最終更新日 2026-06-16

武将読み一覧:む

「む」に属する武将:23件

武将概要
向井忠勝むかいただかつ向井忠勝は徳川水軍の将。父・正綱の築いた基盤を継ぎ、大坂の陣で活躍。幕府の御船手頭として安宅丸を建造し、日本の海事技術発展に貢献した。
向井正綱むかいまさつな向井正綱は今川、武田、徳川に仕えた海将。武田水軍で活躍後、徳川家康に仕え御船手奉行として徳川水軍を組織。三浦按針と協力し西洋帆船建造を監督するなど、幕府の海事政策を担い、江戸の海の礎を築いた。
椋梨盛平むくなしもりひら椋梨盛平は安芸国の国人。小早川氏の庶流で、椋梨合戦で毛利元就の信頼を得た。子の弘平は小早川隆景の筆頭家老となり、一族は長州藩重臣として幕末まで続いた。
武蔵坊弁慶むさしぼうべんけい武蔵坊弁慶は源義経に仕えた伝説の僧兵。五条大橋での出会い、安宅の関での智勇、衣川での立ち往生など、忠義と剛勇の象徴として語り継がれる。
武藤友益むとうともます武藤友益は若狭の国衆。信長に一度降伏後、反信長勢に呼応し再起図るも敗れ所領を失う。本能寺の変後、明智光秀に加担し再び再起を試みるが、その後の消息は不明。
宗像氏貞むなかたうじさだ戦国期の筑前国の国人領主で宗像大社大宮司。大内や大友、毛利らの狭間にあって、祭祀権威と武家権力を併せ持ちながら、過酷な乱世の中で一族の存続に腐心した。
宗像正氏むなかたまさうじ宗像正氏は神官領主の末裔で、大内氏に仕え黒川隆尚と改名。宗像大宮司職を巡る複雑な家督争いを抱え、死後、血塗られた後継者争いを引き起こした。
武鑓重信むやりしげのぶ武鑓重信は葛西氏の忠臣。内乱鎮圧に尽力したが、主家は滅亡。葛西大崎一揆に参加するも、伊達政宗に謀殺された。彼の生涯は、戦国末期の地方武将の悲劇を象徴する。
村井貞勝むらいさだかつ村井貞勝は、信長の筆頭吏僚として京都所司代を務め、内政・外交・都市整備に辣腕を振るった。本能寺の変で信忠に殉じ、忠誠心と行政手腕で信長政権を支えた。
村井長頼むらいながより戦国から江戸初期の武将。通称又兵衛。前田利家に仕え「第一の功臣」と称される。戦場での抜群の武功の他、金沢の城下町設計などの行政でも活躍した。
村上顕国むらかみあきくに村上顕国は武田信玄を退けた村上義清の父。史料は少ないが、砥石城主として村上氏の戦略的基盤を築き、寺社建立で権威を強化。生前隠居し、義清の活躍の礎を築いた。
村上景親むらかみかげちか村上景親は、戦国時代の村上水軍の武将。海賊から武士へ転身し、激動の時代を生き抜いた。毛利氏に忠義を尽くし、長州藩の海事組織の礎を築いた人物。
村上隆重むらかみたかしげ村上隆重は能島村上氏の家督争いを収拾し武吉を後見。厳島通行料で経済基盤を確立。厳島の戦いで毛利に貢献、備中笠岡山城主として毛利水軍を指揮した戦略家。
村上武吉むらかみたけよし能島村上水軍を率いて瀬戸内海を支配し、毛利氏と結び木津川口の戦いで活躍するも、秀吉の海賊停止令により独立を失い、晩年は周防大島で隠棲した戦国武将。
村上忠勝むらかみただかつ村上忠勝は若くして改易された悲運の藩主。松平忠輝失脚、大久保長安事件、豊臣恩顧、金山が真因。丹波篠山へ流され25歳で没。学問の神に。
村上通康むらかみみちやす来島村上氏の当主で、伊予守護河野氏の宿老を務め、天文伊予の乱などの内紛を乗り越えつつ、毛利氏と協調して厳島の戦いなどで活躍した戦国武将。
村上元吉むらかみもとよし村上元吉は能島村上水軍の嫡男。第一次木津川口の戦いで織田水軍を破る武功を挙げた。海賊停止令後は毛利氏の家臣となり、関ヶ原合戦で伊予三津浜の夜襲で討死。
村上義明むらかみよしあき戦国から江戸初期の武将。一時『義明』と称される。丹羽家臣から秀吉の直臣を経て大名へ出世。越後村上藩の初代藩主となり、村上城と城下町の近世化に尽力した。
村上義清むらかみよしきよ信濃葛尾城主。武田信玄に上田原の戦いと砥石崩れで二度大勝した猛将。のちに真田幸隆らの調略で葛尾城を追われ上杉謙信に亡命。これが川中島の戦いの引き金となった。
村上義忠むらかみよしただ能島村上氏の村上義忠は、息子武吉を当主とするため内訌を主導し大内氏と連携。武吉が「日本最大の海賊」となる礎を築いた。遭難死説は史料と矛盾する。
村上吉充むらかみよしみつ因島村上水軍の第六代当主。小早川隆景の水軍に協力し、厳島の戦いや毛利氏の中国統一で水軍を率いて活躍。瀬戸内海の制海権を掌握した不屈の海将。
村田吉次むらたよしつぐ村田吉次は黒田二十四騎の一人。官兵衛の恩義で仕え、足軽大頭や代官、普請奉行を務めた能吏。武勇伝は創作の可能性が高く、組織運営に長けた官僚型武将であった。
室賀正武むろがまさたけ信濃国の有力な国人領主。室賀城主。武田家臣として活動し、主家滅亡後は巨大勢力の狭間で家名存続を模索するも、真田昌幸の調略により暗殺された。