最終更新日 2025-05-31

布袋図

布袋図

戦国時代の墨絵「布袋図」に関する詳細研究

序章:戦国時代の布袋図研究の意義と本報告の構成

  • 戦国時代における布袋図の位置づけと研究の現状概観

戦国時代(15世紀後半~16世紀末)は、日本社会が大きな変革を遂げた動乱の時代であると同時に、文化史においても特筆すべき展開を見せた時期であった。この時代、禅宗のさらなる浸透や武士階級の文化的成熟を背景に、水墨画は新たな局面を迎えた。中でも「布袋図」は、その特異な図像と多様な寓意性によって、当時の人々に広く受容され、数多くの作例が残されている。布袋図は、単に禅的な教訓を伝える禅画としてのみならず、福徳をもたらす吉祥図としても、また茶の湯の席を飾る掛物としても重要な役割を担った。戦国という時代精神が、この飄逸にして謎めいた存在である布袋の図像にいかなる意味を見出し、どのように表現し、享受したのかを明らかにすることは、この時代の美術と文化、さらには人々の精神性を理解する上で極めて重要である。

従来の研究においては、布袋図は主に禅画の一環として、あるいは七福神信仰の文脈で語られることが多かった。個々の作品の様式分析や作者研究は進められてきたものの、戦国時代という特定の時代区分に焦点を当て、その多岐にわたる受容の様相や、武士階級との関わり、さらには中国絵画からの影響と日本独自の変容の過程を総合的に論じた研究は、必ずしも十分とは言えない。

  • 本報告の目的、範囲、および構成

本報告は、戦国時代に制作された墨画の「布袋図」を主題とし、その図像学的特徴、主題解釈、様式的展開、そして武士階級を中心とした受容の様相を、関連資料の精査を通じて多角的に明らかにすることを目的とする。対象とする範囲は、主として15世紀後半から16世紀末までの日本で制作された布袋図の墨画作例とするが、その淵源となる中国絵画や、影響関係にある前後の時代の作品についても比較参照する。

本報告の構成は以下の通りである。第一部では、布袋図を理解するための基礎知識として、布袋尊の起源と伝説、図像的特徴、そして水墨画の伝統と技法について概説する。第二部では、本論として戦国時代における布袋図の諸相を、文化的背景、主題と解釈、主要作例と絵師、そして戦国武将との関わりという四つの章に分けて詳述する。特に第三章では、現存する主要な作例を挙げ、その様式的特徴を分析するとともに、可能な範囲で絵師や流派による傾向を整理する。結論では、戦国時代における布袋図の美術史的意義を総括し、後世への影響について展望する。


第一部:布袋図の基礎的理解

  • 第一章:布袋尊とは何か
  • 布袋尊の起源と伝説:中国後梁の禅僧・契此を中心に
    布袋尊の起源は、中国・五代後梁期(907年~923年)に実在したとされる禅僧、契此(かいし、生年不詳~916年または917年寂)に遡る 1 。契此は明州奉化県(現在の中国浙江省寧波市奉化区)の人で、長汀子と号したと伝えられる 1 。その風貌は、背が低く肥満体で、常に大きな布の袋(頭陀袋)を肩にかけ、半裸で腹を露わにし、市中を悠々と闊歩したという 1 。この袋には、人々から喜捨された食物や日用品の一切が入っており、時には戒律で禁じられた魚や肉も食し、残りは袋に入れて持ち歩いたとされる 1 。定まった住処を持たず諸国を放浪し、その行動は時に奇異に見えたが、天候を予知したり、人の吉凶を占ったりする能力に長けていたと伝えられる 1
    契此が没する際、「弥勒真弥勒 分身千百億 時時示時人 時人自不識(弥勒は真の弥勒にして、分身千百億なり。時時に時人に示すも、時人自ら識らず)」という偈を残したことから、人々は彼を弥勒菩薩の化身と見なすようになった 1 。この伝説により、契此の姿は弥勒菩薩のイメージと重ね合わされ、後世、布袋和尚として尊崇され、絵画や彫刻の主題として盛んに取り上げられるようになった 1 。契此という実在の禅僧が示した禅的な自由闊達な生き様と、死後に付与された弥勒菩薩の化身という宗教的権威性は、布袋図が単なる禅僧の肖像を超え、多様な解釈と信仰の対象となる素地を形成した。この二面性は、特に価値観が流動的であった戦国時代において、布袋図が多層的な意味を担い、様々な階層の人々に受け入れられる要因の一つとなったと考えられる。
  • 七福神の一員としての布袋尊とその信仰
    日本においては、布袋尊は室町時代中期以降、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人と共に「七福神」の一柱として数えられるようになった 4 。七福神信仰の起源は必ずしも明確ではないが、室町時代に京都の町衆文化の中で、「七難即滅・七福即生」(『仁王般若波羅蜜経』)の思想と結びついて成立したとされる 4 。この信仰は、現世利益を願う民衆の間に急速に広まり、各々の神格が特定の福徳と結びつけられた。
    布袋尊は、その満面の笑みと大きな袋から、特に「清廉」「大量(度量の広さ)」 4 、さらには「開運」「財運」「商売繁盛」「夫婦円満」「子宝」「無病息災」「良縁」といった多岐にわたるご利益をもたらす福の神として信仰された 6 。禅宗における深遠な精神性とは別に、このような具体的な現世利益と結びついたことで、布袋尊は専門的な知識を持たない一般民衆にとっても親しみやすい存在となった。この七福神信仰の浸透は、布袋図が禅画としての性格を保持しつつも、より広範な層に向けて、福を招く縁起の良い吉祥図として制作され、享受される大きな基盤となった。戦国時代の武将たちもまた、絶え間ない戦乱の中で現世における安寧や繁栄を切実に求めており、吉祥的な意味合いを持つ布袋図を積極的に受容したことは想像に難くない。
  • 布袋尊の図像的特徴(大きな袋、太鼓腹、笑顔等)とその象徴性
    布袋図に描かれる布袋尊の姿は、いくつかの際立った図像的特徴によって類型化される。最も象徴的なのは、その名の由来ともなった大きな布の袋(頭陀袋)である 1 。この袋の中身については諸説あり、人々から喜捨された施物一切が入っているとも 1 、あるいは人々の悩みや苦しみを吸い取るための「無尽蔵の宝物」であるとも 1 、さらには大黒天の福袋とは異なり、気の長い寛容の精神、すなわち「堪忍袋」であるとも解釈される 1
    次に特徴的なのは、大きく突き出た太鼓腹である 1 。これは布袋尊の心の広さや、あらゆるものを受け入れる包容力を象徴するとされる 1 。また、この腹を撫でると金運や子宝に恵まれるという俗信も生まれた 1 。そして、常に浮かべている満面の笑みは、楽天的な性格や人々に喜びを与えることを好む性質を表している 1 。手に団扇を持つ姿で描かれることもあり、これは人々の煩悩を払い、福を招くための道具と解釈される 1
    これらの基本的な図像的特徴は保持されつつも、布袋図における布袋の具体的な姿態や状況は極めて多様である。例えば、袋を枕に眠る「眠り布袋図」、腹をさすりながら笑う「腹さすり布袋図」、子供たちと戯れる「布袋唐子図」、あるいは蹴鞠に興じたり、大欠伸をしたりする姿など、枚挙にいとまがない 10 。このような表現の自由さと多様性は、布袋が特定の型にはまらない「遊戯三昧」の境地にある存在であり 10 、また「自由無礙な天性の禅人」 2 であったという禅的な解釈を反映している。それぞれの図像は、特定の禅的な寓意(例えば、月を指さす「指月布袋」は悟りの本質を指し示す)を担うと同時に、吉祥的な意味合い(例えば、子供と遊ぶ姿は子孫繁栄)とも結びつけられた。このように、布袋の図像的特徴の多様性は、布袋という存在が持つ多層的な意味内容の表れであり、戦国時代の絵師たちもこれを意識し、それぞれの解釈や注文主の意向に応じて、様々な布袋図を生み出したと考えられる。
  • 弥勒菩薩の化身としての解釈と信仰
    前述の通り、布袋尊は実在の禅僧・契此が弥勒菩薩の化身であったという信仰に基づいて神格化された存在である 1 。弥勒菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後にこの世に出現し、衆生を済度する未来仏として、末法思想が広まった時代には特に篤く信仰された。布袋がその弥勒の化身であるという観念は、布袋図に単なる福の神や風狂の禅僧という以上の、より深遠な宗教的意味合いを付与した。
    特に禅宗においては、布袋は未来の救世主たる弥勒の顕現として重視され、その図像は寺院などで弥勒菩薩像として祀られることもあった 2 。この信仰は、布袋図を鑑賞する際に、単に現世利益を願うだけでなく、仏教的な救済への期待や、理想的な仏国土への憧憬といった精神的な次元を加えた。戦国時代は、応仁の乱以降、社会秩序が大きく乱れ、人々が先の見えない不安の中にあった時代である。このような末法的な様相を呈した時代背景において、弥勒の化身としての布袋図は、人々に一条の光明や精神的な支えを与え、篤く信仰された可能性が高い。布袋の楽天的な笑顔や悠々とした姿は、戦乱の世の苦悩からの解放と、やがて訪れる平和な世界への希望を象徴するものとして、人々の心に響いたであろう。
  • 第二章:墨絵(水墨画)の伝統と技法
  • 日本における水墨画の受容と展開:鎌倉時代から室町時代を中心に
    水墨画は、墨の濃淡や筆致の妙によって万物を表現する東洋絵画の一形式であり、中国唐代中期に成立したとされる 12 。日本へは鎌倉時代中期(13世紀後半頃)、禅宗の伝来とほぼ時を同じくして本格的に受容された 12 。当初は、中国禅宗文化を学ぶ一環として、禅僧たちが中国・南宋の画僧である牧谿(もっけい)などの作品を手本として制作を始めた 13 。禅宗寺院では、師から弟子へ法を嗣いだ証として与えられる頂相(ちんぞう、禅僧の肖像画)や、禅の祖師たちの像を描く需要があり、これらが初期水墨画の主要な画題となった 14
    室町時代に入ると、足利将軍家の庇護のもとで五山文学を中心とする禅宗文化が隆盛し、水墨画もまた飛躍的な発展を遂げる 13 。相国寺などの有力な禅宗寺院からは、如拙(じょせつ)、周文(しゅうぶん)、そして雪舟等楊(せっしゅうとうよう)といった画僧が輩出し、中国水墨画の技法を基礎としながらも、次第に日本独自の感性や主題を取り入れた「日本的水墨画」が形成されていった 12 。特に雪舟は、応永27年(1420年)に生まれ、中国(明)への渡航を通じて本場の画法を学び、帰国後は日本の自然観や精神性を反映させた力強く構築的な画風を確立し、日本水墨画を新たな高みへと導いたと評価されている 12
  • 主要な水墨画技法(破墨、溌墨、たらし込み等)の解説
    水墨画の表現は、墨と水、そして筆と紙という限られた素材を用いながらも、その多彩な技法によって豊かな階調と質感を生み出す。主要な技法には以下のようなものがある。
    一つは「破墨(はぼく)」である。これは、先に描いた淡墨が乾かないうちに、より濃い墨を重ねて、墨の滲みや濃淡の差によって立体感や潤いを表現する技法である 12 。墨線による骨格描写を重視し、伝統的な筆法に依拠する傾向がある。
    もう一つは「溌墨(はつぼく)」または「撥墨(はつぼく)」と呼ばれる技法で、画面に墨を溌(そそ)ぐように、あるいは撥ね散らすように素早く筆を運び、墨の濃淡や滲み、飛沫といった偶然の効果を生かして対象の気勢や量感を一気呵成に描き出すものである 12 。輪郭線に捉われず、墨色のダイナミックな動きそのものが表現となる。
    その他、日本独自の発展を見せた技法として、俵屋宗達が創始したとされる「たらし込み」がある 13 。これは、先に塗った墨や絵具が乾かないうちに、別の色や濃度の墨・絵具を垂らし込み、自然な滲みやぼかしによって柔らかな質感や微妙な色彩の変化を生み出す技法である。
    これらの技法は、単独で用いられるだけでなく、複合的に組み合わされて、描かれる対象の形態、質感、さらには気韻までも表現するために駆使された。布袋図においても、布袋の柔和な肉体、着衣の質感、そしてその内面から滲み出る精神性などを表現するために、これらの水墨画技法が効果的に用いられた。
  • 禅宗と水墨画の不可分な関係性
    水墨画が日本において禅宗と共に発展し、特に禅僧によって多く描かれた背景には、両者の精神性における深い親和性がある。禅宗は、「不立文字(ふりゅうもんじ)」を標榜し、言葉や文字による教義の伝達よりも、師から弟子への以心伝心や、坐禅を通じた直観的な悟りを重視する 15 。水墨画もまた、色彩豊かな現実世界を墨一色で表現し、対象の形態を写実的に再現することよりも、その内奥に潜む本質や「気韻生動(きいんせいどう)」を捉えようとする点で、禅の精神と通底する。
    中国古来の画論にある「墨に五彩あり」という言葉は、墨の濃淡や潤渇の変化だけで万物の色彩や質感を暗示し、鑑賞者の想像力に働きかける水墨画の特性を示している 12 。これは、言葉や文字を介さずに真理を悟ろうとする禅のあり方と響き合う。また、水墨画における余白の重視は、禅における「空(くう)」の思想、すなわち万物が固定的な実体を持たず、縁起によって生起するという世界観を視覚的に表現するものとも解釈できる。
    さらに、水墨画の制作過程における精神集中や、一気呵成に筆を運ぶ際の即興性、あるいは簡略な筆致で対象の本質を捉えようとする姿勢(減筆体など)は、禅の修行における精神の統一や、煩瑣な思考を離れた直観的な把握と軌を一にする 15 。このように、水墨画の技法と禅の精神性は表裏一体であり、布袋図もまた、その描法自体に禅的なメッセージが込められている場合が少なくない。例えば、簡略化された筆致は、布袋の無碍自在な境地や、世俗的な価値観からの超越を象徴し、墨の濃淡や滲みは、万物の流転や縁起といった仏教的な世界観を暗示していると解釈することも可能である。戦国時代の布袋図を理解する上で、この禅と水墨の不可分な関係性を念頭に置くことは不可欠である。

第二部:戦国時代における布袋図の諸相

  • 第一章:戦国時代の文化的背景と美術の動向
  • 武士階級の台頭と文化のパトロネージ
    応仁の乱(1467年~1477年)以降、室町幕府の権威は失墜し、日本各地で戦国大名が群雄割拠する時代が到来した。この時代、武士階級は政治・軍事の中心勢力としてだけでなく、文化の新たな担い手としても重要な役割を果たした。戦国大名たちは、自らの権勢を誇示し、あるいは精神的な支えを求めるために、積極的に文化・芸術を保護し、奨励した 16 。例えば、越前の朝倉氏や周防の大内氏、駿河の今川氏などは、多くの絵師や文人を庇護し、地方文化の興隆に貢献した 17 。雪舟等楊が大内氏の庇護のもとで活躍したことはその代表例である 17
    このような戦国大名の文化への関与は、美術作品の主題選択や様式にも影響を与えたと考えられる。彼らは、禅宗に帰依し、精神性の高い水墨画や書を好む一方で、現実的な武運長久や一族の繁栄を願う気持ちも強かった。そのため、美術品に対しても、単なる美的鑑賞の対象としてだけでなく、吉祥性や守護的な意味合いを求める傾向があった。布袋図が、禅的な寓意と共に福徳招来の神として信仰されていたことは、このような武将たちのニーズと合致する。戦乱の世にあって、現世利益をもたらすとされる布袋図は、武将たちにとって魅力的な画題であり、その需要は高まったと推測される。その結果、従来の禅画としての布袋図に加え、より装飾的で分かりやすい吉祥図としての布袋図も多く制作された可能性がある。
  • 禅宗の武家社会への浸透とその文化的影響
    鎌倉時代以来、禅宗は武家社会と深く結びついてきたが、戦国時代に至ると、その影響はさらに広範かつ深化した。臨済宗や曹洞宗といった禅宗諸派は、多くの戦国武将たちの精神的な支柱となり、彼らの死生観、価値観、さらには日常生活や文化活動にまで大きな影響を及ぼした 18 。例えば、上杉謙信が「天地正大」「独坐大雄峰」といった禅語を書に残していることは、彼の深い精神性を示している 18 。禅は、武士が無常を悟り、死と隣り合わせの状況下で覚悟を定め、精神を修養するための重要な道であった 19
    このような禅宗の武家社会への浸透は、禅画としての布袋図の需要を一層高める要因となった。武将たちは、禅僧との交流を通じて禅の教えに触れる機会が多く 21 、禅の思想を図像化した禅画、特に布袋図のような象徴的で含蓄のある画題に対する関心と理解を深めていった。布袋の奇行や世俗の価値観に捉われない自由闊達な生き様は、既成の権威が揺らぎ、実力が全ての戦国時代を生きた武将たちにとって、ある種の共感や憧憬の対象となった可能性も否定できない。彼らは、布袋の姿に、理想的な禅者の境地や、厳しい現実を超越する精神のあり方を見出したのかもしれない。
  • 戦国時代における水墨画の様相と特質
    室町時代に雪舟らによって一つの頂点を極めた水墨画は、戦国時代に入ると新たな展開を見せる。京都の中央画壇が応仁の乱などで一時的に衰退する一方で、地方の有力大名のもとに絵師たちが集まり、それぞれの地域で特色ある画風が生まれた 12 。この時代は、雪舟の画風を継承する絵師たちが各地で活動したほか、狩野派が武家社会の御用絵師としての地位を確立し、その後の日本画壇の主流となっていく過渡期でもあった 12
    戦国時代の水墨画の特質としては、まず、パトロンである武将たちの好みを反映し、力強さや気迫のこもった表現が好まれた点が挙げられる。また、禅画においては、より直接的なメッセージ性や、個人の内面性を掘り下げた表現も見られるようになった。雪村周継のような個性的な画僧が登場し、伝統的な枠組みにとらわれない自由奔放な作品を生み出したのもこの時代の特徴である 13 。布袋図もまた、このような時代の流れの中で、絵師の個性や注文主の意向を反映し、多様な様式や解釈をもって描かれたと考えられる。例えば、雪舟様式の厳格な精神性を継承する作品、狩野派的な力強く装飾的な作品、あるいは雪村のような奇抜でユーモラスな作品など、様々なバリエーションの布袋図がこの時代に制作されたと推測される。
  • 第二章:戦国時代における布袋図の主題と解釈
  • 禅画としての布袋図:悟り、無礙自在、風狂の精神の表現
    布袋図が禅画として描かれる場合、それは単に布袋という人物の姿を写すのではなく、禅の教えや理想的な境地を象徴的に表現するものであった。布袋の持つ大きな袋は、一切の財産や執着を捨て去った無一物の境地、あるいは万物を受け入れる広大な心を象徴すると解釈された 1 。その飄々とした姿や奇行は、世俗の規範や分別に捉われない「無礙自在(むげじざい)」の精神や、悟りを開いた者の「風狂(ふうきょう)」の境地を表すものとされた 2
    具体的な図様としては、「指月布袋(しげつほてい)」が知られる。これは、布袋が月を指さす姿を描いたもので、月を「悟り」や「真理」の象徴とし、指を「教え」や「経典」の比喩とする。指(教え)は月(悟り)を指し示すための手段に過ぎず、指そのものに囚われて月を見失ってはならない、という禅の重要な教え(指月の譬え)を視覚化したものである 23 。言葉や形式に頼らず、直接的な体験や内省を通じて本質を掴むことの重要性を示唆するこの主題は、実力主義が台頭し、旧来の権威が揺らいだ戦国時代の武将たちにとって、示唆に富むものであったかもしれない。彼らは、形式的な教えよりも、実戦的な知恵や物事の本質を見抜く眼力を重視したであろうから、この「指月」の教えに共感する部分があったと推測される。
    また、「欠伸布袋(あくびほてい)」や「眠り布袋」といった図様は、一切の緊張から解放された安らかな境地や、生死を超越した大悟の姿を象徴すると解釈される 10 。踊る布袋の姿は、悟りの喜びに満ち溢れた躍動的な生命力を表しているのかもしれない 27 。これらの禅画としての布袋図は、鑑賞者自身の内省を促し、禅的な覚醒へと導く一種の「動的なメディア」として機能した可能性がある。
  • 吉祥図としての布袋図:福徳招来、現世利益への期待と信仰
    禅画としての深遠な意味合いと並行して、あるいはそれ以上に、布袋図は具体的な現世利益をもたらす吉祥図として、戦国時代の人々に広く信仰された。七福神の一員としての布袋尊は、前述の通り、財運、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄、無病息災、開運、良縁など、多岐にわたる福徳を授ける神として信仰されていた 6
    戦国時代は、絶え間ない戦乱によって社会が疲弊し、人々の生活は極めて不安定であった 28 。このような時代状況においては、神仏に具体的な救済や現世利益を求める信仰が強まるのは自然なことであった。布袋尊がもたらすとされる様々なご利益は、武将にとっても民衆にとっても切実な願いであり、その福々しい笑顔と大きな袋を持つ姿は、人々に安心感と希望を与えたであろう。
    特に武将たちは、自らの武運の長久、一族の繁栄、領内の安寧などを願って、布袋図を護符のように所持したり、城館に飾ったりしたと考えられる。また、民衆の間でも、日々の生活の安定や商売の成功、家族の健康などを願って、布袋図が縁起物として求められたであろう。このように、布袋図は、禅的な高尚な理念だけでなく、より身近で具体的な人々の願いを受け止める器として、戦国社会に広く浸透していった。その意味で、戦国時代の布袋図は、人々の精神的な支えとなると同時に、現実的な生活への希望を託す対象でもあったと言える。
  • 茶の湯の文化と掛物としての布袋図の役割
    戦国時代は、千利休によって大成される茶の湯が、武士階級を中心に広く流行した時代でもあった 20 。茶の湯の空間である茶室において、床の間に掛けられる掛物は、その茶会の精神的な中心をなし、亭主の意図や美意識を客に伝える上で極めて重要な役割を担った 30
    布袋図は、禅画の代表的な画題の一つであり、その禅的な寓意や飄々とした雰囲気は、禅の精神と深く結びついた「侘び茶」の理念と親和性が高かった。例えば、伝牧谿筆とされる「布袋図」(九州国立博物館蔵、重要文化財)は、「腹さすり布袋」の愛称で知られ、茶会で鑑賞された掛物としても高名であったという記録がある 31 。布袋の無邪気さ、大らかさ、世俗的な価値観からの超越といった要素は、権力や富といった世俗的なものから一時的に離れ、精神的な静寂と内省を求める茶の湯の空間に調和した。
    また、布袋の図像に添えられる賛(詩文)は、茶会のテーマを示唆したり、亭主と客との間で交わされる禅的な問答のきっかけとなったりすることもあったであろう。布袋の逸話や、その自由闊達な生き様は、「一期一会」の精神を重んじ、一服の茶を通じて主客が心を通わせる茶の湯の場において、豊かな話題と深い精神的交流をもたらしたと考えられる。このように、茶席における布袋図は、単なる装飾品ではなく、茶の湯の精神性を高め、主客一体の境地を現出するための重要な装置として機能したと言える。
  • 第三章:戦国時代の布袋図の主要作例と絵師
  • 中国絵画(宋元画)からの影響:牧谿様、梁楷様などの受容と日本的変容
    日本の水墨画、とりわけ禅画の発展は、中国宋元時代の絵画、特に牧谿(生没年不詳)や梁楷(活動期13世紀前半)といった画僧の作品から多大な影響を受けている。これらの画家の作品は、鎌倉時代から室町時代にかけて日本に請来され、足利将軍家の東山御物をはじめとするコレクションの中核をなし、日本の絵師たちにとって重要な手本となった 11
    牧谿の描く布袋図は、柔らかな筆致と墨の濃淡を活かした温和な表現が特徴であり、自然主義的な描写の中に深い精神性を感じさせる。伝牧谿筆「布袋図」(九州国立博物館蔵、重要文化財)は、その代表的な作例として日本でも古くから珍重されてきた 11 。この作品に見られるような、布袋の穏やかな表情や、ゆったりとした衣の表現は、日本の布袋図にも受け継がれていった。
    一方、梁楷は、「減筆体」と呼ばれる極度に省略された筆数で対象の本質を捉えようとする画風で知られる 27 。梁楷筆と伝えられる「踊布袋図」(香雪美術館蔵、重要文化財)は、簡潔かつ力強い描線で、踊る布袋の躍動感と天真爛漫な姿を見事に捉えている 27 。このような梁楷の減筆体は、対象の本質を直観的に把握しようとする禅の精神と合致し、日本の禅画、特に布袋図の表現に大きな影響を与えた。
    日本の絵師たちは、これらの中国絵画の様式や精神性を学びつつも、それを単に模倣するのではなく、日本の美意識や精神風土に合わせて主体的に受容し、独自の様式へと展開させていった。例えば、布袋の表情をより親しみやすいものに変えたり、日本の風景や風俗を取り入れたりするなど、日本的な変容が見られる 37 。この過程で、中国画の格調高さと日本の感性が融合し、日本独自の布袋図のスタイルが形成されていったのである。
  • 雪舟等楊とその画系における布袋図
    日本水墨画の画聖と称される雪舟等楊(1420年~1506年頃)は、禅僧であり、その作品には深い禅的精神が息づいている 12 。雪舟自身が布袋図をどの程度描いたかについては、確実な真筆作例が限られており、明確ではない 38 。しかし、彼が確立した力強い筆致、構築的な画面構成、そして峻厳な精神性は、弟子や後続の画家に大きな影響を与え、雪舟様式を反映した布袋図が制作された可能性は十分に考えられる。
    雪舟の画風は、中国で学んだ宋元画の技法を基礎としつつも、日本の自然観や禅の思想を深く反映させた独自のものであった 12 。彼が追求した禅の精神、すなわち自己の内面を見つめ、本質を捉えようとする姿勢は、禅画の重要な画題である布袋という存在と高い親和性を持つ。雪舟の弟子たち、例えば周徳、等悦、秋月、宗淵、等春といった画家たちは 38 、師の画風を継承しつつ、様々な画題に取り組んだ。これらの画僧たちが、師の精神を受け継ぎ、布袋図を制作したとしても不思議ではない。もしそのような作品が現存すれば、そこには雪舟様式の特徴である力強い描線、大胆な空間表現、そして深い禅的な精神性が認められるであろう。例えば、雪舟の弟子である周徳筆と伝えられる「山水図」が、雪舟の「破墨山水図」のスタイルに倣っているように 39 、布袋図においても雪舟の様式が参照された可能性は否定できない。
  • 雪村周継の布袋図とその特色
    戦国時代を代表する個性派の画僧として、雪村周継(1504年?~1589年頃?)の名を挙げることができる。雪村は雪舟に私淑したとされるが、その画風は雪舟の模倣に留まらず、極めて独創的で奇抜な表現を展開した 13 。彼の布袋図は、伝統的な禅画の枠組みに収まらない、自由闊達な精神に満ちている。
    代表的な作例としては、茨城県立歴史館所蔵の「欠伸布袋・紅白梅図」三幅対の中央に描かれた「欠伸布袋図」がある 22 。この作品では、布袋が大きな欠伸をしながら手足を伸ばす、伸びやかでユーモラスな姿が描かれている。また、板橋区立美術館所蔵の「布袋図」は、大きな袋の上で踊るかのような躍動的な布袋が描かれ、ポップな印象さえ与える 41 。五島美術館には、雪村筆「布袋和尚一行書」が所蔵されており 44 、仁和寺には「布袋唐子図」が伝わっている 45
    これらの雪村の布袋図に共通する特色は、大胆な構図、力強く変化に富んだ筆致、そして人間味あふれる、時にはコミカルでさえある表情描写である 22 。その背景には、雪村自身の強烈な個性と、戦国という時代のダイナミズム、そして旧来の権威や形式にとらわれない自由な精神を尊ぶ気風が反映されていると考えられる。雪村の描く布袋は、時に人間的な親しみやすさを見せ、時に超俗的な奇人の相を呈し、観る者に強烈な印象と禅的な問いを投げかける。
  • 狩野派(正信、元信、永徳等)による布袋図
    室町幕府の御用絵師として登場した狩野正信(1434年?~1530年)に始まる狩野派は、その子・元信(1476年?~1559年)の代に画壇における確固たる地位を築き、戦国時代を通じて武家社会と密接な関係を保ちながら、日本画の主流を形成していった 12 。狩野派の絵師たちもまた、布袋図を重要な画題として数多く制作した。
    狩野派の布袋図は、主たる注文主である武家社会の需要に応えるべく、禅的な教訓性と共に、権威の象徴や祝祭的な意味合いを持つ、より公的で堂々とした様式で描かれた可能性が高い。彼らは宋元画の学習を基礎とし、その格調高い画風を継承しつつも、大和絵の要素を取り入れるなどして日本的な感性や装飾性を加味し、後の時代の規範となるような布袋図のスタイルを確立していったと考えられる。
    現存する作例としては、狩野正信筆と伝えられる「紙本淡彩布袋図」(周麟賛、京都府蔵、重要文化財) 46 や、狩野元信筆とされる「布袋図」(京都国立博物館蔵) 48 などが知られる。また、江戸時代初期の狩野安信(永真)筆「絹本布袋芦雁図」三幅対 49 も、狩野派の伝統的な布袋図の様式を伝えている。これらの作品には、力強い描線、安定した構図、そして対象の威厳を損なわない品格が認められる。狩野派の布袋図は、禅的な深みと武家の求める威厳や吉祥性を見事に融合させた、日本独自の布袋図様式の一つの到達点を示していると言えよう。
  • 海北友松など、その他の画人による布袋図
    戦国時代から桃山時代にかけては、雪舟派や狩野派以外にも、個性的な画風で知られる絵師たちが活躍した。その一人である海北友松(1533年~1615年)は、武家の出身でありながら画道に入り、梁楷の減筆体の影響を強く受けた力強い水墨画で知られる 12 。友松は、人物の衣を風にはらんだ袋のように簡略化して描く「袋人物(ふくろじんぶつ)」と呼ばれる独自の様式を確立した 33
    友松が布袋図をどの程度描いたかは必ずしも明らかではないが、彼が得意とした禅宗祖師像や仙人図といった道釈人物画の主題は、布袋図とも共通する。もし友松が布袋図を手掛けていたとすれば、それは梁楷様式の減筆体を基盤としつつも、友松自身の武人としての気迫や精神性がより強く表出された、力強く個性的な作風であったと想像される。それは、狩野派の洗練された様式や雪村の奇抜さとは異なる、質実剛健な魅力を持つものであった可能性が高い。
  • 現存する戦国時代の布袋図の作例紹介と様式的分析(「踊布袋図」「欠伸布袋図」「指月布袋図」「布袋唐子図」等)
    戦国時代に制作された布袋図は、上記で触れた絵師たちの作品以外にも、筆者不明ながらも注目すべき作例が散見される。これらの作品は、布袋が子供たちと戯れる「布袋唐子図」 45 、月を指さす「指月布袋図」 23 、大きなあくびをする「欠伸布袋図」 10 、楽しげに踊る「踊布袋図」 10 など、多様な図様で描かれている。
    これらの図様は、それぞれ異なる禅的な寓意や吉祥的な意味合いを担っていた。例えば、「布袋唐子図」は、布袋の慈悲深さや子供好きの性格を表すと同時に、子孫繁栄の願いを込めた吉祥図としても好まれた 50 。南山士雲賛「布袋唐子図」は、その古例として14世紀前半まで遡る可能性が指摘されている 50
    これらの作例を比較分析することで、戦国時代における布袋図の主題の広がりと、様式の多様性を具体的に理解することができる。
    表1:戦国時代の主要な布袋図絵師と代表作例(推定を含む)

絵師名

流派・様式

代表的な布袋図作例(作品名、所蔵、制作年代)

材質・技法

主題分類

様式的特徴の要約

関連資料ID

伝 牧谿

中国宋元画

《布袋図》(簡翁居敬賛)、九州国立博物館蔵、13世紀

紙本墨画

禅画、道釈人物画

温和な表情、柔らかな筆致、深い精神性

11

伝 梁楷

中国宋元画(減筆体)

《踊布袋図》(大川普済賛)、香雪美術館蔵、13世紀

紙本墨画

禅画、道釈人物画

簡潔かつ力強い描線、躍動感、天真爛漫な姿

27

詫磨栄賀(推定)

初期水墨画

《布袋図》、九州国立博物館蔵、14世紀

絹本墨画

禅画、道釈人物画

山水背景、布袋と背景の筆法の使い分け

3

狩野正信

狩野派

《紙本淡彩布袋図》(周麟賛)、京都府蔵(重文)、室町時代

紙本淡彩

禅画、道釈人物画

狩野派初期の様式、漢画的風格

46

狩野元信

狩野派

《布袋図》、京都国立博物館蔵、16世紀

紙本墨画(推定)

禅画、道釈人物画

狩野派様式の確立期、力強い描線と安定した構図

48

雪舟等楊(伝承含む)

雪舟派

《布袋図》(個人蔵など伝世品)、室町~戦国時代

紙本墨画

禅画、道釈人物画

力強い筆致、構築的画面、禅的精神性(推定)

38

雪村周継

雪村派(個性派)

《欠伸布袋図》(「欠伸布袋・紅白梅図」のうち)、茨城県立歴史館蔵、室町時代(16世紀)

紙本墨画淡彩

禅画、道釈人物画

奇抜な構図、ダイナミックな筆致、ユーモラスな表情

22

雪村周継

雪村派(個性派)

《布袋図》、板橋区立美術館蔵、室町時代

紙本墨画淡彩

禅画、道釈人物画

躍動的な姿、ポップな印象

41

雪村周継

雪村派(個性派)

《布袋唐子図》、仁和寺蔵、室町時代(16世紀)

紙本墨画(推定)

禅画、吉祥図

子供と戯れる布袋、親しみやすい表現

45

海北友松(推定)

海北派(梁楷様)

(現存作例特定困難)

紙本墨画(推定)

禅画、道釈人物画

減筆体(袋人物)、武人的気迫(推定)

12

南山士雲(賛)

禅林画

《布袋唐子図》(筆者不明)、個人蔵、14世紀前半か

絹本着色

禅画、吉祥図

日本における布袋唐子図の古例の可能性

50

  • 第四章:戦国武将と布袋図
  • 武将による布袋図の所蔵実態と鑑賞の様相
    戦国武将たちが布袋図をどのように所蔵し、どのような場で鑑賞していたのか、その具体的な実態を文献記録や伝世品から探ることは、この時代の美術受容を理解する上で重要である。前述の通り、伝牧谿筆「布袋図」は足利将軍家や後の徳川将軍家といった最高権力者のもとで珍重された記録があり 31 、このような名品は、大名間の贈答や茶会での披露を通じて、他の武将たちの目に触れる機会もあったと考えられる。
    武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉といった著名な戦国武将が、具体的にどのような布袋図を所蔵していたかを示す直接的な記録は、現時点では限定的である。例えば、徳川美術館所蔵の「居布袋図堆朱香合」は明時代の作で、武田信玄との直接の関連は不明である 53 。岩佐又兵衛筆「布袋と寿老の酒宴」は福井藩に関連するが、又兵衛は江戸初期の画家であり、厳密には戦国時代の事例とは言えない 34
    しかし、戦国武将が禅宗に深く帰依し、精神的な支えとしていたこと 19 、布袋図が禅画の代表的な画題であること 2 、そして七福神の一員として現世利益をもたらすと信じられていたこと 6 を踏まえれば、彼らが布袋図を求め、自らの居城の書院や茶室に飾って鑑賞したことは十分に考えられる。それは単なる美術愛好に留まらず、禅的な精神修養の一環として、あるいは吉祥招福や一族の安泰を願う護符として、さらには自らの文化的教養や権威を誇示する手段として、複合的な動機に基づいていたと推測される。特に茶会においては、掛物として布袋図が用いられ、その場に禅的な雰囲気や和やかな空気をもたらす重要な役割を果たしたであろう 31
  • 贈答品としての布袋図の可能性と事例
    戦国時代、美術品は武将間の外交や人間関係を円滑にするための贈答品として重要な役割を担っていた。布袋図もまた、その吉祥的な意味合いから、贈答品として用いられた可能性が高い。子孫繁栄、長寿、財運といった普遍的な願いを込めた布袋図は、同盟関係の締結、子の誕生祝い、あるいは相手の武運長久や福徳を願う際などに、好適な贈り物となったであろう。
    具体的な贈答事例に関する記録は多くないが、例えば雪村周継の「欠伸布袋・紅白梅図」が後の尾形光琳に影響を与えたという話 55 は、作品が時代を超えて伝播し、影響を与え合ったことを示唆する。戦国大名間の交流において、高名な絵師による布袋図や、特に縁起の良い主題の布袋図が贈答されたとしても不思議ではない。これは、単に美術品を交換するという以上に、互いの友好関係を確認し、共通の文化的価値観を分かち合うという意味合いも持っていたと考えられる。布袋図が持つ多義的な性格(禅的、吉祥的)は、贈る側と贈られる側の双方にとって解釈の幅を広げ、より深いコミュニケーションを可能にしたかもしれない。

結論:戦国時代における布袋図の美術史的意義と後世への影響

  • 戦国時代における布袋図の様式的特質と主題的多様性の総括
    本報告で考察してきたように、戦国時代の布袋図は、それ以前の時代からの伝統を継承しつつも、この時代特有の社会的・文化的背景を反映して、様式および主題において顕著な多様性を示した。
    様式的には、中国宋元画、特に牧谿や梁楷の画風が依然として大きな影響力を持ちつつも、それを日本の絵師たちが主体的に受容し、日本的な感性や技法と融合させることで、独自の表現へと昇華させていった。雪舟様式を継承する力強く構築的な作品、雪村周継に見られるような奇抜で個性的な作品、そして狩野派による漢画の伝統と大和絵の装飾性を融合させた格調高い作品など、多様な様式が展開した。筆致においては、簡潔な描線で対象の本質を捉えようとする禅的な表現から、より細やかで装飾的な表現まで幅が見られた。
    主題においても、布袋図は多岐にわたる解釈と意味合いを担った。禅画としては、悟りの境地、無礙自在の精神、風狂の生き様などを象徴し、鑑賞者の内省を促す役割を果たした。「指月布袋」や「欠伸布袋」といった図様は、禅の教えを視覚的に伝えるものであった。同時に、七福神信仰の広まりと共に、布袋図は財運、長寿、子孫繁栄、夫婦円満といった具体的な現世利益をもたらす吉祥図としても広く受容された。戦乱の世にあって、武将も民衆も、布袋の福々しい姿に安寧と繁栄への願いを託したのである。さらに、茶の湯の文化においては、茶席の掛物として布袋図が用いられ、その場に禅的な静寂や和やかな雰囲気をもたらす重要な要素となった。
    このように、戦国時代の布袋図は、禅宗の精神性、武家社会の価値観、そして民衆の素朴な信仰が複雑に交錯する中で、多様な貌(かお)を見せた。それは、この時代が持つ混沌と活力、そして新たな価値観の模索を映し出す鏡であったと言えるだろう。
  • 桃山時代以降の布袋図への展開と影響の展望
    戦国時代に培われた布袋図の多様な表現と解釈は、続く桃山時代や江戸時代の布袋図に大きな影響を与え、そのさらなる展開の素地となった。
    桃山時代には、狩野派が画壇の覇権を確立し、その豪壮華麗な様式が城郭の障壁画などを席巻したが、水墨画の伝統もまた受け継がれた。狩野派の絵師たちは、戦国時代に確立された布袋図の様式を基礎としつつ、より洗練させ、時には装飾性を加えることで、新たな時代の需要に応じた布袋図を制作したと考えられる。
    江戸時代に入ると、社会の安定と共に文化の担い手も広がり、布袋図はさらに多様な形で描かれるようになる。仙厓義梵(せんがいぎぼん)のような禅僧は、ユーモラスで親しみやすい筆致の中に、痛烈な風刺や禅の教えを込めた独自の布袋図を数多く残した 10 。これは、戦国時代の雪村などに見られた個性的な表現の系譜を引くものとも言える。また、浮世絵や民間絵画においても、七福神の一員としての布袋は人気の画題であり続け、庶民の生活に根ざした様々な姿で描かれた。
    総じて、戦国時代の布袋図は、中世から近世への移行期における日本美術のダイナミズムを象徴する存在である。禅宗文化の深化、武家社会の成熟、そして民間信仰の広がりという、この時代を特徴づける複数の文化的潮流が交差する中で育まれた布袋図の表現の幅広さと解釈の奥行きは、後の時代の日本美術における布袋図の豊かな展開を準備したと言える。戦国という乱世が生み出した、力強く、多様で、そして人間味あふれる布袋の姿は、時代を超えて我々に多くの示唆を与え続けている。

参考文献一覧

本報告を作成するにあたり参照した主要な文献、研究資料は多岐にわたるが、特に 4 から 56 、及び 1 から 52 として整理された各資料群がその中核をなす。詳細な文献リストは別途提示する。

図版一覧

報告書中で言及した主要な布袋図の図版情報(作品名、筆者、所蔵、年代など)についても、別途一覧としてまとめる。

引用文献

  1. 布袋和尚像(仏像事典七福神巡り)仏像ドットコム・東洋仏所 https://www.butsuzou.com/jiten/hotei.html
  2. 布袋さんの笑顔 - 臨済宗大本山 円覚寺 https://www.engakuji.or.jp/blog/37489/
  3. 布袋図 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/566862
  4. 招福祈願!深川七福神 - 行政書士やまと総合法務事務所 https://www.yamato-gyosei.com/2019/01/06/%E6%8B%9B%E7%A6%8F%E7%A5%88%E9%A1%98-%E6%B7%B1%E5%B7%9D%E4%B8%83%E7%A6%8F%E7%A5%9E/
  5. 福神と厄神 - 越谷市郷土研究会 https://koshigayahistory.org/274.pdf
  6. 布袋様のスピリチュアルなご利益とは? ご利益を受け取る方法も紹介 - マイナビウーマン https://woman.mynavi.jp/article/240926-7/
  7. 「伊勢の津・七福神めぐり」で幸福を引き寄せる |津市内で福の神 ... https://tsukanko.jp/feature/feature-5232/
  8. 七福神の名前全部言えますか? : 家康が普及に一役、江戸期に広まっ ... https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01682/
  9. 七福神の布袋尊とは? どんな神様なのかやご利益、モデルに置物の効果も解説 https://news.mynavi.jp/article/20210531-1880330/
  10. idemitsu-museum.or.jp https://idemitsu-museum.or.jp/research/pdf/09.idemitsu-No16_2011.pdf
  11. 布袋図 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/586560
  12. 水墨画(スイボクガ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E5%A2%A8%E7%94%BB-83155
  13. えっ、これを墨だけで描いてるの!絵師の巧みな技とともに水墨画 ... https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/9711/
  14. 初心者向け|水墨画アートの特徴を簡単に解説 | TRiCERA ART CLiP https://www.tricera.net/ja/artclip/blog866
  15. 水墨画の歴史を簡単解説!いつ・どのように日本で始まったか? https://suibokugart.com/sumie-history/
  16. (前編)日本刀は芸術か武器か?—歴史・美しさ・戦国時代の名刀を解説 - WA MARE https://www.wa-mare.com/column/496/
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  18. 武将の書の掛け軸|有名武将の筆跡とその魅力を徹底解説 - 日晃堂マガジン https://nikkoudou-mag.com/archives/4506/
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  21. 室町時代編 - 日本画ラボラトリー https://nihongalab.com/history/history03/
  22. 観たことのない、ドラマティカルな水墨画の世界へ 特別展「雪村—奇想の誕生—」 - girls Artalk https://girlsartalk.com/column/25539.html
  23. 指月布袋画賛 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E6%9C%88%E5%B8%83%E8%A2%8B%E7%94%BB%E8%B3%9B
  24. 福岡市美術館 - コラム/私のイチオシコレクション-朝日マリオン・コム- https://www.asahi-mullion.com/column/article/ichioshi/4569
  25. 禅画は面白い – 月が見えないのはなぜ? - ZENzine / 禅人 https://zenzine.jp/read/columns/747/
  26. 戦国時代を代表する水墨画家・雪村周継(せっそんしゅうけい)の作品が33年ぶりに茨城に集結。雪村に影響を受けた絵師の作品も含め約110件の名品が一堂に会する。画期的な「クローン文化財」の成果も初 - PR TIMES https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000153033.html
  27. 踊布袋図 - 絵画 : 所蔵品一覧 | 香雪美術館 https://www.kosetsu-museum.or.jp/mikage/collection/kaiga/kaiga10/index.html
  28. 戦国時代の民衆の姿 - 石見銀山通信 https://iwami-gg.jugem.jp/?eid=4837
  29. 戦国武将と茶の湯/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/90457/
  30. 【茶道1】第6回:禅と茶道の深い関係|働く身体をアップデート ... https://note.com/kgraph_/n/na9505e0f99f9
  31. 布袋図 - e国宝 https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100002&content_part_id=000&content_pict_id=0
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  34. 岩佐又兵衛 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E4%BD%90%E5%8F%88%E5%85%B5%E8%A1%9B
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  44. 猿図 僊可筆・「布袋和尚」一行書 雪村周継筆 | 公益財団法人 五島 ... https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/01/01-039/
  45. SALE 絵はがき〈布袋唐子図〉雪村周継 A-24 通常価格より80%OFF ... https://www.kyotobenrido.com/view/item/000000003633
  46. 紙本淡彩布袋図〈狩野正信筆/周麟賛〉 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/126347
  47. 国指定文化財等データベース https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/954
  48. 美術館に乾杯! 京都国立博物館 その四: いづつやの文化記号 http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2020/03/post-c352b3.html
  49. 絹本布袋芦雁図(延命寺)|大府市 https://www.city.obu.aichi.jp/bunka/kanko_rekishi/rekishi/1007256/1007281.html
  50. は既に南宋時代、 十三世紀半ば頃には制作されていたことが知られ https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/publications/knm-bulletin/27/027_sakuhin_a.pdf
  51. hiroshima-cu.repo.nii.ac.jp https://hiroshima-cu.repo.nii.ac.jp/record/399/files/art20-30.pdf
  52. 学叢 - 京都国立博物館 - Kyoto National Museum https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/publications/knm-bulletin/
  53. 名古屋市蓬左文庫|これまでの展示案内 https://housa.city.nagoya.jp/exhibition/back_h30.html
  54. www.e-kinenkan.com https://www.e-kinenkan.com/tayori/vol48.pdf
  55. 光琳ら近代の画家たちを魅了した戦国時代の画僧・雪村の大回顧展 - OZmall https://www.ozmall.co.jp/experience/7970/
  56. 部分ツイート全記録|森川 真 - note https://note.com/mmww/n/nab680260c3c4