本報告書は、戦国時代の武将・前田慶次(前田利益)の愛馬として広く知られる「松風」について、史実、伝承、そして創作という三つの側面から多角的に調査し、その実像と文化的影響を明らかにすることを目的とする。特に、史料における記述の分析、関連する逸話の形成と変遷の過程、さらには現代の文学作品や大衆文化における松風像の受容と変容を重点的に考察する。
戦国時代において、馬は単なる移動手段や戦闘における兵力としてだけでなく、武将の権威や個性、さらには武運を象徴する存在でもあった。優れた馬を所有することは武将にとって一種のステータスであり、その勇壮な姿や主人との絆を伝える多くの名馬伝説がこの時代に生まれた背景がある 1 。例えば、武田信玄の愛馬「黒雲」は信玄以外には乗りこなせない気性の荒い馬として、また島津義弘の愛馬「膝突栗毛」は主君の危機を救った忠義の馬として語り継がれている 2 。これらの逸話は、武将と愛馬の間に育まれた強い絆や、馬の並外れた能力を強調するものが多く、後世の人々の想像力を掻き立ててきた 2 。
前田慶次は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて生きた武将であり、特に「傾奇者(かぶきもの)」としての型破りな言動や風流を好んだ生き様で知られている 2。その生涯には謎が多く、数々の逸話が残されているが、その愛馬として登場するのが「松風」である。松風は、慶次の奔放なイメージと不可分に結びつき、特に江戸時代以降の講談や、現代における小説・漫画などの創作物を通じて、特異な存在感を持つ名馬として広く認知されるに至った 5。
戦国武将と馬の関係性において、前田慶次と松風の逸話は、他の多くの名馬伝説とはやや異なる特徴を持つ。例えば、武田信玄と「黒雲」や島津義弘と「膝突栗毛」の逸話が、馬の忠誠心や能力、あるいは主君との深い絆を主眼に置くのに対し、松風に関する最も有名な逸話である前田利家からの強奪譚は、松風自身の能力よりも、慶次の大胆な機転や反骨精神を際立たせる役割を担っているように見受けられる 2。この点は、松風が単なる優れた馬としてだけでなく、慶次の「傾奇者」としての性格を象徴する存在として語られてきたことを示唆している。
前田慶次、本名を前田利益(まえだ とします、または としたか)といい、滝川一益の一族出身で、前田利家の兄である前田利久の養子となったとされている 5 。義理の叔父にあたる前田利家との関係が悪化し、前田家を出奔した後、京都で浪人生活を送ったり、上杉景勝に仕官したりしたと伝えられる 2 。その生涯は「傾奇者」としての数々の逸話に彩られているが、その多くは後世の創作である可能性も指摘されており、史料が乏しいことから謎の多い人物とされている 2 。
前田慶次の愛馬として「松風」の名は、江戸時代に編纂された複数の文献に見出すことができる 1 。中でも、『常山紀談』、『武辺咄聞書』、『可観小説』といった書物が、松風に関する逸話を伝える主要な史料として挙げられる 7 。これらの文献は、後世における前田慶次および松風のイメージ形成に大きな影響を与えたと考えられる。
松風に関する最も著名な逸話は、前田慶次が叔父である前田利家を水風呂に誘い込み、その隙に利家の愛馬であった松風を奪って出奔したというものである 2 。この逸話は、慶次の大胆不敵さ、機知に富んだ策略、そして利家との間の緊張関係を象徴的に示すものとして、広く知られている。
この逸話は、複数の江戸時代の編纂物に見られる。
これらの文献は、いずれも江戸時代に成立した二次史料であり、逸話が語り継がれる中で面白さを追求するために脚色された可能性を常に考慮する必要がある。一部の資料 7 でこれらの史料が「一級史料」と表現されている場合があるが、これは当時の逸話集としての価値や影響力を指すものであり、現代歴史学における一次史料(同時代史料)とは区別して理解すべきである。
前田慶次自身に関する同時代の史料が極めて乏しいことから 5、松風強奪譚が完全に史実であると断定することは困難である。しかしながら、複数の編纂物に類似の逸話が収録されているという事実は、江戸時代においてこの物語が広く流布し、前田慶次の人物像を形成する上で重要な役割を果たしていたことを示している。
この松風強奪譚は、単に馬を盗むという行為以上に、当時の絶対的な権力者の一人であった前田利家を相手取り、大胆不敵な計略をもって出し抜くという痛快な物語性が、人々に強くアピールしたと考えられる。慶次が「傾奇者」として、既存の権威や秩序に対してある種の挑戦的な態度をとる人物として描かれる上で、この逸話は非常に効果的であった。この物語の流布は、慶次の「天下御免の傾奇者」というパブリックイメージの確立と深く結びついていると言えよう。
『武辺咄聞書』には、前田慶次が京都において、愛馬松風を贅沢に飾り立てて市中を練り歩き、供の者に松風と自身の名を名乗らせる歌を歌わせたという逸話も記されている 9。この逸話は、慶次の自己顕示欲の強さや、松風を単なる乗馬としてではなく、自らの威光や存在感を示すための重要な道具、あるいは相棒として捉えていた可能性を示唆している。
この京での松風披露の逸話は、慶次の「傾奇者」としての美意識と、一種のパフォーマンス性を如実に示している。高価な馬具で飾り立てた名馬と、それを衆目に晒す際の独特の演出(馬丁の装束や歌)は、当時の都の人々の耳目を集め、慶次の名を効果的に広める手段であったと同時に、彼自身の美学の実践でもあったと考えられる。このような行動は、計算された自己プロデュースであり、情報発信の中心地であった京都において、自身のブランドイメージを確立しようとする戦略的な側面も持ち合わせていた可能性がある。
一部の資料においては、松風の別名として「谷風(たにかぜ)」という名が挙げられている 3。ブログ記事 20 では「後に松風と呼ばれ戦国一の勇馬である谷風を愛馬とし」と、谷風が元の名前であるかのような記述が見られるが、これは前田利家の視点から語られたものであり、史料的価値は低いと判断される。他の多くの資料では「別名谷風」という形での言及が主である 3。
「谷風」という名の具体的な由来や、松風と谷風が同一の馬を指すのか、あるいは全く別の馬である可能性、さらには一方が他方の誤伝であるのかなどについては、現存する信頼性の高い史料からは明確な結論を導き出すことは困難である。
「谷風」という別名の存在は、松風に関する伝承が一つではなく、複数の系統やバリエーションを持っていた可能性を示唆している。仮に「谷風」が松風の元の名前であったり、特定の地域での呼び名であったりした場合、慶次が後に「松風」と名付けた、あるいは「松風」という名で呼ばれるようになった背景には、何らかの理由が存在したのかもしれない。例えば、「松風」という名称が持つ詩的で風流な響きに対し、「谷風」はより素朴で力強い印象を与える可能性がある。慶次が「松風」の名を好んだとすれば、それは彼の美意識や「傾奇者」としての自己演出と関連しているとも考えられる。しかし、これらはあくまで史料的裏付けを欠いた推測の域を出ず、今後の研究によって明らかにされるべき課題と言えるだろう。
昭和後期から平成にかけて、前田慶次と松風のイメージを決定づけた作品として、隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』が挙げられる 5。この作品において松風は、単なる名馬としてではなく、慶次の生き様を象徴する重要な存在として描かれている。
作中の松風は、上野国厩橋(現在の群馬県前橋市)の近くで野生馬の群れを率いていた漆黒の巨馬として登場する。全身には無数の傷跡があり、その姿は豪壮無比と形容される 21。慶次がその馬体に惚れ込み、命がけの駆け引きの末に心を通わせ、愛馬となる。特筆すべきは、慶次と松風の間には馬銜(はみ)をつけないという約束が交わされ、松風は慶次の意を汲んで自在に動くとされる点である 21。その速さは並の馬の倍近くあるとも描写されている 24。
慶次にとって松風は、単なる乗騎ではなく、戦場を共にする戦友であり、言葉を交わさずとも心を通わせる「莫逆の友」として位置づけられている。京都に滞在していた折には、馬小屋を設けずに土間で共に寝起きしたという描写もあり、両者の深い絆が強調されている 21。この『一夢庵風流記』によって、松風は、慶次の魂の片割れとも言うべき、人格や意思を持った特別な存在として、多くの読者に認識されるようになった。
隆慶一郎の『一夢庵風流記』を原作として、原哲夫が作画を手掛けた漫画『花の慶次 ―雲のかなたに―』は、松風のイメージをさらに視覚的に強烈なものとし、大衆に広く浸透させる上で決定的な役割を果たした 3。
この作品における松風は、一蹴りで人を殺傷できるほどの圧倒的な馬力と、並の馬をはるかに凌駕する巨躯の持ち主として描かれる 24。この描写は、史実として考えられる戦国時代の日本在来馬の平均的な体格 1 とは大きく異なり、物語性を高めるための創作上の誇張表現であると言える。
性格は非常に気性が荒く、基本的に慶次以外の人間を背に乗せることを許さない。しかし、人の言葉を理解するほどの知性を持ち、時には心の声を発するような描写も見られる 24。また、漫画オリジナルのエピソードとして、後藤又兵衛の馬狩りによって瀕死の状態となった松風の子馬を、慶次が松風の意を汲んで介錯するという感動的な場面も描かれており、松風のキャラクターに深みを与えている 24。
『花の慶次』におけるこのような松風の超人的な描写は、主人公である前田慶次の「戦国一の快男児」「天下御免の傾奇者」という破格のキャラクターを最大限に引き立てるための重要な装置として機能している。慶次自身が身長六尺五寸(約197cm)を超える大男として描かれていることからも 25、その英雄的なスケール感に見合う存在として、松風もまた現実の馬の制約を超えた、いわば「スーパーホース」として造形されたと考えられる。この現実離れした設定が、逆に慶次と松風のキャラクターの魅力を高め、読者に強烈な印象を残すことに成功したと言えるだろう。
江戸時代には、すでに「前田慶次」という人物を主題とした読み物のジャンルが一定の人気を博しており、かの新井白石も慶次を「世にかくれなき勇士なり」と評している 5。このような背景のもと、講談や軍記物語といった大衆向けの語り物を通じて、松風の逸話もまた広く語り継がれていったと考えられる 6。
これらの講談や軍記物語は、歴史的事実を忠実に伝えることよりも、聴衆や読者の興味を引き、娯楽性を提供することを主眼とする場合が多い。そのため、前田慶次の「傾奇者」としての特異なキャラクターや、その愛馬である松風の活躍は、格好の題材となったであろう。逸話が語り継がれる過程で、より劇的に、より英雄的に、あるいはより奇抜な形で脚色されていった可能性は十分に考えられる。
江戸時代の大衆芸能の中で形成された慶次と松風の物語は、史実の記録から徐々に離れ、人々が求める英雄像や名馬像へと「松風伝説」が再構築されていく過程であったと見ることができる。この過程で、後の小説や漫画などの創作の素地となるような、より物語性の高いエピソードが付加され、松風のイメージが豊かに肉付けされていったと推測される。
能楽の演目の一つに『松風』という作品が存在する。これは、摂津国須磨の浦を舞台に、かつて在原行平に寵愛された松風と村雨という二人の海女の霊が現れ、行平を恋い慕う情念を描いたものである 27 。この能の『松風』と、前田慶次の愛馬「松風」との間に直接的な関連性を示す史料は現在のところ確認されていない。しかし、「松風」という言葉が持つ、哀愁を帯びた響きや、風雅な情景を想起させるイメージが、何らかの形で間接的に影響を与えた可能性は皆無とは言えない。ただし、これはあくまで憶測の域を出るものではない。
「松風」という言葉は、日本の和歌や古典文学の世界において、文字通り松林を吹き抜ける風の音、あるいはその風情を表す語として古くから好んで用いられてきた。例えば、平安時代の代表的な物語文学である『源氏物語』にも「松風」という巻が存在し、これは作中で明石の尼君が詠んだ和歌「身を変へて一人帰れる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く」に由来するとされる 29。また、禅の言葉としても「松風一曲清音をきたす」といった句があり、そこでは松風の音が清らかさや自然の奥深い趣を象徴するものとして捉えられている 30。
このように、「松風」という言葉には、日本の伝統文化の中で育まれた、ある種の気高さや風流、あるいは自然への畏敬といったニュアンスが付与されている可能性がある。
戦国時代における馬の名前の付け方を見ると、その馬の毛色(例:「黒雲」、「鬼鹿毛」、「月毛」など)や産地、あるいは身体的な特徴に由来するものが一般的であった 1。これに対し、「松風」という名は、そうした具体的な特徴を直接示すものではなく、より詩的で抽象的な響きを持っている。
漫画『花の慶次』の設定では、慶次がその巨体にもかかわらず疾風のように駆ける様から「松風」と名付けたとされている 23。これが仮に何らかの伝承に基づくとすれば、その並外れた速さや力強さを、松林に激しく吹き付ける風の勢いに喩えたものと解釈できるかもしれない。
「松風」という命名は、単に個体を識別するための符号を超えて、その馬が持つ特別な雰囲気や、あるいは所有者である前田慶次の美意識を反映したものである可能性が高い。他の多くの名馬の名前が、馬の即物的な特徴(例えば毛の色が黒いから「黒雲」)を指し示しているのに対し、「松風」という名前は、情景や音、気高さといった、より感覚的で風雅なイメージを喚起させる。これは、和歌や連歌にも通じた文化人としての一面も持つ前田慶次の「傾奇者」としての風流に通じるものがあると言えるかもしれない。彼が愛馬にこのような詩的な名前を付けた(あるいは、そう呼ばれることを好んだ)とすれば、それは彼の文化的素養や美意識の現れと考えることもできるだろう。
戦国時代に武将たちが戦場で駆使したのは、主に日本在来馬と呼ばれる種類の馬であった。木曽馬、南部馬、三河馬などがその代表として知られている 1 。これらの馬の体高は平均して130cm程度であり、現代競馬で見られるサラブレッド種などと比較すると著しく小柄で、いわゆるポニーに近いサイズであったと理解されている 1 。体型はずんぐりむっくりとしたものであったが、力は強く、重い甲冑を身に着けた武士を乗せて険しい山道を行軍することも可能であった 1 。
当時の日本在来馬の毛色としては、鹿毛(かげ)、栗毛(くりげ)、葦毛(あしげ)、黒毛(くろげ)などが一般的であった 1 。これらの毛色は、しばしば馬の名前にも反映され、「黒雲」や「鬼鹿毛」といった名馬の名前の由来ともなっている。
現代の映画やテレビドラマなどで戦国時代が描かれる際、しばしば体格の大きな洋種馬が用いられることがあるが、これは視覚的な迫力を優先した演出であり、当時の日本の馬の実態とは異なる。前田慶次の愛馬・松風が、特に漫画『花の慶次』などで非常に巨大な馬として描かれるのも、物語性を高めるための創作上の演出と理解すべきである。
騎馬武者は、戦場における高い機動力を有する戦力として重要視された。馬は、敵陣への突撃や敗走する敵の追撃、あるいは戦況を伝える伝令など、多岐にわたる役割を担った 32 。保有する馬の質や数は、その武将や大名家の軍事力を示す指標の一つでもあった。しかしながら、日本の戦場は山がちで複雑な地形も多く、ヨーロッパで見られるような平原での大規模な騎兵戦術が展開されることは限定的であったとも指摘されている。
当時の馬の飼育方法に関する詳細な一次史料は必ずしも多くないが、各地の牧(まき)における放し飼いや、武家屋敷内の厩舎(うまや)での管理が行われていたことが知られている 33。馬術に関しては、大坪流や荒木流といった流派が存在し、その調教法や騎乗技術が伝書として残されているものもある 34。
三重県立図書館の地域ミニ展示「藤堂藩の武道・兵学」で紹介された荒木流馬術の伝書『絵図巻』によれば、馬の悪い癖を矯正するための「長鞭の秘術」として、縄や鞭を用いて馬に苦痛を与え、強制的に従順にさせる方法が図解入りで記されている 34。これは、当時の馬の調教が、現代の動物福祉の観点とは大きく異なり、馬を完全に人間の支配下に置き、意のままに操ることを最優先としていたことを示唆している。
戦国時代には、多くの武将とその愛馬に関する逸話が残されている。
これらの名馬伝説の多くは、馬の卓越した身体能力(速力、持久力、力強さなど)や、特異な気性(例えば主人のみに懐く、あるいは非常に気性が荒いなど)、そして主人に対する忠誠心を強調する傾向が見られる。松風に関する伝説も、その強靭さや俊足ぶり 1 、慶次の巨体をものともしなかった点 1 など、この類型に部分的に合致する要素を含んでいる。しかし、松風の伝説が他の名馬伝説と一線を画すのは、前田慶次の「傾奇者」という極めて特異なキャラクターと強く結びついている点である。これにより、松風の物語は単なる「優れた馬」の伝承を超え、慶次の生き様や価値観を象徴する、独自の文化的な意味合いを帯びるに至ったと言える。例えば、黒雲が信玄の武威を、膝突栗毛が島津義弘の武運を補強する存在として語られるのに対し、松風の最も有名な逸話である利家からの強奪譚は、慶次の機知と反骨精神を際立たせるものであり、フィクション作品においては慶次の無二の相棒として人格化される傾向が顕著である。この点で、松風伝説は、慶次の「傾奇者」としての英雄譚へと昇華されている側面が強い。
本報告書では、戦国時代の名馬「松風」について、史実、伝承、そして創作という複数の視点から調査を行った。
史料における松風は、主に江戸時代に編纂された『常山紀談』や『武辺咄聞書』といった文献の中に、前田慶次の愛馬として登場する。特に、叔父である前田利家から松風を奪い取ったという逸話や、京都で松風を飾り立てて披露したといった話が断片的に伝えられている。しかし、これらの史料は慶次の死後かなりの時間を経て成立したものであり、その記述の史実性を厳密に検証するには限界がある。
一方、文学や大衆文化、とりわけ隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』およびそれを原作とする漫画『花の慶次 ―雲のかなたに―』によって、松風は現代において極めて鮮烈なイメージを確立した。これらの作品群において松風は、単なる優れた馬ではなく、慶次の魂の伴侶であり、超人的な能力を持つ巨馬として描かれ、多くの人々に愛されるキャラクターとなった。
また、「松風」という名称自体が、能楽や和歌といった日本の伝統文化の中で育まれた詩的で風雅な響きを持っており、これが前田慶次の「傾奇者」としての美意識や風流を好む性格と結びつけて解釈できる余地があることも指摘できる。
前田慶次の愛馬・松風に関する情報は、史実、伝承、そして創作という三つの領域が複雑に絡み合って形成されている。史実としての松風の具体的な姿や生涯については不明な点が多い。しかし、それが故に、伝承や創作はその空白を埋めるようにして松風の物語を豊かにし、結果として松風は前田慶次という稀代の人物を象徴する文化的アイコンとして昇華された。
歴史学においては史実の探求が基本的な姿勢であるが、一方で、伝承や創作が人々の心にどのような影響を与え、時代を超えてどのように受容され、変容してきたのかを理解することもまた、文化史的な観点からは極めて重要である。松風の事例は、その好個の例と言えよう。
名馬「松風」の物語が、史実の曖昧さを超えて現代にまで強く語り継がれている最大の理由は、その主人である前田慶次の強烈なキャラクター性と不可分に結びついているからに他ならない。自由奔放、権威に屈しない反骨精神、比類なき武勇、そして洗練された風流心といった、慶次の多面的な魅力は、多くの人々を惹きつけてやまない。
特にフィクション作品において描かれる松風の、現実を超越した圧倒的な存在感と、慶次との間に描かれる人間同士のような深い絆は、読者や視聴者に強い感動やカタルシスを与え、時代を超えて愛される普遍的な魅力を獲得している。松風は、もはや単なる歴史上の馬という存在を超え、理想化された英雄譚の一部として、また自由や力強さの象徴として、現代においてもなお人々の心を捉え、語り継がれていくのであろう。
表1:主要史料・作品における「松風」関連記述の比較
史料/作品名 |
成立/発表年代 |
著者/作者 |
松風の描写(身体的特徴、性格、能力など) |
前田慶次との関係性 |
主要な関連逸話 |
史料的性格/創作上の特徴 |
『常山紀談』 |
江戸中期 (原型1739年頃, 完成1770年頃) |
湯浅常山 |
具体的な身体的特徴の記述は少ないが、名馬として認識される。 |
慶次の愛馬。利家が元々の所有者。 |
利家を水風呂に入れ、松風を奪って出奔 7 。 |
江戸時代の武将逸話集。史実性よりも教訓や逸話の面白さを重視する傾向 13 。 |
『武辺咄聞書』 |
江戸前期 (1680年成立) |
国枝清軒 (伝) |
「見事成る馬」と記述 9 。鹿毛。 |
慶次の所有する名馬。 |
京での松風披露(馬丁に派手な格好をさせ、慶次の名を歌わせる) 9 。利家からの強奪譚も記載 9 。 |
江戸時代の武辺咄集。聞書形式。逸話の収集が主目的。 |
『可観小説』 |
江戸中期 (1743年成立) |
青地礼幹 |
具体的な描写は少ないが、利家の名馬として登場。 |
慶次が利家から奪う対象。 |
利家からの強奪譚 7 。 |
加賀藩士による逸話集。 |
『一夢庵風流記』 (小説) |
1989年-1990年 |
隆慶一郎 |
全身漆黒、至る所に傷跡がある豪壮無比な巨馬。野生馬の頭。並の馬の倍近い速さ 21 。 |
慶次とは馬銜をつけない約束で心を通わせる「莫逆の友」。土間で共棲 21 。 |
野生馬の松風を慶次が命がけで口説き落とす。 |
前田慶次像を決定づけた歴史小説。史実を踏まえつつ大胆な創作を含む。 |
『花の慶次 ―雲のかなたに―』 (漫画) |
1990年-1993年 |
原作: 隆慶一郎, 漫画: 原哲夫 |
一蹴りで人を殺せるほどの巨体と馬力。並の馬の倍近い速さ。非常に癇が強く、慶次以外は乗せない。人の言葉を理解し、心の声を発する 24 。 |
慶次の戦友であり、心を通わせる相棒。馬銜をつけずに乗りこなす 24 。 |
上野国厩橋城近くで野生馬の群れを率いていたのを慶次が口説き落とす。子馬の介錯を慶次に託すオリジナルエピソードも 24 。 |
『一夢庵風流記』を原作とし、松風の超人的な能力や慶次との絆を視覚的に強調。エンターテイメント性が高い。 |