最終更新日 2026-06-19

城地域分類:中国

「中国」に属する城:48件

概要
羽衣石城うえしじょう伯耆国に南条氏が築いた羽衣石城は、尼子・毛利・織田の狭間で激動の歴史を刻んだ。堅固な要塞も関ヶ原で南条氏改易と共に廃城となるが、その記憶は今も地域に息づく。
岡山城おかやまじょう烏城岡山城は宇喜多直家が礎を築き、秀家が豊臣系近世城郭として大改築。関ヶ原で秀家は失脚し、小早川、池田氏が統治。戦災で焼失も、市民の熱意で再建され、令和の大改修を経て歴史を伝える。
翁山城おきなやまじょう備後翁山城は、石見銀山街道を抑える要衝。毛利・尼子狭間で長谷部氏が築いた全山要塞。長谷部元信は毛利氏の武将として活躍。関ヶ原後、主家に従い萩へ移住し、城は静かに廃城となる。
長船城おさふねじょう備前長船城は、日本刀の聖地・長船派の工房兼居館。足利尊氏から屋敷を賜り、刀工集団の生産拠点として栄える。戦火と天正の大洪水で壊滅し、産業と共に静かに歴史から姿を消す。
尾高城おだかじょう伯耆国の要衝、尾高城は行松氏が築き、尼子・毛利氏の争奪戦の舞台に。杉原盛重が統治し、土の城から石の城へと変貌。関ヶ原後、米子城築城に伴い廃城となるも、西伯耆の歴史を今に伝える。
鏡山城かがみやまじょう鏡山城は安芸国大内氏の拠点。南北朝期に築かれ、応仁の乱で攻防を繰り広げた。畝状竪堀群が特徴で、毛利元就の謀略で落城した逸話は有名。日本最古の城掟が残る国史跡。
賀儀城かぎじょう賀儀城は瀬戸内海に臨む小早川水軍の拠点要塞。城主浦宗勝は厳島・木津川口で活躍。船隠しは軍船秘匿の証。機能特化型海城として、戦国水軍の戦略と実像を今に伝える。
鶴首城かくしゅじょう備中の鶴首城は、三村氏の拠点として栄え、備中兵乱の舞台となる。毛利氏と織田氏の狭間で翻弄され、一族の分裂と滅亡を招いた。廃城後も、その堅固な遺構は戦国の記憶を伝える。
且山城かつやまじょう長門の要害、且山城は大内氏の九州への橋頭堡。青山崩れの内紛、毛利元就の防長経略での謀略を経て、大内氏最後の城となる。一国一城令で廃城となるも、その遺構は西国の覇権争いを今に伝える。
亀迫城かめざこじょう備中亀迫城は元亀元年、毛利元清が築いた陣城。毛利氏の備中東部進出の橋頭堡として機能し、猿掛城攻略後は廃城。短命ながら毛利氏の戦略と合理性を凝縮した要塞であった。
神辺城かんなべじょう備後の要衝、神辺城は山名氏、毛利氏、福島氏と城主を変え、戦国の興亡を映す。七年にも及ぶ激戦を耐え、近世城郭へと変貌するも、福山城築城と共に廃城。その遺構は今も語り継がれる。
月山富田城がっさんとだじょう"尼子氏六代の拠点となった出雲の巨大な山城。大内軍を撃退し不落を誇るも、毛利元就の兵糧攻めと調略で開城。堀尾氏の松江移転に伴い廃城となった国の史跡。"
櫛崎城くしざきじょう櫛崎城は関門海峡の要衝に位置し、大内氏の拠点から毛利秀元の雄山城へ変貌。一国一城令で破却されるも、毛利家の再興への執念を秘め、幕末には関見台として活用。その歴史は激動の時代を物語る。
佐東銀山城さとうかなやまじょう佐東銀山城は安芸武田氏の拠点。毛利元就の謀略で落城し、毛利氏の支配下へ。広島城築城で廃城となるも、中世山城の貴重な遺構が残り、今も歴史を伝える。
三本松城さんぼんまつじょう三本松城は吉見氏が築き、陶晴賢を退け毛利元就の天下取りを助けた。坂崎氏が石垣で大改修し、亀井氏が治めた。中世と近世の城郭が共存する。
指月城しづきじょう長門国ながとのくに萩城は関ヶ原で敗れた毛利氏が築き、見えぬ天守に苦渋を秘めた。城下町は維新の礎となり、藩庁移転と廃城を経て世界遺産に。その歴史は忠誠と変革を語る。
下津井城しもついじょう備前下津井城は、瀬戸内海の海上交通を扼する要衝。宇喜多秀家が築き、池田長政が大改修。近世城郭の先進技術を刻む。徳川幕府の西国監視拠点として機能するも、泰平の世となり廃城。
白鹿城しらがじょう白鹿城は尼子十旗筆頭の堅城で、水運を掌握。毛利元就は坑道戦で攻め、尼子氏衰亡の序曲となった。戦国攻城戦術の進化と経済・軍事の結びつきを示す。
神西城じんざいじょう神西城は出雲西部の要衝。神西氏が約350年支配し、尼子十旗として西方防衛を担う。城主元通は故郷を奪われ尼子再興に殉じた。戦国期の緊迫した状況を伝える史跡。
周防高森城すおうたかもりじょう周防高森城は大内氏の安芸進出の尖兵として築かれ、毛利氏の防長支配拠点へ変貌。畝状竪堀群など毛利氏の先進築城術が導入された。戦国西国の地政学と権力闘争を映し出す、歴史の証人である。
瀬戸山城せとやまじょう出雲の国境に聳える瀬戸山城は、尼子十旗随一の堅城。赤穴氏が守り、大内・毛利との激戦を経験。堀尾氏による近世改修後、一国一城令で破却されるも、その遺構は戦国から近世への変遷を物語る。
高城城たかぎじょう高城城は「唯落の城」と伝わるが、考古学的調査で堅固な山城と判明。尼子氏の侵攻は段階的で、伝承は後世の創作の可能性が高い。城は地域の拠点として機能し、鍛冶炉跡も発見。伝承と史実の乖離が明らかになった。
高田城たかだじょう美作国みまさかのくに奥州の要衝、不来方城は南部氏三代が築いた総石垣の巨城。九戸政実の乱と豊臣政権の介入を経て、盛岡藩の礎となる。石垣の変遷は、戦国から近世への技術と権力移ろいを物語る。
高津城たかつじょう石見国いわみこく石見国高津城は南北朝期に南朝方の拠点として築かれ、戦国期には益田氏の経済・兵站の要として機能。関ヶ原後に廃城となるも、柿本神社が遷座し聖地へ転換。時代と共に役割を変えた要衝の城。
高松城たかまつじょう備中高松城は沼沢地を活かした要塞。秀吉が黒田官兵衛の献策で水攻めを敢行。本能寺の変後、城主清水宗治は城兵の命と引き換えに自刃。秀吉の中国大返しの起点となり、天下統一を決定づけた。
津山城つやまじょう森忠政が美作に築いた巨大平山城。一二三段と呼ばれる高石垣と数多の櫓で守られた不落の要塞であり、森氏改易後は結城秀康の流れを汲む松平氏が明治まで統治した。
天神山城てんじんやまじょう備前の天神山城は、浦上宗景が築いた巨大山城。宇喜多直家との下剋上、織田・毛利の代理戦争の舞台となる。家臣団の離反で落城するも、その堅固な遺構は戦国の歴史を今に伝える。
砥石城といしじょう備前の要衝、砥石城は宇喜多直家生誕の地にして、その勢力拡大の礎となった。幾多の攻防を経て、やがて平城へと役割を譲るも、戦国の歴史を今に伝える貴重な史跡である。
徳山城とくやまじょう周防徳山城は戦国時代の激戦地を前身とし、江戸時代に毛利氏の支藩徳山藩の壮大な陣屋として築かれた。一度改易されるも再興し、城主格へ昇格。戦災で焼失したが、その記憶は今も地域に息づく。
鳥取城とっとりじょう因幡の要衝、鳥取城は山名氏の拠点から織田・毛利の争奪戦の舞台に。秀吉の「渇殺し」で悲劇の城となるも、吉川経家の義は今も語り継がれる。多様な遺構は「城郭の博物館」と称される。
新高山城にいたかやまじょう安芸の新高山城は、小早川隆景が築いた毛利両川体制の拠点。瀬戸内海を見据え、陸海統合戦略を支えた。厳島の戦いでは司令塔となり、その堅固な構造は今も残る。
新山城にいやまじょう出雲国いずものくに毛利氏が尼子方の白鹿城を攻略する付城として築いた後、山中幸盛らの尼子再興軍が奪取して反攻の最大拠点とした山城。出雲の戦略的要所である。
林野城はやしのじょう物資を集積する倉敷地の防衛・経済管理拠点として築かれた美作の山城。戦国期には宇喜多氏の支配下で瓦葺きの建物を備えた行政拠点となった。
比熊山城ひぐまやまじょう比熊山城は三吉氏が築いた先進的山城。経済掌握を目指すも、関ヶ原の戦いで毛利氏が移封され、わずか9年で廃城。未完成の遺構は地方領主の苦境を語る。
日野山城ひのやまじょう安芸の要害、日野山城は毛利両川の雄、吉川元春が本拠とした巨大山城。堀切を持たぬ特異な構造は吉川氏の攻撃的戦闘思想を体現し、毛利氏の山陰制覇を支えた。秀吉の天下統一で廃城となる。
備中松山城びっちゅうまつやまじょう備中松山城は日本唯一の現存天守を持つ山城。三村元親が一大要塞に改修するも毛利氏に落とされ、毛利氏の東方最前線となる。江戸時代に大修築され、廃城の危機を乗り越え現代に蘇った天空の要塞。
益田城ますだじょう石見益田城は、戦国の世を生き抜いた益田氏の拠点。平時の館と戦時の城が一体となり、交易と文化を礎に栄えた。忠義を貫いた元祥の決断により、その歴史に幕を閉じた。
右田岳城みぎたがたけじょう周防の天然要害、右田岳城は大内氏の支城として栄え、防長経略では毛利元就に開城。右田毛利家として存続し、一国一城令で廃城となるも、その峻険な山容は今も歴史を語る。
三石城みついしじょう備前三石城は、備前と播磨の国境の要衝。南北朝期に築かれ、守護代浦上氏の拠点となる。浦上村宗が主家赤松氏を撃退し、下克上を体現。浦上氏の拠点移動により廃城となるも、遺構は残る。
三刀屋城みとやじょう出雲の要衝、三刀屋城は三刀屋氏の拠点。尼子・毛利の狭間で揺れ動き、毛利元就の出雲侵攻を兵站面で支えた。近世城郭への改修計画もあったが、松江城築城で廃城となった。
三原城みはらじょう瀬戸内海に浮かぶ三原城は、智将・小早川隆景が築いた毛利水軍の拠点。軍港と一体化した「浮城」として栄え、豊臣政権下でも重要視された。近代化で破壊されるも、その壮大な石垣は今も歴史を語る。
宮尾城みやおじょう宮尾城は厳島合戦で毛利元就が陶晴賢を誘い込むため築いた海城。「おとり城」として機能し、奇襲を成功させた。戦後は役割を終え、今は要害山として歴史を今に。
八橋城やばせじょう伯耆国の要衝、八橋城は行松氏が築き、尼子・毛利氏の支配下で戦略拠点となった。杉原盛重が城主を務め、対南条氏の最前線基地として激戦。近世城郭へ改修されるも廃城となり、後に陣屋として再生した。
山口城やまぐちじょう周防国すおうのくに山口城は、戦国期大内氏の拠点「大内氏館」と詰城「高嶺城」を指し、幕末には長州藩の西洋式要塞として再建。二つの時代で異なる役割を担い、日本の歴史の転換点を見つめた重層的な城郭である。
山吹城やまぶきじょう石見銀山を巡る攻防の要、山吹城は灰吹法導入で価値増大。大内・尼子・毛利の三大勢力が争奪し、本城常光と毛利元就の死闘の舞台となる。世界遺産にも登録された。
吉田郡山城よしだこおりやまじょう毛利元就が築き、中国地方の覇者へと導いた吉田郡山城。郡山合戦で尼子軍を退け、百万一心で結束を固めた。広島城への移転で廃城となるも、その壮大な遺構は今も毛利氏の栄光を語る。
蓮華山城れんげやまじょう周防の蓮華山城は、大内氏の黄昏と毛利氏の黎明を見つめた戦略的要衝。城主・椙杜隆康は毛利元就に迅速に帰順し、鞍掛合戦で功を立てる。その後、毛利氏の領国再編で廃城となる。
若桜鬼ケ城わかさおにがじょう因幡の要衝、若桜鬼ケ城は、矢部氏の興亡から尼子・毛利・織田の争奪戦の舞台に。石垣で強化され、一国一城令で破却されるも、その痕跡は戦国の終焉を今に伝える。