最終更新日 2026-06-19

城地域分類:甲信越

「甲信越」に属する城:32件

概要
飯田城いいだじょう信濃飯田城は、天竜川支流に挟まれた要害に築かれ、交通の要衝として栄えた。武田信玄が改修し軍事拠点化、豊臣政権下で近世城郭へと大転換。幻の天守伝説も残る。
飯山城いいやまじょう飯山城は北信濃の要衝に築かれ、武田・上杉の激戦地。謙信が改修し「龍の牙城」と称された堅固な城は、江戸期には本多氏が統治。地震や戊辰戦争を乗り越え、桜の名所として今に。
岩殿山城いわどのやまじょう甲斐の岩殿山城は、聖地から要害へ変貌。天然の要害を活かした難攻不落の山城で、武田氏の東方戦略拠点、情報伝達の要として機能。武田氏滅亡時、小山田信茂は勝頼の入城を拒否。
上原城うえはらじょう上原城は諏訪氏の拠点、神官と武士の二面性を持つ一族の興亡を映す。武田信玄の信濃侵攻で落城し、武田氏の統治拠点となる。廃城後も史跡として歴史を伝える。
海ノ口城うんのくちじょう武田信玄初陣伝説の舞台、海ノ口城。その実像は史料に乏しく、伝説と史実の狭間に揺れる。佐久侵攻の要衝に築かれ、武田氏の信濃支配戦略を物語る要害である。
海津城かいづじょう海津城は武田信玄が築き、川中島合戦の拠点に。高坂昌信が統治し、豊臣期に石垣化。真田氏の松代城となり、水害を克服。廃城後も復元され、多層な歴史を伝える名城。
春日山城かすがやまじょう越後の龍、上杉謙信が居城とした春日山城は、自然を活かした土の要塞。謙信の軍事・経済を支え、御館の乱の舞台ともなった。今は史跡として、その威容を今に伝える。
勝山城かつやまじょう越後国境の勝山城は、上杉謙信・景勝二代にわたり越中防衛の要衝。景勝が大改修し「勝山城」と改名、織田の脅威に備えた。秀吉との「落水盟約」は伝説だが、その歴史は上杉氏の戦略と誇りを語る。
葛尾城かつらおじょう葛尾城は、北信濃の猛将・村上義清の本拠。武田信玄を二度破るも、調略により落城。この落城が川中島の戦いを招き、信濃の勢力図を変えた。今は史跡として歴史を伝える。
木曾福島城きそふくしまじょう木曾福島城は木曽氏の拠点、武田氏の圧力に対抗。木曽義昌の裏切りで武田氏滅亡に貢献するも、秀吉により移封。廃城後、関所が置かれ地域の歴史を伝える。
北条城きたじょうじょう北条城は越後毛利氏嫡流の北条氏居城。城主・高広は謙信に度々反旗を翻すも赦免され、越後国人衆統制の難しさを示す。御館の乱で落城し、今は柏崎市指定史跡として今に。
甲府城こうふじょう甲府城は、武田氏滅亡後の甲斐を巡る争乱を経て、豊臣秀吉が徳川家康牽制のため築きし要衝。江戸期には徳川親藩の居城となり、その歴史は時代の変遷を語る。
小諸城こもろじょう信濃の要衝、小諸城は日本唯一の「穴城」。武田信玄が関東攻略の拠点とし、天正壬午の乱では激しい争奪戦の舞台に。仙石秀久により近世城郭へと変貌。天然の要害を活かした巧妙な築城術が光る。
坂戸城さかどじょう坂戸城は越後の要衝。上田長尾氏の拠点として発展し、上杉景勝の生誕地。御館の乱では北条軍の侵攻を豪雪と畝状竪堀群で阻止し、景勝勝利の礎となる。現在は国史跡としてその歴史を伝える。
雑太城さわだじょう佐渡本間氏の拠点、雑太城は日野資朝が幽閉された壇風城を前身とする。本間氏惣領家の衰退と上杉景勝の侵攻により、恭順するも破却され、佐渡中世史の終焉を告げた。
新発田城しばたじょう越後の新発田城は、戦国の驍将・新発田重家が主君に抗い、壮絶な抵抗を繰り広げた要塞。溝口氏により近世城郭へと変貌し、三匹の鯱と海鼠壁が特徴の美城として、泰平の世を映し出す。
新府城しんぷじょう武田勝頼が築きし新府城、甲州流築城術の粋。僅か六十八日にして自ら火を放ち、武田氏滅亡の象徴となる。されど、その堅牢さは徳川家康により証明され、今も史跡として往時を語る。
高田城たかだじょう越後国えちごこく徳川家康が築いた高田城は、天下普請でわずか4ヶ月で完成。石垣を持たぬ土の城は、対豊臣・外様大名牽制の要。忠輝改易後、度重なる城主交代と災害を乗り越え、現代は桜と蓮の名所として親しまれる。
高遠城たかとおじょう高遠城は信濃の要害で、武田信玄が山本勘助に命じ武田流築城術の粋を集めた。武田氏の南信濃支配の拠点となり、仁科盛信が織田軍に玉砕。武田氏滅亡の序曲を奏でた悲劇の城。
津川城つがわじょう会津と越後の国境に位置する津川城は、金上氏が築き蘆名氏の西門として機能。金上盛備の時代に上杉氏と激闘を繰り広げるも滅亡。その後、近世城下町の礎を築き、一国一城令で廃城となった。
戸石城といしじょう信濃の要衝、戸石城は武田信玄に「戸石崩れ」を喫させた難攻不落の複合山城。真田幸隆の智略で無血開城し、真田氏の拠点に。関ヶ原では真田一族存続の舞台となり、今も戦国の記憶を伝える。
栃尾城とちおじょう越後の要害、栃尾城は長尾景虎(上杉謙信)が青年期を過ごし、初陣を飾った「旗揚げの城」。堅固な縄張りを持つも御館の乱で落城。その遺構は今も残り、謙信飛翔の地として歴史を伝える。
根知城ねちじょう根知城は、越後と信濃の国境に位置する複合型山城。上杉氏と武田氏の抗争の最前線であり、「塩の道」を扼する戦略的要衝として、軍事・経済両面で重要な役割を担った。
平林城ひらばやしじょう平林城は、越後国人領主・色部氏の拠点。慶長3年(1598年)に廃城となり、近世的改変を受けず中世末期の城郭遺構が良好に保存された「タイムカプセル」として、戦国期の築城思想を伝える。
琵琶島城びわじまじょう越後国に存在した琵琶島城は、鵜川の天然要害を利用した平城。謙信の軍師とされる宇佐美定満の居城として知られるが、その実像は伝説と乖離。柏崎湊を支配する経済・軍事要衝として、御館の乱で真価を示した。
深志城ふかしじょう信濃府中深志城は、小笠原氏の内訌に端を発し、武田信玄の信濃経略により平城へと変貌。天正壬午の乱では争奪の中心となり、石川氏により壮麗な天守を持つ松本城として完成。戦国の激動を映す名城なり。
富士吉田城ふじよしだじょう富士吉田城は甲斐・駿河・相模の国境に位置し、小山田氏の拠点。北条早雲や武田信虎の攻防の舞台となり、鎌倉街道を扼する要衝。聖地経済圏を守り、戦国期の歴史を今に。
本庄城ほんじょうじょう越後北辺の要衝、本庄城は揚北衆本庄氏の拠点として独立の気風を育んだ。本庄繁長は謙信に反旗を翻し籠城、武名を轟かせた。後に村上城と改称され、近世城郭へと変貌を遂げた。
松代城まつしろじょう武田信玄が川中島の戦いの前線拠点として築いた海津城を起源とし、甲州流築城術の粋を集めた平城。江戸期には真田信之が入封し、松代藩の藩庁となった。
安田城やすだじょう越後国えちごのくに越後には二つの安田城が存在。蒲原郡の平城は揚北衆の拠点、刈羽郡の平山城は毛利安田氏の要塞。両城は越後戦国史の多様な側面を映し出す。
与板城よいたじょう越後の要衝、与板城は飯沼氏から直江氏へ受け継がれ、直江兼続が領国経営の拠点として整備。御館の乱で景勝方を支え、治水や産業振興で繁栄するも、上杉氏の会津移封に伴い廃城。兼続の功績を今に伝える。
躑躅ヶ崎館武田氏の本拠躑躅ヶ崎館は、信虎が築き三代の栄枯盛衰を見守った。平時の居館と詰城を一体運用し、城下町甲府と共に発展。武田滅亡後は近世城郭へと変貌、現代の発掘調査でその歴史が明かされた。