最終更新日 2026-06-16
武将読み一覧:ゆ
「ゆ」に属する武将:25件
| 武将 | 概要 |
|---|---|
| 湯浅五助 | 湯浅五助は関ヶ原で大谷吉継の家臣として参戦。主君の自刃を介錯し、首級を敵に渡すまいと尽力。敵将との約束を貫き、命を捧げた忠義の士。 |
| 由比正雪 | 江戸前期の軍学者で「張孔堂」を主宰。武断政治下で増大した浪人の困窮を背景に、慶安4年に幕府転覆を企てるも露見し自刃。幕政を文治政治へ転換させた人物。 |
| 結城氏朝 | 結城氏朝は室町中期の武将。鎌倉公方遺児を擁立し幕府に反旗を翻す。結城合戦で敗れるも、その忠義と抵抗は後世に語り継がれ、一族再興の礎となった。 |
| 結城忠秀 | 備中三村氏の重臣、結城忠秀は大渡城主として備中兵乱で毛利軍に抵抗。降伏後、児島へ流浪し消息不明となる。戦乱に翻弄された地方武将の悲劇を体現。 |
| 結城忠正 | 結城忠正は松永久秀の重臣。当初キリスト教を弾圧したが、宣教師ロレンソに感化され受洗。畿内初のキリシタン武将「アンリケ」となり、信仰を広めた。 |
| 結城朝勝 | 宇都宮広綱の次男。結城家を継ぐはずが秀康入嗣で廃嫡。実家改易後、関ヶ原や大坂の陣で徳川方に抗戦。家名存続に執念を燃やし、佐竹氏を頼り出羽秋田の地で没した。 |
| 結城晴朝 | 結城晴朝は下総結城氏17代当主。戦国乱世を巧みな外交・軍事、二度の養子縁組で乗り切り家名を存続。秀吉に臣従し、家康次男秀康を養子に迎えるなど、現実主義を貫いた。 |
| 結城政勝 | 結城政勝は北関東の武将。父の結城・小山連合を継承し、後北条氏と同盟。海老島合戦で勝利し勢力を拡大。家臣統制に苦慮し『結城氏新法度』を制定。 |
| 結城政朝 | 結城政朝は幼くして家督を継ぎ、重臣を誅殺し権力確立。古河公方と連携、宇都宮氏を弱体化させ小山氏を掌握。北関東の覇権を確立し、結城氏を戦国大名へと変貌させた中興の祖。 |
| 結城宗広 | 結城宗広は南北朝時代の南朝忠臣。北畠顕家と京を奪還し、奥州の要となる。暴風雨で奥州帰還を阻まれ伊勢で病没。その評価は時代で変遷した。 |
| 湯川直春 | 湯川直春は紀伊の国人領主。織田信長・豊臣秀吉に抵抗し、紀州征伐ではゲリラ戦で秀吉を苦しめ本領安堵を勝ち取るも、翌年謎の死を遂げた。 |
| 湯川直光 | 戦国時代の武将。紀伊国人衆の旗頭。室町幕府奉公衆の地位を背景に自立。久米田の戦いで三好実休を討つ武功を挙げたが、直後の教興寺の戦いで討死した。 |
| 行松正盛 | 行松正盛は伯耆の国人。尼子氏の侵攻で尾高城を失い38年流浪。毛利元就の姪を妻に迎え、毛利氏の支援で尾高城を奪還するも翌年病没。死後、毛利氏に家督を乗っ取られ、一族は没落した。 |
| 遊佐続光 | 能登畠山氏の重臣。温井総貞と共に七頭の乱を主導し、畠山七人衆として実権を掌握。上杉謙信の能登侵攻に際し、内応したとされるが、近年は子の盛光が内応者とする説が有力。 |
| 遊佐長教 | 遊佐長教は河内守護代。主家畠山氏を傀儡化し、三好長慶と結び畿内を支配。権謀術数に長けたが、家臣に暗殺され、遊佐氏の河内支配は終焉した。 |
| 遊佐信教 | 遊佐信教は河内守護代。三好長慶と結び主君を追放し河内を支配。将軍義輝暗殺にも関与。後に主君を暗殺し織田信長に反旗を翻すが、敗れて処刑された。 |
| 遊佐順盛 | 遊佐順盛は河内畠山氏の守護代。主君尚順の在京中に河内国を実質的に支配し、幕府からも直接命令を受けるほど権力を確立。その没年には諸説あるが、子の長教が主家を凌駕する礎を築いた。 |
| 遊佐秀頼 | 遊佐秀頼は能登畠山氏の権臣。庶流出身ながら惣領職を継ぎ、将軍との外交で権勢を誇る。しかし、主君義総の死後、権力闘争に敗れ捕虜となり消息不明。彼の失脚は能登畠山氏の内部崩壊を象徴する。 |
| 遊佐盛光 | 遊佐盛光は能登畠山氏の守護代。父の権力闘争を継承し、長氏と対立。七尾城の戦いで上杉方に内応し長氏を滅ぼすも、織田信長に処刑された。 |
| 湯地定時 | 湯地定時は日向伊東家の忠臣。主家退去後も三納城で島津と戦う。耳川合戦で大友軍敗北し孤立。島津の策略で六野原にて奮戦の末、自害。滅びゆく主家への忠義を貫いた悲劇の武将。 |
| 湯目景康 | 湯目景康(津田景康)は伊達政宗の忠臣。人取橋の武功、葛西大崎一揆鎮圧、朝鮮出兵などで活躍。秀次事件で命懸けの直訴で政宗を救い「津田」姓を拝領。仙台藩重臣として藩政を支え、大往生を遂げた。 |
| 由布惟信 | 由布惟信は立花四天王筆頭。道雪にちなみ「雪下」と号し、三代に仕えた忠臣。道雪死後も宗茂を支え、浪人生活も共に。立花家再興に尽力し、86歳で没。忠義の理想像として語り継がれる。 |
| 由良国繁 | 上野の国衆。北条に金山城を奪われ、小田原征伐では籠城する。しかし、母・妙印尼が秀吉に帰順して戦功を立てたため赦免され、常陸牛久に移封され没した。 |
| 由良成繁 | 上野の戦国大名。主家を追って金山城主となり、由良を名乗り新田氏後裔を自称。上杉と北条の狭間で動き越相同盟の締結を仲介した。晩年は桐生城に隠居し没した。 |
| 由利鎌之助 | 由利鎌之助は真田十勇士の一人。鎖鎌や槍の名手として知られ、真田幸村に仕えた。史実性は不明だが、講談や立川文庫で英雄化され、大坂の陣などで活躍が描かれた。 |