最終更新日 2025-06-01

鞍切景秀

鞍切景秀

伊達政宗の愛刀「鞍切景秀」に関する調査報告

1. はじめに

本報告の目的と概要

本報告は、戦国時代の武将、伊達政宗の愛刀として名高い「鞍切景秀(くらきりかげひで)」、またの名を「黒ん坊切景秀(くろんぼぎりかげひで)」として知られる一振りの日本刀について、その作刀者である刀工景秀、刀身の物理的特徴、特異な号(名称)の由来とそれにまつわる逸話、文化財としての価値、そして関連する歴史的資料における記述を多角的に調査し、詳述することを目的とする。この刀剣が持つ二つの名は、その背景にある豊かな、あるいは複雑な物語を示唆しており、本報告の中心的なテーマの一つとなる。

伊達政宗と刀剣の関わりについての概観

奥州の独眼竜として知られる伊達政宗は、その武勇と政治的手腕で戦国時代から江戸時代初期にかけて大きな影響力を持った武将である。当時の武将にとって、刀剣は単なる武器ではなく、武威の象徴、精神性の体現、さらには大名間の贈答品としての役割も担う重要な存在であった。政宗もまた、多くの刀剣を所持していたと伝えられており、その中には「黒ん坊切景秀」のほか、「亘理来国光(わたりらいくにみつ)」や「鎺国行(はばきくにゆき)」といった名刀が含まれていたとされる 1 。これらの名刀の中でも、「鞍切景秀」あるいは「黒ん坊切景秀」は、特に逸話に富み、政宗の愛刀として広く認識されている。その名声は、単に優れた刀剣であるという以上に、政宗という人物の個性や歴史的背景と深く結びついていることを物語っている。

2. 伊達政宗公と愛刀「鞍切景秀」

伊達政宗の人物像と「鞍切景秀」への愛着

伊達政宗は、若くして家督を継ぎ、奥羽地方に覇を唱えた勇猛果敢な武将であると同時に、豊臣秀吉や徳川家康といった天下人と渡り合う知略にも長けていた。また、その装束や振る舞いが「伊達者(だてもの)」という言葉の語源になったとも言われるように、文化的にも洗練された一面を持っていた。このような政宗が、一振りの刀に特別な名を冠し、格別の愛着を寄せたとされる背景には、単なる道具としての価値を超えた何かがあったと推察される。複数の資料が、この刀を政宗が「数ある指料のうちこれを もっとも愛用していた」 2 、あるいは「伊達政宗の遺愛刀といわれている」 3 と記しており、その深い寵愛ぶりを伝えている。

「鞍切景秀」が政宗公の数ある刀剣の中で特別な位置を占めた背景(推察を含む)

「鞍切景秀」が政宗の数多の刀剣の中で特別な存在となった要因としては、いくつかの側面が考えられる。まず、その切れ味の鋭さを示唆する逸話が、武人としての政宗の心を捉えた可能性である。戦場での実用性は武将にとって最も重要な評価基準の一つであり、後述するような数々の武勇伝はこの刀の評価を高めたであろう。さらに、刀身自体が持つ美術的価値、すなわち名工景秀による優れた出来映えも、政宗の審美眼に適ったと考えられる。これらの要素が複合的に作用し、さらには政宗自身の武勲や経験と結びつくことで、「鞍切景秀」は他の刀剣とは一線を画す、特別な一振りとして位置づけられたのではないだろうか。その名声は、刀工の評価、刀身の物理的な特性、そして何よりも政宗自身の軍功と結びついた強力な物語性によって形成されたものと見られる。

3. 刀工「景秀」について

備前長船派の刀工「景秀」の活動時期と位置づけ

「鞍切景秀」を作刀したとされる刀工「景秀」は、鎌倉時代中期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町)で活躍した刀工である 2。備前長船派は、日本刀の最大の流派の一つであり、多くの名工を輩出している。景秀は、この長船派の始祖ともされる光忠(みつただ)の弟と伝えられており 2、これは景秀が長船派初期の重要な刀工の一人であったことを示している。伊達政宗の愛刀「くろんぼ切」(「鞍切景秀」の別名)を鍛えたのは、この「初代 景秀」であるとされ 8、その孫には南北朝時代に活動した刀工「成家(なりいえ)」がいると伝えられている 8。これは景秀の名跡が複数代にわたった可能性を示唆するが、政宗の愛刀に関しては鎌倉中期の初代の作であることが強調されるべき点である。一部資料には、景秀の作風として鎌倉時代後期の正応(1288-1293年)あるいは文保(1317-1319年)頃のものが言及されているものもある 11。

政宗が生きた時代(1567-1636年)から見れば、鎌倉時代中期に製作されたこの刀は既に数百年を経た古名刀であり、そのような由緒ある名品を所持し愛用したことは、政宗の武将としての威厳や刀剣に対する高い見識を示すものであったろう。

景秀の作風と現存する他の作品

景秀の在銘品(銘が残っている作品)は僅少であるとされている 5。しかし、その作品が全く現存しないわけではなく、例えば「太刀 銘 景秀」が備前長船刀剣博物館で特別公開された記録があり 6、また京都国立博物館にも重要文化財に指定された「太刀 銘 景秀」が所蔵されていることが確認できる 12。これらの事実は、景秀の作品が今日においても高く評価され、大切に保存されていることを示している。

景秀の作風としては、華麗な丁子乱(ちょうじみだれ)の刃文が特徴として挙げられることが多い 2。丁子乱れは、丁子の実が連なったような複雑で美しい刃文であり、備前刀、特に古備前や一文字派、長船派初期の作品に見られる華やかな作風の代表格である。在銘品が少ないことは、伊達政宗所伝のような確かな伝来を持つ景秀作の刀剣の価値を一層高める要因となっている。

4. 「鞍切景秀」の姿と特徴

刀身の諸元

「鞍切景秀」は、その物理的特徴においても注目すべき点を有している。以下に主要な諸元を示す。

  • 種別・造り込み: 形状は太刀(たち)であり 2 、鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)とされている 5
  • 刃長(はちょう): 資料により若干の差異が見られる。最も多く言及され、重要文化財指定時の情報と一致する可能性が高いのは、二尺四寸一分(約73.0 cm)という記述である 2 。一方で、二尺二寸九分弱(69.3 cm)とする資料も存在する 5 。この差異は、計測方法の違いや、参照している個体が異なる可能性も考えられるが、本報告では約73.0 cmを主として扱う。
  • 反り(そり): これも資料により異なり、六分(約1.8 cm)とするもの 2 と、2.3 cmとするもの 5 がある。
  • 茎(なかご): 茎は刀身が柄(つか)に収まる部分であり、「鞍切景秀」は茎が後世に短く切り詰められた大磨り上げ(おおすりあげ)であるとされている 5 。これは、元々はより長寸の太刀であったものが、時代が下り、打刀(うちがたな)としての使用に適するように、あるいは所有者の好みに合わせて仕立て直されたことを示している。大磨り上げのため、製作当初の銘は失われている可能性が高いが、金象嵌(きんぞうがん)で「景秀」と銘が入れられている可能性も指摘されている 5 。金象嵌銘は、無銘となった刀に後世の鑑定家が刀工名を記す手法である。
  • 地鉄(じがね): 刀身の表面に見える鍛えの模様である地鉄は、板目肌(いためはだ)に杢目肌(もくめはだ)を交えて良く詰み、地沸(じにえ)が良く付き、地景(ちけい)が入り、乱れ映り(みだれうつり)が立つ、良好な地鉄と評されている 5 。これらは備前伝の優れた古刀に見られる特徴である。
  • 刃文(はもん): 焼き入れによって現れる刃先の模様である刃文は、丁子乱れを主体に、小丁子、小互の目(こぐのめ)、小乱れ、尖り風の刃を交え、匂い勝ちに小沸(こにえ)が付き、刃中には葉(よう)や小足(こあし)が良く入り、金筋(きんすじ)や砂流し(すながし)がかかるとされる 2 。これは非常に華やかで複雑な刃文であり、景秀の作風をよく表していると考えられる。
  • 帽子(ぼうし): 切っ先の部分の刃文である帽子は、乱れ込んで先は掃き掛ける(さきはきかける)と表現されている 5

これらの特徴は、鎌倉時代中期の備前長船派の典型的な作風を示しており、美術的にも高い価値を持つことを裏付けている。大磨り上げであるという事実は、この刀が製作されてから伊達政宗の時代に至るまでの間に、戦の様式や刀剣の使われ方が変化したことを物語っており、歴史的な背景を考察する上でも興味深い。

表1:「鞍切景秀」主要諸元

項目

内容

主な典拠

刀工

備前長船景秀

2

時代

鎌倉時代中期

2

種別

太刀

2

刃長

約73.0 cm (二尺四寸一分) <br> (69.3 cmの記述もあり)

2

反り

約1.8 cm (六分) <br> (2.3 cmの記述もあり)

2

大磨り上げ、(金象嵌銘「景秀」の可能性あり)

5

地鉄

板目肌に杢目肌を交え、良く詰み、地沸良く付き、地景入り、乱れ映り立つ

5

刃文

丁子乱れ主体に、小丁子、小互の目、小乱れ、尖り風の刃を交え、匂い勝ちに小沸付き、刃中葉、小足良く入り、金筋、砂流しかかる

5

文化財指定

重要文化財「太刀〈銘景秀/〉」

7

旧所有者(昭和6年指定時)

伊達興宗伯爵

7

拵えについて

刀身を収める外装である拵(こしらえ)については、「金装太刀拵(きんそうたちごしらえ)」が付属していたとの記述が見られる 13 。「金装」とは金を用いた豪華な装飾が施されたことを意味し、大名が所有するにふさわしい格式の高い拵えであったことが推測される。しかしながら、現存する「鞍切景秀」の具体的な拵えに関する詳細な情報や図版は、提供された資料の中では乏しい。一般的な糸巻太刀拵(いとまきたちごしらえ)などに関する解説はあるものの 14 、これらが直接「鞍切景秀」の拵えを指すものかどうかは不明である。伊達政宗ほどの人物の愛刀であれば、その拵えもまた時代を反映した見事なものであったと想像されるが、その実態については今後の資料発見が待たれる。

5. 号の由来と逸話

「鞍切景秀」また「黒ん坊切景秀」という二つの名は、この刀にまつわる鮮烈な逸話に由来している。

「鞍切 (くらきり)」の号の由来とされる逸話

「鞍切」という号は、その名の通り、馬の鞍までも断ち切るほどの切れ味を示した逸話に由来する。最も基本的な伝承は、伊達政宗が騎乗した敵将を、その乗っていた馬の鞍ごと斬り捨てたというものである 16 。この逸話は複数の資料で言及されており 2 、敵の大将を追い詰めて斬りつけた際、その勢い余って馬の鞍まで両断したとされている。このような逸話は、名刀の切れ味を誇張して伝える典型的なものであり、武勇を重んじる戦国武将にとって、自らの愛刀がこれほどの切れ味を持つということは大きな誇りであったろう。

「黒ん坊切 (くろんぼぎり)」の号の由来とされる逸話

もう一つの「黒ん坊切」という号については、主に二つの説が伝えられている。

一つは、伊達政宗が豊臣秀吉による文禄の役(1593年)で朝鮮へ従軍した際の逸話である。この時、政宗が肌の色の黒い大男、あるいは朝鮮人をこの刀で斬ったことが号の由来になったという説である 2 。この説は、本阿弥琳雅(ほんあみりんが)の著作『刀の研究』において、より具体的に記述されている。それによると、朝鮮の陣中で、加藤清正が抱えの刀工である同田貫(どうたぬき)の刀で朝鮮人を試し斬りしようとしたが切れなかった。それを見ていた政宗は「そんな刀では切れぬだろう」と嘲笑いながら景秀を抜き、立っていた朝鮮人を後から袈裟懸けに一刀両断した。この出来事から、景秀は「黒ん坊斬り」と呼ばれるようになったという 7 。この記述では、対象が「朝鮮人」と明記されている。

もう一つの説は、「鞍切」という号が何らかの理由で「くろんぼ切り」に転訛したというものである 2

「黒ん坊」という呼称は、現代的な感覚では不適切と見なされる場合もあるが、ここでは歴史的な号の由来として、当時の呼称をそのまま用いて記述する。この号は、 21 4 1 など複数の資料で政宗の愛刀として言及されており、広く知られていたことがわかる。

二つの号の関係性についての考察

「鞍切」と「黒ん坊切」という二つの号の関係については、いくつかの可能性が考えられる。「鞍切」が元々の号であり、その切れ味の鋭さを示していたところに、朝鮮出兵時のより具体的で衝撃的な逸話によって「黒ん坊切」という新たな、あるいはより強烈な印象を与える号が付与された、もしくは広く知られるようになったという見方である。また、 2 が示唆するように、「鞍切り景秀」という呼び名が音韻的に、あるいは意味合いの連想から「くろんぼ切り」へと変化していったという説も考えられる。どちらの逸話も刀の並外れた性能を物語るものであり、これらの物語が「景秀」を単なる一振りの刀から、伊達政宗の武勇伝と不可分な伝説的な存在へと昇華させたと言えるだろう。

6. 文化財としての価値

重要文化財指定の経緯

「鞍切景秀」は、その美術的・歴史的価値の高さから、国の文化財として指定されている。正式な指定名称は「太刀〈銘景秀/〉(たち めい かげひで)」である 7。

この刀剣は、昭和6年(1931年)1月19日に、国宝保存法(旧法)に基づき、当時の所有者であった伊達興宗(だてむねおき)伯爵の名義で国宝(いわゆる旧国宝)に指定された 7。この事実は、同日付の官報(文部省告示第九号)によっても確認することができる 7。その後、昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行されると、同法のもとで重要文化財として扱われることとなった 7。この重要文化財指定は、2、17、4、17など複数の資料で確認されている。このように、戦前から国の宝としてその価値が認められていたことは、この刀剣が持つ由緒と品質の高さを物語っている。

伊達家伝来からその後の所蔵の変遷

「鞍切景秀」は、伊達政宗の愛刀として伝えられる通り、長らく伊達家に伝来してきた。その期間は数世紀に及び、戦後まで同家にあったとされている 7。このように、著名な大名家によって長期間にわたり家宝として受け継がれてきたという事実は、刀剣の伝来(由緒来歴)を重んじる日本文化において、その価値をさらに高めるものである。

しかし、戦後のある時期に伊達家を離れ、昭和39年(1964年)時点では、愛刀家として知られた田口康昭氏が所持していたことが記録されている 7。これは、歴史的文化財が、元の所有者の手を離れて新たな収集家や研究者のもとで評価され、保存されていく一例と言える。

現在の所蔵状況

現在の所蔵状況については、大阪府在住の個人が収蔵していると複数の資料で報告されている 2 。重要文化財、特に個人所蔵品の場合、所有者のプライバシー保護の観点から詳細な情報が公開されないことが一般的である。しかし、大阪府下に現存するという情報は比較的一貫しており、専門家の間では知られている事実である可能性が高い。

7. 史料における記述

伊達政宗の愛刀としてこれほど著名な「鞍切景秀」であるが、江戸時代の主要な刀剣名物帳や伊達家自身の蔵刀目録における記載状況には、いくつかの興味深い点が見られる。

「享保名物帳」への記載の有無

「享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)」は、江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の命により本阿弥家が編纂した名刀のリストであり、当時最高峰とされた刀剣が収載されている。しかし、22の記述によると、伊達家伝来の「太刀 景秀(くろんぼ切り)」は、この「享保名物帳」には記載されていないとされる。同資料は、同じく伊達家伝来で非常に有名な「鶴丸国永(つるまるくになが)」(御物)は記載されているものの、「景秀(くろんぼ切り)」や「太刀 備前義景(びぜんよしかげ)」(重要文化財)といった他の重要な伊達家伝来品が記載されていない点を指摘している。23では、景秀の子とされる景依(かげより)に触れる文脈で「享保名物帳」に言及があるが、「くろんぼ斬り」自体が記載されているとは述べていない。

「享保名物帳」への不記載は、この刀剣の評価を考える上で重要な論点となる。当時、幕府の公式な名刀リストに選ばれなかった理由としては、伊達家から本阿弥家への鑑定依頼がなされなかった可能性、あるいは当時の本阿弥家の評価基準に何らかの点で合致しなかった可能性などが考えられる。いずれにせよ、後世に重要文化財に指定されるほどの価値を持ちながら、「名物」としての公的な認知がこの時点ではなされていなかった、あるいは記録に残らなかったことを示唆している。

伊達家所蔵刀剣目録(例:「剣槍秘録」)における扱い

さらに注目すべきは、伊達家自身の蔵刀目録である「剣槍秘録(けんそうひろく)」にも、「太刀 景秀(くろんぼ切り)」は記載されていないと22および22が述べている点である。これらの資料は、「伊達家においてもこれほど有名な名物が記載されていないのは不思議である」とコメントしており、この事実は研究者の間でも一種の謎として認識されている可能性を示唆している。

政宗が最も愛用したと伝えられる刀が、その家の公式な刀剣目録に載っていないというのは、確かに不可解である。この理由としては、「剣槍秘録」が特定の時期や特定の分類の刀剣のみを対象とした目録であった可能性、あるいは「鞍切景秀」が特別な扱いを受け、通常の目録とは別に管理されていた可能性などが推測される。この点は、この刀の伊達家内での正確な位置づけや伝承のあり方を考察する上で、さらなる史料研究が求められる部分である。

その他、関連史料に見られる可能性のある記述

江戸時代の主要な目録には見られない一方で、後代の刀剣書や鑑定記録には「鞍切景秀」に関する言及が存在する。前述の本阿弥琳雅の著作『刀の研究』における逸話の記述 7 は、江戸時代以降の刀剣研究書において、この刀とその逸話が語り継がれていたことを示す一例である。

また、近代の鑑定家である探山先生(本阿弥光博)による鞘書き(さやがき)の存在も5で言及されている。この鞘書きには、ある景秀作の刀の作風が「代表作くろんぼ斬りを思わせる」と記されており、これは「くろんぼ斬り」が特定の作風を持つ代表作として認識されていたこと、そしてその特徴が専門家の間で共有されていたことを間接的に示している。これらの記述は、「鞍切景秀」が公的な名物帳からは漏れたものの、刀剣界隈や伊達家関連の伝承においては、その存在と物語が生き続けていたことを示している。

8. おわりに

「鞍切景秀」の歴史的・文化的重要性についての総括

伊達政宗の愛刀として知られる「鞍切景秀」(または「黒ん坊切景秀」)は、その多面的な価値において、日本の刀剣文化の中で特筆すべき一振りである。鎌倉時代中期の備前長船派の名工・景秀によって作刀されたこの太刀は、優れた美術品としての価値を持つと同時に、政宗の武勇伝と結びついた数々の逸話によって彩られている。特に「鞍ごと敵将を斬った」とされる「鞍切」の号、「朝鮮出兵時に人を斬った」とされる「黒ん坊切」の号は、この刀の並外れた切れ味と、政宗の豪胆な性格を象徴するものとして語り継がれてきた。

昭和初期に旧国宝に指定され、現在は重要文化財「太刀〈銘景秀/〉」としてその価値が公に認められている。また、その劇的な名称や逸話は、後世の文学作品や大衆文化(例えば、ゲームや関連商品など 16)にも影響を与え、伊達政宗という人物を象徴するアイテムの一つとして広く認知されるに至っている。本報告では歴史的・美術史的側面に主眼を置いたが、このような文化的広がりもこの刀の持つ影響力の一側面と言えるだろう。

一方で、「享保名物帳」や伊達家の「剣槍秘録」といった重要な歴史的刀剣リストにその名が見られないという事実は、この刀の評価や伝承のあり方について、単純ではない側面が存在することを示唆しており、歴史研究の観点からも興味深い論点を提供している。

今後の研究への展望(もしあれば)

「鞍切景秀」に関する謎、特に伊達家の蔵刀目録「剣槍秘録」への不記載の理由については、同目録の成立時期、性格、収載範囲などをより詳細に調査すること、あるいは他の伊達家関連資料(日記、書状、会計記録など)を博捜することで、新たな手がかりが得られる可能性がある。また、現存するとされる重要文化財「太刀〈銘景秀/〉」について、茎の金象嵌銘の有無やその状態、他の景秀作の刀剣との比較研究など、より詳細な美術史的再調査が行われれば、この刀の来歴や刀工景秀の研究に新たな知見をもたらすことが期待される。これらの研究を通じて、「鞍切景秀」の歴史的・文化的な位置づけがより明確になることを期待したい。

引用文献

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  2. 伊達政宗の黒ん坊切り景秀 | 日本刀 木堂のブログ https://ameblo.jp/katana-bokudo/entry-11800690406.html
  3. 【日本刀の鐔】備前長船清光 - 株式会社ライブエンタープライズ https://liveenterprise.jp/product-introduction/michikara/3943-sword-scabbards-bizen-osafune-kiyomitsu.html
  4. Jura Khae 日記「エオルゼアの刀剣達[新生~漆黒]」 | FINAL FANTASY XIV, The Lodestone https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/5220023/blog/3444890/
  5. 刀 (金象嵌銘)景秀(長船) Katana:Kagehide - コレクション情報 https://www.samurai-nippon.net/SHOP/V-1982.html
  6. 【備前長船刀剣博物館】注目の「景秀」公開中! | 新着ニュース - 瀬戸内市観光協会 https://www.i-setouchi.org/news/138
  7. 黒ん坊切景秀 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E3%82%93%E5%9D%8A%E5%88%87%E6%99%AF%E7%A7%80
  8. 太刀 銘 備州長船住成家/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/search-noted-sword/juyobunkazaii-meito/647/
  9. 成家(なりいえ)/ホームメイト - 著名刀工・刀匠名鑑 - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/nariie/
  10. 日本刀販売 | 銀座長州屋 |銘 備前国吉井住景則 貞治三年甲刁三月日, 192 https://www.choshuya.co.jp/senrigan-1/%E5%82%99%E5%89%8D%E5%9B%BD%E5%90%89%E4%BA%95%E4%BD%8F%E6%99%AF%E5%89%87%E3%80%80%E8%B2%9E%E6%B2%BB%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%94%B2%E5%88%81%E4%B8%89%E6%9C%88%E6%97%A5/192
  11. 流派等による無銘極めの刀剣一覧 - つるぎの屋 https://www.tsuruginoya.com/infomation/data/mumei-kiwame
  12. 展示 - 京都国立博物館 - Kyoto National Museum https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/collection/2024/03/?date=01
  13. 【SD戦国伝】伊達陸奥守右近衛権少将政宗頑駄無|ひとらたんさん ... https://gumpla.jp/sd/572718
  14. 金梨子餅藤巴葵紋散金蒔絵金金貝鞘糸巻太刀拵 重要刀装 | 刀販売.com https://katanahanbai.com/tosogu/tachi-koshirae/
  15. 拵と白鞘について - Biglobe http://www7b.biglobe.ne.jp/~osaru/kosirae.htm
  16. 【信長の野望 出陣】鞍切景秀の性能と入手方法 - ゲームウィズ https://gamewith.jp/nobunaga-shutsujin/article/show/423757
  17. 伊達家の歴史と武具(刀剣・甲冑)/ホームメイト https://www.touken-world.jp/tips/30432/
  18. 戦国BASARA 伊達政宗 名刀 景秀箸 - コトブキヤ https://www.kotobukiya.co.jp/product/detail/p4934054893515/
  19. 「戦国BASARA」伊達政宗の愛刀「景秀」型の箸などが発売予定 - 4Gamer https://www.4gamer.net/games/094/G009450/20100720071/
  20. 刀剣ブームの歴史/ホームメイト https://www.touken-world.jp/tips/66650/
  21. 有名人の愛刀一覧 https://www.n-p-s.net/aitoh.html
  22. 鶴丸国永 | 日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋 https://www.tsuruginoya.net/stories/tsurumarukuninaga/
  23. 景依(かげより)/ホームメイト - 著名刀工・刀匠名鑑 - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/kageyori/