最終更新日 2025-05-30

稲葉瓢箪

稲葉瓢箪

唐物瓢箪茶入「稲葉瓢箪」に関する調査報告

1. はじめに

本報告は、日本の戦国時代から江戸時代にかけて、茶の湯文化の中で極めて重要な位置を占めた茶道具の一つである「茶入」、特に「稲葉瓢箪(いなばひょうたん)」と称される唐物瓢箪茶入について、その歴史的背景、美術的価値、伝来、そして文化的意義を多角的に考察するものである。茶入は単なる抹茶の容器ではなく、所有者の権威や美意識、さらには社会的地位を象徴する存在であり、時には一国の価値にも匹敵するとされた 1 。このような茶入の中でも、特に名高い「稲葉瓢箪」に焦点を当て、その全貌を明らかにすることを目的とする。

近年、静嘉堂文庫美術館の展覧会などを通じて「稲葉瓢箪」が一般に紹介される機会が増え、その美術的価値や歴史的重要性に対する関心が高まっている 2 。本報告は、現存する資料や記録に基づき、この名器の姿を可能な限り詳細に記述し、その歴史的文脈における位置づけを試みるものである。

本報告を進めるにあたり、いくつかの専門用語が頻出するため、ここに簡潔な解説を加えておく。「唐物(からもの)」とは、中国大陸から舶載された美術工芸品全般を指し、茶道具においては特に宋・元・明代の中国製陶磁器などが珍重された。「大名物(おおめいぶつ)」は、茶道具の格付けの一つで、千利休以前から名品として知られていたものを指す最高級の評価である 4 。また、「瓢箪茶入(ひょうたんちゃいれ)」は、その名の通り瓢箪の形状を模した茶入を指す。そして「景色(けしき)」とは、陶磁器の焼成時に偶然生じた釉薬の調子や窯変、模様などを指し、茶の湯の世界では特に重要な鑑賞ポイントとされる。これらの用語は、「稲葉瓢箪」を理解する上で不可欠な概念である。

2. 「稲葉瓢箪」とは

「稲葉瓢箪」は、正式には「唐物瓢箪茶入 大名物 稲葉瓢箪」と称される茶入である 3 。その名の通り、中国(唐物)で製作された瓢箪形の茶入であり、茶道具の格付けにおいては最高位の一つである「大名物」に分類される 3 。この「大名物」という格付けは、当該茶入が茶聖・千利休の時代よりも前から既に名品として高く評価され、茶人垂涎の的であったことを示している。

この茶入が「稲葉瓢箪」と呼ばれるようになった直接の由来は、江戸時代初期の譜代大名であり、小田原藩主などを務めた稲葉美濃守正則(いなばみののかみまさのり、1623-1696)が所持したことによる 2 。著名な大名や茶人が所持した茶道具には、その所持者の名を冠して呼ばれることが多く、「稲葉瓢箪」もその典型的な例である。稲葉正則は、国宝「曜変天目」(通称「稲葉天目」)の旧蔵者としても知られており、当代一流の目利きであったことが窺える 2 。彼がこの茶入を所持したことにより、「稲葉瓢箪」の名は茶道史に深く刻まれることとなった。この命名は、13世紀から14世紀に製作されたこの茶入が、数百年を経て、江戸時代に至りその評価を不動のものとした一時点を示す重要な指標と言える。稲葉正則の所持以前にも、戦国時代を通じて幾人もの数寄者の手を経てきた可能性が高いが、その名を冠するに至ったのは、彼の高い名声と審美眼によるものだろう。

3. 形態的特徴と美術的価値

「稲葉瓢箪」の形態は、その名の通り瓢箪形を基本とする。特に、静嘉堂文庫美術館の資料によれば、「上段は膨らみをもたず、二段目の胴部で豊かに張り出す姿」と具体的に描写されている 5 。この独特のくびれと膨らみを持つ有機的なフォルムは、瓢箪形茶入ならではの魅力であり、他の形状の茶入、例えば端正な「茄子」や力強い「肩衝」とは異なる柔和な印象を与える。

寸法については、現存する資料からは正確な数値を特定することは難しい。しかし、「小さいながら景色に富む」との記述があり、比較的小ぶりな作行きであることが示唆される 5 。なお、笹田有祥氏製作の「稲葉瓢箪茶入写し」の寸法として「胴径:6.3cm、口径:2.6cm、全高6.3cm(蓋含まず)」という記録があるが 6 、これはあくまで写しであり、オリジナルの寸法を直接示すものではない点に留意が必要である。それでもなお、「小さいながら」という表現と併せて考えると、掌中に納まるほどの愛らしい姿であったと想像される。

材質は中国で焼成された唐物陶磁器であり、その釉薬は「釉色が極めて美麗」と高く評価されている 3 。具体的な釉調に関する詳細な記述は乏しいものの、その美しさは特筆に値するものであった。さらに、「数か所に釉の抜け文様が見られる」との指摘もあり 5 、これらが意図せぬ窯変として生じた「景色」の一部を構成し、茶入の表情を豊かにしていると考えられる。

「稲葉瓢箪」の美術的価値を語る上で欠かせないのが、その「景色」の妙である。『古名物記』や『暢園秘録』といった古文献においてもその名は記録され、『大正名器鑑』にも収載されていることから、古来より高く評価されてきたことがわかる 3 。特に「天下六瓢箪のうち最も景色に富んだ茶入」と称えられている点は重要である 3 。これは、数ある瓢箪形茶入の中でも、その釉調、窯変、形状の調和が卓越し、観る者を飽きさせない変化に富んだ表情を持つことを意味する。加えて、「無疵」であることも特筆されており 3 、製作から数百年を経てもなお完璧な状態を保ってきたこと自体が、その価値を一層高めている。これらの要素が総合的に評価され、「稲葉瓢箪」は時代を超えて多くの茶人たちを魅了し続けてきたのである。

また、「稲葉瓢箪」には「人魚箔絵挽家(にんぎょはくえひきや)」と呼ばれる専用の容器が付属しているという興味深い情報もある 7 。この挽家の蓋には二つの尾を持つ人魚が箔絵で描かれており、「西洋を感じさせる面白い茶入のケース」と評されている 8 。茶入にはしばしば、その格や趣に合わせて凝った仕覆(しふく)や挽家が誂えられるが、この人魚の意匠は極めて珍しい。もしこの挽家が江戸時代、あるいはそれ以前に製作されたものとすれば、当時の日本における異文化への関心や、あるいは特定の所有者の異国趣味を反映している可能性も考えられ、茶入本体だけでなく、こうした付属品からもその歴史的背景や文化的価値を垣間見ることができる。

4. 製作地と年代

「稲葉瓢箪」は、その呼称に「唐物」とあるように、中国で製作された茶入である 2 。しかしながら、現存する資料からは、中国の具体的な産地や窯元を特定することは困難である。唐物の茶入や天目茶碗の多くは、南宋から元時代(12世紀~14世紀)にかけて、福建省の建窯(けんよう)や江西省の吉州窯(きっしゅうよう)、浙江省の龍泉窯(りゅうせんよう)などで焼成され、日本にもたらされたものが知られている 9 。これらの窯では、それぞれ特色ある釉薬や技法が用いられており、例えば建窯の曜変天目や油滴天目、吉州窯の玳玻天目(たいひてんもく)や木の葉天目、龍泉窯の青磁などが名高い。「稲葉瓢箪」がこれらのいずれの窯で製作されたか、あるいは他の窯であるかについては、今後の研究や詳細な科学的調査が待たれるところである。

製作年代については、複数の資料が一致して南宋~元時代(13~14世紀)と示している 2 。この時代は、中国陶磁史において、技術的にも芸術的にも一つの頂点を極めた時期と評価されている。特に、禅宗の隆盛と共に喫茶の風習が広まり、それに伴って優れた茶道具も数多く製作された。日本へは、鎌倉時代から室町時代にかけて、禅僧や貿易商人らによってこれらの陶磁器がもたらされ、特に足利将軍家や有力大名、豪商などの間で珍重された。13世紀から14世紀に製作されたということは、「稲葉瓢箪」が日本の戦国時代(15世紀半ば~17世紀初頭)には既に数百年を経た古渡りの名品として存在していたことを意味する。このような舶載の古美術品は、当時の武将や茶人たちにとって、単なる道具を超えた権威とステータスの象徴であり、その希少性と歴史的価値ゆえに渇望の的となったのである。

5. 伝来の軌跡

「稲葉瓢箪」の伝来は、その価値を物語る重要な要素である。13世紀から14世紀に中国で製作されて以降、数奇な運命を辿り、現代にまで至っている。

稲葉美濃守正則以前の伝来:

中国で製作されてから、江戸時代初期の稲葉美濃守正則の手に渡るまでの数百年間、すなわち日本の鎌倉時代後期から室町時代、そして戦国時代を経て安土桃山時代に至る期間の具体的な所有者については、提供された資料からは詳らかではない。しかしながら、「大名物」という格付けは、千利休(1522-1591)の時代以前から既に名品として認識されていたことを示唆する 4。この事実は、「稲葉瓢箪」が戦国時代には既に日本に存在し、当時の数寄者、すなわち有力な戦国武将や大商人、高名な茶人などの間を転々としていた可能性が極めて高いことを物語っている。当時の茶会記や文献にその名が登場していないか、あるいは別の名称で呼ばれていた可能性も否定できないが、その詳細は今後の研究課題と言える。この時代の「空白の期間」は、かえって我々の想像力を掻き立て、この茶入の持つ歴史の深さを感じさせる。

稲葉家による所持:

「稲葉瓢箪」の名が示す通り、江戸時代初期の譜代大名であり、淀藩主などを務めた稲葉美濃守正則がこの茶入を所持したことは確実である 2。その後、代々稲葉家に伝来したとされている 3。

稲葉家以降の変遷:

稲葉家から後の所有者への移行については、いくつかの情報がある。静嘉堂文庫美術館の資料によれば、稲葉家(淀藩主稲葉家)から直接、岩崎弥之助の手に渡ったとされる 5。一方で、「稲葉瓢箪茶入写し」に関する情報では、稲葉美濃守正則から松浦伯爵家を経て岩崎弥之助へ、そして静嘉堂文庫美術館へと伝わったと記されている 6。この松浦伯爵家の介在については、オリジナルに関する主要な資料 3 では言及されておらず、写しの伝承である可能性も考慮する必要がある。しかし、大名家から明治期の新たな収集家へと渡る過程で、一時的に他の家を経由することは十分に考えられる。

岩崎家による所持と静嘉堂文庫美術館への収蔵:

明治30年(1897年)、この「稲葉瓢箪」は三菱財閥の二代目総帥である岩崎弥之助(いわさきやのすけ)の所蔵となった 3。弥之助は、弟の弥太郎と共に三菱を創業し、また古美術品の収集家としても知られ、多くの貴重な文化財を蒐集した。彼の収集品は、後に静嘉堂文庫の基礎となる。「稲葉瓢箪」は、弥之助からその嗣子である岩崎小弥太(いわさきこやた)へと受け継がれた 3。小弥太もまた父の遺志を継ぎ、コレクションの充実に努めた。そして現在、「稲葉瓢箪」は、岩崎家によって設立された静嘉堂文庫美術館(東京都千代田区丸の内)の貴重な収蔵品の一つとして、大切に保管されている 2。明治維新後の社会変動の中で、多くの大名家伝来の美術品が散逸の危機に瀕したが、岩崎家のような新興の財閥家がこれらの文化財を収集し、保護したことは、日本の文化財保護の歴史において大きな意義を持つ。その結果、「稲葉瓢箪」のような名品が今日まで守り伝えられ、我々が目にすることができるのである。

以下に、判明している「稲葉瓢箪」の主要な所有者の変遷をまとめる。

時代区分

主要所有者

備考

南宋~元時代

(中国にて製作)

13~14世紀

江戸時代初期

稲葉美濃守正則(淀藩主稲葉家)

「稲葉瓢箪」の名の由来

(稲葉家伝来)

明治時代

岩崎弥之助(三菱第二代総帥)

明治30年(1897年)に入手

明治~昭和時代

岩崎小弥太(三菱第四代社長)

現代

公益財団法人静嘉堂(静嘉堂文庫美術館)

現在の所蔵者

この伝来の軌跡は、「稲葉瓢箪」が単なる美術品としてだけでなく、各時代の有力者たちの審美眼によって選び抜かれ、大切に受け継がれてきた歴史的遺産であることを明確に示している。

6. 「天下六瓢箪」と「稲葉瓢箪」

「稲葉瓢箪」を語る上で、「天下六瓢箪(てんかろくひょうたん)」という呼称は特筆すべき評価である。資料によれば、「稲葉瓢箪」は「いわゆる天下六瓢箪のうち最も景色に富んだ茶入」とされている 3

「天下六瓢箪」という言葉自体は、特に優れた六つの瓢箪形茶入を指すものと考えられる。茶道具の世界では、「天下三肩衝(初花、楢柴、新田)」や「天下三茄子(九十九髪、松本、富士)」のように 4 、「天下~」という接頭辞を冠して特定の数の名品群を称揚する慣習がある。これらに選ばれることは、その道具が同種のものの中で最高峰に位置づけられることを意味し、大変な名誉であった。「天下六瓢箪」も同様に、数ある瓢箪形茶入の中から選び抜かれた六名品を示す称号であろう。

しかしながら、提供された資料からは、「稲葉瓢箪」以外の具体的な五つの瓢箪茶入の名称や、誰がいつ頃どのような基準でこの六つを選定したのか、といった詳細な情報は得られていない。関西大学の学術リポジトリに掲載された論文中には、「天下六瓢箪の名と 和歌の浦に又もひろはゝ玉津島おなし光の數にもらすな の歌を書付けたり。」という記述が見られる 13 。ただし、これは別の茶入(漢作唐物大海「山桜大海」)の箱書きに関するものであり、「天下六瓢箪」という言葉が当時から存在したことを示唆するものの、その具体的な内容を明らかにするものではない。

このような状況の中で、「稲葉瓢箪」が「天下六瓢箪」の一つとして、しかも「最も景色に富んだ」と評価されていることは極めて重要である 3 。これは、「稲葉瓢箪」が単に優れた瓢箪形茶入の一つであるだけでなく、その中でも特に美的側面、すなわち釉薬の美しさや窯変による「景色」の豊かさにおいて、群を抜いていたと認識されていたことを示している。この評価は、「稲葉瓢箪」の美術的価値の高さを端的に物語るものであり、その希少性と魅力を一層際立たせている。この「天下六瓢箪」という枠組みの全容解明は今後の研究に待たれるが、「稲葉瓢箪」がその一角を占める名器であることは疑いようがない。

7. 「稲葉天目」との関連性

「稲葉瓢箪」について考察する際、しばしば比較対象として、あるいは関連する名品として言及されるのが、国宝「曜変天目(ようへんてんもく)」、通称「稲葉天目(いなばてんもく)」である。この二つの名品は、共通の旧蔵者を持つという点で深い繋がりがある。

「稲葉瓢箪」の名の由来となった稲葉美濃守正則は、この「稲葉天目」も所持していたことが知られている 2 。この曜変天目茶碗は、現存する完形の曜変天目としては世界に三碗(あるいは四碗)しかないとされるうちの一つであり、その中でも最も華やかで美しいと評される至宝である。「稲葉天目」という通称も、稲葉正則が所蔵していたことに由来する。一人の人物が、茶入と茶碗という異なる種類の道具でありながら、いずれも最高峰に位置づけられる中国渡来の名品を二つも所有していたという事実は、稲葉正則の卓越した審美眼と、大名としての財力、そして茶の湯文化への深い造詣を如実に示している。これにより、「稲葉」の名を冠する名品群が形成され、後世にその名を残すこととなった。

さらに重要な点は、この「稲葉瓢箪」と「稲葉天目」が、現在ともに静嘉堂文庫美術館の重要な収蔵品となっていることである 2 。岩崎弥之助・小弥太親子は、稲葉家からこれらの名品を入手し、自らのコレクションの中核に据えた。静嘉堂文庫美術館の展覧会では、これら稲葉家伝来の名品が共に展示されることもあり 2 、訪れる人々に深い感銘を与えている。稲葉正則という一人のコレクターによって集められた二つの至宝が、数世紀の時を経て、再び同じコレクションのもとに集い、そして今日我々が鑑賞できるという事実は、美術品の伝来が持つドラマ性を感じさせる。これら二つの「稲葉」の名を持つ名品は、静嘉堂文庫美術館のコレクションを象徴する存在であり、日本の茶道文化と美術品収集の歴史を語る上で欠くことのできないものである。

8. 戦国時代から江戸時代における茶入の意義

「稲葉瓢箪」のような名物茶入が、戦国時代から江戸時代にかけての日本の社会、特に武家社会においてどのような意義を持っていたのかを理解することは、この茶入の価値を深く認識する上で不可欠である。

この時代、茶入は単なる茶道具の範疇を超え、極めて高い価値を持つ存在と見なされていた。あらゆる茶道具の中で、茶入は最も格が高いとされ、特に中国から渡来した「唐物」の茶入は最高位に位置づけられた 1 。戦国時代に入ると、茶の湯は武将たちの間で流行し、単なる趣味や教養の域を超えて、政治的な駆け引きやコミュニケーションの手段としても用いられるようになった。織田信長は「御茶湯御政道(おんちゃのゆごせいどう)」と呼ばれる政策を推し進め、茶の湯に政治的権威を与え、家臣に対して茶の湯を行うことを許可制にするなど、茶の湯を巧みに利用した 1 。この過程で、信長は優れた茶道具に格付けを行い、特に名物とされる茶器を所有すること自体がステータスとなった。時には、戦功に対する恩賞として、領地や金銀の代わりに名物茶器が与えられることもあった 14 。このような時代背景において、「稲葉瓢箪」のような唐物であり、後に「大名物」と評価される茶入は、一城に匹敵するほどの価値を持つとされ、武将たちが渇望する対象となったのである。

武将たちは、茶の湯を通じて精神を修養するとともに、自らが所持する茶道具を通じてその権威や教養、美意識を誇示した 14 。名物茶入を所有することは、高名な茶会への参加資格を得たり、他の有力者との交流の機会を深めたりする上で有利に働いた。また、千利休のような茶の湯の宗匠たちが茶器を鑑定し、その価値を定めることで、特定の茶器の権威性はさらに高められた 14 。利休の一言が茶器の価値を左右することもあったと言われる。

「稲葉瓢箪」は13世紀から14世紀に中国で製作された「唐物」であり、後に「大名物」と評価されるに至った名品である。その具体的な戦国時代の所有者は不明であるが、この時代に日本に存在していたとすれば、まさに上述のような武将たちの間で繰り広げられた茶道具を巡る熾烈な争奪の対象となり、所有者の権勢を象徴する至宝として扱われたであろうことは想像に難くない。その小さな器の中に、戦国の世の権力闘争や、武将たちの美意識、そして茶の湯文化の深淵が凝縮されていると言える。

9. 文化財としての評価と現状

「稲葉瓢箪」は、その長い歴史の中で、多くの茶人や数寄者によって高く評価され、大切に扱われてきた。その評価は、様々な文献記録にも残されている。

歴史的な茶道具の記録や評価書として名高い『古名物記』、『暢園秘録』、そして近代における茶道具研究の集大成とも言える高橋箒庵(義雄)編纂の『大正名器鑑』といった文献に、「稲葉瓢箪」の名が記載されていることは、その歴史的評価の高さを物語っている 3 。特に『大正名器鑑』は、明治から大正期にかけての名だたる茶道具を網羅的に調査し、図版と共に解説を加えたものであり、ここに収載されることは、その茶入が近代においても名品として公認されていたことを意味する。高橋箒庵自身も、「稲葉瓢箪」を高く評価していたと伝えられている 3

しかしながら、現在の「稲葉瓢箪」茶入自体が、日本の文化財保護法における国宝や重要文化財に指定されているか否かについては、提供された資料の中には直接的な記述は見当たらない。静嘉堂文庫美術館が所蔵する国宝としては、前述の「曜変天目(稲葉天目)」が極めて有名であり 2 、しばしば「稲葉」の名を冠する文化財として混同される可能性がある。また、国宝には「名物稲葉江」と称される刀剣も存在するが 16 、これは「稲葉瓢箪」茶入とは全く別の美術品である。

「稲葉瓢箪」が「大名物」という歴史的な格付けを持ち、多くの文献で賞賛されているにもかかわらず、現代の文化財指定に関する情報が明確でない点は留意すべきである。これは、必ずしもその美術的・歴史的価値が低いことを意味するものではなく、指定の経緯やタイミング、あるいは所有者の意向など、様々な要因が絡む可能性がある。いずれにせよ、「稲葉瓢箪」が日本の茶道文化を代表する名品の一つであることに変わりはなく、その学術的価値は極めて高いと言える。現在は静嘉堂文庫美術館において大切に保管され、折に触れて展覧会などで公開されており、その美しい姿を後世に伝え続けている。

10. おわりに

本報告では、唐物瓢箪茶入「稲葉瓢箪」について、その呼称の由来、形態的特徴、製作地と年代、伝来の軌跡、そして茶道史における意義や文化的評価を、現存する資料に基づいて考察してきた。

「稲葉瓢箪」は、中国の南宋から元時代(13~14世紀)に製作されたと推測される優れた美術工芸品であり、その美しい瓢箪形の姿、深みのある釉薬、そして何よりも「天下六瓢箪のうち最も景色に富んだ」と称される豊かな表情は、時代を超えて多くの人々を魅了し続けてきた普遍的な美的価値を有している。日本にもたらされて以降、特に戦国時代から江戸時代にかけての茶の湯文化の隆盛の中で、最高の格付けである「大名物」として珍重され、時の権力者や数寄者たちの垂涎の的となった。

その伝来は、稲葉美濃守正則による所持を経て「稲葉瓢箪」の名を得、明治期には岩崎弥之助、そして小弥太へと受け継がれ、現在は静嘉堂文庫美術館の至宝として大切に守られている。この流転の歴史は、単に一美術品の所有者の変遷を物語るだけでなく、日本の社会構造の変化(武家社会から近代資本家へ)、そして文化財の収集と保護、継承のあり方をも象徴していると言えるだろう。特に、稲葉正則が同じく所蔵した国宝「曜変天目(稲葉天目)」と共に、静嘉堂文庫美術館のコレクションの中核を成している点は、コレクターの審美眼と名品の運命的な出会いを物語っている。

しかしながら、「稲葉瓢箪」に関する全ての情報が明らかになっているわけではない。例えば、稲葉美濃守正則以前の具体的な所有者の詳細や、「天下六瓢箪」の他の五つの茶入の名称や選定の経緯など、未だ解明されていない点も多く残されている。これらの課題は、今後の茶道史、美術史研究の進展によって明らかにされることが期待される。

「稲葉瓢箪」は、その小さな器の中に、数世紀にわたる日中文化交流の歴史、日本の美意識の変遷、そして茶の湯という精神文化の深奥を凝縮して内包している。静嘉堂文庫美術館における適切な保存管理と、研究に基づいた公開・活用を通じて、この貴重な文化遺産が後世へと確実に伝えられ、さらに多くの人々に感銘を与え続けることを願って、本報告の結びとしたい。

引用文献

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  2. 美の競演 静嘉堂の名宝 | レポート | アイエム[インターネット ... https://www.museum.or.jp/report/99276
  3. 稲葉瓢箪 いなばひょうたん – 鶴田 純久の章 お話 https://turuta.jp/story/archives/1028
  4. 茶入/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/96847/
  5. www.seikado.or.jp https://www.seikado.or.jp/file/wp-content/themes/seikado/images/exhibition/240910/flyer240910.pdf
  6. 送料無料(茶道具/濃茶器)唐物大名物 稲葉瓢箪茶入写し 笹田有祥作 正絹仕服 桐箱入 https://store.shopping.yahoo.co.jp/teakomaya/yusho-inaba.html
  7. 静嘉堂文庫美術館 - 東京・丸の内にある美術館。国宝7件、重要文化 ... https://www.seikado.or.jp/
  8. 『漆芸名品展 ―うるしで伝える美の世界―』 ~静嘉堂文庫美術館 https://ameblo.jp/art-a-school/entry-12210408032.html
  9. 唐物ってなに? - 東京国立博物館 https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4212
  10. 館所蔵の茶道具の名品を一挙公開「眼福―大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内) - 美術散歩 https://kaisyuucom.livedoor.blog/archives/52528821.html
  11. 展覧会バックナンバー Archives - 静嘉堂文庫美術館 https://www.seikado.or.jp/category/bk/
  12. 特別展「眼福―大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」 https://www.seikado.or.jp/pdf/20240621_release03.pdf
  13. 『大正名器鑑』に収録される遠州命銘及び箱書付歌銘茶入一覧 https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/24018/files/KU-1100-20230301-03.pdf
  14. その価値、一国相当なり!戦国時代の器がハンパない件。 | 大人も子供も楽しめるイベント https://tyanbara.org/sengoku-history/2018010125032/
  15. 茶道具の歴史について - 美術品・骨董品買取店 緑和堂 https://www.ryokuwado.com/column/59308/
  16. 名物稲葉江 - 国指定文化財等データベース https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/302