最終更新日 2026-06-11

武将読み一覧:す

「す」に属する武将:54件

武将よみ概要
水原親憲すいばらちかのり水原親憲は上杉景勝の重臣。大関氏出身で水原氏を継承。慶長出羽合戦で殿を務め、大坂の陣でも活躍。徳川秀忠の感状の誤記から「杉原」姓を名乗る。享年7...
陶興房すえおきふさ陶興房は大内氏の周防守護代。父の横死と兄弟の内訌を経て家督を継承。大内義興・義隆に仕え、九州経略などで活躍。和歌を嗜む文化人でもあった。養子晴賢...
末次興善すえつぐこうぜん末次興善は博多出身のキリシタン商人。長崎に移住し「興善町」を建設。息子政直は長崎代官となり朱印船貿易で栄華を極めたが、密貿易事件で一族は没落した...
陶晴賢すえはるかた陶晴賢は大内氏重臣。主君義隆に謀反(大寧寺の変)を起こし実権を掌握。しかし毛利元就との厳島の戦いで敗れ自刃。大内氏滅亡と毛利氏台頭の転換点となっ...
陶弘詮すえひろあき陶弘詮は大内氏重臣。武将として筑前を統治し、『吾妻鏡』を復元。大内文化を支えたが、甥の陶晴賢が主君を討つなど、一族の運命は皮肉に満ちていた。
末吉長増すえよしちょうます末吉長増は平野郷の豪商で、末吉家の礎を築いた。東西両家を分立させ、陸運・鉱山経営、廻船業、銀座頭役、朱印船貿易で活躍。徳川幕府の特権商人として繁...
菅沼定盈すがぬまさだみつ菅沼定盈は徳川家康の忠臣。今川氏から離反し、野田城の戦いや長篠の戦いで活躍。子孫は一度改易の危機も乗り越え、大名家として存続した。
菅沼定村すがぬまさだむら菅沼定村は奥三河の野田菅沼氏当主。今川氏に忠勤を尽くすも、弘治2年に戦死。彼の早世が息子定盈の徳川家康への帰属を促し、野田菅沼氏を大名として繁栄...
菅沼定芳すがぬまさだよし徳川家康の譜代家臣菅沼定盈の六男。兄の死後、伊勢長島藩主を継ぎ、大坂の陣で武功を挙げた。近江膳所藩主、丹波亀山藩主を歴任し、膳所焼を創始した文化...
菅沼忠久すがぬまただひさ遠江の国衆で井伊谷三人衆の一人。桶狭間の戦い後、今川氏から徳川家康に帰属。井伊直政の家臣となり「井伊の赤備え」を支えたが、子孫は井伊家を離れ旗本...
菅原久右衛門すがわらきゅうえもん菅原久右衛門は戦国期の秋田湊で活躍した廻船問屋の大商人。由緒ある「菅原」姓と有力者を示す「久右衛門」の名を持ち、高い教養と社会的信用、リーダーシ...
杉浦玄任すぎうらげんにん杉浦玄任は本願寺坊官。越前侵攻や対上杉戦線で活躍。越前一向一揆郡司となるも、内部対立と信長侵攻で敗北。最期は味方に処断された可能性が高い。
杉興運すぎおきかず大内氏の筑前守護代杉興運は、田手畷の戦いで敗北するも主君義隆の信頼厚く、大寧寺の変では最後まで忠義を貫き殉じた。その死は北部九州の勢力図に大きな...
杉興長すぎおきなが大内義興・義隆の二代にわたり筑前守護代を務め、高鳥居城を拠点に在地領主の統制や寺社の権益保護などを担い、大内氏の筑前支配の安定化に成功した戦国武...
杉重清すぎしげきよ大内義興に仕え豊前守護代を務め、主君が長期在京した際は本国の留守居として領国統治を代行し、のちに悲劇的な末路を辿る杉重矩の父とされる戦国武将。
杉重矩すぎしげのり大内氏重臣の杉重矩は、武断派として文治派と対立。主君義隆を裏切り陶晴賢と大寧寺の変を起こすも、後に晴賢と対立し自害。その死は大内氏滅亡の遠因とな...
杉重良すぎしげよし豊前守護代を務めた名門杉氏の末裔で、毛利氏に仕え豊前松山城主となるも、恩賞などの不満から大友氏と結び離反し、蓑島で毛利軍と戦い討死した戦国武将。
杉隆泰すぎたかやす大内氏の家臣で鞍掛山城主を務め、毛利氏の防長経略の際に椙杜隆康の讒言によって討伐対象となり、毛利軍の奇襲を受けて鞍掛山城で討死した戦国武将。
杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼう杉谷善住坊は織田信長を狙撃した鉄砲の名手。甲賀忍者説や伊勢国人説があり、信長包囲網の一環として六角氏に依頼された。捕縛後、鋸挽きの刑で処刑された...
杉原理興すぎはらただおき備後の国人杉原理興は、大内・尼子両氏の間で勢力を拡大。月山富田城の戦いで大内氏を裏切り尼子氏に寝返る。神辺城を巡る攻防の末、毛利元就に帰順するも...
杉原長房すぎはらながふさ杉原長房は豊臣秀吉の正室・高台院の従弟で、浅野長政の娘婿。関ヶ原では西軍に属したが、縁故により所領を安堵され、豊岡藩主として徳川政権下で活躍した...
杉原盛重すぎはらもりしげ備後の一国人から毛利氏の家臣に取り立てられ、吉川元春の右腕として山陰方面の軍事や統治を担い、山中幸盛ら尼子再興軍と死闘を繰り広げた戦国武将。
杉弘依すぎひろより大内政弘・義興の二代にわたり奉行として仕え、豊前国で被官の軍功査定や注進などを担い、大内氏の九州統治システムを実務面から支えた戦国武将。
杉若氏宗すぎわかうじむね杉若氏宗は豊臣秀吉に仕え紀伊田辺を領したが、関ヶ原で西軍につき敗北。徳川家康への奉公も空しく改易され、歴史の闇に消えた悲劇の武将。
杉若無心すぎわかむしん紀伊国の国人領主。本名は氏繁。秀吉の紀州征伐に降伏後、泊山城主2万石に取り立てられ、太閤検地や朝鮮出兵に奔走。関ヶ原の戦いで西軍に属し改易された...
菅谷勝貞すげのやかつさだ菅谷勝貞は常陸国の武将で、小田氏治を支えた忠臣。土浦城主として霞ヶ浦の水運を掌握し、智勇兼備の将として活躍。小田氏滅亡後も子孫は徳川家臣として存...
菅谷範政すげのやのりまさ戦国から江戸初期の武将。常陸小田氏の宿老。主家滅亡まで忠義を尽くし、後に徳川家康に見出されて旗本となり、戦国から近世へと家名を繋ぎ存続させた忠実...
菅谷政貞すげのやまささだ菅谷政貞は小田氏治の忠臣。土浦城主として小田城奪還戦で活躍。信太範宗謀殺事件に関与した可能性も。小田氏滅亡後、子孫は徳川旗本として存続。
薄田兼相すすきだかねすけ薄田兼相は豊臣家臣。大坂冬の陣で「橙武者」と揶揄される失態を犯すも、夏の陣・道明寺で壮絶な戦死を遂げ汚名を雪いだ。伝説の岩見重太郎と同一視される...
鈴木佐大夫すずきさだゆう戦国時代の雑賀衆の指導者。鉄砲隊を率いて織田信長に激しく抵抗したが、最後は秀吉の紀州征伐の際に殺害された。一次史料にはその名が見られない伝説的勇...
鈴木重兼すずきしげかね鈴木重兼は雑賀孫市(重秀)の兄とされるが史料は乏しい。雑賀衆の軍師として活躍したと伝わるが、その実像は後世の創作による部分が大きい。
鈴木重次すずきしげつぐ江戸時代初期の水戸藩家老。雑賀衆の末裔であり、父の重朝は鳥居元忠を討った敵将ながらも徳川頼房に召し抱えられ、家老として一族の地位を確立した。
鈴木重時すずきしげとき鈴木重時は三河の国人領主。今川氏から徳川家康に帰順し、遠江侵攻の先鋒として活躍。堀江城攻めで討死し、その死は鈴木家の徳川家での地位確立に貢献した...
鈴木重朝すずきしげとも紀伊雑賀衆の鉄砲頭。豊臣秀吉に仕え、伏見城攻防戦で鳥居元忠を討ち取る。関ヶ原で西軍敗北後、浪人となるが伊達政宗の仲介で徳川家に仕え、水戸藩重臣と...
鈴木重則すずきしげのり戦国時代の真田氏の家臣。名胡桃城代。後北条氏の謀略により城を奪われた責任を背負い自刃。彼の死と事件が、豊臣秀吉の小田原征伐の直接的な引き金となっ...
鈴木重秀すずきしげひで紀伊雑賀衆の鉄砲頭。「雑賀孫市」の名で知られ、石山合戦では織田信長を苦しめた。信長死後、豊臣秀吉に仕えるも、その生涯には不明な点が多く、複数の人...
鈴木重泰すずきしげやす加賀一向一揆の最後の指揮官。本願寺の命で加賀へ派遣され、鳥越城を築城。織田信長の柴田勝家軍と戦うも、和睦交渉を装った謀略で父子共に殺害された。
鈴木重好すずきしげよし鈴木重好は三河鈴木氏出身。失領後、井伊直政の付人として活躍。彦根藩家老となるも失脚。後に水戸徳川家初代家老として再登用され、再生を遂げた。
鈴木忠重すずきただしげ戦国から江戸初期の真田氏の家臣。真田昌幸・信之の二代に仕える。信之の死に際して殉死を許された忠臣だが、度重なる出奔から密偵の影も囁かれた謎多き武...
鈴木元信すずきもとのぶ鈴木元信は伊達政宗の重臣。出自不明ながら行政・財務手腕で台頭し、仙台藩の奉行を務める。政宗の天下取りの夢の証拠を焼却した逸話で知られる。藩政の礎...
鈴木義兼すずきよしかね紀州雑賀衆の指導者、鈴木義兼は墓碑銘で存在が伝わる謎多き人物。小牧・長久手の戦いで反秀吉連合に参加し、雑賀衆の独立を守るも、紀州征伐で終焉。
須田長義すだながよし須田長義は上杉家臣。父兄の失脚後家督を継ぎ、梁川城代として伊達政宗と対峙。松川の戦いで武功を挙げ、大坂の陣で重傷を負い若くして死去。忠義を尽くし...
須田満親すだみつちか須田満親は信濃出身の上杉家臣。武田信玄に故郷を追われ上杉謙信・景勝に仕える。北陸・信濃方面の軍事・統治を担い、直江兼続に次ぐ重臣となる。本願寺と...
須田盛久すだもりひさ須田盛久は宇都宮家臣から佐竹家臣須田氏の養子に。大坂の陣で武功を挙げ、横手城代、筆頭家老となる。婚姻政策で須田家の地位を確立し、幕末まで続く名家...
須田盛秀すだもりひで須田盛秀は二階堂家老。伊達政宗の侵攻に抗戦し須賀川城で奮戦。落城後佐竹氏に仕え、出羽横手城代として城下町整備に尽力。忠義と実務を兼ね備えた武将。
周布元兼すふもとかね石見の国人領主・周布元兼は、3歳で家督を継ぎ、毛利氏に帰属。石見銀山を巡る争奪戦や尼子再興軍との戦いに身を投じ、播磨上月城で33歳の若さで戦死。
諏訪忠恒すわただつね諏訪忠恒は江戸時代前期の諏訪藩主。大坂夏の陣で武功を挙げ、新田開発に尽力。その生涯と治績を多角的に分析し、泰平の世の礎を築いた人物像に迫る。
諏訪満隣すわみつちか戦国信濃の武将。諏訪頼重の叔父。頼重が信玄に滅ぼされた後、一族の再興に奔走し、江戸期に諏訪家が大名として復興・存続を果たす礎を築いた長老である。
諏訪頼重すわよりしげ戦国時代の武将。諏訪惣領家当主。武田信玄の義兄だが、信玄の侵攻をうけて降伏し甲府で自害。その血筋は娘の諏訪御料人を経て、四男の武田勝頼へと受け継...
諏訪頼隆すわよりたか戦国時代の信濃の武将。諏訪頼満の嫡男。家督を継ぐ前に早世し、これが諏訪惣領家の弱体化を招き、結果として隣国武田信玄による信濃侵攻を誘発する遠因と...
諏訪頼忠すわよりただ諏訪頼忠は武田信玄に滅ぼされた諏訪氏の再興者。武田家臣として雌伏後、本能寺の変に乗じ旧領を回復。徳川家康に臣従し、関ヶ原の戦功で旧領に復帰。高島...
諏訪頼水すわよりみず諏訪頼水は信濃高島藩初代藩主。神官の血脈を引く。武田氏滅亡後、父と共に徳川家康に臣従。関ヶ原・大坂の陣で功を挙げ旧領に復帰し藩政の礎を築いた。
諏訪頼満すわよりみつ諏訪頼満は分裂した諏訪氏を統一し、武田信虎を撃退。武田氏と同盟を結び最盛期を築いた「中興の英主」。しかし死後、武田信玄の侵攻で諏訪氏は滅亡した。
瑞泉寺了賢ずいせんじりょうけん瑞泉寺了賢は史料未確認。越中瑞泉寺の指導者顕秀は、一向一揆を率いて神保・上杉氏と戦い、佐々成政に敗れ瑞泉寺は落城。弟准秀が再興し、井波彫刻が生ま...