最終更新日 2026-06-11
武将読み一覧:こ
「こ」に属する武将:97件
| 武将 | よみ | 概要 |
|---|---|---|
| 小出秀政 | こいでひでまさ | 小出秀政は豊臣秀吉の縁戚で和泉岸和田藩初代藩主。行政手腕に優れ、秀頼の後見役も務めた。関ヶ原では一族を東西に分け、巧みな生存戦略で家名を存続させ... |
| 小出三尹 | こいでみつただ/みつまさ | 小出三尹は豊臣秀吉の縁戚から徳川家臣へ転身し、和泉陶器藩初代藩主となる。関ヶ原・大坂の陣で活躍、文化・姻戚関係を活かし激動の時代を生き抜いた。 |
| 小出吉親 | こいでよしちか | 丹波園部藩初代藩主。豊臣秀吉の縁者だが、関ヶ原後に徳川氏へ臣従。大坂の陣の功で出石城主を経て園部を立藩。城下町建設や治水を行い藩の礎を築いた。 |
| 小出吉英 | こいでよしふさ/よしひで | 豊臣秀吉の従甥、小出吉英は関ヶ原の戦いで両属戦略をとり、徳川の世で外様大名として家を存続。但馬出石藩主として城下町を整備し、沢庵宗彭と交流。 |
| 小出吉政 | こいでよしまさ | 秀吉の従弟。但馬出石や和泉岸和田を領す。関ヶ原で西軍に属し丹後田辺城を攻めるが、東軍に参加した弟・秀家の戦功により所領安堵され、徳川の世に家脈を... |
| 己斐直之 | こいなおゆき | 安芸国の国人、己斐直之は安芸武田氏から毛利元就に帰属。厳島の戦いで宮尾城将として奮戦し、毛利氏の勝利に貢献。己斐一族の繁栄の礎となった。 |
| 高坂昌信 | こうさかまさのぶ | 戦国時代の武田氏の宿老。春日虎綱。海津城代を務め「逃げ弾正」と称された慎重な戦術眼を誇る。武田氏の歴史と軍学を伝える甲陽軍鑑の口述者として知られ... |
| 香西元定 | こうざいもとさだ | 香西元定は讃岐の国人領主。細川高国に属し、塩飽水軍を掌握し朝鮮貿易も行い香西氏の全盛期を築いたが、高国の死後、三好氏の台頭で衰退した。 |
| 香西元長 | こうざいもとなが | 香西元長は細川政元重臣。永正の錯乱で政元を暗殺、旧勢力代表として新興勢力と対立し敗死。彼の行動は両細川の乱を招き、幕府権威失墜と三好氏台頭の遠因... |
| 香西元成 | こうざいもとなり | 戦国時代の武将。細川晴元の家臣で、丹波波多野氏の一族と推定される。三好長慶に実権を奪われた主君の復権を目指し、丹波を拠点に執拗に抵抗するも炭山城... |
| 香西元盛 | こうざいもともり | 香西元盛は丹波の国人領主の子。高国の近習として台頭するも、尹賢の讒言で誅殺。その死は桂川原の戦いを引き起こし、高国政権崩壊の引き金に。 |
| 香西佳清 | こうざいよしきよ | 香西佳清は讃岐の名門当主。18歳で失明後も「盲目の大将」として活躍。織田信長に接近し、長宗我部元親の侵攻には抗戦後降伏。豊臣秀吉の四国征伐で敗れ... |
| 光照寺道知 | こうしょうじみちち | 「光照寺道知」は史料未確認。備後光照寺の祐了は毛利元就と連携し、安芸門徒は石山合戦で毛利水軍を支援。武士と門徒が共生した稀有な事例。 |
| 香宗我部貞親 | こうそかべさだちか | 香宗我部貞親は長宗我部氏滅亡後、流浪の末に徳川幕府下で再起。春日局の斡旋で堀田正盛に仕え、佐倉藩城代家老に。養子を迎え家名を存続させ、家伝証文も... |
| 香宗我部親秀 | こうそかべちかひで | 香宗我部親秀は土佐の名門当主。嫡男を失い家運が傾くと、弟秀通を暗殺し長宗我部親泰を養子に迎えて家督を譲った。家の存続のため非情な決断を下し、長宗... |
| 香宗我部親泰 | こうそかべちかやす | 香宗我部親泰は長宗我部国親の三男で、兄元親の「分身」と評された重臣。香宗我部氏を継承後、四国統一戦で武功を挙げ、外交も担った。文禄の役で嫡男を失... |
| 香宗我部秀通 | こうそかべひでみち | 香宗我部秀通は土佐の名門香宗我部氏の悲劇の継嗣。兄親秀の嫡男戦死後、家督を継ぐも、長宗我部氏との連携を望む親秀により廃嫡され謀殺された。 |
| 河野晴通 | こうのはるみち | 河野晴通は伊予の戦国武将。家督争いの末、父を追放し当主となるが、わずか1~2年で早世。その死は河野氏衰退を決定づけ、弟に遺志が継がれた。 |
| 河野政通 | こうのまさみち | 室町時代後期の武将。安東氏に従い蝦夷地に渡る。宇須岸館を築き、これが地名「箱館」の由来とされる。血脈は曾孫の松前慶広を経て松前藩主に繋がった。 |
| 河野通有 | こうのみちあり | 河野通有は鎌倉時代の伊予の武将。承久の乱で没落した河野氏を、元寇での活躍により再興させ「中興の祖」と称された。豪胆な陣立てや奇襲で武功を挙げ、そ... |
| 河野通直(伊予守) | こうのみちなお(いよのかみ) | 伊予国の戦国大名。河野氏当主。家臣団の離反や大友氏・長宗我部氏の侵攻に直面し、豊臣秀吉の四国征伐で降伏。のちに安芸で没した伊予河野氏最後の当主。 |
| 河野通直(弾正少弼) | こうのみちなお(だんじょうしょうひつ) | 伊予河野氏第36代当主。家臣団の内紛や周辺大名の圧力に苦慮し、湯築城を改修。後継者問題で実権を失い出家。河野氏衰退の始まりを告げた。 |
| 河野通宣(河野教通の子) | こうのみちのぶ(こうののりみちのこ) | 河野通宣は伊予守護で、惣領家と予州家の内紛を収束させ伊予を再統一。来島村上氏と連携し、高野山との関係を強化。永正16年(1519年)に死去。 |
| 河野通宣(河野通直の子) | こうのみちのぶ(こうのみちなおのこ) | 伊予国の戦国大名。河野氏当主。内紛や毛利氏・大友氏などの外部侵攻に苦しみながらも、毛利氏と結んで伊予の領国維持に奔走した衰退期の悲劇の当主。 |
| 興福寺尋尊 | こうふくじじんそん | 興福寺尋尊は室町中後期から戦国初期の激動期に活躍。大和国の統治者として政治手腕を発揮し、応仁の乱を記録した『大乗院寺社雑事記』は当時の社会を知る... |
| 国府盛種 | こうもりたね | 伊勢国の武将。関氏の一族。織田信雄に仕える。小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉軍に包囲された美濃加賀野井城に籠城したが、落城に際して激戦の末に戦死し... |
| 小浦一守 | こうらかずもり | 小浦一守は越中の国人。上杉謙信、佐々成政に仕え、成政の肥後移封にも従う。浪人となるが、子の代で加賀藩士として再興。激動の時代を生き抜いた武将。 |
| 高力清長 | こうりききよなが | 徳川家康の古参家臣。「仏高力」と称され、三河一向一揆鎮圧後の仁政で人心を掌握。戦場での武功に加え、交渉や行政手腕にも長け、岩槻藩主として徳川政権... |
| 高力忠房 | こうりきただふさ | 安土桃山から江戸前期の徳川氏の譜代大名。岩槻や浜松を治め、島原の乱後の過酷な状況下において領地を見事に復興させるなど、卓越した民政手腕を発揮した... |
| 香匂高遠 | こうわのたかとお | 『太平記』の香匂高遠は、児島高徳の京都夜襲計画に参加した忍者。壬生寺の地蔵菩薩に救われ、南北朝の諜報員、南朝の忠義、信仰を象徴する文学的存在。 |
| 桑折貞長 | こおりさだなが | 伊達家重臣。天文の乱で晴宗を擁立し、稙宗を幽閉する政変を主導。奥州守護代に任じられ、権力闘争を経て宿老として活躍。子孫は伊予宇和島藩の家老家とし... |
| 桑折宗長 | こおりむねなが | 伊達二代に仕えた宿老。人取橋の戦いでは高倉城を守り伊達軍の壊滅を防ぐ。政宗期には評定衆を務め、仙台藩黎明期の体制構築を最高顧問として支え続けた文... |
| 郡宗保 | こおりむねやす | 郡宗保は摂津国人出身で豊臣秀吉に仕え、馬廻衆・黄母衣衆として活躍。関ヶ原では西軍に属しつつ黒田家の妻子を救い、大坂の陣では旗奉行として秀頼に殉じ... |
| 粉河寺蓮教 | こかわでられんきょう | 粉河寺蓮教は紀伊国の一向宗住持で、布教と軍事活動を行ったとされるが、粉河寺は天台宗で一向宗ではない。実像は鷺森御坊を拠点とした紀州一向宗と雑賀衆... |
| 国分盛顕 | こくぶんもりあき | 国分盛顕は陸奥の国衆・国分氏の当主。伊達氏の勢力拡大戦略により、伊達政重を養子に迎える形で家督を譲った。その実在性や経緯は史料間で矛盾があり、伊... |
| 国分盛氏 | こくぶんもりうじ | 国分盛氏は陸奥の国衆。伊達氏の圧力下で国分尼寺を再興し、婚姻政策で一族存続を図った。しかし、伊達政宗の介入で独立性を失い、国分氏は終焉を迎えた。 |
| 児島高徳 | こじまたかのり | 児島高徳は南北朝時代の忠臣。後醍醐天皇への「桜樹十字の詩」で知られるが、実在性は論争の的。物語ではゲリラ戦に長けた武士として描かれ、後世に国民的... |
| 小島職鎮 | こじまもとしげ | 神保氏の老臣。親上杉派として実権を握り謙信の直臣となる。織田軍に対抗し富山城を急襲して宿敵・神保長住を幽閉するも、最後は敗走し歴史の闇に消えた権... |
| 小島弥太郎 | こじまやたろう | 上杉謙信に仕えたと伝わる伝説の猛将。「鬼小島」と称され武勇の逸話が多いが、一次史料に名は確認されず、後世に理想の家臣像として創造された可能性が指... |
| 小田辺勝成 | こたべかつなり | 伊達氏の家臣。「乗込大学」の異名で知られ、単騎突撃の卓越した騎馬武勇を誇る。慶長出羽合戦や大坂の陣で活躍し、仙台藩の草創期を支えた勇将。 |
| 小平平三郎 | こだいらへいさぶろう | 戦国期の陸奥国塩釜の商人とされる人物。直接の一次史料はないが、塩釜が港湾経済の拠点として発展するなか、塩釜神社などの権益と結びつき活動した姿が再... |
| 児玉就方 | こだまなりかた | 毛利輝元らの家臣。毛利水軍の司令官として厳島の戦いなどで活躍し、瀬戸内海の制海権を掌握して毛利元就の覇業を陰で支え続けた水軍の将。 |
| 児玉就忠 | こだまなりただ | 児玉就忠は毛利元就の側近で五奉行の一人。行政手腕に優れ、毛利家の組織を支えた。その血脈は毛利輝元の後継者を生み、毛利家の存続に貢献した。 |
| 児玉就英 | こだまなりひで | 児玉就英は毛利水軍の中核を担い、第一次木津川口の戦いで織田水軍を撃破。鉄甲船に敗れ、草津城退去問題で主君に抵抗するも応じた。戦国から近世への移行... |
| 木造雄利 | こづくりかつとし | 木造雄利は伊勢の名門木造氏出身。僧侶から還俗し滝川姓を拝領。織田信雄、豊臣秀吉、徳川秀忠に仕え、関ヶ原で改易後も大名として復活した才人。 |
| 木造俊茂 | こづくりとししげ | 北畠一門の木造家当主。従三位・参議に昇る公家武将で、木造城を大改修した。実子を廃し宗家から迎えた養子が織田氏へ内応し、宗家滅亡の契機となった戦国... |
| 木造具政 | こづくりともまさ | 北畠晴具の三男で木造家当主。織田信長の伊勢侵攻に際し、実兄・具教に背き帰順。小牧・長久手の戦いでは戸木城に籠城し、蒲生氏郷の大軍を半年近く防ぎき... |
| 木造具康(木造俊茂の子) | こづくりともやす(こづくりとししげのこ) | 木造具康は伊勢国司北畠氏の庶流。公家としても活動し、北畠晴具に仕える。父・俊茂に殺害されたという説が有力で、その死後、木造家は北畠具政が継いだ。 |
| 木造長正 | こづくりながまさ | 木造長正は伊勢北畠氏の庶流。織田信雄に仕え、小牧・長久手の戦いで戸木城に籠城。関ヶ原では織田秀信の家老として奮戦後、福島正則に仕えた。 |
| 木造長政(木造具政の子) | こづくりながまさ(こづくりともまさのこ) | 戦国から江戸初期の武将。北畠一族の木造具政の子。主家の衰退に伴い織田信長に降伏。のちに豊臣秀吉や徳川家康に仕え、家名を存続させた戦国武将。 |
| 籠手田安一 | こてだやすかず | 戦国から江戸初期の松浦氏の重臣。洗礼名ドン・ジェロニモ。キリシタン武将として篤い信仰を抱き、最後は信仰を守るため地位や領地を捨てて出奔した人物。 |
| 籠手田安経 | こてだやすつね | 籠手田安経は平戸松浦氏の重臣で熱心なキリシタン。主君に反し生月島をキリスト教化。信仰と忠誠に苦悩し、死後一族は出奔するも、その遺志はかくれキリシ... |
| 籠手田安昌 | こてだやすまさ | 肥前の松浦隆信を擁立した筆頭家老。親子で受洗しキリシタン領主の祖となった。軍事司令官として覇権確立を支えたキングメーカーで、その威勢は子孫へと継... |
| 小寺則職 | こでらのりもと | 小寺則職は播磨の戦国武将。父と旧主の仇を討ち、御着城主として勢力を拡大。赤松氏と浦上氏の間を巧みに渡り、小寺家を独立勢力に導いた智将。 |
| 小寺政隆 | こでらまさたか | 播磨の小寺政隆は、赤松氏重臣として姫路城主を継承。浦上村宗との対立の中、御着城を築城。主君・赤松義村に忠義を尽くし庄山城で討死。小寺氏再興の伏線... |
| 小寺政職 | こでらまさもと | 小寺政職は播磨の戦国武将。黒田官兵衛を重用し勢力拡大。織田と毛利の狭間で毛利に与し、御着城を失い没落。その評価は再検証されている。 |
| 小西行景 | こにしゆきかげ | 小西行景は小西行長の弟でキリシタン。宇土城代として肥後を統治。関ヶ原の戦いでは宇土城を守備し加藤清正軍と戦うが、開城後に処刑されたとする新説が有... |
| 小西行長 | こにしゆきなが | 戦国大名。堺の薬種商人の出自から豊臣秀吉に抜擢され、肥後南半国の領主となる。朝鮮の役では先陣や外交交渉で活躍し、関ヶ原後に斬首された忠臣。 |
| 近衛前久 | このえさきひさ | 近衛前久は五摂家筆頭の公卿。戦国乱世に武家と連携し、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と交流。娘を天皇に入内させ、近衛家の永続的地位を確立し... |
| 近衛尚通 | このえひさみち | 近衛尚通は戦国期の摂関家当主。娘を将軍や大名に嫁がせ武家と結びつき、文化を政治・経済に活用。荘園崩壊下で経済的優位を保ち、近衛家を維持。乱世を生... |
| 小早川興景 | こばやかわおきかげ | 竹原小早川家当主。毛利氏と婚姻し吉田郡山城の戦いで元就を救援。23歳で急死するが、彼の死は隆景の養子入りと毛利両川体制の構築へと繋がる重要な契機... |
| 小早川興平 | こばやかわおきひら | 幼くして家督を継いだ小早川興平は、大内・尼子両勢力に翻弄された。後見人に支えられ夭折するも、毛利隆景による両小早川家統一の礎となった。 |
| 小早川繁平 | こばやかわしげひら | 小早川繁平は沼田小早川氏の当主。父の戦死後、幼くして家督を継ぐが、失明を理由に毛利元就の謀略で家督を奪われる。短い生涯は乱世に翻弄された名門の終... |
| 小早川扶平 | こばやかわすけひら | 安芸国の国人領主。沼田小早川家当主。細川政元を頼り中央政局と連携するも、政元暗殺後の激動の情勢で去就を定められぬまま若くして夭折した当主。 |
| 小早川隆景 | こばやかわたかかげ | 小早川隆景は毛利元就の三男。「毛利両川」の一人として毛利家を支え、豊臣秀吉の五大老となる。知略と水軍を駆使し、中国地方の覇権確立に貢献した。 |
| 小早川敬平 | こばやかわたかひら | 応仁の乱を生き抜いた小早川敬平は、明応の政変を機に大内氏と親類契約を結び、領国経営を強化し戦国領主へ転換。小早川氏中興の祖と評価される。 |
| 小早川秀秋 | こばやかわひであき | 安土桃山時代の戦国大名。豊臣秀吉の養子から小早川隆景の養子となる。関ヶ原の戦いでは西軍から東軍へ寝返り、東軍勝利の決定打となった。 |
| 小早川秀包 | こばやかわひでかね | 小早川秀包は毛利元就の九男。豊臣秀吉の養子となり、小早川隆景の跡を継ぐ。キリシタン大名として活躍したが、関ヶ原で改易され若くして病没。 |
| 小早川弘平 | こばやかわひろひら | 小早川弘平は戦国初期の安芸国人領主。大内・尼子氏の狭間で、沼田小早川家の後見人となり一族の分裂を回避。水軍を強化し、毛利氏台頭の礎を築いた政治家... |
| 小早川正平 | こばやかわまさひら | 戦国期の安芸の国人領主。小早川家当主。月山富田城の戦いの敗走で殿を務め戦死した。彼の死による家中の空白が、隣国の毛利元就による介入を招く契機とな... |
| 小林良道 | こばやしよしみち | 小林良道は蝦夷地の豪族で、蠣崎氏に仕えた。若狭武田家への使節として派遣され、主家の権威確立に貢献。彼の生涯は蝦夷地和人社会の転換点を示す。 |
| 小堀遠州 | こぼりえんしゅう | 小堀遠州は武将・作事奉行・茶人。千利休・古田織部の茶を継承し「綺麗さび」を創出。将軍家茶道指南役となり、建築・作庭にも才能を発揮した。 |
| 駒井高白斎 | こまいこうはくさい | 駒井高白斎は武田信虎・信玄に仕えた譜代家老。内政・外交・軍事全般を担い、『高白斎記』を遺した万能型側近。武田二十四将には数えられないが、武田氏の... |
| 駒井重勝 | こまいしげかつ | 駒井重勝は豊臣秀次の能吏。水運管理の専門知識を持ち、秀次事件を乗り越え秀吉直臣に。関ヶ原で失領後も前田家に仕え、吏僚として激動の時代を生き抜いた... |
| 小牧源太 | こまきげんた | 美濃国の武将。斎藤道三に仕え「美濃屈指の槍の名手」と恐れられる。長良川の戦いにおいて道三の首級を挙げる抜群の武功を立てた槍術に優れた猛将。 |
| 駒木根利政 | こまきねとしまさ | 戦国から江戸初期の武将。地侍の統率に長けた行政官で、岩城郡の代官を務めた。関ヶ原の戦い後は徳川氏に仕え、平藩主・鳥居忠政を支え藩政に尽力した能吏... |
| 小間常光 | こまつねみつ | 小間常光は越中椎名氏の宿老。主君康胤に仕え、外交と内政を担う。上杉謙信への従属を管理したが、主君の謀反により椎名家滅亡と共に歴史から姿を消した。 |
| 小梁川宗朝 | こやながわむねとも | 伊達氏の一門。小梁川氏当主。天文の乱では、嫡男晴宗により幽閉された伊達稙宗を単身救出。乱後も隠居の稙宗に従い、その死に際して殉死した忠臣。 |
| 小梁川宗秀 | こやながわむねひで | 戦国時代の伊達氏武将。天文の乱では父・宗朝と共に稙宗方として奮戦。後に伊達輝宗に仕え、中野宗時追討(元亀の変)の先鋒を務めたが、小松城攻めにて壮... |
| 小梁川盛宗 | こやながわもりむね | 小梁川盛宗は伊達三代を支えた智勇の将。高畠城主として活躍し、元亀の変を乗り越え、政宗の最高顧問「泥蟠斎」として献策。伊達家の激動期を京都で終えた... |
| 木幡高清 | こわたたかきよ | 相馬氏五代に仕えた重臣。傅役や検地代官を務め藩体制の確立に貢献し、戦国期から江戸初期を生き抜いて百六歳の天寿を全うした相馬家の生き字引たる戦国武... |
| 木幡継清 | こわたつぐきよ | 戦国から江戸初期の武将。相馬氏三代に仕えた重臣。駒ヶ嶺の戦いで総崩れとなった際、殿を務めて敵の追撃を食い止め、主君盛胤を無事退却させた抜群の武功... |
| 近藤政成 | こんどうまさなり | 近藤政成は堀秀政の四男で、近藤重勝の養子。徳川家康に仕え、大坂の陣で戦功を挙げ近藤藩を立藩。早世により旗本となるも、家は存続した。 |
| 近藤康用 | こんどうやすもち | 遠江の国人領主。井伊谷三人衆の一員として徳川家康に帰順し、今川や武田との戦いで武功を挙げた。勢力の狭間で巧みに立ち回り、家名を存続させた知勇の武... |
| 近藤義武 | こんどうよしたけ | 松前藩重臣近藤義武は、蝦夷地で活躍した旧館主家四代目。花山院忠長接待に関与し、大坂夏の陣にも従軍。その生涯は辺境と中央を結び、近藤家文書は松前藩... |
| 後藤賢豊 | ごとうかたとよ | 六角氏の宿老、後藤賢豊は「六角の両藤」と称された智勇兼備の武将。主君義治に謀殺された観音寺騒動の悲劇の主人公。六角氏衰退の遠因となった。 |
| 後藤勝国 | ごとうかつくに | 美作後藤氏当主。塩湯郷の温泉資源を背景とする経済力を持ち、巨大勢力による戦乱期に巧みな外交で領国を戦火から守り、次代の全盛期の礎を築いた賢明な統... |
| 後藤勝政 | ごとうかつまさ | 美作後藤氏は戦国時代、東作州に覇を唱えた国人領主。父の仇討ちを遂げた後藤勝政、全盛期を築くも宇喜多直家との死闘で滅亡した勝基の興亡を詳述。 |
| 後藤勝元 | ごとうかつもと | 美作三星城を本拠に東美作を統一した国人領主。宇喜多直家と結ぶも下剋上に反発して対立し、調略によって三星城を落とされ敗走の末に自害した悲劇の戦国武... |
| 後藤寿庵 | ごとうじゅあん | 伊達家臣のキリシタン武将。西洋土木術で寿庵堰を築き、不毛の胆沢平野を潤した。禁教令下で信仰を貫き出奔。治水の功績は今も地域を支え、郷土の偉人とし... |
| 五島純玄 | ごとうすみはる | 五島純玄は五島列島領主。キリシタンだが家中の対立と秀吉の禁教令で迫害者に。朝鮮出兵中に病没するも、家の存続のため宿敵の叔父を後継に指名した。 |
| 後藤高治 | ごとうたかはる | 近江国の有力な国人領主。六角氏の重臣として活動するも、のちに織田信長に仕えて本領を維持し、蒲生氏らと連携して戦乱の世を生き抜いた戦国武将。 |
| 五藤為重 | ごとうためしげ | 五藤為重は山内一豊の家老。兄為浄の忠義を受け継ぎ、天正大地震で一豊の妻を救出。土佐入国後は安芸城主となり、土居廓中整備や産業振興で藩政の礎を築い... |
| 後藤信康 | ごとうのぶやす | 後藤信康は伊達政宗の家臣で「黄後藤」と称された猛将。檜原城主として蘆名氏と戦い、摺上原の戦いなどで活躍。後に改易されるも赦免され復帰した。 |
| 五島玄雅 | ごとうはるまさ | 五島玄雅は初代福江藩主。家督争いや信仰の苦悩を乗り越え、朝鮮出兵で武功。関ヶ原では中立を保ち五島家を存続。幕府の圧力でキリシタン弾圧に転じたが、... |
| 後藤又兵衛 | ごとうまたべえ | 戦国期の武将。黒田孝高に仕え朝鮮出兵等で活躍したが、長政と確執し出奔。奉公構で浪人となるも、大坂の陣で豊臣方の主力(大坂五人衆)として道明寺で討... |
| 後藤元政 | ごとうもとまさ | 戦国時代の美作の武将。後藤氏当主。父と共に宇喜多直家の侵攻に抗い三星城に籠城。落城後の消息は不明だが、子孫が商人として生き残り家名を繋いだと伝わ... |