かに超え、安土桃山という時代の証言者として、我々の前に存在する。その意匠と様式には、当時の政治力学、武人の信仰、時代の美意識、そして最高の染織技術が、分かちがたく凝縮されている。

背面の「鍾馗」が示す、個人の武勇と勝利への祈りを込めた「武人」としてのアイデンティティ。そして前面の「菊」が示す、主君から与えられた栄誉と公的な地位を誇る「大名」としてのアイデンティティ。この二重性は、戦国乱世という旧世界をその武力で生き抜き、近世という新世界の支配者へと転身を遂げた武将の、リアリティを雄弁に物語っている。

古格の仕立てに、当代最新の意匠と技術を盛り込むという選択は、伝統と革新の狭間で自らの立ち位置を模索した、利家の洗練された自己認識の表れであった。そして、そこに込められたと伝わる妻・まつの祈りの物語は、この歴史的遺産に血の通った温もりを与えている。

近年の大規模な修復事業は、この類稀なる文化財を物理的に保存するだけでなく、そこに込められた人々の祈りや製作者の技、そして歴史の記憶そのものを、未来へと継承していくという、現代に生きる我々の重要な責務を象徴している。この一領の陣羽織は、これからも桃山という時代の気風を、そして前田利家という人間の息遣いを、静かに、しかし力強く伝え続けていくことだろう。

引用文献

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  3. 前田利家の陣羽織を修理のため解体、薄い和紙と絹で風合い保つ ... https://tsumugu.yomiuri.co.jp/restore/%E3%80%90%E4%BF%AE%E7%90%86%E3%83%AA%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%91%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E5%AE%B6%E9%99%A3%E7%BE%BD%E7%B9%94%E5%8D%94%E8%AD%B0/
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