最終更新日 2025-05-20

赤井直正

赤井直正

日本の戦国時代における武将・赤井直正に関する詳細調査報告

序章: 赤井直正という武将

戦国時代の丹波国は、京に近接し、四方を山々に囲まれた戦略的要衝であった。このような地理的条件下において、赤井直正(あかい なおまさ)という武将は、その勇猛さから「丹波の赤鬼」と恐れられ、丹波国衆の中でも特筆すべき存在感を示した 1 。本報告書は、この赤井直正の生涯と彼が果たした歴史的役割について、現存する史料や研究成果に基づき、その実像に迫ることを目的とする。

赤井直正の名は、特に明智光秀との戦いを通じて広く知られている。しかし、その評価は単なる勇将に留まらず、織田信長の中央集権化に対する地方勢力の抵抗の象徴、あるいは戦国時代における「国衆」と呼ばれる地域領主の生き様を体現する人物としても捉えることができる。丹波という山国特有の閉鎖性と、畿内に隣接するが故の政治的・軍事的緊張感が、彼の生涯に大きな影響を与えたことは想像に難くない。「丹波の赤鬼」という異名には、彼の個人的な武勇だけでなく、当時の丹波が織田信長をはじめとする中央の統一権力にとって、いかに手強い存在であったかという時代背景が投影されていると考えられる。彼の抵抗の激しさと広範な外交戦略は、戦国期の国衆研究においても重要な示唆を与えるものであり、その行動原理と歴史的意義を多角的に分析することが本報告書の課題である。

第一章: 生い立ちと権力基盤の確立

1.1 出自と家系 – 赤井氏と荻野氏

赤井直正は、享禄2年(1529年)に丹波国氷上郡新郷(現在の兵庫県丹波市氷上町新郷)の後屋城(ごやじょう)において、赤井時家(あかい ときいえ)の次男として誕生したと伝えられている 2 。幼名は才丸(さいまる)といった 2 。ただし、史料によっては大永8年(1528年)生まれとする説も存在する 4 。赤井氏は丹波国氷上郡を中心に勢力を有した国衆であった 1

直正はその後、丹波市春日町の朝日城を拠点としていた同族の荻野(おぎの)氏の養子となり、荻野姓を名乗ったとされる 2 。この養子縁組の背景には、単なる家督継承の問題を超えて、当時の丹波国内における豪族間の勢力均衡や、赤井・荻野両氏の連携強化、あるいは赤井氏による荻野氏勢力の実質的な掌握といった戦略的意図があった可能性が指摘される。戦国時代において、養子縁組は同盟関係の構築や勢力拡大の常套手段であった。直正が後に叔父にあたる荻野秋清(おぎの あききよ)を殺害して黒井城を奪取する事実を鑑みれば 1 、この養子縁組が平和的なものではなく、赤井氏による荻野氏への影響力拡大、ひいては実力による支配への布石であったという見方も成り立つ。

史料によれば、直正は赤井姓と荻野姓を状況に応じて使い分けていた可能性も示唆されており 4 、これは戦国武将が自らの立場や交渉相手に応じてアイデンティティを柔軟に使い分ける戦略の一環であったと考えられる。出自や家格が重視された時代にあって、自己の立場を有利にするための現実的な対応であったと言えよう。

1.2 叔父荻野秋清の殺害と黒井城の掌握

天文23年(1554年)正月2日、直正は年賀の席という公的な場で、叔父であり黒井城主であった荻野秋清を刺殺し、その居城である黒井城(現在の丹波市春日町黒井)を奪取した 1 。この事件を契機に、直正は「悪右衛門(あくえもん)」と称するようになったと伝えられている 1

この「悪」という字は、現代的な悪徳を意味するのではなく、むしろ「強い」「勇猛である」といった肯定的な意味合いで用いられたとされる 1 。叔父を殺害して城を乗っ取るという行為は、儒教的道徳観からは非難されるべきものであるが、実力主義が横行した戦国時代においては、そのような手段で勢力を拡大することが武将の力量として評価される側面もあった。この異名が定着し後世に伝えられていることは、直正の行為が当時の人々にとって、彼の並外れた力を示す象徴的な出来事として認識されていたことを物語っている。

荻野秋清殺害の具体的な動機については諸説あるが、直正自身の野心、赤井一族による策略、あるいは秋清に対する家臣団の不満などが複合的に絡み合った結果と考えられる 9 。特に、殺害時に秋清の家臣からの目立った抵抗がなかったとされる点から、秋清の統治に対する内部的な不満が存在し、直正の行動を黙認あるいは支持する空気があった可能性も否定できない 9 。この事件は、単なる個人的な凶行ではなく、丹波国内の勢力図を塗り替えるための周到な計画の一部であり、直正個人の勇猛さに加え、彼を支持する勢力の存在が成功の鍵であったと推察される。黒井城の掌握は、その後の直正の勢力拡大における極めて重要な戦略的拠点を得たことを意味した。

1.3 甥・忠家の後見と赤井一族の統率

弘治3年(1557年)、直正の兄である赤井家清(あかい いえきよ)が、丹波の覇権を争った香良(こうら)合戦での戦傷がもとで死去した 1 。家清の嫡子である忠家(ただいえ)はまだ幼かったため、直正がその後見人となり、赤井一族を実質的に主導する立場となった 1

これにより、直正は自らが城主となった黒井城(荻野氏の拠点)に加え、赤井氏本家の家政にも強い影響力を持つことになり、丹波における赤井・荻野両氏の勢力を実質的に統一的な指導下に置くことに成功した。兄の死と甥の後見という状況は、直正にとって赤井一族内での発言権を決定的に高め、自らの権力基盤を盤石にする好機となったのである。

戦国時代において、必ずしも嫡流が実権を握るわけではなく、有力な親族が後見や補佐を通じて実質的な権力を掌握する事例は数多く見られる。直正の事例もその文脈で理解できるが、史料によれば「下剋上の時代、直正が赤井氏の家督を略奪してもよい状況だが、惣領時家が健在であったため一族の結束に動揺はなかった」ともされており 10 、彼が単に力ずくで権力を奪ったのではなく、一定の秩序や一族内の力関係を考慮しながら、後見という形で実質的な支配権を確立していった側面も窺える。

第二章: 「丹波の赤鬼」 – その武勲と戦略

2.1 丹波国内での勢力拡大 – 香良合戦、内藤宗勝との戦い

黒井城を本拠とした赤井直正は、丹波国内においてその勢力を急速に拡大していった。その過程で重要な戦いがいくつか記録されている。

まず、兄・家清が戦死する要因となった香良合戦である。弘治元年(1555年)、赤井家清は弟の直正らを率い、三好氏方の芦田氏・足立氏連合軍と香良(現在の丹波市氷上町香良)で戦い、これに勝利した 7 。この戦いは激戦であったと伝えられ、赤井氏はこの勝利によって氷上郡をほぼ制圧したとされる 10

さらに特筆すべきは、永禄8年(1565年)における内藤宗勝(ないとう そうしょう)との戦いである 2 。内藤宗勝は松永久秀の弟であり、当時丹波国で随一の実力者と目されていた人物であった 1 。直正はこの内藤宗勝を討ち取り、丹波国における覇権を確立した 1 。この勝利は、直正が単に丹波の一豪族から脱却し、畿内中央の政治勢力とも渡り合える有力な戦国武将へと成長したことを示す画期的な出来事であったと言える。三好三人衆や松永久秀といった畿内の有力者と繋がりを持つ内藤宗勝を破ったことで、直正の武名は丹波国内に留まらず、隣国にも轟くこととなった 1 。これらの戦いを通じて、彼の「丹波の赤鬼」としての武名は確固たるものとなっていったのである。

直正の勢力拡大は、丹波国内の諸豪族間の力関係を再編するだけでなく、隣接する但馬や丹後といった地域への影響力をもたらし、丹波が畿内と山陰を結ぶ戦略的要衝としての性格を強める一因となった。

2.2 但馬への進出と竹田城占拠

丹波国内で確固たる地位を築いた赤井直正の勢力拡大志向は、国内に留まらなかった。元亀2年(1571年)、隣国である但馬国の山名祐豊(やまな すけとよ)の勢力が丹波へ侵攻してきた際、直正はこれを撃退するだけでなく、逆に但馬へ反撃し、山名氏の拠点の一つである竹田城(現在の兵庫県朝来市)を占拠するに至った 3

竹田城は「天空の城」としても知られる堅固な山城であり、これを占拠したことは軍事的・政治的に大きな意義を持った。この行動は、直正が守勢に立つだけでなく、機会があれば積極的に他国へ進出し、勢力圏を広げようとする攻撃的な戦国武将であったことを明確に示している。

しかし、この但馬への進出と竹田城占拠は、新たな火種を生むことになった。敗れた山名祐豊は、当時畿内で勢力を急速に拡大していた織田信長に救援を要請したのである 12 。これが、結果的に天正3年(1575年)の明智光秀による丹波侵攻を招く直接的な引き金の一つとなった 11 。一地方領主の行動が、中央の統一権力の介入を招き、自らの運命を大きく変えてしまうという、戦国時代によく見られた力学がここにも働いたと言える。直正の但馬進出は、短期的には勢力拡大の成功であったかもしれないが、長期的には織田信長という強大な敵を丹波に呼び込む結果となった。

2.3 明智光秀との死闘 – 第一次黒井城の戦い

天正3年(1575年)10月、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波国に侵攻を開始した 12 。当初、丹波国衆の過半は光秀方に付いており、光秀は黒井城の周囲に十数カ所の陣を築き包囲した 12 。戦況は光秀に有利に進み、落城は時間の問題と見られていた 12

しかし、翌天正4年(1576年)1月15日、戦況は一変する。光秀軍に加わっていた丹波国多紀郡八上城(やかみじょう)主の波多野秀治(はたの ひではる)が突如として赤井方に寝返り、明智軍の背後を攻撃したのである 2 。不意を突かれた明智軍は総崩れとなり、光秀自身も命からがら坂本城へ逃げ帰ったと伝えられている 2 。この戦いは、丹波の奥深くに敵を誘い込んで一挙に殲滅する形となったことから、後に「赤井の呼び込み戦法(または赤井の呼び込み軍法)」と称された 3

この波多野秀治の寝返りについては、直正と秀治の間に事前の密約があった可能性が指摘されている 12 。『籾井家日記』には「直正と秀治の間には密約があり予定の行動であった」との記載があるが、その史料的信憑性については議論がある 12 。一方で、赤井氏と波多野氏が姻戚関係にあったという記録もあり 12 、連携の土壌が存在したことは確かである。もしこれが周到に計画された戦略であったとすれば、直正の軍事的才能のみならず、外交・調略能力の高さを示すものとなる。

この第一次黒井城の戦いにおける勝利は、赤井直正の名声を全国的なものとし、「丹波の赤鬼」の異名を不動のものとした 1 。しかし、この輝かしい勝利は、同時に織田信長にとって丹波平定の最大の障害として直正をより強く認識させる結果となり、後のより大規模かつ徹底的な丹波攻略へと繋がる伏線となったのである。

第三章: 織田信長との対立と反信長包囲網

3.1 信長への服属から敵対へ

赤井直正と織田信長の関係は、当初は服属から始まった。永禄13年(1570年)3月、直正の甥である赤井忠家が上洛中の信長に拝謁し服属、信長はこれに対し丹波国氷上郡・天田郡・何鹿郡の奥三郡の所領を安堵した 11 。この時点では、直正も信長の勢力下に入ったと見なせる。

しかし、この服属関係は長続きしなかった。その背景には、いくつかの要因が複雑に絡み合っていた。一つは、前述の通り、直正が但馬国の山名氏と衝突し竹田城を占拠したことである。山名氏が信長に救援を求めたことが、信長による丹波介入の直接的な口実を与えた 2

もう一つの重要な要因は、信長と対立していた室町幕府第15代将軍・足利義昭との関係である。信長によって擁立された義昭であったが、やがて両者の関係は悪化。義昭は各地の有力大名に信長討伐の御内書を発し、反信長包囲網の形成を試みた。直正もこの義昭の呼びかけに応じ、武田勝頼など他の反信長勢力と連携して、信長への敵対行動を取るようになったのである 11

これらの経緯から、直正の信長への初期の服属は、丹波国内での自立性を維持しつつ中央の権威を利用しようとする、戦国時代の国衆によく見られる現実的な対応であったと考えられる。しかし、山名氏との紛争や足利義昭との連携といった、丹波及び周辺地域の覇権を優先する行動が、結果的に信長との全面的な敵対へと繋がっていった。信長との敵対は、直正にとって丹波一国という限定された地域紛争から、畿内全域を巻き込む天下統一戦争の渦中へと身を投じることを意味し、彼の戦略はより広範な反信長勢力との連携を模索する方向へと転換せざるを得なくなった。

3.2 足利義昭、武田勝頼、毛利氏、石山本願寺との連携

織田信長との敵対関係が明確になると、赤井直正は生き残りをかけて、広範な反信長勢力との連携を模索した。そのネットワークは、追放された将軍・足利義昭に始まり、東国の雄・武田勝頼、西国の覇者・毛利輝元、そして宗教勢力である石山本願寺にまで及んだ 11

足利義昭からは助力を求める御内書が届けられ、直正はこれに応じている 12 。甲斐の武田勝頼とは書状の往来があり、跡部勝資や長坂光堅といった武田家の重臣が密使として黒井城を訪れ、東西から信長を挟撃する策が協議されたと伝えられる 11 。この連携は、武田方の史料である『甲陽軍鑑』において直正が高く評価される一因ともなったと考えられる 14

中国地方の毛利輝元・吉川元春・小早川隆景とは、信長打倒のための上洛作戦「三道併進策」の盟約を結んだとされ、毛利氏の外交僧である安国寺恵瓊もしばしば丹波を訪れていたという 11 。さらに、信長と激しく対立していた石山本願寺とも気脈を通じ、本願寺第11世宗主・顕如の家老であり一向一揆の指導者であった下間頼廉との間で、戦況などに関する情報交換が密に行われていたことを示す書状も残されている 11

これらの広範な連携は、赤井直正が単なる丹波の一地方領主ではなく、畿内における反織田戦線において重要な戦略的役割を期待されていたことを示している。丹波という戦略的要衝を押さえる直正は、各反信長勢力にとって魅力的な連携相手であった。これらの連携は、直正にとって織田軍の攻撃を分散させ、自領防衛の時間を稼ぐ効果があった一方で、信長にとっては丹波平定をより一層急務とさせる要因ともなった。直正の巧みな外交活動が、結果的に丹波を天下分け目の戦場の一つへと押し上げたと言えるだろう。

第四章: 最期と黒井城の陥落

4.1 病による死とその影響

反信長勢力の一翼を担い、明智光秀を一度は退けた赤井直正であったが、天正6年(1578年)3月9日(グレゴリオ暦では同年4月8日)、病により50歳でその生涯を閉じた 5 。死因については、首にできる悪性の腫物である「首切り疔(くびきりちょう)」であったという説が有力である 5

直正の死は、赤井氏にとって計り知れない打撃となった。「丹波の赤鬼」と恐れられたカリスマ的指導者を失ったことで、黒井城の防衛力は著しく低下し、赤井軍の士気も大きく揺らいだと考えられる 2 。彼の武勇と統率力に依存していた部分が大きかったため、後継者問題も含め、赤井氏の組織的弱体化は避けられなかった。また、武田氏や毛利氏といった外部勢力との連携においても、中心人物の不在は交渉力の低下や連携の停滞を招いた可能性が高い。

直正の訃報はすぐに京の織田信長のもとへも伝わり、信長と光秀にとって、これは丹波平定を完遂するための決定的な好機となった 11 。もし直正が健在であったならば、丹波平定はさらに長期化し、その後の歴史の展開、例えば本能寺の変の時期や背景にも何らかの影響を与えた可能性も否定できない。

4.2 第二次黒井城の戦いと丹波平定の終焉

赤井直正の死を好機と捉えた明智光秀は、丹波攻略を再開した。天正6年(1578年)3月20日には波多野氏の八上城を包囲し、兵糧攻めを開始した 11 。第一次黒井城の戦いでの手痛い敗北を教訓とし、光秀は慎重かつ周到な戦略を用いた。黒井城を直接攻撃するのではなく、まず周辺の支城を一つずつ攻略し、黒井城を孤立させる作戦をとったのである 3 。さらに、赤井氏と波多野氏という丹波の二大勢力を分断するため、両者の勢力圏の中間地点にあたる郡境に金山城を築城し、兵站線を確保するとともに圧力を加えた 1

直正という強力な指導者を失った赤井軍は、甥の赤井忠家(あるいは直正の子・直義ともされる 11 )を中心に抵抗を続けたものの、次第に追い詰められていった。八上城が天正7年(1579年)6月1日に落城すると 11 、黒井城は完全に孤立した。

そして同年8月9日、明智光秀軍による黒井城への総攻撃が開始され、同日夜、ついに黒井城は落城した 1 。赤井忠家は奮戦の末、自ら城に火を放ち敗走したと伝えられる 12 。これにより、明智光秀による丹波平定は完了し、丹波の戦国史は大きな転換点を迎えた。

黒井城落城後、光秀は黒井城の南麓にある興禅寺(こうぜんじ)に陣屋を設け、重臣の斎藤利三(さいとう としみつ)を城代として黒井城に入れ、氷上郡を中心とする地域の統治にあたらせた 2 。この斎藤利三の娘が、後に徳川三代将軍・家光の乳母となる春日局(かすがのつぼね)である 2

第五章: 赤井直正の人物像と歴史的評価

5.1 「悪右衛門」と「丹波の赤鬼」 – 異名に込められた意味

赤井直正を語る上で欠かせないのが、彼に付けられた二つの異名、「悪右衛門」と「丹波の赤鬼」である。これらの異名は、彼の人物像を強烈に印象付けるとともに、当時の人々が彼をどのように捉えていたかを窺い知る手がかりとなる。

「悪右衛門」という通称は、主に叔父である荻野秋清を宴席で刺殺し、黒井城を乗っ取った事件がきっかけで名乗るようになった、あるいは呼ばれるようになったとされる 1 。前述の通り、この「悪」は単に「悪い行い」を指すのではなく、むしろ「強い」「勇猛果敢である」「並外れた力を持つ」といった意味合いで用いられたと考えられている 1 。戦国時代という実力主義の世においては、旧来の秩序や道徳観念を打ち破るような規格外の力を持つ者に対する畏怖の念が、この「悪」という言葉に込められていたのであろう。直正の行動は、当時の人々にとって常識破りでありながらも、その強烈な個性と力が認められていた証左と言える。

一方、「丹波の赤鬼」という異名は、直正の武勇と、彼が率いた軍団の強さを象徴するものである 1 。この「赤鬼」の由来についてはいくつかの説がある。一つは、直正自身が赤色の陣羽織を好んで着用し、鬼神のごとく敵陣に突撃したことに由来するという説である 4 。また、彼の一族である「赤井」氏の姓と結びつけて、赤井氏の軍勢が赤色を基調とした武具や旗指物を用いていた可能性も指摘されている 12 。もし赤井軍が赤で統一された軍装であったならば、戦場で非常に目立ち、敵に視覚的な威圧感を与え、味方の士気を高める効果があったと考えられる。これは、武田信玄の「赤備え」や井伊直政の「赤備え」などと同様の、色彩を用いた心理戦術の一環であったかもしれない。いずれにせよ、「丹波の赤鬼」という呼称は、直正が敵対する者たちにとってどれほど恐ろしい存在であったかを物語っている。

これらの異名は、直正が単なる地方の小領主ではなく、その武勇と戦略によって丹波国に覇を唱え、織田信長のような中央の巨大権力をも手こずらせた、戦国時代を象徴する破天荒な武将であったことを示している。

5.2 『甲陽軍鑑』における評価と後世の顕彰

赤井直正の武名は、丹波国内に留まらず、遠く離れた甲斐国にまで届いていた。武田氏の軍学書として知られる『甲陽軍鑑』には、「名高き武士(大将衆)」の一人として、「丹波ノ赤井悪右衛門」の名が記されている 2 。注目すべきは、徳川家康や長宗我部元親、松永久秀といった錚々たる戦国武将たちと並び称されるだけでなく、その中でも筆頭として挙げられている点である 15

『甲陽軍鑑』は江戸時代初期に成立したとされる書物であり、その史料的価値については議論があるものの、当時の武士たちの間で語られていた武将観や評価を反映していると考えられる。直正がこれほど高く評価された背景には、彼が実際に武田勝頼と書状を交わし、反信長勢力として連携していた事実がある 11 。武田氏にとって、西国で信長に抵抗する直正の存在は戦略的に重要であり、その武勇や明智光秀を破った戦功は、外交ルートや風聞を通じて詳細に伝わっていたのであろう。この記述は、直正が同時代の大名たちからも一目置かれる存在であったことを示唆している。

赤井直正の武勇と遺徳は、現代においても地元丹波市で語り継がれている。毎年秋には、黒井城跡を舞台に「黒井城まつり」が開催され、多くの人々で賑わう 1 。これは、直正が単なる歴史上の人物としてではなく、地域の英雄、郷土の誇りとして現代に生き続けている証である。彼の抵抗の記憶は、地域アイデンティティの形成に寄与し、歴史観光の資源としても活用されている。

5.3 赤井氏のその後 – 子孫たちの足跡

「丹波の赤鬼」と恐れられた赤井直正の死と黒井城の落城により、丹波における赤井氏の戦国大名としての歴史は終焉を迎えた。しかし、赤井氏一族が完全に歴史の舞台から姿を消したわけではない。

直正の甥で、家督を継いだ赤井忠家の子孫は、江戸時代に入ると徳川幕府の旗本として存続した 5 。これは、戦国時代の敗者が必ずしも断絶するのではなく、新たな支配体制の中で武家としての家名を保ち続ける道があったことを示している。

一方、赤井直正自身の血筋も受け継がれた。直正の次男である赤井直義(なおよし、荻野直義とも)は、黒井城落城後、しばらく京都に隠棲していたが、慶長15年(1610年)に伊勢国津藩主・藤堂高虎に1,000石で召し抱えられた 5 。直義は父と同じく「悪右衛門」を称し、大坂の陣にも参陣して武功を挙げたとされる 19 。その子孫は代々藤堂藩の重臣として仕えた 3 。伊賀上野(現在の三重県伊賀市)には、この藤堂藩士赤井家が居住した武家屋敷「赤井家住宅」が現存しており、国の登録有形文化財に指定されている 18 。これは、かつての「丹波の赤鬼」の血脈が近世を通じて受け継がれたことを示す貴重な物的証拠であり、歴史の連続性を感じさせる。

また、直正の末弟である赤井時直の子孫も徳川家康に仕え、旗本として続いた 5 。さらに興味深いことに、元プロボクサーでタレントの赤井英和氏は、直正の弟である赤井幸家(ゆきいえ)の末裔であるとされている 5

これらの事実は、戦国末期から江戸初期にかけての武士の流動性と、主家滅亡後の再仕官の現実を反映している。赤井氏は丹波での支配権を失ったが、一族はそれぞれの道を歩み、武家としての命脈を保ったのである。

終章: 戦国武将赤井直正の遺したもの

赤井直正の生涯は、戦国乱世という激動の時代を、丹波という地を舞台に駆け抜けた一人の武将の鮮烈な記録である。彼の名は「丹波の赤鬼」として、その武勇とともに記憶されている。叔父を討ち、黒井城を掌握して勢力を拡大し、織田信長という巨大な中央権力に果敢に立ち向かったその姿は、地方勢力の気概と戦国武将の多様な生き様を象徴している。

直正の行動は、単なる個人の野心や武勇の発露に留まらない。彼は、将軍足利義昭を奉じ、武田勝頼、毛利輝元、石山本願寺といった広範な勢力と連携し、反信長包囲網の一翼を担った。これは、彼が丹波という地域に留まらず、天下の情勢を見据えた戦略的思考を持っていたことを示唆する。彼の抵抗は最終的に敗北に終わったが、その過程で示した戦略性や、明智光秀率いる織田軍を一度は破った戦功は、彼の武将としての卓越した能力を証明している。

「丹波の赤鬼」として記憶される理由は、彼の圧倒的な武勇と、敵対する者にとっては文字通り鬼のような恐ろしさであったろう。しかし、それだけではなく、中央の大きな力に屈することなく、自らの信じる道(あるいは一族の存続という実利)のために戦い抜いたその姿勢が、後世の人々に強い印象を与えたからではないだろうか。

彼の戦いが戦国時代の権力構造の変化に与えた影響は、丹波一国の運命を変えたに留まらない。彼の抵抗は、織田信長による天下統一事業の過程における一つの大きな障害であり、その平定に信長が多大な労力を費やしたことは、結果として他の戦線や戦略にも影響を与えた可能性がある。

現代において、赤井直正の物語は、私たちにいくつかの普遍的なテーマを投げかける。それは、強大な権力に対する地方の抵抗の意義であり、また、時代の大きな変革期における個人の選択と運命である。彼の生涯は、中央集権化の過程で失われていった地方の独自性や多様性の価値を再考させる。彼の抵抗は、均一的な支配に対する地域勢力の矜持の現れとして捉えることができ、現代社会における地域文化の保存や多様性の尊重といった課題にも通じるものがある。

赤井直正は、勝者として歴史に名を刻んだわけではないかもしれない。しかし、その勇猛果敢な生き様と、故郷丹波を背負って戦った姿は、敗れてなお記憶されるべき戦国武将の一人として、今後も語り継がれていくであろう。

付録

赤井直正関連年表

西暦

和暦

年齢

主要な出来事

典拠例

1529年

享禄2年

1歳

丹波国氷上郡新郷・後屋城にて赤井時家の次男として誕生(才丸)。(大永8年(1528年)説もあり)

2

(不明)

(不明)

春日町朝日の朝日城を拠点とする荻野氏の養子となり、荻野姓を名乗る。

2

1554年

天文23年

26歳

1月2日、叔父の黒井城主・荻野秋清を年賀の席で刺殺し、黒井城を奪取。「悪右衛門」と称す。

1

1557年

弘治3年

29歳

兄・赤井家清が香良合戦の傷がもとで死去。甥の赤井忠家(幼少)の後見人となり、赤井一族を実質的に主導。黒井城の大改修に着手。

1

1565年

永禄8年

37歳

8月2日、丹波守護代・内藤宗勝(松永久秀の弟)を攻め、討ち取る。丹波国における覇権を確立。

1

1568年

永禄11年

40歳

多紀郡を除く丹波地域を支配する。

11

1570年

元亀元年

42歳

3月、織田信長に服属し、丹波奥三郡(氷上郡・天田郡・何鹿郡)の所領を安堵される。

3

1571年

元亀2年

43歳

11月、但馬の山名祐豊勢の侵攻を撃退。反撃して竹田城を占拠。

3

天正年間初期

天正年間初期

足利義昭の要請に応じ、武田勝頼、毛利輝元、石山本願寺など反信長勢力と連携。

11

1575年

天正3年

47歳

10月、明智光秀による第一次丹波侵攻(黒井城の戦い)開始。

1

1576年

天正4年

48歳

1月15日、波多野秀治の寝返りにより明智光秀軍を撃退(赤井の呼び込み戦法)。

2

1578年

天正6年

50歳

3月9日(または4月8日)、病死(首切り疔説あり)。

1

1579年

天正7年

8月9日、第二次黒井城の戦いで黒井城落城。明智光秀により丹波平定。

1

(没後)

(没後)

子の赤井(荻野)直義は藤堂高虎に仕え、子孫は藤堂藩重臣となる。甥の赤井忠家の子孫は徳川旗本となる。

5

参考文献一覧

  • 古文書・編纂史料など
  • 『甲陽軍鑑』
  • 『信長公記』
  • 『兼見卿記』
  • 『多聞院日記』
  • 『赤井先祖細記』(言及はあるが直接参照は限定的)
  • 『籾井家日記』(言及はあるが直接参照は限定的)
  • 『吉川家文書』(言及はあるが直接参照は限定的)
  • 『寛政重修諸家譜』
  • 『公室年譜略』(藤堂藩関連史料として言及)
  • 研究書・論文・解説書
  • 芦田確次; 青木俊夫; 村上完二; 船越昌『丹波戦国史』歴史図書社、1973年。 5
  • 金子拓『信長家臣明智光秀』平凡社〈平凡社新書〉、2019年。 5
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  • 関西大学文学部歴史学研究室「戦国期における丹波の豪族・赤井氏の盛衰 ―荻野直正を中心にして―」『史泉』 7 (具体的な号数や発行年は調査資料からは特定できず)
  • 丹波の森協会発行資料(複数、例:『戦国の世と丹波』 26 , 『戦国の世と丹波Ⅱ』 27 , 『戦国の世と丹波Ⅲ』 28 , 『丹波の森 平成20年度年報』 29 など)
  • 丹波市教育委員会・春日町発行資料(パンフレット、図書など。例:国史跡黒井城跡パンフレット 11 , 『春日の文化財』 31 , 『黒井城と春日局』 18
  • ウェブサイト
  • 丹波市観光協会 (tambacity-kankou.jp) 1
  • 丹波市 (city.tamba.lg.jp) 11
  • ぶらり丹波路 (burari-tambaji.com) 46
  • 丹波新聞 (tanba.jp) 2
  • Wikipedia (ja.wikipedia.org) 5
  • note (note.com) 4
  • その他、本報告書作成過程で参照した各ウェブサイト 3

(注:上記参考文献一覧は、提供された調査資料の断片IDと、それらが示唆する情報源に基づき作成したものです。実際の報告書作成にあたっては、各史料・文献の正確な書誌情報を確認し、適切な形式で記載する必要があります。)

引用文献

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  143. 武士神格化一覧・稿 : 下・西日本編 - kyushu https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1551331/48_pa001.pdf
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