鍋島直茂
~狐火に導かれ主家乗っ取り~
鍋島直茂の主家乗っ取り伝説を、狐火と化け猫騒動の史実・民俗学的背景から解説。権力移行を巡る人々の解釈と、狐火が持つ神意・奸計の二面性を考察。
鍋島直茂と狐火の伝説 ―主家乗っ取りの物語はいかにして生まれたか―
序章:幻の「狐火」を追って
戦国武将、鍋島直茂。その名を巡り、一つの怪異な逸話が囁かれる。「狐火に導かれ、主家である龍造寺家を乗っ取った」と。この一文は、権謀術数が渦巻く戦国の世に、超自然的な影が差し込む様を想起させ、聞く者の想像力を強く掻き立てる。それは、一人の武将の野心と、それを後押ししたかのような妖しい光の物語である。
しかしながら、この「狐火の逸話」は、佐賀藩の正史や、後世に講談や歌舞伎を通じて広く知られるようになった「鍋島化け猫騒動」といった著名な伝承の中には、明確な形でその姿を現さない。それはあたかも、歴史の闇に揺らめいては消える幻の光そのもののようである。なぜ、これほどまでに劇的な物語が、主要な記録から抜け落ちているのか。
本報告書は、この「幻の逸話」の正体を、史実、主流となった伝説、そして日本の文化に深く根差した民俗学的な知見を駆使して徹底的に解明する調査報告である。単に逸話の有無を問うに留まらず、それがもし語られたとすれば、どのような文脈で、誰によって、何を意図して語られたのかを深く考察する。
この探求の過程で浮かび上がるのは、「狐火」の物語が、「化け猫」の物語と対をなす、もう一つの「解釈」の可能性である。一方は、龍造寺家の怨念が「祟り」として鍋島家を断罪する物語。そしてもう一方は、直茂の行動を「神意」として正当化する、あるいは「奸計」として批判する物語。この対立構造こそが、肥前国における一大権力移行劇の裏に隠された、人々の複雑な心情を解き明かす鍵となるであろう。
第一部:権力移行のリアルポリティクス ―史実のなかの鍋島直茂―
伝説が生まれる土壌には、常に揺るぎない歴史の現実が存在する。鍋島直茂と龍造寺家の関係を巡る物語もまた、天正12年(1584年)の沖田畷における、一つの悲劇から始まった。
第一章:龍造寺家の落日
天正12年(1584年) 沖田畷の戦い
島原の湿地帯に、霧雨が煙っていた。数において圧倒的に優勢な龍造寺軍の喧騒が、泥濘の地に響き渡る。その数、一説に6万。対する島津・有馬連合軍はわずか8000。この圧倒的な兵力差が、龍造寺家当主、「肥前の熊」と畏れられた龍造寺隆信に致命的な油断を生じさせていた 1 。
合戦前、鍋島直茂(当時は信生)は主君・隆信を必死に諫めたと伝わる。
「島津は戦巧者にございます。数を恃んでの猪突猛進は禁物と存じます。まずは、それがしが先陣を務め、敵の出方を探ってご覧にいれましょう。御出馬は、それからでも決して遅くはございませぬ」
しかし、隆信はこの慎重な進言を一笑に付した。
「何を臆したか、飛騨守(直茂)。この隆信と、我が精兵の前に敵う者などおらぬわ」 1。
隆信の傲慢さは、島津家久が周到に準備した「釣り野伏」という罠への引き金となった。偽りの敗走を見せる島津軍に誘い込まれ、龍造寺軍の主力が狭い湿地帯へと雪崩れ込む。そこは、馬の足も人の足も自由には動かぬ、まさしく死地であった。鬨の声はたちまち断末魔の叫びに変わり、伏兵の一斉攻撃を受けた龍造寺軍は混乱の極みに陥った。隆信は豪華な輿に乗ったまま身動きが取れず、島津方の川上忠堅によって無惨に討ち取られた。享年56。「肥前の熊」の最期は、あまりにも呆気ないものであった 1 。
主君を失った戦場で、直茂は辛うじて戦線を離脱する。その胸中には絶望が渦巻いていたに違いないが、彼の目は既に次の一手を見据えていた。勢いに乗る島津軍は、隆信の首を掲げて佐嘉城に迫り、開城を要求する。家中が動揺する中、直茂は毅然として使者を追い返した。
「これは我が国の強弱を偵察に来たに相違ない。隆信公の御首は、今は無用。名門龍造寺家に降伏の二文字はない。不服とあらば、早々に攻めて来られよ。肥前武士の意地をお目にかけよう」
この気迫に満ちた啖呵は、島津軍の戦意を削ぎ、軍を返させるに至った。この瞬間、鍋島直茂は名実ともに、滅びかけた龍造寺家を支える唯一の柱となったのである 1。
しかし、失われた支柱はあまりに大きかった。隆信の跡を継いだ嫡男・政家は「凡庸」と評され、この国難を乗り切る器ではなかった 4 。実権は、後見人となった直茂の手に自ずと集まっていく。そして、政家の子・高房が成長するにつれ、事態は新たな悲劇へと向かう。彼は、自らが名目上の国主に過ぎず、実質的には徳川家康の監視下に置かれた「籠の鳥」であるという現実に、深く絶望していくことになる 6 。
第二章:実権掌握への道
沖田畷の戦い以降、鍋島直茂の政治手腕は遺憾なく発揮される。彼は、天下人となった豊臣秀吉、そして続く徳川家康と巧みに渡り合い、龍造寺家の存続と引き換えに、鍋島氏による肥前支配という既成事実を中央政権に追認させていった 2 。秀吉の朝鮮出兵においては、龍造寺軍の総大将として渡海し、武功を挙げている 6 。この過程で、龍造寺家の名は形骸化し、実権は完全に鍋島家のものとなっていった。
この「実」と「名」の乖離は、龍造寺家の正統な後継者である高房の心を蝕んでいった。
慶長12年(1607年) 龍造寺本家の終焉
悲劇の舞台は、江戸の桜田屋敷であった。
- 3月3日: 将来に絶望した高房は、妻を刺殺した上で自害を図る。凶行は家臣によって寸前で止められ、一命は取り留めたものの、その報は佐賀に大きな衝撃をもたらした 6 。
- 療養の日々: 身体の傷は次第に癒えたが、心の傷は深まるばかりであった。名ばかりの国主という屈辱的な立場は変わらず、高房は精神を病み、再び死を願うようになる 6 。
- 9月6日: 再び自害を試みようとした際、かつて負った腹部の古傷が破れ、出血多量により衰弱死した。無念の生涯は、わずか22歳で幕を閉じた 4 。
- 10月2日: 息子の非業の死に打ちひしがれた父・政家もまた、後を追うように病に倒れ、この世を去った 6 。
龍造寺本家の血筋がここに絶えたことで、権力移行は最終局面を迎える。公式には「龍造寺一門からの申し出により」、直茂の子である鍋島勝茂が龍造寺家の家督を継承。これにより、名実ともに「鍋島佐賀藩」35万7千石が成立した 2 。しかし、この公式見解の裏には、龍造寺旧臣たちの複雑な感情や、抗いがたい力学が存在したことは想像に難くない。後に「猫化け騒動」として劇化される物語は、この水面下の不満や無念が噴出したものであった 5 。
直茂の行動は、単純な「乗っ取り」という言葉では片付けられない。それは、主家が自壊していく過程で生じた権力の真空を、最も有能な人物が埋めていった「権力委譲の既成事実化」と見るのが妥当であろう。高房の悲劇は、直茂が直接手を下したものではなく、時代の大きなうねりと、それに翻弄された個人の絶望が生んだ結果であった。この抗いがたい歴史の流れに対する龍造寺一門や旧臣たちの「無念」こそが、後に数々の伝説を生み出す豊かな土壌となったのである。
表1:龍造寺・鍋島 権力移行 年表
年代 |
主要な出来事 |
関連人物 |
備考 |
天文7年 (1538) |
鍋島直茂、誕生。 |
鍋島直茂 |
母は龍造寺家純の娘であり、隆信とは義兄弟の関係になる 8 。 |
天正12年 (1584) |
沖田畷の戦い。龍造寺隆信、戦死。 |
龍造寺隆信、鍋島直茂 |
龍造寺家の軍事的支柱が崩壊。直茂が事実上の後見人となる 1 。 |
天正15年 (1587) |
豊臣秀吉、九州を平定。 |
豊臣秀吉、鍋島直茂 |
直茂は秀吉から直接所領を安堵され、龍造寺家内での地位を不動のものとする 6 。 |
慶長5年 (1600) |
関ヶ原の戦い。 |
鍋島勝茂、鍋島直茂 |
勝茂は西軍に付くが、直茂の指示で東軍に寝返り、立花宗茂を攻め、所領を安堵される 2 。 |
慶長12年 (1607) |
龍造寺高房、江戸で自害。父・政家も後を追い病死。 |
龍造寺高房、龍造寺政家 |
龍造寺本家が断絶。高房の亡霊の噂が立ち始める 6 。 |
慶長12年 (1607) |
鍋島勝茂が龍造寺家の家督を継承。 |
鍋島勝茂 |
幕府の公認のもと、佐賀藩が正式に鍋島家のものとなる 2 。 |
元和4年 (1618) |
鍋島直茂、死去(享年81)。 |
鍋島直茂 |
耳の腫瘍による激痛に苦しんだ死であり、「高房の祟り」と噂される 6 。 |
第二部:怨念の表象 ―「鍋島化け猫騒動」の誕生と流布―
史実における龍造寺家の無念は、人々の記憶の中で風化することなく、やがて一つの恐ろしい怪談として結晶化する。それが、江戸時代を通じて大衆の人気を博した「鍋島化け猫騒動」である。
第一章:なぜ「猫」だったのか ―物語の解剖―
講談や歌舞伎で語られる「鍋島化け猫騒動」は、史実を巧みに脚色し、より大衆受けする勧善懲悪の物語へと昇華させたものである 4 。注目すべきは、物語の主役が、事件の当事者である鍋島直茂や高房ではなく、時代も後の二代藩主・鍋島光茂と、龍造寺の末裔とされる盲目の青年・龍造寺又七郎(または又一郎)に置き換えられている点である 12 。これにより、物語は生々しい政治批判を避け、過去の因縁話という体裁を整えることに成功している。
物語は、佐賀城内の一室から始まる。
囲碁の名手であった又七郎は、藩主・光茂の碁の相手として城に召し出されていた。しかし、連敗を喫した光茂は機嫌を損ね、理不尽な「待った」を要求する。これを又七郎が「武士の対局にあるまじきこと」と穏やかに、しかし毅然として咎めた。
「無礼者めが!」
激昂した光茂は、衝動のままに刀を抜き、又七郎を斬殺してしまう 10。
この理不尽な死は、新たな悲劇の連鎖を生む。息子の無惨な亡骸を前に、又七郎の母は嘆き悲しみ、傍らにいた飼い猫に語りかける。
「おお、たまや。この無念、晴らしておくれ。私に代わって、鍋島家に祟ってたも…」
そう言い残し、老婆は自らの喉に刃を突き立てる。その身体から流れ出る血を、飼い猫が静かに舐め始めた。怨念を吸った猫の目は妖しく光り、その姿は闇の中へと消えていった 10。
これより後、佐賀城には怪異が頻発する。化け猫は光茂の最も寵愛するお豊の方を食い殺し、その姿に化けて毎夜光茂の寝所に忍び寄る。そして、その精気を吸い、藩主を日に日に衰弱させていく。夜更けに行灯の油を舐め、庭の池の鯉に生きたまま喰らいつくその姿は、おぞましいの一言に尽きた 12 。
この藩の危機を救ったのが、忠臣・小森半左衛門であった。彼はお豊の方の怪しい振る舞いを見抜き、ついにその正体が化け猫であることを見破る。城内での激闘の末、半左衛門は化け猫にとどめを刺し、鍋島家の祟りは鎮められたのである 12 。
なぜ、祟りの主体として「猫」が選ばれたのか。それは、猫が愛玩動物として人の生活に深く入り込みながらも、どこか神秘的で執念深いという二面性を持つからであろう。身近な存在が、怨念を吸って恐ろしい復讐者へと変貌するという筋書きは、日常に潜む恐怖を掻き立て、大衆の心を強く掴んだ。龍造寺家の晴らせぬ恨みを代弁する存在として、猫はまさにうってつけの象徴だったのである。
第二章:祟りの系譜
「化け猫騒動」という洗練された物語が成立する以前から、鍋島家に対する「祟り」の観念は、噂という形で人々の間に燻っていた。
その最初の火種は、慶長12年(1607年)に非業の死を遂げた龍造寺高房その人であった。彼の死後、佐賀の城下では「白装束で馬に乗った高房の亡霊が、夜な夜な城中を駆け巡る」という噂がまことしやかに囁かれるようになった 6 。この亡霊譚が、具体的な祟りの物語が生まれる素地となった。
そして、その噂に決定的な真実味を与えたのが、元和4年(1618年)の鍋島直茂自身の死であった。享年81歳という高齢ではあったが、その最期は安らかな大往生ではなかった。耳にできた悪性の腫瘍がもたらす激痛に昼夜苦しみ抜いた末の、「半ば悶死」とも言える壮絶な死であった 6 。この苦痛に満ちた死は、人々に高房の無念の死を想起させ、「高房の亡霊のしわざではないか」という憶測を呼んだ 6 。藩祖の死と龍造寺家の祟りが結びついたこの瞬間、鍋島家にかけられた「呪い」という観念は、もはや単なる噂話ではなく、人々の心に深く刻まれたリアリティとなったのである。
日本文化において、政治的に敗れ非業の死を遂げた者の魂(怨霊)が、天変地異や疫病となって祟りをなすという信仰は、菅原道真や平将門の例を挙げるまでもなく、古くから根強く存在する 15 。龍造寺家の悲劇もまた、この伝統的な文化的文法に則って「祟りの物語」として人々に理解され、解釈され、そして語り継がれていった。化け猫騒動は、その最も劇的で、最も大衆的な表現形態だったのである。
表2:史実と伝説の比較表:鍋島化け猫騒動
比較項目 |
史実 |
伝説(化け猫騒動) |
時代 |
戦国末期~江戸初期 |
江戸中期(寛文年間頃) |
鍋島家当主 |
藩祖・鍋島直茂、初代・勝茂 |
二代藩主・鍋島光茂 |
龍造寺家人物 |
龍造寺政家、高房 |
龍造寺又七郎(又一郎) |
事件の発端 |
沖田畷の戦後の権力移行、高房の自害 |
囲碁の対局を巡る口論からの刃傷沙汰 |
祟りの主体 |
高房の亡霊(とされる噂) |
又七郎の母の怨念を吸った飼い猫 |
結末 |
鍋島藩の成立と安泰 |
忠臣・小森半左衛門による化け猫退治 |
第三部:狐火の伝説を読み解く ―もう一つの物語の可能性―
主流となった「化け猫」の物語が、龍造寺家の「過去」からの怨念を描くものであるとすれば、本報告書の主題である「狐火」の逸話は、鍋島直茂の「未来」への選択を巡る、全く別の物語の可能性を示唆している。文献にその明確な姿を残さなかったこの幻の逸話は、どのような意味を込めて語られ得たのだろうか。
第一章:民俗学の視点から見た「狐」と「狐火」
「狐火」の伝説を読み解くためには、まずそのシンボルとしての「狐」と「狐火」が、日本文化の中でいかに二面的な意味を担ってきたかを理解する必要がある。
狐の二面性
第一に、狐は五穀豊穣を司る稲荷神の使い(眷属)として、極めて神聖な存在と見なされてきた 16。稲作文化を基盤とする日本社会において、稲荷信仰は広く浸透しており、その神使である狐は、豊かさや繁栄をもたらす吉兆の象徴であった。
しかし第二に、狐はその高い知能と神出鬼没な性質から、人を化かし、欺くトリックスターとしての側面も強く持つ 18。昔話に頻繁に登場する「化け狐」は、この狡猾な獣としてのイメージを色濃く反映している。
狐火の象徴性
この狐の二面性は、彼らが灯すとされる「狐火(きつねび)」の象徴性にも受け継がれている。
暗闇に突如として現れる原因不明の燐光は、人知を超えた存在の顕現、すなわち神仏による「導き」や「お告げ」の象徴とされた 18。特に、大晦日の夜に関東一円の狐が集まり、その狐火の数や勢いで翌年の豊凶を占ったという王子稲荷の伝承は、狐火が未来を示す神聖な予兆と見なされていたことを物語っている 20。
一方で、その得体の知れない光は人々に畏怖の念を抱かせ、不吉な出来事の前触れや、狐による幻惑、すなわち人を破滅へと誘う鬼火とも考えられた 21。
このように、「狐」も「狐火」も、神聖な吉兆と、不吉な奸計という、全く正反対の二つの意味を内包する、極めて多義的なシンボルなのである。
第二章:逸話の再構築と考察 ―二つのシナリオ―
「狐火の逸話」が特定の文献に見られない以上、それは史実ではなく、龍造寺から鍋島への権力移行という一大事件を、後世の人々が解釈するために生み出した「物語」であると仮定できる。そして、その物語が持つ意味は、狐火の二面性に基づき、全く正反対の二つのシナリオとして再構築することが可能である。
シナリオA(神意・正当化説):鍋島家、あるいはその支持者が語った物語
このシナリオにおいて、狐火は「天命」の象徴として現れる。
- 物語の再構築(想像的描写):
- 情景: 沖田畷で主君・隆信を失い、龍造寺家の先行きに暗雲が垂れ込める中、鍋島直茂は夜、居城の物見櫓から、あるいは深く信仰したという千栗八幡宮のような霊地で、肥前の国の将来を憂い、瞑想に耽っていた。
- 出来事: その時、彼の眼前に、一筋の狐火がすうっと現れる。その光は、まるで進むべき道を示すかのように、佐賀城の方角、あるいは未来の繁栄を象徴する東の空へと、直茂を導くように静かに揺らめいた。
- 解釈(直茂の内心の台詞): 「これは…!稲荷大明神のお導きに相違ない。我が身の栄達のためではない。この乱れた肥前の民を安寧に導けとの天命であろう。龍造寺家の血筋は貴い。しかし、その治世はもはや天の時を失ったのだ。この直茂が、天命に従い、新たな世を築かねばならぬ」
この物語は、直茂の行動を個人的な野心による「乗っ取り」ではなく、神意を受けた「天命の継承」へと昇華させる。これは、新たに成立した鍋島支配の正当性を確立するための、極めて強力なプロパガンダとなり得る。直茂が実際に千栗八幡宮に社領を寄進し、鳥居を奉納したという史実は、彼の信仰心の証左であり、こうした「神意」の物語が生まれる素地となった可能性は十分考えられる 22 。
シナリオB(奸計・批判説):反鍋島、あるいは龍造寺シンパが語った物語
一方、このシナリオでは、狐火は「狡猾な策略」の比喩として機能する。
- 物語の再構築(想像的描写):
- 情景: 主家をいかにして我が物にするか、直茂が一人、薄暗い部屋で策謀を巡らせている。その目は、闇夜に獲物を狙う狐のように、ギラリと光っている。
- 出来事: 直茂が、龍造寺家を陥れるための次なる一手を実行に移そうとする夜、彼の進む先に、まるで手招きするかのように狐火が明滅する。それは神聖な導きの光ではなく、人を惑わし、道を踏み外させる不気味な鬼火であった。
- 解釈(語り手の台詞): 「見よ、鍋島殿は狐火に導かれておるわ。あれは、狐が人を化かすのと同じこと。甘言と策略で主家を誑かし、まんまと国を盗み取ろうという魂胆の現れよ。神仏の導きなどでは断じてない。いずれ、あの狐火は鍋島家自身を焼き尽くす業火となろうぞ」
この物語は、直茂の類稀なる智謀を「狐のような狡猾さ」と結びつけ、その成功を、超自然的ではあるが邪悪な力の助けによるものと見なす。これは、直茂の能力を認めつつも、その行動の道義性を鋭く批判する、巧妙な風刺である。
「化け猫騒動」が龍造寺家の「過去からの怨念」という後ろ向きの祟りを描くのに対し、「狐火の逸話」は鍋島家の「未来への選択」をテーマにしている点で対照的である。シナリオAでは「天命による輝かしい未来」を、シナリオBでは「奸計による破滅的な未来」を、それぞれが象徴しているのである。
終章:歴史と伝説の狭間で
鍋島直茂を「狐火が導いた」という逸話は、おそらく特定の確立された物語として存在したわけではない。それはむしろ、龍造寺から鍋島への権力移行という、肥前国史上最大の歴史的事件に対する、後世の人々の相反する二つの解釈――すなわち「神意による正当な継承」と「狐のような奸計による簒奪」――が、「狐火」という多義的な民俗的シンボルを用いて表現された、文化的記憶の結晶と呼ぶべきものである。
「化け猫騒動」が、非業の死を遂げた龍造寺家への共感と鎮魂の役割を担い、大衆的なエンターテイメントとして広く受け入れられたのに対し、「狐火の逸話」は、鍋島支配の正当性を問い、あるいは肯定するための、より政治的で、内輪に向けられた物語であったのかもしれない。だからこそ、それは具体的な物語として定着することなく、様々な解釈の可能性をはらんだ「噂」や「比喩」のレベルに留まり、幻のような存在となったのではないか。
史実としての鍋島直茂は、神にも悪魔にも導かれたわけではない。彼は、主家の衰亡と天下の動乱という激動の時代を生き抜くために、持ちうる限りの智謀と政治力を駆使した、一人の現実的な戦国武将であった。しかし、彼が成し遂げた事業があまりに巨大で、その過程があまりに劇的であったために、人々はその行動の理由を、人知を超えた力――祟りをなす化け猫や、未来を示す狐火――に求めずにはいられなかった。
幻の「狐火の逸話」を追う旅は、我々を史実の向こう側にある、人々の心の歴史へと導いてくれる。それは、一つの歴史的事件が、いかにして多様な物語へと姿を変え、語り継がれていくかを示す、貴重な一例なのである。
引用文献
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- 龍造寺から鍋島35万石へ 【佐賀城・高伝寺・徴古館:鍋島家のトビラ1】 佐賀県佐賀市 - note https://note.com/ryuzoujibunko/n/n6171feb16390
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- に戦って破れ、島原半島の神代で戦死したので、隆信の嫡子政家は鍋島直茂の補佐によって旧領地を保 - 佐賀市 https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s34621_20121227052657.pdf
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- 『鍋島の猫騒動 佐賀の夜桜』あらすじ - 講談るうむ http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/05-05_nabesima.htm
- 【ペットも化ける!?】妖怪・猫又に代表される猫の妖怪伝説を一挙紹介! - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/9581/
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- 【〔稲荷信仰と伝説〕】 - ADEAC https://adeac.jp/takanezawa-lib/text-list/d100030/ht006780
- 王子の狐火 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%8B%90%E7%81%AB
- 数ある哺乳類の中で何故「狐」だけが「火」と結びつき「狐火」となったか - 格安の葬儀なら「心に残る家族葬」 https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=719
- 千栗八幡宮/佐賀県三養基郡|神社参拝家Silver - note https://note.com/sayu1202/n/n6fa97661e386
- 千栗八幡宮の御朱印&御朱印帳紹介|肥前国の一の宮 現地レポ(佐賀県) https://jinja-gosyuin.com/chiriku-gosyuin/
- 千栗八幡宮 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%A0%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE