最終更新日 2025-09-30

大坂銀座設置(1601)

慶長6年、家康は大坂に銀座を設置。豊臣家経済力を削ぎ、全国の銀流通を掌握する戦略。鋳造せず、西日本の銀を集積・管理し京都へ送るハブ。戦国貨幣混乱を収束させ、幕府経済基盤を確立した。
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慶長六年の大変革―戦国終焉の象徴としての大坂銀座設置―

序章:1601年、貨幣が天下を制す

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおける徳川家康の勝利は、一世紀以上にわたる戦乱の時代に終止符を打ち、新たな統一政権の樹立を決定づけた。しかし、武力による天下統一は、支配体制確立の序章に過ぎなかった。真の天下泰平を実現するためには、列島全域に及ぶ経済的な秩序の再構築が不可欠であった。その壮大な構想の中核をなす画期的な一手が、関ヶ原の戦いからわずか一年後の慶長6年(1601年)に打たれた「銀座」の設置である。これは単なる貨幣鋳造所の設立という経済政策にとどまらず、武力で制した天下を「貨幣」という経済の血流によって完全に掌握しようとする、極めて高度な政治的・戦略的行為であった 1

摂津国大坂に置かれたこの銀座は、通説的な「決済と鋳造の統一」という理解だけではその本質を捉えきれない。なぜなら、大坂銀座は銀貨の「鋳造」という中核的な機能を持たなかったからである 4 。この事実は、我々に根源的な問いを投げかける。なぜ、経済の中心地である大坂に、鋳造機能を持たない「銀座」を置く必要があったのか。そして、この一見不可解な決定の背後には、どのような深謀遠慮が隠されていたのか。

本報告書は、「大坂銀座設置」を、戦国時代を通じて深刻化した貨幣経済の構造的矛盾に対する徳川家康の最終解答として位置づける。そして、それが新たな支配体制の礎を築くための戦略的布石であったことを、時系列を追いながら多角的に解明することを目的とする。戦国の混沌から江戸の秩序へ。その転換点に屹立する大坂銀座の真の姿を、ここに明らかにする。

第一部:混沌の貨幣―戦国日本の経済風景―

徳川家康が直面した経済的課題は、一朝一夕に生じたものではなかった。それは、戦国時代を通じて複雑化し、悪化した貨幣経済の構造的な病理であった。銀座設置という処方箋がなぜ必要とされたのかを理解するためには、まずその病巣の深刻さを解剖しなければならない。

第一章:銭が信用を失うとき

戦国時代の日本経済は、表面的には貨幣経済が浸透していた。年貢すらも米ではなく銭で納める「貫高制」が採用されるなど、貨幣は社会の隅々にまで行き渡っていたように見える 5 。しかし、その基盤は極めて脆弱であった。日本の貨幣システムは、自国で鋳造した貨幣ではなく、中国大陸から輸入された銅銭、いわゆる「渡来銭」に全面的に依存していたのである 6 。中でも明の「永楽通宝」や「洪武通宝」は、良質な貨幣として広く流通していた 6

この海外依存の構造は、供給が不安定化すると即座に経済を麻痺させるという致命的な欠陥を抱えていた。室町時代中期以降、明が海禁政策を強化し、また国内の金融政策を変更したことで、日本への銅銭流入は激減する 9 。市場に流通する貨幣の総量が減少すれば、貨幣の価値は上昇し、相対的にモノの値段が下がる。現代でいう深刻な「デフレーション」が、戦国時代の日本を襲ったのである 5

貨幣不足は、新たな混乱の火種を生んだ。不足を補うため、国内の各地で粗悪な私鋳銭、すなわち「鐚銭(びたせん)」が大量に製造され、市場に溢れかえった 8 。鐚銭は文字が潰れていたり、欠けていたりするなど品質が劣悪であったため、人々は取引においてその受け取りを拒否し、良質な渡来銭(精銭)を選り好みするようになった。この「撰銭(えりぜに)」と呼ばれる行為は、円滑な商取引を著しく阻害し、経済活動を停滞させる悪循環を生み出した 6

この事態に対し、各地の戦国大名たちは領国経済を守るため、撰銭そのものを禁止したり、悪銭と精銭の交換比率を定めて強制通用させようとする「撰銭令」を発布した 6 。しかし、これはあくまで領国単位での対症療法に過ぎず、国境を越えれば価値基準が異なるという状況を固定化させ、全国的な経済圏の形成を妨げる要因となった。

この一連の過程は、単なる貨幣の品質問題や供給不足にとどまらない。それは、貨幣そのものに対する「信用」が崩壊していくプロセスであった。人々は当初、明という外国の権威が保証する「信用」に依存していた。しかし、その供給が途絶えると、信用の裏付けがない私鋳銭が横行し、通貨への不信感が蔓延した。撰銭とは、国家や領主といった公的な信用システムが機能不全に陥った結果、人々が自己防衛のために個人レベルで信用の選別を始めた現象に他ならない。大名による撰銭令は、その個人の判断を権力で上書きしようとする試みであったが、根本的な信用の欠如を埋めることはできなかった。この「信用の真空状態」こそが、徳川家康が新たな統一貨幣によって創造し、独占すべき最大の戦略目標となったのである。

第二章:金銀の胎動と米という価値

銅銭の信用が失墜する一方で、日本の地下では新たな価値の源泉が発見されつつあった。16世紀中頃、博多の商人である神谷寿禎が、朝鮮半島から画期的な銀精錬技術「灰吹法」を石見銀山に導入したのである 6 。この技術は、従来の方法とは比較にならないほど効率的に鉱石から高純度の銀を抽出することを可能にし、日本の銀産出量を飛躍的に増大させた 15 。日本は瞬く間に世界有数の銀産出国へと変貌を遂げ、銀は銅銭に代わる新たな貨幣素材として、また国際的な交易商品として脚光を浴びることになる 6

この豊富な金銀を背景に、一部の先進的な大名は独自の貨幣発行を試みた。その代表例が、甲斐の武田信玄が鋳造させた「甲州金」である 19 。甲州金が画期的であったのは、それが重さによって価値が決まる「秤量貨幣」ではなく、金貨に刻まれた「両・分・朱」といった額面で価値が定まる「計数貨幣」であった点にある 20 。この四進法を基本とする体系的な貨幣制度は、後の江戸幕府の制度にも大きな影響を与えた 22 。しかし、甲州金もまた、あくまで武田氏の領国とその周辺でのみ通用する地方通貨であり、全国的な貨幣秩序を構築するには至らなかった 24

貨幣の価値が揺らぎ、地域ごとに異なる通貨が乱立する中で、人々が最終的に信頼を置いた価値尺度は、生命を維持するための根源的な物資、すなわち「米」であった 5 。戦国大名たちは、不安定な貨幣収入よりも、領地の生産力を直接示す米の収穫量をこそ、自らの経済的・軍事的基盤として重視するようになる。こうして、年貢を銭で評価する「貫高制」は次第に形骸化し、土地の価値を米の標準収穫量で示す「石高制」が全国的に普及していくことになる 26 。これは、貨幣経済の混乱に対する、いわば究極の安全保障策であった。

第二部:天下統一と経済基盤の模索

戦国時代の経済的混沌に対し、天下統一を目指す為政者たちは、それぞれのアプローチで新たな秩序を模索した。織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康へと続く政策の連続性と断絶性を分析することは、大坂銀座設置の歴史的文脈を理解する上で不可欠である。

第一章:信長の構想、秀吉の布石

戦国の世に新たな風を吹き込んだ織田信長は、軍事のみならず経済においても合理主義的な政策を断行した。市場の自由化を促す「楽市楽座」や、物流の障害となっていた関所の撤廃は、商業活動を飛躍的に活性化させた 28 。さらに信長は、金・銀・銭という異なる価値を持つ貨幣間の公定交換レートを定めることで、価値基準の安定化を図ろうと試みた 5 。これは、経済そのものを国家統治の重要な基盤とみなす、当時としては極めて先進的な視点であったが、本能寺の変によってその構想は道半ばで潰えることとなる。

信長の後を継いだ豊臣秀吉は、より強権的かつ体系的な手法で経済基盤の確立を進めた。全国の土地を統一基準で測量し、生産力を米の量(石高)で評価する「太閤検地」は、荘園制以来の複雑な土地所有関係を整理し、大名の軍役負担と農民からの年貢徴収を直結させる画期的な制度であった 30 。これにより、秀吉は日本の総生産力を一元的に把握し、安定した徴税システムを確立したのである。同時に、佐渡金山や石見銀山といった主要鉱山を直轄領とし、そこから産出される莫大な金銀を独占した 27

この圧倒的な富を背景に、秀吉は彫金師の後藤家に命じて、世界最大級の金貨である「天正大判」を鋳造させた 35 。しかし、この豪華絢爛な大判は、その価値の高さゆえに市場での日常的な決済には用いられず、主に武功のあった者への恩賞や大名間の贈答品として使われる、いわば天下人の権威を象徴するトロフィーのような存在であった 34 。庶民が日々手にする銅銭(銭貨)については、秀吉は新たな統一貨幣を発行することはなく、戦国時代以来の貨幣混乱は実質的に放置されたままであった 26

秀吉が導入した石高制は、一見すると年貢を米で徴収する原則を確立したため、貨幣経済からの後退に見えるかもしれない。しかし、その実態は逆であった。兵農分離政策によって城下町に集住させられた武士階級は、俸禄として支給される米を、日々の生活費や武具などの購入のために「換金」する必要に迫られた 41 。この膨大な換金需要こそが、大坂などの都市に巨大な米市場を生み出し、それを仲介する商人たちの活動、ひいては貨幣経済そのものを爆発的に発展させる原動力となったのである。つまり、石高制とは農業経済への回帰ではなく、生産の場(農村)と消費の場(都市)を明確に分離し、その結節点である「市場」と「商人」、そして彼らが扱う「貨幣」の役割を決定的に重要にした制度であった。この構造を深く理解していた家康は、貨幣そのものを幕府の管理下に置くことこそが、武士と商人の双方を支配する上で不可欠な鍵であると見抜いていた。

第二章:関ヶ原の戦後処理と経済戦略

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおける勝利は、徳川家康に天下の政治的覇権をもたらした。家康は戦後処理として、西軍に与した大名の所領を没収・削減し、その総石高約600万石にも及ぶ広大な土地を徳川親藩や譜代大名に再配分することで、全国に及ぶ政治的支配体制を盤石なものとした 44

しかし、政治的・軍事的な支配が確立しても、経済的な課題は山積していた。特に大きな脅威として残存していたのが、豊臣家の存在である。豊臣家は、依然として摂津・河内・和泉にまたがる約222万石もの広大な蔵入地(直轄領)を保持し、秀吉が聚楽第や大坂城に蓄えた莫大な金銀を背景に、経済の中心地・大坂に君臨し続けていた 31 。この豊臣家の強大な経済力は、家康にとって将来の火種となりかねない、看過できない政治的リスクであった 45

家康は、武力による制圧と大名配置という政治的手段だけでは、真の天下統一は成し遂げられないと確信していた。全国の経済圏がいまだ分断され、貨幣制度が混乱したままでは、幕府の支配は砂上の楼閣となりかねない。名実ともに全国の支配者となるためには、全国どこでも通用する統一された貨幣を幕府が独占的に発行・管理し、経済の血流そのものを完全に掌握する必要があった。貨幣改革は、単なる経済政策ではなく、徳川による恒久的な支配体制を完成させるための、最後の、そして最も重要な仕上げだったのである 1


表1:戦国末期から江戸初期に至る貨幣・経済政策の変遷

年代

出来事

主要人物

政策の目的・内容

影響・意義

1533年

灰吹法の伝来

神谷寿禎

朝鮮半島から画期的な銀精錬技術を導入。

銀の生産量が飛躍的に増大し、日本の銀が国際商品となる 12

1567年頃

甲州金の鋳造

武田信玄

領国通貨の統一と軍資金確保のため、計数貨幣を発行。

日本初の体系的な計数貨幣制度の試みであったが、領国貨幣の域を出なかった 19

1582年~

太閤検地

豊臣秀吉

全国の土地生産力を「石高」という統一基準で把握し、安定した徴税システムを構築。

石高制が確立し、中世的な荘園制が事実上解体された 30

1588年

天正大判の鋳造

豊臣秀吉

天下人の権威を国内外に誇示するための、恩賞・贈答用の大型金貨。

価値が高すぎて一般流通せず、庶民レベルの貨幣混乱は継続した 35

1600年

関ヶ原の戦い

徳川家康

徳川家による全国の政治的支配権を確立。

武力統一が完了し、経済的統一という次なる課題が浮上した 44

1601年

慶長金銀の制定、金座・銀座の設置

徳川家康

全国通用の統一貨幣を発行し、貨幣鋳造権を幕府が独占。

江戸幕府による全国的な経済支配体制の構築が開始された 2


第三部:銀座誕生―慶長六年のリアルタイム・クロニクル―

関ヶ原の戦いの硝煙がまだ燻る慶長6年(1601年)、徳川家康は矢継ぎ早に新たな国家建設に着手した。その中核にあったのが、全国の経済を統一するための貨幣改革である。この年、金座・銀座の設置という形で具現化された政策は、まさに江戸時代の経済システムの設計図であった。

第一章:伏見での第一歩(慶長6年)

1601年5月、家康は全国通用の金銀貨、すなわち「慶長金銀」を制定した 2 。これは、戦国大名たちが領国ごとに行っていた勝手な貨幣製造を厳しく禁じ、貨幣の鋳造権を徳川の幕府が独占することを天下に宣言するものであった 46 。この新体制の下で、銀貨の鋳造と管理を担う機関として「銀座」が創設された。

その最初の拠点が置かれたのは、京都の伏見であった 49 。伏見は、豊臣秀吉が築いた政治の中心地であり、大坂と京都を結ぶ水陸交通の要衝でもあった 53 。政治的・経済的な中心地に近いこの場所から、新たな貨幣制度を始動させることは、新時代の到来を象徴する上で極めて効果的であった。

この銀座の運営を任されたのが、堺の有力な銀商であった湯浅作兵衛である。家康は、秀吉の時代から銀の精錬・鋳造に携わり、高い技術力と信用を持っていた作兵衛を抜擢し、「大黒常是(だいこくじょうぜ)」という名と、銀貨鋳造における特権的な地位を与えた 55 。これは、旧体制下で培われた優れた技術や人材を否定するのではなく、巧みに新体制へと取り込み、活用していく家康の現実的な統治手法を示す象徴的な人事であった。

第二章:大坂銀座の設置とその特命

伏見に銀座が設置されたのとほぼ同時期に、摂津国大坂にも銀座が置かれた 4 。その場所は、現在の大阪市中央区東高麗橋付近とされている 4 。しかし、この大坂銀座は、伏見や後に設置される京都の銀座とは決定的に異なる役割を担っていた。

大坂銀座の最大の特徴は、銀貨そのものを鋳造する機能を持たなかった点にある 4 。その特命は、幕府の直轄領であった石見銀山や生野銀山をはじめとする西日本の諸鉱山から産出される銀地金(灰吹銀)を、まず大坂に集積することであった。そして、集められた銀の品位を検査・管理した上で、実際の鋳造拠点である京都の銀座へと回送する、いわば原料の集積・管理センターとしての役割を担っていたのである 4

この一見、非効率にも思える機能分担には、家康の深謀遠慮があった。当時の大坂は、諸国の物産が集まる全国的な物流・商業の中心地、すなわち「天下の台所」としての地位を確立しつつあった 59 。家康は、この経済の心臓部に銀の集積拠点を置くことで、全国の銀の流通経路を物理的に、そして情報として完全に掌握することを狙った。これは、依然として大坂に拠点を置く豊臣家の経済的影響力を削ぎ、その富の源泉を監視下に置くという、極めて高度な経済的・政治的戦略であった。

この戦略は、近代的なサプライチェーン・マネジメントの思想を先取りするものであった。家康は、①原料調達(西国銀山)、②集積・検品(大坂銀座)、③製造(京都銀座)、④流通(全国市場)という一連のプロセスを意図的に分離したのである。大坂の強みは製造技術ではなく、圧倒的な物流インフラと商業ネットワークにある。ここに製造拠点を置くよりも、既存のインフラを最大限に活用して原料の「物流ハブ」とすることの方が遥かに効率的である。さらに、豊臣家の膝元である大坂に、貨幣という価値を生み出す源泉そのものを置くことは、政治的なリスクを伴う。したがって、大坂を原料の集積・管理拠点として利用して経済的実利を確保しつつ、価値創造の最終工程は幕府の政治的影響力がより強く及ぶ京都に置くという、リスク分散と効率化を両立させた、極めて洗練されたシステム設計であったと言える。

第三章:金座・銀座体制の確立

銀座の設置と並行して、金貨の鋳造・管理を担う「金座」も設立された。金座の長には、秀吉の下で大判鋳造に関わった後藤家の後藤庄三郎が任命され、その本拠地は徳川政権の中心地である江戸に置かれた 2

これにより、金貨は江戸を中心とする東日本で、銀貨は大坂を中心とする西日本で主に流通するという、後の「江戸の金遣い、大坂の銀遣い」として知られる二元的な貨幣流通圏の原型が設計された 46 。この地域的な商慣習の違いを無視して単一の貨幣を強制するのではなく、金銀双方を公定貨幣とすることで、全国経済の円滑な統合を目指したのである。

金座と銀座は、それぞれ後藤家と大黒常是家という専門家集団による世襲の請負事業という形式をとりながらも、勘定奉行などの幕府の厳格な監督下に置かれた 2 。幕府は、貨幣鋳造という国家の根幹をなす権能を完全に掌握しつつ、直接的な製造コストや技術者育成の負担を回避するという、効率的な官民パートナーシップを構築した。この金座・銀座体制の確立こそが、戦国時代の無秩序な貨幣発行に終止符を打ち、徳川幕府による250年以上にわたる安定した貨幣制度の礎となったのである。

第四部:慶長丁銀―新時代の通貨が持つ意味―

銀座制度を通じて世に送り出された新しい銀貨「慶長丁銀」は、単なる決済手段ではなかった。その形状、品位、そして刻まれた印の一つ一つに、新時代を築こうとする徳川幕府の国家意思が込められていた。それは、戦国の混沌を過去のものとし、新たな経済秩序を可視化する象徴であった。


表2:戦国期から江戸初期における主要貨幣の比較

貨幣名

発行主体

種類

材質・品位(銀含有率など)

主な用途

特徴・課題

永楽通宝

明(中国)

計数貨幣

渡来銭として全国で流通。

供給が不安定。質の悪い私鋳銭(鐚銭)の横行による品質低下と撰銭問題を引き起こした 6

甲州金

武田氏

計数貨幣

金(品位は様々)

領国内での高額決済、恩賞。

体系的な額面を持つ先進的な試みであったが、通用範囲は領国とその周辺に限られた 22

天正大判

豊臣氏

(計数貨幣的だが)実質は秤量価値

金(約74%)

恩賞、贈答、権威の象徴。

価値が高すぎて一般の商取引には不向きであり、庶民が直面する貨幣問題は未解決のままだった 35

慶長丁銀

徳川幕府

秤量貨幣

銀(約80%)

全国の商取引決済(特に西日本)。

幕府が発行する初の全国通用銀貨。品質が保証されていたが、取引ごとの計量が煩雑であった 48


第一章:かたちと品位に込められた国家意思

新たに発行された慶長丁銀は、ナマコのような不定形をしており、その価値は一枚いくらではなく、重さによって決まる「秤量貨幣」であった 65 。取引の都度、天秤で重さを量る必要があり、一見すると不便な制度に思える 68 。しかしこれは、当時すでに大坂を中心とする西日本で、銀を重量単位(匁)で取引する商慣習が深く根付いていたことを尊重し、急進的な改革による経済的混乱を避けるための現実的な選択であった 70

その品位、すなわち銀の含有率は約80%に規定された 48 。これは極めて戦略的な設定であった。当時、日本産の銀は純度95%以上の高品質な「灰吹銀」として、ポルトガル商人などを通じて大量に海外へ輸出されていた。純銀がそのまま流出すれば、それは国富の流出に他ならない。そこで幕府は、あえて品位を80%に落とした公式貨幣「慶長丁銀」を制定し、貿易決済にはこの丁銀の使用を義務付けた 72 。これにより、銀の海外流出を幕府の管理下に置き、統制することが可能になった。さらに、灰吹銀を慶長丁銀に「吹替える」過程で、差分の金属(主に銅)や鋳造手数料(分一銀)が幕府および銀座の収益、いわゆる「出目(でめ)」となり、重要な財源ともなった 65

そして、慶長丁銀が戦国時代の悪銭と一線を画す最大の要因は、その表面に打たれた「極印」であった。丁銀には、福の神である「大黒像」、そして鋳造責任者である「常是」、幕府の権威を示す「寳」といった極印が、表面に複数箇所打たれていた 65 。これは、この銀貨が幕府お抱えの専門家である大黒常是の責任において品位を保証された、正真正銘の公鋳貨幣であることを示すものであった 55 。もはや人々は、銭の品質を自らの目で選別する必要はない。極印こそが、国家による「信用」の証だったのである。

第二章:新貨幣がもたらした経済的インパクト

慶長丁銀の導入は、日本の経済社会に構造的な変化をもたらした。皮肉なことに、その変化の多くは、秤量貨幣が持つ「不便さ」から生まれている。計数貨幣であれば、取引は現金の受け渡しで完結しやすい。しかし、秤量貨幣は取引ごとに計量という専門的な手間を必要とした 68 。この手間を代行する専門家として、貨幣の鑑定や両替、計量を行う「両替商」が不可欠な存在となったのである 78

大坂の商人たちは、高額な取引のたびに重い銀塊を運び、煩雑な計量を行うリスクとコストを回避するため、信用のおける両替商に銀を預けるようになった 80 。両替商は、預かった銀を元手に「預り手形」を発行した。この手形は、両替商の信用を裏付けとして、現金同様に市場で流通し始めた。これは、物理的な銀の移動を伴わない、帳簿上の操作による決済、すなわち「信用創造」の始まりであった 80 。慶長丁銀の物理的な特性である「秤量性」という非効率な側面が、それを乗り越えるための社会システム(両替商ネットワークと手形取引)を生み出し、結果として日本の金融を世界でも類を見ないほど高度化させる原動力となったのである。

また、幕府が保証する統一された価値基準を持つ貨幣が全国に流通することで、地域を越えた大規模な商取引が格段に円滑化された 5 。これにより、各地の特産品が中央市場である大坂や消費地である江戸へと集まる全国的な商品流通ネットワークが形成され、江戸時代の豊かな商業資本主義の基盤が築かれていった。

さらに、この改革は国際経済にも大きな影響を及ぼした。17世紀前半、日本は世界の銀産出量の約3分の1を占めるほどの銀大国であり、日本から輸出される慶長銀は、ポルトガルやオランダ商人を通じて中国へと流入し、当時世界的に需要が高まっていた中国産生糸の主要な決済手段となった 17 。日本の貨幣制度の統一は、国内経済の安定化に留まらず、大航海時代のグローバルな経済システムの一翼を担うことにも繋がったのである。

結論:戦国の終焉と江戸の黎明を告げた経済革命

慶長6年(1601年)の大坂銀座設置、そしてそれに続く慶長金銀の発行は、徳川家康が描いた壮大な国家構想の、経済的側面における集大成であった。それは、戦国時代から100年以上にわたって日本経済を蝕んできた貨幣の無秩序状態に終止符を打ち、強力な中央集権体制の下で新たな経済システムを構築するための、決定的かつ不可逆な一歩であった。

この一連の改革がもたらした成果は、単に貨幣の種類を統一したという次元に留まらない。その歴史的意義は、以下の多層的な構造変革にこそ見出されるべきである。

第一に、幕府による貨幣鋳造権の完全な独占である。これにより、貨幣の発行を通じて富を創出し、経済をコントロールするという、近代国家の根幹をなす権能を幕府は掌握した。

第二に、江戸の金座と伏見・京都・大坂の銀座を両輪とする、全国的な金融管理体制の構築である。これは、東西の異なる商慣習を巧みに統合し、全国規模での円滑な経済活動を可能にした。特に、鋳造機能を持たない大坂銀座の設置は、物流と金融のハブとしての大坂の機能を最大限に活用しつつ、豊臣家の経済的影響力を削ぐという、家康の卓越した戦略眼の現れであった。

第三に、幕府の信用を裏付けとした統一通貨の流通が、全国市場の形成を強力に促進したことである。これにより、地域ごとに分断されていた経済圏が有機的に結びつき、江戸時代の目覚ましい商業の発展と、それに伴う豊かな町人文化の開花の土台が築かれた。

そして第四に、慶長丁銀という秤量貨幣の特性が、両替商や手形取引といった、現金に依存しない高度な信用経済システムを発展させる揺りかごとなったことである。

大坂銀座の設置は、まさに経済における「天下分け目」の出来事であった。それは、個々の大名が武力で領国経済を維持しようとした「力」の時代から、中央集権的な幕府が全国を覆う「仕組み(システム)」で統治する時代への移行を象ENT#347;るものであった。この経済革命によって、戦国時代は名実ともに終焉を迎え、250年以上にわたる江戸の泰平の黎明が告げられたのである。

引用文献

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  18. 中世の貨幣/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/currency-basic/medieval-money/
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  21. Ⅱ. 寄稿 - 1.金属と著名人 第4話 -金と戦国武将武田信玄 - 日本メタル経済研究所 http://www.merij.or.jp/meta_report/07/pdf/meta07_2_1_episode4_gold_and_shingen_takeda.pdf
  22. 甲州金 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%B7%9E%E9%87%91
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  25. 戦国時代の経済と米価——銅銭不足がもたらした影響とは?|松尾靖隆 - note https://note.com/yaandyu0423/n/nabfe15127d76
  26. 日本の貨幣史 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%8F%B2
  27. 秀吉の国内・対外政策 - ちとにとせ|地理と日本史と世界史のまとめサイト https://chitonitose.com/jh/jh_lessons69.html
  28. 織田信長が行った政策の狙いは?政治や経済への影響をわかりやすく紹介 - 戦国 BANASHI https://sengokubanashi.net/person/odanobunaga-policy/
  29. 経済は戦国大名に学べ:勢力拡大の基本は今も昔も「消費者ニーズ」の把握 織田信長 https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20211130/se1/00m/020/060000c
  30. 天下統一後に行ったビジネスの円滑化 |金儲けの天才・豊臣秀吉の経済政策とは【経済でわかる日本史】 | サライ.jp https://serai.jp/hobby/1101501
  31. 豊臣秀吉の天下統一/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/127395/
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  36. nikkoudou-kottou.com https://nikkoudou-kottou.com/blog/kosen/15697#:~:text=%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%A4%A7%E5%88%A4%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%811588,%E3%82%82%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
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  55. 大黒常是 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B8%B8%E6%98%AF
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  58. 大阪銀座跡 クチコミ・アクセス・営業時間|心斎橋・淀屋橋 - フォートラベル https://4travel.jp/dm_shisetsu/11361276
  59. かつての「天下の台所」今は屈指の美食処「大阪府」 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン https://discoverjapan-web.com/article/28846
  60. 大阪は何故「天下の台所」と呼ばれたのか? 大坂商人たちが生み出した文化と街 - ホームズ https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_01257/
  61. 本店の敷地は「金座」の跡地という話は本当ですか? - 日本銀行 https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j06.htm
  62. 「貨幣の歴史」 https://www.japanriver.or.jp/kataru/kataru_report/pdf/no206_resume.pdf
  63. 【高校日本史B】「貨幣制度」 | 映像授業のTry IT (トライイット) https://www.try-it.jp/chapters-12757/lessons-12882/
  64. 天正大判(テンショウオオバン)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%A4%A7%E5%88%A4-578234
  65. 慶長丁銀 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%B8%81%E9%8A%80
  66. 丁銀(ちょうぎん)の買取相場価格を解説!SATEeee古銭買取で一括無料査定 https://old-coin-kaitori.com/chogin/
  67. 丁銀(チョウギン)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%81%E9%8A%80-97754
  68. 江戸時代の銀貨は切ったり量ったりして使う?当時の複雑な貨幣制度とは? https://antylink.jp/blog/40624/
  69. もうひとつの学芸員室-銀行のおこりは両替商だった https://www.eisai.co.jp/museum/curator/scales/episode02.html
  70. 江戸時代の三貨制度 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B8%89%E8%B2%A8%E5%88%B6%E5%BA%A6
  71. 丁銀・豆板銀とは?価値や特徴を種類別に一覧で解説! - 金貨買取本舗 https://www.politicalstaples.com/mame/ovalcoin/chogin-mameitagin/
  72. 貨幣博物館 常設展示図録 37/101 https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/mod/book/pageindices/index37.html
  73. わが国幣制の変遷と対外関係 - 前近代を中心として - 日本銀行金融研究所 https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/96-J-08.pdf
  74. 灰吹銀 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%90%B9%E9%8A%80
  75. 丁銀の意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典 https://kobun.weblio.jp/content/%E4%B8%81%E9%8A%80
  76. 常是宝(ジョウゼホウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E6%98%AF%E5%AE%9D-532312
  77. 大黒常是(だいこくじょうぜ) - ヒストリスト[Historist] https://www.historist.jp/word_j_ta/entry/035411/
  78. 両替商は銀行のルーツ~江戸時代のお金の仕組みとは? | お金の歴史雑学コラム https://manabow.com/zatsugaku/column09/2.html
  79. お金の歴史を学ぼう!【後編】江戸時代の三貨制度から現代のデジタルマネーまで https://www.aizawasec-univ.jp/article/topic_09.html
  80. 江戸期銀目手形について - 日本銀行金融研究所 https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/96-J-01.pdf
  81. 【第5回】江戸時代の決済システム(前編) | 東証マネ部! https://money-bu-jpx.com/news/article026876/
  82. 【第5回】江戸時代の決済システム(後編) | 東証マネ部! https://money-bu-jpx.com/news/article026947/
  83. 南蛮貿易 - 世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-108.html
  84. 【近世(安土桃山時代〜江戸時代)】 南蛮貿易と朱印船貿易の違い - 進研ゼミ 中学講座 https://chu.benesse.co.jp/qat/21086_s.html