天下三茄子「松本茄子」：その歴史と文化的意義に関する調査報告

1. 緒言

本報告は、日本の茶道具の中でも至宝と名高い「松本茄子（まつもとなす）」について、その歴史的背景、美術的価値、そして文化史的意義を包括的に明らかにすることを目的とする。松本茄子は、「天下三茄子（てんかさんなす）」の一つとしてその名を馳せ、戦国時代から現代に至るまで、数々の歴史上の重要人物の手を経ながら、波乱に満ちた伝来を辿ってきた稀代の茶入である。

この茶入の物語は、単に一個の美術品の来歴に留まらず、日本の戦国時代から近代にかけての権力構造の変遷、美意識の移り変わり、そして文化財保護の精神の萌芽と発展を映し出す鏡と言えるだろう。足利将軍家周辺の人物に始まり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人の手を渡り歩いた事実は、茶道具が単なる趣味の品ではなく、当時の社会において極めて高度な政治的・経済的価値を帯びた権威や権力の象徴であったことを如実に物語っている 1 。さらに、大坂夏の陣という歴史的動乱の中で一度は焼損しながらも、時の権力者の強い意志と当代随一の工人の技によって修復され、現代にその姿を伝えているという事実は、戦乱の激しさとともに、名品を後世に伝えようとする人々の執念をも示している 3 。近代に入り、岩崎家という新たな経済的エリート層によって収集・保護された経緯は、文化財のパトロネージのあり方が時代と共に変化していく様を象徴していると言えよう 3 。

本報告では、現存する文献史料や関連研究を参照しつつ、松本茄子の名称の由来、製作年代と特徴、所有者の変遷、歴史的事件との関わり、そして現代における文化的価値と所蔵状況について、多角的な検証を行う。

2. 松本茄子とは：天下三茄子の一としての地位

松本茄子は、茶道具の中でも特に珍重される「茶入（ちゃいれ）」の一種であり、その形状から「茄子（なす）」と呼ばれる一群に属する。茄子茶入は、文字通り野菜の茄子に似て、口元がやや窄まり、胴部が豊かに膨らんだ姿を特徴とし、茶入の中で最も格式が高いとされている 1 。その中でも、「九十九髪茄子（つくもなす）」、「松本茄子」、「富士茄子（ふじなす）」の三つは、「天下三茄子」と総称され、数ある名物茶入の中でも最高峰に位置づけられる至宝である 1 。

これらの茶入は、単にその姿形が美しいというだけでなく、その製作地が中国（唐物）であること、そして日本に渡来して以降、室町時代から戦国時代にかけての著名な茶人や武将たちの手を経てきたという由緒ある伝来によって、その価値を不動のものとしてきた。松本茄子が天下三茄子の一つに数えられる背景には、まさにこのような輝かしい来歴が深く関わっている。

さらに、松本茄子は「大名物（おおめいぶつ）」という格付けがなされている。大名物とは、茶の湯の大成者である千利休の時代よりも前から、既に名品としての評価が確立していた茶道具を指す言葉であり、茶道具の格付けの中でも最上位に位置する 1 。この格付けは、江戸時代の松江藩主であり高名な茶人でもあった松平不昧が編纂した『雲州名物帳』や『古今名物類聚』などによって体系化されたものであり、松本茄子がこの大名物に分類されていることは、その歴史的価値と美術的価値が古くから公に認められていたことを示している 1 。

戦国時代から江戸初期にかけての武家社会では、茶の湯は単なる遊芸ではなく、政治的・社会的なコミュニケーションの手段としても機能し、優れた茶道具を所持することは、その所有者の文化的素養や経済力、ひいては権勢を示す重要な要素であった 2 。天下三茄子や大名物といった称号は、それ自体がブランドとして機能し、それを所有することが一種のステータスシンボルとなっていた。このような背景を鑑みれば、これらの格付けは単なる美術品の分類を超え、当時の文化資本の序列化と、それを通じた権力誇示のメカニズムを反映したものであったと理解できる。

また、松本茄子を含むこれらの「天下物」と呼ばれる茶道具は、その希少性や輝かしい歴史的背景から、単なる「物」としての価値を超えた「物語」を纏うようになる。著名な武将や茶人がこれをどのように扱い、どのような逸話が生まれたかという物語性が、道具の価値をさらに高め、人々の所有欲を掻き立てるという循環を生んでいたと考えられる。大坂夏の陣での焼失と奇跡的な修復といったドラマチックなエピソードは、まさに松本茄子の物語性を豊かにし、その評価を唯一無二のものへと高める要因となったと言えよう 3 。

3. 来歴と特徴

松本茄子の美術品としての価値は、その来歴の輝かしさのみならず、優れた造形と独特の釉調にも見出すことができる。以下に、その基本的な情報を整理し、各特徴について詳述する。

表1：松本茄子の基本情報

項目	内容	出典例
名称	松本茄子（まつもとなす）	1
別称	紹鴎茄子（じょうおうなす）	2
分類	大名物、唐物、天下三茄子	1
製作年代	南宋～元時代（13～14世紀）	2
産地	中国	3
材質	陶器	11 (参考)
寸法	高：6.4cm、口径：2.7cm、胴径：6.9cm、底径：2.7cm	8
釉薬の特徴	総体に柿金気色に少し紫色を帯び、黄味を帯びた黒飴釉が全面に細かい横段をなす	10
仕覆	破袋（やぶれぶくろ）	13
現所蔵	静嘉堂文庫美術館	1

3.1. 製作年代と産地

松本茄子は、中国の南宋時代から元時代（13～14世紀）にかけて製作されたと推定される「唐物（からもの）」の茶入である 2 。唐物とは、中国から舶載された美術工芸品全般を指し、茶道具においては特に珍重された。当時の中国では、これらの小壺は胡麻油や薬を入れる容器として日常的に用いられていた可能性も指摘されているが、日本に渡来して以降、茶人たちの審美眼によってその美が見出され、茶の湯の道具として新たな価値を与えられたのである 3 。この価値の転換は、異文化の品を自国の文化体系に取り込み、独自の解釈を加えるという、文化受容のダイナミズムを象徴している。

3.2. 形状と材質

松本茄子の具体的な形状については、筒井紘一氏の著作『陶説百選』に詳細な記述が見られる。それによれば、「口が締り、捻返しは浅く、肩先が丸味を持ち、胴が膨らみ、胴以下は同じように窄まり、ほぼ球形に近く、底廻りは鼠色の土見、底は細かい糸切で、大きな山欠けがある」と描写されている 10 。この記述は、松本茄子という個体の持つ微細な特徴まで捉えており、その姿を具体的に想起させる。寸法は、高さ6.4cm、口径2.7cm、胴径6.9cm、底径2.7cmと、比較的小ぶりでありながらも、その堂々とした風格は見る者を圧倒する 8 。

材質は陶製で、鉄分を多く含んだ良質の土を用いて、薄く轆轤（ろくろ）で成形されていると考えられる。これは、同じく天下三茄子の一つである富士茄子や、他の唐物茄子茶入の一般的な特徴からも推察される 11 。

3.3. 釉薬と意匠

松本茄子の美的魅力の核心の一つは、その複雑で深みのある釉調にある。『陶説百選』の記述によれば、「総体に柿金気色に少し紫色を帯び、黄味を帯びた黒飴釉が全面に細かい横段をなし」ているとされる 10 。このような、一言では言い表せない微妙な色彩の諧調や、焼成の過程で偶然生じたと思われる釉薬の流れや変化（景色）は、当時の茶人たちが特に重んじた美的要素であった。均一で完璧な美しさよりも、自然の変化や不完全さ、時間の経過がもたらす「味わい」を尊ぶ「わび・さび」の精神に通じる価値観が、ここにも見て取れる。特に「唐物」が珍重された背景には、異国の土と火が生み出す予測不可能な釉景や、独特の土の風合いに対する憧憬があったと考えられる。松本茄子の評価は、その輝かしい来歴のみならず、こうした日本独自の美意識に深く合致する美術的特徴にも根差しているのである。

3.4. 付属品

茶入には、その格や趣に応じて様々な付属品が伴うが、松本茄子には「破袋（やぶれぶくろ）」と呼ばれる仕覆（しふく：茶入を保護し装飾するための袋）が付属すると伝えられている 13 。仕覆もまた茶入を鑑賞する上で重要な要素であり、その裂地（きれじ）の由緒や取り合わせが茶席での評価を左右することもあった。

4. 所有者の変遷：戦国時代から近代まで

松本茄子の価値を語る上で欠かせないのが、その華麗なる所有者の変遷である。室町時代の高名な茶人から始まり、戦国乱世を駆け抜けた三英傑、そして江戸時代の名工を経て、近代の財閥家へと、まさに日本の歴史を彩った錚々たる人物たちの手を渡り歩いてきた。この伝来こそが、松本茄子を単なる美術品から、歴史の証人へと昇華させていると言えよう。

表2：松本茄子の主要な所有者変遷

時代区分	主要所有者	入手経緯・関連事項など	出典例
室町時代後期	村田珠光、松本珠報、武野紹鴎	珠光はわび茶の祖。松本珠報は珠光の門人で、「松本茄子」の名の由来とされる。武野紹鴎も珠光の茶風を発展させた茶人で、彼が所持したことから「紹鴎茄子」の別名が生まれた。その他、山名氏や今井宗久（堺の豪商茶人）ら目利きの所持も伝えられる。	2
戦国～安土桃山時代	織田信長、豊臣秀吉	数々の名物茶器を収集した信長の手に渡る。『天正名物記』にも信長所持の記録あり。本能寺の変後、秀吉の所有となる。両者とも茶の湯を政治的に利用し、名物狩りを行ったことで知られる。	2
江戸時代初期	徳川家康、藤重藤元・藤厳父子	大坂の陣後、家康の手に渡る。大坂夏の陣で焼損した松本茄子を家康の命で修復した功により、塗師の藤重父子に下賜された。藤重家は代々これを伝えた。	3
明治時代～現代	岩崎彌之助、岩崎小彌太、静嘉堂文庫美術館	明治9年（1876年）、三菱財閥の創始者岩崎彌太郎の弟である彌之助が藤重家の後裔から購入。当初、兄彌太郎は「玩物喪志」としてこれを預かるが、後に彌之助の家系に戻り、息子の小彌太へと継承。現在は静嘉堂文庫美術館が所蔵し、適切に管理・公開されている。	3

4.1. 初期：茶人たちの時代

松本茄子の歴史は、わび茶の祖と称される村田珠光（むらたじゅこう、1423-1502）の時代に遡ると考えられている。珠光の門人であり、室町時代の茶の湯の世界で活動した松本珠報（まつもとしゅほう）がこれを所持したとされ、これが「松本茄子」という名称の由来となった可能性が高い 2 。

その後、松本茄子は、珠光の茶風をさらに発展させ、わび茶の理念を深めた武野紹鴎（たけのじょうおう、1502-1555）の手に渡る 2 。紹鴎もまた茶道史における極めて重要な人物であり、彼がこの茶入を愛蔵したことから、「紹鴎茄子」という別名でも呼ばれるようになった 2 。この他にも、応仁の乱にも関わった山名氏や、堺の豪商であり高名な茶人でもあった今井宗久（いまいそうきゅう）など、当時の目利きとして知られた人々の間を伝わったとされる 2 。この時代の所有者たちは、茶の湯文化の形成者であり、彼らが認め、愛用した道具は自ずと高い価値を持つようになった。

4.2. 戦国三英傑の手へ：権力の象徴として

戦国乱世の覇権争いの中、松本茄子は、当代きっての権力者たちの手を渡り歩くことになる。まず、天下統一を目前にした織田信長（1534-1582）の所有となる 2 。信長は、武力による支配だけでなく、茶の湯を政治的に利用し、数々の名物茶器（名物狩り）を収集したことで知られる。『天正名物記』には、松本茄子が信長のもとにあったことが記録されている 3 。

本能寺の変で信長が斃れた後、松本茄子は豊臣秀吉（1537-1598）の手に渡る 2 。秀吉もまた、信長の政策を継承し、茶の湯を盛んに催すとともに、名物茶道具を権威の象徴として重視した。そして、関ヶ原の戦いを経て天下の実権を握った徳川家康（1543-1616）が、最終的にこれを所有することになる 3 。このように、戦国三英傑が相次いで松本茄子を所持したという事実は、この茶入が単なる美術品ではなく、武将たちのステータスや文化的洗練を示す「資本」として機能し、最高権力者の間で移動するほどの価値を持っていたことを物語っている 17 。

4.3. 江戸時代から近代：名工と財閥家へ

大坂夏の陣（1615年）で大坂城が落城した際、松本茄子は戦火に見舞われ焼損するが、家康の命によりその破片が回収され、修復される（詳細は後述）。この修復作業にあたったのが、当代随一の塗師（ぬし）として名高かった藤重藤元（ふじしげとうげん）・藤厳（とうげん、藤元の子、名は同一とされる資料もある）父子であった 3 。家康は、その見事な修復技術に感嘆し、松本茄子を藤重父子に下賜したと伝えられている 3 。これにより、松本茄子は藤重家に代々受け継がれることとなった。これは、武功だけでなく、文化的な功績、すなわち名器の再生という行為もまた報奨の対象となり得たという、当時の価値観の一端を示している。

時代は下り明治時代、松本茄子は新たな時代のパトロンの手に渡る。明治9年（1876年）、三菱財閥の創業者である岩崎彌太郎の弟、岩崎彌之助（やのすけ）が、藤重家の後裔からこの松本茄子を購入した 3 。彌之助はまだ若く、この高価な茶入を購入するために会社から年末の給与を前借りしたという逸話も残っている 3 。このエピソードは、近代における文化財収集の情熱と、それが個人の経済的判断を超えるほどの価値を持つと認識されていたことを示す象徴的な出来事と言えるだろう。当初、兄の彌太郎は「玩物喪志（がんぶつそうし：珍奇なものを弄んで本来の志を失うこと）」であるとして、この茶入を一時預かったとされるが、後に彌之助の家系に戻され、その息子の岩崎小彌太へと継承された 3 。こうして岩崎家に収集された松本茄子は、後に設立される静嘉堂文庫美術館の貴重なコレクションの一つとなり、現代に至っている。この一連の所有者の変遷は、松本茄子が常にその時代の最高権力者や文化の担い手によって求められ、所有されてきたことを示しており、その価値の永続性と、価値を認める社会層の変遷を同時に映し出している。

5. 歴史的事件との関わり：大坂夏の陣と修復

松本茄子の伝来において、最も劇的な出来事の一つが、慶長20年（元和元年、1615年）の「大坂夏の陣」における焼損と、その後の奇跡的な修復である。この事件は、松本茄子に「破壊と再生」の物語を与え、その価値を一層複雑で奥深いものにした。

豊臣秀吉の死後、徳川家康との対立を深めた豊臣家は、大坂夏の陣で徳川方に攻められ、大坂城は炎上、豊臣秀頼は自刃して果てた。この戦火の中、城内にあった松本茄子もまた焼損し、無残にも破砕してしまったと伝えられている 3 。

しかし、徳川家康は、これらの名物茶道具が失われることを深く惜しみ、焼け落ちた大坂城の跡から、名器の破片を徹底的に捜索するよう命じた 2 。家康自身も茶の湯を愛好し、茶道具の文化的価値を熟知していたからこその執念であったと言えよう。幸いにも、松本茄子の破片の多くが発見され、家康は当代随一の塗師であった藤重藤元・藤厳父子に、その修復を命じた 3 。

藤重父子は、漆を用いた高度な接着・補修技術を駆使し、バラバラになった破片を繋ぎ合わせ、表面を美しく仕上げることで、松本茄子を元の姿に見事に蘇らせたとされる 4 。その技術は神技と称され、一度割れたとは到底思えないほどの出来栄えであったという。現存する松本茄子の七、八分通り（全体の70～80%）は、この時の漆による修復部分であるといわれるほど、損傷は広範囲に及んでいた 4 。この事実は、1994年に静嘉堂文庫美術館が行ったエックス線調査によっても、陶片の再接合の痕跡が確認されており、伝承の正しさを科学的に裏付けている 3 。

この修復作業は、単なる破損品の修理という以上の意味を持つ。それは、戦乱によって失われかけた文化の至宝を、後世に伝えようとする強い意志と、それを可能にした卓越した職人技術の結晶であった。修復された松本茄子の姿は、オリジナルの陶器が持つ美しさと、藤重父子による修復技術の美とが融合した、新たな芸術品とも言える存在となった。この「破壊と再生」の物語は、松本茄子に、単に古いというだけではない、歴史の試練を乗り越えてきた重みと、より一層の深みを与え、その評価を不動のものにしたのである。日本の「繕い」の文化、例えば金継ぎなどにも通じる、破損を新たな景色として受け入れ、価値を高める美意識の現れとも考えられるだろう。

6. 名称の由来と異名

松本茄子には、その伝来を反映したいくつかの名称や異名が存在する。これらの名は、単なる識別符号ではなく、その茶入が経てきた歴史、特に茶道史における重要な人物との関わりを示す「由緒」そのものであり、茶道具の価値を構成する重要な要素となっている。

「松本茄子」という主たる名称の起源については、最も有力な説として、初期の所有者の一人とされる室町時代の茶人・松本珠報（まつもとしゅほう）に由来するというものが挙げられる 2 。松本珠報は、わび茶の祖である村田珠光の門人とされ、当時の茶の湯の世界で活動した人物である 9 。彼がこの茄子茶入を所持し、その名が冠されたと考えられる。

また、「紹鴎茄子（じょうおうなす）」という別名も広く知られている。これは、松本珠報の後、同じく茶道史において極めて重要な位置を占める茶人・武野紹鴎（たけのじょうおう）がこの茶入を所持したことに由来する 2 。武野紹鴎は、村田珠光の茶風を継承しつつ、わび茶の精神をさらに深化させ、千利休へと続く茶道の流れを形作った人物である。彼がこの茶入を愛蔵したという事実は、その美術的価値の高さを物語るとともに、この茶入の「格」を一層高めることになった。

茶道具の世界では、このように所有した高名な茶人の名が道具に冠されるという慣習がしばしば見られる。これは、道具そのものが持つ美術的価値に加え、その道具を見出し、評価し、茶の湯の思想的・実践的文脈の中に位置づけた人物の権威や審美眼をも、いわば道具に「纏わせる」ことで、その価値を増幅させる文化的なメカニズムであったと言える。松本茄子の場合も、「松本」珠報や「紹鴎」といった茶道史上の巨匠の名を冠することで、彼らの厳しい評価基準をクリアした「真正の美」を持つことの証左となり、後代の所有者や茶会での扱いにも大きな影響を与えてきたと考えられる。これらの名称は、松本茄子が単なる器物ではなく、茶道の歴史と精神性を体現する象徴的な存在であることを示している。

7. 文化的価値と現代における意義

松本茄子は、その製作から数百年を経た現代においても、日本の文化を語る上で極めて重要な価値を有している。その意義は、茶道史における位置づけ、美術品としての魅力、そして歴史の証人としての役割など、多岐にわたる。

7.1. 茶道史における重要性

松本茄子は、「大名物」として格付けられていることからも明らかなように、千利休によってわび茶が大成される以前の、室町時代後期から戦国時代にかけての茶の湯の価値観を今に伝える貴重な作例である。村田珠光や武野紹鴎といった、わび茶の思想形成に大きく寄与した茶人たちに愛用されたという伝来は、その歴史的意義を計り知れないものにしている。

さらに、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国三英傑がこぞってこの茶入を求めたという事実は、当時の茶の湯が単なる趣味や教養の域を超え、政治や権力と深く結びついていたことを示す好例である 2 。一国の主が、城一つにも匹敵すると言われた茶道具を所有することは、その武力だけでなく、文化的権威をも示すものであり、松本茄子はその象徴的な存在であった。

7.2. 現在の所蔵と公開

松本茄子は現在、東京都千代田区丸の内に位置する静嘉堂文庫美術館に所蔵されている 1 。同館は、岩崎彌之助・小彌太父子によって収集された日本及び東洋の古美術品を収蔵・展示する私立美術館であり、国宝7件、重要文化財84件を含む約20万冊の古典籍と約6700件の美術品を所蔵している。

特筆すべきは、静嘉堂文庫美術館には、天下三茄子のうち「九十九髪茄子」と「松本茄子」の二つが揃って収蔵されていることである 3 。これは、岩崎家の卓越した収集力と文化への深い理解を示すものであり、世界的にも稀有なコレクションと言える。これらの名品は、常設展示ではないものの、特別展などの機会に一般公開され、多くの美術愛好家や研究者に感銘を与えている 17 。美術館という公的機関での保存・公開は、これらの名物が一部の特権階級の秘蔵品ではなく、国民全体の文化的財産として認識されるようになった現代的な状況を反映している。また、これら天下の名宝が並べて展示されることは、それぞれの特徴や歴史を比較検討する貴重な機会を提供し、茶道文化や古美術への理解を深める教育的役割も果たしている。

7.3. 文化財としての評価

松本茄子は、その歴史的・美術的重要性から極めて高い評価を受けているものの、国宝や重要文化財としての指定については、提供された資料からは明確に確認することができなかった 9 。同じ天下三茄子の一つである「富士茄子」（前田育徳会所蔵）や、同じく「紹鴎茄子」の名で知られる別の唐物茄子茶入（湯木美術館所蔵）が重要文化財に指定されているのとは対照的である 11 。

この背景には、松本茄子が大坂夏の陣で焼損し、その大部分が漆による修復であるという事実が影響している可能性が考えられる。文化財の指定においては、オリジナリティや製作当初の素材の残存率が重視される傾向があるため、大規模な修復が評価を複雑にしているのかもしれない。しかしながら、その修復自体が歴史的な出来事であり、藤重父子の卓越した技術の証でもある。むしろ、「大名物」という茶道の世界における伝統的な格付けが、松本茄子の文化財指定とは別の次元で、その比類なき価値を現代においても保証し続けていると言えるだろう。松本茄子のような文化財の価値は固定的なものではなく、時代ごとの評価軸や、それを守り伝えようとする人々の努力によって維持・再生産される動的なものであることを示している。

8. 結語

本報告では、天下三茄子の一つ「松本茄子」について、その多岐にわたる側面から詳細な調査と考察を行った。南宋から元時代に中国で生まれ、日本へと渡り、室町時代の茶人たちに見出されて以降、松本茄子は日本の歴史と文化の中で常に特別な存在であり続けた。

その魅力は、まず何よりも茄子茶入としての端正かつ優美な造形と、柿金気色を帯びた黒飴釉が織りなす深遠な釉調にある。しかし、松本茄子を不朽の名品たらしめているのは、美術的特徴だけではない。村田珠光、松本珠報、武野紹鴎といったわび茶の先駆者たち、そして織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国の覇者たち、さらには江戸の名工藤重父子、近代の財閥家岩崎家へと、錚々たる人物たちの手を経てきたという比類なき伝来の重みが、この茶入に唯一無二の価値を与えている。

特に、大坂夏の陣における焼損という受難と、それを乗り越えて奇跡的に修復されたという再生の物語は、松本茄子にドラマチックな輝きを添え、人々の心を惹きつけてやまない。それは、戦乱の破壊力と、文化を愛し守り抜こうとする人間の創造力との対比を鮮やかに示すものである。

松本茄子の物語は、一つの美術品が内包しうる多層的な価値――美的価値、歴史的価値、物語的価値、社会的価値――を総合的に理解することの重要性を示唆している。これらの価値は相互に関連し合い、松本茄子の総合的な評価を形成しており、一つの側面だけではその全貌を捉えることはできない。このような文化遺産を研究し、理解し、そして未来へと継承していくことは、我々の文化の豊かさを再認識し、次代へと繋ぐ上で極めて重要な意義を持つと言えよう。静嘉堂文庫美術館による適切な保存と公開は、その使命を現代において果たし続けるものであり、松本茄子はこれからも多くの人々に深い感銘を与え続けるであろう。

引用文献

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静嘉堂的茄子--新作品--中国作家网 http://www.chinawriter.com.cn/n1/2022/1125/c404018-32574021.html
松本茄子まつもとなすび – 鶴田純久の章お話 https://turuta.jp/story/archives/5117
信長・秀吉・家康が手にした「大名物」から国宝まで茶道具の最高峰が丸の内でお披露目 https://bunshun.jp/articles/-/73583?page=1
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唐物茄子茶入（富士）からものなすちゃいれ（ふじ） - 文化遺産 ... https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/202473
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【茶道具】茶入唐物付藻茄子写笹田有祥 \*名物茶入\*足利義満\*大名物 https://seiyudo.ocnk.net/product/2257
将軍家・大名家ゆかりの名品茶道具で「眼福」のひとときを | 三菱グループサイト - Mitsubishi https://www.mitsubishi.com/ja/report/vol31.html
信長、秀吉、家康が愛した幻の茶道具が11月4日まで公開！担当学芸員の見どころコメントで予習して、静嘉堂＠丸の内へ - ASCII.jp https://ascii.jp/elem/000/004/221/4221516/
武将茶人・大名茶人／ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/99966/
特別展「眼福―大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」 https://www.seikado.or.jp/pdf/20240621_release03.pdf
山上宗二記 (現代語でさらりと読む茶の古典) | 竹内順一 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%AE%97%E4%BA%8C%E8%A8%98-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E3%81%A7%E3%81%95%E3%82%89%E3%82%8A%E3%81%A8%E8%AA%AD%E3%82%80-%E8%8C%B6%E3%81%AE%E5%8F%A4%E5%85%B8-%E7%AB%B9%E5%86%85%E9%A0%86%E4%B8%80/dp/4473037878
響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき― | レポート | アイエム［インターネットミュージアム］ https://www.museum.or.jp/report/109062