砧青磁筒形花入「大内筒」に関する総合的調査報告
1. 緒言
本報告は、根津美術館所蔵の重要文化財「砧青磁筒形花入 銘 大内筒」(以下、「大内筒」と称す)について、その形態的特徴、製作背景、伝来、美術史的評価、そして文化的意義を多角的に調査し、詳述することを目的とする。
「大内筒」は、南宋時代(13世紀)の中国龍泉窯で製作されたと推定される砧青磁の傑出した作例であり、日本の戦国時代に周防国(現在の山口県)を拠点とした大内氏に伝来したとされることからその名が付けられている。日本の美術史上、特に茶の湯の文化が隆盛する中で、数々の名高い武将や茶人たちの手を経て珍重されてきたこの花入は、日中文化交流史においても重要な位置を占めている。
本調査では、関連する古文献、学術論文、美術館発行の資料、文化財データベース等の情報を網羅的に収集し、客観的な事実に基づいて記述を進める。特に、器の形態、釉薬の色調や状態、貫入の有無とその特徴、銘の由来、そして複雑な伝来の経緯について、詳細な検討を加えるものである。
2. 「大内筒」の概要と形態的特徴
「大内筒」は、その典雅な姿と優れた品質により、古来より砧青磁の名品として高く評価されてきた。
-
基本情報
「大内筒」の正式な文化財としての名称は「青磁筒花生〈銘大内筒〉(せいじつつはないけ めい おおうちづつ)」である 1。器種は筒形の花入で 2、材質は磁器、特に砧青磁と呼ばれる種類に分類される 4。寸法については、根津美術館の公式情報によれば、高さ18.3 cm、口径8.0 cm、底径6.6 cmと記録されている 5。ただし、資料によっては高さ18.1 cm、口径7.5 cmとするものもあり 6、計測方法や時期による若干の差異が存在する可能性が示唆される。現在は、東京都港区南青山に所在する公益財団法人根津美術館に所蔵されており 3、1954年(昭和29年)3月20日には国の重要文化財(工芸品)に指定されている 3。
-
形態詳細
全体の姿は、均整の取れた端正な筒形をなしている。口縁部は僅かに外側へ反り、胴裾にかけてやや窄まる優美な曲線を描く 2。素地は灰白色の緻密な土が用いられ 3、器壁は薄く、緊張感のある成形が施されている 2。底部は、内側に深く削り込まれた、いわゆる上げ底の形状を呈している 3。特筆すべきは、この上げ底の内側にまで青磁釉が丁寧に施されている点で、これは南宋官窯の作に見られる特徴の一つとして、鶴田純久氏によって指摘されており 6、本品の格の高さを物語る要素と言えよう。
-
釉薬と貫入
器表全面には、半透明で美しい粉青色(ふんせいしょく)の青磁釉が厚く、かつたっぷりと掛けられている 2。この釉薬は、器の裾に向かって薄く流れ、釉溜まりの濃淡が微妙な景色を生み出している 2。
貫入(かんにゅう)については、複数の資料で「あらい貫入が入る」と記述されている 3。美術史家・末吉朋子氏の研究論文によれば、釉薬の表面には斜めに大きな貫入が走り、胴裾の部分にはこれよりも細かな貫入が横方向に巡っているとされる 8。一般的に、砧青磁はその特徴として貫入が少ない、あるいはほとんど見られないとされることが多い 10。この一般的な砧青磁の特性と、「大内筒」に明確に見られる「あらい貫入」の存在は、一見すると矛盾するように感じられるかもしれない。しかしながら、最高級の青磁においては、このような貫入が器面の景色として積極的に評価され、かえって作品の風格や趣を深める要素となる場合がある。末吉氏も、貫入の存在に言及しつつ、「歪みがなく均整のとれた器形、釉調の見事さから、古来より砧青磁の名品とされてきた」と述べており 8、貫入が欠点としてではなく、この個体の個性として認識されてきたことを示唆している。日本の茶の湯の美意識においては、製作過程で偶発的に生じた窯変や貫入を「景色」として愛で、その不完全さの中に美を見出す価値観が存在する。例えば、破損した青磁の茶碗を鎹(かすがい)で留め、その修理の跡さえも見どころとするような精神である 11。したがって、「大内筒」に見られる貫入は、典型的な砧青磁の特徴とは異なるかもしれないが、この花入が持つ歴史性と唯一無二の個性を際立たせる要素として、歴代の所有者たちに受け入れられ、賞賛されてきたと考えられる。
-
掛花生としての仕様
「大内筒」の裏側、口縁のすぐ下には、小さな孔が一つ穿たれている 2。この孔は、日本に将来された後、掛花生(かけはないけ)として使用するために開けられたものと考察されている 3。この孔に鐶(かん)と呼ばれる金具を取り付けることで、壁や柱に掛けて花を活けることが可能となる 2。
元来、中国大陸において筆筒や置物としての花瓶など、別の用途で製作された可能性のある器が、日本に渡来してから掛花生として使えるように孔を開けられたという事実は、日本の茶の湯文化における「見立て」の精神を象徴的に示している。茶の湯の世界では、本来の用途とは異なる器物を茶道具として取り上げ、そこに新たな美的価値を見出す「見立て」という行為が盛んに行われた。例えば、ある砧青磁の鉢は、元々は茶道具ではなく、懐石の道具として見立てられたという記録がある 4。「大内筒」を掛花生として用いることは、茶室の床の間という特殊な空間において、掛け軸との調和や空間全体の演出上、重要な役割を担ったと考えられる 12。この小孔の存在は、単に機能的な加工というだけでなく、遠く中国から渡ってきた美術品が、日本の独自の美意識の中で再解釈され、新たな生命を吹き込まれた証左と言えるであろう。
以下に、「大内筒」の基本的な情報をまとめた表を示す。
表1:「大内筒」基本情報一覧
項目
|
内容
|
主な典拠
|
正式名称
|
青磁筒花生〈銘大内筒〉
|
1
|
器種
|
筒形花入
|
2
|
時代
|
中国・南宋時代(13世紀)
|
3
|
製作地(推定)
|
中国・龍泉窯
|
8
|
材質
|
磁器(砧青磁)
|
4
|
寸法
|
高18.3 cm、口径8.0 cm、底径6.6 cm
|
5
|
銘
|
大内筒
|
2
|
現所蔵
|
公益財団法人根津美術館
|
3
|
文化財指定
|
重要文化財(工芸品)
|
3
|
指定年月日
|
1954年(昭和29年)3月20日
|
3
|
付属品
|
袋(薄茶地桐唐草文金襴、「大内桐金襴」または「大内裂」と呼ばれる)
2
|
2
|
3. 製作の背景:南宋時代龍泉窯における砧青磁
「大内筒」が製作された背景には、南宋時代の中国における青磁生産の隆盛、特に龍泉窯の活動が深く関わっている。
-
龍泉窯の歴史と砧青磁
龍泉窯は、中国浙江省龍泉県に位置し、南宋時代を代表する青磁窯としてその名を馳せた 10。その活動は南宋時代に頂点を迎えたが、元代、明代に至るまで長期間にわたり、時代の変遷と共に多様な作風の青磁を生み出した 10。
砧青磁(きぬたせいじ)は、この龍泉窯において南宋時代から元代初頭にかけて焼成された青磁の一群を指す日本での呼称である 4。特に日本では、その清澄な美しさから極めて高く評価され、珍重されてきた。砧青磁は「粉青色釉青磁」とも称され、その名の通り、澄み切った淡い水色、すなわち粉青色の釉調を最大の特徴とする 4。一般的な砧青磁は、釉薬のガラス質が少なく、貫入もほとんど見られないとされている 10。
-
「大内筒」の製作年代と窯の同定
「大内筒」の製作年代は、南宋時代、具体的には13世紀と鑑定されている 3。製作窯については、中国の龍泉窯(りゅうせんよう)で作られたとする説が現在では最も有力視されている 8。
末吉朋子氏の論文では、「以前は南宋修内司官窯の作とする説もあったが、龍泉窯址で同類の磁片が採集されたことから、現在では南宋官窯を写して龍泉窯が始めたのが砧青磁で、これはその代表的作品であると考えられている」と述べられており 8、龍泉窯が官窯の様式を意識して製作した可能性が示唆される。一方で、鶴田純久氏は、「大内筒」の上げ底の内側にまで釉薬が施されている点を捉え、「南宋官窯とみてよいのではないか」という見解を示しており 6、官窯製作の可能性も依然として一部で議論されている。
南宋官窯は皇帝直属の窯であり、その製品は当代最高の品質と格調を誇った。龍泉窯が、市場での高い評価と需要に応えるため、この官窯の様式を模倣して高級品を製作したとすれば、「大内筒」のような作品が生まれる背景も理解できる。実際に、「大内筒」が示す類稀な品質、端正極まる造形、そして吸い込まれるような美しい釉調は、単なる民窯の製品とは一線を画す風格を備えている。このことは、龍泉窯が官窯の威光と技術を背景に製作した最高級品の一つであり、後に日本において「東山御物」として語られるほどの価値を持つに至ったこととも符合する。
-
砧青磁と他の龍泉窯青磁(天龍寺青磁・七官青磁)
龍泉窯では、砧青磁以降も時代の要請に応じて様々な様式の青磁が生産された。
天龍寺青磁は、元代から明代初期にかけて焼かれたもので、砧青磁に近い色合いを保ちつつも、やや黄色味を帯び、釉薬にはガラス質と光沢が増す傾向が見られる。貫入は比較的少ない。この変化の背景には、海外からの大量注文に応えるため、良質な原料が不足した影響があったと言われている 10。
七官青磁は、明代から清代初期にかけての製品で、釉調はそれ以前の時代から大きく変化し、灰色がかった濃い青緑色を呈する。釉薬のガラス質は一層厚くなり、器面全体に顕著な貫入が入るようになるのが特徴である 10。
これらの青磁との比較を通じて、砧青磁が持つ独特の澄み切った粉青色の美しさ、そして時代の流れと共に変化していった龍泉窯青磁の釉調の変遷がより明確に理解される。
以下に、砧青磁、天龍寺青磁、七官青磁の主な特徴を比較した表を示す。
表2:主要な青磁(砧青磁、天龍寺青磁、七官青磁)の比較
特徴
|
砧青磁 (Kinuta Seiji)
|
天龍寺青磁 (Tenryuji Seiji)
|
七官青磁 (Shichikan Seiji)
|
主な製作年代
|
南宋~元代初
|
元代~明代初期
|
明~清代初期
|
釉薬の色調
|
粉青色(澄んだ淡い水色)
|
砧青磁に近いがやや黄色味を帯びる
|
灰色がかった濃い青緑色
|
釉薬の特徴
|
ガラス質少なく、しっとりとした質感、拡大すると粒状感がある
10
|
ガラス質と光沢あり
|
ガラス質厚く、光沢強い
|
貫入
|
ほとんど見られない(「大内筒」は例外的に「あらい貫入」あり)
|
少なめ
|
全体に入る
|
生産窯
|
中国・龍泉窯
|
中国・龍泉窯
|
中国・龍泉窯
|
日本での呼称
|
砧青磁
|
天龍寺青磁(鉄斑を散らした飛青磁もこの頃)
|
七官青磁
|
主な典拠
|
10
|
10
|
10
|
4. 銘の由来と大内氏:戦国武将と名物
「大内筒」という銘は、この花入の来歴と深く関わっており、戦国時代の有力大名であった大内氏の存在を抜きにしては語れない。
-
「大内筒」の銘の由来
この花入に「大内筒」という銘が付されたのは、周防国(現在の山口県西部)を本拠地とし、室町時代から戦国時代にかけて西国に強大な勢力を誇った大内氏に伝来したことに由来すると広く認識されている 2。この銘は、単に所有者を示したという以上に、大内氏の権勢と文化的洗練を象徴する意味合いを帯びていたと考えられる。
-
大内氏の歴史と文化的背景
大内氏は、その起源を平安時代にまで遡ることができる旧家であり 16、室町時代には周防、長門、豊前、筑前など広大な領国を支配する守護大名として、西国一の勢力を有するに至った 18。特に、大陸(明や朝鮮)との勘合貿易を掌握し、莫大な富を築いたことは、大内氏の経済的・政治的基盤を強固なものとした 3。この貿易を通じて、多くの大陸の文物や文化が山口にもたらされ、大内氏の本拠地であった山口は「西の京」と称されるほどの文化都市として繁栄した。大内氏は京都から多くの文化人を招聘し、独自の「大内文化」を開花させたのである 20。
-
大内義隆と茶の湯
大内氏の最盛期を築いた第16代当主・大内義隆(1507-1551)は、武勇に優れていただけでなく、文芸を深く愛好し、特に茶の湯に傾倒した文化人としてもその名を知られている 18。義隆は、「大内筒」の他にも、「上杉瓢箪」(一名「大内瓢箪」)と称される天下の名物茶入など、数多くの貴重な茶道具を所持していたと伝えられている 21。『山上宗二記』の解説によれば、義隆の重臣であった相良武任が、主君のために京都や堺に赴き、天下に隠れなき名物の茶碗や茶壺、天目などを蒐集したと記されており、その中には「松本茶碗」の名も見られる 21。また、別の資料では、大内義隆の滅亡後に大内氏を継いだ大内義長が「一等級茶器『大内筒』を所持」していたとの記述もあり 23、義隆が蒐集した名物が義長に引き継がれた可能性を示唆している。
これらの事実は、大内氏、特に義隆にとって、「大内筒」のような舶来の高級美術品(唐物)の蒐集が、単なる個人的な趣味を超えた重要な意味を持っていたことを物語っている。戦国時代において、名物の茶道具は領地や金銀に代わる恩賞として用いられるなど、武将たちの間でのステータスシンボルであり、時には政治的な駆け引きの道具ともなった 24。義隆が「大内筒」や「上杉瓢箪」といった天下に名高い名物を所有していたことは、彼の文化的な洗練度と経済力を内外に示すものであり、他の大名や中央の権力者(室町幕府や朝廷)に対する影響力を高める効果があったと考えられる。「大内筒」という銘自体が、大内氏の威光を後世に伝える役割を果たしており、その名は単に過去の所蔵者を示すだけでなく、大内氏が築き上げた華やかな文化遺産の象徴として、今日まで語り継がれているのである。
-
付属する袋「大内桐金襴」
「大内筒」には、薄茶地に桐と唐草の文様を金糸で織り出した美しい金襴の袋が添えられている。この裂地は「大内桐金襴(おおうちぎりきんらん)」あるいは「大内裂(おおうちぎれ)」として知られ、名物裂の一つに数えられている 2。この金襴もまた、大内氏が明との貿易を通じて入手した高級織物であったと考えられ、花入本体と共に、大内氏の豊かな財力と高度な文化的趣味を今に伝えている。
茶道具の世界においては、器物本体だけでなく、それに付属する箱書や仕覆(しふく、袋のこと)もまた鑑賞の対象となり、その道具の来歴や由緒を物語る重要な要素として扱われる。「大内桐金襴」という特定の名称で呼ばれる裂地が「大内筒」の袋として用いられていることは、この裂地自体が希少で美術的価値の高いものであることを示している。「名物裂」とは、歴史的に著名な茶人や大名が所持した茶道具の仕覆などに用いられた特定の染織品を指し、茶の湯の世界で極めて高く評価されるものである。「大内桐金襴」が「大内筒」という名高い花入の袋として現存することは、器物本体と付属品とが一体となって歴史的な物語を形成し、その価値を相互に高め合っている好例と言えるだろう。この美しい金襴もまた、大内氏による活発な中国貿易の成果の一つとして捉えることができる。
5. 伝来の軌跡:東山御物から根津コレクションへ
「大内筒」は、その製作から数世紀にわたり、日本の歴史における重要な人物やコレクターの手を経て、今日に伝えられてきた。
-
足利義政(東山御物)所持の伝承
「大内筒」の箱書には、「東山殿(ひがしやまどの)御所持」と記されているという伝承が存在する 6。東山殿とは、室町幕府の第8代将軍であり、東山文化のパトロンとして知られる足利義政を指す。彼が蒐集した中国伝来の絵画や工芸品などの美術品コレクションは「東山御物(ひがしやまごもつ)」と総称され、当時の日本における最高峰の美術品群として極めて高い評価を受けていた。
この「東山殿御所持」という箱書の記述が事実であれば、「大内筒」の価値と権威を飛躍的に高めるものとなる。ただし、その真偽については慎重な検討が必要とされる。歴史的な名品においては、後世の所有者がその品格を高めるために、著名な旧蔵者の名を箱書に追記することもあったからである。しかしながら、たとえこの箱書が後世のものであったとしても、「大内筒」が東山御物に匹敵するほどの優れた名品として、当時の人々に認識されていたことを示す有力な証左と言えるだろう。東山御物は、日本の美術品評価の歴史において一つの原点とも言える重要なコレクションであり 25、それに連なるということは最高の栄誉であった。「大内筒」が持つ気品と風格は、東山御物として語られるに足るものであったことは疑いなく、この箱書はその普遍的な評価を裏付けるものと考えられる。実際に義政が所持したかどうかの確証を得ることは困難であるが、そのような伝承が生まれるだけの格を備えていたことは確かである。
-
『山上宗二記』における記述
安土桃山時代の茶人であり、千利休の高弟であった山上宗二が著した茶の湯の伝書『山上宗二記』(天正17年・1589年頃成立)の中には、「花入の分」として、当時名物とされた花入に関する記述が見られる。その中で、大内氏が名物の花入を所持していたことが記されている 21。いくつかの資料では、現在根津美術館に所蔵される「大内筒」こそが、この『山上宗二記』に記された大内氏旧蔵の花入そのものではないか、と推測されている 21。
『山上宗二記』は、安土桃山時代の茶の湯の実態を知る上で極めて重要な一級史料であり、そこに記載される「名物」は、当代随一の評価を得ていた茶道具であったと考えられる 21。同書において大内氏の名が花入の所有者として二度にわたり登場し、優れた花入を所持していたことが示されている点は注目に値する 21。現存する「大内筒」という銘がまさに大内氏伝来の事実を示しており、その品質もまた「名物」と呼ばれるにふさわしいものである。これらの点から総合的に判断すると、『山上宗二記』に記された大内氏所蔵の花入の一つが、この「大内筒」である、あるいは少なくとも同等の格を持つものであったと考えることは、極めて自然な推論と言えるだろう。確証はないものの、この関連性は「大内筒」の歴史的評価を考察する上で無視できない重要な手がかりである。
-
大内氏滅亡後の「大内筒」
大内義隆は天文20年(1551年)、家臣であった陶晴賢(陶隆房)の謀反により自害に追い込まれ、これにより西国に覇を唱えた大内氏は事実上滅亡する 18。義隆が蒐集した数々の名物も、この動乱の中で散逸したと考えられる。
大内氏滅亡後の「大内筒」の具体的な伝来経路については、江戸時代を通じての詳細は不明な点が多い。おそらくは「大名物」として、数寄者として知られる大名や豪商たちの間を転々としたものと推測される。一部資料には「伝来:足利幕府」とのみ記されているものがあるが 6、これは前述の東山御物の伝承を指すものか、あるいはその後の具体的な所有者を示すものではない。なお、別の資料で「伝来:豊臣秀吉 本願寺 室町三井家」とあるのは 28、「大内筒」とは異なる本願寺伝来の別の筒花入(高さ13.0cm)に関する記述であり、混同しないよう注意を要する。
-
近代における再評価と根津嘉一郎による蒐集
明治維新以降、旧大名家などが秘蔵していた多くの美術品が市場に流出し、海外へ流出するケースも少なくなかった時代に、「大内筒」は近代日本を代表する実業家であり、屈指の古美術コレクターであった初代根津嘉一郎(ねづ かいちろう、1860-1940)によって蒐集された 7。
根津嘉一郎は、鉄道事業などで財を成す一方、茶の湯にも深い造詣を持ち、国宝・重要文化財を含む数多くの茶道具の名品を情熱的に蒐集したことで知られる 29。「大内筒」もまた、彼の卓越した審美眼によって選び抜かれたコレクションの重要な一点となった。
根津嘉一郎の蒐集品は、彼の逝去後、その遺志を継いだ二代目嘉一郎によって設立された財団法人根津美術館(1941年開館)の礎となった 7。根津嘉一郎のような近代の大コレクターの存在は、「大内筒」を含む多くの歴史的文物が散逸したり、海外へ流出したりするのを防ぎ、後世へと確実に伝えられる上で、極めて重要な役割を果たしたと言える。彼らの蒐集活動は、単なる個人の趣味の域を超え、日本の文化財を保護し、国民全体の文化的財産として保存・活用する道を開いたのである。「大内筒」が、現在、根津美術館という優れた環境で大切に保管され、広く研究・公開されていることは、文化財保護の観点からも大きな意義を持つ。
6. 美術史的評価と文化的意義
「大内筒」は、その美術的価値の高さと、日本の文化史の中で果たしてきた役割において、特筆すべき存在である。
-
砧青磁の名品としての評価
「大内筒」は、薄く端正に成形された器形、むらなく厚く施された美しい粉青色の釉調、そして全体から醸し出される凛とした気品など、あらゆる点において砧青磁の中でも特に優れた作例として、古来より高く評価されてきた 2。末吉朋子氏は、その研究論文の中で「その堂々して凛とした気品ある姿に背筋がのびる思いである」と、この花入が持つオーラを的確に表現している 8。このような評価は、単に外見の美しさだけでなく、南宋時代の陶工が到達した高度な技術と美的感覚の結晶であることを示している。
-
類品の少なさと独自性
文化庁のデータベース解説文などでは、「他に類例をほとんど見ない」とされており 3、その希少性もまた「大内筒」の価値を高める一因となっている。ただし、鶴田純久氏の指摘によれば、本願寺に伝来した同形の筒花入が存在し、「大内筒」の方がやや大きいとされている 6。この比較対象となる作例の存在は、「大内筒」の様式や製作背景を考察する上で重要な手がかりとなる。完全な同型品が少ないということは、一つ一つの作品が特別な注文に応じて、あるいは特に優れた技術を持つ工人の手によって製作された可能性を示唆している。
-
茶の湯における役割と影響
室町時代以降、日本に舶載された中国の美術工芸品、いわゆる「唐物」は、茶の湯の道具として珍重された。「大内筒」もまた、その例外ではなく、特に掛花生として茶室の床の間を飾り、茶会の精神性を高める上で重要な役割を担ったと考えられる 31。戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉といった天下人が茶の湯を政治的に利用し、名物の茶道具は武将たちの間で社会的地位や権威を示すステータスシンボルとなると同時に、高度な美的価値観を共有するための媒体としても機能した 24。
「大内筒」のような端正で格調高い砧青磁は、足利義政の時代に確立された書院における厳格な飾り(書院飾り)の美意識から、千利休が大成した「わび茶」の精神に至るまでの、日本の美意識の変遷の中で、多様な価値観を受容してきた日本の茶の湯文化の奥深さを反映している。元来、書院の床の間を飾るにふさわしい格調高い美を備えていた「大内筒」は 6、その後、茶の湯の道具として取り入れられ、特に掛花生として用いられるようになった 3。戦国時代においても、唐物の名物は依然として高い価値を保持していた。千利休は「わび」の精神を追求したが、それは必ずしも唐物名物を完全に否定するものではなく、むしろそれらを厳しく選び抜き、自身の「わび茶」の道具組の中に効果的に取り入れることもあった。「大内筒」の簡素でありながら気品に満ちた姿は、華美を排しつつも格調を重んじるという、わび茶の精神性とも通底する部分があり、利休以降の茶人たちにも永く愛好された可能性が高い。その存在は、唐物崇拝から和物重視、そして「わび」の美意識へと向かう、複雑で重層的な日本の美意識のグラデーションの中で、時代を超えて揺るぎない価値を保ち続けたことを示している。
-
文化交流の象徴として
「大内筒」は、南宋時代の中国における高度な陶磁製作技術の粋を示す作例であると同時に、それを的確に評価し、自国の文化の中に取り込んで新たな価値を与えた日本の文化の受容力を物語る、貴重な文化交流の象徴と言える。特に、周防の大内氏が積極的に推進した大陸貿易の成果の一つとして日本にもたらされたこの花入は、当時の日本の支配者層が中国文化に対していかに強い憧憬の念を抱き、それを自らの権威と文化の涵養に結びつけようとしていたかを具体的に示す物証でもある。
7. 結論
砧青磁筒形花入「大内筒」は、その美的価値、歴史的背景、そして文化史的意義において、日本の美術工芸品の中でも特筆すべき名品の一つである。南宋時代の中国陶磁が到達した技術的・芸術的な頂点を示す作例であると同時に、足利将軍家や周防大内氏といった日本の歴史における重要な人物たちに愛蔵され、茶の湯という日本独自の文化の中で育まれ、新たな価値を付与されてきた文化的遺産であると言える。その端正にして気品に満ちた造形、吸い込まれるように美しい粉青色の釉調、そして数奇にして華麗な伝来の物語は、後世の我々に対して、美術品が持つ多層的な価値と、時代を超えて人々を魅了し続ける力について、多くの示唆を与えてくれる。
今後の研究においては、大内氏滅亡後から近代に至るまでの、特に江戸時代における「大内筒」の具体的な伝来経路のさらなる詳細な解明が望まれる。また、同時代に製作された他の砧青磁花入、特に本願寺伝来とされる類品との詳細な比較研究や、当時の茶会記における「大内筒」あるいはそれに類する花入の具体的な使用例の探索なども、本品の歴史的・文化的意義をより深く明らかにする上で重要な課題となるであろう。これらの研究が進むことにより、「大内筒」が日本の美術史、茶道史、そして文化交流史の中で果たしてきた役割が一層明確になることが期待される。
引用文献
-
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/5615
-
青磁筒花生 銘 大内筒 - 根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/sp/collection/detail.php?id=40347
-
青磁筒花生〈銘大内筒/〉 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183212
-
砧青磁鉢/青磁平鉢(砧青磁) 龍泉窯 | 公益財団法人 五島美術館
https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/17/03-006/
-
青磁筒花瓶 銘大内筒 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/224669
-
大内筒 おおうちづつ - 鶴田 純久の章
https://turuta.jp/story/archives/59975
-
根津美術館 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8
-
kansai-u.repo.nii.ac.jp
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/12611/files/KU-1100-20190331-11.pdf
-
南宋の青磁 @根津美術館 - Art & Bell by Tora
https://cardiac.exblog.jp/14188771/
-
青磁の歴史と名窯|窯別に釉薬の違いを写真で解説
https://touji-gvm.com/celadon-glaze/
-
Art & Bell by Tora
https://cardiac.exblog.jp/page/188/
-
茶庭と蹲踞:日本庭園の美しい要素とその歴史 | Column | 京都市中京区の造園ならgardener
https://gardener-en.com/column/20230702070746-6454f684-160f-44d3-a393-f62e77fdd164
-
豆知識|老舗和菓子冨久ろ屋(四国高松)
http://www.hukuroya.co.jp/mametisiki.html
-
www.nezu-muse.or.jp
https://www.nezu-muse.or.jp/sp/collection/detail.php?id=40347#:~:text=%E7%A0%A7(%E3%81%8D%E3%81%AC%E3%81%9F)%E9%9D%92%E7%A3%81%E3%81%AE,%E3%81%A8%E3%82%82%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
-
― 中国・明清工芸の精華 ― - 根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/press/pdf/press_colorful_1.pdf
-
山口市観光情報サイト 「西の京 やまぐち」 山口の基礎を築いた大内氏
https://yamaguchi-city.jp/history/ouchi.html
-
はじめての大内文化
https://ouchi-culture.com/beginner/
-
大内義隆 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E7%BE%A9%E9%9A%86
-
大内氏 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E6%B0%8F
-
山口歴史探訪 西国一の大名大内氏の足跡を訪ねて 17 大内義興4 大内氏の勘合貿易
https://4travel.jp/travelogue/11878596
-
室町時代の書を読む(6)山上宗二記~大内氏所蔵のお宝
https://ouchi-culture.com/discover/discover-273/
-
l柄 ︑皿 織一 樫K 型仔 - 大分市
https://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/documents/ootomofouram2.pdf
-
大内家 - 信長の野望DS 2 Wiki - atwiki(アットウィキ)
https://w.atwiki.jp/nobuyabods2/pages/90.html
-
その価値、一国相当なり!戦国時代の器がハンパない件。 | 大人も子供も楽しめるイベント
https://tyanbara.org/sengoku-history/2018010125032/
-
油滴天目 - 東京国立博物館
https://www.tnm.jp/uploads/r_press/169.pdf
-
Title 「麁相の美」をめぐって
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00130001-0089.pdf?file_id=73500
-
大内氏の滅亡後
https://ouchi-culture.com/discover/discover-245/
-
砧青磁筒花入 きぬたせいじつつはないれ - 鶴田 純久の章
https://turuta.jp/story/archives/60028
-
「根津嘉一郎」鉄道王国を築き上げた甲州の荒くれ(第4回) - J-Net21
https://j-net21.smrj.go.jp/special/venture/20050204-1.html
-
回 東博と仏教寺院関係の特別展
https://www.npo-idn.com/rennsai-ide2.html
-
終了 茶の湯 禅と数寄 | 京都新聞アート&イベント情報サイト[ことしるべ]
http://event.kyoto-np.co.jp/event/jotenkaku2019.html
-
青磁の花入 | 茶の湯こぼれ噺
https://ameblo.jp/hyoutei-e/entry-12800722543.html