最終更新日 2026-06-19

城地域分類:東北

「東北」に属する城:56件

概要
会津新宮城あいづしんぐうじょう会津新宮城は、蘆名氏と新宮氏の百年戦争の舞台。惣領制の矛盾から生じた争いは、新宮氏の滅亡と蘆名氏の戦国大名化を促した。城跡からは国際交易を示す遺物が出土し、その歴史は会津の深層を物語る。
飯野平城いいのだいらじょう飯野平城は岩城氏の拠点として磐城を支配。中世的防御思想と政治・経済・宗教を統合した複合城郭。巧みな外交で勢力を保つも、関ヶ原で東軍に与せず改易。鳥居忠政により廃城され、磐城平城が築かれた。
胆沢城いさわじょう平安初期、坂上田村麻呂が築いた胆沢城は、古代国家の威信をかけた北の拠点であった。戦国時代にはその役割を終え、新たな支配者たちは別の地を拠点とした。胆沢城の沈黙は、時代の変遷を雄弁に物語る。
石川城いしかわじょう陸奥国むつこく津軽の要衝、石川城は南部氏の津軽支配の拠点。大浦為信の奇襲で落城し、津軽氏独立の狼煙となる。その攻防は南部・津軽両氏の因縁を刻んだ。
猪苗代城いなわしろじょう猪苗代城は会津の要衝に築かれ、蘆名氏との相克を経て伊達政宗に内応。摺上原合戦で奥州の覇権を決定づけた。一国一城令の例外として存続し、戊辰戦争で焼失するも、今は公園として再生。
岩出山城いわでやまじょう奥州の要衝、岩出山城は氏家氏が築き、伊達政宗が本拠とした。葛西大崎一揆後の懲罰的移封で入城し、内川開削など近世大名としての礎を築いた。
尾浦城おうらじょう庄内の要衝、尾浦城は大宝寺氏の拠点として栄えるも、最上義光の謀略で義氏が自刃。上杉・最上氏の庄内争奪戦の中心となり、十五里ヶ原の戦いの舞台に。一国一城令で廃城となるも、公園として再生した。
大館城おおだてじょう陸奥大館城は、岩城氏の本拠として南奥羽に栄華を誇るも、関ヶ原合戦後の改易で主を失う。徳川幕府の命で磐城平城が築かれ廃城となるが、その痕跡は今も残り、戦国の記憶を伝える。
大森城おおもりじょう大森城は福島盆地の要衝に位置し、伊達氏の内乱「天文の乱」の舞台。伊達政宗の奥州統一を支え、人取橋・摺上原の戦いの策源地となる。豊臣・上杉氏を経て廃城。その歴史は南奥州の激動を映す。
小高城おだかじょう陸奥の小高城は相馬氏の拠点として270年栄え、伊達政宗との激戦を耐え抜いた。秀吉の奥州仕置で安堵されるも、中村城へ移転し廃城。今も相馬野馬追の聖地として歴史を伝える。
小手森城おでもりじょう小手森城は伊達政宗の「撫で斬り」の舞台。狭小な城に多数が籠城し、交渉決裂後800余名が犠牲に。この事件は周辺大名に恐怖を与え、畠山義継の暴発と輝宗の死、人取橋の戦いへと連鎖した。
角館城かくのだてじょう出羽の角館城は、戸沢氏が戦国乱世を駆け抜けた拠点。夜叉九郎盛安の武勇で最大版図を築くも、関ヶ原後に移封。蘆名氏、佐竹北家が統治し、一国一城令で廃城となるも、その麓に「みちのくの小京都」が花開いた。
九戸城くのへじょう九戸城は豊臣秀吉の天下統一最後の戦場。九戸政実が反乱を起こし、秀吉軍に攻囲されるも謀略で開城、悲劇的な結末を迎える。中世と近世の技術が混在し、今も地域の記憶を伝える。
黒川城くろかわじょう黒川城は蘆名氏の拠点。盛氏が二元防衛体制を築き、経済も発展。後継者問題で弱体化し、伊達政宗に奪われるも秀吉に没収。蒲生氏郷が七層天守の近世城郭鶴ヶ城へ大改修し、若松の礎を築いた。
高水寺城こうすいじじょう高水寺城は奥州斯波氏の拠点。南部氏との抗争と家臣の離反で弱体化し、南部信直に攻められ落城。豊臣秀吉の惣無事令下での滅亡は、旧来の権威の終焉を象徴。現在は城山公園として歴史を伝える。
不来方城こずかたじょう奥州の要衝、不来方城は南部信直が秀吉の命により築城を開始。九戸政実の乱を契機に、三代40年をかけ総石垣の巨城として完成。その石垣は東北の築城史に画期をもたらし、盛岡藩の礎となった。
小峰城こみねじょう奥州の関門、小峰城は白河結城氏の分家が築き、二度の下剋上で宗家を簒奪。佐竹・蘆名・伊達の狭間で翻弄され、豊臣政権下で改易。戊辰戦争や震災で被害も、復元・修復され、今も歴史を伝える。
権現堂城ごんげんどうじょう権現堂城は奥州標葉郡の要衝。標葉氏が築くも、相馬氏の侵攻と一族の内応により落城。相馬氏の支城として南の守りを担うも、関ヶ原の戦いで廃城。その悲劇は今も地域の習俗に。
鮭延城さけのべじょう出羽北方の要衝、鮭延城は小野寺氏と最上氏の攻防の舞台。名将鮭延秀綱が守り、最上家臣となり長谷堂城で奮戦。最上家改易後、廃城となるも、その名は今も地域に刻まれる。
佐沼城さぬまじょう佐沼城は、奥州の葛西・大崎両氏の境界に位置し、戦国期には争奪の的となった。葛西・大崎一揆の舞台となり、伊達政宗の謀略を経て、近世には仙台藩の要害となった。
三戸城さんのへじょう南部氏の旧本拠、三戸城は、九戸政実の乱を経て不来方城(盛岡城)へと移転。奥州統一の拠点として、南部氏の権威と中央の築城技術を象徴する。その石垣は、北の地の歴史を今に伝える。
塩生城しおなすじょう福島県南会津の塩生城は、阿賀川と闇川合流点の崖端城。蘆名氏筆頭宿老・平田氏の拠点であったが、摺上原の戦いで平田氏が伊達政宗に内通。蘆名氏滅亡後、廃城。
雫石御所しずくいしごしょ雫石御所は奥州斯波氏が南部氏に対抗し築いた要衝。将軍家由来の権威を誇示し「御所」と称された。斯波氏滅亡と共に歴史を終えるが、戦国期の権力闘争を今に。
白石城しろいしじょう陸奥の白石城は、伊達氏の南の要衝として、蒲生、上杉と城主を変える。関ヶ原の戦いで伊達氏が奪還し、片倉氏が治める。一国一城令の例外として存続し、平成に木造で忠実に復元された。
新山城しんざんじょう陸奥国むつのくに陸奥国新山城は、南北朝期に築かれ、奥州浜通りに覇を唱えた標葉氏の拠点。相馬氏や岩城氏、伊達氏との地政学的力学の中で、約300年にわたり興亡を繰り返した平山城。
須賀川城すかがわじょう南奥州の要衝、須賀川城は二階堂氏の居城として栄え、伊達政宗の猛攻に女城主・大乗院が抗戦。内応により落城し、二階堂氏は滅亡するも、その記憶は松明あかしに受け継がれる。
杉目城すぎのめじょう杉目城は、大仏城を前身とし、伊達晴宗の隠居城として天文の乱の舞台となった。奥州仕置後、福島城と改称され、近世都市福島の礎を築いた。その歴史は、伊達氏の興亡と奥州の変遷を物語る。
相馬中村城そうまなかむらじょう相馬中村城は、相馬氏の拠点として伊達氏との攻防の最前線に位置した。関ヶ原の危機を乗り越え、近世城郭として大改修。天守非再建の決断は民政重視の証。相馬氏の歴史を語る。
鳥海城ちょうかいじょう鳥海城は平安時代の鳥海柵が起源。戦国期には金ヶ崎城が要衝となり、奥州諸勢力の争奪の舞台に。江戸期には仙台藩の要害として再生。金ケ崎の地は時代を超え、奥州の戦略的要衝であり続けた。
鶴ヶ岡城つるがおかじょう鶴ヶ岡城は、中世の大宝寺城から最上氏による改称を経て、酒井氏の善政と大改修により庄内藩の拠点として完成。戊辰戦争で開城後も、領民との絆は荘内神社に受け継がれ、今も街に息づく。
寺池城てらいけじょう陸奥の寺池城は、葛西氏の拠点として栄え、豊臣秀吉の奥州仕置で改易される。木村吉清の統治下で葛西大崎一揆の舞台となり、伊達氏の要害として再生。その歴史は奥州の激動を物語る。
天童城てんどうじょう出羽天童城は、最上氏一門天童氏の拠点として、最上義光の統一事業に立ちはだかった。最上八楯の盟主として強固な抵抗を続けたが、義光の調略により落城。その歴史は、戦国期の地方国人領主の興亡を語る。
独鈷城とっこじょう出羽独鈷城は、比内浅利氏の拠点として築かれ、安東・南部両氏の狭間で存続。内紛と大勢力の謀略に翻弄され、頼平の死と共に廃城。その歴史は、戦国期の地方勢力の悲劇を物語る。
中新田城なかにいだじょう中新田城は奥州大崎氏の拠点。湿地帯を活かした平城で、大崎合戦では南条隆信の采配で伊達政宗を退け、生涯唯一の敗北を喫させた。しかし、奥州仕置で大崎氏が改易され、城も廃城となる。
浪岡御所なみおかごしょ浪岡御所は、北畠氏が津軽に築いた城塞都市。公家文化と武家社会が融合し、交易で繁栄したが、内紛と大浦為信の台頭により滅亡。その遺構は、北の地の多様な歴史を今に伝える。
浪岡城なみおかじょう陸奥の小京都、浪岡城は南朝の貴種、浪岡北畠氏の居城。八つの館が織りなす連合体城郭として栄え、京文化を花開かせた。しかし、内紛で衰退し、大浦為信の津軽統一の前に落城。名門北畠氏は滅亡した。
二本松城にほんまつじょう奥州の要衝、二本松城は畠山氏の居城として栄え、伊達政宗との死闘を繰り広げた。人取橋の戦いを経て落城、畠山氏は滅亡。近世城郭として再生するも、戊辰戦争で再び戦火に。
野辺地城のへじじょう野辺地城は南部と津軽の境界に位置し、南北朝期に築城。戦国期には対津軽の要衝となり、江戸期には湊町として繁栄。幕末の野辺地戦争を経て廃城。金鶏城の別名を持つこの城は、北の境界に生きた歴史を今に伝える。
延沢城のべさわじょう延沢城は出羽の要衝、延沢銀山を掌握し、最上氏の興亡と共に生きた山城。天女伝説の怪力武将・満延が最上義光と対立するも婚姻で臣従。最上氏改易で廃城となるも、その歴史は今も銀山温泉に息づく。
長谷堂城はせどうじょう出羽の堅城、長谷堂城は「北の関ヶ原」の舞台。志村光安が直江兼続の大軍を釘付けにし、徳川家康の天下統一に貢献した。その巧妙な防御と武将たちの死闘は今も語り継がれる。
八戸城はちのへじょう八戸城は、南部氏の戦国動乱終焉と近世大名化を象徴する城。盛岡藩の出先機関から八戸藩の藩庁となり、天守なき陣屋形式ながら地域の中心を担った。その歴史は、八戸の都市形成と文化の変遷を語る。
花巻城はなまきじょう花巻城は稗貫氏の鳥谷ヶ崎城を前身とし、南部氏の支配下へ。関ヶ原の戦いでは「夜討ち」を耐え抜き、北信愛が城下町を整備。南部政直が近世城郭として完成。一国一城令の例外として今に。
原田城はらだじょう出羽国でわのくに出羽国原田城は、伊達氏の置賜支配における戦略的要衝。天文の乱期に築かれ、土塁と堀切を主体とした戦国中期の典型的な山城で、伊達氏の北方防衛を担った。
桧山城ひやまじょう桧山城は安東氏の拠点として北羽を支配した巨大山城。湊合戦で鉄砲を駆使し勝利。佐竹氏の支城となり廃城。戦国末期山城の姿を良好に伝える貴重な史跡。
真室城まむろじょう出羽真室城は、鮭延氏の拠点として最上・小野寺両氏の狭間で存続。鮭延秀綱は長谷堂の戦いで奮戦し、敵将直江兼続も感嘆させた。最上家改易後、城は廃され、秀綱は流転の晩年を送る。
丸森城まるもりじょう丸森城は伊達・相馬国境の要衝。稙宗の隠居城として築かれ、相馬氏が支配。伊達氏の奪還戦舞台となり、政宗初陣の地にも。伊達氏支配下となるも、泰平の世となり廃城。
湊城みなとじょう湊城は秋田の日本海交易を支配した安東氏の拠点。秋田実季が湊合戦で勝利し大改修するも、佐竹氏入部で廃城。しかし土崎湊は経済拠点として繁栄し、文化を育んだ。
三春城みはるじょう陸奥の要衝、三春城は田村氏の居城として栄え、伊達・蘆名・佐竹の狭間で巧みな外交を展開。清顕の死後、伊達政宗の介入で独立を失い、豊臣秀吉の奥州仕置で改易。その歴史は今も城跡に息づく。
名生城みょうじょう奥州探題大崎氏の本拠、名生城は古代官衙跡に築かれ、奥州の歴史を千年にわたり刻んだ。戦国期には伊達氏の台頭に苦悩し、大崎合戦で一矢報いるも、秀吉の天下統一の波に飲まれ、名門大崎氏と共に終焉を迎えた。
陸奥福島城むつふくしまじょう十三湊を支配した安東氏の拠点、陸奥福島城。国際交易で栄えたが、津軽大乱と南部氏の台頭により落城。北奥の戦国時代幕開けを告げ、安東氏の流転の歴史を物語る。
本宮城もとみやじょう本宮城は奥州街道の要衝に位置する群郭式城館。天文の乱で在地領主の支配が断絶し軍事拠点へ変貌。人取橋の戦いで政宗の命を救い、南奥州制覇の橋頭保となるも、奥州仕置で廃城。
山形城やまがたじょう出羽の要衝、山形城は最上義光が築いた巨大な輪郭式平城。慶長出羽合戦で上杉軍を退け、最上氏の栄華を極めるも、お家騒動で改易。鳥居氏による近世改修を経て、今は霞城公園として歴史を伝える。
横手城よこてじょう出羽の要衝、横手城は小野寺氏が築き、最上氏との激戦を経験。関ヶ原で小野寺氏が改易後、佐竹氏の支城となり、一国一城令下でも存続。韮城の異名を持つ堅城は、幕末の兵火で焼失するも、今も歴史を伝える。
米沢城よねざわじょう米沢城は長井氏が築き、伊達氏の拠点として発展。政宗誕生の地とも伝わる。蒲生氏が統治し、関ヶ原後、上杉景勝と直江兼続が減封の地として入城。質実剛健な城と城下町を築き、米沢藩の礎となった。
利府城りふじょう利府城は奥州留守氏の支城。家督問題で村岡氏が反発し籠城するも、伊達氏支援の留守政景に攻め落とされ滅亡。利府城は伊達氏の北の拠点となるも、小田原不参で改易、廃城となる。
亘理城わたりじょう亘理城は奥州の要衝に築かれ、伊達氏の対相馬氏戦略の最前線。亘理氏が築き、伊達成実が大改修し城下町を整備。一国一城令後も「要害」として存続し、幕末には仙台藩降伏の舞台。今は亘理神社として今に。