最終更新日 2026-06-19

城地域分類:関東

「関東」に属する城:46件

概要
石塚城いしづかじょう常陸国ひたちこく常陸石塚城は、佐竹氏一門の拠点として築かれ、那珂川流域の要衝を抑えた。戦国期には大規模改修され、佐竹氏の領国経営を象徴。関ヶ原の戦い後、佐竹氏の転封と共に廃城となった。
稲村城いなむらじょう安房国稲村城は里見氏の重要拠点。一族の悲劇「天文の内訌」の舞台となり、嫡流断絶と廃城を経験。その遺構は戦国前期の築城技術と里見氏の歴史的転換点を伝える史跡だ。
岩付城いわつきじょう武蔵国岩付城は、沼沢地を活かした「浮城」として築かれ、扇谷上杉氏の拠点となる。太田資正が反北条の旗頭として城を死守するが、嫡男の裏切りで北条氏の支配下へ。小田原征伐で落城。
宇都宮城うつのみやじょう下野の名城・宇都宮城は、五百年にわたり宇都宮氏が治めし関東の要衝。戦国の動乱を巧みな外交と堅固な城郭で乗り越え、秀吉の「宇都宮仕置」の舞台となるも改易。近世城郭へと変貌し、今も歴史を語り継ぐ。
江戸城えどじょう江戸城は太田道灌が築き、扇谷上杉氏の戦略拠点として機能。後北条氏の支配下で江戸湾水運を掌握し、対里見氏の最前線となる。小田原征伐後、徳川家康が入府し、天下普請で近世城郭へ。
太田城おおたじょう常陸太田城は、佐竹氏五百年の歴史を刻む本拠。舞鶴城の別名を持ち、山入の乱や北条・伊達との死闘を経験。巨大な堀が発掘され、戦国大名佐竹氏の飛躍と城郭の変遷を今に伝える。
大田原城おおたわらじょう大田原城は下野国那須郡の要衝に築かれ、大田原資清が下克上を成し遂げた拠点。複雑な縄張りで鉄壁の守りを誇り、関ヶ原の戦いでは徳川方の最前線基地となった。戊辰戦争を乗り越え、今は龍城公園として今に。
忍城おしじょう沼沢地を堀として活用した構造から浮き城と称された成田氏の本拠地。小田原征伐では石田三成による水攻めを耐え抜き不落の伝説を築いた要害。
小田城おだじょう常陸小田城は、八田知家が築き、北畠親房が『神皇正統記』を執筆した南朝の拠点。戦国期には「常陸の不死鳥」小田氏治が何度も落城と奪還を繰り返し、不屈の精神を示した。今は史跡としてその歴史を伝える。
小田原城おだわらじょう小田原城は、後北条氏が百年をかけ築き上げた難攻不落の巨城。秀吉の前に戦わずして開城した悲劇は、時代の変化と戦略の限界を映す、戦国史の象徴なり。
小山城おやまじょう小山城は名門小山氏の拠点、戦国期には北条氏の支配下へ。関ヶ原前「小山評定」の舞台となり、幕府成立の礎となる。廃城後も史跡として記憶される。
小弓城おゆみじょう小弓城は下総の要衝、原氏の拠点。足利義明が「小弓公方」を称し関東の中心となるも、国府台合戦で北条氏に敗れ滅亡。原氏復帰後も小田原征伐で廃城。南北二つの城が併存した城郭群。
唐沢山城からさわやまじょう関東の要衝、唐沢山城は「難攻不落」と謳われた山城。佐野昌綱は上杉・北条の狭間で巧みに家名を存続。豊臣期に高石垣で強化されるも、徳川の世に廃城。今は史跡として往時を伝える。
烏山城からすやまじょう下野烏山城は「臥牛城」と称され、那須氏の本拠として450年君臨。佐竹氏の猛攻を退け「難攻不落」を誇るも、小田原征伐遅参で那須氏改易。江戸期は城主交代頻繁も、今は国史跡として堅固な遺構を伝える。
河越城かわごえじょう武蔵河越城は、太田道灌が築き、関東の要衝として扇谷上杉氏の拠点となった。河越夜戦では北条氏康が奇襲で大勝し、後北条氏の関東支配を確立。大道寺氏の善政で栄え、今は本丸御殿などが残る歴史的遺産である。
祇園城ぎおんじょう祇園城は下野の名族小山氏の拠点。戦国期には北条氏照が改修し、その堅固さを増した。関ヶ原の戦い後、本多正純が城主となるも廃城。現在は史跡公園として、その歴史を今に伝える。
国峯城くにみねじょう国峯城は西上野の要衝。小幡氏が築き、山内上杉氏の重臣として活躍。武田信玄に臣従し「赤備え」として武名を馳せる。武田氏滅亡後は織田、北条と主を変え、小田原征伐で落城。その歴史は国衆の生存戦略を物語る。
久留里城くるりじょう上総国に位置する房総半島の要衝。安房、上総、下総の三国を結ぶ結節点を押さえ、戦国期における関東の覇権争いで「扇の要」として重要な軍事的役割を果たした名城。
小泉城こいずみじょう上野小泉城は、富岡氏が古河公方の旗下で築城。上杉・後北条・武田の狭間で所属を変え、後北条流築城術で強化された。小田原征伐で落城し富岡氏は改易されたが、その遺構は戦国期国衆の生存戦略を語る。
国府台城こうのだいじょう国府台城は、太田道灌が築き、二度の国府台合戦の舞台となった関東の要衝。北条と里見が覇権を争い、激戦を繰り広げた。家康により廃城となるも、夜泣き石伝説と共に歴史を伝える。
古河城こがじょう古河城は関東の要衝。古河公方の本拠として享徳の乱から戦国を動かし、上杉・北条の争奪戦の舞台となった。江戸期には幕府の重要拠点となるも、明治期に河川改修で姿を消した巨城。
小金城こがねじょう下総の要衝、小金城は高城氏が築き、後北条流築城術の障子堀・畝堀を備えた堅城。高城氏三代の興亡を見届け、豊臣秀吉の小田原征伐で廃城。城下町は宿場町として発展した。
椎津城しいづじょう椎津城は房総の要衝で、三浦・真里谷・北条・里見氏が争奪。内訌と北条改修で激戦を経験。古墳利用の縄張りや畝堀が特徴。小田原征伐で廃城も、白幡六郎の伝説が残る。
関宿城せきやどじょう関宿城は利根川水系を制す要衝。戦国期は北条・上杉の激戦地、簗田氏が守るも北条氏の手に。江戸期は幕府の要衝として栄え、明治期に廃城。河川改修で姿を消すも、歴史は博物館に。
滝山城たきやまじょう武蔵国滝山城は、大石氏が築き、北条氏照が関東支配の拠点として大改修。武田信玄の猛攻を退けた堅城だが、八王子城築城に伴い廃城。城下町は八王子宿へ移転。
館山城たてやまじょう館山城は、房総里見氏が築きし最後の本拠。北条との抗争、秀吉による減封、徳川による改易と激動の時代を映す。今は『南総里見八犬伝』の舞台として、史実と物語が共存する。
玉縄城たまなわじょう北条早雲が築いた相模玉縄城は、関東の要衝として里見・上杉・武田の攻撃を退けた堅城。小田原征伐で無血開城、氏勝は家名を存続。廃城後も鎌倉の歴史を語る。
千葉城ちばじょう千葉城は、平安期からの伝説と中世城郭の史実が重なる地。戦国期には役割を終え、今は模擬天守が市民に親しまれる。歴史の層を刻む、記憶と時間の複合体なり。
土浦城つちうらじょう霞ケ浦水運の要衝土浦城は、若泉氏が築き、後に菅谷氏が奪取。小田氏治の「不死鳥」伝説を支える最後の砦として、佐竹・北条との激戦を耐え抜いた。結城秀康の支城となる。
中野城なかのじょう上野国こうずけのくに上野国中野城は、新田氏により築かれ、南北朝の動乱で一度廃城となるも、戦国期に富岡氏により再興。しかし小田原征伐で再び姿を消した。その歴史は、血縁から戦略へと変遷する武士社会の鏡である。
中野城なかのじょう下総国しもうさのくに下総国中野城は、戦国黎明期に酒井定隆が築いた戦略拠点。短命ながらも土気城攻略の足がかりとなり、その廃城は合理的な戦略成功の証。武と法を融合した定隆の統治思想を今に伝える。
沼田城ぬまたじょう上州沼田城は河岸段丘の要害に築かれ、上杉・北条・武田が争奪。真田昌幸が智謀で手中に収め、信幸が五層天守を築くも、内政の失敗で改易、徹底破却された。
八王子城はちおうじじょう後北条氏の巨城・八王子城は、氏照の野心と美意識が融合した傑作。豊臣軍の猛攻に一日で落城し、御主殿の滝の悲劇は語り継がれる。その歴史は、戦国時代の終焉と、武士の誇り、そして悲哀を語る。
鉢形城はちがたじょう関東の要衝、鉢形城は長尾景春が築き、北条氏邦が北関東支配の拠点として大改修。豊臣秀吉の小田原征伐で壮絶な籠城戦の末に開城。後北条流築城術の粋を集めた堅城である。
平井城ひらいじょう平井城は関東管領山内上杉氏の本拠地。河越夜戦で敗北し衰退、上杉憲政が越後へ逃亡。長尾景虎(謙信)に奪回されるも、厩橋城へ拠点を移され廃城。
松山城まつやまじょう武蔵松山城は、関東の覇権を巡る要衝。扇谷上杉、後北条、上杉謙信、武田信玄が激しく争奪。土の城の極致たる堅固な構造は、戦国関東の縮図として今にその歴史を伝える。
厩橋城まやばしじょう厩橋城は関東の要衝で、上杉・北条・武田・織田・徳川が争奪した。利根川を要害としつつも水害に苦しみ、廃城と再築を繰り返した。戦国時代の関東史を象徴する城である。
万喜城まんぎじょう万喜城は房総の要衝に築かれ、上総土岐氏の拠点。夷隅川を天然の要害とし、切岸や複雑な堀で難攻不落を誇った。里見・北条との攻防を繰り広げ、小田原征伐で本多忠勝に落城。今は万木城跡公園として今に。
三崎城みさきじょう三崎城は三浦半島最南端の要衝。三浦氏水軍拠点として築かれ、北条早雲との死闘で三浦氏滅亡。後北条氏の水軍戦略拠点となり、氏規が城主を務める。小田原征伐で廃城も、港町三崎の中心として機能し続けた。
水戸城みとじょう常陸水戸城は、那珂川と千波湖に挟まれた要害に築かれた日本最大級の「土の城」。江戸氏の拠点から佐竹義宣が大規模改修し、近世城郭の骨格を形成。関ヶ原の戦い後、徳川頼房が入城し水戸徳川家の居城となった。
箕輪城みのわじょう箕輪城は長野氏が築き、武田信玄の猛攻を退けた堅城。長野氏滅亡後、武田・北条・井伊氏が城主となり近世城郭へ改修。廃城後も史跡として地域の歴史を伝える。
壬生城みぶじょう下野壬生城は、壬生氏の下剋上の拠点として戦国時代に躍進。宇都宮氏を凌駕する勢力を築いた。小田原征伐で壬生氏滅亡後、徳川幕府の要衝となり、将軍社参の宿城として近世城郭へと変貌した。
真岡城もおかじょう下野真岡城は、宇都宮氏重臣・芳賀氏の拠点として栄え、主家を凌駕する権勢を誇った。戦国末期には対北条氏要塞として改修されたが、宇都宮氏改易と共に廃城。その歴史は、主従関係の複雑さを物語る。
本佐倉城もとさくらじょう本佐倉城は享徳の乱後、千葉氏が築いた下総国の中心。印旛沼水運を掌握し、土の城ながら先進的な防御を誇る。後北条氏の介入で千葉氏は衰退し、小田原征伐で廃城。栄枯盛衰を今に。
森山城もりやまじょう下総森山城は、香取海の水運を掌握する要衝として築かれ、千葉氏・後北条氏の支配下で重要拠点となった。戦国末期には後北条氏の先進技術で改修されたが、小田原征伐で廃城。水運と権力の歴史を語る。
結城城ゆうきじょう結城城は、鎌倉期より結城氏の本拠。結城合戦で難攻不落を誇り、秀康入城で近世城郭へ。戊辰戦争で落城も、結城紬と共に歴史を刻む。関東武士の興亡を映す名城なり。