最終更新日 2026-06-19

事変地域分類:四国

「四国」に属する事変:10件

事変概要
慶長地震けいちょうじしん(1605)慶長九年、日本を未曾有の津波が襲う。揺れが少ない「津波地震」で、関ヶ原後の新領主を苦しめた。多くの犠牲を出しつつも、後世に「揺れなくとも津波は来る」教訓を刻んだ。
高知城築城こうちじょうちくじょう(1601)関ヶ原後、山内一豊は土佐二十四万石を拝領。浦戸一揆を鎮圧し、大高坂山に高知城を築城。百々綱家を登用し、治水と堅牢な城を築き、土佐藩の礎を築いた。
金毘羅大権現社領安堵こんぴらだいごんげんしゃりょうあんど(1601)慶長6年、生駒氏が金毘羅大権現の社領を安堵。戦国期の荒廃から復興した金毘羅は、宥盛と生駒氏の保護で近世的寺社支配体制に組み込まれ、全国的な「こんぴらさん」として発展した。
サン・フェリペ号事件ふぇりぺごうじけん(1596)慶長元年に土佐へ漂着したスペイン船を巡る事件。乗組員の発言から秀吉の怒りを買い、積荷没収と禁教令の強化を招いた。日本二十六聖人殉教の契機となった歴史的出来事。
高松城築城たかまつじょうちくじょう(1590)天正十八年、豊臣秀吉の天下統一の年に、生駒親正は讃岐国に高松城を築城。瀬戸内海の要衝に位置し、海水を引き込んだ堀を持つ日本三大水城の一つとして、豊臣政権の西国支配と海上戦略の拠点となった。
長宗我部家掟ちょうそかべけおきて(1596)長宗我部家掟は、元親が嫡男信親の死後、家中の混乱と豊臣政権への従属下で制定。厳格な統制で再建を図るも、信頼回復せず、長宗我部家滅亡への序曲となった。
長宗我部家改易ちょうそかべけかいえき(1600)慶長五年(1600年)、長宗我部盛親は関ヶ原で西軍に与するも不戦敗。帰国後、兄津野親忠を殺害したことが家康の怒りを買い、長宗我部家は改易。戦国大名の終焉。
徳島城築城とくしまじょうちくじょう(1585)天正十三年、豊臣秀吉の四国平定後、蜂須賀家政は阿波国主となり、秀吉の命で渭津に徳島城を築城。吉野川の水を活用した平山城は、青石の石垣が特徴。藩政の中心として、蜂須賀家280年の礎を築いた。
土佐山内家藩政開始とさやまうちけはんせいかいし(1601)1600年関ヶ原後、土佐に山内一豊が藩政を開始。浦戸一揆鎮圧、高知城築城、地検帳活用、上士・郷士制度確立で土佐藩の礎を築き、長宗我部家は没落。
丸亀城築城まるがめじょうちくじょう(1597)慶長二年に生駒氏が築城を開始。讃岐の西の拠点、および慶長の役の兵站拠点として計画された。現存の高石垣は後の改修だが、骨格は生駒期に創始された四国を代表する名城。