直江兼続
~兜の前立「愛」は義の象徴~
直江兼続の兜に掲げられた「愛」の文字の由来を、軍神信仰、密教、仁愛の三つの学説から徹底考察。戦国時代の精神性から現代までの意味の変遷を辿る。
直江兼続の兜、前立て「愛」の字に込められた義の象徴 ― その源流と意味の変遷に関する徹底考察
序章:戦場のシンボル、兜に込められた「愛」
戦国乱世の戦場において、武将の兜は単なる防具ではなかった。それは、自らの存在を誇示し、威厳を示し、時には敵を威嚇するための重要な装置であった 1 。群雄が割拠し、絶え間ない戦に明け暮れた時代、武将たちは兜の立物(たてもの)に己の思想や信条、そして神仏への祈りを込めたのである 2 。その中でも、上杉家の家老・直江兼続(なおえかねつぐ)が用いたとされる兜の前立てに掲げられた「愛」の一文字は、その斬新さと、戦場にはおよそ似つかわしくないとも思える言葉の選択により、ひときわ異彩を放ち、後世の人々の心を捉えて離さない 4 。
この「愛」の文字が何を意味するのか。現代人が直感的に抱く「LOVE」や「慈愛」といった概念とは異質なものであることは想像に難くない 7 。しかし、兼続自身がその由来を記した同時代の一次史料は、残念ながら今日まで発見されていない 7 。この史料の不在こそが、後世に多様な解釈を生む豊かな土壌となった。それは単なる歴史上の謎に留まらず、時代時代の価値観を映し出す鏡として、様々な物語をまとっていくことになる。
本報告書は、この謎多きシンボル「愛」を、現存する甲冑の物理的分析から始め、それが生まれた安土桃山時代の精神的背景、有力とされる諸説の徹底的な比較検証、そして江戸時代から現代に至るまでの解釈の変遷を時系列で追うことで、多角的かつ徹底的に解明することを目的とする。一つの文字に秘められた、武将の祈りと後世の理想を巡る歴史の旅路を、ここに詳述する。
第一章:現存する「愛」の甲冑 ― 金小札浅葱糸威二枚胴具足
直江兼続の精神性を探る上で、その象徴である「愛」の前立てを物理的に理解することは不可欠である。彼が所用したと伝わる甲冑は、単なる武具ではなく、安土桃山文化の粋を集めた美術工芸品としての側面も色濃く持っている。
1.1 現物の所在と概要
兼続所用と伝わる甲冑は、現在、山形県米沢市の上杉神社に併設された宝物館「稽照殿(けいしょうでん)」に、上杉家伝来の数々の宝物と共に大切に所蔵・展示されている 10 。上杉謙信や上杉景勝の甲冑と並び、稽照殿を代表する収蔵品の一つであり、その歴史的価値は極めて高い 11 。
1.2 甲冑の構造分析
この甲冑の正式名称は「金小札浅葱糸威二枚胴具足(きんこざねあさぎいとおどしにまいどうぐそく)」という 4 。この名は、甲冑の材質や製法、形式を正確に示している。
- 金小札(きんこざね) : 甲冑を構成する基本的な部材である「小札」に、金箔を押したものを使用していることを意味する 19 。小札とは、小さな長方形の鉄や革の板であり、これを無数に綴じ合わせることで身体を覆う防御面を形成する。金箔を用いるのは非常に贅沢であり、着用者の高い身分と財力を物語っている 19 。
- 浅葱糸威(あさぎいとおどし) : 小札を綴じ合わせるための組紐(威糸)が、浅葱色(あさぎいろ)、すなわち薄い藍色であることを示している 19 。金色に輝く小札と、鮮やかな浅葱色の威糸が織りなす色彩の対比は、見る者に強い印象を与え、安土桃山時代特有の豪華絢爛たる美意識を反映している。
- 二枚胴(にまいどう) : 胴の部分が、胸側と背側の二つのパーツで構成されている形式を指す 19 。これは、戦国時代後期に主流となった「当世具足(とうせいぐそく)」の典型的なスタイルであり、それ以前の大鎧に比べて軽量で動きやすく、実戦的な改良が加えられたものである 20 。
この甲冑は、単なる実用的な防具の域を超え、上杉家の筆頭家老という兼続の絶大な権力と、豊臣秀吉から直接所領を与えられるほど高く評価された人物の威光を体現する、極めて高価な工芸品であった。したがって、「愛」の前立ては、質素な信念の表明というよりは、むしろこの豪華な甲冑の一部として、見る者を圧倒する視覚的効果を計算された、力強い自己主張であったと理解すべきである。
1.3 兜と「愛」の前立ての詳細
甲冑の中でも特に目を引くのが、兜とその前立てである。
- 兜本体 : 兜の鉢(頭部を覆う部分)は、「錆地塗六十二間筋兜(さびじぬりろくじゅうにけんすじかぶと)」と呼ばれる形式である 21 。これは、62枚の鉄板を縦に矧(は)ぎ合わせて鉢を形成したもので、その筋が美しい曲線を描く。非常に手間のかかる製法であり、堅牢性と格式の高さを兼ね備えている。
- 前立て : そして、この兜の象徴である前立ては、「愛字に端雲の立物(あいじにたんぐものたてもの)」と称される 21 。これは、単に「愛」の文字が掲げられているだけでなく、その文字の下部に瑞雲(ずいうん)、すなわち、めでたいことの兆しとされる雲をかたどった装飾が施されていることを意味する。この「雲」の意匠は極めて重要である。仏教美術において、雲は仏や菩薩、神聖な存在が登場する際の乗り物や背景として描かれることが多い。このことから、雲の上に文字を乗せるというデザインは、その文字が単なる意匠ではなく、神仏の名を省略して掲げるものであることを強く示唆しているのである 22 。
1.4 時代の文脈 ― 変わり兜の流行
兼続の「愛」の兜は、室町時代末期から江戸時代初期にかけて、特に安土桃山時代に最盛期を迎えた「変わり兜」の流行の中に位置づけられる 23 。この時代、武将たちは戦場で自らの存在を際立たせるため、従来の兜の形式にとらわれず、動植物や器物、自然現象など、森羅万象をモチーフにした奇抜で独創的なデザインの兜を競って制作した 2 。伊達政宗の三日月、黒田長政の一の谷、本多忠勝の鹿角などがその代表例である。兼続の「愛」の文字をそのまま前立てにするという大胆な発想もまた、この時代の「個」を強く主張する気風が生み出したものと言えるだろう。
第二章:戦国の精神世界 ― なぜ武将は兜に思想を刻んだのか
直江兼続がなぜ「愛」という一文字を兜に掲げたのかを理解するためには、まず戦国時代の武将たちが兜の装飾、特に立物にどのような意味を込めていたのか、その精神的背景を探る必要がある。
2.1 立物(たてもの)の機能と意味
大集団による合戦が常態化した戦国時代において、兜の立物(前立て、脇立、後立など)は、複数の重要な機能を持っていた。第一に、敵味方が入り乱れる戦場で、自軍の兵士が総大将や部隊長の位置を瞬時に識別するための目印であった 26 。第二に、敵に対して自らの存在と武威を誇示し、威嚇する効果があった 2 。そして第三に、それは単なる機能的な装置に留まらず、着用者の思想、信条、あるいは神仏への深い祈りを込めた、精神的なメディアとしての役割を果たしていた 3 。いつ命を落とすかわからない戦場において、甲冑は最後の死装束ともなりうる。だからこそ武将たちは、悔いを残さぬよう、自らのアイデンティティの全てを兜に託したのである 2 。
2.2 上杉家の伝統 ― 信仰の可視化
兼続の「愛」の前立ては、彼の個人的な発想であると同時に、上杉家に流れる「信仰を可視化する」という伝統の延長線上にあると考えることができる。
- 上杉謙信の「毘」 : 兼続が幼少期より薫陶を受けた主君の父、上杉謙信は、自らを軍神・毘沙門天(びしゃもんてん)の化身と固く信じていた。その信仰の表明として、彼は「毘」の一文字を染め抜いた旗印を掲げて戦場を駆けた 7 。これは、単なる神への祈願を超え、神との一体化を宣言する行為であり、上杉軍の士気を絶大に高める精神的支柱であった。
- 上杉景勝の兜 : 兼続が生涯をかけて仕えた主君・上杉景勝もまた、信仰を兜に託した武将であった。彼が所用したと伝わる兜には、太陽をかたどった大きな日輪の前立てや、「摩利支尊天」「日天大勝金剛」「毘沙門天王」といった複数の神仏の名が並べて記されたものがある 12 。これは、あらゆる神仏からの加護を得て戦に勝利しようとする、景勝の切実な願いの表れであった。
このように、上杉家には、主君自らが神仏との繋がりを旗や兜といった形で明確に示し、それを軍団の力の源泉とする文化が根付いていた。
2.3 上杉家臣としての表明
この文脈の中に兼続の「愛」を置くと、その意味はより深く、多層的なものとして浮かび上がってくる。それは単なる個人的な信仰の表明に留まらない。主君たちが示した「信仰の可視化」という伝統を、筆頭家老である兼続が踏襲することは、自身が上杉家の精神的正統性を正しく理解し、継承する者であることを内外に示す、高度に計算された政治的メッセージでもあった。
特に、一文字を大きく掲げるという手法は、偉大な上杉謙信の「毘」の旗印を強く彷彿とさせる。これは、景勝の忠実な家臣であると同時に、「軍神」謙信公の遺志を継ぐ者であるという、兼続の強烈な自負の表れと解釈できる。したがって、彼が「愛」の兜をまとって戦場に立つことは、「私は主君・景勝公を支え、上杉家の精神的支柱となる者である」と、味方には結束を、敵には上杉家の強固な一枚岩の体制を見せつける、力強い宣言となったのである 22 。
第三章:「愛」の源流を探る ― 三つの主要学説の徹底検証
直江兼続が兜の前立てに「愛」の文字を選んだ具体的な理由を示す一次史料が存在しないため、その由来は、当時の時代背景や武将の価値観、上杉家の信仰といった状況証拠からの推論に頼らざるを得ない。長年の研究と議論を経て、現在では大きく三つの説が提唱されている 3 。
3.1 軍神への帰依:「愛宕権現(あたごごんげん)」説
これは、軍神として名高い愛宕大権現の頭文字「愛」を採ったとする説であり、現在、最も有力視されている 27 。
- 内容と論拠 : 愛宕権現は京都の愛宕山に祀られる神仏習合の神であり、火伏せの神であると同時に、「勝軍地蔵」を本地仏とすることから強力な軍神として、戦国時代の武将たちに極めて広く信仰されていた 27 。武田信玄や伊達政宗といった名だたる武将たちも、自領内の愛宕神社を庇護し、戦勝を祈願していた記録が残っている 29 。重要なのは、兼続の主君である上杉謙信・景勝もまた、この愛宕権現を篤く信仰していたことである 18 。主君と同じ神仏に帰依し、その加護を願うのは、家臣として極めて自然な行動であり、当時の武将の一般的な宗教観とも完全に合致する。この高い整合性から、多くの研究者がこの説を支持している 22 。
3.2 密教の護符:「愛染明王(あいぜんみょうおう)」説
これは、密教における明王の一尊である愛染明王の頭文字「愛」を採ったとする説で、愛宕権現説に次いで有力な説とされている 4 。
- 内容と論拠 : 愛染明王は、全身が赤く、三つの目を持ち、六本の腕に弓矢などの武具を持つ忿怒相の姿から、軍神として信仰される側面があった 29 。上杉謙信が毘沙門天を守護仏としたように、兼続もまた特定の守護仏として愛染明王を選んだのではないか、という推論である 27 。新潟県小千谷市の妙高寺には、兼続が崇敬したと伝わる鎌倉時代作の愛染明王坐像が現存しており、この説を裏付ける伝承として注目される 7 。
- 当時の「愛」の概念 : ただし、この説を考える上で注意すべきは、愛染明王の「愛」が、現代的な「LOVE」とは全く異なる概念である点だ。これはサンスクリット語の「ラーガ(rāga)」の訳語であり、元々は「執着」や「激しい愛欲」といった人間の煩悩を指す言葉である 32 。愛染明王は、その断ちがたい煩悩の力そのものを、悟りを求める力(菩提心)へと昇華させる功徳を持つとされる 33 。したがって、兼続がこの「愛」を掲げたのだとすれば、それは人間的な情愛ではなく、むしろ激しい情念や執着をも戦のエネルギーに変えるという、密教的な世界観の表明であった可能性がある。
3.3 後世の理想像:「愛民/仁愛(あいみん/じんあい)」説
これは、民を愛し、慈しむ「仁愛」の精神、あるいは「愛民」の政治的決意を表明したものであるとする説である 4 。
- 内容と論拠 : この説の背景には、兼続の師ともいえる上杉謙信が「義」を重んじ、民を慈しむことを説いたとされ、兼続はその教えを忠実に受け継いだという考え方がある 4 。事実、兼続は関ヶ原の戦いで上杉家が米沢30万石に大減封された際、家臣を一人も解雇せず、新田開発や治水事業に尽力して藩政の礎を築いた名宰相であった 21 。この説は、特に上杉家が移封された米沢の地で、彼の善政を讃える領民たちの間で古くから言い伝えとして語り継がれてきたものである 22 。
- 学術的評価 : 兼続の優れた為政者としての人柄と合致するため、心情的には最も魅力的で、広く一般に受け入れられている説である。しかし、学術的な観点からは、時代錯誤である可能性が指摘されている。命のやり取りをする戦場で、神仏の加護よりも民政の理念を兜に掲げるのは不自然ではないか、という見方が強い 7 。また、日本語の「愛」という言葉が、現代で使われるような博愛的な意味合いで広く一般化したのは明治時代以降のことであり、戦国時代の用法とは異なると考えられている 8 。
項目 |
愛宕権現説 |
愛染明王説 |
愛民/仁愛説 |
「愛」の解釈 |
軍神「愛宕権現」の頭文字 |
密教の仏「愛染明王」の頭文字 |
領民を愛する「仁愛」「愛民」の精神 |
時代的背景 |
戦国武将に広く信仰された軍神崇拝 |
密教系の武将に見られる守護仏信仰 |
江戸時代以降の儒教的道徳観の反映 |
主な論拠 |
上杉謙信・景勝も信仰。有力武将の通例。 |
謙信の「毘」(毘沙門天)との類似性。新潟の伝承。 |
兼続の善政。謙信の「義」の精神。米沢の口伝。 |
蓋然性 |
最も高いとされる(当時の動機として) |
可能性は十分にある(当時の動機として) |
時代錯誤の可能性が高い(後世の解釈として成立) |
これらの説を比較検討すると、一つの重要な視点が浮かび上がる。「愛宕権現説」と「愛染明王説」は、兜が制作された当時に兼続が抱いていたであろう**行動原理(なぜそれを選んだか) を説明しようとするものである。一方で、「愛民説」は、兼続の死後、彼がどのように記憶され、評価されていったかという 後世の受容(なぜそう記憶されたか)**を説明するものである。これらは必ずしも対立するものではなく、異なる時間軸における歴史的真実の層をなしていると考えるべきである。「愛民説」の誕生と流布は、兼続の死後に始まった「英雄・直江兼続」の創造プロセスそのものを物語る貴重な史料なのである。
第四章:時系列で読み解く「愛」の兜の誕生と変遷
史実と学術的推論に基づき、各時代の情景を物語的に再構築することで、「愛」の兜が辿った意味の変遷をリアルタイムに追体験する。
第一幕:発注(天正〜文禄年間、1580年代〜1590年代)
状況 : 主君・上杉景勝は、謙信急死後の家督争い「御館の乱」を制したものの、その後の柴田勝家ら織田軍の侵攻や新発田重家の反乱など、内外に多くの敵を抱え、上杉家は存亡の危機にあった。若き執政として景勝を支える直江兼続は、上杉家の武威を内外に示す新たな象徴を求めていた。豊臣政権下で大名家の序列が定まっていく中、家臣といえどもその存在感を示すことが極めて重要であった。
情景描写 : 京、あるいは越後の城下町。名高い甲冑師(例えば明珍派や春田派の流れをくむ職人 36 )の工房に、兼続は側近を伴い訪れる。目の前には、制作途中の様々な兜や具足が並んでいる。
甲冑師が恭しく頭を下げると、兼続は静かに口を開いた。「此度、我が具足を一領、新調致したく参った。我が主君・景勝様は日輪を掲げられ、今は亡き謙信公は『毘』の御旗を掲げられた。私もまた、上杉家の武威と、神仏の加護を示すための象徴が欲しい」。
甲冑師は、龍や獅子、あるいは幾何学的な文様など、様々な意匠の絵図を広げて見せる。しかし、兼続はそれらには目もくれず、一つの文字を告げた。「前立てには、『愛』の一字を。我らが尊崇する愛宕大権現の『愛』じゃ。金色に輝かせ、瑞雲の上に据えよ。戦場で誰もが見紛うことなき、我が印となるように」。
その言葉に、甲冑師は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにその意図を悟り、深く頷いた。それは、単なる装飾ではない。主君と同じ神に帰依し、上杉家の勝利を祈願する、家臣としての忠義と覚悟の表明であった。
第二幕:実戦(慶長五年、1600年、慶長出羽合戦)
状況 : 豊臣秀吉の死後、天下の実権を握ろうとする徳川家康に対し、兼続は挑発的ともいえる「直江状」を送りつけ、両者は決定的に対立。家康率いる東軍が会津征伐に向かう中、関ヶ原で石田三成が挙兵。家康が西へ転進した隙に、上杉軍は東の最上義光・伊達政宗連合軍と激戦を繰り広げた。しかし、関ヶ原での西軍敗北の報が届き、上杉軍は敵中に孤立。最上領の長谷堂城から撤退するという、絶体絶命の窮地に陥った。
情景描写 : 兼続は自ら殿(しんがり)を務め、最後尾で追撃する最上軍を食い止める。降りしきる鉄砲の弾丸と矢の中、丘の上に翻る兼続の旗印と、金色に輝く「愛」の前立ては、混乱し、崩れかけそうになる味方の兵たちにとって、希望の灯台となった。「山城守様(兼続)が我らと共におられるぞ!」。その姿は兵士たちを鼓舞し、統制された見事な撤退戦を可能にした。
一方、追撃する最上軍の兵士たちは、その異様な兜に恐怖を覚えた。「あれが直江山城守か。神仏の名を掲げ、死をも恐れぬと聞く」。その見事な指揮ぶりは、敵将である最上義光をも感嘆させ、後にこの話を聞いた徳川家康からも賞賛されたと伝わる 35 。この時、「愛」の兜は、兼続の卓越した武勇と統率力の象徴として、戦場の記憶に鮮烈に刻まれたのである。
第三幕:意味の変容(江戸時代)
状況 : 戦乱の世は終わり、徳川の治世下で平和な時代が訪れた。米沢30万石に減封された上杉家は、兼続の優れた行政手腕によって財政を立て直し、藩政の基礎を固めた。武士の価値観も、戦場での武功から、儒教的な道徳や主君への忠義、領民を治める為政者としての能力へと、その重心を移していく。
情景描写 : 江戸の講釈場。多くの町人たちが、講釈師の語る戦国の英雄譚に耳を傾けている。伊達政宗との機知に富んだやり取り 37 や、無礼を働いた下人の命を巡る非情とも思える裁き 38 など、兼続の知将ぶりや人間味あふれる物語が人気を博していた。
一人の聴衆が手を挙げ、尋ねる。「先生、かねがね不思議に思っておりやした。なぜ、あの直江様は、戦場に『愛』などという文字を掲げられたんでございましょうか?」。
講釈師は待ってましたとばかりに張り扇をパンと打ち付け、朗々と答える。「良い問いでござる!それこそが、兼続公の偉大さの証。戦の神にすがるは他の武将と同じ。されど兼続公の『愛』は、それだけではござらぬ。それは、領地の民を我が子のように慈しむ『仁愛』の心!民を愛し、国を思う、その大いなる心の表れだったのでございます!」。
満場の聴衆から「おおっ」というどよめきと拍手が起こる。こうして、戦場で武勇の象徴であった「愛」の兜は、平和な時代の価値観の中で、仁政のシンボルへとその意味を塗り替えられていった。
第四幕:英雄の誕生(明治〜現代)
状況 : 明治維新を経て、国民国家が形成される中で、歴史上の人物が新たな価値観のもとで再評価される。明治・大正期には、立川文庫に代表される大衆向けの英雄伝が少年たちの心を掴み、歴史上の偉人が国民的英雄として語られるようになった。そしてテレビ時代を迎え、大河ドラマが国民の歴史観を形成する巨大なメディアとして登場する。
情景描写 : 2009年、NHK大河ドラマ「天地人」の放送が始まる 40 。妻夫木聡演じる主人公・直江兼続は、「利」ではなく「義」に生き、「愛」を掲げた理想の武将として描かれた。ドラマの中で、彼の兜の「愛」は、民を思う「仁愛」の精神の象徴として、疑いようもなく決定的に描かれた。
放送後、米沢市には全国から多くの観光客が押し寄せ、上杉神社の稽照殿に展示された「愛」の甲冑の前には、長い行列ができた 12 。グッズが作られ、マスコットキャラクター「かねたん」が誕生し 41 、「愛」の兜は、歴史に詳しくない人々にも知られる国民的なアイコンとなった。学術的な蓋然性とは別に、「義と愛の武将」という分かりやすく、現代人の共感を呼ぶイメージが、現代における直江兼続のパブリックイメージとして、確固として確立された瞬間であった。
結論:一つの文字、多層的な意味 ― 直江兼続の「愛」が現代に問いかけるもの
直江兼続の兜に掲げられた「愛」の一文字。その由来を、兼続自身の言葉で特定する同時代の一次史料は、今日に至るまで存在しない。この一点こそが、全ての議論の出発点であり、また結論でもある。史料の沈黙は、後世の人々に豊かな解釈の余地を与え、このシンボルを時代と共に変容させてきた。
本報告書で検証した通り、兜が制作された安土桃山時代という文脈において、最も確からしい当初の意味は、「愛宕権現」に代表される軍神への帰依と、戦場での加護を祈る切実な願いであっただろう。それは、主君・上杉景勝への忠誠と、上杉謙信から続く「信仰の可視化」という家の伝統を継承する、戦国武将としてのリアルな精神性の発露であった。
しかし、そのシンボルは兼続の死後、新たな物語を紡ぎ始める。江戸の泰平の世において、彼の優れた治績と結びつき、武勇の記憶は仁政の記憶へと上書きされ、「愛」は民を慈しむ「愛民」の精神を意味するようになった。これは、米沢藩のアイデンティティを形成し、名宰相への敬愛を育む上で重要な役割を果たした、後世の人々による意味の再創造であった。
そして近代以降、大衆文化の奔流の中で、兼続は「義と愛」という現代的な価値観を体現する理想の英雄として昇華された。今日、多くの人々が「愛」の兜に抱くイメージは、この段階で完成したものである。
結局のところ、「愛」の兜の物語は、一人の武将の信仰心を探る歴史ミステリーであると同時に、時代が英雄をどのように記憶し、自らの価値観を投影していくかという、歴史のダイナミズムそのものを映し出す鏡なのである。我々は、兼続が本来意図したであろう戦国武将の現実的な精神性と、後世の人々が彼に託した理想の姿の両方を理解し、その意味の変容の過程そのものに目を向けることで、初めてこのシンボルの持つ豊かな歴史的意味を grasp することができる。それは、歴史における単一の「正解」を求めるのではなく、多層的な解釈の重なりの中にこそ真実が宿るという、より深く、成熟した歴史理解へと我々を導いてくれるのである。
引用文献
- 【兜特集】人気武将兜の種類を紹介!前立てに込めた意味とは? - 歴史プラス https://rekishiplus.com/?mode=f3
- 兜とは?飾りに込められた意味/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/armor-basic/kabutotoha/
- 武将と兜/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/armor-basic/kabuto/
- 直江兼続の甲冑/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/40313/
- 甲冑から見る武田信玄/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/10419/
- 黒田長政と福島正則が兜交換で仲直り?戦国時代の贈り物にまつわるちょっとイイ話 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/101113/
- 卓球やゴルフの「愛」ちゃんは有名ですが、大河ドラマ 「天地人」の放映で「愛」という字が - 小千谷市 https://www.city.ojiya.niigata.jp/nansho/history/kawai/kawainorekisi/takara16.pdf
- 直江兼続の「愛」ってどんな愛? 〜愛の兜をめぐるあれこれ〜 | クリプレ(クリスチャンプレス) https://christianpress.jp/n210123/
- 【米沢の史跡】 愛染明王:上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市 - samidare http://samidare.jp/u_jidaikan/note.php?p=log&lid=282728
- デジタル歴史館-「義と愛に生きた上杉の智将 直江兼続 米沢の足跡をたどる」第1回 米沢市周辺 https://rekigun.net/original/travel/yonezawa/yonezawa1.html
- 上杉神社稽照殿 | 米沢観光ナビ https://travelyonezawa.com/spot/keishoden/
- 稽照殿~『愛』の兜の実物を見る - MAX CARTER の見聞 - Seesaa http://maxcarter.seesaa.net/article/131688403.html
- 稽照殿|直江兼続・米沢.com http://www.naoe-kanetugu.com/trip_yonezawa/keisyouden.html
- 直江兼続ゆかりの史跡/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/44023/
- 直江兼続関連の史跡 - 米沢観光ナビ https://www.yonezawa-kankou-navi.com/person/naoe_02.html
- 上杉の城下町・米沢に「愛の甲冑」が出現中!: - samidare http://samidare.jp/naoe/lavo?p=log&lid=122320
- 有名な当世具足/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/armor-basic/famous-toseigusoku/
- 直江兼続の五月人形/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/armor-basic/gogatsudoll-and-naoe/
- 直江兼続所用の甲冑解説!トレードマークが「愛」の兜。 - 戦国ヒストリー https://sengoku-his.com/311
- 甲冑作品解説 浅葱糸威革包二枚胴具足 唐冠形兜付 | 兵庫県立歴史博物館 https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/bugu-kacchuu/kc_commentary3/
- 直江兼続 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E5%85%BC%E7%B6%9A
- 武将ブログ 「直江兼続」の兜「愛」/ホームメイト - 刀剣広場 https://www.touken-hiroba.jp/blog/8974960-2/
- 変わり兜 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8A%E5%85%9C
- かぶってみたい「兜」大選挙 - 高知城歴史博物館 https://www.kochi-johaku.jp/lp/kabuto/
- “なりかぶと”って何? ~変り兜の世界~(令和元年6月1日) - 南相馬市 https://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/sections/61/6150/61503/study/1/rekishi/kaccyu/24977.html
- 兜の種類は何があるの?~立物(鍬形) https://prefer.jp/staff-blog/zakki-blog/32883/
- 直江兼続の兜はなぜ【愛】なのか?|戦国雑貨 色艶 (水木ゆう) - note https://note.com/sengoku_irotuya/n/n9a76a329c8ee
- 直江兼続「愛」を掲げた戦国武将の真意と生涯 – Guidoor Media | ガイドアメディア https://www.guidoor.jp/media/naoekanetsugu-generaloflove/
- 直江兼続の愛ってなんだ!?/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/17566/
- 豆大兜/直江兼続 - 「歴史プラス」時空旅人公式通販サイト https://rekishiplus.com/?pid=109181336
- 直江兼続の兜と『愛』の意味|take color - note https://note.com/tc_everyone/n/n32ebd50ccbf3
- 「愛」は、燃え上がるような性愛を意味する言葉だった?直江兼続と愛染国俊の「愛」について考えてみた - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/craft-rock/152599/
- 直江兼続と兜/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/40269/
- 直江兼続 - BS-TBS THEナンバー2 ~歴史を動かした影の主役たち~ https://bs.tbs.co.jp/no2/14.html
- 直江兼続の歴史 /ホームメイト - 戦国武将一覧 - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/34217/
- 甲冑師の流派と記録/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/51863/
- 伊達政宗vs直江兼続、なぜふたりは犬猿の仲なのか?勝手に戦国時代人物相関図! - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/106351/
- 戦国逸話 - 奥会津戦国風土記 https://aizufudoki.sakura.ne.jp/zakki/zakki14.htm
- 「拝啓、閻魔大王様。死者を返してくだされ」直江兼続が出した手紙、その恐るべき結末とは? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/104285/
- [伝国の杜]米沢市上杉博物館/特別展「直江兼続」 https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/041kanetsugu.htm
- 愛の行方-米沢城跡の今に思う|駆けずり回る大学教員の旅日記 #09/北野博司 https://www.tuad.ac.jp/gg/column/7213/