最終更新日 2026-06-19
城地域分類:北陸
「北陸」に属する城:23件
| 城 | 概要 |
|---|---|
| 朝倉山城 | 越前朝倉山城は、朝倉氏の支城として一乗谷防衛網の西の要を担った。城主朝倉景連は文武両道の重臣。朝倉氏滅亡後、一向一揆の抵抗拠点となり、信長軍に攻められた。その歴史は、越前の戦国史を語る。 |
| 一乗谷城 | 一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国都市が奇跡的に保存された「日本のポンペイ」。朝倉氏が築き、政治・文化・経済の中心として栄えたが、信長に焼き討ちされ滅亡。その遺構は、戦国都市の変遷を伝える。 |
| 魚津城 | 越中の要衝、魚津城は上杉・織田の激戦地。天正十年、上杉将兵が本能寺の変を知らぬまま壮絶な最期を遂げた悲劇の舞台。その抵抗は、秀吉の天下取りを間接的に助けた。 |
| 尾山御坊 | 尾山御坊は加賀一向一揆の拠点。守護を打倒し「百姓の持ちたる国」を築く。織田信長に攻められ落城後、金沢城として改修され、加賀百万石の礎となった。 |
| 尾山城 | 尾山城は、加賀一向一揆の拠点尾山御坊を前身とし、佐久間盛政が築城。前田利家が「尾山城」と改称し、高山右近の指導で近世城郭へと大改修。 |
| 金ケ崎城 | 越前の要衝、金ケ崎城は南北朝の悲劇と信長最大の危機「金ヶ崎の退き口」の舞台。簡素な構造ながら、日本の歴史を動かした軍事拠点として名を刻む。 |
| 金ヶ崎城 | 金ヶ崎城は敦賀湾の要衝に位置し、南北朝期には新田義貞が籠城、戦国期には織田信長が「金ヶ崎の退き口」で危機を脱した。歴史の転換点を見つめ続けたこの城は、現在は金崎宮が鎮座し、恋の宮として親しまれる。 |
| 金沢城 | 加賀百万石の府城金沢城は、一向一揆の尾山御坊を前身とし、佐久間盛政が築城。前田利家が近世城郭へと大改修し、度重なる火災を乗り越え現代に蘇る。 |
| 北ノ庄城 | 越前北ノ庄城は柴田勝家が築いた巨城で、九層の天守と石葺きの屋根を誇った。勝家の城下町経営は越前を復興させるも、賤ヶ岳で秀吉に敗れ、勝家とお市の方と共に炎上。その遺構は福井城に継承された。 |
| 末森城(能登国) | 能登末森城は、戦国の要衝。畠山、上杉、織田、前田と支配者変遷。天正十二年、前田利家が佐々成政の大軍を破り、加賀百万石の礎を築く。今も史跡として往時を伝える。 |
| 杣山城 | 越前の要衝・杣山城は、南北朝時代に南朝方の拠点となり、新田義貞も入城。室町期には斯波氏と朝倉氏の争奪の舞台となり、戦国末期には一向一揆の抵抗拠点となった。その歴史は、越前の動乱を物語る。 |
| 高岡城 | 高岡城は前田利長の深謀により築かれ、わずか6年で廃城となるも、その縄張りは近世城郭の最高水準。一国一城令で危機を迎えるも、利常の慧眼と市民の情熱で商都として再生。今もその遺構は高岡の誇りである。 |
| 宅田城 | 宅田城は能登畠山氏の内乱期に存在した謎の城。実態は天堂城の別名か。1554年の畠山義続捕縛説は史実ではなく、権威失墜の敗走が誤伝。能登の激動を今に。 |
| 大聖寺城 | 加越国境の要衝、大聖寺城は南北朝から戦国、織豊時代を経て、関ヶ原の前哨戦の舞台となった。一国一城令で廃城となるも、良好な遺構が残り、日本の城郭史を今に伝える。 |
| 富山城 | 越中の要衝、富山城は神保氏が築き、上杉謙信と死闘。佐々成政が本拠とするも秀吉に破却された。その後、前田氏により近世城郭へと転生し、戦国の記憶を今に伝える。 |
| 七尾城 | 能登に君臨した日本五大山城の一つ。上杉謙信の猛攻に一年以上耐えた難攻不落の要塞であり、畠山氏約百七十年の能登治世の拠点となった名城。 |
| 後瀬山城 | 若狭武田氏が築いた後瀬山城は、小浜の要衝に位置し、文化と軍事の拠点として栄えた。内紛と織豊政権の波に翻弄され、近世城郭へと変貌後、廃城となるも、その遺構は今も往時を語る。 |
| 福光城 | 越中福光城は石黒氏の拠点として栄えたが、戦国黎明期、一向一揆との相克の末、田屋川原の戦いで落城。旧来の武士の支配が終わり、民衆の力が台頭する時代の転換点を象徴する。 |
| 府中城 | 越前府中城は古代国府に起源を持ち、前田利家が本格築城。府中三人衆の拠点として織田・豊臣政権下で重要視された。一国一城令の特例として存続し、発掘された石垣がその堅固さを物語る。 |
| 増山城 | 越中三大山城の一つ、増山城は上杉謙信が「嶮難之地」と評した難攻不落の要害。神保氏、上杉氏、佐々氏、前田氏と支配者が変遷し、戦国の歴史を刻んだ。今は国史跡として、その壮大な遺構が往時を伝える。 |
| 松倉城(越中国) | 越中三大山城の一つであり、越中東部の支配者・椎名氏の本拠となった不落の巨大山城。松倉金山を経済基盤とし武家屋敷も擁した山上の要害。 |
| 松波城 | 奥能登の要衝・松波城は、能登畠山氏庶流の拠点として築かれ、海上交通を掌握。枯山水庭園は文化の象徴。上杉謙信の能登侵攻で落城したが、その歴史は地域支配と文化の融合を語る。 |
| 安田城(越中国) | 越中安田城は、天正十三年富山の役にて秀吉軍が築きし陣城なり。佐々成政を攻める要衝として機能し、戦後は前田氏の支配拠点となる。短命なれど、その遺構は戦国末期の築城術を今に伝える貴重な史跡である。 |