最終更新日 2025-06-01

朱漆塗仏二枚胴

朱漆塗仏二枚胴

戦国期における朱漆塗仏二枚胴の研究

1. 序論

1.1. 「朱漆塗仏二枚胴」の定義と本報告書の目的

「朱漆塗仏二枚胴(しゅうるしぬりほとけにまいどう)」とは、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけて製作された当世具足(とうせいぐそく)の一形式である。具体的には、胴の表面が漆によって滑らかに仕上げられ、仏像の胴体のように継ぎ目が目立たない「仏胴(ほとけどう)」を、胴の前後を二分割し、主に左脇を蝶番(ちょうつがい)で繋ぎ、右脇で引き合わせる「二枚胴(にまいどう)」の構造とし、全体を朱色の漆で塗装したものを指す 1。彦根城博物館所蔵の井伊直政所用と伝えられる鎧は、この朱漆塗仏二枚胴の代表的な作例として知られている 4。

本報告書は、この「朱漆塗仏二枚胴」に焦点を当て、その構造的特徴、主要な材質、製作に関わる諸技法、成立の歴史的背景、そしてそれが有する文化的意義について、現存する代表的な作例、特に井伊直政所用と伝えられる具足を中心に据え、関連する文献史料及び国内外の比較作例の分析を通じて、多角的に解明することを目的とする。

1.2. 戦国時代における甲冑の重要性と当世具足の登場

戦国時代は、日本の歴史上、戦闘様式が劇的に変化した画期であった。それまでの騎馬武者による弓射を中心とした戦闘から、鉄砲や槍を主要武器とする足軽を含めた集団による徒歩戦術へと移行した 6。この変化は、武士が身に纏う甲冑のあり方にも大きな影響を及ぼし、従来の甲冑に比べてより高い防御性能と、集団行動を阻害しない優れた機動性の両立が求められるようになった。

このような時代の要請に応える形で、室町時代末期に登場し、安土桃山時代にかけてその形式を確立したのが「当世具足」である 3 。当世具足は、身体のあらゆる部位を隙間なく覆うことを目指し、籠手(こて)、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)といった小具足(こぐそく)が著しく発達し、胴と一体化する傾向を見せたのが大きな特徴である 3

当世具足の出現と発展は、単に武具の技術的な進化として捉えられるだけでなく、戦術の変化、武器の革新(特に鉄砲の登場とその威力の増大)、そしてそれに伴う武士の身体意識や戦闘観の変化といった、複合的な要因が深く絡み合った結果であると考えられる。朱漆塗仏二枚胴もまた、この大きな歴史的潮流の中で、特定の機能的要請(対鉄砲防御、運動性確保)と美的・思想的要請(威厳の表示、部隊識別、加護の希求など)を満たすために生み出された甲冑の一形態であったと言えるだろう。この甲冑を理解するためには、これらの複合的な要因を総合的に考察する必要がある。

2. 「朱漆塗仏二枚胴」の構造的特徴

2.1. 仏胴(ほとけどう):形態、材質、製作技法

仏胴は、当世具足の胴の一種であり、その名の通り、胴の表面に矧板(はぎいた)の繋ぎ目や鋲頭(びょうがしら)などがほとんど見られず、あたかも仏像の胸部のように滑らかで一体的に見える形状を特徴とする 1。この様式は、桃山時代から江戸時代初期にかけて特に流行したとされる 5。

その材質は、主に鉄が用いられた 1 。鉄板を主要素材とすることで、従来の小札(こざね)を革や糸で綴じ合わせて製作された甲冑に比べて格段に堅牢性が増し、特に戦国後期に戦場での主要武器となった鉄砲の銃弾に対する防御力の向上が期待された 5

仏胴の製作技法には、いくつかのバリエーションが存在する。一つは、胴の前面と後面をそれぞれ一枚の大きな鉄板から打ち出して成形する方法である 1 。もう一つは、複数の鉄板(矧板)を巧妙に繋ぎ合わせ、その表面を平滑に仕上げる方法であり、彦根城博物館所蔵の井伊直政所用と伝えられる朱漆塗仏二枚胴は、「矧板を複数枚繋いだ仏胴」と記録されている 4 。さらに、桶側胴(おけがわどう)と呼ばれる、短冊状の鉄板を縦に繋ぎ合わせて桶の側面のように仕立てた胴の繋ぎ目を、漆や下地材で丁寧に埋めて表面を平滑に見せる技法も存在し、これらは「塗上仏胴(ぬりあげほとけどう)」や、表面を革や織物で包んで仕上げた「包仏胴(つつみほとけどう)」などと呼ばれる 1

仏胴の生命線である滑らかな表面を実現するためには、矧ぎ合わせる場合の継ぎ目の高度な処理技術(鍛接や、鋲留めの場合には鋲頭を完全に平らに打ち潰す技術など)と、その上を覆う漆下地による徹底した平滑化、そして最終的な研磨が不可欠であったと考えられる 12 。この製作には、単に鉄板を成形する鍛冶技術だけでなく、複数の鉄板を継ぎ目なく見せるための精密な加工と接合技術、そして漆下地によって完璧な曲面を作り出す高度な漆芸技術の融合が要求された。これは、当時の武士の美的感覚の高まりと、防御力向上という実用的な要求が結びついた結果と言えるだろう。「仏」の名を冠する以上、単なる平滑さだけでなく、ある種の神聖さや荘厳さを追求した美的意識の表れとも考えられる。

2.2. 二枚胴(にまいどう):構造、蝶番の役割、着装方法

二枚胴は、当世具足の胴の形式の中で最も一般的なものの一つであり、胴を前胴(まえどう)と後胴(うしろどう)の二つの部分に分け、通常は左脇を蝶番(ちょうつがい)で連結し、右脇で引き合わせて着用する構造を持つ 2。この形式は、特に鉄板などの硬質の素材で作られた板物製(いたものせい)の胴において広く採用された 8。

蝶番の導入は、二枚胴の機能性を飛躍的に高める上で極めて重要な役割を果たした。伝統的な小札製の甲冑が、個々の小札を紐で綴じ合わせることで柔軟性を持っていたのに対し、鉄板で構成される板札の鎧はそれ自体に柔軟性がないため、そのままでは身体に装着したり、脱いだりすることが非常に困難であった 3 。そこで、胴本体をいくつかの部分に分割し、それらを蝶番で繋ぐことによって、堅牢性を保ちつつも開閉を可能にし、着脱を容易にするとともに、着用者の身体へのフィット感を向上させたのである 2

二枚胴の着装は、まず左脇の蝶番を軸として胴を開き、身体に当てがった後、右脇に設けられた引合緒(ひきあわせのお)と呼ばれる紐を結び合わせることで固定された 2 。蝶番という比較的小さな部品が、甲冑全体の構造と機能に大きな影響を与え、戦国時代の激しい戦闘における武士の活動を支えたと言える。これは、防御力と実用性、さらには生産性のバランスを追求した結果であり、五枚胴など他の多枚数構成の胴に比べて構造が比較的単純であるため、戦国時代の動員兵力の増加とそれに伴う武具の需要増に対応するための合理的な選択であったとも考えられる 3

2.3. 朱漆塗(しゅうるしぬり):技法、顔料、耐久性、歴史的意義

甲冑に施される漆塗りは、単に美しい色彩を与える装飾的な目的だけでなく、金属部分の防錆、革部分の防腐・強化、そして甲冑全体の耐久性を向上させるという実用的な機能を併せ持っていた 16。その工程は、まず素地となる鉄や革の表面を調整する下地処理から始まる。これには、凹凸を埋めて平滑な塗面を作るために、刻苧(こくそ:漆と木の粉や繊維などを練り合わせたもの)や錆漆(さびうるし:漆と砥の粉を練り合わせたもの)を施したり、麻布や和紙を漆で貼り重ねたりする技法が用いられた 13。その後、中塗り、上塗りと漆を塗り重ね、各工程の間に十分な乾燥と研磨が行われ、最終的に深みのある光沢を持つ強靭な塗膜が形成された。

朱漆の鮮やかな赤色を発色させるための顔料としては、主に辰砂(しんしゃ:硫化水銀)や弁柄(べんがら:酸化第二鉄)が用いられた 21 。辰砂は非常に鮮明で美しい朱色を出すことができるが、高価な顔料であった。室町時代末期から安土桃山時代にかけて、中国から辰砂が大量に輸入されるようになり、甲冑のような比較的大型の工芸品にも使用される道が開かれた 21

漆塗膜は、その優れた耐久性によって古来より重用されてきた。特に耐水性に優れ、塩水に対しても強い耐性を示すほか、ある程度の耐熱性も有している 18 。出土品の中には、金属部分が朽ち果てても漆塗膜だけが形状を保って残存する例もあるほど、漆は強靭な素材である 18 。鎧兜に漆が広範に用いられたのは、こうした漆の持つ卓越した耐久性と保護機能によるところが大きい 18

戦国時代において朱色は、単なる色彩以上の特別な意味を持つ色であった。武勇や精強さ、あるいは高揚感を象徴し、戦場においては敵に対する威嚇効果や、自軍の識別を容易にするマーカーとしての役割も果たした 23 。特に「赤備え(あかぞなえ)」と呼ばれる、部隊の甲冑や旗指物などを朱色で統一した軍団は、その精強さで知られ、敵に大きな脅威を与えた 23 。朱漆塗りの甲冑は、こうした赤備え部隊の象徴であり、着用者の武勇や部隊の威信を示すステータスシンボルでもあったと考えられる。高価な顔料と手間のかかる塗装工程を経て製作される朱漆塗りの甲冑を装備することは、その武将や大名の経済力と軍事力を誇示する行為でもあったと言えるだろう。

3. 歴史的背景と代表的作例:井伊直政所用「朱漆塗仏二枚胴具足」

3.1. 戦国時代の合戦と甲冑の変遷

戦国時代の合戦は、鉄砲という新兵器の登場と普及によって、その様相を大きく変えた。従来の小札や革を主材料とした甲冑では、銃弾の衝撃を防ぎきれなくなったため、より堅牢な防御力を持つ鉄板を多用した甲冑、すなわち当世具足が急速に発展した 5。仏胴もまた、このような対鉄砲防御の必要性から生まれた、あるいは進化した胴形式の一つと考えられる。

しかし、防御力を高めるために鉄の使用量が増えれば、必然的に甲冑の重量も増加する。集団戦術が主流となった戦国時代の戦場では、個々の兵士の敏捷な動きが勝敗を左右することも少なくなかったため、甲冑には防御力と同時に軽量化と身体へのフィット感による運動性の確保も強く求められた 7 。記録によれば、当世具足の平均的な重量は10kgから15kg程度、より重装のものでも20kgから30kg程度であったとされ、これは着用者の身体的負担を考慮した結果であったと言える 30

このような実用性の追求は、甲冑の各部の構造にも反映された。例えば、彦根城博物館所蔵の井伊直政所用と伝えられる朱漆塗仏二枚胴具足に見られる袖と籠手の一体化は、腕の動きやすさと防御範囲の確保を両立させるための工夫であり 4 、草摺(くさずり)の形状や分割数の変化なども、実戦における運動性を考慮した改良の現れである 2

戦国時代の甲冑の進化は、攻撃兵器(特に鉄砲)の威力増大と、それに対応するための防御技術の革新という、いわば「矛と盾」の関係性を如実に示している。朱漆塗仏二枚胴は、鉄板の使用と滑らかな表面形状(これは銃弾を滑らせて威力を軽減する「避弾経始」の効果を意図した可能性も指摘されるが、甲冑における明確な効果については更なる検証が必要である 11 )による防御力、二枚胴構造や軽量化への配慮による機動性、そして朱漆による視覚的効果と識別性といった要素を高度にバランスさせた、当時の最先端技術の結晶の一つであったと言えるだろう。

3.2. 彦根城博物館所蔵「朱漆塗仏二枚胴具足」(伝 井伊直政所用)の詳細

彦根城博物館が所蔵する「朱漆塗仏二枚胴具足」は、徳川四天王の一人であり、初代彦根藩主である井伊直政(1561-1602)が、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦において着用したと伝えられている、日本甲冑史研究において極めて重要な作例である 4。この具足は滋賀県の指定有形文化財であり、桃山時代の製作とされ、胴高は37.0cmを測る 4。

構造的特徴としては、まず兜は頭形(ずなり)と呼ばれる、頭部の形状に沿ったシンプルな形式で、鉄板を矧ぎ合わせて作られている。特筆すべきは、兜に立物(たてもの)を立てるための角元(つのもと)と呼ばれる部品が見られない点であり、これはこの具足がまだ形式の定まらない過渡期のものである可能性、あるいは実戦における機能性を優先した結果である可能性を示唆している 4

胴は、本報告書の主題である仏胴であり、複数の矧板を繋ぎ合わせて製作されている 4 。小具足に目を転じると、袖と籠手が一体化された構造となっており、これは腕部の防御と運動性を両立させるための工夫と考えられ、実戦を強く意識した仕様であると言える 4

材質と色彩については、全体が鮮やかな朱漆で塗られているのが最大の特徴である。ただし、元来は黒糸で威(おど)されていたと伝えられており 5 、現在の朱漆と黒糸の組み合わせが製作当初からのものか、あるいは後世の修理や改変によるものかについては慎重な検討が必要である。

井伊直政との具体的な関連については、関ヶ原の合戦で直政がこの具足を着用し、その際に島津軍の銃撃により右肘(あるいは右脇とも)に被弾、負傷したという逸話が残されている 41 。この具足は、まさに直政の勇猛果敢な戦いぶりと、「井伊の赤鬼」と恐れられた彼の異名を象徴する遺品として、後世に語り継がれている。この甲冑は、著名な武将が実戦で使用した可能性が極めて高いという点で、歴史資料としての価値が非常に高い。兜に角元がない点や、袖と籠手の一体化といった特徴は、当時の甲冑が実用性を極限まで追求したデザインであったこと、あるいは特定の様式が確立する以前の過渡的な形態であった可能性を示唆しており、甲冑の変遷を考える上で重要な手がかりを提供する。

3.3. 「井伊の赤備え」と朱漆塗甲冑

「赤備え」とは、甲冑や旗指物などの武具一切を赤色(主に朱色)で統一した部隊編成のことを指す。戦国時代において、この赤備えは特に武勇に優れた精鋭部隊の象徴とされた。その起源は、甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌(おぶとらまさ)が率いた部隊に遡るとされ、後に山県昌景(やまがたまさかげ)がこれを継承し、武田軍最強部隊の一つとしてその名を轟かせた 25。

武田氏滅亡後、徳川家康は武田家の旧臣たちを保護し、その一部を井伊直政の配下とした。そして、家康は直政に対し、武田軍の赤備えの伝統を継承するよう命じたと伝えられている 25 。これ以降、井伊家の軍団は「井伊の赤備え」として知られるようになる。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにおいて、朱色の甲冑に身を固めた井伊直政とその部隊は勇猛果敢な戦いぶりを見せ、敵方から「井伊の赤鬼」と恐れられるほどの活躍を示した 25 。この赤備えの伝統は、彦根藩となってからも受け継がれ、足軽に至るまでその武具が赤で統一され、幕末まで続いたとされている 25

赤備えにおいて朱漆塗の甲冑が果たした役割は多岐にわたる。まず、戦場において部隊全体の統一性を視覚的に高め、敵味方の識別を容易にするという実用的な利点があった。また、鮮烈な朱色は敵に対して威圧感を与え、味方の士気を高揚させる心理的効果も期待された 25 。井伊直政の象徴的な甲冑として知られる朱漆塗仏二枚胴は、まさにこの「井伊の赤備え」を代表する装備であったと言える。

赤備えで用いられた甲冑の種類は、必ずしも仏胴や二枚胴に限定されるものではなく、例えば桶側胴なども使用された例が確認されている 24 。しかし、井伊家の「赤備え」は、単なる色彩の統一に留まらず、武田軍の強さの継承、徳川家中における井伊家の特別な地位、そして部隊全体のブランド化といった多層的な意味合いを担っていたと考えられる。その中で、朱漆塗仏二枚胴は、部隊の象徴的アイコンとして機能したと言えるだろう。足軽に至るまで赤で統一したという事実は、装備の規格化とある程度の大量生産の必要性を示唆しており、高価な顔料であった辰砂 21 の調達方法や、効率的な朱漆塗りの技法、あるいは武将と足軽で漆の質や塗りの工程に差異を設けるといった工夫がなされた可能性も考えられる。

表1:「赤備え」主要部隊の甲冑様式比較

部隊名

活動年代

甲冑の基本色

胴の形式の例

兜の形式の例

足軽の装備統一

関連スニペットID

武田軍飯富・山県隊

戦国時代(16世紀)

不明(当世具足)

不明

不明

25

井伊家(井伊直政)

桃山~江戸初期

仏二枚胴 4 、桶側胴 24

頭形兜 4

あり 25

4

真田家(真田幸村)

大坂の陣前後

当世具足(具体的な胴形式は諸説あり)

鹿角脇立兜など

あり 25

25

この表は、「赤備え」と称された部隊が用いた甲冑の様式について、現存資料や伝承から推測される情報をまとめたものである。井伊家の朱漆塗仏二枚胴が、「赤備え」という大きな枠組みの中でどのような特徴を持ち、他の赤備え部隊の装備とどのような共通点や相違点があったのかを比較検討する一助となる。

4. 類例との比較研究

「朱漆塗仏二枚胴」の理解を深めるためには、同時代およびそれに続く時代の類似作例との比較検討が不可欠である。ここでは、国内の主要博物館に所蔵される関連甲冑、および海外コレクションに見られる作例を概観し、それらの製作技法や意匠に見られる時代的・地域的特色について考察する。

4.1. 国内主要博物館所蔵の関連甲冑

日本国内には、「朱漆塗仏二枚胴」に関連する注目すべき甲冑がいくつか現存している。

まず、本報告書の中心作例である彦根城博物館所蔵「朱漆塗仏二枚胴具足」(伝 井伊直政所用) 4 は、桃山時代の作とされ、その歴史的背景と構造的特徴は既に詳述した通りである。同博物館には、井伊直政の子である直孝所用と伝えられる**「朱漆塗桶側二枚胴具足」**も所蔵されており、仏胴ではなく桶側胴である点が比較対象として興味深い 42。

**東京国立博物館所蔵の「仁王胴具足」**は、安土桃山時代・16世紀の作で、鉄板を打ち出して裸の仁王の肉体を写実的に表した胴が朱漆で塗られ、兜には獣毛を植えた野郎頭(やろうがしら)という奇抜な意匠を持つ 3 。これは厳密には仏胴とは異なるが、同じ朱漆塗で人体を意識した立体的な造形という点で、仏胴の「仏」の身体性への意識と比較考察する上で貴重な作例である。

山形県鶴岡市の**致道博物館には、「朱塗黒糸威二枚胴具足」(伝 酒井忠次所用)**が所蔵されている 47 。これも桃山時代の作で、徳川四天王の一人である酒井忠次が用いたと伝えられる。簡素ながら実用本位の作りで、全体が朱漆で仕上げられている。

また、**銀座長州屋によって紹介された「鉄朱漆塗日輪文仏二枚胴 附籠手一双」**は、江戸初期の作とされ、足軽が着用した可能性が指摘されている点で注目される 48 。胴は打ち出しの二枚胴で、朱漆が施されている。

文化遺産オンラインで公開されている情報の中にも、関連する作例が見られる。佐賀県には桃山時代から江戸初期にかけての**「錆色塗紺糸威仏二枚胴具足」 があり、仏胴に桃形兜(ももなりかぶと)を組み合わせた九州地方特有の様式を示している 5 。また、直江兼続所用と伝えられる文禄慶長年間の 「浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足」**は、二枚胴ではあるが錆色塗であり、色彩のバリエーションを示す例として参考になる 49

4.2. 海外コレクションに見る作例

日本の甲冑は海外でも高く評価されており、いくつかのコレクションに「朱漆塗仏二枚胴」に関連する可能性のある作例が確認できる。

イタリアの**Fondazione Musei Civici di Venezia(ヴェネツィア市立美術館群、フォルトゥーニ美術館)**のコレクションには、桃山時代から江戸初期にかけての作とされる朱漆塗りの鎧が複数含まれている。特に注目されるのは、**Inv. LKNI0118「Nimai-dô gusoku」(二枚胴具足) Inv. LKNI0137「Nuinobe-dô gusoku」(縫延胴具足) であり、いずれも朱漆が施され、井伊家との関連が示唆されている 50 。また、同コレクションの Inv. LKNI0142「Hotoke-dô gusoku」(仏胴具足)**は江戸中期の作例であるが、二枚胴で金銀象嵌を模倣した漆仕上げが施されており、仏胴の多様性を示す 50

東京富士美術館 にも、江戸時代初期から中期にかけての**「Suit of Armor in Red Lacquered Okegawa Nimaido Gusoku Style」(朱漆塗桶側二枚胴具足様式)**が所蔵されている 51

オークションハウスである Sotheby's の出品記録には、兜は桃山時代から江戸初期、鎧本体は江戸時代17世紀とされる**「An armour (nimai-do gusoku) and a helmet (kabuto)」**が見られる。この作例では、兜は朱漆で日輪文が描かれ、胴は黒漆塗であるが、佩楯には朱漆で日輪文が施されており、朱漆の使用箇所や意匠のバリエーションを知る上で参考になる 52

THE FUTAGO COLLECTION には、桃山時代から江戸初期にかけての**「Hotoke Nimai-Do Gusoku」**が所蔵されている。名称に「Hotoke」とあるものの、構造は鉄製の黒漆革包みの二枚胴であり、朱漆は用いられていない。これは「仏胴」という名称が、必ずしも滑らかな一枚板風の胴だけでなく、特定の様式や印象を指して用いられる可能性を示唆する 53

4.3. 製作技法・意匠に見る時代的・地域的特色の比較

これらの国内外の作例を比較検討することで、「朱漆塗仏二枚胴」および関連する甲冑の製作技法や意匠に見られる時代的、あるいは地域的な特色が浮かび上がってくる可能性がある。

まず、 仏胴の製作技法 については、一枚の鉄板から打ち出したものか、複数の矧板を接合したものか、あるいは桶側胴の継ぎ目を消して製作したものか、といった構造の違いが考えられる。彦根城博物館所蔵の井伊直政所用鎧は「矧板を複数枚繋いだ仏胴」とされており 4 、この具体的な接合方法や表面仕上げの技術を、他の仏胴作例(例えば、より滑らかな一枚板風に見えるものや、桶側胴からの加工が明らかなもの 1 )と比較することが重要である。

次に、 二枚胴の構造 においては、蝶番の数や取り付け位置、右脇の引合せ部分の処理方法などに差異が見られる可能性がある。これらの違いは、製作年代や製作者の系統、あるいは実用上の要求によるものかもしれない。

朱漆の色調と顔料 も比較のポイントとなる。使用された顔料が辰砂か弁柄か、あるいはそれらの混合かによって、色調の鮮やかさや深みが異なる。また、経年変化による色調の退色や変色、漆塗膜の保存状態も、作例ごとに詳細に観察する必要がある。

さらに、兜の形状、立物の種類や有無、威毛(おどしげ)の色や素材、金物の意匠といった 装飾的要素 も、時代や製作者、注文主の嗜好を反映する重要な手がかりとなる。例えば、井伊直政所用の鎧は当初黒糸威であったとされ 5 、致道博物館所蔵の酒井忠次所用の鎧は金箔押しの鹿角脇立を備えている 47

これらの比較を通じて、現存する朱漆塗仏二枚胴および関連する作例を多角的に分析することで、製作年代による様式の変遷、製作者の流派や工房による技術的特徴、さらには注文主である武将の個人的な嗜好や社会的地位による差異などが明らかになる可能性がある。特に「仏胴」の具体的な製作技法(矧板の処理、一枚板の打出し、表面の仕上げ)と、「朱漆」の質(顔料の種類、塗りの層の厚み、光沢の有無など)は、個々の甲冑の品質や価値を評価する上で極めて重要なポイントとなるであろう。

表2:主要な「朱漆塗仏二枚胴」及び関連甲冑の比較一覧

名称

年代

所蔵(国/機関)

形式(仏胴/その他、何枚胴)

材質(胴主材)

朱漆の有無・状態(わかる範囲)

主要な特徴(伝来、装飾など)

典拠スニペットID

朱漆塗仏二枚胴具足

桃山時代

日本/彦根城博物館

仏胴(矧板繋ぎ)、二枚胴

あり(全体朱漆塗)

伝井伊直政所用、関ヶ原合戦着用、袖籠手一体、元黒糸威

4

朱漆塗桶側二枚胴具足

桃山~江戸初期

日本/彦根城博物館

桶側胴、二枚胴

あり

伝井伊直孝所用

42

仁王胴具足

安土桃山時代・16世紀

日本/東京国立博物館

仁王胴(鉄板打出し肉体表現)、二枚胴

あり(胴背面等)

奇抜な造形、兜は獣毛植え野郎頭

3

朱塗黒糸威二枚胴具足

桃山時代

日本/致道博物館

二枚胴(仏胴か不明)

不明(鉄か)

あり(全体朱漆塗)

伝酒井忠次所用、実用本位、筋兜、金箔鹿角脇立

47

鉄朱漆塗日輪文仏二枚胴

江戸初期

日本/銀座長州屋紹介

仏二枚胴(打出し)

あり(胴、日輪文は金粉)

足軽着用の可能性、日輪文

48

錆色塗紺糸威仏二枚胴具足

桃山~江戸初期

日本/佐賀県(詳細不明)

仏胴、二枚胴

不明(鉄か)

なし(錆色塗)

桃形兜

9

Nimai-dô gusoku (Inv. LKNI0118)

桃山~江戸初期

イタリア/ヴェネツィア市立美術館群

二枚胴

不明(鉄か)

あり

井伊氏関連の可能性、金色の角を持つ兜

50

Nuinobe-dô gusoku (Inv. LKNI0137)

桃山~江戸初期

イタリア/ヴェネツィア市立美術館群

縫延胴

不明(鉄か)

あり

井伊直政関連の可能性、漢字装飾

50

Hotoke-dô gusoku (Inv. LKNI0142)

江戸中期

イタリア/ヴェネツィア市立美術館群

仏胴、二枚胴

不明(鉄か)

あり(金銀象嵌模倣の漆)

縦の畝、高品質な漆仕上げ

50

Suit of Armor in Red Lacquered Okegawa Nimaido Gusoku Style

江戸初期~中期

日本/東京富士美術館

桶側胴、二枚胴

鉄、革、漆他

あり

51

この一覧表は、現存する「朱漆塗仏二枚胴」および関連する甲冑の多様性と共通性を概観するための一助となる。個々の作例のより詳細な分析を通じて、製作技術や注文主の意図、さらには当時の美意識や社会的背景に関する深い考察が可能となるであろう。

5. 製作技法に関する詳細考察

「朱漆塗仏二枚胴」の製作には、当時の最先端の金属加工技術と漆芸技術が投入されていたと考えられる。ここでは、鉄板の加工、仏胴特有の表面仕上げ、そして朱漆塗りの各工程について、より詳細な考察を行う。

5.1. 鉄板の鍛造・打出しと成形技法

戦国時代の甲冑が鉄砲という新たな脅威に対抗するために、その主たる素材を鉄へと移行させていったことは既に述べた通りである 7。仏胴のような、滑らかで複雑な三次元曲面を持つ形状を鉄板で実現するためには、高度な鍛造技術と打出しの技法が不可欠であった。特に、胴の前面と後面をそれぞれ一枚の大きな鉄板から成形する場合(一枚板造り)、あるいは複数の矧板を隙間なく、かつ身体の曲線に合わせて立体的に成形する場合には、鉄という素材の展性や延性を熟知し、自在に操ることのできる熟練した甲冑師の技術が求められた。

これは、単に鉄板を切断し、槌で叩いて湾曲させるという単純な作業ではなく、適切な熱処理による材質の調整、多種多様な形状の金槌や当て金を用いた精密な打出し、そして加熱と冷却を繰り返しながら歪みを取り除き、所定の形状へと仕上げていくという、現代の板金加工技術にも通じる一連の高度な技術体系を背景としていたと考えられる。鉄砲玉の衝撃に耐えうる強度を確保しつつ、着用者の身体に密着して動きを妨げない有機的な曲面、そして「仏」の名にふさわしい滑らかで美しい外観を同時に実現する必要があったのである。仏像製作における蝋型鋳造や寄木造りのような、複雑な形状を生み出すための洗練された技術思想が、甲冑製作の分野にも異なる形で応用されていた可能性も否定できない 55

5.2. 仏胴における矧板の接合と表面仕上げの技術

彦根城博物館所蔵の井伊直政所用と伝えられる鎧の胴は、「矧板を複数枚繋いだ仏胴」であるとされている 4。この「繋ぐ」具体的な技法については、現存資料や文献からは必ずしも明確ではないが、鋲留め、鍛接(金属を加熱して接合する技法)、あるいは特殊な綴じ合わせなどが考えられる。しかし、仏胴の最大の特徴が「継ぎ目が見えない」滑らかな表面であることから、どのような接合方法が用いられたにせよ、その接合箇所は極めて巧妙に、かつ徹底的に処理されていたことは間違いない。

この滑らかな表面を実現するための鍵となったのが、漆下地による充填と研磨の技術である。桶側胴の繋ぎ目を漆で埋めて平滑にする「塗上仏胴」の技法が存在することからも 1 、漆下地が表面仕上げにおいて重要な役割を果たしていたことがわかる。京仏具の製作工程に見られるように、漆下地は、まず素地の凹凸を調整し、強度と平滑性を高めるために、刻苧(漆液に木の粉や麻の繊維などを混ぜて作ったペースト状のもの)を充填したり、麻布や和紙を漆で貼り付けたり(布着せ、紙着せ)といった処理が施される 13 。その上に、砥の粉と漆を練り合わせた錆漆(さびうるし)を数回にわたって塗り重ね、その都度、砥石や炭で研磨して完全な平面または曲面を作り上げていくのである 13

したがって、矧板造りの仏胴製作は、鍛冶職人による精密な鉄板加工と接合技術、そして漆職人による高度な下地処理と塗装技術という、二つの異なる専門技術が密接に連携することによって初めて可能となる、複合的な工芸であったと言える。矧ぎ目をいかに目立たなくするか、そして漆下地によっていかに完璧な曲面と平滑さを生み出すかが、仏胴の完成度を左右する核心技術であり、これは単なる防具製作という実用的な側面を超えた、高い美的追求の現れでもあった。

5.3. 朱漆塗りの工程(下地処理、中塗り、上塗り、研磨)と顔料の選択

甲冑に施される朱漆塗りは、その美しさと耐久性を実現するために、複雑で手間のかかる工程を経ていた。一般的な漆器製作や京仏具の製作工程に倣えば 13、まず鉄や革といった素地に対して念入りな下地処理が行われる。金属(鉄)の場合は、防錆処理を施した後、漆の密着性を高め、平滑な塗面を得るために、錆漆を塗ったり、場合によっては布着せを行ったりしたと考えられる 13。

下地が完成すると、次に下塗り、中塗り、そして上塗りと、精製された漆が薄く、均一に、そして複数回にわたって塗り重ねられる 13 。各塗りの間には、漆を硬化させるための十分な乾燥時間(「風呂」と呼ばれる特定の温湿度を保った室で行われることが多い 56 )と、次の塗りの密着性を高め、塗面を平滑にするための研磨作業が挟まれる。上塗りの朱漆には、顔料として辰砂または弁柄が用いられた 21 。辰砂は鮮やかで深みのある赤色を呈するが非常に高価であり、一方の弁柄は比較的安価に入手できるものの、辰砂に比べるとやや暗く落ち着いた色調になる傾向があった。これらの顔料の選択、あるいは両者を混合する場合の配合比率、そして漆との練り合わせ方などが、最終的な朱漆の色調、発色、さらには塗膜の強度や耐久性、そして製作コストに大きく影響したと考えられる。

漆は元来、非常に耐久性に優れた塗料であるが 18 、その性能を最大限に引き出すためには、良質な生漆(きうるし)の精製、適切な顔料との混合、そして何よりも塗り重ねの回数、各層の厚み、乾燥条件の厳密な管理などが極めて重要であった 56 。また、革の表面に漆を塗ることで、革自体の強度や耐水性を向上させる技法も存在した 20

このように、甲冑の朱漆塗りは、単に表面に色を付けるという行為ではなく、素材の保護と美的表現を高度に両立させるための、経験と知識に裏打ちされた化学的・物理的技術の集積であった。顔料の選択は、経済的な制約と美的要求とのバランスの中で行われ、下地から上塗りまでの多層構造と、各段階における丁寧な手仕事が、戦国時代の過酷な使用環境にも耐えうる強靭で美しい朱漆塗膜を形成したのである。

6. 文化的・歴史的意義の考察

「朱漆塗仏二枚胴」は、その構造的特徴や製作技法だけでなく、それが生み出され、使用された時代の文化や思想を反映する歴史的遺物としても重要な意義を持っている。

6.1. 朱色の象徴性と「赤備え」

戦国時代において、朱色(赤色)は特別な意味合いを持つ色彩であった。それは、血や炎を想起させることから武勇や精強さ、あるいは戦場での高揚感を象徴し、同時に神聖な色とも見なされることがあった 23。また、朱色は非常に目立つ色であるため、戦場においては敵に対する威嚇効果や、乱戦の中での自軍部隊の識別を容易にするという実用的な機能も有していた。

特に「赤備え」として、部隊の甲冑、旗指物、馬具などを朱色で統一することは、その部隊が精鋭であることを示す象徴的な意味を持った。武田信玄配下の飯富虎昌や山県昌景が率いた赤備え部隊は、その勇猛さで天下に名を馳せ、赤備えは強者の代名詞となった 25 。井伊直政が徳川家康の命によりこの赤備えを継承し、「井伊の赤鬼」として諸大名に恐れられたことは広く知られている 25 。朱漆塗仏二枚胴は、特に井伊家のような赤備えの部隊において、その象徴的な装備として中心的な役割を果たしたと考えられる。それは単に部隊の色を示すだけでなく、部隊の誇り、武勇、そして特別な存在であることを内外に宣言するメディアでもあった。

6.2. 仏胴の名称と仏教思想の影響

「仏胴」という名称は、その表面が滑らかで継ぎ目がなく、あたかも仏像の胴体のように見えることに由来すると一般的に解釈されている 1。これは、当時の甲冑製作における高い美的意識の表れであると同時に、より深い文化的背景、すなわち仏教思想の影響を考慮する必要があるかもしれない。

戦国時代の武将たちは、戦の勝敗や自らの武運長久、さらには死後の冥福を願って、八幡大菩薩、摩利支天、不動明王といった様々な神仏を篤く信仰していた 59 。そして、その信仰心が甲冑の意匠、特に兜の前立(まえだて)などに反映されることは決して珍しいことではなかった 49 。例えば、東京国立博物館所蔵の「仁王胴具足」は、その名の通り仏法を守護する仁王の姿を胴の形状で表現しており、仏教尊像を直接的なモチーフとした甲冑の顕著な例である 3

こうした背景を鑑みると、「仏胴」の滑らかで理想化された人体のようなフォルムにも、単なる機能性(例えば、矢や弾丸を滑らせる効果を期待した可能性)や一般的な美意識を超えて、仏の身体に倣うことでその加護を得ようとする、あるいは自らを仏法の守護者として位置づけようとする宗教的な意味合いが込められていた可能性も否定できない。特に、死と常に隣り合わせであった戦国武士にとって、甲冑は最後の拠り所であり、そこに神仏の力を願うのは自然なことであったろう。

6.3. 当世具足としての実用性と芸術性

朱漆塗仏二枚胴は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての甲冑の到達点の一つとして、実用性と芸術性を見事に融合させた存在であったと言える。鉄砲戦という新たな戦闘状況に対応するための堅牢な防御力、そして集団戦における迅速な行動を可能にするための機動性といった実用的な要求を、仏胴という鉄板製の滑らかな胴と、二枚胴という合理的な構造によって満たそうとした 4。

同時に、それは極めて高い芸術性と装飾性をも兼ね備えていた。鮮烈な朱漆による色彩のインパクト、そして仏胴の均整の取れた滑らかなフォルムは、当時の武将たちの美意識を反映している。戦国時代から安土桃山時代にかけては、実力主義が社会を席巻する一方で、南蛮文化の影響や経済の発展を背景に、豪華絢爛で大胆な意匠を特徴とする桃山文化が開花した時代でもあった。武将たちは、甲冑を単なる戦いのための道具としてだけでなく、自らの権威、個性、そして美的センスを戦場内外で誇示するための重要なメディアとしても捉えていたのである 8

朱漆塗仏二枚胴は、まさにこのような時代の精神を体現した文化遺産であると言える。戦場での実用性を極限まで追求しながらも、そこに当代一流の工芸技術と美的感覚を注ぎ込み、さらには着用者の思想や信仰心までをも投影しようとした。特に「仏」の名を冠する胴と、戦場で最も目立つ色彩の一つである「朱漆」の組み合わせは、死と隣り合わせの過酷な状況の中で武士たちが抱いたであろう、武勇の誇示と神仏への深い祈りという、二つの側面を象徴的に示しているのかもしれない。井伊直政がこれを纏い戦場に臨んだことは、彼の武勇や徳川軍における彼の部隊の重要性を示すと同時に、彼自身の美意識や信仰心を表現する行為でもあったと考えられる。

7. 結論

7.1. 「朱漆塗仏二枚胴」の歴史的・美術史的・技術史的価値の総括

本報告書では、戦国時代から江戸時代初期にかけて製作・使用された「朱漆塗仏二枚胴」について、その構造的特徴、製作技法、歴史的背景、そして文化的意義を、彦根城博物館所蔵の伝井伊直政所用具足を中心とした現存作例の分析を通じて考察してきた。

明らかになったのは、「朱漆塗仏二枚胴」が、鉄砲戦という新たな戦術に対応するための高度な防御機能(鉄製仏胴)と、集団戦における運動性を確保するための合理的な構造(二枚胴)、そして戦場での視覚的効果と武威の象徴としての鮮やかな色彩(朱漆塗り)を兼ね備えた、当時の最先端技術と美意識の結晶であったという点である。

仏胴の製作には、鉄板を滑らかに、かつ立体的に成形する高度な鍛冶技術と、その表面を完璧に仕上げるための精緻な漆芸技術が不可欠であり、特に矧板造りの場合は両者の緊密な連携が求められた。二枚胴構造は、堅牢な鉄製甲冑の着脱を容易にし、実用性を飛躍的に向上させた。そして朱漆塗りは、防錆・強化という実用性に加え、赤備えに象徴されるような武勇や威嚇、部隊識別といった多層的な意味を担っていた。

これらの要素が一体となった「朱漆塗仏二枚胴」は、単なる防具ではなく、戦国末期から江戸初期という、実力主義と豪華絢爛な文化が交錯した時代の精神を色濃く反映した工芸品であり、着用した武将の個性や思想、社会的地位をも示す文化遺産としての高い価値を有している。それは、日本の甲冑史において、実用性と審美性が最も高度なレベルで融合した到達点の一つとして位置づけられるべきものである。

7.2. 今後の研究課題と展望

「朱漆塗仏二枚胴」に関する研究は、本報告書で触れた範囲に留まらず、今後さらに深化させていくべき多くの課題と展望を有している。

第一に、現存する作例、特に伝世が確実視されるものや、製作年代・製作者に関する情報が付随するものについて、より詳細な科学的調査を実施する必要がある。具体的には、X線CTスキャンによる内部構造の非破壊検査、金属部分の材質分析(鉄の成分や製法)、漆塗膜の層構造分析、使用されている顔料(辰砂か弁柄か、その純度や混合比率など)の同定などが挙げられる。これにより、製作技法の具体的な解明や、工房・流派の特定、さらには保存修復への応用も期待できる。

第二に、文献史料や絵画史料の博捜を通じて、矧板仏胴の具体的な製作工程や、甲冑製作における職人の分業体制、あるいは注文から納品までのプロセスなどを復元的に研究することが望まれる。

第三に、「赤備え」のような特定の軍装規定における甲冑の色彩管理や、高価な顔料であった辰砂などの調達ルート、コスト管理といった経済史的側面からのアプローチも、当時の武家社会の実態を明らかにする上で有効であろう。

第四に、甲冑の意匠、特に「仏胴」という名称やその形状、あるいは朱色という色彩に込められた武将たちの思想的背景や信仰心について、図像学や宗教学、思想史といった隣接分野との連携を深め、より踏み込んだ解釈を試みることも重要な課題である。

これらの研究を通じて、「朱漆塗仏二枚胴」という一つの甲冑形式が、戦国から近世初頭にかけての日本の社会、文化、技術、そして人々の精神世界とどのように関わっていたのかを、より多角的かつ立体的に解明していくことが期待される。

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