北宋・趙昌筆「菓子図」に関する総合的調査報告
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本報告の目的と対象
本報告は、戦国時代の武将・織田信長が所蔵したと伝えられる、中国北宋代の画家・趙昌筆「菓子図」に関する現存史料や関連研究を総合的に検討し、その実像と歴史的意義を多角的に解明することを目的とします。本作品は、本能寺の変にて焼失したとされるため、現存作品の直接的な分析は不可能ですが、関連資料を丹念に読み解くことで、その姿と価値に迫ります。
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趙昌筆「菓子図」の概要と歴史的位置づけ
伝承によれば、「菓子図」は絹地に描かれた彩色の双幅であり、左絵には瓜と蓮、右絵には柘榴と桃が配されていたとされます(ユーザー提供情報)。作者の趙昌は、北宋期に活躍した花鳥画の名手であり、その作品は日本においても高く評価されていました。特に「菓子図」は、戦国時代の茶の湯文化の中で至上の名画の一つとして扱われ、織田信長の手に渡った後、天正10年(1582年)の本能寺の変で焼失したという経緯を持つ、美術史・文化史上極めて重要な作品として位置づけられます。 この「菓子図」は、単に失われた一個の美術作品という範疇に収まらず、当時の日本における中国美術の受容、戦国武将の権力と文化戦略、茶の湯という独自の美意識が育まれた場のありよう、そして歴史的事件が文化財にもたらす影響など、多様な側面を映し出す存在です。趙昌という中国絵画史における巨匠の作品が、日本の戦国時代という激動の時代に、織田信長という天下人の手を経て、茶の湯という洗練された文化空間で珍重され、そして本能寺の変という劇的な事件と共に失われたという事実は、この作品が美術、権力、文化実践が交錯する結節点であったことを物語っています。本報告では、これらの複合的な要素を解きほぐし、「菓子図」が持つ多層的な歴史的価値を明らかにすることを目指します。
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調査の範囲と方法
本報告では、千利休の高弟・山上宗二が著した『山上宗二記』や、津田宗及らによる茶会記録である『天王寺屋会記』、『松屋会記』などの茶書を中心的な史料として扱います。加えて、趙昌の画風を考察するために現存する伝趙昌作品(「林檎花図」「竹虫図」「茉莉花図」「壽帶榴花」など)の分析、中国絵画における描かれたモチーフの図像学的研究、さらには織田信長の美術品収集に関する歴史的背景などを踏まえ、総合的な考察を行います。
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趙昌の生涯と画業概観
趙昌は字を昌之といい、中国・蜀(現在の四川省)の広漢の出身です。生卒年は不詳ですが、主に北宋前期(10世紀後半~11世紀初頭)に活躍した宮廷画家であったと考えられています。特に花卉や草虫、果実を描くことに長け、その名は当時より高く評価されていました 1。その写実的な描写は「写生趙昌」と称され、対象の形態のみならず、その生命感までも捉えることに優れていたと伝えられています 1。彼の作品は、後述する「折枝様式」や精緻な写実描写によって特徴づけられ、後世の画院画家にも影響を与えたとされています。
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花鳥画、特に花果図における趙昌の画風と技法
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写実表現と「形似」を超えた「伝神」の追求
趙昌の絵画は、対象の形態を精密に捉える「形似(けいじ)」の高さで知られますが、単なる外見の模倣に留まらず、対象の内面的な生命感や本質を捉えようとする「伝神(でんしん)」を目指したと評されています
1
。これは、宋代絵画における写実主義の深化と精神性の追求という大きな流れの中に位置づけられる重要な特徴です。趙昌が追求した「伝神」の境地は、描かれた花や果物がまるで生きているかのような錯覚を鑑賞者に与え、深い感動を呼び起こしたと考えられます。単に見たままを正確に写し取る技術(形似)は多くの画家が到達しうる境地かもしれませんが、その先の、対象が持つ内面的な生命力や気韻といった「神」を捉え、観る者の心に訴えかける表現こそが、趙昌の作品が単なる写生画を超えた芸術作品として高く評価された理由でしょう。このような生命感あふれる表現は、自然との一体感を重んじる日本の茶の湯の精神とも共鳴し、彼の作品が日本で特に珍重された大きな理由の一つであったと推察されます。特に、生命の輝きや儚さを内に秘めた花や果実という主題は、「伝神」を表現する上で格好の対象であったと言えます。
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「折枝様式」の特色と彩色技法
趙昌は、花木の一部分、特に花や実をつけた枝先を画面にクローズアップして描く「折枝(せっし)様式」を得意としたと伝えられています
2
。この様式は、主題を明確に際立たせ、その細密な描写を効果的に見せることを可能にします。 彩色技法については、まず墨の線で輪郭を描き、その内側を色彩で埋める「鉤勒填彩法(こうろくてんさいほう)」と、輪郭線を用いずに色彩の濃淡やぼかしによって形態と質感を表現する「没骨法(もっこつほう)」を巧みに使い分けたと考えられます。例えば、東京国立博物館が所蔵する伝趙昌筆「茉莉花図」では、葉の部分に鉤勒法が、花の部分には没骨法が用いられ、それぞれの質感の違いが見事に表現されています
3
。このような技法の使い分けは、描かれる対象(例えば葉の硬質な質感と花弁の柔らかな質感など)の特性をリアルに描き出すための高度な技術であり、趙昌の写実性の高さを支える重要な要素でした。「菓子図」も彩色画であることから、これらの技法が駆使され、描かれた瓜、蓮、柘榴、桃といったモチーフそれぞれの質感や瑞々しさが巧みに表現されていたと推測されます。 「折枝様式」は、特に掛軸として床の間に飾られる日本の茶の湯の文化において、鑑賞者の視線を集め、限られた空間の中に凝縮された自然の美を提示するのに非常に適した形式でした。趙昌がこの様式を得意としたことは、「菓子図」が茶席で至上のものとして扱われたことと深く関連していると考えられます。精緻な彩色技法と組み合わさることで、描かれた果物や花は単なる図様ではなく、あたかも実物が目の前にあるかのような臨場感と生命感をもって鑑賞者に提示され、茶室という限定された空間において、自然の美や豊穣さを凝縮して感じさせる効果を意図していた可能性があります。
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現存する伝趙昌作品との比較考察
趙昌の真筆とされる作品の現存は極めて少ないものの、その画風を伝える、あるいは趙昌作として日本で受容されてきた作品がいくつか存在します。これらは「菓子図」の姿を推測する上で重要な手がかりとなります。
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表:伝趙昌筆とされる主要作品と「菓子図」モチーフの比較
作品名
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伝承/年代
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材質・技法
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主なモチーフ
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寸法(cm)
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「菓子図」との関連モチーフ
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所蔵
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特記事項(評価など)
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典拠
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林檎花図
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伝趙昌筆/南宋13C
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絹本着色
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林檎花(折枝)
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縦23.5 横25.2
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畠山記念館
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国宝、精緻な写実、折枝様式
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2
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竹虫図
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伝趙昌筆/南宋13C
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絹本着色
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竹・瓜・鶏頭・昆虫
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瓜
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東京国立博物館
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重要文化財、瓜の描写、精緻な草虫表現
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4
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茉莉花図
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伝趙昌筆/南宋12-13C
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絹本着色
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茉莉花(折枝)
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常盤山文庫
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鉤勒・没骨併用、茶人による高評価
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3
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壽帶榴花
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趙昌筆(題簽)/宋代
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絹本着色
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柘榴・綬帯鳥
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縦22 横25.4
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柘榴
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台北国立故宮博物院
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工筆、精緻な描写
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6
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*表の価値と必要性についての考察:*この表は、趙昌の画風や「菓子図」の姿を具体的にイメージするために、現存する(とされる)作品との比較を視覚的かつ体系的に行うための基礎となります。「菓子図」に描かれたとされる瓜、蓮、柘榴、桃といったモチーフが、趙昌の他の作品にも見られるかどうかを一覧で示すことで、趙昌の得意とした画題や、「菓子図」の主題選択の蓋然性を検討する材料となります。また、各作品の材質、技法、寸法などを比較することで、趙昌作品(あるいはその様式を継承する作品)に共通する様式的特徴を抽出しやすくなり、これは「菓子図」の失われた姿をより具体的に推測する上で役立ちます。
畠山記念館所蔵の国宝「林檎花図」は、南宋時代の作とされますが、古来趙昌の作と伝えられています [2, 7]。団扇形の小画面に林檎の一枝を描いた絹本着色画で、開花、蕾、ほころびかけた花を柔らかい暈しと細く確実な輪郭線で描き分け、その可憐さと凛とした気品を表現しています。写実性に徹しながらも高い芸術性を有し、趙昌の折枝画の名手としての評価を裏付ける名品です。
東京国立博物館所蔵の重要文化財「竹虫図」も南宋時代の作とされます [4, 5]。竹を中心に、瓜、鶏頭といった植物と、蝶や蜻蛉、蝗などの昆虫を生き生きと描いた草虫図です。「菓子図」に「瓜」が含まれる点、そして彩色画である点で比較対象として重要です。描写の精緻さ、特に瓜の葉のグラデーションや昆虫の細密な表現、金泥の効果的な使用は注目に値します。
常盤山文庫所蔵の「茉莉花図」も南宋時代の作とされ [3]、折枝様式で茉莉花を描き、葉は鉤勒法、花は没骨法で表現されています。丁寧な彩色と奥行きのある構図が特徴で、山上宗二ら安土桃山時代の茶人にも高く評価された記録が残っています。
台北国立故宮博物院所蔵の「壽帶榴花」は、趙昌の作という題簽があり、宋代の作品とされます [6]。柘榴の花と枝に綬帯鳥(サンコウチョウ)がとまる様を描いた絹本着色画で、工筆(細密な描写)技法が用いられています。「菓子図」の右絵に柘榴が描かれていたという情報と直接関連する作品です。
これらの現存する伝趙昌作品は、多くが南宋時代の作と推定されていますが、趙昌の画風を色濃く反映しているか、あるいは趙昌の作品として日本で受容されてきたことを示しています。「菓子図」もまた、これらの作品群に見られるような、対象の生命感を捉えた高度な写実性、精緻かつ力強い筆致、そして豊かで気品のある色彩感覚を備えた名画であったと推測されます。特に、「竹虫図」に瓜が描かれている点や、「壽帶榴花」に柘榴が描かれている点は、「菓子図」の具体的なモチーフとの関連で非常に興味深いと言えます。伝承作品の多くが南宋代とされる背景には、趙昌の画風が後代の画家に大きな影響を与え、その様式が継承・模倣された可能性、あるいは南宋代に制作された優れた花鳥画が、趙昌の高い名声にあやかり、あるいは同一視されて趙昌の作として日本に将来され、珍重された可能性などが考えられます。いずれにしても、これらの作品群は、趙昌様式、あるいは趙昌の名を冠するにふさわしい花鳥画の理想形を我々に伝えており、失われた「菓子図」の姿を具体的に想像する上で、極めて重要な手がかりを提供してくれます。
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史料に基づく「菓子図」の形態と材質
ユーザー提供情報によれば、「菓子図」は「中国北宋代の画家・趙昌筆の絹地本双幅の彩色画」とされます。
「双幅」であることは、『山上宗二記』の記述「菓子の絵として二幅あげており」とも一致します 4。茶の湯の床の間において、双幅は重要な掛物形式であり、左右の画題の組み合わせによって多様な意味や季節感を演出しました。
「絹地本彩色画」であることは、趙昌の画風や現存する伝承作品の多くが絹本着色であることと整合します 2。絹は絵画の支持体として高級であり、鮮やかな発色を可能にするため、趙昌のような宮廷画家の作品にはしばしば用いられました。
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描かれたモチーフ:瓜・蓮・柘榴・桃
ユーザー提供情報によれば、左絵には瓜(うり)と蓮(はす)などが、右絵には柘榴(ざくろ)と桃(もも)などが描かれていたとされます。これらのモチーフは、中国文化においてそれぞれ豊かな吉祥性を持っています。
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表:趙昌筆「菓子図」に描かれたモチーフの吉祥的意味
モチーフ
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中国文化における主要な吉祥的意味
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茶の湯の場における解釈・意義(推測)
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典拠(吉祥性)
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瓜(ウリ)
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子孫繁栄(蔓が伸び多くの実をつけるため、「瓜瓞綿綿」)
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豊穣、生命力の象徴、夏の季節感
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5
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蓮(ハス)
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純粋高潔(泥中より清浄な花)、君子の徳、仏教的清浄、子孫繁栄(蓮子が多いため、「連子」に通じる)
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清らかさ、精神性、夏の季節感
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9
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柘榴(ザクロ)
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多子多福(種子が多いため)、豊穣
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子孫繁栄、豊かさ、秋の季節感
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6
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桃(モモ)
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長寿(西王母の仙桃)、不老不死、魔除け、春の象徴
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長寿への願い、春の季節感、祝意
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9
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*表の価値と必要性についての考察:* この表は、「菓子図」に描かれたとされる各モチーフが、単なる果物や花の写生ではなく、中国文化において豊かな吉祥的意味を担っていたことを明確に示します。これにより、織田信長のような権力者がこの絵画を所有した背景には、美術的価値のみならず、これらの吉祥性への期待や、それらを自らの権威と結びつけようとする意図があった可能性を浮き彫りにします。また、茶の湯の席でこれらのモチーフがどのように解釈され、どのような雰囲気を醸成したかを推測する手がかりともなります。
これらのモチーフの組み合わせは、単に美しいだけでなく、所有者や観覧者に対して、子孫繁栄、純粋高潔、豊穣、長寿といった、極めて望ましい意味合いを重ねて祝福する意図があったと考えられます。戦国武将である信長がこれを所蔵した背景には、単なる美術的価値だけでなく、こうした吉祥性への期待もあったかもしれません。双幅という形式で、左に瓜と蓮、右に柘榴と桃を配したことには、構図上および意味上の対比や調和が意図されていた可能性があり、例えば、水辺のモチーフ(瓜、蓮)と陸のモチーフ(柘榴、桃)、あるいはそれぞれの果実が持つ吉祥性のバランスなどが考慮されたかもしれません。これらの吉祥性は、茶の湯の席における祝意を表すためにもふさわしいものであったでしょう。
* **想定される画面構成と芸術的価値**
趙昌の画風から推測すると、各モチーフは「折枝様式」で、極めて写実的に、かつ生命感豊かに描かれていたと考えられます。絹地に施された彩色は鮮やかで、細部まで丁寧に仕上げられていたことでしょう。例えば、瓜の蔓や葉の生き生きとした伸びやかさ、蓮の花の清浄な気品、柘榴の割れ目から覗く種子の瑞々しさ、桃の柔らかな質感と甘美な色彩などが、趙昌の卓越した筆致によって見事に表現されていたと想像されます。
左幅の瓜と蓮は夏を、右幅の柘榴と桃は秋と春を示唆し、双幅全体で季節の移ろいや生命の循環を表す壮大な構成であった可能性も考えられます。このような構成は、茶の湯の席において、自然の摂理や宇宙観といった深遠なテーマを想起させる効果も持ち得たでしょう。
これらの要素から、「菓子図」は単に果物を描いた静物画ではなく、高度な技術と深い象徴性に裏打ちされた、北宋宮廷画院の精華を示す一級の芸術作品であったと推測されます。『山上宗二記』で「茶の湯の絵の頂上」と評されたことは、その芸術的価値の高さを何よりも雄弁に物語っています [4]。
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戦国時代の「菓子」概念と茶の湯における「菓子の絵」
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日本の古語において「菓子」は元来、果物や木の実を指す「果子」であり、1603年刊行の『日葡辞書』においても "Quaxi(クワシ)" は「果実、特に食後の果物を言う」と説明されています
12
。水菓子という言葉はその名残です。奈良時代には加工された「唐菓子」も登場しますが、果物も依然として菓子の中心でした
12
。茶の湯の席で用いられた「菓子の絵」という呼称は、主に果物を描いた絵画を指していたと考えられ、これは当時の「菓子=果物」という認識と合致しています。 茶の湯で供される菓子も、初期には栗や果物などが用いられており
13
、絵画の主題としての「菓子」も自然なものであったと考えられます。「菓子」の絵が珍重された背景には、単に美しい果物を描いた絵というだけでなく、茶席で供される「菓子」そのものへの関心と、その菓子を最高の形で(=名画として)表現することへの美意識があったのではないでしょうか。また、唐物である趙昌の絵に描かれた果物は、異国の珍しい果物、あるいは理想化された果物の姿として、特別な価値を持っていた可能性があります。
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茶会記に見る「菓子の絵」の重要性
『山上宗二記』では、掛物の序列において「菓子の絵」を圓悟の墨蹟に次ぐものとし、「茶の湯の絵の頂上」とまで評しています
4
。これは、当時の茶人たちの間で「菓子の絵」が極めて高く評価されていたことを示します。この最高位評価は、単に絵画としての美しさだけでなく、茶の湯の空間における精神的な役割、すなわち主客の心を通わせ、一期一会の場を荘厳する道具としての機能が極めて高かったことを示しています。趙昌の写実性と伝神の技が、その役割を最大限に引き出したと考えられます。 『松屋会記』にも天文11年(1542年)に「菓子の絵」が茶会で使用された記録があり、その彩色豊かであった可能性が示唆されています
4
。 「菓子の絵」が墨蹟に次ぐ高い評価を得ていたことは、戦国時代の茶の湯における美意識の多様性を示しています。禅の精神性を象徴する墨蹟と並び、写実的で色彩豊かな花果図が重んじられたのは、唐物への憧憬と、生命感あふれる自然美への賛美が背景にあったと考えられます。茶の湯の空間において、掛物は席のテーマや亭主の思想を象徴する重要な要素であり、「菓子の絵」が頂点とされたのは、それが持つ吉祥性、異国情緒(唐物としての価値)、そして何よりも趙昌のような名手による高度な写実性と芸術性が、茶席の精神的な深まりと美的感興を高めるものとして認識されていたからでしょう。
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『天王寺屋会記』には、元亀元年(1570年)、織田信長が堺の有力商人であり茶人でもあった津田宗及から、趙昌筆の「菓子の絵」を召し上げた(入手した)と記録されています
15
。この記述は、信長が趙昌筆の「菓子の絵」を所有していた直接的な証拠となります。 信長が当代随一の茶人である津田宗及から「菓子の絵」を召し上げた行為は、単なる美術品収集に留まらず、茶の湯の世界における最高の価値を持つものを手中に収めることで、文化的な覇権をも握ろうとする信長の強い意志の表れであると言えます。これは、武力だけでなく文化の力をも利用した天下統一戦略の一環と見ることができます。津田宗及は当代屈指の茶人であり、彼が所蔵していた趙昌筆「菓子の絵」は名物中の名物であったはずです。信長がこれを「召し上げた」という行為は、経済力だけでなく、文化的な覇権をも握ろうとする信長の野心を示していると同時に、堺の豪商との結びつきを強め、経済的・文化的なネットワークを掌握する上でも重要な意味を持ったと考えられます。
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信長は茶の湯を奨励し、名物茶道具や唐物絵画を積極的に収集しました
17
。これらは自身の権威の象徴であると同時に、家臣への褒賞としても用いられ、政治的な道具としての側面も持ちました
25
。ルイス・フロイスの『日本史』にも、信長が著名な茶の湯の器、良馬、刀剣などを格別愛好したと記されています
18
。 「菓子図」の収集も、信長のこうした唐物名品への強い関心と、それらを通じて文化的な先進性や権力を示そうとする戦略の一環であったと言えます。信長にとって、唐物名品は単なる美術品ではなく、天下布武を進める上でのソフトパワーであり、茶の湯を通じて武将間のコミュニケーションを図り、名物を与えることで忠誠心を高め、自らの文化的な優位性を示すという文脈の中で、「菓子図」もまた重要な役割を果たしたと考えられます。
史料名
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記述年代(西暦)
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関連人物
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作者情報
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形態・材質
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描かれたモチーフ
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入手・所蔵経緯
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焼失に関する記述
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特記事項(評価など)
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典拠
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(ユーザー提供情報)
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戦国時代
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織田信長
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趙昌
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絹地本双幅彩色画
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左絵:瓜・蓮など、右絵:柘榴・桃など
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本能寺の変で焼失
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ユーザー提供情報
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『山上宗二記』
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天正16-18年頃成立(1588-1590年)
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山上宗二、織田信長
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(趙昌筆とは直接言及なしか)
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「菓子の絵」二幅
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(具体的モチーフ記述なし)
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織田信長の時代に滅失
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茶の湯の絵の頂上
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4
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『天王寺屋会記』
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元亀元年(1570年)
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津田宗及、織田信長
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趙昌筆
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「菓子の絵」
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(具体的モチーフ記述なし)
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信長が宗及より召し上げ
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15
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『松屋会記』
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天文11年(1542年)
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(趙昌筆とは直接言及なしか)
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「菓子の絵」
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(具体的モチーフ記述なし)
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彩色豊かと想像される
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4
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*表の価値と必要性についての考察:*この表は、「菓子図」に関する情報を複数の史料から集約し、検証するための基盤となります。各史料が提供する情報を一覧化することで、相互の関連性や情報の補完関係、あるいは相違点(もしあれば)を明確に把握できます。これにより、報告書内で行われる推論や解釈がどの史料に基づいているのかを読者が容易に追跡できるようになり、報告の学術的信頼性が向上します。「菓子図」の作者、形態、モチーフ、所蔵者、運命といった核心情報を整理し、特にユーザー提供情報と各史料の記述を比較することで、伝承の確度や詳細度を検討する材料となります。この表自体が、「菓子図」に関する基礎的な史料情報をコンパクトにまとめたものとなり、今後の研究にとっても有用な参照資料となるでしょう。
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本能寺の変における文化財被害の概況
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の謀反により織田信長が自刃した本能寺の変は、日本の歴史における一大転換点でした
36
。この事件の際、信長が滞在していた京都の本能寺は炎上し、信長自身のみならず、彼が収集した多くの貴重な文物や美術品も灰燼に帰しました
25
。信長は茶会のために多くの名物を本能寺に持ち込んでいたとされ、その中には「珠光小茄子」のような茶入や、「万歳大海」「千鳥(香炉)」「宗達平釜」「紹鴎白天目」「珠光茶碗」など、30点にも及ぶ名物茶道具が含まれていたと記録されています
25
。これらの名品の多くが、この兵火によって永遠に失われたのです。
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「菓子図」焼失の記録と後世への影響
ユーザー提供情報および『山上宗二記』の記述によれば、「菓子図」もまた、この本能寺の変において焼失したとされています
4
。茶の湯の世界で最高峰の評価を得ていた「菓子の絵」が、歴史的大事件の中で、その所蔵者である信長と共に失われたという事実は、この作品の存在を一層伝説的なものとしました。 「菓子図」の焼失は、単に一美術品が物理的に失われたというだけでなく、信長が築き上げようとした文化的権威の一端が崩れ去ったことをも象徴しています。信長にとって美術品は、単なる個人的な趣味の対象ではなく、自身の権力と洗練された文化性を内外に示すための重要なツールでした。その最高峰の一つであった「菓子図」が失われたことは、信長の時代の終焉と、それに続く豊臣秀吉による新たな文化戦略への道を開く一因となったとも解釈できるでしょう。失われたことによる「幻の名画」としての名声は、かえってその価値を後世において高め、茶書などを通じて語り継がれる要因となりました。名品が悲劇的な運命を辿ることは、しばしばその作品の伝説性を高め、後世の人々の関心を強く惹きつけますが、「菓子図」も同様に、焼失したことでかえってその存在が美術史上のミステリアスな名品としての地位を確立したと考えられます。
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失われた名画としての「菓子図」の美術史・文化史上の意義
趙昌筆「菓子図」は、現存しないものの、その存在と伝承は日本の美術史および文化史において重要な意義を持っています。 第一に、北宋絵画の逸品であり、特に趙昌の彩色花果図が日本でどのように受容され、評価されていたかを考える上で、現存しないが故にこそ想像力をかきたてる貴重な作例です。 第二に、戦国時代の茶の湯文化における絵画の役割、特に中国から舶載された「唐物」絵画がどのように評価され、茶席の設えの中でどのような意味を持っていたかを示す具体的な事例を提供します。「菓子の絵」が「茶の湯の絵の頂上」とまで称されたことは、当時の茶人たちの美意識や価値観を理解する上で示唆に富んでいます。 第三に、織田信長という歴史上の重要人物がこの作品を所蔵していたという事実は、彼の美術品収集の質の高さと規模、そして彼の審美眼の一端を伝えるものです。同時に、戦国武将が文化財をどのように権力の象徴として、また外交や内政の道具として活用したかという、より広い文脈の中で「菓子図」を位置づけることを可能にします。 最後に、本能寺の変という歴史的事件による文化財の喪失という悲劇を象徴する存在として、「菓子図」は後世に語り継がれています。失われたからこそ、その美しさや価値について様々な想像がなされ、美術史や文化史において伝説的な名品として、今なお我々の関心を惹きつけてやみません。
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本報告では、中国北宋の画家・趙昌筆とされ、織田信長が所蔵したと伝えられる双幅の彩色画「菓子図」について、関連史料および現存する伝趙昌作品の分析を通じて、その実像と歴史的意義を多角的に考察しました。
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趙昌の卓越した写実技法と対象の生命力を捉える「伝神」の追求、そして「折枝様式」による構成、さらには描かれた瓜・蓮・柘榴・桃といったモチーフが持つ豊かな吉祥性が、「菓子図」を単なる果物の絵ではなく、北宋宮廷絵画の精華を示す一級の芸術作品たらしめていたと推測されます。
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日本においては、特に戦国時代の茶の湯文化の中で「菓子の絵」として最高峰の評価を受け、織田信長が堺の豪商・津田宗及から入手したという記録は、信長の権力と文化的志向を象徴する出来事と言えます。
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しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変において、信長と共にこの名画も焼失したと伝えられています。この悲劇的な運命は、「菓子図」を幻の名画として後世に語り継がせる要因となり、その美術史・文化史上の価値を一層高める結果となりました。
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「菓子図」は、現存しないものの、その存在は当時の日中文化交流、戦国武将の美術品に対する価値観、茶の湯の精神性、そして歴史の激動期における文化財の儚さを理解する上で不可欠な鍵と言えます。今後、未発見の史料の出現や、関連する美術作品の更なる研究を通じて、「菓子図」に関する我々の理解がより深まることが期待されます。例えば、中国絵画史において同様の吉祥的モチーフが描かれた作例の詳細な比較研究や、戦国期から安土桃山期にかけての他の失われた名画に関する記録の再検討などが、今後の研究課題として挙げられるでしょう。
引用文献
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yamagata.repo.nii.ac.jp
https://yamagata.repo.nii.ac.jp/record/1184/files/kiyouh-17-1-001to019.pdf
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林檎花図 伝 趙昌筆 | 絵画 - コレクション - 荏原 畠山美術館
https://www.hatakeyama-museum.org/collection/picture/000019.html
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【1089ブログ】常盤山文庫の逸品「茉莉花図」 - 東京国立博物館 ...
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2023/09/14/TokiwayamaBunko-3/
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表千家不審菴:茶の湯の菓子:利休以前の菓子
https://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_8_1b.html
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1089ブログ - 東京国立博物館
https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2018/08/29/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%9B%B8%E7%94%BB%E7%B2%BE%E8%8F%AF_%E7%AB%B9%E8%99%AB%E5%9B%B3/
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唐宋元集繪冊宋趙昌壽帶榴花- 故宮
https://digitalarchive.npm.gov.tw/Collection/Detail/15785?dep=P
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絵画|林檎花図(伝 趙昌筆)[畠山記念館/東京] - WANDER 国宝
https://wanderkokuho.com/201-00133/
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中国陶磁の意匠にみられる意味と造形の連環をめぐって - 東京国立博物館 研究情報アーカイブズ
https://webarchives.tnm.jp/research/details?id=1314
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中国玉のデザインとその象徴的意味 鉱物たちの庭
https://lapisps.sakura.ne.jp/column/yudesign.html
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来禽図 翎毛と花果が奏でるハーモニー - 國立故宮博物院
https://theme.npm.edu.tw/exh108/Birds/jp/page-1.html
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特別展「大名と菓子 -百菓繚乱-」を開催します - 彦根市
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第1章 駆け足でたどる和菓子の歴史 - 国立国会図書館
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北政所・寧々とおもてなしの菓子 | 歴史上の人物と和菓子 | 菓子資料室 虎屋文庫 | とらやについて
https://checkout.toraya-group.co.jp/blogs/bunko-historical-personage/bunko-historical-personage-231
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kpu.repo.nii.ac.jp
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本/四百年生きた名物茶道具-山内宗二記にみる茶の湯のすがた/利休 ...
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The Tokugawa Art Museum - 展覧会 - 名古屋・徳川美術館
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「彼は美しい贈り物を携えた者だけに会見を許した」…織田信長の心をつかみとれ! 戦国武将たちの“贈り物合戦” | 文春オンライン
https://books.bunshun.jp/articles/-/8236
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唐物茶壺 銘 松花 | 茶の湯の名品 | 平成27年 | 特別展・企画展 | 展示 | 名古屋・徳川美術館
https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2015/0919/09/
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日本のお茶・茶道・茶の湯の歴史を簡単にわかりやすく解説
https://tabunka.carreiraenglish.com/history-cha/
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血で血を洗う戦国時代。織田信長ら武将たちが、茶の湯にはまった3つの理由 - 和樂web
https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/73672/
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荒っ削りのコレクター「池長孟(いけながはじめ)」 - 長崎市
https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken/hakken1701/index.html
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本能寺の変、大坂夏の陣。焼けても、割れても復活する奇跡の茶入「つくも茄子」の物語 - 和樂web
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/154983/
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東アジアからみた中国美術史学 - researchmap
https://researchmap.jp/marochina/published_papers/24606311/attachment_file.pdf
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織田信長の茶会/ホームメイト - 刀剣ワールド
https://www.touken-world.jp/tips/117556/
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大切な写真が スマホPCに 眠っていませんか 写真による肖像画制作をご依頼下さい。 鮮明な色がご子孫の代まで褪せません。
https://www.shouzou.com/mag/mag2.html
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ルイス・フロイス|西野圭果 - note
https://note.com/alpine110/n/n3288e3388475
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城下町金沢学術研究2
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/22/kanazawajouka2-s.pdf
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ルイス・フロイスの描く織田信長像について
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/8167/files/shigakukahen41_049-076.pdf
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第 27 集 - 共愛学園前橋国際大学短期大学部
https://jc.kyoai.ac.jp/library/wp/wp-content/uploads/2023/03/kiyou27.pdf
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【歴史Navi:日本史 最近の発掘・発見】とうほう - 東京法令出版
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本書全体のダウンロード(46MB) - 国文学研究資料館
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安土城復元研究の過去・現在・未来 - 滋賀県
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本能寺の変 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89
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織田信長が所有していたという茶入「こなすひ」(珠光小茄子)について以下のことが知りたい。(1)絵(写... | レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000103229
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山上宗二記 (現代語でさらりと読む 茶の古典) | 竹内順一 |本 | 通販 | Amazon
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織田信長公遺品 「焼け兜」 - 興聖山 總見院
http://soukenin.jp/2_jihou/
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信長の装置43~名物茶会と現存する名物と - 長崎ディープ ブログ
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