最終更新日 2026-06-11
武将読み一覧:い
「い」に属する武将:208件
| 武将 | よみ | 概要 |
|---|---|---|
| 飯篠家直 | いいざさいえなお | 飯篠家直は天真正伝香取神道流の祖。戦乱を経験し「兵法は平法なり」の思想を確立。武術を平和のための道と昇華させ、後世の武道に多大な影響を与えた。 |
| 飯島為政 | いいじまためまさ | 信濃の国人領主・飯島為次は、伊那街道を掌握し経済力を背景に「春近五人衆」を率いた。武田氏に属し、高遠城の戦いで討死。子孫は帰農し、地域の指導者と... |
| 飯田興秀 | いいだおきひで | 戦国時代の大内氏の重臣。石見守を称す。九州の統治や対外折衝で重きをなしたが、陶晴賢の謀叛に端を発する主家の没落に翻弄され没落した宿老。 |
| 飯田覚兵衛 | いいだかくべえ | 加藤清正の重臣。賤ヶ岳の戦いや朝鮮出兵で武功を挙げ、晋州城攻めでは亀甲車を製作。熊本城の飯田丸に名を残す築城の名手。加藤家改易後、黒田家に仕え、... |
| 井伊直勝 | いいなおかつ | 井伊直勝は井伊直政の嫡男。彦根藩主となるも、弟直孝に家督を譲り安中藩主へ。温和な性格で、時代の要請と家康の意向に翻弄された生涯を送った。 |
| 井伊直孝 | いいなおたか | 井伊直孝は井伊直政の次男。大坂の陣で武功を挙げ彦根藩主となり、彦根城を完成。徳川秀忠・家光の後見役を務め、幕政の安定に貢献。「夜叉掃部」の異名を... |
| 井伊直親 | いいなおちか | 井伊直親は戦国時代の井伊氏当主。父の死後、信濃へ逃亡。帰還し家督を継ぐも、讒言で非業の死を遂げた。子に井伊直政。その実像は諸説ある。 |
| 井伊直政 | いいなおまさ | 徳川家康に仕え、武田の赤備えを継承し「井伊の赤鬼」と恐れられた猛将。関ヶ原で活躍し、戦後処理にも尽力。彦根藩主となり、井伊家繁栄の礎を築いた。 |
| 井伊直盛 | いいなおもり | 戦国時代の遠江国の国人領主。今川氏の支配下で井伊谷を統治し、桶狭間の戦いにおいて今川義元に従い先鋒を務めるも、壮絶な戦死を遂げた悲劇の武将。 |
| 飯尾定宗 | いいのおさだむね | 戦国時代の武将。織田氏 of 血を引きながらも飯尾家の養子となる。織田信長に仕え、桶狭間の戦いの前哨戦である鷲津砦の戦いにおいて今川軍と防戦の末... |
| 飯尾連竜 | いいのおつらたつ | 戦国時代の武将。今川氏の家臣で遠江引間城主。桶狭間の戦い後に徳川氏へ内通したと疑われ、今川氏真と抗争の末に和睦するも、駿府に召喚され謀殺された。 |
| 伊王野資信 | いおうのすけのぶ | 伊王野資信は下野の武将。那須氏庶流で那須七党の一員。小田原征伐で本領安堵、文禄・慶長の役で武功。関ヶ原で東軍につき勝利し加増されるも、嫡男を失い... |
| 斑鳩平次 | いかるがへいじ | 加藤清正の重臣。「加藤十六将」の一人。庄林一心の推挙で仕官し、文禄・慶長の役などの海戦で一番槍を七度も挙げて武名を轟かせた勇猛な武将。 |
| 伊賀久隆 | いがひさたか | 備前国の国人領主で虎倉城主。当初は松田氏の重臣として活躍するも、のちに宇喜多直家に臣従してその版図拡大に大きく貢献した備前の勇将。 |
| 飯川光誠 | いがわみつのぶ | 飯川光誠は能登畠山氏の重臣。主君義綱を支え、温井総貞暗殺に関与。弘治の内乱を鎮圧するも、永禄九年の政変で能登を追放され、亡命先で再起を図った。 |
| 伊木遠雄 | いぎとおかつ | 伊木遠雄は豊臣秀吉の黄母衣衆。賤ヶ岳で活躍し、関ヶ原で浪人。大坂の陣で真田幸村の軍監となり、豊臣家に殉じた。その忠義は後世に語り継がれる。 |
| 池田勝正 | いけだかつまさ | 摂津国の有力な国人領主。池田城主。織田信長に臣従し、摂津三守護の一人として勢力を維持するも、のちに家臣の荒木村重らの謀反によって追放された。 |
| 池田重利 | いけだしげとし | 池田重利は本願寺坊官の子。池田輝政を頼り武士となり、大坂の陣で戦功を挙げ播磨新宮藩主となる。藩は短命に終わるも、家系は旗本として存続した。 |
| 池田忠雄 | いけだただかつ | 江戸初期の岡山藩主。家康の外孫。大坂の陣で活躍。岡山城月見櫓の築造や田原用水の開削で藩の基盤を確立。寵臣殺害を巡る「河合又五郎事件」の仇討ちを遺... |
| 池田恒興 | いけだつねおき | 池田恒興は織田信長の乳兄弟。信長に仕え各地で武功を重ね、摂津国主となる。本能寺の変後、秀吉に臣従し美濃大垣城主となるが、小牧・長久手の戦いで戦死... |
| 池田輝澄 | いけだてるずみ | 徳川家康の外孫池田輝澄は、播磨山崎藩主。藩内における新旧家臣間の対立「池田騒動」を収拾できず、家中不取締りの責任を問われ改易。改易後も徳川家康の... |
| 池田輝政 | いけだてるまさ | 池田輝政は織田・豊臣・徳川三英傑に仕えた武将。関ヶ原で東軍につき姫路52万石を得て「西国の将軍」と称された。姫路城を大改修し、泰平の世の礎を築い... |
| 池田利隆 | いけだとしたか | 池田利隆は輝政の子として関ヶ原・大坂の陣で活躍。備前監国や姫路藩主を務め徳川家との関係を強化。33歳で早世するも、子・光政が池田家を繁栄させた。 |
| 池田知正 | いけだともまさ | 摂津池田城主。荒木村重と結び兄を追放し家督継承。後に村重の臣下となり、その謀反で妻子を失う悲劇に遭うも生き延び、秀吉や家康に仕えて家名を繋いだ強... |
| 池田長正 | いけだながまさ | 池田長正は摂津池田城主。織田信長に降伏後、摂津三守護の一人となる。しかし、家臣・荒木村重と弟・知正のクーデターで追放され、失脚した。 |
| 池田長吉 | いけだながよし | 池田長吉は池田恒興の三男。秀吉の猶子となり、関ヶ原で東軍として戦功。鳥取藩初代藩主として城と城下町を整備。45歳で死去し、その直系は断絶した。 |
| 池田長幸 | いけだながよし | 池田長幸は池田長吉の長男。因幡鳥取藩主から備中松山藩初代藩主へ移封。大坂の陣で戦功を挙げ、新田開発や城下町整備に尽力。46歳で死去。 |
| 池田信正 | いけだのぶまさ | 摂津池田城主。細川晴元に仕え重用されたが、後に細川氏綱方に寝返り降伏。舅・三好政長の讒言もあり切腹。その死は三好長慶の挙兵と台頭の直接的な契機と... |
| 池田秀氏 | いけだひでうじ | 池田秀氏は豊臣秀吉に仕え伊予大洲領主となる。関ヶ原で西軍につき改易されるも、藤堂高虎に仕官し再起。乱世を生き抜き、新時代に適応した武将。その生涯... |
| 池田政綱 | いけだまさつな | 戦国から江戸初期の武将。池田輝政の五男。播磨赤穂藩の初代藩主。領国統治や安定化に努め、池田氏の藩政確立に貢献するも若くして夭折した当主。 |
| 池田光政 | いけだみつまさ | 池田光政は江戸初期の備前岡山藩主。「三名君」の一人。儒学を藩政理念とし、新田開発、治水、教育振興に尽力。花畠教場や閑谷学校を創設した。 |
| 池田元助 | いけだもとすけ | 池田元助は織田・豊臣政権移行期の武将。信長・秀吉に重用され岐阜城主となるも、小牧・長久手で父と戦死。その死は歴史に影響を与え、子孫は大石内蔵助に... |
| 池田盛周 | いけだもりちか | 出羽国の武将、池田盛周は朝日山城主として大宝寺・最上・上杉氏の間を渡り歩き、太閤検地には「悪次郎」と称し抵抗。慶長出羽合戦参戦後、最上家改易で帰... |
| 生駒一正 | いこまかずまさ | 生駒一正は織田・豊臣・徳川に仕えた武将。関ヶ原で東軍に属し、父が西軍ながら生駒家を存続・加増させた。讃岐高松藩二代藩主として藩政を確立した。 |
| 生駒高俊 | いこまたかとし | 生駒高俊は讃岐高松藩主。幼少で家督を継ぎ、後見人介入と家臣対立で「生駒騒動」が勃発し改易。暗君と評されるも、時代の構造的要因が背景。その家は幕末... |
| 生駒親正 | いこまちかまさ | 生駒親正は織田・豊臣に仕え、讃岐高松藩主となる。高松城を築城。関ヶ原で西軍参加も嫡男を東軍に送り家を存続。家は後に騒動で減封も再興。 |
| 生駒利豊 | いこまとしとよ | 尾張生駒家5代当主。豊臣秀次に仕えるも秀次事件を切り抜け、関ヶ原では東軍に与し、のち尾張藩士となって名古屋開府に立ち会い、96歳の長寿を全うした... |
| 生駒正俊 | いこままさとし | 戦国から江戸初期の武将。讃岐高松藩主。生駒一正の長男。関ヶ原の戦いでは東軍に味方して本領を維持し、讃岐国高松藩の藩政確立に努めた有能な藩主。 |
| 猪去詮義 | いさりあきよし | 猪去詮義は斯波詮高の三男で猪去館主。斯波氏の「三御所」の一角を担う。南部氏との抗争で斯波氏滅亡、猪去館も落城。子孫は南部藩士となる。 |
| 伊沢綱俊 | いざわつなとし | 阿波国の有力な国人領主。羽柴秀吉の四国征伐後に阿波へ入国した蜂須賀家政に対して起きた一揆を鎮圧し、その功績から与頭庄屋として地域支配を支えた。 |
| 石川昭光 | いしかわあきみつ | 石川昭光は伊達晴宗の四男。陸奥石川氏を継ぎ、将軍義昭から偏諱を受け独立領主となる。小田原征伐不参で改易されるも、甥の伊達政宗に庇護され、仙台藩一... |
| 石川家成 | いしかわいえなり | 石川家成は徳川家康の母方の従兄で譜代家臣。三河一向一揆で家康に忠誠を尽くし、西三河旗頭、掛川城主として活躍。晩年には大垣藩主となり、石川家の存続... |
| 石川数正 | いしかわかずまさ | 石川数正は徳川家康の重臣。今川氏からの妻子奪還や清洲同盟で活躍。天正13年、秀吉に出奔し松本城主となる。その出奔理由は謎に包まれている。 |
| 石川五右衛門 | いしかわごえもん | 石川五右衛門は安土桃山時代の盗賊。1594年に京都で釜煎りの刑に処された。史実では凶悪犯だが、江戸時代以降の創作で「義賊」として伝説化された。 |
| 石川貞清 | いしかわさだきよ | 石川貞清は豊臣秀吉の譜代家臣で犬山城主。関ヶ原で西軍に属し改易されるも助命。後に商人・茶人「宗林」として再起し、真田信繁遺族を支援した。 |
| 石川貞政 | いしかわさだまさ | 石川貞政は美濃石川氏出身の武将。豊臣秀吉に仕え、後に徳川家康に臣従。関ヶ原で一番首の功名を挙げ、大坂の陣にも参陣。石河家を大身旗本として存続させ... |
| 石川貞通 | いしかわさだみち | 石川貞通は豊臣秀吉に仕え、武功と文治で活躍し大名となる。関ヶ原で西軍につき改易後、盛岡へ配流。子孫は盛岡藩士として家名を再興。豊臣政権の興亡と江... |
| 石川重之 | いしかわしげゆき | 石川重之は徳川譜代の武士。大坂の陣で軍令を破り致仕後、石川丈山として文人の道へ。詩仙堂を造営し、漢詩・書・作庭で名を馳せた。武から文へ転身した稀... |
| 石川丈山 | いしかわじょうざん | 石川丈山は徳川家康の近習だったが、大坂夏の陣での軍令違反で浪人。その後、儒学・漢詩・書・作庭に秀でた文人となり、京都に詩仙堂を建立。90歳で死去... |
| 石川高信 | いしかわたかのぶ | 陸奥国の戦国大名。南部氏の重臣。石川城主。津軽地方の支配強化や周辺勢力との戦いで武功を挙げるも、のちに大浦為信の謀反により自害した悲劇の将。 |
| 石川忠総 | いしかわただふさ | 石川忠総は大久保忠隣の次男で、石川家成の養子。大垣藩主から膳所藩主まで歴任し、大坂の陣で武功を挙げた。文化人としても『石川忠総留書』を著し、膳所... |
| 石川直経 | いしかわなおつね | 石川直経は丹後一色氏家臣で加悦城主。延永春信の乱で一度敗れるも反攻し撃退。後に伊賀氏の反乱で嫡男と共に自刃。丹後石川氏の歴史を終焉させた。 |
| 石川彦七郎 | いしかわひこしちろう | 陸前塩釜の商人。史料に名前がなく創作上の人物とされるが、茶湯や弓を嗜む富裕商人の典型像。伊達領内の港町塩釜を舞台に、商業活動や文化交流に従事した... |
| 石川久智 | いしかわひさとも | 石川久智は備中幸山城主。三村氏の配下として宇喜多氏と戦い、永禄10年(1567年)の明善寺合戦で討死した。その死後、子・久式が家督を継いだ。 |
| 石川久式 | いしかわひさのり | 備中幸山城主。義兄三村元親に与し、毛利氏と戦う。備中松山城攻防戦で奮戦するも、家臣の裏切りにより妻子を人質に取られ、最後は自刃した悲劇の武将。 |
| 石川通清 | いしかわみちきよ | 石川通清は伊予石川氏の武将。河野氏・三好氏・長宗我部氏と主を変え、婚姻政策で勢力維持。高峠城を拠点とするも、高尾城の事件で一族内に亀裂。天正の陣... |
| 石川康長 | いしかわやすなが | 戦国から江戸初期の武将。石川数正の長男。信濃松本藩初代藩主。大久保長安の事件に連座し改易されるも、松本城の整備などに尽力した戦国大名。 |
| 石川康通 | いしかわやすみち | 徳川家康の母方の従甥。高天神城の戦いで掛川城を守り、従兄石川数正の出奔後も忠誠を貫いた。関ヶ原の戦い後、美濃大垣藩初代藩主となるも早世。 |
| 石川六兵衛 | いしかわろくべえ | 石川六兵衛は江戸前期の豪商で、その奢侈が幕府の逆鱗に触れ没落。戦国期の秋田湊には同名の豪商の記録はないが、安東氏支配下で日本海交易を担った無名の... |
| 石川康勝 | いしかわ・やすかつ | 石川康勝は石川数正の次男。父の出奔後豊臣大名となるが、兄の改易に連座し所領を失う。大坂の陣で豊臣方として参戦し、真田信繁隊の寄騎として奮戦、討死... |
| 石亀信房 | いしがめのぶふさ | 石亀信房は南部政康の四男。兄・安信から石亀の地を与えられ、石亀氏を称す。不来方城代として南方の斯波氏に備えた。子孫は南部藩で存続した。 |
| 石谷政清 | いしがやまさきよ | 戦国時代の遠江の国人領主。今川や武田、徳川といった巨大勢力の狭間で生存を模索し、家康の台頭後は徳川氏に帰順して幕臣としての石谷氏の礎を築いた武将... |
| 石田重家 | いしだしげいえ | 石田重家は石田三成の嫡男。関ヶ原敗戦後、妙心寺寿聖院で出家し済院宗享となる。徳川家康に助命され、寿聖院の再建に尽力。晩年や子孫には諸説あり。 |
| 石田重成 | いしだしげなり | 石田重成は石田三成の次男。関ヶ原後、津軽藩に杉山源吾として仕え、家老職に。津軽で石田家の血脈を繋ぎ、子孫は繁栄。墓石には「豊臣成範」と刻まれる。 |
| 石田正澄 | いしだまさずみ | 石田正澄は石田三成の兄。豊臣秀吉に仕え、代官や検地奉行、堺奉行などを歴任。関ヶ原で佐和山城を守備し、父・正継、長男・朝成と共に自刃。行政能力に優... |
| 石田正継 | いしだまさつぐ | 石田正継は石田三成の父。近江の土豪出身で、秀吉に仕え、三成を補佐し佐和山城代を務める。関ヶ原で佐和山城が落城し、一族と共に自刃。文武に秀でた実直... |
| 石田三成 | いしだみつなり | 石田三成は豊臣秀吉の忠臣で行政手腕に優れ、太閤検地や兵站で活躍。五奉行となるも、秀吉死後、家康と対立し関ヶ原で敗北、処刑。剛直な性格が武断派との... |
| 石塚小次郎 | いしづかこじろう | 「石塚小次郎」は架空だが、直江津の商人像を解明。直江津は三津七湊の一つで、上杉氏の経済を支えた。青苧取引が重要で、蔵田五郎左衛門のような商人は財... |
| 石堂原八兵衛 | いしどうはらはちべえ | 歴史シミュレーションゲームに登場する架空の品川商人。実在はしないが、戦国期の品川湊の経済的・軍事的要衝としての重要性や、そこで活躍した商人たちの... |
| 石野氏満 | いしのうじみつ | 石野氏満は赤松氏庶流の武将。三木合戦で武功を挙げ、秀吉、前田利家に仕える。射撃術に優れ、加賀国で死去。子孫は徳川旗本や加賀・紀州藩士として存続。 |
| 石巻康敬 | いしまきやすまさ | 石巻康敬は後北条氏の重臣。評定衆・奉行人として活躍。名胡桃事件で弁明使を務め抑留。後北条氏滅亡後、徳川家康に仕え旗本として晩年を過ごした。 |
| 石本了雲 | いしもとりょううん | 戦国から江戸初期の貿易商人。平戸や長崎を拠点に朱印船貿易などの国際交易で活躍し、キリスト教の受容や岡藩の藩政にも深く関与した石本家の創始者。 |
| 以心崇伝 | いしんすうでん | 以心崇伝は江戸幕府初期の「黒衣の宰相」。家康の側近として武家諸法度や禁中並公家諸法度を起草。外交・寺社政策を統括し、方広寺鐘銘事件や紫衣事件に関... |
| 伊集院幸侃 | いじゅういんこうかん | 島津家筆頭家老として活躍し、豊臣秀吉に重用され8万石を拝領。しかしその権勢が島津宗家の警戒を招き、島津忠恒により暗殺された悲劇の武将。 |
| 伊集院忠倉 | いじゅういんただあお | 伊集院忠倉は島津氏の重臣。父・忠朗と共に肝付兼演を破り、樺山・北原氏の和睦を調停。島津氏の筆頭家老に就任し、主家の薩摩・大隅統一に貢献。その功績... |
| 伊集院忠朗 | いじゅういんただあき | 島津忠良・貴久に仕え、鉄砲をいち早く実戦導入し「鉄砲戦術の祖」と称された。島津家得意の「釣り野伏」考案にも関わり、島津家の勢力拡大に貢献した武将... |
| 伊集院忠真 | いじゅういんただざね | 伊集院忠真は島津家臣。父忠棟が主君忠恒に殺され庄内の乱を起こす。家康仲介で降伏も後に謀殺。彼の悲劇は島津家と中央政権の複雑な力学の象徴であり、関... |
| 泉田胤清 | いずみだたねきよ | 泉田胤清は相馬氏の重臣。伊達氏との攻防で活躍し、坂本城攻めに参陣。二千八百石を知行し、相馬氏の存続に貢献。娘婿が家督を継ぎ、泉田城は義胤の隠居城... |
| 泉田胤直 | いずみだたねちょく | 陸奥標葉氏の一門筆頭。主家の衰退と近隣の圧迫を受け、相馬氏に内応し主家滅亡を導いた。以後は相馬家臣として厚遇され、標葉郷大将として旧領統治に功を... |
| 泉山古康 | いずみやまふるやす | 泉山古康は南部氏の有力家臣。南部信直の義父、利直の外祖父として南部氏の歴史に貢献。娘が信直後室となり、その血統は盛岡藩主家へ繋がった。 |
| 泉山政義 | いずみやままさよし | 戦国時代から江戸初期の武将。泉山古康の嫡男。姉が南部信直の後室となり、信直の命で石亀氏の名跡を継ぐ。家老や岩崎城代を務め、南部藩初期の政権基盤を... |
| 出浦盛清 | いずらもりきよ | 出浦盛清は武田信玄、真田昌幸に仕えた忍びの棟梁。甲州流忍術を駆使し、上田合戦などで真田家の情報戦を支えた。真田信之の松代移封にも従い、松代藩士と... |
| 伊勢貞昌 | いせさだまさ | 伊勢貞昌は薩摩藩島津家の名家老。有川氏から伊勢氏に改姓し、室町幕府の故実家としての権威を継承。島津家四代に仕え、有職故実の知識を活かして藩政に貢... |
| 伊勢貞陸 | いせさだみち | 伊勢貞陸は戦乱の室町時代、武力でなく法と礼儀で幕府の秩序維持に尽力した最後の官僚。政変を乗り越え、武家故実を体系化し、文化で統治した。 |
| 伊勢貞宗 | いせさだむね | 伊勢貞宗は、室町幕府政所執事。父の失脚から賢臣と称され、将軍義尚の「親父」として幕政を掌握。明応の政変を主導し、伊勢流故実を大成。戦国時代の幕開... |
| 磯野員昌 | いそのかずまさ | 浅井氏の重臣。姉川の戦いでは先鋒として奮戦し「姉川十一段崩し」の伝承を残す。後に織田信長に降るが高島郡の支配を巡り追放され、本能寺の変の後に帰農... |
| 五十目秀兼 | いそのめひでかね | 五十目秀兼は安東氏家臣。浅利勝頼の乱後、比内代官となり大館城を統治。安東実季と不和になり南部信直に内応。五城目城を築き「五十目」と改姓した。 |
| 板垣信方 | いたがきのぶかた | 板垣信方は武田信虎・信玄に仕えた宿将。信玄の傅役を務め、信虎追放に貢献。武田家最高職「両職」として軍事・内政で活躍。上田原の戦いで討死。子孫に板... |
| 板倉勝重 | いたくらかつしげ | 元禅僧の経歴を持つ徳川家臣。実質的な初代京都所司代を務めて朝廷交渉や西国大名の監視を担い、公正な訴訟審理から名奉行と称された江戸初期の能吏。 |
| 板倉重昌 | いたくらしげまさ | 徳川家臣。板倉勝重の三男。三河深溝藩主。島原の乱の討伐上使となるが、老中松平信綱の派遣に焦り、名誉のため元旦の原城総攻撃を自ら率いて突撃し、戦死... |
| 板倉重宗 | いたくらしげむね | 徳川秀忠の側近から二代目京都所司代となり、三十四年にわたり紫衣事件などの対朝廷政策を冷徹に執行する一方、公正な裁判姿勢から名奉行とも称された能吏... |
| 板部岡江雪斎 | いたべおかこうせつさい | 板部岡江雪斎は後北条氏の外交僧。武田・徳川・豊臣と渡り合い、小田原開城交渉で秀吉に認められた。関ヶ原では徳川に貢献し、文化人としても活躍した。 |
| 伊丹元扶 | いたみもとすけ | 細川高国に属し畿内で台頭するも、政権崩壊後に細川晴元や三好元長へ転じた摂津伊丹城主。のち晴元政権内の対立に巻き込まれ、木沢長政らの攻撃を受け自害... |
| 伊丹康直 | いたみやすなお | 伊丹康直は摂津出身の武将。今川、武田、徳川に仕え、水軍指揮官として活躍。家康から「康」の偏諱を受け、その子孫は徳美藩主となるも4代で改易。 |
| 伊丹屋清兵衛 | いたみやせいべえ | 朝鮮出兵で御用商人として釜山に常駐し、豊永別四郎らと兵站や情報収集に奔走。小西家の滅亡に伴い、歴史の表舞台から姿を消した博多の豪商。 |
| 井田親氏 | いだちかうじ | 秋月家臣。武勇に優れ、大友氏との合戦で総大将に任じられる。敵を深追いし伏兵に襲撃され戦死。その最期は戦国武将の悲劇的な典型例として語られる。 |
| 井田親之 | いだちかゆき | 秋月氏の家臣。息子が大友軍との戦いで討死した際、仏壇の柱に鎮魂の和歌を刻んで哀悼した。のちに自身も合戦で先陣を務めて奮戦し、戦死を遂げた悲劇の武... |
| 市川経好 | いちかわつねよし | 戦国武将。毛利氏の重臣。山口奉行。防長経略後の山口支配で重きをなし、尼子再興軍の侵攻に対して妻の市川局らと共に山口を守り抜いた有能な忠臣。 |
| 一栗放牛 | いちくりほうぎゅう | 一栗放牛は奥州大崎氏の家臣。葛西・大崎一揆で92歳の高齢ながら佐沼城に籠城し、奮戦の末に戦死。旧主への忠義を貫いた老将として知られる。 |
| 一条兼定 | いちじょうかねさだ | 土佐一条氏最後の当主で公家大名。長宗我部元親の台頭や家臣の離反により国を追われ、後にキリスト教に改宗して波乱に満ちた悲運の生涯を終えた。 |
| 一条内政 | いちじょうただまさ | 一条内政は土佐一条氏の当主。長宗我部元親の傀儡として擁立され、波川清宗の乱に関与嫌疑で伊予へ追放。病死または毒殺され、土佐一条氏は終焉を迎えた。 |
| 一条信龍 | いちじょうのぶたつ | 一条信龍は武田信玄の異母弟で武田二十四将の一人。甲斐一条氏を継承し、駿河方面の要衝を守った。長篠の戦いで奮戦し、甲州征伐で武田氏に殉じた。 |
| 一条房家 | いちじょうふさいえ | 五摂家一条家の公卿。土佐に下向し、土佐一条氏初代当主となる。中村を「小京都」として整備し、長宗我部国親を保護。公家としての権威と実力を兼ね備え土... |
| 一条房冬 | いちじょうふさふゆ | 一条房冬は土佐一条氏3代当主。皇族や有力大名との婚姻で家格を高め、対明貿易で経済力を築いた。しかし、家臣の讒言を信じ重臣を自害させ、自身も若くし... |
| 一条房通 | いちじょうふさみち | 一条房通は戦国時代の摂関家当主。土佐一条氏出身で京一条家を継ぎ、関白を務めた。土佐一条家の後見として下向し、有職故実書『唯心院装束抄』を編纂。 |
| 一条房基 | いちじょうふさもと | 土佐一条氏の四代当主一条房基は、若くして家督を継ぎ、伊予出兵を試みるも、28歳で謎の自害。一条氏衰退と長宗我部氏台頭の契機となった。 |
| 一迫隆真 | いちのはさまたかざね | 大崎氏家臣で真坂城主。一族の参謀を務め伊豆守と称す。大崎合戦で伊達政宗に味方し、後に仙台藩士となって「伊達十騎母衣」に抜擢された。子孫は医家とな... |
| 市橋長勝 | いちはしながかつ | 市橋長勝は、織田・豊臣・徳川の三天下人に仕えた武将。美濃今尾城主として1万石を領し、関ヶ原では東軍として福束城攻めで活躍。大坂の陣では家康の本陣... |
| 一萬田鑑実 | いちまだあきざね | 一萬田鑑実は大友宗麟の重臣。父と叔父が粛清された後、家督を継ぎ、数々の戦功を挙げ加判衆となる。しかし、豊薩合戦後、一族の裏切りを理由に主君・大友... |
| 市義直 | いちよしなお | 市義直(市三郎兵衛)は宇喜多直家の家臣。美作国境の要衝・宮山城主として、織田・毛利の激戦地で防衛を担った。伝説と異なり、主君の命で開城した忠実な... |
| 伊地知重興 | いぢちしげおき | 大隅国の有力な国人領主。島津氏の領国拡大に対して肝付氏らと結んで抗戦するも降伏し、以後は島津家臣として九州各地の戦いで活躍した武将。 |
| 一休宗純 | いっきゅうそうじゅん | 後小松天皇の皇胤とされながらも仏門に入り、風狂の禅僧として知られる。酒肉女犯を厭わず権威や偽善を批判。わび茶の村田珠光らを育て、日本文化に大きな... |
| 一色在通 | いっしきありみち | 一色在通(昭孝)は公家唐橋家出身。母方の一色姓を名乗り足利義昭に仕え、鞆幕府を支える。後に徳川家康に仕え高家となり、幕府の儀礼秩序確立に貢献。晩... |
| 一色藤長 | いっしきふじなが | 一色藤長は室町幕府の幕臣。足利義輝・義昭に仕え、永禄の変で義昭を救出。義昭と離反後、細川藤孝を頼る。没年には諸説あり、子孫は早期に断絶した。 |
| 一色満信 | いっしきみつのぶ | 丹後一色氏の当主。細川藤孝の娘を娶り和睦するも、本能寺の変後、明智光秀に与したため細川忠興に宮津城で謀殺される。丹後一色氏滅亡の悲劇的な最期を飾... |
| 一色義有 | いっしきよしあり | 戦国初期の丹後国守護大名。宿敵武田氏の侵攻や国内国人の台頭といった内憂外患に立ち向かうも、若くして夭折した丹後一色氏の悲劇の当主。 |
| 一色義清(一色義幸の子) | いっしきよしきよ(いっしきよしゆきのこ) | 丹後一色氏の武将。兄・義道、甥・義定の死後、一族最後の当主として弓木城で細川軍に抗戦。奮戦するも衆寡敵せず自刃。丹後一色氏滅亡の悲劇を飾った。 |
| 一色義道 | いっしきよしみち | 丹後国の守護。足利義昭を擁護し織田信長と対立。信長の丹後侵攻で建部山城が落城し、裏切りにあい自害したとされる。その最期は丹後一色氏滅亡の序章とな... |
| 一色義幸 | いっしきよしゆき | 丹後国の守護。若狭武田氏との抗争に勝利し、建部山城を拠点に丹後一色氏を中興したとされる。実在性には諸説あり、史料が乏しい謎多き武将。 |
| 伊東一刀斎 | いとういっとうさい | 伊東一刀斎は戦国末期~江戸初期の剣客。一刀流剣術創始者で、33度の真剣勝負無敗の剣聖。弟子小野忠明が継承し、小野派一刀流は幕府指南役となり現代剣... |
| 伊東祐兵 | いとうすけたけ | 伊東祐兵は日向伊東氏の武将。伊東氏没落後、豊臣秀吉に仕え、九州平定で功績を挙げ旧領飫肥を回復。飫肥藩初代藩主となり、伊東氏中興の祖と称された。 |
| 伊東祐慶 | いとうすけのり | 伊東祐兵の長男。関ヶ原の戦いでは東軍に属して所領を安堵された。のちに家臣の稲津重政を討ち、検地や飫肥杉の植林などで飫肥藩の基礎を固めた第二代藩主... |
| 伊藤祐広 | いとうすけひろ | 伊藤祐広は織田信長の武将で、若江城の戦いで戦死。息子祐道が本能寺の変後、武士を捨て名古屋で呉服店を創業。大坂夏の陣で戦死するも、子孫が松坂屋を繁... |
| 伊東祐松 | いとうすけます | 日向伊東氏の家臣。伊東義祐の擁立に貢献し権勢を振るう。肝付氏への謀略で南郷を奪うも、その専横は家中の不和を招き、伊東氏衰退の一因となった。 |
| 伊東祐安 | いとうすけやす | 日向伊東氏の武将。伊東義祐の異母兄。木崎原の戦いで伊東軍総大将を務めるも、島津義弘の奇策に敗れ戦死。伊東氏衰退の転換点となった悲劇の将。 |
| 伊東祐吉 | いとうすけよし | 日向伊東氏第十代当主。家臣・長倉祐省に擁立されるも、わずか20歳で病死。彼の死は伊東氏の内紛を収束させ、兄・義祐の台頭を促す転換点となった。 |
| 伊東尹祐 | いとうただすけ | 伊東尹祐は伊東氏の版図を広げたが、後継者問題で家臣団に亀裂を生み、後の没落の遠因を作った。島津氏との攻防では戦略転換し、領国経営の基礎を築いた。 |
| 伊東長実 | いとうながざね | 伊東長実は豊臣秀吉の家臣。関ヶ原で家康に密告、大坂の陣で豊臣方に属しつつ徳川方に内通。戦後、備中岡田藩初代藩主となり、家名を存続させた。 |
| 伊東マンショ | いとうマンショ | 伊東マンショは天正遣欧少年使節の主席正使。日向伊東氏の血筋。13歳でヨーロッパへ渡り、ローマ教皇に謁見。帰国後は司祭となり布教活動を行うも、禁教... |
| 伊藤杢之助 | いとうもくのすけ | 戦国末期から江戸初期の米子の商人、伊藤杢之助の生涯を考察。記録は少ないが、事業と社会的役割を再構築。時代の変化に適応できず、記録が途絶えた。 |
| 伊藤盛正 | いとうもりまさ | 美濃大垣城主。関ヶ原で西軍に与し改易されるも、福島正則の助命で再起。加賀藩に仕え、前田家との縁を頼りに家名を存続させた、激動の時代を生き抜いた武... |
| 伊東義賢 | いとうよしかた | 伊東義賢は日向伊東氏の当主。若くして家督を継ぐも、伊東氏没落で豊後へ亡命。キリシタンとなり、朝鮮出兵中に病死。叔父による暗殺説も。 |
| 伊東義祐 | いとうよしすけ | 伊東義祐は日向伊東氏11代当主。伊東四十八城を築き勢力を拡大したが、木崎原の戦いで島津氏に大敗。領国を失い流浪の末に客死。子・祐兵が家名を再興し... |
| 伊東義益 | いとうよします | 父の次男で日向伊東氏全盛期に家督を継いだ武将。温厚な人柄で家臣らに慕われ大友氏らと連携したが、二十四歳で急死。これが伊東崩れを招き一族没落の契機... |
| 井戸良弘 | いどよしひろ | 大和国の国人。松永久秀との抗争で娘を失う悲劇を経験。織田信長、豊臣秀吉、細川忠興に仕え、関ヶ原では細川幽斎と共に田辺城に籠城。激動の時代を生き抜... |
| 稲垣重綱 | いながきしげつな | 稲垣重綱は徳川幕府の譜代大名。関ヶ原・大坂の陣で活躍し、伊勢崎・藤井・三条・刈谷藩主を歴任。大坂城代も務め、軍学にも関心。堅実な生涯で稲垣家の礎... |
| 伊奈忠次 | いなただつぐ | 伊奈忠次は徳川家康の家臣で、関東代官頭として治水、検地、新田開発、街道整備に尽力。関東平野を穀倉地帯に変え、江戸幕府の基盤を築いた。 |
| 伊奈忠政 | いなただまさ | 伊奈忠政は徳川家康の家臣で、父忠次の関東代官職を継承。大坂の陣で普請奉行や武将として活躍。鬼怒川治水にも尽力したが、34歳で早世。子孫は旗本とし... |
| 稲次右近 | いなつぎうこん | 稲次右近は丹波出身の武将。別所、渡瀬、有馬氏に仕え、三木合戦、関ヶ原(横山監物を討ち家康に賞賛)、島原の乱で活躍し戦死。久留米藩家老を務めた。 |
| 稲津重政 | いなづしげまさ | 稲津重政は日向伊東氏の家臣。若くして家老・清武城主となる。関ヶ原で宮崎城を攻撃。藩内対立で清武城に籠城し、29歳で戦死。墓は宮崎市史跡。 |
| 稲富一夢 | いなとみいちむ | 稲富一夢は戦国時代の砲術家。稲富流を創始し、家康らに指南。細川忠興に追われるも家康に庇護され、国友鍛冶組織化に尽力。神業の射撃術で知られ、流派は... |
| 稲富祐秀 | いなとみすけひで | 稲富祐秀は丹後国の一色家臣で弓木城主。佐々木義国から砲術を学び、創意工夫を加え稲富流砲術の基礎を築いた。孫の稲富祐直に砲術を伝授し、流派の発展に... |
| 稲葉一鉄 | いなばいってつ | 稲葉一鉄は美濃の武将。土岐・斎藤・織臣・豊臣に仕え、西美濃三人衆筆頭。姉川・長篠で活躍し「今弁慶」と称された。頑固一徹の語源とされる。子孫は大名... |
| 稲葉貞通 | いなばさだみち | 稲葉貞通は稲葉一鉄の嫡男。斎藤・織田・豊臣・徳川に仕え、郡上八幡城主、豊後臼杵藩初代藩主。関ヶ原では西軍から東軍に転じ、家康に厚遇された。武勇と... |
| 稲葉重通 | いなばしげみち | 戦国から安土桃山時代の武将。稲葉一鉄の庶長子。織田信長・豊臣秀吉に仕え、美濃清水城主となる。秀吉の御伽衆を務めたほか、養女の春日局を育てたことで... |
| 稲葉典通 | いなばのりみち | 稲葉典通は稲葉一鉄の孫、貞通の子。豊臣秀吉に仕え、九州征伐や秀次事件で失脚も復帰。関ヶ原で東軍に転じ、豊後臼杵藩二代藩主として藩政を確立。 |
| 稲葉紀通 | いなばのりみち | 美濃稲葉氏の一族で丹波福知山藩主。庄屋一家を酷刑に処すなどの苛政を行い、謀叛の疑いで幕府から召喚命令を受けると、居城の福知山城内で自刃し、家は改... |
| 稲葉正成 | いなばまさなり | 稲葉正成は小早川秀秋家老。関ヶ原で秀秋を寝返らせ東軍勝利に貢献。春日局の夫。後に徳川家臣となり、美濃十七条・下野真岡藩主を歴任。子孫は譜代大名と... |
| 稲葉道通 | いなばみちとお | 稲葉道通は稲葉重通の子。兄・牧村利貞の遺領を継ぎ伊勢岩出城主。伏見城普請で加増。九鬼嘉隆と対立。関ヶ原で東軍に属し、伊勢田丸藩初代藩主となる。3... |
| 猪苗代盛国 | いなわしろもりくに | 会津蘆名氏の重臣猪苗代盛国は、蘆名家内部の混乱に乗じ伊達政宗に内応。摺上原の戦いで伊達軍の先鋒を務め、蘆名氏滅亡に貢献。戦後、伊達家臣となるも知... |
| 猪苗代盛胤 | いなわしろもりたね | 猪苗代盛胤は会津の武将。父・盛国が伊達政宗に内応する中、蘆名氏への忠義を貫き摺上原で奮戦。敗戦後は流浪し、故郷で静かに生涯を終えた。 |
| 犬江親兵衛 | いぬえしんべえ | 『南総里見八犬伝』の犬江親兵衛を解説。「仁」の玉を握り神に育てられた完璧な英雄。その特異な生涯と超人的な活躍、物語における中心的な役割を分析する... |
| 犬飼現八 | いぬかいげんぱちのぶみち | 犬飼現八は『南総里見八犬伝』の八犬士の一人。「信」の玉を持ち、芳流閣の死闘で信乃と出会う。冷静沈着で仲間を繋ぐ触媒となり、国府台合戦で活躍。後に... |
| 犬甘久知 | いぬかいひさとも | 信濃小笠原氏に仕えた松本藩の筆頭家老。主家の深志城奪還に貢献し、内政や軍事で重きをなした。晩年は渭水と号し、大坂の陣には士大将として参陣し活躍し... |
| 犬甘政徳 | いぬかいまさのり | 信濃犬甘城主、犬甘政徳は小笠原長時に忠節を尽くし、武田信玄の侵攻に抵抗。犬甘城は落城するも、その忠義は子孫に受け継がれ小倉藩重臣となる。 |
| 犬川荘助 | いぬかわそうすけよしとう | 犬川荘助は『南総里見八犬伝』の八犬士で、「義」の玉を持つ。苦難を乗り越え、犬塚信乃らと義兄弟の契りを結び、里見家のために活躍。武士としての誇りを... |
| 犬坂毛野 | いぬさかけの | 『南総里見八犬伝』の智将・犬坂毛野を解説。女装の芸人に身をやつし父の仇を討つ知略、軍師としての活躍、その二面性を持つ人物像の深層に迫る。 |
| 犬田小文吾 | いぬたこぶんごやすより | 犬田小文吾は『南総里見八犬伝』の八犬士で「悌」の玉を持つ。温厚篤実な巨漢で、犬塚信乃と犬飼現八を救い、八犬士の絆を深める。里見家臣として活躍後、... |
| 犬塚信乃 | いぬづかしのもりたか | 犬塚信乃は『南総里見八犬伝』の八犬士で「孝」の玉を持つ。父の遺志を継ぎ、宝刀村雨丸を巡る陰謀に巻き込まれる。犬飼現八との死闘を経て仲間と出会い、... |
| 犬村大角 | いぬむらだいかくまさのり | 犬村大角は『南総里見八犬伝』の八犬士で「礼」の玉を持つ。化け猫に父を殺され、妻の犠牲で覚醒。知略に優れ、里見家臣として活躍後、仙人となる。 |
| 犬山道節 | いぬやまどうせつただとも | 犬山道節は『南総里見八犬伝』の八犬士で、「忠」の玉を持つ。復讐心と武士の倫理の間で葛藤し、火遁の術を操る。その複雑な人物像は、浮世絵や現代作品に... |
| 井上重房 | いのうえしげふさ | 伊予宇都宮氏の家臣。中尾城主として海賊を鎮圧し、民政に尽力。三机の発展に貢献するも、長宗我部氏の侵攻により落城し、その生涯を閉じた。 |
| 井上元兼 | いのうえもとかね | 井上元兼は毛利元就の家臣。元就の家督相続に貢献し、軍事・財政面で毛利氏を支えたが、その専横が元就の粛清を招き、一族と共に滅ぼされた。 |
| 井上之房 | いのうえゆきふさ | 井上之房は黒田家四代に仕えた重臣。有岡城幽閉時の孝高救出や石垣原の戦いで活躍。黒崎城主となり、黒田二十四騎・八虎の一人に数えられた。 |
| 飯尾賢連 | いのおかたつら | 戦国時代、遠江国引馬城主。元は三河吉良氏の被官。今川氏親の遠江侵攻に従い、宿敵の大河内貞綱を破って引馬城主となる。今川氏の遠江支配を支えた実力派... |
| 飯尾乗連 | いのおのりつら | 今川氏の重臣で遠江国引間城主。桶狭間の戦いに参陣し討死したと伝わる。彼の寄騎である松下加兵衛の下で若き日の豊臣秀吉が奉公したという、天下人と間接... |
| 猪俣邦憲 | いのまたくにのり | 後北条氏の家臣猪俣邦憲は、沼田城代。豊臣秀吉の惣無事令を無視し、真田氏の名胡桃城を謀略で奪取。この事件が小田原征伐の直接的口実となり、後北条氏滅... |
| 伊庭貞隆 | いばさだたか | 伊庭貞隆は近江守護代として六角氏に二度反旗を翻し、琵琶湖の水運を掌握。中央政局の混乱と家中の派閥争いの中、最終的に没落したが、六角氏の戦国大名化... |
| 茨木長隆 | いばらぎながたか | 戦国時代の武将。細川晴元政権の京都代官として行政や司法を掌握。法華一揆と結び山科本願寺を襲撃するなど活躍するが、江口の戦いで敗北した後は細川氏綱... |
| 今石紹安 | いまいしじょうあん | 戦国時代の博多商人。『天王寺屋会記』にその名が記されるのみであるものの、堺の津田宗及らを招いて茶会を主催するなど、茶の湯で名を馳せた伝説の商人。 |
| 今泉高光 | いまいずみたかみつ | 宇都宮氏庶流の上三川城主。国綱の側近として浅野長政の三男の養子入りを推進し芳賀高武と対立。夜襲を受け自刃、宇都宮氏の改易を招く直接の原因となった... |
| 今井宗久 | いまいそうきゅう | 戦国から安土桃山時代の堺の豪商。織田信長や豊臣秀吉の御用商人として活躍し、茶の湯を極めて「天下三宗匠」の一人に数えられた有能な茶人にして実業家。 |
| 今川氏真 | いまがわうじざね | 今川義元の嫡男。桶狭間で父を失い、武田信玄の裏切りにより領国を失う。武将としては不遇も、和歌や蹴鞠に秀でた文化人として徳川家康の庇護を受け、波乱... |
| 今川氏親 | いまがわうじちか | 今川氏親は今川義元の父。父の急死と家督争いを叔父・北条早雲の支援で制し、駿河・遠江を平定。検地や金山開発で領国を強化し、「今川仮名目録」を制定。... |
| 今川氏輝 | いまがわうじてる | 寿桂尼を母に持つ今川家第十代当主。若年で家督を継ぎ検地や商業振興など主体的な領国経営を行う一方、和歌を嗜んだ。二十四歳で急死し花倉の乱の契機とな... |
| 今川義元 | いまがわよしもと | 今川義元は駿河・遠江・三河を支配した戦国大名。桶狭間で織田信長に敗死したが、内政・外交に優れた名君。甲相駿三国同盟を締結し、領国を安定させた。 |
| 今出川公彦 | いまでがわきんひこ | 今出川公彦は戦国時代の公卿。清華家の名門に生まれ、左大臣・従一位まで昇進。伊勢神宮との関係を深め、足利将軍家と連携。嫡男・晴季を武家と、次男・空... |
| 弥郡弾正 | いやごおりだんじょう | 能登大沢村を本拠とし、吉見氏や畠山氏に仕えた豪族。輪島水軍の武将と伝わり、上杉謙信の能登侵攻による主家滅亡時に一族最後の当主を務めたとされる戦国... |
| 入来院重時 | いりきいんしげとき | 入来院重時は島津氏の家臣。関ヶ原の戦いで島津義弘に従い、撤退戦で本隊とはぐれ、近江国で討ち死にした。死後、重来明神として祀られた。 |
| 入来院重朝 | いりきいんしげとも | 入来院重朝は薩摩の国人領主。島津貴久の妹婿だが、度々島津氏に反旗を翻した。その生涯は不明な点が多いが、戦国期の国人の苦悩を体現する。 |
| 色部顕長 | いろべあきなが | 戦国時代の武将。上杉謙信に仕えた揚北衆で平林城主。父の死後に家督を継ぎ本庄繁長の乱の鎮圧等で活躍。後に病弱のため若くして弟の長実に家督を譲り隠居... |
| 色部勝長 | いろべかつなが | 越後揚北衆色部勝長は、上杉謙信に忠節を尽くし、第四次川中島の戦いで奮戦。「血染めの感状」を賜る。本庄繁長の乱鎮圧中に病没。その忠勤は色部家が上杉... |
| 色部長実 | いろべながざね | 戦国から安土桃山時代の上杉氏の重臣。揚北衆の領主。上杉謙信と景勝の二代に仕え、御館の乱後の家中混乱の収束や豊臣政権下での軍事外交で大きく貢献した... |
| 岩井信能 | いわいのぶよし | 戦国から江戸初期の上杉氏の重臣。御館の乱で景勝を支持。直江兼続と起請文を交わして北信濃の安定に尽力し、会津三奉行や宮代城主等を務め上杉家を支えた... |
| 岩上朝堅 | いわかみともかた | 戦国期の下総結城氏の重臣。結城四天王の一人。主君・結城晴朝を側近として支え、他勢力との複雑な外交交渉で活躍し、戦国期関東の地域秩序維持の一翼を担... |
| 岩城貞隆 | いわきさだたか | 陸奥国の戦国大名。岩城氏の当主。佐竹義重の三男で岩城家に養子入りする。関ヶ原の戦いで中立を維持したため改易されるも後に再興した当主。 |
| 岩城重隆(亀田藩主) | いわきしげたか(かめだはんしゅ) | 江戸初期の大名。出羽国亀田藩第三代藩主。新田開発や城下整備に努め藩政を確立。大坂加番や高田城在番などの幕務を務め、水戸藩主徳川光圀との深い交流で... |
| 岩城重隆(陸奥大館城主) | いわきしげたか(むつおおだてじょうしゅ) | 陸奥国の戦国大名。岩城氏の当主。大館城主。伊達氏や相馬氏といった強大国と対抗しながら領国支配を固め、岩城家全盛期を築き上げた英主。 |
| 岩城親隆 | いわきちかたか | 戦国期の陸奥の大名。岩城氏第十六代当主。伊達晴宗の次男として生まれ佐竹氏から妻を娶る。伊達と佐竹の狭間に位置するが、病気により佐竹氏の強い介入を... |
| 岩城常隆(岩城氏11代当主) | いわきつねたか(いわしろし11だいとうしゅ) | 戦国期の陸奥の武将。岩城家第十一代当主。下総守を称す。十五世紀後半から活動し、岩城氏が戦国大名へと飛躍する基礎を構築した。後代の十七代当主と同名... |
| 岩城常隆(岩城氏17代当主) | いわきつねたか(いわしろし17だいとうしゅ) | 岩城常隆は伊達・佐竹両氏の血を引き、母の後見で家督相続。郡山合戦を調停し、小田原征伐参陣後に急逝。実子誕生直後の死が岩城氏の運命を左右した悲劇の... |
| 岩城宣隆 | いわきのぶたか | 戦国・江戸初期の武将。佐竹義重の四男。多賀谷家を継ぐが関ヶ原後に改易。後に兄らの配慮で岩城家の名跡を継ぎ、出羽国亀田藩の初代藩主となって藩の基盤... |
| 岩城吉隆 | いわきよしたか | 江戸初期の藩主。岩城貞隆の嫡男。信濃中村藩主や出羽亀田藩主を経て、のちに大名である久保田藩の佐竹義隆となり、藩主として藩政の安定化に努めた。 |
| 岩城由隆 | いわきよしたか | 戦国期の陸奥の有力国人領主。海道平氏の血を引く岩城氏の当主。伊達氏、佐竹氏、蘆名氏ら大国の力が交錯する南奥羽で、一族の存続と勢力維持のために苦闘... |
| 岩崎勝右衛門 | いわさきかつえもん | 戦国期の品川商人「岩崎勝右衛門」は史料で確認できず。岩崎姓は近代の三菱創業者と関連。品川の商人は中世の豪商から近代の財閥へと変遷した。 |
| 岩崎宗左衛門 | いわさきそうざえもん | 岩崎宗左衛門は架空の直江津商人だが、戦国直江津の有力商人の典型。直江津は日本海交易の要衝で、上杉謙信の経済を支えた。蔵田五郎左衛門のような実在商... |
| 岩沢万次郎 | いわさわまんじろう | 「岩沢万次郎」は戦国期塩釜の商人。史料はないが、港町・門前町の二重性を持つ塩釜の政治・経済背景から、在地豪商や広域交易商人として再構築。彼の存在... |
| 岩清水義長 | いわしみずよしなが | 陸奥国の戦国武将。高水寺斯波氏の家臣。岩清水城主。主家高水寺斯波氏の衰退期において忠義を尽くすも、南部氏の圧倒的な侵攻により討死した悲劇の将。 |
| 岩清水義教 | いわしみずよしのり | 陸奥国の戦国武将。高水寺斯波氏の家臣。岩清水城主。主家が衰退し南部氏の侵攻を受ける中で、南部氏に臣従する道を選び、一族の存続を図った武将。 |
| 岩成友通 | いわなりともみち | 岩成友通は三好三人衆の一員。永禄の変で足利義輝を殺害。松永久秀と対立し、東大寺大仏殿を焼失。織田信長に抵抗し、勝龍寺城主として戦うも淀城で敗死。 |
| 岩淵経文 | いわぶちつねふみ | 岩淵経文は葛西氏重臣。父の武功を継ぎ、婚姻政策で同盟網を築き領地安定に尽力。豊臣秀吉の天下統一の波に飲まれ、葛西氏と共に没落した奥州の地方領主の... |
| 岩間作右衛門 | いわまさくえもん | 岩間作右衛門は、加賀藩の足軽組頭で、槍術に優れ、藩主前田利家の信頼厚い武士。数々の戦功を挙げ、特に末森城の戦いでは奮戦し、その武勇は広く知られた... |
| 岩松氏純 | いわまつうじずみ | 岩松氏純は新田岩松氏の悲劇の当主。家宰横瀬氏に実権を奪われ、傀儡として擁立された後、自害に追い込まれた。彼の死は岩松氏の事実上の滅亡を意味した。 |
| 岩松尚純 | いわまつひさずみ | 岩松尚純は家臣横瀬氏に実権を奪われ隠居したが、連歌に傾倒し、一流の文化人として名を残した。自画像も残し、武力だけでなく文化で生きた。 |
| 岩松昌純 | いわまつまさずみ | 岩松昌純は家臣横瀬氏に実権を奪われ傀儡当主となる。抵抗を試みるも失敗し金山城で殺害。岩松氏は滅亡し、横瀬氏は由良氏として戦国大名に。 |
| 岩松守純 | いわまつもりずみ | 岩松守純は新田岩松家14代当主。由良氏の傀儡として実権なく、徳川家康に謁見し20石の微禄で旗本となる。その血統の権威は「猫絵の殿様」として江戸時... |
| 犬童頼兄 | いんどうよりもり | 人吉藩筆頭家老。別名相良清兵衛。関ヶ原の戦いで東軍への寝返りを主導し主家の本領を安堵させる。後に専横を訴えられ、お下の乱を経て津軽へ流刑となり没... |
| 犬童頼安 | いんどうよりやす | 肥後国の国人領主。相良氏の重臣。相良氏の領国支配や軍事で大いに活躍し、水俣城主として島津氏の侵攻に対して頑強に抵抗した忠義の戦国武将。 |