二連発手中筒は戦国期に連射を追求した特殊火器。二銃身で大口径だが、重量や誘爆に問題があり、実用性より威信財や特殊任務用。歴史の狭間に消えた異形である。
本報告書は、日本の戦国時代に存在したとされる「二連発手中筒」という特異な火器について、現存する資料と火縄銃の技術体系に基づき、その構造、運用、歴史的意義を総合的に考察するものである。まず、「二連発手中筒」という呼称自体が、一般的な史料には見られない極めて稀なものであることを明記し、本報告が断片的な情報からその実像を再構築する試みであることを定義する。
1543年の鉄砲伝来以降、火縄銃は日本の合戦様式を劇的に変化させた 1 。その圧倒的な威力は、従来の弓矢や刀槍による戦闘を根底から覆すものであった 3 。しかし、この新兵器には致命的な弱点が存在した。それは、装填に時間を要し、連射が不可能であるという点である 5 。熟練した射手であっても、次弾の発射までには20秒から30秒を要したとされ 1 、この時間は敵に反撃や突撃の隙を与える、戦術上の大きな欠点であった。この課題に対し、織田信長が長篠の戦いで用いたとされる「三段撃ち」に代表されるような、射手を複数列に並べて交代で射撃させる運用法(ソフトウェア)による解決策が模索された 6 。その一方で、武器自体(ハードウェア)の改良による解決、すなわち速射・連射能力の付与もまた、当時の鉄砲鍛冶と武将にとっての悲願であった。
この「速射性への渇望」という文脈において、「二連発手中筒」は、その最も野心的かつ極端な発想の産物として位置づけられる。それは単なる兵器ではなく、技術的挑戦の象徴であり、戦国という時代の飽くなき要求が生み出した「異形の夢」であった。この銃の存在意義は、戦国時代の火器技術が直面した根源的なジレンマ、すなわち「威力・速射性の追求」と「信頼性・安全性の確保」という、二律背反する要求の狭間で生まれた点にある。単発の火縄銃は、一発の威力は絶大で、50メートル圏内であれば当時の甲冑を貫通するほどであったが 1 、発射後の無防備な時間が戦術上の弱点であった。この時間を限りなくゼロに近づけようとする試みが「二連発」という発想に繋がったのである。しかし、銃身を二つにするという単純な解決策は、重量の増加、重心バランスの悪化、機構の複雑化、そして何よりも暴発・誘爆の危険性という、新たな、そしてより深刻な問題群を生み出すことになった。したがって、「二連発手中筒」は、単なる珍しい武器ではなく、当時の技術レベルで「速射性」を追求した際に、必然的に突き当たる技術的限界点と、その克服の困難さを体現する「生きた証拠」として、詳細に分析する価値を持つのである。
「二連発手中筒」を理解するためには、まず日本の火縄銃がどのように分類され、その中で「手中筒」がどのような位置を占めるのかを明らかにする必要がある。
日本の火縄銃は、一般的に使用する弾丸の重量(口径)によって大別される 7 。
上記の威力による分類とは別に、特定の用途に特化した小型の火器も開発された。
「二連発手中筒」の「手中筒」という呼称は、上記のいずれの分類にも見られない特殊なものである。これは、大筒のように地面に据え置くのではなく、「手中に収めて撃つ大筒」という、特殊なカテゴリーの兵器を指す呼称であったと考察される。すなわち、戦場において、通常の小筒や中筒を超える破壊力・制圧力を持ちながら、限定的ながら機動性も確保したいという、特定の戦術的要求から生まれたものであろう。その反動は極めて強烈で、射手は射撃時に自ら転がることで衝撃を吸収する必要があったという大筒の記述から類推するに 6 、精密な照準よりも、至近距離での面制圧や、敵が構える盾や陣地の建具などを破壊することを目的とした特殊兵器であった可能性が高い。
このような兵器分類の多様化は、戦国後期の戦闘がより複雑化したことを示唆している。「小筒」「中筒」「大筒」という分類が「威力」を軸とした垂直的な分類であるのに対し、「馬上筒」「短筒」、そして本稿が定義する「手中筒」は、「運用形態」を軸とした水平的な分類である。これは、戦闘経験が蓄積されるにつれ、騎馬戦闘、奇襲、攻城戦、白兵戦といった様々な状況に応じた最適な火器が求められるようになった結果と言える。例えば、足軽の集団射撃では対応しきれない、城門に取り付いた敵兵を一掃する、敵の盾衾(たてぶすま)を粉砕するといった局所的な火力支援のニーズに応えるべく、大筒の威力を持ち運び可能なサイズに収めた「手中筒」という概念が生まれたと推測できる。兵器の進化が単なる威力向上だけでなく、戦術思想の分化と密接に連動していたことを示す重要な証左である。
「二連発手中筒」の核心は、二つの銃身をいかにして一つの銃として機能させ、連続射撃を実現するかにあった。その構造と機構には、当時の鉄砲鍛冶の創意工夫と技術的限界が凝縮されている。
二本の銃身を並べる方式としては、水平に並べる「並列式(サイド・バイ・サイド)」と、垂直に重ねる「上下式(オーバー・アンダー)」の二つの可能性が考えられる。並列式は照準がつけやすいが横幅が広くなり、上下式はスリムだが重心が高くなるなど、それぞれに一長一短があった。
銃身そのものは、当時の一大生産地であった国友(現在の滋賀県長浜市)などで確立された、鉄の板を筒状に巻き付けて鍛接する「巻き鍛え」の技術で製造されたと考えられる 14 。しかし、二本の銃身を発射の衝撃や熱膨張による歪みなく、かつ強固に固定するには、極めて高度な鍛冶技術とろう付けの知識が要求された。この製造の困難さ自体が、この銃がごく少数しか存在しなかった一因と推察される。
二連発を実現するための点火機構は、この銃の最大の特徴であり、技術的課題の核心であった。複数の方式が考えられるが、それぞれに利点と重大な欠点を抱えていた。
二本の銃身それぞれに、独立した火挟み、火皿、そして機関部(からくり)を備える方式である。引き金も二つ備えるか、あるいは一つの引き金で順次作動する精巧な機構が組み込まれていた可能性がある。この方式の利点は、構造が(概念的には)明快であり、一方の不発が他方に影響しにくい点にある。しかし、機構が単純に二倍になるため、極端に重く、嵩張り、製造コストも跳ね上がる。また、二つの「からくり」 16 を狭い銃床に埋め込むのは、木工技術の観点からも至難の業であっただろう。
機関部は一つで、最初の銃身が発射されると、その火皿の爆炎が隣の銃身の火皿に繋がる導火線に点火し、連鎖的に二射目が発射される方式である。焙烙火矢などで見られる技術ではあるが 18 、銃の精密な連射には不向きであった。導火線の燃焼速度が不安定で二射目のタイミングを制御できず、また湿気や衝撃で機能不全に陥る可能性も高いためである。機構を簡略化できる利点はあるものの、信頼性に大きな問題を抱えていた。
ユーザーからの情報にある「火種を直接火門に押し付けて発射させる」という記述を基にした考察である。この場合、銃には火挟みや引き金といった精巧な「からくり」が存在せず、二つの銃身にそれぞれ火皿と火門が設けられているのみとなる。射手は手に持った火縄の先端を、まず一番目の火皿に押し付けて発射し、続けて二番目の火皿に押し付けて二射目を行う。この方式の利点は、機構を極限まで簡略化できるため、軽量化、コストダウン、そして機械的故障率の低下が見込める点にある。
しかし、その欠点は致命的である。 それは極めて危険であるということだ。 一射目の発射時に飛び散る火の粉が、すぐ隣にある二番目の火皿に盛られた口薬(点火薬)に引火し、意図せぬ暴発、すなわち「誘爆」を引き起こす可能性が非常に高い。戦場で兵士たちが密集して射撃する際に、互いの火の粉による暴発が懸念されていたほどである 6 。ましてや、数センチしか離れていない隣の火皿への引火リスクは計り知れない。さらに、動揺する戦場で二つの火皿に正確かつ迅速に点火するのは至難の業であり、連射の利点を帳消しにしてしまう可能性もあった。
これらの点火方式の選択肢は、単なる技術的な違いに留まらない。それは「確実性・安全性」を追求する思想と、「簡易性・即時性」を追求する思想の対立を反映している。方式1は、コストや重量を度外視してでも確実な二連射を目指す、財力のある大名が威信をかけて作らせた「決戦兵器」の思想に近い。対照的に、方式3は射手の安全性を犠牲にしてでも、単純で壊れにくい構造を優先した思想であり、使い捨ての奇襲兵器など、極めて特殊な状況下での運用を想定していたのかもしれない。ユーザーが示唆した「危険な点火方式」は、後者の思想の産物である可能性が高く、「二連発手中筒」が一種類ではなく、異なる設計思想に基づいた複数のバリエーションが存在した可能性を示している。
革新的な発想から生まれた「二連発手中筒」であったが、その戦術的価値は、理想と現実の間に大きな隔たりがあったと推測される。
この特殊な銃は、一般的な足軽の装備ではなく、特定の目的を持った兵士や武将によって運用されたと考えられる。
この銃の評価は、その華々しい利点と、それを帳消しにするほど深刻な欠点との比較によって決まる。
利点(虚像)
欠点(実像)
以上の分析から、「二連発手中筒」は戦場の主力兵器として普及するにはあまりにも多くの欠点を抱えていたと結論づけられる。その価値は、実用的な兵器としてよりも、所有者の権威や財力を示す「威信財」(豪華な象嵌が施された献上品の銃などが存在する 20 )、あるいは特定の目的のために特注された「一回限りの切り札」としての側面にこそあったと考えられる。
この銃の評価は、兵器の本質的な価値とは何かを問いかける。その価値は、カタログスペック上の性能(連射能力)だけで決まるのではない。むしろ、いかなる状況でも確実に作動するという「信頼性」と、使用者が安心して使える「安全性」こそが、兵器が兵器として成立するための根幹である。標準的な火縄銃は、構造が比較的単純で故障が少なく 17 、数多の戦場でその信頼性が証明されたからこそ、足軽の主兵装となり得た 1 。「二連発手中筒」は、派手な性能と引き換えに、兵器として最も重要な「信頼性」を犠牲にした。これが、この銃が歴史の表舞台から消え、ごく一部の「変わり鉄砲」として記憶されるに留まった根本的な理由である。この銃の失敗は、逆説的に、標準的な火縄銃の設計がいかに完成度の高いものであったかを証明しているとも言えるだろう。
「二連発手中筒」は孤立した存在ではなく、戦国時代から江戸時代にかけて製作された、多種多様な「変わり鉄砲」の系譜に連なるものとして理解することができる。平和な江戸時代に入っても、砲術家の技術的探求心は衰えず、様々な実験的・独創的な鉄砲が作られた。
「二連発」という発想は、他の例にも見ることができる。
限定的な状況下での使用を前提とした他の特殊火器との比較も有効である。
各銃の設計思想の違いと、「二連発手中筒」の特異な立ち位置を明確にするため、以下の表にその特徴を整理する。この表は、戦国時代の多様な戦術的要求が生み出した「兵器の生態系」の中で、各銃がどのようなニッチを占めようとしたのかを構造的に示している。
銃種 |
主な特徴 |
想定される用途 |
利点 |
欠点 |
二連発手中筒 |
二銃身による連射能力。比較的大口径。 |
個人の護身、近接戦闘での奇襲・制圧、特殊任務。 |
瞬時の連射による圧倒的火力。強い心理的効果。 |
極端な重量、劣悪なバランス、装填の遅さ、命中精度の低さ、誘爆の危険性、高コスト。 |
馬上筒 |
騎乗での運用を想定した短銃身 8 。 |
騎馬戦闘、伝令の護身、斥候。 |
携帯性、馬上での取り回しの良さ。 |
短銃身ゆえの射程と威力の限界。片手撃ちは困難。 |
短筒 |
馬上筒よりさらに小型の拳銃型 11 。 |
暗殺、極至近距離での護身、隠し武器。 |
最高の隠匿性・携帯性。 |
威力・射程・命中精度が著しく低い。反動が強く扱いは極めて難しい 11 。 |
仕込銃 |
刀や杖などに偽装した隠し武器 24 。 |
暗殺、不意打ち、最後の切り札。 |
奇襲効果が絶大。相手の警戒を解ける。 |
ほぼ一発限りの使い捨て。構造が脆弱で威力・精度は期待できない。 |
「二連発手中筒」は、戦国時代の「速射性への渇望」が生んだ野心的な試みであったが、最終的に戦場の主役となることはなかった。その理由は、本報告書で詳述した通り、技術的限界(重量・バランス)、運用上の致命的な欠陥(装填の煩雑さ・誘爆の危険性)、そして経済的な制約(高コスト)が、その戦術的利点を上回ってしまったからである。それは、一部の好事家や特殊な目的を持つ武将のための「異形の徒花(あだばな)」であり、歴史の必然として淘汰されたと結論づける。
しかし、その存在意義は失敗の中にある。この銃の試行錯誤は、後の火器開発、特に連射機構への挑戦の礎となった可能性がある。また、この銃が直面した課題は、当時の日本の鍛冶技術が到達していた水準と、同時にその限界を我々に教えてくれる貴重な指標である。それは、当時の人々の創意工夫と、飽くなき探求心の紛れもない証左なのである。
「二連発手中筒」に関する直接的な記述は極めて少ないが、その実物が日本のどこかに現存している可能性はゼロではない。国友鉄砲ミュージアム 14 、彦根城博物館 21 、大阪城天守閣 30 といった主要な収蔵機関や、あるいは地方の旧家、個人蔵の中に、未発見の「変わり鉄砲」として眠っているかもしれない。今後の古文書の発見や、現存する特殊な火縄銃の再調査・再鑑定によって、この「歴史の狭間に消えた異形」の具体的な姿が明らかになる日が来ることを期待し、本報告書を締めくくる。