最終更新日 2025-08-12

大井戸加賀

大井戸茶碗「加賀」は、青みを帯びた釉調と「むら雲」「雨漏り」の景色が特徴。天下の三井戸の一つで、戦国武将が権力と精神性を求めた茶の湯文化を象徴。松平不昧が蒐集。
大井戸加賀

大井戸茶碗「加賀」の深層:戦国の美意識と権力の象徴

序章:戦国の世と一碗の茶碗

戦国時代、それは約150年にわたり日本列島が絶え間ない戦乱と社会変動に揺れた時代である。しかし、この時代は単なる破壊と混沌の時代ではなかった。むしろ、旧来の権威が失墜し、新たな価値観が生まれる中で、日本の文化と美意識が劇的な深化を遂げた時代でもあった。この文化的爛熟の中心に位置したのが、「茶の湯」であった。茶の湯は単なる喫茶の習慣ではなく、精神的な修養の場であり、そして何よりも重要な政治・社交の舞台であった 1

この時代、武将たちが渇望したのは領地や黄金だけではなかった。一碗の茶碗、一本の茶杓といった「名物道具」が、時として一城に匹敵する、あるいはそれ以上の価値を持つとされた 3 。織田信長は、功績を挙げた家臣に対し、領地の代わりに名物茶器を与えることで報いた。これは、自らが価値を定める文化的な権威を確立し、家臣団を掌握するための極めて高度な政治戦略であった 3 。戦場の殺伐とした日々から離れ、静謐な茶室で一碗の茶と向き合う時間は、武将たちにとって禅の精神にも通じる自己との対話であり、精神的な安寧を取り戻すための不可欠な儀式でもあった 1

この新たな価値観の中で、日本の美意識に革命をもたらしたのが「井戸茶碗」の「発見」である。もともと朝鮮半島において、民衆が日常的に使用する雑器として焼かれたこれらの器は、日本の茶人たちによって見出され、新たな美の対象として昇華された 5 。それまで茶の湯の世界で至上とされてきた、中国渡来の精緻で華麗な「唐物」とは対極にある、素朴で、作為がなく、不完全さをも内包するその姿は、村田珠光や武野紹鷗らが追求した「わび茶」の精神を完璧に体現していた 6

この井戸茶碗の中でも、至高の存在として茶の湯の歴史にその名を刻むのが、「天下の三井戸」と称される三つの名碗である。すなわち、国宝「喜左衛門」、重要文化財「細川」、そして本稿の主題である「加賀」である 9 。これらの茶碗は、単なる器物の域を遥かに超え、戦国から江戸時代にかけての日本の精神文化を象徴する存在となった。本報告書は、特に「大井戸加賀」に焦点を当て、その物理的な特徴から、戦国の世においてなぜこれほどの価値を持ち得たのかという文化的・歴史的背景に至るまで、多角的にその深層を解き明かすことを目的とする。

第一章:「大井戸加賀」の全貌 — その姿と内に秘めたる景色

大井戸茶碗「加賀」は、その静かな佇まいの中に、観る者を惹きつけてやまない複雑で深遠な世界を秘めている。その造形、釉薬の表情、そして高台の作行きに至るまで、一つ一つの要素が絶妙な調和を保ち、天下の名碗たる品格を物語っている。

第一節:造形美の探求

「加賀」の寸法は、高さが7.7cmから8.1cm、口径が14.4cmから15.1cmと記録されている 10 。口径が15cm前後の大きさは、井戸茶碗の中でも特に大振りな「大井戸」に分類される基準を満たしており、その堂々とした存在感の源泉となっている 11

その姿は、やや開き加減の椀形(わんなり)で、胴には力強くうねるような轆轤目(ろくろめ)が走り、静的な器物にダイナミックな生命感を与えている 10 。この轆轤目は、陶工の手の動きを直接的に伝える痕跡であり、使い手が茶碗を手に取った際に、指先にその力強い創造のエネルギーを感じさせる。

内部(見込み)に目を転じると、その中心には小さくも深い茶溜まり(ちゃだまり)が形成されている。この茶溜まりは、陶工の強い指さばきによって、あたかも巴状に捻り込まれたかのように見えると評され、無名の職人の制作過程における一瞬の集中と気迫を今に伝えている 10 。この微細な部分にこそ、作り手の魂が宿るとされ、茶人たちはここに深い味わいを見出した。

第二節:釉薬と景色の妙 —「獅子」の異名を探る

「加賀」の最大の魅力は、その変幻自在とも言える釉薬の景色にある。全体として青みを帯びた地釉の中に、白釉が打ち混ざるように掛かり、単一ではない複雑な色調を生み出している 10 。その様子は、ある時は黒ずんで見え、またある時は真っ白にも見えると評され、光の加減や観る者の心境によって無限の表情を見せる 13

特に賞賛されるのが、内外に現れる濃い鼠色の染みである。これは「むら雲」と呼ばれ、あたかも空に浮かぶ雲のような景色を器表に作り出している 10 。さらに、釉薬の表面に生じた細かいひび割れ(貫入)から茶渋などが染み込み、独特の景色を呈する「雨漏り(あまもり)」と呼ばれる現象が、この茶碗では特に顕著に見られる 10 。通常であれば欠点と見なされかねないこの染みこそが、長年使い込まれることで育まれた景色として、わび茶の美意識においては極めて高く評価される。

この茶碗には「獅子(しし)」という勇壮な異名がある。その由来については、二つの説が伝えられている。一つは、その変化に富んだ(波乱に富んだ)釉調の力強い印象から名付けられたとする説である 10 。もう一つは、より文化的背景の深い説で、謡曲『石橋(しゃっきょう)』の中の一節、「実にも上なき獅子王の勢(じつにもじょうなきししおうのいきおい)」に因んだとするものである 10 。これは、この茶碗が数ある名碗の中でも比類なき最上のもの、すなわち「百獣の王」たる獅子に喩えられたことを示唆しており、当時の茶人たちの深い教養と、この茶碗に対する最高の賛辞を物語っている。

第三節:高台の作行きと見所

茶碗の足元である高台(こうだい)は、その器の品格を決定づける重要な部分である。「加賀」の高台は、井戸茶碗の約束事とされる竹の節(たけのふし)のように、くびれを持つ力強い造形となっている 10 。その姿は、まっすぐに切り立っており、茶碗全体に安定感と緊張感を与えている。

一方で、井戸茶碗の最大の見所の一つとされる梅花皮(かいらぎ)は、「加賀」においては比較的穏やかである。梅花皮とは、高台周りの釉薬が焼成時に縮れて粒状になったもので、「喜左衛門」に見られるような激しいものではなく、「それほど著しくはない」あるいは「中途半端」とさえ評される 10 。しかし、この抑制された梅花皮こそが、「加賀」の静かで奥深い美しさの源泉となっている。激しさではなく、内に秘めた力を感じさせるこの subtlety こそが、熟練の茶人たちに愛された理由であろう。

高台の畳付(たたみつき)、すなわち畳や盆に接する部分には、五つほどの目跡(めあと)が残されている 10 。これは焼成時に他の器物と重ねたり、窯道具で支えたりした痕跡であり、この茶碗が実用的な器として生まれたことを示す証でもある。この無作為の痕跡すらも、茶人たちは景色として楽しみ、その来歴に思いを馳せたのである。

第二章:天下の三井戸 — 比較と位置付け

大井戸茶碗「加賀」の真価を理解するためには、同じく「天下の三井戸」と称される国宝「喜左衛門」、重要文化財「細川」との比較が不可欠である。これらは三者三様でありながら、それぞれが井戸茶碗の美の頂点を極めている。その比較を通じて、「加賀」の持つ独自の立ち位置と個性がより鮮明に浮かび上がる。


天下の三井戸 比較表

特徴

大井戸「加賀」

国宝 大井戸「喜左衛門」

重要文化財 大井戸「細川」

寸法 (口径/高さ)

約14.4-15.1cm / 7.7-8.1cm 10

約15.5cm / 9.0cm 14

約15.9cm / 9.1-9.6cm 15

釉調・景色

青みを帯びた地釉に白釉が交錯。染みが「むら雲」のよう。変化に富む 10

全体に枇杷色。一部青み。轆轤目が荒く、力強い 14

枇杷色で整った釉調。轆轤目はあまり際立たない 15

高台・かいらぎ

力強い竹の節高台。かいらぎは比較的穏やか 10

非常に見事なかいらぎ。高台脇の削りも景色となる 14

蛇蝎状に干割れる程度のかいらぎ。丁寧な削り 15

全体の印象

静かで奥深い景色の美。変幻自在 13

堂々たる風格。「茶碗の王者」 14

威風堂々としつつも、端正で品格がある 15

主な伝来

土岐美濃守→田沼家→松平不昧 10

竹田喜左衛門→本多忠義→松平不昧→大徳寺孤篷庵 14

細川三斎→伊達家→冬木家→松平不昧 15

現所蔵

個人蔵 (旧長尾美術館) 10

大徳寺孤篷庵 17

畠山記念館 15


第一節:王者「喜左衛門」との対比

国宝「喜左衛門」は、しばしば「茶碗の王者」と称される、井戸茶碗の代名詞的存在である 14 。その魅力は、何よりもまずその堂々たる風格にある。分厚い口作り、豊かに張った胴、そして力強い高台は、見る者を圧倒するような威厳を放つ 14 。特に高台周りの梅花皮は凄まじく、水玉のように釉薬が縮れ、その一部は素地を大胆に露出させている。この荒々しくも力強い景色こそが、「喜左衛門」の真骨頂である 14

これに対し、「加賀」の印象は対照的である。「喜左衛門」のような圧倒的な造形美というよりは、むしろ「非常に大人しい」と評されることもある 13 。その価値は、外形的な力強さではなく、釉薬が織りなす内省的で複雑な景色の美しさにある。もし「喜左衛門」が武将の剛勇を象徴するとすれば、「加賀」は深淵を覗き込むような静かな思索を誘う。両者は、井戸茶碗が持つ美の二つの異なる極致、すなわち「動」の美と「静」の美をそれぞれ代表していると言えよう。

第二節:盟友「細川」との比較

重要文化財「細川」もまた、「威風堂々」と形容される雄大な名碗である 15 。しかし、その作行きは「喜左衛門」とは異なり、より端正で品格が感じられる。轆轤目はあまり際立たず、高台脇の削りも丁寧で、全体として整った印象を与える 15 。その梅花皮も、「喜左衛門」のような激しいものではなく、釉面が蛇や蠍の皮のように干し割れる程度に留まっており、抑制の効いた美しさを見せる 15 。力強さの中に気品を兼ね備えた、まさに大名所持にふさわしい風格を持つのが「細川」である。

「加賀」は、この二つの名碗との比較において、独自の地平を切り開いている。「喜左衛門」ほどの造形的な迫力や、「細川」ほどの端正な品格とは異なる次元で、その価値を確立している。それは、釉薬が見せる景色の複雑さ、深遠さ、そして変幻自在さにおいて、他の二碗を凌駕する点にある。観るたびに新たな発見があるその景色は、尽きることのない魅力を放ち続けているのである。

第三節:三井戸に共通する品格 — 無垢なる見込み

これら三者三様の個性を持つ「天下の三井戸」には、極めて重要な共通点が存在する。それは、江戸時代後期の大名茶人・松平不昧が所持したこれら三碗が、いずれも茶碗の内部(見込み)に重ね焼きの跡である目跡を持たないことである 14

井戸茶碗は、もともと朝鮮半島で大量生産された日用雑器であったため、窯の中で効率よく焼くために器を重ねて焼成されることが多かった。その結果、下の器の内側には、上に重ねた器の高台の跡が円形の傷として残ることが一般的である。しかし、「喜左衛門」「細川」「加賀」の三碗には、この内側の目跡がない。これは、これらが焼成時に一番上に置かれたか、あるいは特別に一つずつ丁寧に焼かれたことを示唆しており、数ある井戸茶碗の中でも特に上質に作られた一級品であったことの証左となる。茶を点て、その緑と泡の美しさを味わう茶の湯の席において、見込みが無垢であることは、最高の美徳とされた。

この共通点は、単なる偶然ではない。これら三碗を最終的に一つのコレクションとして集大成した松平不昧の、卓越した審美眼の現れである。不昧は、個々に伝来してきた名碗の中から、この「内側の目跡がない」という共通の品格を見出し、それらを一揃いのものとして再定義した。後世の我々が「天下の三井戸」という一つのグループとして認識しているのは、不昧のこのキュレーションによる功績が大きい。一人の偉大なコレクターの美意識が、後世の価値観をも形成した顕著な例と言えるだろう。

第三章:戦国武将と井戸茶碗 — なぜ、ただの器が天下を動かしたのか

戦国の動乱期において、朝鮮半島で焼かれた名もなき雑器であった井戸茶碗が、なぜ一国の武将たちの心を捉え、時には領地以上の価値を持つ至宝として扱われたのか。その理由は、当時の美意識の変革と、茶の湯が果たした特異な政治的役割の中に求めることができる。

第一節:わび茶の美意識と井戸茶碗の「発見」

室町時代後期から戦国時代にかけて、千利休によって大成される「わび茶」の精神が、茶の湯の主流となっていった。わび茶とは、華美な装飾や完璧な造形を排し、簡素で静寂なものの中にこそ真の美を見出すという美意識である 8 。豪華な唐物道具を飾り立てる旧来の茶の湯に対し、わび茶はより内面的、精神的な充足を追求した。

このわび茶の思想にとって、井戸茶碗は理想的な器であった。砂混じりの荒い土、力強い轆轤目、そして焼成の炎の中で偶然生まれた釉薬の変化。そのどれもが、計算され尽くした美ではなく、自然で作為のない、素朴な力強さに満ちていた 11 。本来は生活の器であったがゆえの、飾り気のなさと大らかな姿が、かえって日本の茶人たちの心に深く響いたのである 6 。彼らは、ありふれた日用品の中に崇高な美を「見立てる」ことで、新たな価値を創造した。この「発見」こそが、わび茶の美学の核心であった。

第二節:権力の象徴としての茶道具

この新たな美意識は、戦国の覇者たちによって、極めて戦略的に利用された。特に織田信長と豊臣秀吉は、茶の湯を政治的支配の道具として巧みに用いた 1

信長は、服従させた大名や堺の豪商たちから、その証として名物茶器を献上させる「名物狩り」を積極的に行った 4 。これにより、文化的な至宝が自らのもとに集まるという構図を作り上げ、自身の権威を絶対的なものとして見せつけた。さらに信長は、家臣への恩賞として、土地や金銀ではなく、自らが価値を認めた茶器を与えた。これは、家臣にとって、単なる物質的な報酬以上の意味を持った。主君から名物を拝領することは、主君の特別な信頼を得て、その文化的なサークルの一員として認められたことを公に示す、最高の栄誉であった 2

茶室という空間もまた、特異な政治的舞台として機能した。狭く、簡素な茶室の中では、身分や階級が一時的に取り払われ、誰もが平等であるとされた 19 。この非公式な空間は、公式の場ではできないような腹を割った対話や、同盟交渉、密談を行うのに最適な場所であった 2 。そのような場で、主人が「加賀」のような天下の名碗を用いて客をもてなすことは、自身の権力、財力、そして何よりも洗練された審美眼を誇示する、この上ないデモンストレーションとなったのである。

このように、井戸茶碗は二重の役割を担っていた。一方では、戦乱の世に生きる武将が精神的な安らぎを求めるための、静謐な美の対象であった。そしてもう一方では、自らの権力を誇示し、他者を操るための、冷徹な政治的ツールでもあった。この精神性(文)と政治性(武)の二面性こそが、井戸茶碗を戦国時代という特異な時代を象徴する器たらしめた根源的な理由なのである。わび茶と井戸茶碗の隆盛は、単なる美意識の変化に留まらなかった。それは、旧来の足利将軍家が主導した唐物中心の文化から、新興の武将たちが主導する日本独自の文化への転換を象徴する出来事であった。新たな政治秩序を打ち立てようとする彼らにとって、新たな文化秩序のパトロンとなることは、自らの正統性を補強する上で極めて重要だったのである。

第四章:「加賀井戸」の伝来と現代

名碗「加賀井戸」がたどった軌跡は、それ自体が日本の近世から近代にかけての権力と文化の変遷を映し出す物語である。その名の由来から、数々の大名の手に渡り、そして現代に至るまでの道程を追う。

第一節:加賀前田家所持説の検証

「加賀井戸」という名称は、しばしば加賀百万石を領した前田家が所持していたことに由来すると考えられがちである。確かに前田家は、3代藩主利常をはじめとして歴代当主が茶の湯を深く愛し、数多くの名物道具を所蔵していたことで知られる 21

しかし、「加賀井戸」に関しては、前田家が所持したという直接的かつ確実な記録は、信頼性の高い古文書には見出されていない。その名称は、特定の所有者に由来するものではなく、その来歴の初期段階において、加賀国(現在の石川県)に存在したことに由来するというのが、最も有力な説である 10 。地名が茶碗の呼び名となる例は他にもあり、「加賀井戸」もその一つと考えられる。これは、名称の由来(地理的要因)と所有者(個人的来歴)を区別して考えるべき学術的な正確さを要求する点である。

第二節:数寄大名・松平不昧の手に渡るまで

「加賀井戸」の確かな伝来は、江戸時代中期の土岐美濃守の所持から始まる。その後、幕府の老中として絶大な権勢を誇った田沼意次の一族である田沼家に渡った 10 。田沼家から、この名碗はついに、江戸時代を代表する大名茶人であり、史上屈指のコレクターとして知られる出雲松江藩主、松平不昧(ふまい)の所蔵となる。

不昧がこの茶碗を手に入れたのは、寛政・享和年間(1789年-1804年)のことで、その価格は金五百両であったと伝えられる 10 。この蒐集は、不昧にとって長年の悲願の達成を意味した。なぜなら、この「加賀井戸」を手に入れたことで、先に所蔵していた「喜左衛門」「細川」と合わせ、「天下の三井戸」すべてを自らの蔵に収めるという、前代未聞の偉業を成し遂げたからである 10 。不昧が後継者である子の月潭(げったん)に対し、この茶碗を永く大切にするよう遺言で諭したという逸話は、彼がこの茶碗に抱いていた並々ならぬ思い入れを物語っている 10 。この茶碗の来歴は、戦国時代の武将から、江戸中期の権力者、そして江戸後期の文化的権威へと、日本の支配者層の変遷をなぞるように受け継がれてきたのである。

第三節:長尾美術館から現在へ — 名碗の行方

近代に入り、「加賀井戸」は実業家・長尾欽彌、よね夫妻によって設立された神奈川県の長尾美術館のコレクションに収蔵された 10 。同美術館は、国宝や重要文化財を含む質の高いコレクションで知られていた。

しかし、その後、長尾美術館は閉館し、そのコレクションは散逸した。現在、「加賀井戸」の所在は公にはなっておらず、「個人蔵」として記録されている 13 。これは、「喜左衛門」が大徳寺孤篷庵に、「細川」が畠山記念館にそれぞれ所蔵され、その姿を公の場で目にすることができるのとは対照的である。この所在の不確かさが、「加賀井戸」にさらなる神秘的なヴェールをかけ、その伝説性を高めている。歴史的な名品でありながら、今は誰の目にも触れることなく、静かにその存在を保っている。この現代におけるミステリアスな一章もまた、「加賀井戸」の物語の不可分な一部となっているのである。

結論:一碗に宿る宇宙

大井戸茶碗「加賀」、またの名を「獅子」。その探求を通じて明らかになるのは、この一碗の茶碗が単なる陶磁器ではないということである。それは、戦国時代の武将たちの野心と精神性、わび茶の深遠な美意識、江戸時代の数寄者たちの洗練された審美眼、そして現代における我々の憧憬が交差する、日本の文化史そのものを凝縮した結晶体である。

その価値は、荒々しい土と炎が生み出した偶然の造形美に留まらない。信長や秀吉といった天下人が茶の湯を政治の道具として用いた時代背景の中で、この茶碗は権力とステータスの象徴となった。一方で、戦乱に疲弊した武将たちの心を癒す、静謐な精神世界の入り口でもあった。この二面性こそが、戦国という時代における井戸茶碗の重要性を物語っている。

「天下の三井戸」の中で、「加賀」が放つ個性は特に示唆に富む。「喜左衛門」が持つ王者の風格や、「細川」が備える端正な品格とは異なり、「加賀」の魅力はその静けさと、内に秘めた景色の無限の深さにある。その変幻自在な釉調は、観る者に能動的な関与を求める。それは一目見て理解できる美しさではなく、時間をかけて向き合い、対話し、その内なる宇宙を発見していく美しさである。

松平不昧という一人の偉大なコレクターによって三井戸が一堂に会し、その品格が再定義された歴史は、名物が単に存在するだけでなく、時代時代の目利きによって「語られ」「編纂される」ことで、その価値を確固たるものにしていく過程を示している。そして現代、その所在が個人蔵として秘されている事実は、この名碗の物語に新たな神秘性を与え続けている。

「大井戸加賀」は、その静かなる佇まいの中に、戦国の風雲から現代の静寂に至るまでの、日本の精神史を宿している。その一碗を前にした時、我々は単なる器物ではなく、時を超えて受け継がれてきた美意識と価値観の総体と対峙するのである。その奥深い魅力が、これからも人々を惹きつけてやまないことは疑いない。

引用文献

  1. なぜ、武士に茶の湯が? http://www.kyoto-be.ne.jp/rakuhoku-hs/mt/education/pdf/social0_26.pdf
  2. 血で血を洗う戦国時代。織田信長ら武将たちが、茶の湯にはまった3つの理由 - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/73672/
  3. その価値、一国相当なり!戦国時代の器がハンパない件。 | 大人も子供も楽しめるイベント https://tyanbara.org/sengoku-history/2018010125032/
  4. なぜ戦国時代のエリートらは茶道に熱狂したのか 政治に利用、武士としての評価にもつながった https://toyokeizai.net/articles/-/622632?display=b
  5. 大井戸茶碗 有楽井戸 - 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/497983
  6. 井戸茶碗 | 日本大百科全書 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/contents/nipponica/sample_koumoku.html?entryid=1807
  7. 井戸茶碗(イドヂャワン)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E6%88%B8%E8%8C%B6%E7%A2%97-31730
  8. わび茶 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%B3%E8%8C%B6
  9. 井戸茶碗 銘 細川 | 茶道具 - コレクション - 荏原 畠山美術館 https://www.hatakeyama-museum.org/collection/teaset/000002.html
  10. 加賀井戸 一名獅子 - 鶴田 純久の章 https://turuta.jp/story/archives/1712
  11. bunka.nii.ac.jp https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/497983#:~:text=%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E3%81%AA%E9%A2%A8%E6%83%85%E3%81%8C%E3%80%81%E6%88%A6%E5%9B%BD,%E9%AB%98%E3%81%8F%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
  12. 井戸茶碗(いどちゃわん)とは|高麗茶碗で人気の高い種類の特徴を解説 https://touji-gvm.com/idoteabowl/
  13. 大井戸茶碗『加賀』 - 茶道具事典 https://tea-ceremony-tokyo.club/%E5%A4%A7%E4%BA%95%E6%88%B8%E8%8C%B6%E7%A2%97%E3%80%8E%E5%8A%A0%E8%B3%80%E3%80%8F%EF%BD%9C%E4%BA%95%E6%88%B8%E8%8C%B6%E7%A2%97/
  14. 大井戸茶碗 銘 喜左衛門 - 鶴田 純久の章 https://turuta.jp/story/archives/17977
  15. 大井戸茶碗 銘 細川 - 鶴田 純久の章 https://turuta.jp/story/archives/17995
  16. 井戸茶碗 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%88%B8%E8%8C%B6%E7%A2%97
  17. 「井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ」 根津美術館 | 猫アリーナ - FC2 https://nekoarena.blog.fc2.com/blog-entry-2045.html
  18. 松平不昧公 大間違い!喜左衛門井戸が雲州蔵帳にあった!! | bunpuku-sadouのブログ https://ameblo.jp/bunpuku-tokyo-sadou/entry-12809301341.html
  19. 戦国武将と茶の湯/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90457/
  20. 井戸茶碗|国史大辞典・日本国語大辞典 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=869
  21. 刀剣・粉引茶碗 銘楚白 - 石川県 https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kougeihin/k-1.html
  22. 美濃焼の起源 http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~tosnaka/201108/minoyaki_kigen.html