最終更新日 2026-06-19
城地域分類:近畿
「近畿」に属する城:62件
| 城 | 概要 |
|---|---|
| 芥川城 | 戦国期畿内の重要拠点、芥川城は細川高国が築き、三好長慶が天下人の城として機能させた。織田信長も入城し、その歴史的役割を終えた後も、良好な遺構が残り、国の史跡として価値を認められている。 |
| 朝倉城(但馬国) | 但馬朝倉城は越前朝倉氏の発祥地。鎌倉期に築かれ、承久の乱で衰退するも山名氏被官として存続。土塁と堀切を主体とした「土の城」として中世山城の最終形態を伝える。織田信長の侵攻で開城し廃城。 |
| 朝宮城 | 近江朝宮城は、甲賀の純軍事的な山城。畝状竪堀や桝形虎口など先進技術を導入し、甲賀の典型とは異なる。多羅尾氏の広域防衛ネットワークの一翼を担い、甲賀の歴史的変遷を物語る。 |
| 安土城 | 信長が築いた安土城は天主を神殿とする革新的な城で、天下布武の象徴。わずか数年で焼失し「幻の城」となるも、その思想と技術は後世に影響を与え続ける。 |
| 有岡城 | 摂津有岡城は、伊丹氏が築き、荒木村重が「惣構え」で大改修。日本最古級の天守を持つ堅城。信長に反旗を翻し、黒田官兵衛を幽閉。約1年間の籠城戦の末に落城し、悲劇の終焉。 |
| 飯盛山城 | 飯盛山城は、三好長慶が築きし戦国期広域政権の都。石垣と瓦を多用し、山上に居住空間を設けた革新の城なり。信長の安土城に先駆ける原型にして、畿内支配の象徴。 |
| 石部城 | 近江の要衝、石部城は甲賀武士団と六角氏の連携拠点。六角氏が二度籠城し、織田信長に落とされたことで、中世的支配の終焉と近世への転換を象徴する。現在は善隆寺境内となり、地名にその記憶を残す。 |
| 石山城 | 石山城は、浄土真宗本願寺教団の要塞都市であり、信長と11年に及ぶ石山合戦を繰り広げた。鉄甲船や雑賀衆との激戦を経て終結。その跡地には大坂城が築かれ、本願寺は東西に分裂した。 |
| 石山本願寺 | 石山本願寺は、宗教・軍事・経済が一体化した要塞都市で、織田信長と11年間対峙した。その攻防は戦国史に大きな影響を与え、後の大坂城の礎となり、本願寺の東西分裂を招いた。 |
| 伊丹城 | 伊丹城は伊丹氏の堅城として築かれ、荒木村重が有岡城と改称し惣構えを構築。信長への反旗で黒田官兵衛幽閉、壮絶な攻防の末落城。戦国の悲劇と革新を刻む城郭である。 |
| 今浜城 | 今浜城は、佐々木道誉築城伝承を持つ古城。秀吉が長浜城と改め、琵琶湖水運を活かした新時代の拠点とした。天正地震で被災後、徳川幕府により廃城。その部材は彦根城へ転用され、歴史を今に伝える。 |
| 岩室城 | 岩室城は紀伊の要衝に築かれ、湯浅党から畠山氏の拠点へ。源平争乱、畠山氏の内紛、秀吉の紀州征伐を経て落城。紀伊の中世から近世への転換を象徴する山城。 |
| 淡河城 | 播磨淡河城は、北条氏の血を引く淡河氏の居城。三木合戦で別所氏に与し、羽柴秀長を「牝馬の奇策」で退けるも、戦略的撤退で自ら城を放棄。近世城郭化されるも、一国一城令で廃城。 |
| 大坂城 | "石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築いた天下統一の拠点。大坂の陣で豊臣家が滅亡したのち、徳川幕府が旧遺構を完全に埋め立てて新たな城を再築した史跡。" |
| 大溝城 | 近江の要衝、大溝城は織田信澄が築き、明智光秀が縄張りを担当した水城。本能寺の変で信澄は悲劇的な最期を遂げ、城主は目まぐるしく交代。廃城後、分部氏が陣屋を構え、水辺の景観は今も残る。 |
| 小谷城 | 北近江の要衝、小谷城は浅井氏三代の居城として栄え、信長包囲網の激戦地となる。堅固な山城も兵糧攻めに屈し落城。浅井氏は滅びるも、その悲劇は今も語り継がれる。 |
| 音羽城 | 近江音羽城は、蒲生氏初期の本拠。堅固な山城として六角氏の危機を救うも、内紛で落城し、日本史上初期の「城割」を経験。蒲生氏郷の祖先が日野菜を発見した地としても知られる。 |
| 鎌刃城 | 近江鎌刃城は、江北と江南の境目の要衝。安土城に先駆ける石垣や枡形虎口、大櫓など先進技術が判明。信長の直轄城となるも、旧勢力解体のため意図的に破城された悲劇の城。 |
| 神吉城 | 播磨神吉城は、別所氏の支城として三木合戦で織田軍と激戦。総構えの堅城も、城主・神吉頼定の悲劇的な最期と共に落城。秀吉により徹底破却され、その歴史は静かに幕を閉じた。 |
| 観音寺城 | 観音寺城は六角氏の居城で、日本初の楽市を開くなど先進的。安土城に先駆け石垣を導入。観音寺騒動で弱体化し、信長の上洛で無血開城。六角氏の栄枯盛衰を映す。 |
| 岸和田城 | 岸和田城は、畿内と西国を結ぶ要衝。三好氏の海洋政権を支え、秀吉の紀州征伐では本陣となる。蛸地蔵伝説に彩られ、今は市民の誇りとして歴史を刻む。 |
| 国見城(大和国) | 大和国には二つの国見城あり。金剛山頂の城は楠木氏の情報拠点、国見山城は戦国期越智氏の詰の城。両城は時代の変遷と共に役割を変え、天下統一の波に消えゆくも、その戦略思想は高取城に継承された。 |
| 黒井城 | 丹波の赤鬼・赤井直正が築いた黒井城は、明智光秀を苦しめた堅城。土と石の築城技術が混在し、戦国時代の変遷を物語る。春日局生誕の地としても知られる。 |
| 上月城 | 播磨の要衝、上月城は三国の境に位置し、織田・毛利の激突の最前線となる。尼子再興軍が籠城するも、織田信長の非情な戦略により見捨てられ落城。尼子氏は滅亡し、悲劇の舞台となった。 |
| 此隅城 | 但馬国に栄えた山名氏の居城、此隅城は、応仁の乱で西軍の拠点として威勢を誇るも、織田信長の侵攻により永禄十二年に落城。山名氏の盛衰と戦国時代の変革を今に伝える。 |
| 御着城 | 播磨御着城は、小寺氏の居城。山陽道の要衝に築かれ、総構えを持つ堅固な平城。黒田官兵衛を育むも、城主・小寺政職が織田信長に反旗を翻し、秀吉の攻撃で落城。その後廃城。 |
| 雑賀城 | 雑賀城は、鉄砲傭兵集団雑賀衆の本拠地。織田信長の大軍を退けし難攻不落の地。しかし、内紛と豊臣秀吉の紀州征伐により廃城となり、その歴史を閉じる。 |
| 堺 | 戦国時代の自由・自治都市堺は、環濠に守られ、日明・南蛮貿易で繁栄。会合衆が自治を担い、鉄砲生産や茶の湯文化が花開いた。信長・秀吉の支配で自治を失い、大坂夏の陣で焼失。 |
| 坂本城 | 明智光秀が築きし幻の坂本城。信長の野望を映す湖上の要塞は、天主や総石垣など先進技術の粋を集めし壮麗な城郭なり。本能寺の変にて光秀と共に散りし悲劇の城は、今も琵琶湖の底に記憶を留めん。 |
| 佐和山城 | 佐和山城は近江の要衝に築かれ、浅井氏、織田氏の重要拠点となった。石田三成が城主となり大改修、豊臣政権の象徴となるが、関ヶ原合戦後に落城。徹底的に破却され、彦根城の資材として転用された悲劇の城である。 |
| 信貴山城 | 信貴山城は松永久秀が築き、革新的な築城技術と野望を体現した天空要塞。信長に反旗を翻し壮絶な最期を遂げたが、中世から近世への過渡期を示す貴重な遺産だ。 |
| 清水山城(近江国) | 近江清水山城は、佐々木越中氏の拠点。琵琶湖水運と西近江路を抑える要衝に築かれ、畝状竪堀など最新技術で要塞化。浅井氏と同盟し信長と敵対するも、元亀4年信長の攻撃で落城、廃城。 |
| 勝龍寺城 | 勝龍寺城は京畿の要衝に位置し、細川藤孝が瓦・石垣・天主を備えた近世城郭の原点として大改修。明智光秀が山崎合戦で敗走後、最期に籠った悲劇の城。現在は公園として再生され、歴史を伝える。 |
| 洲本城 | 淡路洲本城は、紀淡海峡を望む要衝に築かれ、安宅氏の水軍拠点から豊臣秀吉の命で脇坂安治が総石垣化。登り石垣など先進技術を導入し、大坂防衛の要となった。泰平の世には行政拠点へと変貌した。 |
| 高槻城 | 高槻城は、京と西国を結ぶ要衝に位置し、戦国期に織田信長、高山右近らが支配。キリシタン文化と先進築城技術が花開くも、明治期に鉄道敷設のため石垣が消えた。 |
| 高津城(丹波国) | 丹波高津城は菅原道真を祖とする大槻氏の拠点。南北朝期に築かれ、東西で異なる防御様式を持つ複合構造。天正二年、明智光秀の丹波平定の序章として落城。国人領主の興亡と時代の変遷を物語る。 |
| 高屋城 | 高屋城は、河内国の要衝に築かれ、畠山・三好・織田が争奪した。古墳を本丸とする異色の城は、下剋上と畿内動乱の縮図。信長により廃城となり、歴史に消えた。 |
| 竹田城 | 但馬の竹田城は、山名宗全が築き、赤松広秀が総石垣の天空の城へと大改修。関ヶ原合戦で広秀は西軍に与し自刃、城は廃城となる。雲海に浮かぶ幻想的な姿は今も人々を魅了する。 |
| 建部山城 | 丹後一色氏の拠点、建部山城は、室町から戦国を生き抜いた名門の象徴。信長に抗い落城、近代要塞化で姿を消すも、二つの時代の歴史を今に伝える。 |
| 多聞山城 | 松永久秀が築いた多聞山城は、日本初の天守や多聞櫓を備え、近世城郭の先駆けとなった。信長も驚嘆した壮麗な城は、大和支配の象徴であり、文化サロンでもあったが、信長の命により破却された幻の名城である。 |
| 丹波亀山城 | 丹波亀山城は明智光秀が丹波平定拠点として築城。本能寺の変の出陣地。豊臣一門が城主を務め、小早川秀秋が天守を五層に改築。関ヶ原後、徳川家康が天下普請を発令し藤堂高虎が近世城郭へ大改修。 |
| 筒井城 | 大和国筒井城は、興福寺衆徒の館から筒井氏の居城へ発展。松永久秀との激戦を繰り返し、鉄砲の脅威に対抗するため堀を大規模化。信長の一国一城令で廃城、郡山城へ本拠を移した。 |
| 手取城 | 紀州手取城は、日高川流域を支配した玉置氏の拠点。広大な城域と緻密な縄張りを持つ。秀吉の紀州征伐で、玉置直和は恭順するも、同族湯川氏との「坂ノ瀬合戦」で落城。その後廃城となるも、遺構は残る。 |
| 十市城 | 大和十市城は、十市氏の本拠。奈良盆地の交通要衝に築かれ、惣構えを持つ大和最大級の平城。十市遠忠の時代に最盛期を迎え、龍王山城と連携。松永久秀の介入で一族分裂、信長の廃城令で終焉。 |
| 二条城 | 織田信長が将軍・足利義昭の居城として築いた城。室町幕府終焉の舞台となり、石垣に石仏を転用した先進的構造を持ち、後に解体され安土城の建築資材に再利用された。 |
| 八幡城 | 近江八幡城は、豊臣秀次が築きし軍事経済複合都市。安土城の遺産を継承し、八幡堀を開削。秀次事件により廃城となるも、近江商人の礎を築きし。 |
| 原田城(摂津国) | 摂津国原田城は、京都と西国を結ぶ交通要衝に位置し、北城と南城の二元構造を持つ。土豪原田氏の拠点として、戦国期には池田氏の広域防衛システムの一部を担った。 |
| 姫路城 | 播磨の要衝、姫路城は「白鷺城」と称される日本城郭の最高傑作。赤松氏の砦から秀吉が三重天守を築き、池田輝政が徳川の命で大改築。螺旋式縄張と連立天守で鉄壁の防御を誇り、戦火を免れし奇跡の城。 |
| 福智山城 | 福知山城は、明智光秀が丹波平定後に築いた近世城郭。旧横山城を大改修し、北近畿の交通要衝に位置する丹波支配の拠点とした。転用石を用いた石垣など、光秀の築城思想が随所にみられる。 |
| 伏見城 | 伏見城は、豊臣秀吉が築きし夢の都にして、徳川家康が天下取りの礎とした城。関ヶ原の戦いの舞台となり、その栄光と悲劇は「血天井」に刻まれし。 |
| 槙島城 | 巨椋池に浮かぶ槙島城は、真木島氏の拠点。細川政元により城郭化し、足利義昭が信長に抗した最後の舞台となる。信長の電撃的攻撃で一日で落城、幕府は事実上滅亡。秀吉の治水事業で廃城。 |
| 三木城 | 三木城は播磨の要衝に築かれ、別所長治が織田信長に反旗を翻し、羽柴秀吉による「三木の干殺し」と呼ばれる兵糧攻めを20ヶ月耐え抜いた。長治は自害し、城は落城。戦国の悲劇を象徴する城である。 |
| 水口城 | 近江国水口城は、戦国時代の甲賀の地に徳川家光の上洛宿館「御茶屋」として築かれ、天下泰平の象徴となった。水口岡山城落城後、徳川の威光を示す堅固な城郭として建設され、後に水口藩の藩庁となる。 |
| 宮津城 | 丹後の海城、宮津城は織田信長の命で細川藤孝が築き、明智光秀が関与した先進的な海城。関ヶ原合戦前夜、幽斎自ら焼き払い、細川家飛躍の礎となる。今は地下に遺構が眠る。 |
| 室津城 | 播磨室津城は、瀬戸内海の海上交通を支配する要衝。浦上氏が関銭で富を蓄え、主家赤松氏を凌駕。浦上村宗が主君を幽閉・殺害した下克上の舞台。婚礼襲撃事件で炎上し、廃城。 |
| 室町御所 | 室町御所(武衛陣御所)は足利義輝が将軍権威復興のため築いた邸宅兼城郭。三好氏との対決に備え城郭化。義輝は剣豪将軍として奮戦するも永禄の変で壮絶な最期を遂げ御所も焼失。 |
| 籾井城 | 丹波国境の要害、籾井城は京街道と摂津街道の結節点に位置し、波多野氏の東方防衛の要を担った。明智光秀の丹波攻略で落城し、最後の城主・籾井綱利は討死。伝説の「丹波の青鬼」は史実と伝承が交錯する。 |
| 八上城 | 丹波の要衝、八上城は波多野氏の居城として栄え、明智光秀の猛攻を一年半耐え抜いた。兵糧尽き落城、波多野氏は滅びるも、その堅固な守りは今も史跡として語り継がれる。 |
| 弓木城 | 弓木城は丹後の交通要衝、一色氏最後の牙城。稲富祐直の砲術で織田軍を撃退するも、本能寺の変後の謀略で一色氏は滅亡。城は廃城となるが、稲富流砲術は後世に伝わる。 |
| 横山城 | 横山城は丹波の要衝。明智光秀が福知山城として大改築し、転用石や善政で領民を魅了。廃城令で解体も、市民の熱意で再建され、郷土の象徴として今に伝わる。 |
| 若江城 | 河内国若江城は、畠山氏の内紛から応仁の乱の震源地となり、三好氏の居城を経て、信長に攻められ三好本宗家滅亡の舞台となった。石山合戦では織田軍の最前線基地となり、信長の命により廃城。 |
| 槇嶋城 | 槇嶋城は、巨椋池に浮かぶ水城。足利義昭が信長に最後の抵抗を試みた舞台。信長の電撃的侵攻で落城し、室町幕府は事実上終焉。秀吉の宇治川改修で資材に転用され、地上から姿を消す。 |