最終更新日 2026-06-19

合戦地域分類:北海道

「北海道」に属する合戦:6件

合戦概要
コシャマインの乱こしゃまいんのらん(1457)長禄元年、和人の搾取に怒ったアイヌのコシャマインが蜂起。武田信広の奇策で乱は鎮圧され、和人社会の権力構造が再編。戦国時代の到来を告げた。
志苔館周辺小戦しのりだてしゅうへんしょうせん(1568)永禄十一年、志苔館周辺で大規模な合戦の記録はない。蠣崎氏の交易独占体制下、和人とアイヌ間の小競り合いは頻発。記録なき「小戦」が、北の辺境の緊張を物語る。
志苔館の戦いしのりだてのたたかい(1567)志苔館は1457年のコシャマインの戦い、1512年のショヤ・コウジ兄弟の戦いで二度陥落。和人の搾取と傲慢がアイヌの蜂起を招き、蠣崎氏台頭の契機となった北の戦国史である。
道南十二館の乱どうなんじゅうにだてのらん(1512)永正9年、蠣崎光広は道南十二館の和人勢力排除のためアイヌを扇動。東部三館を陥落させ交易利権を独占。アイヌ有力者も粛清し、松前藩の礎を築いた。
松前福山館の戦いまつまえふくやまだてのたたかい(1599)慶長四年、松前福山館での大規模合戦は史実ではない。豊臣秀吉死後、蠣崎慶広は徳川家康に接近し「松前」に改姓。これは物理的戦いではなく、政治的決断による一族存続の戦いであった。
松前まつまえ上国の戦いかみのくにのたたかい(1560)天文17年、蝦夷地で蠣崎季広の従兄弟・基広が謀反。季広は呪詛や暗殺未遂を経て、猛将・長門広益に基広を討たせ乱を鎮圧。これにより蠣崎氏は道南和人社会の覇権を確立し、松前藩の礎を築いた。