最終更新日 2025-05-30

鬼葦毛

鬼葦毛

織田信長の愛馬「鬼葦毛」に関する調査報告

序論

戦国時代において、馬は単なる移動手段や農耕の道具に留まらず、武士の階級や武威を象徴する重要な存在であった。名馬を所有し、それを乗りこなすことは、武将のステータスを示すものであり、合戦における機動力や威容を誇示する上でも不可欠であった 1 。特に、織田信長のような天下統一を目指す武将にとって、優れた馬の収集と育成は、軍事力強化のみならず、自身の権威を高めるための重要な手段であったと言える。

織田信長は、その革新的な政策や卓越した軍事戦略で知られるが、馬に対しても深い関心と知識を持っていたことが史料からうかがえる。伊達家から献上された奥州の名馬「白石鹿毛」を所有していたことや 3 、安土城や岐阜城に馬場を設けて馬術の訓練に励んでいたこと 4 などは、その証左と言えよう。

本報告では、信長の数ある愛馬の中でも特に「鬼葦毛(おにあしげ)」という名で知られる馬に焦点を当てる。この馬は、その特異な名称と、信長の重要な軍事パレードである京都御馬揃えでの役割によって、歴史に名を残している。本報告は、現存する史料を基に、「鬼葦毛」の名称の由来、その特徴、信長との関わり、そして歴史的事件における役割などを詳細に調査し、その実像に迫ることを目的とする。

第一章:「鬼葦毛」の名とその由来

「鬼葦毛」という名は、その構成要素から馬の特性や当時の価値観を読み解くことができる。

1.1. 「鬼」の字が持つ意味合い

戦国時代の武将が所有する馬の名前に「鬼」の字を冠する例は、鬼葦毛に限ったことではない。例えば、武田信虎の愛馬「鬼鹿毛」などが知られている 5 。この「鬼」という接頭辞は、その馬が並外れた力強さや、特に気性の荒々しさを持つことを示唆している 5 。当時の武将にとって、そのような荒馬を乗りこなすことは、自身の武勇や統率力を誇示する手段であり、一種のステータスシンボルでもあった。織田信長自身が「第六天魔王」と称されることもあった点を考慮すると 6 、彼が「鬼」の名を冠した馬を好んだことは、自身の勇猛果敢なイメージを投影し、それをさらに強調する意図があった可能性が考えられる。荒々しい馬を従える姿は、まさに天下布武を目指す信長の覇気と重なるものであっただろう。

1.2. 「芦毛」の特性

「芦毛(あしげ)」とは、馬の毛色の一種であり、生まれた時には黒毛や鹿毛、栗毛などの有色の毛を持つが、年齢を重ねるにつれて白い毛が混じり始め、徐々に全体が白っぽく変化していく特徴を持つ 7 。特に、体表に銭形の斑点が浮き出る「連銭葦毛(れんぜんあしげ)」は、その美しさから珍重された 7 。戦国時代においても、芦毛の馬はその独特の見た目から注目を集め、時にはその希少性から神聖視され、神社に神馬として奉納されることもあったという記録も存在する 9 。鬼葦毛が芦毛であったことは、その外見が際立っていたことを示唆し、成長と共に変化する毛色は、見る者に神秘的な印象や特別な価値を与えた可能性がある。

1.3. 「鬼葦毛」の呼称について

史料において「鬼葦毛」という名で記録されている織田信長の馬は、天正9年(1581年)に京都で行われた大規模な軍事パレードである京都御馬揃えにおいて、「一番入り」を務めた信長お気に入りの馬として知られている 7 。この「一番入り」という役割は、その馬が信長にとって特別な存在であったことを示唆している。

注意すべき点として、『平家物語』には源義仲(木曽義仲)の愛馬として「鬼葦毛」という名の馬が登場するが 10 、これは時代も背景も異なるため、織田信長の鬼葦毛とは別の個体であると明確に区別する必要がある。戦国時代において「鬼」という言葉が気性の荒い馬に付けられることがあったという記述 5 を踏まえると、「鬼葦毛」という名称が、特定の個体名として信長の馬に与えられたのか、あるいは特に気性の荒い芦毛の馬を指す一種の類型的な呼称であったのかという点は考察の余地がある。しかし、京都御馬揃えの記録では他の馬と並べて具体的に名指しされていることから 7 、信長が特に名付けて愛用した特定の一頭を指す可能性が高いと考えられる。その勇猛さと特徴的な毛色から、信長が自ら、あるいは周囲の者がそのように呼称するようになったのであろう。

第二章:織田信長と鬼葦毛の関係

織田信長と鬼葦毛の関係は、単なる主と馬という以上に、信長の個性や時代の価値観を反映するものであった。

2.1. 信長の愛馬としての鬼葦毛

鬼葦毛は、織田信長が数ある駿馬の中でも特に好んだ一頭であったと伝えられている 6 。その名は「芦毛の荒馬」であったことに由来するとされ 6 、この事実は、信長の性格の一端を映し出している可能性がある。信長は、既成概念にとらわれず、困難に立ち向かい、力強いものを好む気性であったと評されることが多い。そのような彼が、扱いが難しいとされる荒馬をあえて選び、寵愛したことは、彼の挑戦的な精神や、他者を圧倒する力への渇望の表れと解釈できるかもしれない。武田信玄が誰も乗りこなせなかった暴れ馬「黒雲」を愛馬とした逸話があるように 2 、荒馬を乗りこなすことは武将の力量と威厳を示す一つの証であり、信長もまた、鬼葦毛を通じて自身の非凡さを誇示したかったのかもしれない。

2.2. 史料に見る信長と芦毛の馬

『信長公記』巻十四「御爆竹の事」には、天正九年(1581年)正月十五日に行われた左義長(さぎちょう)の際に、信長が「蘆毛の御馬」に騎乗したという記述が見られる 11 。その描写は「蘆毛の御馬、すぐれたる早馬、飛鳥の如くなり」とあり、その馬が単に芦毛であるだけでなく、非常に優れた駿馬であったことを強調している。この左義長は、京都御馬揃えのわずか1ヶ月半ほど前に行われた行事であり、ここで信長が騎乗した「蘆毛の御馬」が、後の馬揃えで「一番入り」を務める鬼葦毛と同一の馬であった可能性は十分に考えられる。

信長が芦毛の馬を複数所有していた可能性も否定できない。京都御馬揃えの際には、「鬼葦毛」の他にも「大葦毛」という芦毛の馬が登場している 7 。これらの記録は、信長が芦毛の馬を特に好み、その中でも選りすぐりの馬を重要な儀式や行事で用いていたことを示唆している。鬼葦毛は、その中でも筆頭格の存在であったと推測される。

2.3. 他の信長の愛馬との比較

織田信長は、鬼葦毛以外にも数々の名馬を所有していたことで知られている。例えば、伊達家から献上された奥州一の名馬と称される「白石鹿毛(しろいしかげ)」 3 や、京都御馬揃えで披露された後に蒲生氏郷に下賜された「小雲雀(こひばり)」 3 などがその代表例である。

これらの馬と比較することで、鬼葦毛の位置づけがより明確になる。白石鹿毛のような献上馬は、外交や同盟関係の証としての意味合いも強かったと考えられる。一方、鬼葦毛の出自に関する詳細な記録は少ないものの、「荒馬」という記述 6 から、信長自身がその荒々しい気性に惹かれ、自ら選び抜いた、あるいは特別に調教に力を入れた馬であった可能性が考えられる。馬は戦国武将にとって実用的な道具であると同時に、権威や個人の趣味を反映するものであった 1 。鬼葦毛が京都御馬揃えで「一番入り」という特別な役割を与えられた背景には、単に速さや美しさだけでなく、信長の個人的な思い入れや、その馬が持つ荒々しさや力強さといった象徴的な意味が込められていたのかもしれない。

第三章:京都御馬揃えにおける鬼葦毛

天正九年(1581年)の京都御馬揃えは、織田信長の権勢を天下に示す一大イベントであり、その中で鬼葦毛は特筆すべき役割を果たした。

3.1. 天正九年(1581年)京都御馬揃えの概要

天正九年二月二十八日(グレゴリオ暦1581年4月1日)、織田信長は京都の内裏東において、大規模な軍事パレードである御馬揃えを挙行した 12 。この壮大な催しには、正親町天皇や公家衆が招待され、丹羽長秀や柴田勝家をはじめとする織田軍団の主要武将たちが総動員された 12 。その目的は、信長が標榜する「天下布武」の威光を内外に誇示し、周辺大名を牽制するとともに、京都の平和回復と織田家の支配体制の確立を印象づけることにあったと考えられている 7 。この馬揃えの様子は、信長の側近であった太田牛一が記した『信長公記』や、当時の公家である吉田兼見の日記『兼見卿記』に詳細に記録されており、その準備には明智光秀らが奔走し、金銀を散りばめた仮桟敷が設けられるなど、極めて豪華絢爛なものであったことが伝えられている 14

3.2. 鬼葦毛の役割:「一番入り」の栄誉

この歴史的な一大イベントにおいて、織田信長が特に寵愛したとされる「鬼葦毛」は、行列の先頭、すなわち「一番入り」という栄誉ある役割を担ったと記録されている 7 。この「一番入り」は、単に順番が最初であるという意味に留まらず、その行列において最も注目され、最も格の高い馬に与えられる名誉であった。鬼葦毛がこの大役を任されたことは、信長にとってこの馬がいかに重要で、誇るべき存在であったかを物語っている。その勇ましい名と芦毛という特徴的な外見も相まって、観衆に強烈な印象を与え、織田軍の力強さと、それを統べる信長の威厳を視覚的に訴えかける上で、鬼葦毛は重要な役割を果たしたと言えるだろう。

3.3. 信長の騎乗馬「大黒」との対比

興味深いことに、この京都御馬揃えで織田信長自身が騎乗したのは、鬼葦毛ではなく「大黒(おおぐろ)」という別の馬であったと伝えられている 7 。この事実は、役割分担の可能性を示唆する。鬼葦毛がその名と姿で先陣を飾り、観衆の目を引く役割を担ったのに対し、信長自身は「大黒」という、おそらくはより落ち着いた、あるいは儀礼に適した馬に乗り、統率者としての威厳と落ち着きを示したと考えられる。鬼葦毛の「荒馬」という性質 6 を考慮すると、華やかではあるが統制の取れた行列を率いるには、より従順で安定した馬が選ばれたのかもしれない。このように、鬼葦毛を「ショーケース」としてその勇壮さを際立たせつつ、自身は別の馬で威儀を正すという、計算された演出であった可能性も考えられる。

3.4. 馬揃えに登場した他の信長の馬たち

『信長公記』や関連史料によれば、織田信長はこの京都御馬揃えで鬼葦毛の他にも多数の優れた馬を披露した。これらの馬は、信長の権勢と富裕さを示すものであり、それぞれが丹念に手入れされ、豪華な馬具で飾られていたことだろう。以下に、記録に見られる主な馬を挙げる。

順番

馬名

毛色

備考

一番入り

鬼葦毛

葦毛

信長のお気に入りの馬 7

二番入り

小鹿毛

鹿毛

7

三番入り

大葦毛

葦毛

7

四番入り

遠江鹿毛

鹿毛

7

五番入り

小雲雀

不明

後に蒲生氏郷に下賜 3

六番入り

河原毛

河原毛

7

信長騎乗

大黒

黒毛か

信長自身が騎乗 7

この他にも、伊達輝宗から献上された「がんぜき黒」や「白石鹿毛」、会津の蘆名盛隆から贈られた「あいそう駁(ぶち)」といった名馬が信長の所有馬として記録されており 16 、これらの一部も馬揃えに参加した可能性がある。この豪華な馬たちの行列は、信長の馬に対する深い知識と情熱、そしてその圧倒的な力を内外に示すものであった。

IV. 史料における「鬼葦毛」の記述と考察

「鬼葦毛」に関する記述は、主に『信長公記』に見られるが、その解釈にはいくつかの側面がある。

4.1. 『信長公記』における「鬼葦毛」

織田信長の家臣であった太田牛一によって記された『信長公記』は、信長の生涯と思想を伝える上で最も信頼性の高い一次史料の一つとされている 17 。この史料の巻十四には、天正九年(1581年)の出来事として、二つの重要な記述で芦毛の馬が登場する。

まず、正月十五日に行われた左義長(御爆竹の事)において、信長は「蘆毛の御馬、すぐれたる早馬、飛鳥の如くなり」と描写される馬に騎乗したと記されている 11 。この馬が「鬼葦毛」と同一であるかは明記されていないが、その優れた能力と、続く京都御馬揃えの時期の近さから、信長が特に目をかけていた芦毛の駿馬であったことは疑いようがない。

そして、同年二月二十八日の京都御馬揃えにおいては、「鬼葦毛」という名が明確に記され、信長お気に入りの馬として行列の「一番入り」を務めたとされている 7 。この「一番入り」という役割は、その馬が単なる移動手段ではなく、信長の威光を示すための象徴的な存在であったことを強く示唆している。信長が芦毛の馬を複数所有していた可能性も考えられるが(例えば、馬揃えには「大葦毛」も参加している 7 )、鬼葦毛はその中でも特別な地位を占めていたと推測される。

4.2. 他の史料における言及

『信長公記』以外にも、当時の様子を伝える史料が存在する。吉田兼見の日記『兼見卿記』は、京都御馬揃えの準備段階から当日の様子までを記録しており、明智光秀が準備に奔走したことや、公家衆も参加したことなどが記されている 14 。これらの記述は、馬揃えというイベントの重要性と規模を裏付けるものであり、鬼葦毛がその中心的な役割を担ったことの背景を理解する上で貴重である。ただし、『兼見卿記』の現存する部分からは、鬼葦毛という具体的な馬名までは確認できない。

また、宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、織田信長は馬を非常に愛好しており、その厩舎は壮麗で清潔に保たれ、馬たちは大切に扱われていたという 4 。フロイスの記録が鬼葦毛を名指しで言及しているかは不明だが、信長の馬に対する並々ならぬ関心と、それらを権威の象徴として用いたであろうことは十分に推察される。これらの史料は、鬼葦毛が信長の数ある名馬の中でも特別な存在であった可能性を補強する。

4.3. 史料解釈の注意点

戦国時代の史料において、馬の名前が常に詳細かつ一貫して記録されているわけではない。「鬼葦毛」という名称についても、その解釈には注意が必要である。例えば、平安時代末期の武将・木曽義仲にも「鬼葦毛」という名の愛馬がいたことが『平家物語』に記されている 10 。これは、特定の個体名というよりは、芦毛で特に気性の荒い、優れた馬に対する一種の類型的な呼称であった可能性を示唆している。

しかし、織田信長の鬼葦毛に関しては、『信長公記』において京都御馬揃えの際に「小鹿毛」や「大葦毛」といった他の馬と並べて具体的に名指しされている点 7 から、信長が所有し、特に目をかけていた特定の一頭を指す固有名詞であった可能性が高いと考えられる。その馬が持つ際立った特徴、すなわち芦毛という美しい毛色と、「鬼」と称されるほどの荒々しい気性や力強さを強調するために、この名が与えられたのであろう。信長が自身の権威を示すために、このような印象的な名の馬をパレードの先頭に立てたことは、彼の演出家としての一面を物語っている。

V. 鬼葦毛に関する逸話と伝説

織田信長の愛馬「鬼葦毛」について、その勇ましい名前や「芦毛の荒馬」という記述 6 から、数々の武勇伝や特別な逸話が期待されるところである。しかし、現存する史料において、鬼葦毛が戦場で具体的な活躍をしたという記録や、詳細なエピソードは残念ながら多くは見当たらない。

6 の記述では、「史説にもある名馬の中の名馬」と称されているものの、その「史説」が具体的にどのような内容を指すのかは明確ではない。この記述自体が、後世の創作物(プラモデルの解説文)に由来する可能性も考慮する必要がある。

他の戦国武将の愛馬、例えば武田信玄の「黒雲」がその荒々しさで知られていたり 2 、長宗我部元親の「内記黒」が窮地の主人を救ったという逸話 7 が残っているのとは対照的である。

鬼葦毛に関する最も確実かつ詳細な記述は、天正九年(1581年)の京都御馬揃えにおいて、信長のお気に入りの馬として行列の「一番入り」を務めたというものである 7 。この事実は、鬼葦毛が信長にとって特別な存在であったことを示しているが、具体的な武勇伝や日常的なエピソードとは異なる。

この逸話の少なさは、いくつかの可能性を示唆する。一つには、鬼葦毛の役割が主に儀礼的なものであり、戦場での華々しい活躍よりも、信長の威光を示す象徴としての意味合いが強かった可能性である。また、記録が散逸してしまった、あるいは元々詳細な記録が残されなかったという可能性も考えられる。

しかし、「荒馬」という記述 6 は、その気性の激しさを示唆しており、何らかの逸話が存在した可能性を完全に否定するものではない。信長がそのような馬を乗りこなしたという事実自体が、彼の非凡さを示すエピソードとして語られていたのかもしれない。今後の史料発見や研究の進展によって、鬼葦毛に関する新たな情報が明らかになることも期待される。

VI. 鬼葦毛の歴史的意義

織田信長の愛馬「鬼葦毛」は、単なる一頭の馬に留まらず、戦国時代という特異な時代背景の中で多層的な意味を持つ存在であった。

まず、 権力の象徴 としての側面が挙げられる。天正九年(1581年)の京都御馬揃えにおいて、鬼葦毛が「一番入り」という先導役を務めたことは、信長の強大な権力と威勢を天下に知らしめるための計算された演出であったと考えられる 7 。その勇壮な名と美しい芦毛の姿は、見る者に強烈な印象を与え、織田軍の力強さと、それを統べる信長のカリスマ性を視覚的に訴えかける効果があったであろう。信長が馬を何百頭も集めていたという記録もあり 1 、これは現代でいう高級品の収集にも似た、権力者の所有欲を満たすと同時に、その富と力を誇示する行為であった。

次に、鬼葦毛は 武将の価値観の反映 と見ることができる。信長が「鬼」の名を冠する「荒馬」 6 を特に好んだという事実は、当時の武将が尊んだ勇猛さや力強さといった価値観を体現している。気性の荒い馬を乗りこなすことは、武将自身の技量と胆力、そして支配力を示すものであり、鬼葦毛はそのような信長のイメージを強化する役割を担ったと言える 2

さらに、鬼葦毛の存在は、 戦国時代における馬文化の一端 を示す貴重な事例である。馬は、合戦における機動力として不可欠な存在であっただけでなく 7 、大名間の贈答品としても重要な役割を果たした 1 。信長自身も伊達家から名馬「白石鹿毛」を献上されており 3 、また自身も家臣に馬を下賜することがあった 3 。このような馬の贈答は、単なる物質的な交換に留まらず、政治的な同盟関係の構築や忠誠心の確認といった意味合いも持っていた。鬼葦毛のような名馬は、こうした馬文化の中で特別な価値を持ち、武将たちの間でその名が語り継がれる対象となったのである。

信長が馬を大切に扱っていたことは、宣教師ルイス・フロイスの記録にも見られ、安土城の厩舎が立派で清潔であったと記されている 4 。これは、馬が単なる道具ではなく、武将の威信や生活に深く関わる存在であったことを示している。鬼葦毛は、このような信長の馬に対する深い関心と、それを自己の権威と結びつける戦略的な思考を象徴する存在と言えるだろう。

VII. 結論

織田信長の愛馬「鬼葦毛」は、その名が示す通り、勇壮で美しい芦毛の馬であり、特に天正九年(1581年)に京都で開催された大規模な軍事パレードである御馬揃えにおいて、行列の先頭を切る「一番入り」という栄誉ある役割を担ったことで歴史に名を刻んでいる 7 。『信長公記』をはじめとする史料からは、信長がこの馬を特に寵愛し、自身の権威と威光を示すための重要な存在と見なしていたことがうかがえる 6

「鬼」という接頭辞は、その馬の荒々しい気性や並外れた力を示唆し 5 、芦毛という特徴的な毛色は、希少価値と美しさを兼ね備えていた 7 。信長がこのような馬を選び、重要な儀式で披露したことは、彼自身の豪胆な性格や、天下人としての威厳を演出する意図があったと考えられる。

『信長公記』巻十四「御爆竹の事」には、信長が左義長で「蘆毛の御馬」に騎乗した記述があり 11 、これが鬼葦毛と同一の馬である可能性も指摘されるが、確証はない。しかし、信長が芦毛の馬を複数所有し、特に優れたものを重用していたことは確かであろう。

鬼葦毛に関する具体的な戦場での活躍や詳細な逸話は、現存する史料では限られている。しかし、その存在自体が、戦国時代における馬の多面的な価値――軍事力、ステータスシンボル、そして武将の個性を反映する象徴――を物語っている。特に京都御馬揃えでの役割は、信長の政治的パフォーマンスの一環として、その力を視覚的に誇示する上で大きな意味を持っていた。

今後のさらなる史料の発見や研究の進展により、鬼葦毛に関する新たな事実や、信長と馬との関わりについて、より深い理解が得られることが期待される。

VIII. 参考文献

  • 太田牛一『信長公記』 (角川ソフィア文庫、中公文庫など、複数の版が存在)
  • 『兼見卿記』(吉田兼見)
  • ルイス・フロイス『日本史』
  • その他、本報告書中で引用した各史料・ウェブサイト( 6 22 で言及されたもの)

引用文献

  1. 戦国時代の『馬』って実際どんな存在だったの? - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=mMQ8Fy7tMOM
  2. 戦国時代に活躍した名馬たち https://equia.jp/trivia/post-9407.html
  3. 武将の名馬一覧/ホームメイト - 名古屋刀剣博物館 https://www.meihaku.jp/historian-text/warlord-horse/
  4. 武将と馬の逸話を大調査!?【後編】 - Pacalla(パカラ) https://pacalla.com/article/article-3781/
  5. 又左趣記 馬物語 第三話 - 名古屋おもてなし武将隊ブログ https://busho-tai-blog.jp/wordpress/?p=4156
  6. 本日ご案内スタート!プラアクト織田-鬼葦毛セット-のご紹介 | プラム・スタッフ ブログ https://ameblo.jp/plum-pmoa/entry-11937071823.html
  7. 戦国武将はポニーに乗っていた!? 小さくてもパワフルなずんぐり馬たちがかわいい! - 和樂web https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/40611/
  8. 芦毛 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A6%E6%AF%9B
  9. 馬旅行・木曾馬の里 花遊戯 http://home.catv-yokohama.ne.jp/22/hnasb/uma/uma.ryoko/uma.ryo.kiso2.html
  10. 名馬一覧 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%A6%AC%E4%B8%80%E8%A6%A7
  11. 左義長まつり : 歴旅.こむ http://shmz1975.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-b3d3.html
  12. 京都御馬揃え - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BE%A1%E9%A6%AC%E6%8F%83%E3%81%88
  13. 京都御馬揃えとは - わかりやすく解説 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BE%A1%E9%A6%AC%E6%8F%83%E3%81%88
  14. 織田信長によるビッグイベントを成功させろ!多くの家臣が奔走した「御馬揃え」とは - 歴史人 https://www.rekishijin.com/28349
  15. 山姥の姿で乗馬しながら登場!?織田信長が信頼した70歳オーバーの老近習「武井夕庵」の魅力とは? https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/130467/
  16. 「彼は美しい贈り物を携えた者だけに会見を許した」…織田信長の心をつかみとれ! 戦国武将たちの“贈り物合戦” | 文春オンライン https://books.bunshun.jp/articles/-/8236
  17. 信長公記 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E5%85%AC%E8%A8%98
  18. 信長公記 新訂 | 太田 牛一, 桑田 忠親 |本 | 通販 | Amazon https://www.amazon.co.jp/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E5%85%AC%E8%A8%98-%E5%A4%AA%E7%94%B0-%E7%89%9B%E4%B8%80/dp/4404024932
  19. 第101話 京都馬揃え | 一般社団法人 明智継承会 https://akechikai.or.jp/archives/oshiete/60385
  20. 騎馬隊と流鏑馬/ホームメイト - 刀剣ワールド https://www.touken-world.jp/tips/40364/
  21. 織田信長と砂糖 - 農畜産業振興機構 https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000291.html
  22. l柄 ︑皿 織一 樫K 型仔 - 大分市 https://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/documents/ootomofouram2.pdf