最終更新日 2026-06-10
姫読み一覧
姫:65件
| 姫 | よみ | 概要 |
|---|---|---|
| 赤井輝子 | あかいてるこ | 赤井輝子(妙印尼)は上野国の女丈夫。71歳で金山城籠城戦を指揮し、77歳で豊臣方に参陣。由良家の存続に貢献し、「戦国最強の女武将」と称された。 |
| 明智玉子 | あけちたまこ | 明智玉子(細川ガラシャ)は戦国時代のキリシタン女性。本能寺の変で逆臣の娘となり幽閉。キリスト教に帰依し、関ヶ原前夜に人質拒否し壮絶な最期を遂げた... |
| 浅井江 | あざいごう | 戦国から江戸初期の女性。浅井三姉妹の三女(江)。二代将軍・徳川秀忠の正室。三代将軍家光の生母。豊臣や徳川という天下人の狭間で家名を繋いだ高貴な女... |
| 浅井茶々 | あざいちゃちゃ | 浅井茶々(淀殿)は浅井長政とお市の方の長女。小谷城・北ノ庄城の落城を経験。豊臣秀吉の側室となり秀頼を産むが、大坂の陣で豊臣家と共に滅亡。 |
| 浅井初 | あざいはつ | 浅井初(常高院)は浅井長政とお市の方の次女。小谷城・北ノ庄城の落城を経験。京極高次と結婚し、関ヶ原では夫を支える。大坂の陣では豊臣・徳川間の和平... |
| 阿茶局 | あちゃのつぼね | 徳川家康の側室で秀忠の養母。秘書役や従軍、大坂の陣での和議成立、秀忠の補佐、和子入内の母代などで政治・外交に深く関与し、朝廷から従一位を授けられ... |
| 井伊直虎 | いいなおとら | 遠江井伊氏の当主。相次ぐ一族の死により、女地頭として井伊谷を治め、後の井伊直政を養育。今川氏から徳川家康に接近し、井伊家存続の礎を築いた。その実... |
| 池田せん | いけだせん | 池田恒興の娘。森長可、中村一氏と二度結婚し、戦乱の世で子を育てる。女武者伝説は後世の創作だが、史料からは1万石を領した異例の女性像が浮かび上がる... |
| 生駒吉乃 | いこまきつの | 生駒吉乃は織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫の生母とされる。信長から寵愛を受け、小牧山城で病没。その生涯は史料が少なく、後世の創作の影響が大きい... |
| 出雲阿国 | いずものおくに | 江戸初期の芸能者。歌舞伎の祖。京都において「かぶき踊り」を披露して一世を風靡。後の日本伝統芸能・歌舞伎の成立と発展に決定的な影響を与えた伝説的女... |
| 五郎八姫 | いろはひめ | 五郎八姫は伊達政宗の長女。徳川家康の六男・松平忠輝と結婚するが、忠輝の改易により離縁。生涯再婚せず、キリシタン信仰を貫いたとされる。 |
| 江戸梶 | えどかじ | 徳川家康の側室。英勝院(お梶の方)。家康の深い寵愛を受け、水戸徳川家初代頼房の養母として尽力し、後の水戸家の国母的存在として強い影響力を誇った聡... |
| 黄梅院 | おうばいいん | 武田信玄の娘・黄梅院は北条氏政の正室。甲相同盟の象徴として生きたが、同盟破綻後の動向は離縁・甲斐送還説と小田原在留説で議論されている。 |
| 大祝鶴 | おおほうりつる | 大祝鶴(鶴姫)は伊予の姫。大内氏と戦い「瀬戸内のジャンヌダルク」と称された。恋人の死で入水自殺した伝承があるが、実在性や鎧の真偽は議論の的。 |
| 織田市 | おだいち | 織田信長の妹・お市の方は、浅井長政、柴田勝家と二度結婚し、波乱の生涯を送った。三人の娘は後の天下人に嫁ぎ、その血筋は皇室にも繋がる。 |
| 織田徳 | おだとく | 織田信長の長女・徳姫は、徳川家康の嫡男・松平信康の正室となる。姑・築山殿との確執から信長に訴状を送り、信康事件の引き金となる。事件後、織田家に戻... |
| 織田冬 | おだふゆ | 織田冬は信長の娘で蒲生氏郷の正室。本能寺の変で機転を利かせ、秀吉の側室誘いを拒否し尼となった。蒲生家の興亡を見届け、京都で没した。 |
| おつやの方 | おつやのかた | 織田信長の叔母で岩村城の女城主。武田方の秋山虎繁に包囲され、城兵の助命と引き換えに彼と婚姻し開城。後に城を奪還した信長の手で逆さ磔の極刑に処され... |
| 片倉喜多 | かたくらきた | 伊達政宗の傅役として、その人格形成に多大な影響を与えた。文武両道に秀で「少納言」と称され、伊達家の危機には独断で愛妾を献上するなど、才智と決断力... |
| 京極竜子 | きょうごくたつこ | 近江の名門京極高吉の娘。若狭武田元明に嫁ぐも本能寺の変で夫を失う。豊臣秀吉の側室となり、松の丸殿と称され、兄高次の出世に貢献。豊臣家滅亡後は出家... |
| 櫛橋光 | くしはしてる | 櫛橋光は黒田官兵衛の正室。実家滅亡、夫幽閉、次男の死など苦難を信仰心と才徳で乗り越え、黒田家を支え円応寺を建立。後世に名を残した。 |
| 西郷局 | さいごうのつぼね | 徳川家康の側室で二代将軍秀忠の生母。通称お愛の方。温和な人柄で、自身の強度近眼の経験から盲目の女性達を保護した。駿府で死去し、死後に従一位を追贈... |
| 斎藤帰蝶 | さいとうきちょう | 斎藤帰蝶は斎藤道三の娘で織田信長の正室。政略結婚を重ね、本能寺の変後の消息は不明。謎多き生涯は創作の題材に。美濃の蝮の娘として知られる。 |
| 斎藤福 | さいとうふく | 斎藤福(春日局)は家光の乳母。父は逆賊だが、家康に直訴し家光の将軍継嗣を確立。大奥を整備し、朝廷から春日局の称号を得て幕政に影響を与えた。 |
| 里見伏 | さとみふせ | 伏姫は『南総里見八犬伝』の聖女。父の約束のため犬と暮らし、自害で八犬士を生む。儒教・仏教・神道が融合した存在で、時代と共に多様に解釈される。 |
| 真田阿梅 | さなだおうめ | 真田阿梅は真田幸村の娘。大坂の陣後、敵方である片倉小十郎重長に保護され、後に継室となる。白石で生涯を送り、弟大八(真田守信)や妹阿菖蒲も片倉家に... |
| 三条の方 | さんじょうのかた | 武田信玄の正室、三条の方は京の公家出身。信玄との間に義信ら5子を儲けたが、父の横死や子の夭折・失明、義信事件など悲運が続き、50歳で病死。 |
| 島津亀寿 | しまづかめじゅ | 島津義久の三女。父の男子不在に伴う家督継承問題に翻弄され、従兄弟の島津家久と結婚。夫婦仲は極めて不和であったが、家中では厚く敬愛され続けた。 |
| 寿桂尼 | じゅけいに | 今川氏親の正室。夫の死後、若年の氏輝を補佐し、今川仮名目録制定に関与。花倉の乱では義元を擁立し、甲相駿三国同盟を成立させるなど、今川家の「おんな... |
| 定恵院 | じょうけいいん | 武田信虎の長女、定恵院は今川義元の正室。甲駿同盟の象徴として政略結婚し、氏真らを産む。父の追放や自身の死後も血縁が同盟維持に貢献した。 |
| 諏訪由布 | すわゆふ | 諏訪頼重の娘。父を滅ぼした武田信玄の側室となり、武田勝頼を生む。実名不詳で「由布姫」「湖衣姫」は創作名。悲劇的な運命を背負った薄幸の佳人。 |
| 瑞渓院 | ずいけいいん | 戦国時代の女性。今川氏親の娘で北条氏康の正室。氏政らの母。子女の婚姻を通じて甲相駿三国同盟など北条家の外交を支え、最後は小田原城の籠城中に死去し... |
| 関口瀬名 | せきぐちせな | 徳川家康の正室・築山殿(瀬名姫)は、今川氏との政略結婚で家康に嫁ぐ。信康事件で武田氏内通の嫌疑をかけられ、家康の命により処刑された悲劇の女性。 |
| 仙桃院 | せんとういん | 上杉謙信の姉。長尾政景の正室。夫の死後、謙信の養子となった実子景勝と、もう一人の養子景虎の家督争い「御館の乱」に巻き込まれる。上杉家の移封にも同... |
| 蔵春院 | ぞうしゅんいん | 北条氏康の娘で今川氏真の正室。早川殿。三国同盟の象徴として嫁ぎ、今川氏の没落後は夫氏真と流転の日々を送りながら、寄り添って生涯を支え続けた気高き... |
| 武田菊 | たけだきく | 武田信玄の娘として上杉景勝に嫁ぎ、甲越同盟の証となる。実家滅亡後も上杉家で賢夫人として敬愛され、外交にも貢献。寡黙な夫を支え続けた。 |
| 武田松 | たけだまつ | 信玄の娘。織田信忠と婚約するも破談。武田家滅亡で姫達と八王子へ逃れ、のち出家して信松尼と名乗る。姪らの養育や機織りの伝承などを通じ地域社会へ貢献... |
| 立花誾千代 | たちばなぎんちよ | 立花道雪の娘。7歳で家督を継ぎ女城主となる。立花宗茂に嫁ぎ、関ヶ原の戦いでは柳川城を防衛。武勇と「立花の義」を貫き、戦国を駆け抜けた女丈夫。 |
| 田村愛 | たむらめご | 伊達政宗の正室。政略結婚で嫁ぎ、京都や江戸で人質生活を送る。夫の暗殺未遂事件や子の死を乗り越え、政宗との深い絆を育む。田村家再興に尽力した賢夫人... |
| 伊達阿南 | だておなみ | 伊達晴宗の長女。二階堂盛義の正室。夫と息子たちの死後、女城主として須賀川城を治める。甥伊達政宗の降伏勧告を拒否し徹底抗戦するも落城。佐竹氏を頼り... |
| 妻木熙子 | つまきひろこ | 妻木熙子は明智光秀の正室。天然痘や黒髪を売った逸話で知られるが、史料的裏付けは乏しい。光秀の病を気遣う記録はあり、天正4年(1576年)に死去し... |
| 徳川千 | とくがわせん | 徳川千姫は徳川秀忠と江の娘。秀頼と結婚後、大坂の陣で離別。本多忠刻と再婚し姫路で暮らすも死別。晩年は天樹院として信仰に生き、長寿を全うした。 |
| 徳川督 | とくがわとく | 徳川家康の次女(督姫)。北条氏直の正室となって同盟に貢献したが、滅亡後は池田輝政に再嫁。徳川家と有力大名との間の極めて重要な政治的架け橋となった... |
| 富田信高の妻(宇喜多忠家の娘) | とみたのぶたかのつま(うきたただいえのむすめ) | 富田信高の妻(宇喜多忠家の娘)は、関ヶ原の安濃津城の戦いで夫を救うため奮戦した女武者。夫の改易後は共に配流され、その後の詳細は不明。 |
| 土田御前 | どたごぜん | 土田御前は織田信長の生母。出自は諸説あり不明。信長と信勝の母子関係は複雑。本能寺の変後は信雄、信包に庇護され、伊勢安濃津で死去。墓所は津市四天王... |
| 直江船 | なおえせん | 直江景綱の娘。直江信綱と死別後、直江兼続と再婚。兼続を支え、上杉景勝の嫡男・定勝を養育。兼続没後も藩政に影響力を持ち、文化事業にも貢献した賢夫人... |
| 成田甲斐 | なりたかい | 成田甲斐は忍城主成田氏長の娘。忍城水攻めでは武勇を示し、豊臣秀吉の側室となった。父の再興に貢献し、晩年は天秀尼と共に東慶寺に入ったとされる。 |
| 沼田麝香 | ぬまたじゃこう | 細川藤孝の正室。知勇兼備の誉れ高い賢婦であり、本能寺の変後の危機や、関ヶ原の戦いにおける田辺城籠城戦などで夫を献身的に支え抜いた。 |
| 猫御前 | ねこごぜん | 伊達政宗の側室。飯坂宗康の娘。伊達秀宗・宗清の生母については諸説あるが、宗清の養母として飯坂家再興に貢献。愛称「猫御前」は創作で広まる。 |
| 禰々御料人 | ねねごりょうにん | 武田信虎の三女で諏訪頼重の正室。両氏の政略同盟の象徴として嫁いだが、兄信玄による頼重の滅亡に伴い甲斐へ戻され、若くして病死した激動期を象徴する女... |
| 羽柴おね | はしばおね | 羽柴おね(ねね、北政所)は豊臣秀吉の正室。内助の功で秀吉を支え、家臣団育成にも尽力。秀吉没後は高台院として徳川家康とも交流し、高台寺を建立した。 |
| 本多小松 | ほんだこまつ | 本多忠勝の娘、徳川家康の養女として真田信之に嫁ぐ。関ヶ原の戦いでは沼田城を死守し、武家の気概を示す。夫との絆深く、真田家の存続に貢献した賢夫人。 |
| 前田豪 | まえだごう | 戦国から江戸初期の女性。前田利家の娘で豊臣秀吉の養女。宇喜多秀家の正室(豪姫)。関ヶ原の戦い後に夫が八丈島に流された後も仕送りを送り続け、一族を... |
| 前田まつ | まえだまつ | 前田まつは前田利家の正室。利家を支え、豊臣秀吉の妻高台院と親交を深めた。利家死後、徳川家康の圧力から前田家を守るため自ら人質となり、加賀百万石の... |
| 妙玖 | みょうきゅう | 毛利元就の正室妙玖は吉川国経の娘。元就は彼女の存命中側室を持たず、深く愛した。毛利三本の矢を産み、毛利家の発展に貢献。47歳で死去。 |
| 妙蓮夫人 | みょうれんぶじん | 種子島時尭の次女。島津義久の継室。母方の島津氏の血を引く。二人の娘をもうけるも男子に恵まれず早世。京都本能寺や霧島遠寿寺跡に墓所があり、法華宗と... |
| 村松殿 | むらまつどの | 村松殿は真田昌幸の長女。小山田茂誠に嫁ぎ、関ヶ原の戦い後、九度山に配流された弟信繁を支援。寛永7年(1630年)に66歳で没し、長野市の長国寺に... |
| 最上義 | もがみよし | 最上義姫は最上義光の妹、伊達政宗の母。政略結婚で伊達家に嫁ぎ、実家と婚家の間で調停役を果たす。政宗毒殺未遂疑惑で伊達家を出奔するも、晩年は政宗と... |
| 望月千代女 | もちづきちよめ | 望月千代女は武田信玄に仕え、「くノ一」を率いたとされる伝説的な女性。史実としての確証は乏しく、後世の創作で「女忍者頭領」のイメージが形成された。 |
| 元親夫人 | もとちかふじん | 長宗我部元親の正室。室町幕府奉公衆石谷光政の娘。明智光秀の重臣斎藤利三の義妹にあたり、この縁を通じて長宗我部氏と中央政権の繋がりを築いた。子女に... |
| 山内千代 | やまうちちよ | 山内一豊の妻、見性院(千代)。夫の出世を支えた「内助の功」の象徴。出自不明な点多く、名馬購入や密書の逸話は後世の創作。晩年は養子と深い絆。 |
| 山手殿 | やまてどの | 山手殿は真田昌幸の正室。信之・信繁の母。武田滅亡や関ヶ原で苦難を経験。晩年は出家し、上田で静かに過ごした。出自は諸説あり謎多き女性。 |
| 陽泰院 | ようたいいん | 鍋島直茂の正室で初代藩主勝茂の生母。聡明な賢妻として領民から「国母様」と慕われた。数々の動乱で的確な機転と判断力を発揮し、内助の功で佐賀藩の礎を... |
| 吉岡妙林 | よしおかみょうりん | 豊後大友氏の家臣吉岡鑑興の妻。夫の戦死後、出家し妙林尼と称す。豊薩合戦で鶴崎城を寡兵で守り抜き、奇策で島津軍を撃退。その武勇と知略は「九州の女丈... |
| 嶺松院 | れいしょういん | 今川義元の娘で武田義信の正室。甲駿同盟の象徴として武田氏へ嫁いだが、夫義信の謀反事件による廃嫡・自刃により実家へ送還され、同盟崩壊の荒波に翻弄さ... |