最終更新日 2025-05-29

へし切長谷部

へし切長谷部

国宝「へし切長谷部」:その歴史、特徴、そして文化的意義

1. はじめに

本報告書は、日本の刀剣の中でも特に名高い一口、国宝「へし切長谷部」について、その製作背景から刀身の美的・技術的特徴、数奇な所有者の変遷、特異な名称の由来、そして現代における文化的意義に至るまで、現存する信頼性の高い資料に基づき、詳細かつ徹底的に解説することを目的とする。

構成としては、まずへし切長谷部の基本的な情報と国宝指定に至る経緯を概観する。次に、この名刀を生み出した刀工長谷部国重と、彼が属した長谷部派の作風について深く掘り下げ、刀身の具体的な寸法、形状、地鉄、刃文といった美術的特徴を詳述する。続いて、この刀に「へし切」という鮮烈な号を与えることになった織田信長の逸話と、その解釈について考察する。さらに、織田信長から黒田家へと渡り、家宝として珍重された伝来の経緯、そして美術品としての価値と歴史的な重要性について論じる。最後に、現代社会においてへし切長谷部がどのように受け入れられ、新たな文化的影響を与えているかについて触れ、その多層的な価値を総括する。

へし切長谷部は、南北朝時代という、刀剣製作技術が一つの頂点に達した時期に作刀されたとされている 1 。しかしながら、この刀が歴史の表舞台でその名を広く知られるようになったのは、戦国時代という激動の時代を生きた織田信長をはじめとする著名な武将たちとの深い関わりによるものである 3 。この時代の刀剣は、単に武器としての実用性を超え、所有する武将の権威、武勇、さらには個性を象徴する重要な意味を担っていた。へし切長谷部の評価を考える上で、南北朝時代の優れた作刀であるという点はもちろん重要であるが、それにも増して、織田信長のような天下人の手を経てきたという歴史的背景が、その価値を形成する上で不可欠な要素となっている。この刀を理解するためには、南北朝時代の刀剣としての技術的・美術的特徴と、戦国時代から江戸初期にかけての歴史的文脈の両面から光を当て、二つの時代を繋ぐ存在として捉えることが、その多層的な価値を解き明かす鍵となるであろう。

2. 基本情報と国宝指定

へし切長谷部は、日本を代表する名刀の一つとして、その美術的価値および歴史的価値の高さから国の宝として指定されている。

正式名称と基本データ

国宝としての正式名称は「刀 金象嵌銘長谷部国重本阿花押 黒田筑前守(名物へし切)」である 1。種別は工芸品に分類される刀であり、製作された時代は南北朝時代、作者は刀工長谷部国重とされている 1。

その寸法は、刃長(身長)64.8cm、反り1.0cm(資料によっては0.9cmとするものもある 2)、元幅3.0cm、先幅2.5cm、鋒長5.9cm、茎長16.7cmと記録されている 1。

国宝指定の経緯

この刀剣は、早くからその文化的価値が認められていた。まず昭和8年(1933年)7月25日に、当時の重要美術品等ノ保存ニ関スル法律に基づき重要美術品として認定された。その後、昭和11年(1936年)9月18日には国宝保存法に基づく国宝(これは現在の文化財保護法における重要文化財に相当する)に指定された。そして戦後の文化財保護法施行後、昭和28年(1953年)3月31日に同法に基づく国宝(いわゆる「新国宝」)として改めて指定され、今日に至っている 1。このような段階的な指定は、へし切長谷部が一貫して日本の文化財の中でも特に重要な位置を占めてきたことを示している。

現在の所蔵と所有者

現在、へし切長谷部は福岡県福岡市早良区百道浜にある福岡市博物館に収蔵されており、その所有者は福岡市である 1。これは、旧福岡藩主であった黒田家から昭和53年(1978年)に他の多くの文化財と共に「黒田資料」として福岡市へ寄贈されたことによるものである 2。

表1: へし切長谷部 基本情報

項目

内容

名称

刀〈金象嵌銘長谷部国重本阿花押(名物へし切長谷部)/黒田筑前守〉

ふりがな

かたな〈きんぞうがんめいはせべくにしげほんあかおう(めいぶつへしきりはせべ)/くろだちくぜんのかみ〉

員数

1口

種別

工芸品

日本

時代

南北朝

作者

長谷部国重

寸法(cm)

刃長64.8 反り1.0 元幅3.0 先幅2.5 鋒長5.9 茎長16.7

国宝指定年月日

1953年3月31日 (昭和28年3月31日)

所在都道府県

福岡県

所在地

福岡市博物館 福岡県福岡市早良区百道浜3-1-1

所有者名

福岡市

この表に示す基本情報は、へし切長谷部という刀剣を理解する上での基礎となる。特に正確な寸法や指定年月日は、刀剣研究や比較検討を行う際に不可欠なデータであり、この刀の物理的な規模や法的な位置づけを明確に示している。

3. 刀工 長谷部国重と長谷部派

へし切長谷部という傑作を生み出した刀工、長谷部国重、そして彼が築いた長谷部派の作風は、南北朝時代の刀剣史において特異な光彩を放っている。

長谷部国重の人物と活動

長谷部国重は、南北朝時代に山城国(現在の京都府南部)を拠点として活躍した名工である 2。その出自については諸説あり、一説には鎌倉時代末期の相模国の名工、新藤五国光の子であるとも伝えられている 9。また、大和国(現在の奈良県)に生まれ、相模国で刀鍛冶の修行を積んだ後、京に移り住んで長谷部派を興したという説もある 8。いずれにしても、彼が長谷部派の開祖と見なされていることは共通している 2。

「正宗十哲」としての評価

長谷部国重は、日本刀剣史上最も名高い刀工の一人である正宗に師事し、その中でも特に優れた技量を持ったとされる十人の弟子、「正宗十哲」の一人に数えられている 2。この「正宗十哲」という呼称自体は後世に成立したものと考えられているが 9、国重がその一角を占める存在として認識されてきた事実は、彼の卓越した技量と、当時の刀剣界における影響力の大きさを物語っている。これは、国重が正宗の作風、特に相州伝の革新的な技術を深く理解し、それを自身の作刀に取り入れ、さらに発展させたことを示唆している。相州伝の華やかで力強い作風を基盤としながらも、国重独自の特色を加えた点が、後世の刀剣鑑定家や愛好家から高く評価された要因であろう。

長谷部派の作風の特徴

長谷部派の作風は、当時の山城国で主流であった他の刀剣流派とは一線を画し、相州伝の影響を色濃く受け継いでいる点が最大の特徴である 11。その結果として生み出された刀剣は、実用的な強度と、見る者を魅了する華麗な美しさを兼ね備えている。

具体的な作風としては、まず「皆焼(ひたつら)」と呼ばれる刃文が挙げられる 8。これは、通常の刃文が刃縁に沿って現れるのに対し、刀身全体、時には棟(むね)の部分にまで焼きが入り、飛焼(とびやき)や湯走り(ゆばしり)といった変化に富んだ模様が地鉄の中に現れる、極めて動的で華やかなものである 8。

鍛え(地鉄)は、細かく詰んだ小板目肌を基調としながらも、時に板目肌が流れ、刃に近い部分や棟に近い部分が柾目(まさめ)がかる傾向が見られる 1。地沸(じにえ)が細かくつき、地景(ちけい)が入るのも特徴である 1。

同じく皆焼の刃文を焼く相州の刀工、広光や秋広の作品と比較すると、長谷部派の作品は刃中に金筋(きんすじ)や砂流し(すながし)といった働きがより顕著に現れるとされる 8。

刀姿は、身幅が広く、重ねは薄く、反りが浅く、鋒(きっさき)が大きく伸びるという、南北朝時代に流行した勇壮な姿を呈している 1。

現存する長谷部派の作品で在銘のものは、太刀には皆無であり、短刀や脇差に限られるという特徴も指摘されている 8。へし切長谷部もまた、後述するように元々は長大な太刀であったが、大きく磨り上げられた結果、無銘となっており、本阿弥家の鑑定によって長谷部国重の作と極められたものである 2。

4. 刀身の姿と特徴

へし切長谷部の刀身は、南北朝時代の刀剣が持つ豪壮さと、長谷部国重ならではの洗練された技術が見事に融合した、美術的にも資料的にも価値の高いものである。

形状と寸法

造込みは鎬造(しのぎづくり)で、棟は庵棟(いおりむね)である 1。身幅は広く、重ねは薄く、反りは浅く、鋒は大きく伸びた大切先(おおきっさき)となっている 1。これは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて流行した大太刀の様式を色濃く反映しており、当時の武士の気風を象徴するような堂々たる姿である。

詳細な寸法は、前述の通り刃長64.8cm、反り1.0cm(0.9cmや0.91cmとする資料もある 2)、元幅3.0cm、先幅2.5cm、鋒長5.9cm、茎長16.7cmである 1。

大太刀からの磨上げ

この刀は、製作当初は刃長が三尺(約91cm)にも及ぶ長大な大太刀であったと伝えられている 3。しかし、後の時代に茎(なかご)の方から切り詰める「磨上げ(すりあげ)」が行われ、現在の打刀(うちがたな)の寸法となった。この磨上げによって製作時の銘は失われており、「大磨上無銘(おおすりあげむめい)」の状態である 2。

磨上げの時期や実行者については諸説あるが、一説には織田信長が自身の使いやすい長さに合わせるために磨り上げさせたとされる 3。大太刀が磨り上げられる理由としては、一般的に、①所有者の体格や腕の長さに合わせるため、②戦闘様式が騎馬戦中心の太刀から徒歩戦中心の打刀へと変化したため、③江戸時代に武士の身分によって佩用する刀の長さが規定されたため、などが挙げられる 14。へし切長谷部の場合、信長が実用性を重視して磨り上げを命じた可能性もあれば、後の所有者が時代の要請や自身の好みに合わせて改変した可能性も考えられる。福岡市博物館の解説によれば、刀身の表裏に茎尻まで掻き通された棒樋(ぼうひ)が、茎尻部分で棟側の半分程度の幅になっていることから、磨上げの際に棟側も削り込んで反りを浅く変更した痕跡が認められるという 15。

大太刀から打刀への磨上げという行為は、単なる寸法の変更以上の意味合いを持つ。それは、その刀が経てきた歴史、所有者の実用に対する考え方や美的感覚、さらにはその時代の戦闘様式の変遷をも反映している可能性があるからである。もし信長が磨上げを行ったという説が事実であれば、彼の合理主義的で実用を重んじる性格の一端をこの刀から垣間見ることができるかもしれない。また、これほど大幅に磨り上げられながらも、なお南北朝時代の豪壮な姿の面影を色濃く残している点は、元々の大太刀がいかに長大で優れた姿をしていたか、そして素材としての質の高さを物語っている 2。

地鉄

地鉄(じがね)は、小板目肌(こいためはだ)がよく約(つ)んで精緻であり、地沸(じにえ)が細かく美しくつく 1。地景(ちけい)と呼ばれる黒く光る線状の働きも現れるとされ 2、これらは健全で力強い、そして美しい地鉄であることを示している。

刃文

刃文(はもん)は、互の目(ぐのめ)や小湾(このたれ)を基調としながら、刀身全体に焼き入れが及ぶ華麗な皆焼(ひたつら)である 1。匂口(においぐち)は明るく冴え、細かな沸(にえ)がつく 1。より詳細な記述によれば、「小足(こあし)・葉(よう)しきりと入り、中程下は大乱れとなり、飛焼(とびやき)しきりと交じり、砂流し(すながし)、金筋(きんすじ)かかり、匂深く、荒めの沸よくつく」とあり 7、極めて複雑で変化に富んだ、見応えのある刃文であることがわかる。この皆焼は長谷部派の最大の特徴の一つであり 8、その華やかさだけでなく、刃の硬度を高めるという実用的な側面も併せ持っていたと考えられる。

帽子

鋒部分の刃文である帽子(ぼうし)は、乱れ込んで返っており、表は小丸(こまる)に、裏は尖りごころに強く返り、先は掃きかけるように見えるとされている 1。別の資料では「表 乱れこみ大丸ごころ、裏 焼つめとなり乱れこむ」とも記されており 7、表現に若干の差異はあるものの、複雑に乱れて力強く返る様子が共通して見て取れる。

彫物

刀身の表裏には、棒樋(ぼうひ)が掻き通されている。樋先はやや下がるように彫られている 1。棒樋は、刀身の軽量化や重心の調整、あるいは斬撃時の血流しや音鳴りの効果、さらには装飾的な意味合いなど、複数の目的で施されたと考えられる。

茎(なかご)は、前述の通り大磨上である。茎尻(なかごじり)の形状は刃上がりの栗尻(くりじり)で、鑢目(やすりめ)は切(きり)、または勝手下り(かってさがり)とされている 1。目釘孔(めくぎあな)は四つ開けられているが、現在はそのうち三つが埋められている 1。

そして、この茎には極めて重要な金象嵌銘(きんぞうがんめい)が施されている。差裏(さしうら、佩用時に外側になる面)には刀工名「長谷部国重」と、鑑定を行った本阿弥光徳(ほんあみこうとく)の花押(かおう、サイン)「本阿(花押)」が、差表(さしおもて、佩用時に体に接する面)には所持者名である「黒田筑前守」の文字が、それぞれ金で嵌め込まれている 1。

この金象嵌銘は、大磨上によって本来の銘が失われたこの刀の作者を明らかにし、その伝来を証明する上で決定的な役割を果たしている。本阿弥光徳による鑑定銘は、単に作者を特定する以上の意味を持つ。本阿弥家は江戸時代を通じて刀剣鑑定の最高権威であり、光徳の銘が入ることは、その刀が真作であり、極めて高い価値を持つことを公的に保証するものであった。加えて「黒田筑前守」という所持者銘は、この刀が黒田長政(くろだながまさ)の愛刀であり、黒田家にとって比類なき至宝であったことを明確に示している。これは、刀の来歴を裏付ける一級の歴史史料と言える。黒田長政が筑前守に任官したのは慶長8年(1603年)3月以降であるため 7、この金象嵌銘が施されたのもそれ以降の時期と推定でき、刀の歴史における具体的な画期を示している。

表2: へし切長谷部 刀身詳細

特徴項目

詳細

形状

鎬造、庵棟、身幅広く、重ね薄く、反り浅く、大切先

鍛え(地鉄)

小板目肌よく約り、地沸つく。地景入る。

刃文

互の目、小湾を基調とした皆焼。小足・葉しきりと入り、中程下大乱れ、飛焼しきりと交じり、砂流し、金筋かかり、匂口冴え、小沸つく、荒めの沸よくつく。

帽子

乱れ込み、表小丸(または大丸ごころ)、裏尖りごころに強く返り(または焼つめとなり乱れ込む)、掃きかけかかる。

彫物

表裏に棒樋を掻き通し、樋先下る。

大磨上、栗尻、鑢目切(または勝手下り)、目釘孔四(うち三つ埋める)。<br>金象嵌銘: (差裏)「長谷部國重本阿(花押)」 (差表)「黒田筑前守」

この表に示した刀身の細部にわたる特徴は、へし切長谷部が美術品として、また刀工長谷部国重の技量を伝える資料として、いかに優れているかを物語っている。専門的な用語で記述されたこれらの特徴は、刀剣愛好家や研究者がこの刀の作位を深く理解し、他の名刀と比較検討する上での重要な指標となる。

5. 「へし切」の号の由来:織田信長の逸話

へし切長谷部という一度聞いたら忘れられない特異な号(ごう、愛称)は、戦国時代の覇者、織田信長にまつわる鮮烈な逸話に由来する。

逸話の概要

この刀の「へし切」という名は、信長が自身に対して無礼を働いた観内(かんない)という名の茶坊主(あるいは半阿弥(はんなみ)ともいう 7)を成敗しようとした際の出来事に由来すると広く伝えられている 2。

観内は信長の怒りを買い、手討ちにされそうになるが、とっさに台所へ逃げ込み、そこに置かれていた膳棚(食器などを置く棚)の下に身を隠した。信長は、狭い場所で刀を振り下ろすことができなかったため、この刀を観内の体に押し当て、力を込めて切断した。この「圧し切る(へしきる)」という行為、すなわち、押し付けるようにして物を切断する動作が、そのままこの刀の名称となったのである 2。

一部の資料では「棚ごと斬った」という記述も見受けられる 3。しかしながら、『黒田御家御重宝故実』などの記録を基にした研究では、もし棚ごと両断しているのであれば、それは「圧し切り」という言葉の意味するところと矛盾するため、この説は否定的に捉えられている 2。より正確な解釈としては、膳棚の下に隠れた観内に対し、信長が刀を差し込み、その体勢のまま押し切ったと考えるのが妥当であろう。いずれにせよ、この逸話はこの刀の凄まじい切れ味を物語るものである。

逸話が示すもの

この「へし切」の逸話は、まず第一に、へし切長谷部という刀が尋常ならざる切れ味を持っていたことを雄弁に物語っている 3。通常の斬撃のように振りかぶって勢いをつけるのではなく、限られた空間で、いわば押し当てるような動作だけで人を斬ることができたというのであるから、その鋭利さは驚嘆に値する。

同時に、この逸話は織田信長という人物の、目的のためには手段を選ばない苛烈さ、そして一度怒れば容赦しない断固たる性格を象徴するエピソードとしても、後世に語り継がれてきた 3。

「へし切」という号の由来となったこの逸話は、単に刀の切れ味の鋭さを示すに留まらない。それは、織田信長という歴史上の重要人物の強烈な個性を際立たせ、刀自体に忘れがたい物語性を付与する役割を果たしている。このような印象深いエピソードを持つことによって、刀剣は単なる武器や美術品を超え、歴史や伝説を纏った文化財としての価値を高めていく。事実、へし切長谷部はその切れ味とこの逸話によって「名物」としての評価を確立し、江戸時代に編纂された名刀リストである『享保名物帳』にもその名が記されるに至った 2。逸話の細部(例えば、棚ごと斬ったのか、それとも棚の下に差し込んで斬ったのか)に異なる伝承が見られること自体 2、伝説が語り継がれる過程で生じる変化や解釈の多様性を示しており、それ自体が歴史的・文化的な興味の対象となりうる。

6. 所有者の変遷と伝来

へし切長谷部は、その卓越した性能と美術的価値から、歴史上の著名な武将たちの手を渡り歩き、特に黒田家に家宝として長く伝えられたことで知られる。

織田信長から黒田家へ

この刀は元々、織田信長が所持していたとされる 2。その後、黒田家に伝来する経緯については、いくつかの説が存在する。

最も有力視されているのは、信長から黒田孝高(くろだよしたか、通称は官兵衛、後に出家して如水)へ下賜されたという説である。福岡藩の公式記録である『黒田家譜』によれば、天正3年(1575年)、当時播磨の小大名であった小寺政職(こでらまさもと)の家臣であった孝高が、主君の使者として岐阜城にいた信長に謁見した際、中国地方の雄である毛利氏に対する戦略を進言した。信長はその卓越した知略と将来性を見抜き、褒美としてこのへし切長谷部を孝高に与えたと記されている 2。この出来事は、まだ一地方豪族の家臣に過ぎなかった孝高が、天下人信長にその才能を認められ、歴史の表舞台へと躍り出る重要なきっかけとなったとされている 3。また、毛利攻めの際の恩賞として与えられたという異説も存在する 10。

一方で、信長からまず羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の手に渡り、その後、秀吉から黒田長政(孝高の子で初代福岡藩主)に与えられたとする説もある 2。

これらの伝来に関する諸説が存在することは、歴史的史料の解釈の幅広さや、記録の錯綜を示している。しかしながら、注目すべきは、福岡市博物館が所蔵する黒田家伝来の『享保名物帳』の写本において、信長から秀吉、そして長政へと伝わったとする一般的な『享保名物帳』の記述を、本阿弥家の誤説であるとして明確に否定している点である 15。この事実は、黒田家自身が、へし切長谷部は信長から直接孝高(あるいは長政)へ下賜されたという認識を強く持っていたことを示唆している。これは、黒田家の始祖である孝高が、天下人信長から直接名刀を拝領したというエピソードを、家の名誉とアイデンティティの根幹に関わる重要な出来事として捉え、重視していたことの表れである可能性が高い。

黒田家における伝承

黒田家では、この刀を「圧切御刀(へしきりおんかたな)」と呼び、代々家宝として極めて丁重に扱ってきた 7。その重要性を示すように、豪華な金具で装飾された打刀拵(うちがたなこしらえ)が誂えられ、大切に後世へと伝えられたと記録されている 10。

前述の通り、刀身の茎(なかご)には「黒田筑前守」という金象嵌銘が施されているが、これは黒田長政の官名であり、彼がこの刀を所持していたことを明確に示している。この銘は、黒田家にとってこの刀が単なる武器ではなく、家の歴史と威光を象徴する特別な存在であったことを雄弁に物語っている 1。

『享保名物帳』における記述

江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の命により、刀剣鑑定の権威であった本阿弥家が中心となって編纂した名刀の目録『享保名物帳』にも、「へし切長谷部」は名物の一つとして記載されている 2。

そこには「松平筑前守殿(黒田家当主を指す) 所持 ヘシ切長谷部 象嵌銘 長サ弐尺壱寸四分 代付五百貫」と記され、織田信長が観内という茶坊主を手討ちにした逸話、羽柴筑前守(秀吉)を経て黒田長政に伝来したこと、そして作者は長谷部国重であることなどが詳細に記述されている 7。さらに「大切(れ)物也」(大変よく切れる物の意)という評価も添えられており、その切れ味の素晴らしさが公に認められていたことがわかる。

特筆すべきは、『享保名物帳』において、長谷部派の作品としてはこのへし切長谷部が唯一掲載されており、在銘・無銘を問わず他の長谷部派の刀剣とは比較にならないほど傑出した作であり、同派を代表する最高傑作であると評価されている点である 2。これは、江戸時代においても、へし切長谷部が数ある名刀の中でも最高級の評価を受けていたことの確固たる証左と言える。

近代以降

時代は下り、昭和53年(1978年)9月19日、旧福岡藩主黒田家の当主であった黒田長礼(ながみち)元侯爵の夫人、黒田茂子氏より、日光一文字など他の黒田家伝来の貴重な文化財と共に「黒田資料」として一括して福岡市へ寄贈された 2。

寄贈当初は福岡市美術館に収蔵されていたが、平成2年(1990年)10月に福岡市博物館が新たに開館した際に同館へ移管され、適切な環境下で保存・管理され、現在に至っている 2。

表3: へし切長谷部 所有者変遷と主な伝承

時代区分

推定所有者

関連する出来事・伝承

主な典拠(史料名など)

戦国時代(安土桃山時代)

織田信長

「へし切」の号の由来となる観内手討ちの逸話。

『黒田御家御重宝故実』 2 、他多数

戦国時代(安土桃山時代)

黒田孝高(官兵衛/如水)

天正3年(1575年)、信長より中国攻めの策を進言した功により拝領。

『黒田家譜』 2

戦国時代(安土桃山時代)~江戸時代初期

(羽柴秀吉)

(信長から秀吉へ渡り、その後黒田長政へ下賜されたとする説あり)

『享保名物帳』(一般流通版) 2

江戸時代初期~江戸時代末期

黒田長政及び代々福岡藩主黒田家

「黒田筑前守」の金象嵌銘。家宝「圧切御刀」として伝来。

金象嵌銘 1 、黒田家伝来『享保名物帳』写本 15

明治時代~昭和時代中期

黒田家(旧福岡藩主家)

私有財産として継承。

昭和時代後期~現代

福岡市

昭和53年(1978年)黒田家より寄贈。福岡市博物館収蔵。

2

この表は、へし切長谷部がどのような人物たちの手を経て、どのような物語を纏いながら現代に伝えられてきたのか、その歴史的な旅路を時系列で示している。特に伝来の経緯に諸説ある部分は、歴史の複雑さと記録の多様性を浮き彫りにする。

7. 美術的価値と歴史的意義

へし切長谷部は、その製作技術の高さ、類まれな切れ味、そして歴史上の重要人物たちとの深い関わりから、美術品としても歴史的遺産としても極めて高い価値を有している。

南北朝時代の刀剣美の体現

刀身の姿は、身幅が広く、鋒が大きく伸びた豪壮なものであり、これは鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての、力強くダイナミックな武士の気風を反映していると言える 1。この時代の刀剣製作技術は一つの頂点を極めており、へし切長谷部はその好例の一つである。

特に、刀工長谷部国重の真骨頂とも言える皆焼の刃文は、刀身全体に広がる炎のような華やかさを持ちながら、実戦における刃の強度をも兼ね備えていたと考えられ、その美術的鑑賞価値は極めて高い 8。地鉄の精緻な鍛えと相まって、南北朝時代の刀剣が持つ独特の美しさと力強さを今日に伝えている。

長谷部派の代表作

江戸時代に編纂された『享保名物帳』において、長谷部国重の作、ひいては長谷部一派の作品の中で唯一掲載され、他の長谷部派の刀剣とは比較にならないほどの傑作として評価されている事実は 2、この刀が長谷部国重の数ある作品の中でも、また長谷部派全体の作例の中でも、突出して優れた一振りであることを客観的に示している。

戦国武将の歴史を物語る遺産

織田信長、豊臣秀吉(伝承による)、そして黒田孝高・長政という、日本の歴史を大きく動かした戦国時代から江戸時代初期にかけての武将たちの手を渡り歩いてきたという事実は、この刀に比類なき歴史的価値を付与している。それは単なる美しい美術品や優れた武器というだけでなく、激動の時代を生き抜き、歴史の転換点に立ち会ってきた「歴史の証人」とも言える存在である。信長による「へし切」の逸話、孝高が信長に見出されるきっかけとなった拝領の伝承、そして黒田家における家宝としての扱いは、この刀がそれぞれの時代の権力者たちにとっていかに重要な意味を持っていたかを物語っている。

へし切長谷部の真価は、その物理的な美しさや技術的な完成度に加え、それに付随する数々の物語、すなわち織田信長の強烈な逸話や黒田家への由緒ある伝来といった要素によって、大きく増幅されていると言える。これらの物語が人々の心を引きつけ、時代を超えて語り継がれることによって、刀は単なる「物」としての存在から、歴史的・文化的なアイコンへと昇華していく。このような物語性こそが、多くの人々を魅了し、後世にまでその名を残す「名物」たる所以なのである。

8. 現代におけるへし切長谷部

国宝へし切長谷部は、その歴史的・美術的価値に加え、現代においても新たな形で多くの人々に認識され、愛好される存在となっている。

福岡市博物館での公開と人気

現在、へし切長谷部は福岡市博物館に収蔵されており、毎年1月上旬から2月上旬にかけての約1ヶ月間、定期的に一般公開されている 2。この公開期間中には、全国から多くの刀剣愛好家や歴史ファンが訪れ、その姿を一目見ようと長い列を作ることも珍しくない。特に2016年の展示の際には、連日200人から300人もの行列ができ、観覧までに1時間から2時間待ちとなるほどの盛況ぶりであったと報じられている 21。この行列の中には特に若い女性の姿が多く見られ、「刀剣女子」と呼ばれる新たなファン層の関心の高さを示す現象として注目された 21。

この2016年の展示では、特例的に展示室内での写真撮影が許可されたことも(ただし、フラッシュ撮影や自撮り棒、三脚の使用は禁止)、多くの人々が訪れた理由の一つとして挙げられている 21。

ポップカルチャーにおける受容

近年のへし切長谷部の人気を語る上で欠かせないのが、オンラインゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』の影響である。このゲームにおいて、へし切長谷部は擬人化されたキャラクターとして登場し、その設定や物語性から、特に若い世代を中心に爆発的な人気を獲得した 21。これにより、従来は刀剣にそれほど馴染みのなかった層にも「へし切長谷部」という名刀の存在が広く知れ渡り、ゲームを通じて興味を持った人々が実物を見たいという強い動機を持つようになった。

その影響力の大きさは、博物館の企画展示にも及んでいる。例えば、2025年に九州国立博物館で開催予定の特別展「九州の国宝 きゅーはくのたから」では、へし切長谷部が展示されるにあたり、『刀剣乱舞』のミュージカルに出演する俳優が音声ガイドを担当するなど、同ゲームとのコラボレーション企画が予定されていることが報じられている 22。これは、歴史的文化財が現代のポップカルチャーと連携することで、新たなファン層を開拓し、その魅力をより広い世代に伝える試みとして注目される。

愛称「冬の男」

へし切長谷部が毎年1月に福岡市博物館で展示されることから、博物館の学芸員や一部のファンの間では、親しみを込めて「冬の男」という愛称で呼ばれるようになったとされている 23。このような愛称で呼ばれることは、この刀剣が単なる遠い過去の展示物としてではなく、現代の人々にとって身近で愛着の持てる存在になっていることを示している。

近年の展示予定

今後もへし切長谷部は、以下の機会に公開される予定である。

  • 九州国立博物館 特別展「九州の国宝 きゅーはくのたから」:2025年7月5日(土)~2025年8月31日(日)(期間中通期展示) 22
  • 福岡市博物館 定期展示:2026年1月6日(火)~2026年2月1日(日) 22

『刀剣乱舞』のような現代のコンテンツとの連携は、へし切長谷部をはじめとする歴史的文化財に対する一般の人々の関心を効果的に喚起し、これまでとは異なる新たなファン層を開拓する上で極めて有効な手段となっている。こうした動きを通じて、文化財が本来持つ歴史的・美術的価値が再認識され、その保存と継承に向けた社会全体の機運を高めるという好循環も期待できる。これは、日本の伝統文化と現代のポップカルチャーが幸福な形で融合し、互いに価値を高め合っている好例と言えるだろう。

9. おわりに

国宝「へし切長谷部」は、その名に秘められた鮮烈な逸話、数奇な伝来、そして比類なき美術的価値によって、日本の刀剣文化の中でも特に異彩を放つ存在である。

へし切長谷部の価値の再確認

本報告書で詳述してきたように、へし切長谷部は、南北朝時代の刀工長谷部国重の卓越した技量を示す第一級の美術品であると同時に、織田信長や黒田家といった日本の歴史を彩る重要人物たちにまつわる数々の逸話を持つ、物語性に満ちた文化財である。その価値は、刀身そのものが持つ物理的な美しさや技術的な完成度のみならず、それを巡る歴史的背景、そして時代を超えて語り継がれてきた人々の記憶や多様な解釈が一体となった、複合的かつ多層的なものであると言える。大磨上無銘でありながらも、本阿弥家の鑑定と金象嵌銘によってその出自と伝来が明らかにされ、大切に守り伝えられてきた事実は、この刀が持つ本質的な価値の高さを物語っている。

日本の刀剣文化における象徴性

へし切長谷部の製作技術の高さ、劇的な逸話と伝来の経緯、そして現代におけるゲームコンテンツを介した広範な受容と人気は、この刀が単なる古美術品に留まらず、日本の刀剣文化を代表する象徴的な一振りであることを明確に示している。それは過去の遺産として静かに博物館に佇むだけでなく、現代においても新たな意味を付与され、多くの人々の心を捉え、生き続ける文化財としての側面を強く持っている。

今後もへし切長谷部は、その歴史的背景と美術的魅力によって多くの人々に深い感銘を与え続け、日本の豊かな刀剣文化を後世に伝えていく上で、極めて重要な役割を担い続けるであろう。その保存と研究、そして適切な形での公開は、我々の文化を未来へと繋ぐ大切な責務と言える。

引用文献

  1. 刀〈金象嵌銘長谷部国重本阿花押(名物へし切長谷部)/黒田筑前 ... https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/385
  2. へし切長谷部 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B8%E3%81%97%E5%88%87%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8
  3. へし切長谷部 - 光雲神社 https://www.terumojinja.com/post/%E3%81%B8%E3%81%97%E5%88%87%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8
  4. 「刀剣」ブームで注目!「へし切長谷部」の持ち主織田信長のここが「やばい」 https://diamond.jp/articles/-/181560
  5. No.081 名刀展-黒田家旧蔵を中心に- | アーカイブズ | 福岡市博物館 https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/081/index.html
  6. 刀剣散歩~へし切長谷部~ | 杜の都のすずめのお宿 https://ameblo.jp/sparrow-and-bamboo/entry-12125161252.html
  7. へし切長谷部 | 日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋 https://www.tsuruginoya.net/stories/heshikirihasebe/
  8. 長谷部派 | 刀剣買取王 https://toukenkaitorioh.com/style/1081.html
  9. 正宗十哲/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/7194/
  10. アニメ『刀剣乱舞 廻』で忠義者として描かれる【へし切長谷部】…実物の名の由来となった残虐すぎる仕打ちとは? - 歴史人 https://www.rekishijin.com/36367
  11. 刀剣の流派/ホームメイト https://www.touken-collection-kuwana.jp/touken-basic-information/touken-school/
  12. 【日本刀】「三英傑ゆかりの名刀」人気ランキングTOP24! 第1位は「へし切長谷部」【2024年最新投票結果】(5/5) | ライフ ねとらぼリサーチ https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/2260294/5/
  13. 皆焼(ひたつら)とは/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/56580/
  14. 部位/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/sword-vocabulary/part/
  15. 【ふくおかの名宝】観賞ガイド⑧ 国宝 刀 名物 ... - 福岡市博物館ブログ http://fcmuseum.blogspot.com/2020/10/blog-post_30.html
  16. 刀がよく切れる理由/ホームメイト - 刀剣ワールド名古屋・丸の内 別館 https://www.touken-collection-nagoya.jp/sword-sharpness/sharpness-reason/
  17. 黒田官兵衛と刀/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/9871/
  18. 切れ味が鋭い最強の日本刀/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/21062/
  19. 筑前正宗の幻影、福岡に煌めく名刀たちの物語 ~黒田家の至宝からデジタル城下町へ - note https://note.com/japankatana/n/n9998b0d107fc
  20. 名刀一覧 享保名物帳/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/sword-basic/kyohomeibutsucho/
  21. 「へし切長谷部」展示、福岡市博物館に大行列! 実物に刀剣女子も「格好良すぎ」 - アットホーム https://www.athome.co.jp/vox/jtown/town/64002/
  22. 【2025.5.5更新】「刀剣乱舞ONLINE」実装刀剣の美術館・博物館 ... https://satsumagayuku.com/art-tips/1009/
  23. 1月は!!!冬の男の!!!!時期ですよ!!!!!!!(とある刀の話)|アイドットデザイン - note https://note.com/idotdesign/n/n21566a2268ae